アイドルマスター二次創作小説短編集   作:神村

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cross dresserという言葉がありまして、意味は「異性装」となります。
Mマスが稼働し始めた頃に書いた水嶋咲ちゃんの短編です。
内容は福島鉄平氏の「私と小百合」を参考にしています。

なお相手側が黒野くんになってますが、キャラ的に合いそう、というだけの理由で意味は特にないので気にしないでください。


クロスドレス

 

 

 01.

 

 

「はぁ……」

 勤務中だと言うのに、肺腑の奥から特大の溜息が押し出される。もちろん、お客さんはいないからこその行動とは言え、気が滅入ることには変わりはない。

 悩みの種の原因は明確だ。これ以上ない程に理解してる。

 でも人間、原因がわかっていても解決しないなんてことは日常茶飯事と言ってもいい。問題点が明らかになっている、というだけで物事全てが上手くいくのならば、人はこんなにも悩んだりしない。その障害をどうやって乗り越えるかによって、人は経験という名の成長をして行くんだ――と、あたしは月並みにも思っている。

 人生が山に擬えられることは多々ある。なるほど、苦労して登った山が高ければ高いほどに、下りる時は楽だ。

 あたしも今、アイドルとメイドという二足の草鞋を履きつつも高い山を登っているから、なんとなくだけど、わかる。

 その山の頂はどこなのか、果たしてその先には何があるのか、今のあたしには到底わからないけれど、登ってみる価値は充分にある。そう思わせる何かがあるだけで、登る理由としては充分だ。

 でも中には、越えたくないどころか関わりたくない類の山だってあるのだ。

 触らぬ神になんとやら。

 君子危うきにうんたらかんたら。

 あたしはバカだけど、わざわざ面倒ごとに巻き込まれに行くほどに破滅願望はないつもりだ。

 と、

「……いつもの元気がないようですが、何か悩み事ですか」

「ひゃあ!?」

「おっと」

 急に背後から声を掛けられ、前のめりにこけそうになった。荘一郎がホールケーキを片手で高所に除けながらもう片手であたしの胴を抱く。

 悲鳴が男バージョンにならなかったあたし、偉いぞ。

「び、びっくりさせないでよ、荘一郎……」

「おや、それは失礼しました」

 あたしの悲鳴にもちっとも動揺していないようで、いつもの柔らかな笑顔を見せる荘一郎だった。

 ……あ、荘一郎の手があたしの作りモノの胸を掴んでる。

 あたしが女の子ならば上乗せで更なる悲鳴でも上げるところだけど、あたしの精神はまだそこまでの域には達していないし、そもそも荘一郎がそんな事を故意にする訳もない。

 だから、身をよじり荘一郎の腕から逃げ出し距離を取ると、ふざけ半分で胸を両腕で覆って荘一郎を睨む。

「……荘一郎のえっち」

「ふむ、そんなことを言われたのは初めてですので、新鮮ですね」

 不思議な感触でした、と手をわきわきさせる荘一郎。冗談なのか本気なのか図りかねる発言はやめてほしい。

 ちなみに最近のパッドは優秀で、触り心地も本物に近いらしい。あたしは女の子の胸なんて触ったことないから、わかんないけど。

 ふと思ったけれど、荘一郎って誰かと付き合ったこと、あるんだろうか。まあ、絵に描いたようなイケメン優男だからモテないってことはないだろうけど、本人があんまり女の子に興味なさそうだし……。

 荘一郎に限らず、カフェパレの面々の異性交遊関係は謎に包まれている。誰も自分から話そうとしないし、あたしは恋バナが好きだからよく話を吹っかけるのだけど、誰が相手でも大抵軽く流されるんだよね。まともに相手してくれるのはロールくらい?

