東方超解釈   作:触手の朔良

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超古代編
キャトラレ


 幸いな事に、或いは不幸にも、男は飢えで死ぬ事は無かった。

 水分も食料も、一切摂取していないと云うのに、何故か彼が死ぬ事は無かった。そう気付いたのは、目の前の光景を現実と受け入れてから、おおよそ三日後の事だった。

 話は前後するが、これは彼がこの世界を夢幻だと願おうとして、叶わなかった後の出来事である。

 人間あまりにも非現実的な光景を前にすると、却って冷静になるらしい。男はその事を、身を以て実感していた。

 はたまた、頭の何処かでは楽観しているのかもしれない。こんな世界に来たのなら、元の世界に戻る事も可能だろうと。それは矢張り、現実を正しく理解していないからこそ生じる認識なのであるが。

 兎角、彼は意識を取り戻した後、現状の認識に努めた。

 まず自分。自室で寝た時の格好をし、特に変わった点はない。

 そして周囲に視線を向ける。そこに自室は無く、灼熱と暗黒の世界が広がっていた。

 判断材料はあまりに乏しく、推測を始める切っ掛けすら無い。しかし彼は、漠然とだがここが自分の住んでいた世界ではないのだと確信していた。

 何度夢であれと思ったか。幻であれと願ったか。

 しかし、肌を突き刺す灼けた空気が、嫌というほど彼に現実を突き付けて来るのだ。

 彼は状況を打破する為に、又は逃避する為に、周囲を散策する事にした。

 目に止まった小高い岩山を目指し動く。

 素足から伝わる熱はともすれば火傷をしかねない。と言うか既にしていた。

 だのに平然と歩いているのは、まぁ順を追って説明していこう。

 岩山への道は標も獣道も無く、彼は悪戦苦闘しながらもどうにか進んでいた。進もうとする事に意識を割き過ぎたあまり、地面そのものへの注意が散漫になってしまったのだろう。

