真に尊ぶべき愛とは何か。
それを自身の思考を闇の中へ没しながら考える。
真に尊ぶべき愛──それなるは揺らぐことなく究極の献身。これこそ、その一つに数えられるのではなかろうか。
愛する者へ全霊をもって尽すこと、言葉にすれば何と儚く切ないことだろう。報われる保証はない、愛されるという保証もない。
けれど、尽くさずにはいられないのだ。
恋とはそういうもの、愛とはそういうもの。
世界がどうとか、背にのしかかる期待や周囲の反対がどうとか、関係ない。
そんなもの目に入らないほどに人を突き動かす根源こそが愛である。
彼、或いは彼女は夢を目指して努力している。だから、自分も応援ないしは手助けしたい。
これほど尽くしたのだ。健気な献身の果てに、きっと相手は自分の愛に気付いてくれる。
そう、信じた経験が、皆あるのではないだろうか?
いや、大なり小なりある筈だ。
根拠も無い、盲信ともいうべき絶対的な己の理想への信仰が。
『愚かですね』
そんな稚児の如き信仰を嘲笑う言葉が聞こえるが、そんなものはどうでも良い。
『そうやって、気付いているのに目を逸らして……かといって自分に都合が良いと分かれば、醜さを隠しもせずに手を伸ばして媚びるんでしょう?』
ああ、ああ聞きたくない。どうか喋るな語りかけるな。お前はどうして夢を覚まそうとするんだ。別に良いだろう?
都合の良い夢を見たって。
なら、私だって夢を見て、思いを馳せたって構わないじゃない。
決して叶わないんだから……
『叶わないと知ってるなら、なんで愛そうとするの?
無理なんでしょ?』
それこそ関係ない。
この愛は無駄なんかじゃなく、この愛に報酬は要らない。
彼の隣には既に相応しい人がいるけど、それでも私は──彼が与えられる筈だった愛を注ぐのみ。
今までも、そしてこれからも、それは絶対に変わらない、変わらないのだ。これは少女にとっての決定事項。
なのに────
『関係なくなんてない』
有無を言わさぬ無貌の何某かの声がそれを否定する。
闇の中へと没していく少女を更に深淵へと引き摺り降ろさんとばかりに発せられるは嫉妬の念。
『そんな事は絶対にあり得ない。私を誰だと思ってるの?
貴女の事は誰よりも、何よりも理解している。
悔しいはず、憎いはず、恨めしいはず。
だって、ずっと思ってきたのに、ぽっとでの女なんかに取られて何も思わないなんてあり得ない』
声には熱が宿っていない、あるのは絶対零度と錯覚するほどの狂気のみ。
苦しいはずだ、と何度も何度も似たような事ばかり紡ぐ無貌のソレは口を閉ざさない。
『自分にとって、初めての理解者?
笑わせないで、ただの泥棒猫の間違いでしょう。こっちはもう数年も前から愛していたのに、アレはたった数日で結ばれて……
運命的な出会いってやつかしら?
反吐が出る。
漫画なんかでもそうだ。
長年恋していた幼馴染も、ただ運命的な出会いをした女に愛した男を奪われる。
まるで、今までの思いが無駄だったみたいに。
認められる訳がない。だって、そんなの可笑しいじゃない。
努力してきたんだ。その努力が報われないなんて、そんなのってない。
けど駄目。私はこの努力に対する報酬なんて、求めてはいけないから。
だが、無貌の魔性はこれを最後とばかりに言葉を投げかける。
『……貴方はもっと我儘になるべきよ。他者の幸せばかり考えて、少しは自分の幸せを考えるべきよ。
たとえ、誰を踏み台にしてでも』
その言葉がどうしようもない程、彼女の胸の奥に刺さり、闇に埋もれた意識が浮上する。
☆★☆★☆
それは正しく虎の威ならぬ竜の威だった。
ステラの紅蓮の髪から滲み出す燐光を散らしながら、眉を吊り上げ、食堂の一角で食事を取っている。
言葉を交わさなくても皆は理解しているだろう。あの燐光の意味を。アレは怒りだ。赫怒に彩られた煉獄の炎は、理性で完全に抑え込むことなど出来ず、内から外へと流れ出る。
ゆえに興味本意で彼女に近づき、逆鱗に触れでもすれば、火傷程度では済まない。
必然的に誰も彼女には近寄らない。
『おい、あれ……』
『ねえねえ、あのこと聞いてきなよ』
『淫乱皇女様は今日もイライラしてるなぁ』
されど悲しいかな。陰口を叩く輩はどんな場所にも一定数いるのが世の中というもの。
下卑た笑いを浮かべ、面白半分で他人の光を実害がない限り、踏み躙ることを止めることはない。
安全圏から他者を殴り、相手の拳だけが此方に当たらないのだ。一方的、理不尽なワンサイドゲーム。
彼らはそういうものが大好きだ。
だって、ただバレないように攻撃するだけで、自分の欲求を満たし、相手よりも上だと確認できるから。
「ほんと……最悪ね」
