もし織斑一夏がアリー・アル・サーシェスみたいな奴だったら 作:ナスの森
「す、凄い……」
ピットのリアルタイムモニターで試合を見届けていた山田真耶は目を見開かせたまま、呆気に取られたような表情で呟く。
試合内容は本当に一方的だった。
セシリア・オルコットのブルー・ティアーズはアインの白式に弾を一発も当てられる事がなく、逆にアインが操る白式は近距離特化のISであるにも関わらず同じような距離からほとんどの弾丸をセシリアの生身の部分に命中させるという荒業をやってのけた。
そしてそのセシリアに当たっていない残りの弾丸の方も、ブルー・ティアーズから放たれたミサイルを正確に撃墜させている。
この試合で、彼が外した弾丸は一発たりともなかった。
機体の驚異的な機動力もいとも容易く制御し、そしてその機動力を維持しながらの急旋回を難なく成し遂げ、更には単一使用能力で彼女からBT兵器を奪い、そしてそのBT兵器を彼女以上にうまく扱うという芸当もこなしている。
まさしく完璧試合とも言うべき結果だった。
真耶自身、教師がこう言っては失格であるが、正直アインが負ける事はないだろうと思っていた。
何を隠そう、入試試験で彼の相手を担当したのは他ならぬ彼女自身だった。
手を抜いたつもりなどなかった……しかし、完膚なきまでに叩きのめされた。通常、入試試験は教官のシールドエネルギーを400削ってしまえばそれでもう合格ラインだ。
にも関わらず、真耶が駆ったラファール・リヴァイヴは彼の駆る打鉄に成す術もなく敗北した。
だから、アインは負ける事は正直ないと思っていた。
よしんば負ける事があったとしても、それは癖のある専用機の性能に引っ張られてのものによる敗北しかないだろうと考えていた。
しかし、そんな真耶の予想を大きく超えていた。
本来ならば実戦の途中に済ませる筈だったフォーマットとフィッティングを、搭乗した瞬間にそれを済ませ、そして初めて乗る専用機をまるで己の手足……いや、まるで己の身体そのもののように操って代表候補生から勝利をつかみ取った。
祝福すべきだろう……彼の勝利を。この女尊男卑の世の中を覆すその一歩とも取れる、最高の初陣であろう。
敗北した彼女の方も、今回の敗北を機に今までの態度を改めるかもしれない。
なのに――――
――――何でしょうか、このモヤモヤは……。
何故か、何故か違和感を感じる。
どう言うべきかは分からない、少なくとも白式の名を冠したISが漆黒に染まった事に関して、では決してない。
真耶はアインの人柄をよく知っている。
何事にも礼儀正しく、そして真耶の授業も席の一番前でいつも真面目に聞いている品行方正な生徒だ。
彼以外の周り全員が女子という環境の中でも、その人柄で瞬く間に女子たちの輪に入り込んでいたため、その順応性の高さも計り知れない。
……そんな彼が、
いや、そもそも何故
とにかく、少し違和感があるという事が分かるだけだった。
「どうした、山田先生?」
そんな真耶の何とも言えない表情を見た千冬が、若干心配そうに彼女に声をかける。
「あっ……い、いえ、なんでも! 勝ちましたね、ゾマイールさん」
「…………そうだな」
微妙とも取れる表情を持ち直し、真耶は再びモニターに映る黒い白式を見つめ、千冬にそう告げる。
暫しの沈黙の後に、千冬も彼の勝利を認めた。
「それにしても、セシリアさんのビットを奪ったあの単一仕様能力は一体……?」
「おそらく、本来ならば操縦者からの『
「そう……ですね。ただ強制的に使用許諾させるだけでは、セシリアさんのブルー・ティアーズのコントロール権が奪われる道理がありません」
「その通り。おそらく使用許諾させると同時に奪われた側からの使用権までも剥奪しているのだろう。使い所こそ限られるが、状況によっては凶悪なアビリティだ。だが……重要なのはそこじゃない」
「……?」
千冬の言葉に真耶は首を傾げる。
そんな真耶を見た千冬は一歩前に踏み出して、先ほどのモニターの最後の部分を再生し直した。
そこは試合終了直前の映像、アインが銃剣を構えてセシリアに止めをさす場面だった。
「よく見ろ山田先生。ゾマイールがオルコットに止めの切り付けをする瞬間――――
「それが……ッ!? いえ、けど、そんな筈は……!?」
言われて、真耶も驚愕を露わにして気付いた。
あの刀身が光るのではなく、刀身が光を纏うようなあの形状……間違いなく、かつての千冬が使っていた近接ブレード『雪片』と同じタイプだ。
そしてその刀身が光っている状態は、間違いなくある単一仕様能力が発動している時なのだ。
