ボブの聖杯戦争 ~F/sn Unlimited Lost Works~ 作:黒兎可
杯「貴女が『そっち』に寄ってる側だっていうのは知っていたつもりだったけど、まさかほとんど影響を受けていないなんていうのは驚いたわ。それ以前に、よく今まで私たちに気付かれなかったわね」
乗「簡単な話です。――――私自身も、つい最近までは再召喚されていませんでしたから」
ついこの間。カッターナイフで切った指先を、桜はとろんと溶けた目で見つめて、咥えていた。
垂れる血をもったいないとばかりにすすり、わずかに牙を立てて。
血を舐めるコトに対するおびえと、味わう血から供給される魔力とで理性が鬩ぎあっているのが分かる。
そんな桜を見ていると、こっちまでなんだか変な気分になってくるのだ。
まるで自分が自分でなくなるような――――――自分という個が解かされていくような。
形が失せて、この世から消えうせてしまいそうになるような。それでいて、しかし、甘い快楽を味わうような。
――――血以外の活力を吸い上げられていくその感覚。あやふやになる理性のその狭間で。きっとそれは、何かに似ていると。どこかで理解していながらも、そんな危惧はないと。
「――――静かね」
ふと、遠坂の声で我に帰る。
新都の中央公園。俺やセイバーにとって因縁のあるこの土地は、時間もあいまってか無人だった。
いや、ただでさえ原因不明の昏倒事件が続いていることが明るみになったのだ。警戒して出歩いている人間が少ない以上、静けさも増している。
いや、それ以上に――――――不気味なほどに、この場から「命」のようなものを感じない。昆虫一つ、草一つとってみても、まるで何かに吸い荒らされたような。
ただでさえ、ここは打ち捨てられた荒れ野のようなものだ。オフィス街の真ん中にあるとはいえ、憩いの気配は当然ない。
この場所が出来てしまった原因からしても、それは当然だろう。
「ここでも昏倒事件があったって言ってたけど……。あー、なるほど。また代行者たちに助けられたみたいね」
「じゃあ、やっぱり……」
「ええ。一応、今のキャスターで調べる事は可能みたい」
少なからず、一度、臓硯はここに来てるわ、と。遠坂が指差す側は、血が飛び散ったらしい草むらと、まるで刃にでも抉られたかのごとき地面の跡。
遠坂が間桐の家から奪った触媒。それをもとに現在俺達は、キャスターの魔術で捜索をかけている。
屋敷の中で臓硯自体には遭遇しなかったらしいが、その代わりに、工房で「育てられていた」ものらしい。その蟲は、間桐の魔術と関わりが深いことは言峰から過去に聞いていた。
そもそも間桐臓硯自体がどこにいるのか、ということについて定かでない以上、場所を特定するためにもこの作戦は必須といえた。
「今まで臓硯とあの黒い影が一緒だっていうのは仮説みたいなものだったけど、これでほぼ立証できたようなものじゃないかしら。ほら、周囲の
……まぁここでの戦闘自体は予想外もいいところだったんでしょうけど」
「なんでだ?」
「代行者の血の跡なのかはわからないけど、それでも彼女、死んではいないみたい。連絡自体は、出かけるちょっと前に確認したんだけど」
「いつの間に……」
「そもそも沙条さんの話とも総合すれば、あの黒い影は食事を欲しているってことじゃない? ということは、食事を邪魔され、あまつさえ目撃され、食べるべきだったエサを前にお預けされたってこと。……こんなの、どう考えてもロクな結末にならないでしょ。
駅で相当な人数が倒れたっていうのは、たぶんそれが原因ね。食べられなかった反動から、一気に、簡単に吸えるだけ吸ったってことでしょ」
そういわれると、筋は通っているように思う。思うが、しかし……。
「だったら、なんで駅は昏倒で済んだんだ?」
「どういうこと?」
「だって、つまりそれは予定外の食事だったってことだろ? なりふりなんて構ってられないくらいの状況だったから、人目とかを考えないで食事に入ったってことじゃないか。だったらそれこそ、何人か死んでたっておかしくはない」
「それもそうなんだけど……んー、臓硯本人でもないとわからないんじゃないかしら、そこのところは。
何をしたところでおかしくはないかもしれないけれど、変なところで自分なりのルールみたいなものを持ち合わせてるのかもしれないし」