 彼が踏みつけたその岩肌は、未だ炭の様に僅かに赤みを帯びていた。

 ジュウ――という肉の焼ける音。次の瞬間、襲い来る激痛。

「ぐっ! がああぁぁぁあぁ!!」

 彼の判断は素早かった。直ぐ様その場から飛び退くも、着地した先の足場も悪く、彼は勢いそのままに転倒する。

 身体のあちこちをしこたま岩に打ち付け、全身に擦り傷と青痣を作る。しかしそれよりも、足裏から伝わる痛みの方が何倍も痛かった。

「ぐ、うぅぅ……!」

 傷跡を見て、青ざめる。

 足の裏の皮膚がベロンと剥がれて、ピンク色の肉が剥き出しになっているのだから。

 一瞬、男の意識が遠のくも、激痛がソレを許してはくれなかった。

 目尻に涙を浮かべながら、「どうする?」なんて馬鹿な考えが浮かぶ。何せ治療器具など、ありはしない。何をどう、処置を施すと云うのだ。

 ふと、涙に歪んだ視界の端、唯一の人工物である身に纏った寝間着が目に入った。

 迷いはない。

 彼は裾口を噛み、力任せに引き千切る。形も歪で衛生状態も決して良いとはいえないが、包帯の代わりにはなるだろう。

 ヒイヒイゼイゼイ。痛みに顔を歪めながら足にボロ布を巻き付けようとして、驚きのあまり布を落としてしまう。

 見るも無残な状態だった足裏は、既に出血が止まっており、他の部位よりも色の薄い皮が張られていた。

 不審に思いながら恐る恐る指先で触れてみると、紛れもない、柔らかくはあるが確かに皮膚だ。

 痛みもすっかり引いている。だが、彼の胸中には歓びよりも気色の悪さが先に立った。

 ともあれ傷が癒えたことには違いない。再び、岩山の天辺を目指し歩き始める。

 道中、当然ながら先ほど手痛い目にあった現場を通る羽目になる。そこには黒く炭化した、自身の一部だったものが異臭を放ち残っていた。

 そう、男の理解が追いついた瞬間、胃酸が食道を刺しながら喉元をせり上がってくる。我慢する間もなく吐き出すと、また別の異臭が周囲に立ち込めた。

 肉の焦げる臭いと吐瀉物の臭い。酷いものだ。男は鼻を摘み、早々にその場を去った。

 という紆余曲折を経て、彼の視界が開けた。

 ようやく当初の目的地であった、天辺まで辿り着いたのだ。

 だが、彼の胸に去来したのは全身を包む達成感ではなく、この身を散り散りに切り裂いてしまうような深い絶望感であった。

「あぁ――」

 延々続く灼熱の大地を目にし、零れた彼の言葉はやけに落ち着き払っており。

「――死ぬか」

 その横顔は何処か晴れ晴れとさえしていた。

 幸いにも――本当にそうだろうか?――、彼の背後には丁度良いマグマ溜まりがある。

 激しく噴火はしていないものの、ぐつぐつと泡立ち渦を巻くソコは地獄の入り口と呼ぶに相応しい。

 ほんの少し。ほんの少し足を踏み外せば、直ぐにでも火口へと真っ逆さまに落ちることが出来よう。

 クッと男の喉が鳴った。

 そして全身から力が抜ける。身体が傾き、火口へと吸い込まれてゆく――寸前、彼は踏み止まった。

 今更、死ぬことが怖くなったのか?

 ――怖い。確かに怖いが、死ぬ事は怖くない。死ねないことが、怖いのだ。

 死の覚悟を決めた刹那、彼の脳裏に一つの考えが過ぎった。

 それは先に見せた、超常とも思える再生能力。

 万が一。万が一にもこの再生力が溶岩と拮抗してしまったら、あまつさえ上回ってしまったら。待ち受けるのは、文字通りの生き地獄である。

 そう、一度でも考えてしまったら、もう彼は動けなかった。

 ひたすらその場で竦み上がり、歯の根がカチカチと鳴る。肌をひび割る程の熱波が渦巻いているというのに、彼は寒気が止まらなかった。

 涙は既に枯れている。

「ちきしょう……」

 彼から零れたのは弱々しい呟きだけだった。

「ちきしょう、ちきしょうっ……! 何でっ! 何で俺がこんな目に……!」

 ひたすらに嘆く。この身に舞い降りた理不尽に嘆く。

 その事に同情する者もケチをつける者も、誰一人いない。

 彼一人しかいない。

 

 

 することが無い。何も、無い。

 それからの彼は火口から動く事もせず膝を抱え、ただ溶岩が流れる様子をじっと見ていた。はたまた不意に顔を上げ、黒雲の中で存分に暴れる紫電に目をやった。

 時折、火口が爆ぜ溶岩が飛び散る。無論、男にも降り掛かる。

 だが彼は逃げようとも避けようともせず、灼熱の雨を呆然と受け止めた。

 脚を抉り腹を抉り肩を抉り、全身に蓮の如き無数の穴が開く。

 自ら死ぬ勇気を失った彼は、これで死ねるかな、なんて冷静に脳が思考した事実に直ぐ絶望する。

 彼が察した通り、死ねる、なんて甘い幻想は打ち砕かれた。

 見通しの良くなった身体は、直ぐ様修復を開始し、ものの数分で綺麗に穴が塞がってしまった。最初から穴など開いていないんじゃないか? そんな疑念を抱いてしまうほどだ。

 だが、傷を負った箇所に在る病葉の如き皮膚が、事実を静かに物語っている。

 何時しかそんな痛みですら、彼に取っては歓迎すべき刺激となっていった。

 それほどまでに、何も無い、世界。

 いや、変わった物もあるか。それも、急激に。

 それは男の精神だった。

 それも已む無しであろう。変化の乏しい世界を何年も何十年も何百年も何千年も何万年も何億年も、……独りで過ごしていたのだ。

 年月が彼の心を枯らすだろうことは、想像するに容易かろう。

 達観した、といえば聞こえも良いだろうがどちらかと云うと老衰したと、現す方が事実に近いか。

 だが、そんな、乾燥し岩の様になった彼の精神を動かす事態が訪れる。

「……? なんだ……?」

 久々に言葉を発した喉は意外にも正常に働き、意味のある音を紡いだ。

 トンと何かが頬を叩いた気がした。

 多分、気の所為だと、少しだけ周囲を目で確認し、何事も無かったかの様に視線を正面へと戻す。

 無限に思える程存在していた溶岩はすっかり消え失せ、そこにはすり鉢状の噴火口の跡だけが残っていた。

 男がこの世界に来てからを考えれば、驚くべき変化である。

 しかし、これ程大きな変化であるにも関わらず、永年景色を見続けていただけの彼はそれすら気付かなかった。

 例えば、海からコップ一杯の水を掬って下がった水位に、気付く者はいないだろう。

 故に一日一杯、水を掬って、掬って――。気の遠くなる年月を掛け遂に大海を干上がらせる事に成功すれば、誰も気付かない――なんて。

 馬鹿馬鹿しい妄想である。そも、海水は何処へやったのかという現実的な問題も然ることながら、この世界を構成する重要な要素の一つが、すっぱり消え去ってしまえば気付かない訳がない。

