ボブの聖杯戦争 ~F/sn Unlimited Lost Works~ 作:黒兎可
月光が照らす視界。天井から差し込む光に、ようやく、俺の意識が覚醒する。入り口という入り口、窓には封がされている。
日の恩恵を受けると、周囲の景色がようやく判る。うちの蔵とは違うけど、見覚えがある。妙に物の配置が乱雑なのは、ネコさんの仕業か。
俺の知る中で、こんな光景を持つ場所は一つしかない。
「――――シロウ」
ふと、声をかけられて顔を上げる。上げるのだが、視界が所々、はっきりしない。
いや、視界がはっきりしないと言うより、中途半端に包帯みたいなものが巻かれているというか――うっとうしいと思って取り払おうとしても、腕が動かない。何かで拘束されているらしい。
「少し待ってください。シロウ。今、それだけでも解きます」
静寂に包まれたこの場所で、少しだけひんやりとした指先が、俺の頬を撫ぜる。どこか気遣うような、いつくしむような。そんな悲しげな目が、包帯の隙間から見えて――。
顔を拘束していたそれが、破壊された。
「セイバー?」
「…………よかった、まだ、意識はあるのですね」
泣きそうな顔でそんなことを言うセイバー。その服装は、普段のセイバーじゃない。白いドレス姿は、いったい誰の趣味だというのか。似合ってはいるのだけれど――でもどこか、この騎士の在り方を侮辱しているような。そんな意図があるような錯覚をした。何より、ここに絶望的に合っていない。
不安定な思考のまま、無理やり言葉を出す。
「教会……、白……?」
「シロウ?」
「あ、いや、何でもない。俺は一体――」
と、そこでようやく思い出した。そうだった。確かキャスターの襲撃に遭い、俺とセイバーとの契約は切れてしまったのだ。
だというのに、なおセイバーは、俺をこんな目で見てくれている。
「すまない、セイバー。俺が……」
「いえ。それでも、シロウが無事で嬉しい。……そう長くはなかったとしても、最期まで、貴方の剣であれるのなら……。私こそ、不甲斐ない。結局、今の状況は……」
セイバーとしても、今の状態が不本意なんだろう。俺にそう言いながらも、自分の足元を見つめて、苦い顔をする。
「そんなことはないぞ、セイバー。だけど、水掛け論だ。お腹空いてないか?」
「はい? あ、いえ。食事はもう必要ないのです。キャスターのパスが繋がった以上、あちらから供給されていますので」
「そっか。それは、正直に言って良かった」
「あの、ですが……」
「?」
「その、決して! シロウの食事が美味しくないというようなことではないのでしてですね、ええ!
今の状態であれ、やはり貴方の作る食事が一番落ち着くと思います」
何故か慌てたようにそんなことを言われて、正直、反応に困った。ちょっと緊張感が抜けた。でもそれが、ちょっとだけ嬉しかったのは事実だ。
「そっか。まぁ……、作れるといいな。
――――キャスターはどうしてるんだ? セイバー」
「イリヤスフィールの攻撃のせいで、休息をとっています。……それが功を奏しました」
「功を奏したって?」
「こうしてシロウと会話出来たのですから。
――少し動かないで下さい。シロウ。ちょっとした手品をします」
手品?