 うん、面白そうだしちょっと予想してみよっか。

 まず神谷。神谷は人当たりもよく、機転も効くから隠れて恋人の一人や二人、作っていてもおかしくはないよね。時折、店が空いてる時は女のお客さんと楽しげに雑談してたりするし。

 荘一郎には一度聞いたことがあるけれど、『私のような未熟者が伴侶を持つなど、早すぎます』なんて言ってたことがある。荘一郎の発言はいちいち本質がわかりにくいけれど、あたしには、今はそんなことよりもパティシエとしての腕を上げたい、と言っているように聞こえた。

 ロールは……花よりケーキだよね。目の前で女の子に告白されても、食べてるケーキに夢中で聞いてなさそうだ。それに最近、ロールのスイーツに対する食欲は異常の域に達している。アイドル大食い対決であの伝説のスイーツ女帝、三村さんと対等に戦った程だ。そういう訳でロールと付き合ったら体型的な意味で乙女力の激減は免れないだろう。

 アスランは論外。アスランに恋人が出来るなら、人類はマカロンで人を撲殺できる。

「それで、何があったのですか。私で良ければ相談に乗りますが」

「んーん、ちょっと考え事……はぁ」

 荘一郎に相談しても仕方がない。荘一郎だけじゃなくて、神谷でも、ロールでも、アスランでも解決しようがない。

 解決できるとしたら、それはあたしだけ――あたしが今抱えている問題は、そんな登りたくない山なのだ。

 なんて心境で鬱雲をまとっていると、店内に来客を告げるベルが響き渡る。溜息で雲も吹き飛ばせたらいいのに。

「神谷は今買い出しに出ていますから、接客、よろしゅうに」

 無理はしないでくださいね、と一言告げ、荘一郎は奥へと引っ込んでいった。つかず離れずの距離を保つのが上手い荘一郎のことだ。これ以上はあたしが何も言わない限り、深入りもしないだろう。

 そんなことよりも――ああ、また、あの人が来た。

「いらっしゃい……ませ」

「…………」

 静かな威圧感を纏って入店して来た彼は、最近、毎日のように同じ時間帯にやって来る。

 おやつの時間にも夕食の時間にも当てはまらないこの時間帯は、最もお客さんが少ない。それを狙い澄ましているかのように、彼はやって来るのだ。

 眼鏡を掛けた彼はとても背が大きくて、外見通り不良なのか、いつもどこか新しく怪我をしている。今日は殴り合いでもして来たのか、頬にガーゼが貼られていた。

 そして、右目の上に位置する、消えない傷痕が彼の歴戦を物語っている。

「……ご注文は?」

「エスプレッソのシングルを二杯」

 そしていつも同じ注文。初回から今まで、変わることはない。

 エスプレッソは、日本人には馴染みの薄い飲み物だ。まず量が少ない。普通のコーヒーの五分の一程度だ。日本人にとってコーヒーはカップになみなみと注がれた液体であり、どちらかと言えばジュースなどのソフトドリンク側に分類される。 だが、実際のエスプレッソは飲み物と言うよりは嗜好品やデザートに近い。少量で濃厚なコーヒーの風味を味わうためのものであり、喉を潤すことを目的としたものではない。

 ……全部、神谷の受け売りだけどね。喫茶店でメイドをやるからには商品の最低限の知識くらいは覚えておくべきだよね、ということで教えてもらったのだ。

 彼もそれを理解しているのか、まずエスプレッソを一杯、一気に飲み干す。これはエスプレッソの苦味とアロマを全身で感じる為だ。その後、もう一杯に砂糖を加えてフレーバーとアフターテイストをゆっくり楽しむ。見ればまだ高校生なのに、随分と小粋なカフェを嗜む人だ。

 小難しそうな本を読みながら小さなカップを時折口に運ぶその仕草は、とてもじゃないが十代のそれとは思えない。

 彼の読んでいる本は毎回違う。医学書や製図などの専門学書を読んでいるかと思えば、次の日にはラノベや恋愛小説を読んでいたりする。ビジネス書や新書の時もあるし、辞書のように冗談みたく厚い本を読んでいる時もあった。