「――――――マスター」
振り返ると、キャスターは渋い顔をしながら、しゃがんで草むらの一角を見つめていた。……どうでもいいが、その嫌そうな表情は、どこか大人のキャスターに似ている。
戦闘用、ということなのか姿形も普段と変わっている。服装自体は全く被る部分はないものの、長い髪と耳の印象もますます大人のキャスターを思い出させてくれていた。
「どうしたの? そんな嘲ってるみたいな顔をして」
嘲ってるのか、その顔は。遠坂。
「いえ、別に馬鹿にしてる訳ではないんですが……。いえ、それでも、見つけてしまったものがありましたから」
「?」
そこには、血が付着したバッグが転がっていた。……まるで仕事帰りのOLとかが携帯しているような、皮のもの。
ただ、明らかに劣化していた。外側、とりわけ取っ手のところが、何かに食いちぎられたかのように穴が開いている。
「……この蟲です。おそらく、同種の刻印蟲に食べられたものかと」
「? ちょっと待って、バッグだけ食べられたってことはないわよね」
「ええ。それは考え難い。この数日のうちに捕食されたものだと思いますが……」
「キャスター、話が見えない。黒い影に関係なしに蟲がバッグを食べた……、ってことは、つまり」
ある種、最悪のイメージが脳裏を過ぎる。
それはつまり、バッグを持った誰かが、一緒に蟲に食われたということじゃないだろうか。
「…………臓硯がやらせた、というかやったっていうんなら、臓硯にとって『そうしなきゃいけないだけの何か』が起こったってことかしらね」
「そうしなきゃいけない?」
「ええ。……あんまり考えたくはないけど、それこそ、自分の身体のパーツ代わりくらいはしてるのかも」
「――――――」
パーツ代わり?
それは、どういうことだ。
「前に言ったでしょ? 臓硯は魔力のほとんどを、自分の身体の維持にあてている。でも考えてみれば、普通人間がどう頑張っても、百年とか平気で超えるだけの時間、己の人体を保持できるわけはない。だとすれば、方法はわからないけど、他人の肉体のパーツを自分の身体のそれと入れ替えたりってくらいは、やっていても変じゃない」
「そんなこと、出来るのか?」
「わからないけど、でも……、少なくとも私が見た臓硯の魔力は、『いびつだった』。それこそ、複数の流れを無理やり矯正でもしているような。
少なくとも代行者から臓硯の話は聞かないし、仮説って言えば仮説ね」
下手なコトは言えないけど、と遠坂は言うが。もしそれが事実だったら……。いや、臓硯が自分のために、誰かを平然と殺したかもしれないっていうことも、あるにはあるのだけれど。
この場で、あの代行者のシスターと戦ってる黒い影と一緒にいて、それでもなお自分の身体を再生する必要があったということは。
「…………臓硯も、あの影を操れていないってことか?」
俺の言葉に、息を呑む音が二つ。二人とも、視線は俺を、嫌な風に見ていた。
「……流石にそれは、勘弁願いたいわね」
ただでさえ私達だけで、最悪あのセイバーを相手にしなきゃいけないのに、と。頭を抱える遠坂に、こればっかりは心底同意だった。
※
川べりからの風は既に生暖かく、夏に向けて気温が上昇しつつあることに気付く。
遠坂たちと帰路につきながら、ふと、以前から気になっていた疑問を訊いてみる気になった。
「そういえば、桜はどんな魔術を使うんだろう」
「なによ。一緒に住んでるんだから、それくら聞けばいいじゃな……って、あー、そっか。もし臓硯に聞かれてたら警戒を強められるか。
んー、そうね。間桐の魔術は”戒め”とか”強制”とか、そういうものだって話ね。慎二の方がたぶん詳しいだろうけど」
「いや、それもそうなんだが、そういうことじゃなくて……」
当然、魔術回路とかは姉妹なんだから同じくらいは存在するんだろうけど。
「……腕前ってことなら、士郎とそう変わらないわ。セイバーとか私とかから稽古を受けてる分、貴方の方が実戦じゃ何倍も強いでしょうね」
「ってことは、少なくとも力関係としては、遠坂が一番上ってことか」
「イリヤとかを含めたら、もうそういう次元じゃないけどね。あの娘の場合、使ってるものそのものが魔術じゃないもの」
「魔術じゃない……?」
俺の疑問に、遠坂は肩をすくめる。