言いながら、セイバーは俺の両腕を拘束する植物に手を伸ばす。おそらくそれも何らかの魔術で作られたものなんだろうが――。
ぱきり、と当然のように破壊した。
「……手品?」
「タネも仕掛けもありません」
いや、そりゃ、ないだろうけどさ。
いや、明らかにこう、ツタというか幹というか、かなり太いそれの撓み方とかが尋常じゃなかったというか。
「対魔力です」
それ以外の解答はないとばかりに、胸を張って、堂々と言い切るセイバー。そのまま俺の脚の拘束も、同じ要領で破壊した。
「……って、何やってんだ、セイバー!? お前、今のは――」
「このくらいならばキャスターには気付かれないでしょう。
……今の内です、シロウ。逃げてください」
そう。セイバーは意識的に、キャスターの命令に背いている。おそらく令呪は重ねられていないだろうけど、それは後々、彼女の立場を弱くするに違いない。
にもかかわらず、衛宮士郎に逃げろと言う。
「逃げられるか、ばか! セイバー一人、こんなところに置いていけるか! 格好だって、その……、寒そうだし」
「え? あ、え、ええ、確かにこう、少しばかり凛から頂いたあの服に比べれば、その……。
――オホン。シロウ。そういう話ではないのです。何より、貴方はここから逃げなければならない。さもなくば――」
顔を伏せて、直接言葉にするのを濁しているセイバー。なんだろうと周囲を見回すと、所々、メスとか医療器具のようなものとか、片手で抱えられるくらいの巨大な試験管みたいなものが見えたりとか。
「……さもなくば、貴方は思考のみの
それこそ、何度謝り続けても悔やみきれないと。表情に幸せさを欠片も感じさせないように言った。
「だけど、それじゃ――」
「行って下さい、シロウ。おそらく私が出来る、最後の守りになります――」
言うまでもなく、ここは柳洞寺。キャスターの本拠地であり、アサシンが姿を消した場所。
考えて見れば、一成たちとここ数日会っていないこともあって、現在の寺の状況が読めない。
だが、セイバーはチャンスだと言う。キャスターが動けない以上、今逃げるしかないと。それは俺に、セイバーを置いて逃げろということ。
「……わかった。
でも、必ず助けに来るからな」
「シロウ……」
俺の言葉が空々しいのは、自分が一番感じていることだ。それがどれほど実現する可能性が低いか、俺自身が一番承知している。でも、その意思を忘れてはいけない。それだけは、それだけはこの身の証明に他ならない。
「――――」
だからこそ、倉庫から外に出る。入り口へ周るにはお堂を抜ける必要があるのだけれど――――。
「――――葛木先生?」
扉を開けたそこには、葛木宗一郎――隣のクラスの担任たる男が立っていた。
いつものように、感情のみえないような佇まいのまま。一成が兄のように慕うこの男は、やはり顔色一つ変えない。
明らかに静かな寺において――人の気配を感じないほどに、恣意的なまでに静かなこの場において。佇むその姿はやはり異質で。
「衛宮か。……成る程。キャスターが色々、勝手に動いているのか」
「――――!? アンタ――」
今の言葉を聞いて、でもいつもと変わらない態度であるが。
……魔術師らしさは感じない。マスターとしての気配も感じない。遠坂やシンジ、イリヤのように、聖杯戦争を戦い抜こうという意思さえ感じない佇まいだが。
間違いない――キャスターのマスターは、この男。
そして同時に、この男に見つかった時点で脱出はもう不可能だ。背後でセイバーが息をのみ、戦闘態勢に入ろうとするのを制する。
「葛木。アンタ……、操られてたりするのか?」
「その質問の出所はなんだ、衛宮。言ってみるがいい」
「……アンタがどうやってマスターになったかは知らないけど、アンタはまともな人間のはずだ。なら、キャスターのやってることを見逃せるはずはない」
「――――通常、善良な人間ならばキャスターを放置できない。それだけのことをしている。
にも関わらずマスターである私がキャスターを放置しているのは、彼女に操られているからと考えた訳だな」
その様子は、キャスターが何をしているかを知っていないようで。でも、俺がその説明をする前に、手で制した。
「だが、……、他人が何人死のうが、私には関わりがないことだ。
全ての人間は無関係。何をして、どう巻き込もうが結果は変わらない」
「な――」
「先ほど、そちらは言ったな。私は魔術師などではない。
ただの、そこいらにいる朽ち果てた、殺人鬼だよ」
そんなことを、教壇に立つときとなんらかわりない様子で語る男。
もっとも傀儡というのは当たっているがな、と、少しだけ肩をすくめて言った。
「ならば問おう。キャスターのマスター」
セイバーが、俺の隣に立つ。
「セイバー?」
「……状況は判らないが、お前は、キャスターと同類か」
「その質問には、近くかの魔女が答えるだろう。だが、一つ聞きたい。