 日に日に、いや、年々量の減るマグマ。冷える空気。

 それでも彼は気付かなかった。気付けなかった。それほどまでに――心が摩耗していた。

 では、そんな男の心を動かしたのは一体何なのであろう?

 トントンと、彼の額を何かが叩いた。

 最早気の所為で済ませる事は出来ない。

 男は顔を上げる。

「あ……?」

 頬に、額に。冷たい、冷たい水滴が垂れた。

「あ? あ、あっ……!」

 水滴の数、勢いは次第に増してゆき、遂には視界を覆うほどの豪雨と成った。

「雨だ――――――っ!!!!!!!!!」

 その時の喜びようと言ったら、おそらく、彼の生涯でも一二を争うほどだったろう。

 

 

「っていうか降りすぎじゃね!!?」

 言葉の内容とは裏腹に、口元は綻び、口調もそれに伴っている。

 さて。雨が降り始めてから――日光は未だ遮られ、男が時間を解する手段は己が感覚のみである――年単位の歳月が過ぎようとしていた。

 それもその筈。今までは溶岩が、大気中の水分そのほとんどを雲にしていたのだから。

 そのツケ、とも云うべき量が今正に降り注いでいるのだ。ちょっとやそっとじゃ、止む訳がない。

 雨は増々その激しさを強めていく。

 五里霧中どころではない。一メートル先の視界すら、濃密な雨のカーテンのせいでハッキリと視認することも出来なかった。

 しかし彼にとっては、そんな事は些事も些事である。

「ヒャ――ッホォォオウウゥゥ!! 水だあぁぁ――――!!!」

 雨が降り始めてからというもの、男は嘘のように精力的になっていた。

 まぁ、彼の過ごしてきた刻を考えれば、さもありなんではあるが。年齢だけで言えば億越えのおじいちゃんなのだから、ちょいとばかしハシャギ過ぎじゃあるまいかね?

 一体何処の誰が達観した、なんて言ったんだ。

 状況は依然として絶望的である。にも関わらず、彼は悲壮を何処かに忘れてきてしまったように、生まれたままの姿で――服なんてとっくに風化している――雨の中、腕を広げ全身でその恵みを享受していた。

 端から見れば、間違いなく狂人の類である。誰もいないが、いたとしても男の取る行動は変わらなかったろう。

 彼は人間が生きるにあたって水という存在が如何に重要かを噛み締めている最中なのだから。

 口を開けば腔内から喉へ、体内へと水が流れ込む。それが癒やしてくれるのは喉の乾きばかりではない。ひび割れた心も優しく癒やしていった。

 それに、である。

 水が出来た、という事はだ。何らかの拍子に生命が産まれる可能性があるという事だ。

 そしてゆくゆくは、自分と同様の知的生命体が現れるかもしれないのだ。

 全く、気の長い話だ。また、何万何億という年月を待つというのか、この男は。

 その通りである。気の遠くなる話だ。最早それは常人の思考ではない。

 しかし結局の所、彼に取れる選択肢は限られている。ひたすらに嘆き、絶望に打ちひしがれて待つよりも、希望を抱いて――在るかどうかも解らないが――待てるなら万倍マシだろう。

「いやぁ! 楽しみだなぁ!」

 降り止まぬ豪雨の中、男の喉が喜悦に鳴った。

 

 ――そして存外早く、彼の希望は叶う事となる。

 

 

