基本ラブコメが好きなので内容はベタベタの王道です。
01.
「ア、ナス、タ、シア」
事務所のアイドルたちが集まる部屋で、自分の名前を繰り返す。
その響きにどこかに違和感を残しながらも、何度も何度も繰り返す。
アナスタシア、アナスタシア、アナスタシア。
「……ふふ」
ちょっとうれしくて、一人で笑ってしまいました。
アナスタシア。それが私の名前です。
日本でスカウトされアイドルとしてデビューし、ママがつけてくれたアーニャというニックネームもみんなに広まり、とても嬉しい今日この頃です。アイドルは、忙しいけれどとても楽しくて、私を引き込んでくれたプロデューサーにはとても感謝しています。
でも、正確にはちょっと違うです。アナスタシア、とは日本での読みです。本当の読みかたは、『Анастасия』と読みます。
正しい読み方は……んん。ううん。
……他人に説明するのはとても難しいですね。
「闇に飲まれよ!(お疲れ様です)」
「おはよう、アーニャ」
と、部屋にプロデューサーと蘭子が入って来ました。
私をスカウトしてくれたプロデューサーと、蘭子はアイドルの友達です。
「
「え?」
「あいさつですよ?」
「……アーニャ、ロシア語で言われても俺はわからないぞ」
「知ってます。うふふ」
「?」
知らないからいいんですよ?
最近の、私のモーダ……えと、そう、マイブームです。
プロデューサーはロシア語をわかりません。ので、それはロシア語で何を言ってもわからないということです。
実はさっきのもあいさつではなく、告白の言葉です。
私だけのセクレート……秘密、です。
「…………」
「それじゃあ、俺はちひろさんと打ち合わせをして来るから」
「はい」
「瞳を持つ者よ、我等が野望の為に禁書を紐解くが良い(行ってらっしゃい、がんばってくださいね)」
「ああ、じゃあまた後で」
プロデューサーが部屋から出て行きます。
と、隣にちょこんと座った蘭子が、何かを言いたげにこちらをチラチラ見ていました。なんでしょう。
「蘭子、どうしました。そわそわして」
「しろがねの女王よ……(アーニャちゃん……)」
「はい?」
「汝……言霊を歪曲し、瞳を持つ者に真実の書を上奏しておるな……?(ロシア語を使ってプロデューサーさんに結構すごいこと言ってますよね……?)」
「えっ?」
「許せ、同胞よ……我はかの詩想を読み解く事が可能なのだ……(ごめんなさい……私、少しだけわかるんです、ロシア語)」
「え、ええっ?」
ちょっと待って。
今、蘭子はなんと言いましたか?
ロシア語がわかる?
私の言葉が?
一気に顔が真っ赤になるのがわかります。
それはそうです。あの、自分だけが知っていると思っていたプロデューサーへの言葉を、蘭子は理解しているのですから。
「ら、ら、ら、蘭子!」
「ええい、控えよ!(お、落ち着いてください!)」
身を乗り出すも、蘭子の手のひらに制止され、少しだけ体感温度が下がった気がしました。
大人しく元の位置に座ります。ここで蘭子に掴みかかっても仕方ありません。
「……い、いつからですか?」
「刻は残酷にも絶え間無く流離を続けるものよ(け、結構前から……)」
「……どうして、ロシア語を」
「極寒の地のグリモアに記されし詩……その調音と形象はまこと感歎の極みである(ロシア語、文字の表記も発音もかっこいいですから)」
「ン……私には、ちょっとわからないです」
母国語をかっこいい、と思う人はそんなにいないんじゃないでしょうか。
でも、私にとって日本語が複雑で趣があると思うのと、似たようなものなのでしょう。日本語はとても難しいですが、その分、多くの表現ができるのはすごいと思います。
かっこいいから覚えた、ってのもすごいですよね。蘭子らしいです。
「この事実、世の理を乱す禁呪として我の胸の内に秘めておこう(安心してください、私、誰にも話しませんから)」
「そうしてくれると助かります……」
私が毎回、プロデューサーに対して何を言っていたのか。そんなこと、みんなに知れ渡ったら私はここにいられません。
「ククク……良い、良いぞ! 血湧き肉躍る! まさに快なり!(えへへ……こういうの、とってもいいですよね)」
「蘭子……」
「全霊を賭して挑むが良い。さすればサタンよりプロヴィデンスの詔が届くであろう!(がんばってね、応援してるから!)」
「スパシーバ……ありがとう、蘭子」
「では我は来たるべき凱旋の刻の為に牙を研ぐとしよう(じゃあ私、レッスン行ってくるね)」
「いってらっしゃい」
手を振りながら、蘭子の後ろ姿を見送ります。その大きさが豆粒くらいになると、一気に汗が噴き出しました。
蘭子は味方になってくれましたが、他の人もみんなそうとは限りません。プロデューサー、他の子にも人気ですし、取られないように気を付けなきゃ、ですね。
「……
……次からはプロデューサーと二人の時だけにしましょう。
02.
