一面の銀世界を紅蓮が舞う。
大地から天へと乱立する氷柱を躱し、時として足場として利用しながら、縦横無尽に駆ける回る皇女目掛けて放たれるは水の魔術。
幾重にも張り巡らされた、技巧に重きを置いた魔術は自然の猛威と比べても何の遜色はない。
校舎を飲み込むべく展開される津波、それの後を追う銀世界。広範囲に展開された魔性の波濤は、常人には到底躱し切る事は不可能。
けれど────
「アァァァァッ!!!!」
此処は破軍学園──常人という規格を超えた《伐刀者》の集う学び舎。加えて、魔女と刃を交える紅蓮の女は、その中で飛び抜けた天才。
烈火の如き咆哮と共に、紅蓮を纏った黄金を上段から振り下ろす。
灼光一閃──摂氏三千度という熱量を誇る炎の斬撃は、力任せに水の瀑布を切り裂いた。
それを為し得るのは彼女が身に宿した、生来の魔力。天に棲まう比翼の戦乙女や天昇するけ獣さえも上回る総魔力量、全方位に満遍なく秀でた才覚はあるがままに天災を作り上げることが可能。
縦に両断された津波、その奥で今尚魔力を滾らせる魔女と視線が交錯する。
殺意、殺意。狂的なまでに飢えた女の情念はまるで深海の如き闇。
妬ましい、妬ましい──貴女を包む光が羨ましい。ああ、光があるから、彼は私を見てくれない。
深海を蠢く魔女の闇に呼応する様に、胎動する魔力は不協和音を鳴らして駆動する。
刹那、ステラは下肢に力を込め、足場を砕いて砲弾の様に魔女めがけて飛んだ。
一直線に、両断された波濤の間を紅蓮が駆ける。
だが、その様な事を珠雫は見逃さない。
手を虚空で翻し、理想的な魔力運用を以って両断された津波に再干渉。
干渉、術式変更、再形成──コンマ数秒の内に津波は形を変え、騎士槍の如き氷柱群へ。
その総数たるや数千に及ぶ。
されど、《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンは止まらない。
一歩一歩、大地を踏みしめ、魔女の元へと雷鳴のごとく疾走する。
それは大火の中に飛び込む様な愚策に見えるが、今に至ってはこれこそが最善手。
後退や停止などしている暇を、あの魔女が与えてくれる筈はない。必ずそこで何かを仕掛けてくる。故に前進、ただ前へ前へと足を動かす。
足元から突き刺してくる氷柱を踏み潰し、飛来する氷柱を躱す。しかし、規模が規模だ。流石の天才とはいえ、この数全ては捌けない。
それはステラも理解していた。
「────ッふ」
呼吸を整え、左手に炎を纏わせ前方へと伸ばす。竜を象った炎は一直線に珠雫へと放たれる。
「無駄ですよ」
しかし、そんな安易な攻撃は魔女には当たらない。
身体を僅かに横にズラし、竜炎を躱す。
そのまま炎は背後にある渡り廊下の柱に着弾したの確認し、珠雫は呟く。
「やっぱり、あの程度で腑抜けちゃいましたか」
普段の彼女ならば、今の一撃で自身に擦り傷の一つや二つ与えられる筈。いや、最悪の場合、今この瞬間にでも地面に倒れ伏していも可笑しくはない。
だが、そうはならなかった。
とどのつまり、今の彼女は普段とはかけ離れている事を示している。
心に灯る炎は、過去最低と言っても過言ではないほど弱々しい。
竜は地獄で燻り、煉獄へと羽ばたく翼は捥がれている。
英雄を目指す若人が、闇へと自ら踏み込まざるを得ない状況へ、間接的とはいえ追い込んだ自責の念。
それが皇女の心の炎を鎮めてしまったのだろう。
まあ、気持ちは察しよう。
誰だって、好いた者が不幸な目に合う事なんて嫌だ。
────
黒鉄珠雫はどうしようもない程──ステラ・ヴァーミリオンが気に食わない。
ああ、なんて堕落だ。こんな、一度苦難が訪れた程度で、なんと女々しい。この程度の人が兄の番だなんて認められない。
だって、羨ましいじゃない。どうして貴女はそんななのに兄の隣に居られるの?
どうして私は隣に居られないの?
妹だから?
ステラさんとお兄様が運命的な出会いをしてしまったから?