 雨が止み海が出来、空の青さにひとしきり感動した後の事。

「ふんふふ~ん♪」

 下ッ手糞な鼻歌を口ずさみながら、彼は土器を――そう、土器である――を作るのにハマっていた。

 海底には僅かながら藻が張り、生命が産まれるのもそう遠くないかもしれない。

 ただ待つのも暇なので、彼は土器作りに手を出していた。幸い、水と土なら掃いて捨てるほどにある。

 最初の頃は単純に水と土を混ぜ、泥を捏ねてそれっぽい形に整えていただけだった。

 しかし、藻という可燃物が――適しているかはこの際置いておき――産まれたお陰で土器づくりの幅が広がった。

 男は乾燥させた藻――海苔を想像すれば分かり易いだろう――を、それっぽく積んだ石の囲炉裏の中に放り、手製の火打ち石を取り出す。慣れた手付きで石を弾き、悪戦苦闘しながらも火を点ける。

 これに大量の酸素を送り込めれば更に火力が増すのだろうが、何せ物が無さ過ぎるのだからどうしようもない。

 木でも生えてくれたらなぁ、と思いながら男は火の中へ土器を放り込む。

 

 ――そんな折であった。

 

「んあ?」

 ふと、視界に影が射した。

 特別彼は気にした風もなかったが――直ぐその異常に気付く。

 あまりにも暗すぎる。

 その影の濃さ。雲だとしたら分厚過ぎるし、何より周囲一面を覆うその大きさは普通ではない。

 何気なく男は頭上に目をやり――思わず絶句した。

 上空の一面を覆う巨大な影。そのあまりの巨大さ、異様さ。真昼だというのに、一瞬夜かと勘違いしそうになる。何せソイツの底部には幾つもの光源が点灯しており、周囲の暗さも相まり、満天の星空を連想させた。ゴゥンゴゥンと腹に鳴り響く低い爆音はエンジン音か何かだろうか?

「ゆ――――」

アンアイデンティファイドフライングオブジェクト。

「UFOだああぁぁぁぁぁあああぁ―――――!!!!!」

 男は絶叫した。

 遥か頭上に扁平の円盤型した、空飛ぶ鉄の塊。即ち、未確認飛行物体が陽の光を遮り、悠然と構えているのだから。

 彼は、ほとんどが無為な時間だったとは云え、永い時を生きてきている。その精神はちょっとやそっとじゃ動じない、筈である。

 その彼を以てしても、動揺を隠せない。

 いや、仕方ないか。彼が脳内に描いていた未来図は、いずれアメーバみたいな生物が産まれクラゲや貝みたいのになって魚になって――というごく常人が思い浮かべる進化の系譜だったのだ。

 それがまさか、現代でも遭遇していない宇宙人との邂逅を真っ先に果たすなんて、想定外も外である。

 円盤はゆっくりと高度を下げているように見える。

 実際にゆっくりと下降しているのか、はたまた遠くにあるから動きが小さく見えるのかは分からない。

 兎角、巨大な質量が動いた拍子に大気に乱れが生じた。

「うおっ!?」

 それは暴風という形になって彼を襲い掛かる。

 火は一瞬で消え、折角完成していた土器も飛ばされ、無惨な姿をあちこちに晒していた。

「いやいやいや! 何それ!? ありえんって! マジありえんだろ!?」

 為す術もなく、ただ男は叫ぶことしか出来ない。

 まさかソレに呼応した訳ではあるまい。円盤の船底部、その中心が口を開いた。

 人工の夜空に突如として形成されたブラックホールに、自然と目が吸い寄せられる。

 果たして、吸い寄せられるのは視線だけだろうか。

「お? おっおっ!?」

 ふと、男の周囲を淡い緑の光が包む。

 何処かから光が当てられている、と云うより空間それ自体が光を放っているようだった。不思議な光景である。だが、摩訶不思議はそれに終わらず。

「えっ!? ちょぉ――――っ!?」

 ふわり。男の足が大地を離れた。

 身体全体が浮き上がり、徐々に空へと吊り上げられる。

「いや待て待て待てって!!?」

 まるで空中を泳ぐように手足をバタつかせ抵抗を試みるも、無駄な結果に終わった。

 抵抗するという事は、彼は嫌なのだろうか? この世界で、何時産まれるかも分からない生命を待つよりかは、どのような相手かは全く不明だが、少なくとも星間飛行を可能にする程の知能を持った何者かと遭遇する方が、幾分マシな選択肢に思えるのだが。

 そも今の彼は冷静さを欠いている。そのようなロジックを組み立てられるとは到底思えなかった。

 みるみる大地が離れてゆき、男は恐怖を覚える程の高さにまで吊り上げられる。

 そして遂に、彼の姿は先程の開口部に吸い込まれ、消えてしまったとさ。

 




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