不快で仕方ない。ステラはそう呟いて、手にしていた新聞をテーブルの端へと置いた。
最早、何度同じような内容の記事を見た事だろう。何度同じような内容の陰口を聞いた事だろう。飽きもせずにダラダラと根も葉もない事ばかり。
「日本のマスコミってここまで堕ちてたのね……」
「にゃはは……耳が痛いなぁ」
ステラの吐き捨てた言葉にバツが悪そうに応答する日下部加々美。
最強のジャーナリストを目指す彼女にとってはとても耳が痛い話だ。何せ、今回の件は彼女が将来必ずと言って良いほど存在する事だから。
大抵、大衆の意見というものはマスコミやジャーナリストといった、声の大きな者が世に出す記事によって形成されてしまうものだ。
それが嘘か真かなど関係ない。大衆が信じ込む様に虚実と真実を織り交ぜ、結果的にそれらしい記事を書けば良いだけなのだから。
「ステラちゃんが怒るのは当然だよ。そりゃヴァーミリオンのお姫様が留学先で恋人を作ったーなんてスキャンダルだけど、それを“たかだかブン屋”がステラちゃんの判断を差し置いて不祥事扱いにするなんて失礼すぎるもん。
ま、
たった一人を潰すだけにスキャンダルを不祥事として報道し、マイナスイメージを作る様に倫理委員会は圧力をかけているのだ。
この世界で一番巨大なエンターテイメントである“KOK”を初めとする騎士興行の速報掲載権限を取り上げると脅迫して……
その手の界隈に顔の利く加々美でさえ、これには耳を疑った。
圧力をかけた事に対する驚愕ではない。こんなものは珍しくもない。
彼女の驚愕は、倫理委員会が本気で黒鉄一輝を追放処分にしようとしている事にある。
本来、追放処分は最後の手段であり、滅多に行われる事はない。
理由は単純──追放処分にあった者は犯罪者に堕ちるからだ。これは世界的に統計の取れた、歴然とした事実だ。
連盟としては鎖の無い狂犬よりも、鎖のついた狂犬の方が都合が良いのだろう。
例えば──あの西京寧音のような。
つまるところ、追放処分とは連盟自身で狂犬を世に解き放つ事を意味している。
故にこそ、連盟は中々重い腰をあげられない。まして学生騎士に対しては極めてレアケースと言えるだろう。
だが、倫理委員会は本気でケースを起こそうとしている。
「でも、だからって……! 実の息子でしょ、これが親のする事なの!?」
ステラは言葉に出さずにはいられなかった。
血の繋がった家族でどうしてここまで出来るのか、本気で分からない。
彼女の家族は祖国にいる全員と言っても過言ではないほど愛に溢れている。
たとえ血の繋がりは無くとも、心で通じ合った一つの家族。ステラもそんな愛の中で育ち、今日まで生きてきたし、その事を誇りに思っている。
だから、一輝から彼の境遇を聞いた時、驚愕を隠せなかった。
だって自分の生きてきた境遇とは全く違うから。
「決まってます、そういう父親だからですよ。そういう人だから、としか言えません」
淡々とステラの正面の席に座る黒鉄珠雫は告げる。
あれは、そういう男だと。
彼女自身、黒鉄厳が何を考えているのか、何故実の息子にそこまで出来るのか分からないし、理解できない。
あの歪さは、人の理解できる範疇を超えていると断言できる。
あれはまるで────
「あの人は正しく歯車です」
定められた役割以外は出来ないし、認められない機械の如き男。
揺らぐ心など持たない。他者の言葉に靡く事はない。
それこそがこの国の秩序の番人に他ならない。
「でも、そうなると一輝が心配ね。そんな人の膝下で、彼は今どんな目にあっているのか」
有栖院の神妙な言葉に、皆が黙り込む。
今の一輝は正しく四面楚歌。査問に応じる態度や口調の揚げ足取りだけなら、あくまでも倫理委員会の心証にとどまるが、果たして彼らはその程度で満足するだろうか?
断じて否だ、必ず彼らは一輝本人の言質を取る為に全力を尽くす。
査問会が行われる、日の当たらない地下深くは彼らの聖域。つまりは何が起きても不思議では無く、周りは全員黒鉄の者達。
これだけで、彼がどんな扱いを受けているか想像するのは容易い。
「ッ……!」
考えれば考えるほど、その嫌な想像がステラの脳裏に過ぎる。
その度に沸々と己に対する怒りが募る。
ああ、なんて不甲斐ない。アタシは知っていた筈だ、彼がどんな状況にあるのかを。
全部、全部アタシのせいだ。
だが──そうだとしても。
「……アタシ達、何かいけない事したかしら」
「ステラちゃん……」
弱々しく、か細い声でステラは呟く
アタシ達はなにも特別なことをしていた訳ではない。
ただ普通に──皆がやる様な恋愛をしていた筈だ。青臭く、とても他人には気恥ずかしくて甘酸っぱい日々を送ってきた。
その結果がこれか?