そう、間違いなくアレは――――。
「この私が見違えるものか。あれは間違いなく『零落白夜』だ。しかも私の時とは違って銃剣状になっている事から、おそらく弾丸に纏わせて撃ち出す事も可能になっているのだろう」
「けど……
「分かったでしょう、山田先生。瞬時にして一次移行を済ませ、単一仕様能力を二つも、しかも一つは既存のモノを習得し、そして代表候補生であるオルコットですら不可能だったビットと自機の同時制御すらも奪ったその瞬間に成し遂げた、奴の異常性が」
「…………………」
真耶はもはや何も言えなかった。
映像を見ただけでも彼の強さは計り知れないものであったが、こうしてISの達人から順序だてて説明されれば、嫌でもその異常性を思い知ってしまう。
いや、それだけではない――――彼はまだ初心者なのだ。
初心者であるにも関わらず、あれだけの強さを発揮してみせたのだ。
操縦者の腕はその稼働時間こそがモノを言うにも関わらず、瞬く間に手足のように乗りこなしてしまう、彼の異常性は計り知れないものだった。
「はっきり言う――――白兵戦はともかくとして、奴はこと『兵器の扱い』に関してはこの私すらも凌駕している」
「…………」
それは世辞でも賞賛でもない、紛れもない事実であると千冬の目は語っていた。
事実、千冬はこれ以前にも彼の異常性を目撃している。
東欧の紛争地帯でISを強奪し、初操縦で他の操縦者を圧倒し、果てには
しかもISの「操縦者保護システム」すらも把握し、ソレを利用して相手を最大限まで苦しめて殺すという残虐性も垣間見せた。
――――ある意味、人間の枠を超えているのではなかろうか……。
勿論、強さだけではなく、彼のその「在り方」も含めてでの話ではあるが。
(それにしても奴め、明らかに遊んでいたな)
普段の品行方正な生徒の演技しか見せられていない山田真耶は先ほどの彼に少し違和感を抱く程度であったが、あの映像を通して彼の本性を知っていた千冬は内心で忌々しげにそう呟く。
まず、アインはセシリアに勝とうとなどしていなかった。
いや、最終的な目的は「勝つ」事にあった事は間違いないが、もし彼が本気を出せばものの数秒で片は付いていた筈である。
それなのに彼はまったく本気など出していなかった……瞬時加速も、彼自身が編み出した二段溜瞬時加速も使用していないのが何よりの証拠だ。
態々一気に接近して片を付けずに、銃剣による射撃でセシリアをジリジリと追い込み、更には斬撃を緩めてその機動をセシリアに見せつけたり、果てには彼女の誇りであるBT兵器『ブルー・ティアーズ』を態々奪い、その上で彼女を上回って見せつけるような戦い方をしている。
それだけではない。
態々全てのBT兵器を乗っ取らずに、ある程度の本数を彼女に制御させたままにすることによって、何方がよりBT兵器使いに相応しいか競うような真似までしてみせた。
彼は、勝つための戦いをしていない。
彼は、
(悪趣味な事だ、その上で計算されているのが余計に質が悪い)
無論、最初の所で初心者だの男だのと侮って手を抜いたセシリアの方もどっこいと言えばどっこいなのだが、“狡猾”である分その質の悪さの比重はどちらに偏っているかは火を見るより明らかだった。
「……随分と、彼に入れ込んでるんですね」
「事実を言ったまでだ」
一瞬、山田真耶の核心を突くような言葉に、ドキリとしてしまう千冬であったが、何とか平静を装った。
言える筈もなかった……実は彼が入学した経緯が、とある紛争地帯で違法投入されたISを強奪し、他のIS操縦者を殺害している所を、現在絶賛逃亡中の篠ノ之束博士によって捉えられたカメラで捉えられ、その映像を各国の一部の上層部に流され、その罪を免除する変わりとしてこの学園に入学したなどと、口が滑ってもこの山田真耶という教員に言える筈がなかった。
もし彼女に伝えてしまえば必ずソレが表情に出てしまい、真ん中前列に座っているアインにもそれが筒抜けになってしまうだろう。
(奴とて、自分の本性がこの私に知られている事くらいは分かっている筈だ。それに、この間の奴のカマ掛けからして私が奴をこの学園に入学させた事に一枚嚙んでいる事はおそらく奴も気付いている。そう大きくは動けない筈だが……)
そして、こうやって変わり果ててしまってもお互いの考えている事がある程度分かる辺り、
その事に、千冬自身は気付いていないでいる。
いや、気付こうとしていないのが、正しかった。
――――あんなのが、一夏であるものか。
あれは弟ではない。