「私は五代元素。桜は架空元素。間桐は水属性で、貴方は剣。あのメガネはよくわからないけど……。
こうやって方向性があるっていうこと以前の問題として、イリヤの魔術、魔力の根幹は聖杯ってシステムそのものなの。
だからたぶん、発動に文言もモーションも、
神代とはいえ、魔法に近いとはいえ魔術は魔術。その流れをすっ飛ばした速度で放たれる奇襲なんて、気付いてもそうそう避けられるものじゃない。
そういう意味じゃ、大人の貴女はさすがに英霊ってことね」
姿の見えないキャスターにそう声をかける遠坂。くすくす笑ってるあたり、照れてるのだろうか。少女のキャスターは。
というか、メガネって。沙条ってちゃんと呼んでやれよ、たぶん友達じゃないか。
「本当なら、桜が本来の筋で大成でもしたんなら、私だってどうかわからないレベルだとは思うけれど……。
あの子は、間桐の属性に適合するよう改造されてる。空を飛ぶ鳥を無理やり水に適合させてるみたいなものだから、身体をそういう形で維持するだけで手一杯なのよ。
魔力だって刻印虫にすべて食べられてしまうわけだし、そもそも余剰の魔力って言うものが発生し得ない。だからちょっとバランスを崩されるだけで、ああなってしまう」
「――――――」
「…………何落ち込んでるの?」
いや、別に落ち込んでいるつもりはないのだが。
ただ、単純に自分の未熟さを痛感したというか。
「桜の保護者を気取ってたっていうのに、そんなことを察することもできなかった自分が、大馬鹿者だってな……」
「士郎、顔」
「また嗤ってるか?」
「なんだか最近、そっちの表情も板についてきてるみたいで嫌ね……」
それは俺も激しく同意なので、顔面で様々な表情を作って、自然体を取り戻す。
「さっきも言ったけど、魔力から桜が魔術師だって特定するのは難しいわ。貴方とは違う理由で。
それに、桜は士郎にだけは知られたくないって頑張ってきたのよ。あの慎二でさえ、決定的な瞬間まではそのことを隠してあげていた。
間違っても桜がいるところで、そんなバカ言わないでよね」
「……嗚呼。それは、言われるまでもない」
そういえば、と遠坂が話題を変える。
「前から聞こうって思ってたんだけど、桜って、いつからああなの?」
「ああって、何がさ……?」
「表情。……やっぱり、士郎のところに居るとあの子、びっくりするくらい笑うんだもの」
いつから、と問われても……。いつもああだぞ、としか返しようが……。
「……私が弓道部にしばらく入り浸って至っていうのは知ってる?」
「嗚呼。おかげでシンジが可哀想なことに――――」
「そうやって嫌な顔で茶化すあたりもあのアーチャーの名残かしらね、シ・ロ・ウ?」
真面目な話をしてるのよ、と言いながらアイアンクローを決めてくる遠坂……って、アイアンクロー!? そんなもの藤ねえくらいにしか受けたこともないし、遠坂にやられるとも全く思っていなかったこともあって、完全に防御の姿勢がとれてなかった。
しばらく俺を折檻した後、ため息をつきながら続ける。こめかみの辺りを押さえながら顔を上げる俺に、視線は呆れとも、仕方ないとも、切なげとも、なんとも形容し難い感じになっていた。
「まぁいいわ。で、前にも言ったけど、間桐と遠坂って関係だってこともあって、そこまで直接的に話し合えはしなかったんだけど……。それでも様子が見たくてね」
「………………」
「でも、しばらく見る間に気付いたのよ。あの子、愛想笑いさえ浮かべないって」
それは……、初めて聞いた話だったが、でも、納得できる事実だった。
初めて会った時も。学校で顔を合わせる直前までも。桜は普段から、いつも暗い面持ちで佇んでいるだけではなかったか。
「でも、貴方がいるときは別だった。
私だけじゃなくて、美綴さんも、藤村先生も知ってると思うわ。桜が元気なのは、士郎が目の前にいるときだけだって」
「…………桜、人前では笑わないのか?」
「最近は、少し変わってきたように思うけど……。何、どうしたの?」
私がもし悪い子になったら――――。
脳裏で響く桜の声とその事実とが。何かあやうい、不都合なことを俺に知らせようとしていた。
いつかのどこか:
金色『・・・!(こ、この我が溶ける・・・!? をのれ単なる装置の分際で!)』
麻婆『・・・?(この混沌の中、どこか、聞き覚えのあるような声が・・・?)』