 しばらく寛いだ後、本を閉じ、席を立つ。

 そしてちょうどぴったりのお代をレジに置き、颯爽と去って行く。

 まるでそれだけで映画のワンシーンになりそうな程に無駄がない。

「あ、ありがとうございました」

 あたしの言葉に反応した訳ではないだろうが、扉の前で振り返り、あたしを一瞥する。

 その眼光は、知らない人が見たら恐怖心ごと射抜かれてしまいそうな程鋭く。

「……またのお越しを、お待ちしてます……黒野、くん」

 そして何処か、温かみのある視線だった。

「ああ……また来る。水嶋」

 またな、と不敵な笑みを浮かべて、踵を返す。

 彼とあたしは、アイドルとして面識がある仲だ。それだけならば他にも大勢いる。

 でも。

 一つだけ、大きな問題を挙げるのであれば。

 どうやらあたしは、彼――黒野玄武くんに、惚れられてしまったようなのだ。

 

 

 02.

 

 

 お話は少し過去に遡る。

 彼と初めて会ったのは、あたしが315プロに所属を決めたすぐ後のこと。

「ん……? おい、なんだあいつ。変な格好だな」

「事務所にメイドとは……いやはや麗しいね」

「本当だ、誰だろ」

 神谷の勧めで315プロと正式に契約を済ませたあたしは、事務所内で迷っていたところにJupiterの皆さんに出会った。

 とある惑星の名を冠した彼等は315プロ古参の先輩ユニットで、プロダクション内では年齢こそ若い方だが、かなり実力の高い人達だ。

 メンバーはボーカル兼センターの天ヶ瀬冬馬さん、ダンス担当の御手洗翔太くん、ビジュアル担当の伊集院北斗さん。紳士で有名な北斗さんが傅きながら恭しく手を差し出してくる。

「良かったら俺が案内するよ、エンジェルちゃん。迷子の迷子のメイドちゃんは何処から来たのかな?」

「すいません……あたし、男なんですよ」

「……男?」

 一瞬、三人の顔が引きつる。

 ……まあ、慣れた反応ではあるけど。仕方ないよね。

「はいっ、今日から315プロでお世話になります、Cafe Paradeの水嶋咲です! キラっ☆」

 パピっとポーズをキメてご挨拶。アイドルたるもの、こういうのは第一印象が大事だよね。

「神谷さんとこの……なら、ちょっと納得かな」

「カフェパレの面々って中々に濃いよね……キャラと話題性なら僕たちジュピターじゃあ絶対に勝てない自信があるよ」

「あの面々をまとめてる神谷さんがすげぇよ」

 どうやら、プロダクション内でも神谷は一目置かれているらしい。その評価は、猛獣使いか何かのようだけれど。

 まあ、常に何を考えているのか良くわからない荘一郎に、スイーツ欲を何よりも優先するロールに、変な人筆頭のアスランだ。加えて女装好きなあたしを加えてCafe parade。よく考えると中々に香ばしい面子だった。

「……本当に男なのか?」

「おっぱい触ります? ニセモノですけど」

「いや、いらねえ……」

 何かに負ける気がする、と一歩退く冬馬さん。あたしだって女の子ならともかく、男の偽乳なんて触りたくない。

 ――と、

「はざーっス」

「うぃース」

 出勤して来たのであろう、二人の男の子が姿を現わす。

「紅井朱雀、出陣!」

「おはようございます」

「おはようさん。声がでけぇよ、紅井」

「仕方ねぇだろ、地声なんだからよォ!」

「うるせえっつってんだろーが!」

 後にそのユニット名を知る、紅井朱雀と黒野玄武の神速一魂の初印象は、デコボコなコンビだな、というものだった。

 なんせ頭に可愛い猫を乗っけた(なんで?)、ツンツンの攻撃的な髪型をしたステレオタイプのヤンキーに、オールバックに眼鏡のインテリ系ヤンキーだ。それに何よりも二人並んだその様は、頭一つほどの身長差があったのも理由のひとつだった。けれどそれは片方が大きすぎるからであって、決して片方が小さい訳ではなかった。