弟に似た誰かなのだと、千冬は常に己自身に言い聞かせていた。
親友がどんな悪戯のつもりであんな映像を送ってきたのかは知らないが、惑わされるつもりはないと、必死にアインという存在を否定していた。
「一夏で、ある筈が……」
「織斑先生、どうかしましたか?」
山田真耶に言われて、千冬はハッとなる。
いつの間に、口に出ていたようだった。
「いや、何でもないさ。それより、試合も終わった事だ。私は席を外すとしよう」
「あっ、はい! お疲れ様です、織斑先生!」
「……ああ」
山田真耶の自分を見送る時のその純粋な笑顔が、逆に辛くなる千冬。
それでも何とか平静を装って返事を返し、千冬はいつもと変わらぬ様に、しかし内心は逃げるようにしてピットのモニター室から去っていった。
◇
「アハハハハッ、見てよクーちゃん! いっくんったらあんなに楽しそう!」
「束様……」
とある移動式のラボ、その一室のモニターにて二つの映像を並べて見ながら、それを指を差してゲラゲラと笑う一人の女性科学者と、その懐で悲観を秘めた目をしながらその科学者を見つめる少女がいた。
「それにしても……いっくんったらすごいなあ……。理論上可能とはいえ、まさか
「はい……そうですね……」
左側、東欧の紛争地帯で撮った映像を、女性の科学者は率直に感心するような様子で興味深そうに眺めた。
そこに映っていたのは、ラファール・リヴァイヴの装甲を近接ブレード『葵』で、操縦者の左腕ごと切り落とすアインの姿が映っていた。
「う~ん……理論上、可能とはいえこれは結構タイミングがシビアなんだよね~。何せ一段階目に溜めるエネルギー量も調節しなきゃいけないし、普通の瞬時加速を使う他の有象無象の操縦者がそういう細かい事考えるわけないしな~。圧縮した瞬間に溜められるエネルギーの容量が再び空くから、その分をもう一回エネルギーを溜めて再圧縮して放出……ふむふむ、これはちーちゃんでも無理かなぁ~……文字通り、『兵器の扱い』に長けたいっくんだからこそ成せる技って事だね♪」
一見、単純な原理に思えるが、これは既存のテクニックではなく、文字通り映像の中の青年が編み出した、青年だけの高等テクニックなのだ。
通常の瞬時加速は一度放出したエネルギーをもう一度内部に取り込み、その際に圧縮して放出する事で瞬時的に大加速をするというものだが、この二段瞬時加速はまず一段目に放出したエネルギーを取り込む際に、圧縮しても
一段階目の圧縮が終わり、溜められるエネルギーの容量が空いてすぐにまたスラスター翼から放出したエネルギーを取り込み、再圧縮して放出する事でようやく二段溜瞬時加速が出来上がる。
……これらの工程を、一瞬の内に繰り返さなければならないのだ。
そんな超高難易度の高等テクニックを、映像の中の青年はまだ通常の瞬時加速すら試していない段階で、それをやってのけた。
これにはさすがの天才女科学者――――篠ノ之束といえど、さすがに舌を巻いた。
故に、普段は飄々としている彼女でも、これは素直な驚愕と賞賛を抱いていた。
「それにしても……驚いちゃったなぁ……この天才束さんが送り出した白式が、あんなに黒くなっちゃうなんて……。束さん、ちょっと……いっくんの闇を舐めてたかも……」
先ほどのような上機嫌な様子からは一変して、束は今度は悲哀そうな笑みを浮かべながら、右側の映像のクラス代表決定戦の場面を見て呟いた。
そんな束が見ていられなくなったのか、束がクーちゃんと呼ぶ少女、クロエ・クロニクルが声をかけた。
「束様……ほんとうに……本当にこれでよかったのですか?」
「良いんだ、これで……いや、良くは……ないだろうね、絶対」
「それでも、やるのですか?」
「うん……もう、決めちゃった事だから、後には……引けないよ」
クロエの問いに対し、束は諦めたような笑みで笑う。
彼女には一人の幼馴染がいた。幼馴染には弟がいた。
二人とも束にとっては大切な人間だった。かけがえのない存在だった。
束が妹以外で唯一まともに接していた人間もこの二人だけだった。
――――なのに、その二人の間を、他ならぬ束が裂いてしまった。
「……う……て、どうして、こう、なっちゃんたんだろうね……」
思い出すのはあの光景。
あの日、戻ってくれた幼馴染の弟が再び危機に合っていると知って、慌てて駆け付けた束。
……そこにいたのは、複数の屍が転がる地獄絵図と、その中心に立つ、幼馴染の弟の変わり果てた姿だけだった。
狂気に染まり、ゲラゲラと狂笑、駈けつけた束に気付かず、そのまま闇へと消えてしまった彼。
“……いっ……くん……?”
