やっぱり文章を書くというのは難しいですね。うまく書いているつもりでもいつの間にか短絡的で稚拙な文章になってしまっている時が多々あります。
まあ、それはともかく真姫ちゃんです。どうぞ。
「……ねえ…………て…………」
誰かが僕の体を揺らしている。ああ、なんだか心地良い。子供の頃に揺り籠に揺られているような感じだろうか。
「ちょっと…………起きてよ…………」
だんだん揺れが激しくなっていく。おいおい、これじゃちゃんと眠れないじゃないか。
「もう! 早く起きなさいよ!」
「うわっ!」
突然耳元で大きな音がしたので、僕は驚いてあたりを見回す。ここは……廊下? ……ああ、僕、寝ちゃってたのか。
そして横を見ると、綺麗な赤髪の子が立っている。
……ってこの人、西木野さん!?
「まったく……なんでこんなところで寝てたわけ?」
「なんでだっけ……ああ、そうだ、ピアノ」
「ピアノ?」
「この教室で誰かがピアノを演奏してて。それ聴いてたらなんだか気持ちよくなっちゃって、それで……って、もしかして」
「えぇっ、もしかして聴いてたの!?」
「やっぱり、西木野さんだったんだ」
あの演奏……どおりで作曲もできるわけだ。
「もう、なんで聴いてるのよ……って、私の名前……」
「え? だって同じクラスだし」
「あら、そうだったかしら? 私、あんまりクラスのこととか興味無くて」
いやいや、興味無いって言ってもなあ……僕、一応クラスで唯一の男子なんだけどな……そんなに影薄いかなあ?
「じゃあ、私はこれで失礼するわ……あ、それと。こんなところで居眠りなんてしちゃダメよ? 風邪引くから」
そう言って西木野さんはその場を後にしようとした。
「あ、うん、ありがとう……ってちょっと待って!」
「?」
西木野さんはきょとんとした顔でこちらを振り返った。
「高坂穂乃果って人、知ってるよね?」
「高坂……ああ、あの人。知ってるけど、どうかした?」
「実は、僕の姉がその穂乃果さんと一緒にスクールアイドルやってて……それで、僕からもお礼を言いたくて」
僕は、姉さんから言われたこととは少し違う行動をした。姉さんは自分の代わりにお礼を伝えて欲しいと言っていたが、僕は僕自身の感謝の気持ちを伝えた。
「お礼って……曲のこと?」
「うん。それで姉さん、すごく喜んでたんだ。おかげで昨日はとても美味しいハンバーグも食べれたし」
「ハンバーグ……? まあ、いいわ。あれは別に、好きでやったことだから。お礼なんていいわよ」
西木野さんはそれだけ言うと、再び背中を向けて行ってしまった。
なんだか、最後はあまり嬉しくなさそうな、というか、少し悲しそうな顔をしていたように見えた。お礼を言われるのが嫌だったのだろうか、それとも他になんらかの事情があるのだろうか。どちらにしても、少し心配なところである。
僕も立ち上がって時計見ると、もう下校終了時刻だったので、急いで帰ることにした。
○ ○ ○
その夜、僕は西木野さんのことについて、ベッドに寝転がりながらいろいろと考えた。どうしてあのとき、あんな顔になったのだろうか。本当は音楽が嫌いとか? ……いや、それは無いんじゃないのか。
彼女のピアノを聴いていて感じたことは、まず第一に『楽しい』ということだった。彼女は本当に楽しそうな音を奏でていた。まるで音が跳ねているようだと感じるほどだった。
そんな風にピアノを弾く彼女が、音楽のことを嫌いなはずがない。
ではどうして……と、そのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「優羽、入ってもいいですか?」
「うん。どうぞ」
「失礼します。おやつを持ってきました。一緒にどうですか?」
「わあ、美味しそう。食べる食べる」
僕は喜んでベッドから降りて地面に座る。
姉さんの持ってきたお盆の上には、美味しそうなクッキーと紅茶の入ったカップが二つ乗っていた。