 後に聞いた黒野くんの身長はなんと190センチ。あたしは160センチだから、実に30センチの差だ。

 まるで大人と子供。あたしも男にしては小さい方だけど、こんなに誰かを見上げることはそうはない。

「で、でっか……」

「……?」

 だから、思わず声に出てしまった。その呟きを聞きつけ、黒野くんの視線がこちらに向く。

 やばい。外見は大人しそうに見えても額の傷と言い、相方の紅井くんと言い、その本質はいわゆる不良だ。ひょっとしたら、彼の機嫌を損ねてしまったのかも――。

 どうしよう、絡まれたらどうやって返せばいいんだろう。

 と、そんな取り留めもない思考を混乱しながら頭の中でくるくると回していると、黒野くんが口を開く。

「惚れた」

「……は?」

 その発した言葉は、あたしの予想の範疇を遥かに超えていて。

「人生は一期一会……一目惚れだ。無作法で悪いが、俺は恋愛関係は全く無縁だ。正直に言うしか方法を知らねえ」

 今思えば最大の過ちは、この場であたしが男だとちゃんと言わなかったことだ。

 何処かに失敗があって、それが分水嶺だと仮定するのならば、それこそがそうだったのだろう。

「俺は黒野玄武。お前は?」

「み、水嶋……咲」

「咲……余韻嫋々、雅やかで良い名前だ」

 でも、言い訳じゃないけど、あたしが一方的に悪いと決めつけては欲しくない。

 何故なら黒野くんの迫力と真摯さに戸惑い、あたしだけじゃなく、ジュピターの皆さんや相方の紅井くんがフリーズして動けなかったのも、また事実だったのだから。

 

 

 03.

 

 

「しっかし美味えなここのビーフシテューはよお! 流石は神谷兄さんだぜ!」

「それは嬉しいね、ありがとう」

「シチューって言えてねえぞ。あとボリューム下げろ」

「いや、構わないよ。賑やかでいい事だ」

 ディナーを食べに来た神速一魂の二人を影からこそこそと覗く、あたしとロール。二人は閉店後の店の中で談笑(?)しながら神谷に夕飯を振舞われている。

 蛇足だけど、あのビーフシチューを作ったのはアスランだ。

「彼が例の黒野くん?」

「うん……」

「大きいねー、ああいうのをワイルドって言うのかな」

 ロールもちょっとはワイルドさを身につけた方がいいんじゃないかな、と言い掛けて止まる。あたしの言えたセリフじゃないよね。

「でも、サキちゃんを好きになったっていう黒野くんの気持ちも、ちょっとはわかるかも」

「え?」

「サキちゃん、可愛いもんね」

 ロールがマダム殺しの笑顔を浮かべる。思わず、その笑顔に心がざわついた。

 ロールは美形なんだけど、スイーツの怨霊に取り憑かれていると言えるほどのお菓子好きなせいで、自分に無頓着なところがある。なんと言うか、その邪推のしようがない天真爛漫な好意は、受けていてとても気持ちがいい。