狂ったように笑いながら闇に消える彼を、束はただ呆然と見つめる他はなく、ようやく現実を受け入れた頃には彼は束の視界から既に消えていた。
そして、東欧の紛争地帯に送り込んだナノマシンカメラの映像から、再び彼を見つける事ができた。
そして、またもや驚愕した。
「束さん、驚いちゃったよ……。やっと、見つけたと思ったら、まさかISを起動させてるんだもん。しかも違法投入されたISを強奪して、初操縦で他の操縦者をあんな風に笑いながら苦しめて殺しちゃうんだもん……もう……箒ちゃんやちーちゃんが知ってるようないっくんは……いないんだ……って、思い知らされちゃった……」
後悔するように、懺悔するように、今にも泣きそうな声で束は独白する。
いや、もしくは誰でもいいから、聞いてほしかったのかもしれない、自分の胸の内を。だからといってそこらの他人に話してやるものかと、束は養子のクロエにそう話す。
「だから……もう、これしか……ないんだ。今のちーちゃんを救うことは、いっくんを取り戻させる事。いまのいっくんを救う事は……多分、戦いの中で死なせる事……いや、いっくんは現在進行形で戦争を楽しんでるから……ちょっと……違う、かな……?」
「……」
「だから……そのためには、ちーちゃんにはまたひどい事したけれど……今のいっくんを分からせないといけない、見せつけないといけない。本当に……ひどい幼馴染だよね、私ってさ……」
罪悪感に締め付けられ、痛み軋む胸を必死に押さえつけながら、束は言い続ける。
「分かってるよ……こんなの……救いですらない……ただの私の自己満足なんだって……けど、もう……これしか、ない」
束はひたすら自己嫌悪の言葉を脳内で繰り返しながら、それでも言い続けた。
「映像を見て……確信、したの……このままなら、いっくんは瞬く間に……ちーちゃんに追いつける。同じ、土俵に……立たせてあげられるの……それで、ね…………っ」
それ以上は、言葉が続かなかった。
その後に続く言葉は、あまりにも残酷で、言ってしまえば、束自身が重圧で圧し潰されてしまうだろう。
「もう、いいです……言わなくて、分かります……から……」
これ以上は、聞いているクロエの方も耐えられなかった。
もう、言わなくても分かってしまった……束が二人にさせようとしている事……それがどんなに残酷で、どんなにひどいものなのかを。
束にとっては、この世界を変える事すら生ぬるい……そんな鬼畜な所業なのだと。
それでも彼女は止まらない。止まれない。既に賽はなげられてしまった。他ならぬ束自身が投げてしまった。
だから、彼女が退く事はもはや許されなかった。
――――ごめんね。
彼女は懺悔し続ける。
――――二人とも、ごめんね。
懺悔し続けても、止められない。
――――恨んでもいい、憎んでもいい、いくらでも罵倒してくれたって構わない。
あらゆる咎を背負う覚悟もできていても、それでも懺悔せずにはおれなかった。
それでも、彼女は止まらない。
――――それでも、私は……
――――いっくんと、ちーちゃんを……
彼女は既に決意していた。
故に、彼女は必ずそれを実行する。
――――二人を、同じ場所で、一緒に終わらせてあげたいの。