自分が迂闊なばかりに愛した男の敵に利用されたばかりか、重荷になってしまっている。
それが苦しくて、苦しくて、苦しくて苦しくて……
「もしアタシが、普通の女の子だったら……!」
大事な人の夢を自分が潰してしまうようで、本当に苦しく、悔しい。
涙は頬を伝って、止め処なく溢れる。
こんな、こんな形で彼の光を潰してしまうなんて耐えられない。
だから、つい────
「ねぇ、アタシは、イッキと別れた方がいいのかなぁッ。その方が、イッキは幸せになれるのかなぁッ!」
身を切る様な悲哀の絶叫が、心の奥底の不安と共に爆発する。
そんな弱音を吐いた刹那────
「避けて、ステラちゃん!!!!」
────悲鳴の様な鋭い誰かの声が、彼女の耳朶を貫いた。
その背筋を振るわす戦慄と共に、反射的に伏せた目線を持ち上げたが、もう遅い。
眼前には優に三十は超える騎士槍の如き氷柱が迫っていたのだから。
絶体絶命、それは正しく致死の氷柱。
避ける事は到底叶わず、
「──《
それでも反応できたのは努力と才能の賜物だろう。
咄嗟に発動した絶技は、熱波となってステラの身体を包み込む。その温度は摂取三千度という人体を溶かすに至る熱。
だが─────
「ぎ、ガァっ!?」
ここまでして尚、防御しきれない。
殺到する氷槍群は知らぬとばかりに熱の壁を貫通し、ステラの身体を切り裂き、砕いて、壁へと打ち付ける。
全身の痛みを我慢しながら、四肢に力を込めて立ち上がろうとするが、それを嘲笑う様に床を伝う水が蠢く。
胎動する水は形を成して、ステラの身体をまるで玩具の様に振り回し、食堂の外へと投げ飛ばす。
窓硝子を突き破り、地面に転がりながら校舎の壁にぶつかったところで攻撃の手が止んだ。
突然の事態に、食堂が騒がしくなるがそんな事はどうでも良かった。
問題なのは大抵の攻撃ならば、完全に防ぎ切る事が可能な炎の羽衣を貫通する水の魔術。
そんな事ができる者など、この場には一人しかいない。
「何するのよ、シズク……!」
歯を食いしばり、全身を蝕む様な痛みを我慢しつつ目の前の魔女へと視線へ向ける。
「…………」
返答はない。魔女は俯いて、ステラと視線を合わせようとしない。
無言の圧力──とでも言うのだろう。ただ其処にあるだけで、空気が震えて軋みを上げている。
だが────
「ああ……うるさい、うるさいんですよ」
無言を貫いていた魔女は誰かに呟き、頭を掻き毟る。
漸く上げた顔には何時もの様な静けさはない。あるのはまごう事なき狂気。
翡翠の瞳が携えているのは、奈落の如き闇だった。だが、かと言って絶望した様には見えない。
まるで火を求める蛾の様に、光を求めて飢えるその様は、何故かあの獣を彷彿させる。
「そんな事は分かってる……分かってても駄目なの」
譫言の様に繰り返す言葉は、ステラではない誰かへの言葉。
手にした霊装が怪しく輝く。
総身から迸る絶対零度の殺意が、滲み出す。
駄目だ、駄目なのと繰り返し、そして────
「でも、これだけは怒っていいですよね?」
そう呟く至りかけの何かが殻を破るが如く、早く生み出せと喚き散らす。
卵の殻に奔る皹の如く、顔に刻まれる喜悦。
最早、言葉だけでは物足りない。この怒りは収まらない。
そのまま、水底の魔性は衝動の赴くままに、皇女を狩るべく駆け出した。
☆★☆★☆
ステラ達が窓硝子を突き破った後、突然の事態に食堂はパニックに陥っていた。
誰も彼もが愚痴を零し、悪態を吐く中、加々美は非力な身ではあるが、二人を止めようと駆け出そうとするが──
「ちょ、ちょっとアリスちゃん!」
「…………」
それを無言を貫く有栖院が、彼女の手を引き止める。
必死に払おうとするが、万力の如く掴む手はビクともしない。早く止めないといけない事など、彼ならば理解している筈なのに何故。
「……カガミん、今はこの場から離れるのが先よ」
「でも……!」
「確かに、あの二人は早目に止めないといけないわ。けど、それには私達は力不足。先生達に任せた方が良い。それに──」
すると有栖院は一拍、言葉を止め────
「カガミンも、あの
「え?」
食堂に潜む、三つの双眸に背筋を震わせながら彼は、そう呟いた。
補足──時系列的に、ステラ達が食堂にいる間、嶺二達は前話通り屋上にいます。
感想、アドバイス等、お待ちしております。