「あ、ありがと……」

 ……あたしが女の子だったら、ロールのことを好きになっていたかも知れない。

「でも、やっぱり好きな人とは一緒にいたいよね」

「ロール……」

「神谷兄さん、お代わり貰えますか! あとライスとツナ缶も!」

「ツナ缶?」

「せっかく神谷兄さんの店に来たんだ。にゃこにも食わせてやりてぇんですよ」

「俺には濃いめのホットコーヒーを大きなサイズでいただけますか」

「いいよ、ちょっと待っててくれ」

 神谷が戻って来る。あたしたちの存在には気付いていたようで、こちらを一瞥してウィンクなんて寄越してくれた。

 神谷にも事情は話してある。その時は、珍しく真面目な表情で考え込んでいたけれど、そうか、とだけ言ってそれ以降は何も言ってこなかった。

 神谷はどう思っているんだろう。下手をしたらカフェパレも巻き込んでしまう事態だ。

「お待たせ。ビーフシチュー大盛りとライスにツナ缶、コーヒーだよ」

「あざッス!」

 ここが喫茶店なんて事は一切気に留めず、シチューにがっつく紅井くん(とにゃこちゃん)。

 飲食店に動物はどうなのかとも思うけれど、他のお客さんはいないし、神谷がいいならいいのだろう。

 アスランはああ見えてコックとしての腕は超がつく一流で、あのシチューも絶品だ。あれだけ美味しそうに食べるのを見ると、こっちまでお腹が空いてくる。

「……それにしても、まさか玄武くんがうちの咲にご執心とは驚いたよ」

「…………っ」

「最近の不調は、それが原因かな?」

 いきなり話題を変える神谷。目に見えて黒野くんの顔色が変わる。

「玄武よお、お前が女に惚れるたァ天変地異でも起こるんじゃねェの?」

「……うるせえな、黙って食え」

「別にお前が恋しようが何をしようがいいけどよ、ケジメだけはキッチリつけろよ」

 紅井くんの言っているのは、先ほど神谷も話していた黒野くんの不調のことだろう。

 黒野くんも平静を装ってはいるものの、内面は大きく動揺しているように見えた。

 黒野くんは意を決したように席を立ち、神谷の前に立つ。神谷は男の人の中でも大きい方だが、その神谷が見下されている。

「神谷さん」

 黒野くんが神谷に対して腰を九十度曲げてのお辞儀をする。

「お、おいおい」

「他所様のメンバーに恋慕なんて失礼千万とは承知です。しかも、それが原因で他のことにも注意散漫になってる。情けねえ限りです」

「…………」

「ですが、俺の水嶋に対する想いは本気です」

 客のいないカフェパレに沈黙が響く。

 紅井くんだけが頰にご飯つぶをつけて緊張感がないが、相棒のことは気になるのか、神妙な顔でライスを咀嚼していた。

「もし万が一、この事が原因で問題が起きたら、俺がアイドルを退きます」

「黒野くん、面を上げてくれ」

 と。

 神谷が諭すような声色で黒野くんの肩に手を添える。その言葉に応じて、佇まいを直す。

「結論から言えば、俺から何かを言う事はないよ。それに人を好きになれるって事は素晴らしいことだ。それは他人に好きになってもらう資格があると言ってもいい」

「…………」

「人から好かれる。トップアイドルになるための第一条件だ。君は何も間違っちゃいない」

 アイドルの条件。神谷は歳の割に大きな視野を持っている。

 他人を好きになれない人間に、誰かに好かれる資格はない。

「咲はCafe Paradeの誇る立派な看板娘だ。それにアイドルは大衆のものであり恋はご法度だが……」

 アイドルたるもの、恋をするべからず。

 アイドルになると決めた瞬間に決意しなければならないことだ。

 アイドルはみんなのものであり、個人間で完結してはいけない――けれど、それは人間の本質である心を捨てる事と同義だ。神谷の言う通り、アイドルと恋愛は対極に位置するもの。

 でも、だからと言って、

「人を好きになる事を諦めてまで、俺はアイドルをやりたいとは思わないね」

 ――あたしも、いつか誰かを好きになる日が来る。

 その時、あたしはアイドルを捨てられるだろうか。

「それに、咲をください、なんて言うなら俺じゃなくて咲の親御さんに言うんだね」

「……仰る通りです。勉強させていただきました、神谷さん」

「やっぱ神谷兄さんは言う事が違ぇなぁ……おおっとにゃこ! それぁ食っちゃダメだ!」

 手を後ろで組み、軽く会釈をする黒野くん。神谷の言葉は、きっと黒野くんだけでなく、あたしにも向けられていたのだろう。

 あたしが女装をしてアイドルをやるのなら、いずれ乗り越えなければならない壁だ。

 あたしも、決めなくちゃ、ならないよね。

 

 

 04.