傀儡でありながらも、操られることなく、貴様は何故この場に立つ。聖杯に、かける願いがあるというのか?」
衛宮士郎は、参加する事で己の望むあり方に近づける。
だがそれに対して、葛木宗一郎は何を望むのか。……俺のように、全て表情に出るわけではない。だけども。傀儡でありながらと問うセイバーは、どんな意図があるのか。
少しの間沈黙し、やがて葛木は答える。
「――――願いを叶えてやりたいと思った、というのは間違いか?」
返答は、あまりにも意外なものだった。
「キャスターのってことか?」
「私は自分というものを、育てなかった人間だ。自分という欲が薄い。
そんな私が、あれの願いを叶えてやりたいと考えた。それが願いでなくて何だ?」
「だが……、キャスターが欲するのは、おそらく自由であるはずだ。自らの手のみに聖杯を治め。それを、何故――」
「それは願いではない。己の命や、自由、尊厳が欲しい。守りたい。それは単に願いでなく、生命としての義務だ。原始的欲求として、人間は生物的に、己の快と楽を追求する傾向にある。それを除いてなお、キャスターには求めるものがある。
――あれは帰りたいのだ。単に、幸せだった
いつもと振る舞いが変わらない。ただ、男は語る。
「あれ自身、気付いてはいないだろう。本当に欲しいのはそれだけで、自由など求めてはいない。
遠い過去。自分が今の自分に至らなかった頃。そこで感じていた幸福こそが、望んでいるものだろう」
「――――」
嗚呼、それは。確かに、この男の語るその言葉に嘘偽りはないだろう。それは確かに願いだ。気が付くと、俺はセイバーの横顔を見ていた。
セイバーは目を伏せ、苦い表情をしていた。悔恨だろうか。パスが繋がっている訳でもないのに、そんなことを思えるくらいにはセイバーの顔を見ている自負がある。でも、それが何を考えてのことなのかを理解できるほど、俺はまだ彼女と繋がれていなかった。
「私は、人間であることを放棄した」
――――体は剣で出来ていた。
「生まれた土地に問題はあったが、それでも選択したのは私だ。そう生きることが自分の責任だと。
だから、あるべき所にあったものは、そう還さなければ――。それが、正しいことだろうと私は思う」
「……アンタが考える正しさって、何だ?」
そのまま葛木は、普段の教師のようなままに、続けた。
「善悪が等価に見える以上、選択の責任の良し悪しを問うことは出来ない。ならば、それに後悔をしないことだ。例えどれほど間違えた選択であったとしても――どれほど悲惨な結末に至ったとしても」
俺も、セイバーも言葉を続けられず。
気が付くと、俺の意識は刈り取られていた。
※
「なるほど……、無理だな」
――例えるなら、それは祭壇だった。
一人の女――躯なのか、生きているのかさえ定かではない。それを生贄のように中心に奉ったようなそれ。
周囲に広がる陣は、女を中心として広がったものである。――嗚呼、解析するまでもない。この陣は、その女の魔術回路で構成されている。
一つの人体から放たれた神秘を用いて――未だ手に届かない神秘を再現しようという。これは、そういう祭壇。
たまりかけているような光は赤黒く。空気は濁り、風は封殺され、壁に滲む水滴は毒の色に染まり始めている。
「光苔さえ反転させるか。嗚呼、この光景だけでも馬鹿らしい。
が、しかし馬鹿らしいだけで今の俺には何も出来ない。ならば取れる手段は何だろうなぁ」
男は呟く。既に消え掛かってる理性を繋ぎとめ。繋ぎとめた結果、その道筋がぐちゃぐちゃになり。しかしそれでも、その思考だけは辛うじて連続していた。
それが、その男の存在意義。それが、その男が目指していたもの。
本来なら至る事のなかった、守護者としての極致の一つ。無銘を名に冠することで、他者の概念さえ取り込み、己さえ底上げすることは出来ずとも。局所的とはいえ、今の男は『本来の意味での』守護者だった。
形を固定していた外郭はほとんどが既になく。ここにあるのは、剥き出しのツギハギのみ。
内に徘徊する無限の世界さえ、もはや男にとっては意味がない。
彼は強制されている。己の在り方と、使命を遂行するための合理性を。効率性を。
「とりあえず、
……嗚呼、それでも駄目だったら、そうだな」
洞窟の裂け目から現れて。男は街を見下ろし――。
「――まぁ、そんなに難しい仕事じゃないな」
うすら嗤いを、その、金色のツギハギだらけの顔に浮かべた。
リ「手助けをしたい、ねぇ。……ランサー、聞くけどそれは貴方のアイデア?」
ク「いや、俺のマスターからの指示だ。一人きりの身としては協力者が欲しいらしい。いまのうちなら、上手くすればマシな状態のうちに叩けるだろうとな。
それに嬢ちゃん、あの坊主を助けたいんだろ?」
イ「別にいいんじゃない? リン、お似合いよ」
リ「意味わかんないっての、何が言いたいのよ何が!」
ク「ははははは――!」
リ「ちょっと! 協力者になろうっていうのに何よその態度!」