羨ましいのよ誰が決めたの、許せない。
怨嗟に満ちた魔の奔流は誰であろうと止められず、翼を捥がれた竜では防ぎきること能わない。
しかし────
「舐め、るなアァァァァッ!!」
「──────」
それでも、彼女はどうしようもない程──運命といったモノに愛されているから。
突如、ステラの疾走が驚異的な加速を見せる。炎の魔術や魔力放出を使用した痕跡は無い。
ならば何故、そんな疑問の解答はすぐ後ろに存在していた。
ミシリと、何かが軋む音。
音の発生源は先の竜炎が着弾した渡り廊下の柱に喰らいついている竜炎が、魔女の視界に映る。
そう、彼女は柱と魔術を使用し、伸ばした竜炎を縮めることで加速しているのだ。
本来ならば溶ける、または砕ける筈の鉄筋コンクリート製の柱。だが魔女に劣るものの、高度の魔力制御を有する《紅蓮の皇女》にとって、柱を損壊させずに魔術を運用することなど容易い。
「アァァァッ!!」
「くっ──」
滑空しながらステラは《妃竜の罪剣》を構え直し、放たられる横薙ぎの一閃。珠雫は堪らず伐刀絶技《緋水刃》を使用し、黄金の剣を受けた。
あまりの衝撃に身体が後方に吹き飛びそうになるが、足を凍らせ大地に縫い止める事で防ぐ。
そこから紡がれる剣の
閃く剣はただただ強く、速く、巧い。歯車が上手く噛み合わなくとも、天才は今まで培ってきた努力や賜った才能で乗り越えようとしてくる。
天才は心が折れかけでも天才。
幾らその歩みが遅くなろうが停滞しようが、歩んできた軌跡が消える訳ではない。
隔絶した性能差を、すぐに埋める事は出来ない。
それが出来るのは一握りの狂人だけだ。
あの、隔絶した意志力を持つ獣の様な……
「巫山戯るなッ!」
否定、否定、慟哭怨嗟。
これでもか。これだけ怨んで思って尚、響かないのか、届かないのか。
そんな不条理あってたまるか。
怨みの叫びよ、天へ轟け。紅蓮の光を穢してみせろ。
水底の魔性は内に巣食う怨嗟を糧に、水の断刃を振るう。
「巫山戯てんのは、アンタもでしょうがシズクッ……!」
怨嗟に呼応し、激しさを増す鋼と鋼。
火花を散らして、皇女は吠える。
「アタシが、イッキを諦めれば……少なくとも、これから先の未来に、こんな事は起きなくなるッ」
己の迂闊さが招いた帰結。それを己で拭うのは当然の筋だ。
ステラが言うように自身の幸せを手放せば、少なくとも彼はこれから先、今回の様な悪辣な謀略に巻き込まれずに済む。
現に己と出会う以前の彼は、倫理委員会の謀略に嵌る事は一度も無かったのだ。
振るう紅蓮に悲哀が募る。
揺れる感情の様に、烈火の如く激しさを増す斬撃の嵐は火炎旋風と見紛うほど。
怒りがあった。悲しみがあった。何よりも心が悲鳴を上げていた。
「────で?」
けれど、皇女の悲痛な叫びは、魔女の心に響かない。
苦しい、悲しい……ああ、理解はするが、だから何だというのだ?
「貴女がお兄様との関係を絶ったとして、お兄様は救われると本当に思っているのですか?
だとしたら、それは間違い。苦し紛れの選択ではお兄様はおろか、誰も救えませんよ」
例え、ステラが皇女ではなく、ごく普通の一般人だったとしても、倫理委員会は今回とは別の形で黒鉄一輝に牙を剥く。
変わらない、変わらないのだ。其の場凌ぎの策では状況は改善しない。故にステラが一輝と別れた所で意味は無く、彼がもう不幸な目に合わない確率はまた無い。
何より────
「何よりも、今の貴女こそ、お兄様を不幸にするんですよッ!」
「ッ……!」
「お兄様が何故、応じる必要も無い査問に応じたのか……貴女には分からないんですか!?
お兄様にとって、貴女との関係に泥を塗られたことが、どんなに辛く、許し難いことだったかッ」
白と黒しか無かった彼の世界に色を与えたのは、間違いなくステラとの出会いだった。
最愛の人にして最高の好敵手との日常は、彼にとってどれほどの救いだったのかを察するのは容易い。
だからこそ、彼は査問へ応じた。
応じなければ、彼の大切な物の輝きを穢したままとなってしまう事を恐れたから。
全ては、ステラと共に、騎士の高みを目指す為に。
故にこそ、黒鉄珠雫の怒りは正当なモノとなる。
今も孤軍奮闘する一輝との関係を断つ事は裏切りだ。
激情と共に精度の増す水の断刃は、過去最大の斬れ味を得て、黄金の剣ごとステラの身体を押し返す。
そして─────
「自分が楽になりたい為の逃げ道に、お兄様を使うなッ!」
一輝の幸せの為とばかりに、目を開ける事を忘れた竜の身体を上段から切り裂いた。
幼年期は終わる。殻を破り、天を目指して翔ぶが良い。
光のために。未来のために。自分以外の誰かのために。
全ては、愛する貴方を救うために。
これからも頑張りますので、感想、アドバイス等、お待ちしています!