 

 

 決めなくちゃいけないとは言え。

「しんどい……」

 そう簡単に行くのなら、最初からこんなに悩んでないのだ。

「……どうしたいんだろ、あたし」

 それが一番の問題だ。

 黒野くんに真実を打ち明けるのか。

 はたまたアイドル水嶋咲として断るのか。

 第三の選択肢として黒野くんの想いに応える、ってのもあるけど、さすがにそれはあたしにはムリだよね。女装は好きだけど、あたしにそんな趣味はないし、黒野くんだって女の子の水嶋咲を好きになったんだから。

「はぁ……」

 思わず溜息が出る。黒野くんに告白されたあの日から、何度目かもわからない溜息だ。

 自分のことなのに自分の意志がわからない。結局のところ、あたしは何を選んで、どうやって生きて行くべきなのだろう。

 男が女の子の格好をするなんて、変だってわかってる。けれど、好きなものは仕方がない。それを否定してしまったらあたしはあたしじゃなくなる。

 女装はやめたくない。でもアイドル水嶋咲を好きになってくれた黒野くんを裏切りたくもない。

 アイドル水嶋咲と、男の子の水嶋咲の二律背反を成立させる答えなんて、あるのだろうか。

「何をブツブツ言っておるのだ」

「うわあああぁぁぁっ!」

 急に背後から声を掛けられ、思わず素が出てしまった。

「な、なんだ、何事だ!」

 と、フィッシュアンドチップスを片手に慌てふためくアスランがいた。

「び、びっくりした……なんだ、アスランか」

「なんだとはなんだ。先程からいたぞ」

 どうやらアスランが控え室に入ってきたのにも気付かなかったらしい。

 ……重症だね、あたし。

「悩みごとか」

「まあね……」

 いつもの元気も出ない。

 元を正せば、あたしが原因でこんな状況になっているのだけれど。

 それでも、やっぱり答えは出ない。

「悩みなどパピ族の末裔たるサキらしくもない」

 パピ族って。

「ピプ族だったか? まあいい、食え。腹が膨れればいい考えも浮かぶであろう」

 言って、油モノを貪りながら勧めてくるアスラン。

 アイドルにとって高カロリーは厳禁だって言うのに……。

「いらない。そんなカロリー高いもの食べたらぷくぷくになっちゃうじゃない」

「そうか?」

 そうかって言っちゃったよアスランさん。

 ……アスランって歳の割にはいいスタイルしてるよね。お父さんは三十路が近くなると急にお腹が出てくるって言ってたけど。

 そう言えばロールもあれだけ甘いもの食べてるのにちっとも太る気配がない。荘一郎だって毎日砂糖とスイーツに囲まれてるのに細い。神谷に至っては太ったところも想像できない。どうなってるんだ。世界中のカロリーを求める乙女に殺されても知らないんだから。