姉さんは僕の部屋の中心にある小さな丸い机の上にお盆を置くと、
「はい、どうぞ」
と言ってこちらに紅茶を渡す。ゆらゆらと湯気が立っていて、なんともいい香りがする。
「いただきます」
そう言うと僕は、机の上のクッキーをひとつ食べてみる。うん、美味しい。甘さは控えめで、ちょうどいい。
「優羽、最近学校はどうですか?」
と、姉さんはまるで母さんのようなことを聞いてくる。しかしその顔はとても優しいものだったので、僕も普通に答えざるを得なかった。
「まあまあって感じ。そういえば、西木野さんに言っておいたよ」
「本当ですか! ありがとうございます」
「うん、でも……」
「でも……どうしたんですか?」
姉さんは心配そうな顔でこちらをうかがう。
「なんだか西木野さん、その話のときは元気なかったっていうか……」
「そうですか……」
元気ない、なんて言い方をしたが、本当にそうだった。
そうだ、お礼を言ったとき、彼女は突然暗い顔をしたと思えば、さらに元気もなくしていた。
「彼女も彼女で、なにか悩みがあるのではないでしょうか?」
姉さんは紅茶を飲みながら言った。
それにつられて僕も紅茶を口にするが、熱くて思わずカップを遠ざけてしまう。
「そういえば、彼女のご両親は病院を経営されているようですよ」
「そうなの? じゃあ頭良いのかな」
「そのようですよ。なんでも、入試ではダントツの一位だったそうです」
「へえ……ってめちゃくちゃすごいじゃん! ならなんでわざわざ音乃木坂に来たのかな。もっと偏差値高いところはいくらでもあるのに……」
「さあ、それは分かりませんが……でもきっとそのぶん、プレッシャーも大きいのかもしれません」
「ああ、確かに……」
そうだよな、なんたって両親が医者となれば、そりゃ娘は将来を嘱望されるだろう。そのぶんの重圧が今彼女にはかかっているということなのだろうか……
「……助けてあげたいんでしょう?」
と、姉さんは微笑む。
しかし、それは違う。助けてあげる、なんて、そんなことを考えるのはおこがましい話だ。僕ごときがなにか行動をしたってそれで彼女の悩みをを消してあげることなんて到底できることでもないし、そもそも僕は人を助けることなんてできない。そんな力はない。
……でも。
「力になりたいんだ」
そう、力になりたい。彼女がほんの少しでも暗い顔をしなくて済むように、なにか僕にできることがあれば、それをやりたい。
今日初めて話したばかり? そんなの関係ない。僕は誰かが元気をなくしているのを、悩んでいるのを無視できるほど賢くないのだ。
「ふふっ、あなたはいつもそうですね」
「いつもそうって?」
「困っている人を見たらほっとけない」
「そうかな」
「そうですよ」
姉さんはそのまま微笑み続けている。姉さんの笑顔にはいつも救われたような気にさせられる。昔から、彼女は僕が泣いたときや落ち込んでいるとき、悩んでいるときには、いつも笑顔で接してくれている。きっと、彼女なりの僕へのエールなのだろう。優しい、全てを包み込むような——そんな笑顔だ。
僕はその夜、ぐっすりと眠れた。
○ ○ ○
次の日学校に行くと、隣の席で星空さんと小泉さんが話しているのが聞こえた。
「かよちんは結局どの部活にしたの?」
「わ、私は……」
「まだ決まってなかったの? じゃあ凛と一緒に陸上部に入るにゃ」
「いや、その……」
「なにか気になる部活があったの?」
「えっと、それは……」
おおよそ会話になっていなかった。小泉さんがなにか言いたそうだがなかなか言えず、星空さんは聞く姿勢を真摯に示しているが、結局は小泉さんは何も言えない。まあ、そんな光景でも違和感はないので、この二人はこれが通常運転なのだろう。
すると、星空が言ったある一言が耳に入った。
「あ、もしかしてかよちん、スクールアイドルとか……」
!