今日はライブの日ですね。
ライブは好きです。ファンのみなさんに会えますし、歌って踊るのをほめてもらうのはとてもうれしいです。
そのライブも終わり、その後のアンコールも終え、控え室へ。
「お疲れ様、アーニャ」
ダンスと歌でへとへとになった身体を引きずるようにドアを開けると、プロデューサーがいました。その手にはドリンクがあります。きっと、私を待っていてくれたのでしょう。
うれしくて、思わずそばに駆け寄ってしまいます。
「プロデューサー!」
「今日はよく頑張ったな、アーニャ」
プロデューサーはそう言って、頭をなでてくれました。子供扱いされている気がしましたが、実際に私はまだ子供です。
だから……我慢しなきゃ、ですよね。
「えへへ……
「え? アバ茶がなんだって?」
「ふふ。何でもありませんよ」
この間は蘭子がいたので失敗しましたが、ここには他に誰もいません。
私がプロデューサーに告白したって、どうせふられてしまいます。子供の私と大人のプロデューサーでは、立っているステージが違うです。
そう、アイドルと、そのプロデューサー。
私と彼は、それだけの関係なのですから。
私は、トゥルース……いくじなしのひきょうものです。こうやって、相手にわからない言葉で想いを伝えることしか知らない。
「それにしても、何か頑張ったご褒美でもあげなきゃな。何がいい?」
ゴホービ……ナグラーダですね。
チャンスです。前からやってもらいたかったことを、今ここで、この勢いのまま言ってしまいましょう。
「じ、じゃあお願いがあるんです」
「なんだ?」
頑張れ、アーニャ。
ここでまたごまかしていたら、ずっとこのままだ。
少しずつでいい。
少しずつでも、私は彼に近付きたい。
だから。
「二人の時にだけでいいですから、私の名前、フルネームで呼んでくれませんか?」
これが、今の私の精一杯。
リュボーヴィ……恋をするのも、背伸びをするのも、私にはまだ早い。
けれど、これくらいなら許してくれますよね?
「別にいいけど、なんで?」
「えと……そう、そうです。プロデューサーは、もう家族ですから」
「はは、そう思ってもらえると嬉しいよ。でも俺、ロシア語なんて読むことすら出来ないぞ」
「私が教えますから、がんばってください」
「アーニャがそう言うなら、いいけど」
「ナとスを一つの言葉のように。あと最後のシとアは、んん……説明、難しいです」
「アーニャが何回も直接言って、教えてくれよ」
「……ダー」
あなたに名前を呼ばれると、とても胸のあたりがドキドキします。
だから、呼んで欲しい。
「
「アナス、ターシャ?」
「すこし違います。シャはシとヤを分けてください。
「アナスターシヤ」
「ダー。オーチン、ハラショーです」
私の名前を正しく知って、呼んでくれるのは、この国ではパパとママだけです。
でも、あなただけには。
「……アーニャ? どうした、ニヤニヤして」
「……
「何言ってんだ。とっくに俺はお前のものだよ、アーニャ」
「え?」
今、なんて言いました?
「あー……Я люблю тебя,Я не могу жить без тебя」
「……ぷ、プロデューサー……?」
プロデューサーが、恥ずかしそうに目を逸らしながら、たどたどしくロシア語を話します。
その意味は――――。
『私はあなたが好きです。あなたなしでは生きられない』。
「その……覚えたんだ。黙っててごめん」
「い、いつから」
「……すまん、だいぶ前から」
「…………っ!」
顔が一気に真っ赤になっていくのが自分でもわかりました。
そんな、ということは、今までのことも、全部……?
「あ、あ、あ、あ、あのっ、その」
「アーニャ」
プロデューサーが動転する私の肩を掴みます。
ああ、そうだったのか。
なんて、素敵。
「お前が好きだ。俺と一緒に、隣を歩いてくれるか」
もっと、呼んで欲しい。
もっともっと、正確に、私の名前を。
もっとたくさん、ゆっくりと、私の名前を。
「……
「はいっ!」
私の名前を、呼んで欲しい。