「サキ、お前に暗い表情は似合わん」

「え?」

「だからその……なんだ、吾輩とサタンの魔の力、必要とあれば言うが良い。サキならば、契約者に等しき権限をくれてやろう」

「…………」

 ひょっとして、慰めてくれているのだろうか。

 逆に言えば、アスランに心配されるくらいにあたしは落ち込んで見えるのだ。

 ……ばかみたい。

「……優しいね、アスラン」

「馬鹿を言え、吾輩が優しいなどと……おおっ、さ、サキ!?」

 こんなに優しいメンバーに囲まれて。

 自分の置かれた境遇に甘えて、駄々をこねて。

「うっ……うえっ、……うえええぇぇぇ……!」

「ちょ、ちょっと待てサキ……吾輩はどうしたらいいのだ!」

 人のせいにして、問題に直面することを避け続けて。

 何もしてこなかったのは、あたし自身じゃないか。

「うえええぇぇぇん……!」

 だめだ。

 涙が止まらない。

 みんなの心遣いに。何より自分の情けなさに。

 女装をしてアイドルなんて、普通じゃない。普通じゃないってことは、問題が山積みに並ぶことは分かりきっていたじゃないか。

 目を背けていたのは、逃げていたのは、他でもないあたしだ。

「何だよ、騒がしいな」

「もう鍵を閉めます……よ……?」

「サキちゃん?」

 あたしの泣き声を聞きつけたみんなが、何事かと控え室に入ってくる。

「ひっく……みんな……」

「アスラン……?」

「ち、違う、僕のせいじゃない!」

「あたしが勝手に泣き出しただけ……ごめんね、アスラン」

 袖で涙を拭って立ち上がる。

 これでもう、泣くのは最後にしよう。

「サキちゃん、大丈夫?」

「うん……泣いたらスッキリした」

「……咲。俺も、Cafe Paradeの皆も、お前がどんな結論を出そうとも、お前を咎めることはしない」

 神谷が腕を組みながら言う。

 正直言って、神谷の包容力は半端ない。本当に二十代前半なのか疑いたくなる程だ。そんなんだから老けて見えるんだよ。

 もう逃げるのも、目をそらすのもやめだ。

「あたし、決めた」

 そして。

「ごめんなさい、みんな」

 まっすぐ、目の前にある現実に向き合おう。

 

 

 05.

 

 

 そして翌日。

 僕はまた、カフェパレへと足を運ぶ。

 ただ、前と違うのは、あたしはもう女装をしなくなったこと。

 そして。

「昨日も言ったが、咲の意見は優先するよ。元々、そんなつもりでもなかったしね」

「ありがとう、神谷」

 看板娘を失うのはちょっと痛いけどね、と神谷は笑う。最初は、神谷も僕を男だとは思っていなかったからだろう。

 その神谷の柔軟さは、この先、僕も見習わなくちゃ。

「……でも、良かったの? サキちゃん」

「『咲ちゃん』はもうダメだよ、巻緒」

 あ、と咄嗟に口を押さえる巻緒。巻緒をロールと呼ぶのはあたしだけだ。

 そう。

 女装をして歌って踊るアイドル、水嶋咲はもういない。

 ここにいるのは、何処にでもいる男子高校生、水嶋咲。

「……すまない、店員さん」

 店内を一通り見渡した後、黒野くんが声を掛けてくる。

 毅然とした態度で彼の元へ。

「君は新しい店員さんかな……不躾で悪いが、水嶋さんはおられますか」

「……いません」

「……え?」

 うん――――これでいい。

「水嶋……咲は、私のいとこです」

「そうですか。道理でよく似ている」

「咲は先日、勉強の為にアイドルも退き、海外へ留学が決まりまして」

「…………」

 目を見開いて、茫然と口を開く黒野くん。

 あたしは卑怯だ。

 この状況を招いたのは、どっちつかずの立ち位置を取っていたあたし。

 黒野くんの想いに応えるのならばあたしは女の子になるべきだったし、そうでないのなら、僕は完全に彼を拒絶するべきだった。

 どっちにもなれなかった、あたしと僕の責任。

「黒野さんには随分お世話になったようで……咲から、黒野さんに言伝があります」

 僕は男の子なんだ、と黒野さんに伝えてあたしを続ける選択肢も、あるにはあった。

 でも、それは僕があたしを否定することになる。

 それだけは、出来ない。

 アイドル水嶋咲も、今の水嶋咲も、水嶋咲には変わりない。責任を取る、なんて格好いいものじゃない。単純に、どっちにもなれなかった僕はいつかこうなる運命だったのだろう。

 あたしに悔いはないと言えば嘘になるけれど―――それでも、こんな滅茶苦茶な舞台、いつか終わりは来る。

 幕が降りるのが少し早かった、それだけの事だ。

 もう僕はあたしにはなれないけれど。

 水嶋咲はここにいる。

 だから、これはあたしを好きになってくれた黒野くんへの。

 どっちつかずの、僕の答えだ。

 僕とあたしの影が重なる。

「『アイドル水嶋咲は、貴方に全てを捧げます』」

 それはどちらの言葉だったのか、僕にはわからないけれど。

 あたしの全てを黒野くんに渡して――僕は僕として生きていこう。

 

 あたしはもう、どこにもいない。

 

 

 

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