僕は耳をピクッと立てた。そしてそのままその二人の会話を聞きいる。
「かよちん、昔からアイドル好きだったもんね」
「そ、それは……」
相変わらず小泉さんはモジモジとしているが、それでもまんざらでもなさそうだった。
○ ○ ○
今日の授業が終わって西木野さんが教室を出たのを確認すると、僕もそのまま音楽室に行った。まだピアノの音は鳴っていない。そして僕はその教室のドアをゆっくりと開ける。すると、ピアノの前に座っている彼女と目が合ってしまった。
「どうも」
「どうもって……なんでここに来たのよ?」
「ピアノ、聞きたくて……その、だめかな?」
「だめではないけど……」
「けど?」
「……まあ、いいわ」
彼女がそう言うと、僕は教室の一番前の席に座り、西木野さんはピアノの鍵盤に指を乗せる。
——始まった。
それはなんの前触れもなく、自然にスタートする。
綺麗な、透き通ったような、繊細な音だった。しかしそれでいてどこか優しい、懐かしい感じもする。
……ああ、やっぱり僕はこの音が好きだ。昨日この音を聴いていたときの感覚、それがより鮮明に思い起こされる。
——気持ちいい。
その一言はまさにこの音を言い表すのにぴったりの言葉だった。
ひと通り演奏が終わった。僕は惜しみない拍手を彼女に送る。
「すごく良かったよ!」
「そ、そう? ……ありがとう」
それだけ言うと、彼女は荷物をまとめて帰ってしまった。
しかし彼女の顔には、笑顔はなかった。
○ ○ ○
次の日も同じようにして僕は音楽室に行った。そして同じように西木野さんのピアノ演奏を聴いた。
次の日も同じだ。
僕はこの一週間、放課後は音楽室に通い詰めた。
そしてその金曜日、いつものように演奏が終わって拍手をすると、今日は彼女は帰ろうとはしなかった。そのかわりに、僕に質問してきた。
「……ねえ」
「なに?」
「なんで毎日ここに来るの?」
「なんでって……」
「私の演奏なんて聴いても、別に何もないでしょ」
西木野さんは俯いたまま言った。自嘲的な態度を示す西木野さんに、僕は寂しさを覚えた。
なにが彼女にそんなことを言わせているのだろうか。そんなことを考える。
「面白くもないでしょうし……いいのよ、別に。こんなのただの暇つぶしだから……」
彼女は座ったまま、さらに俯いて言った。
僕がこんなことを言うのはおせっかいだって分かっている。彼女からしたらはたはた迷惑な話かもしれない……でも。
「僕は西木野さんの演奏、好きだよ」
「え?」
「音が綺麗で、優しくて、それでいて溌剌としていて……なんだか聴いてるこっちまでいい気持ちになってきて」
「ちょ、ちょっと、やめて——」
「だから!」
僕は彼女が言うのを遮って、目を真っ直ぐに見て言葉を繋ぐ。
「……だからさ、西木野さん。自分の音楽を悪く言わないでよ」
すると、西木野さんは体をこちらに向ける。
「…………あなたに……あなたに何が分かるのよ……」
小さく、しかしなにかとてつもなく大きなものを含んでいる声で、彼女は呟くように言った。
そして、さっきまで美しいピアノの音が響いていたこの教室に、西木野さんは今度は自分の声を目一杯に響かせた。
「私だって! 私だって音楽を続けたいわよ! もっと音楽を聴きたい……もっと創りたい! ……でも」
——できない。
多分、できない理由があるのだろう。それは勉強、そして将来のことを考えてのことなのかもしれない。
それでも僕は、彼女に向かって言う。
「じゃあ、やればいいんじゃないかな」
「……え?」
「だって、やりたいんでしょ? なら続ければいい」
僕はあくまでも笑顔で喋る。それが、僕なりの心遣いでもあった。
「簡単に言わないで」
「簡単だよ」
そう、簡単だ。だって、やればいいのだから。
やりたいことがある、それだけあれば——その気持ちさえあれば十分ではないか。僕はそのことさえ、羨ましく感じられた。僕にはやりたいことなどないのだから。
「西木野さんならできるよ。どんな事情があるのかは分からないけど、西木野さんなら大丈夫。きっと大丈夫だから」
「あなたねえ……——ああー、もう! なんだか調子が狂っちゃったじゃない! あなたが変なこと言うから……」
「え、あ、ごめん、つい調子に乗っちゃって……」
「……ぷっ、あははは、あなた面白いわね」
西木野さんからはさっきまでの暗い表情が全てなくなったわけではない。が。彼女の顔には、どこか晴れ間が覗いたような気がした。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いてなかったわね」
「僕は園田優羽。よろしくね」
「私は西木野真姫。よろしく」
こうして僕は、また一つ、スマホの連絡先欄が増えていくのであった。
「ところであなたのお姉さん、ついにあと一週間でライブね」
「え?」
「え? ……もしかして、知らなかったの?」
「全然知らなかった……」
ライブなんて、一言も聞いていない。というか、こんなに早いタイミングで? まだ始めたばかりじゃないか。そんなの、客が来るのかどうかすら分からないのに……
本当に大丈夫だろうか。
僕の頭の中では、しだいにそんな不安が渦巻き始めていた。