国務尚書が財務尚書と密談を交わしているころ、いっぽうの当事者たるローエングラム伯ラインハルトは自らの元帥府に戻り、幕僚の一人に今後の方針を語っているところであった。
「長期消耗戦略の再構築、か。
あの老人はまったくの無能というわけでもないが、前提条件を不変のものと考えておるようだな。
コルネリアス1世の時代に長期消耗戦略が採用され、100年以上も続けられてきたのは帝国がその全軍を動員することが出来ず、かつイゼルローン回廊の通行権を握っていたことにあるのだ。
あの老人は国力の結集を不可能と考え、それどころか妨害しながら、これまでどおりイゼルローン回廊を通して同盟に消耗を強いる方法を考えよと言うのだからな」
ラインハルトは傍らに控える参謀長に視線を向けた。
「国力の結集を行うための準備が必要でしょうが、今回の兵力再配備はマイナスとなります。
元帥閣下の手にある9個艦隊のうちからボーデンとフォルゲンに少なくとも2個艦隊ずつを配置し、それに対応する支援艦も送らねばなりません。
おそらく、国務尚書は有力諸侯の兵をもある程度辺境へ移動させるでしょうが元来の保有兵力で諸侯軍が勝ります。
『国力の結集準備』においてはヴァルハラ周辺星域であれアムリッツァ方面であれ兵力比較では諸侯軍有利となることは認めねばなりますまい」
「諸侯軍は全くの烏合の衆だが、数はそれだけで意味を持つからな。
一応の数としては、現地諸侯が抱えている兵力もそれなりの意味を持つ。
この上にブラウンシュバイクやリッテンハイム、ヒルデスハイムあたりの兵力が加わればキルヒアイス『大将』も容易には動けなくなるというのが国務尚書の考えそうなことだ」
ラインハルトは辺境に派遣する兵力の指揮を赤毛の親友に委ねること、その地位を常設化し親友の階級を上げる意思を示した。
「元帥閣下、常々申しておりますが」
「卿のナンバー2不要論は聞き飽きた。
1度の作戦航行ならともかく現地根拠地を定めるような時間的規模と距離での兵力再配置に際して、元帥府にナンバー2を設けこれを現地責任者とする以外の方法があろうか。
卿は現地軍の行動決定を複数のナンバー3の合議で成せと言うのか?」
オーベルシュタインの言葉を途中で遮り、ラインハルトは決心を示した。
「お心に留めていただければ幸いです。現地軍の編制については現状のままとなされますか」
「当面の間はアムリッツァでは防衛に徹するものとする。
よって、キルヒアイスに預ける兵力もそれに応じたものとせねばならぬ」
「新しい国家戦略」の像はラインハルトの脳裏にすでに形を結びつつある。
その実現のために排除すべきものと、彼個人の野心とアイデンティティのために排除すべきものは一致している。
国力差があまり大きくない敵国が存在するとき、国家戦略と軍事戦略は不可分である。
しかし混同してはならない。
さて軍事戦略については、今回の措置はその完成形ではなく中途過程である。
イゼルローン要塞に同盟軍があることへの対策は軍事戦略上の重要課題ではあるが、同盟軍がこれまで繰り返してきた愚行をなぞるつもりは全くない。
つまりラインハルトとしてはイゼルローン要塞を奪還するつもりはない。
イゼルローンの存在価値を破壊することが最善である。
ただし、次善の策も準備せねばなるまい。
奪還、再占領を試みるよりは物理的な破壊の方が確実であろう。いずれにせよ、国力の結集に成功してからの話だ。
数日後、ローエングラム元帥府からアムリッツァ星系にある4個艦隊へと通達が届いた。
・10月15日付にてアムリッツァ方面軍を正式に発足する
・キルヒアイス中将は同日をもって大将に昇任し方面軍司令官に任じられる。副司令官はロイエンタール中将を任ずる
・方面軍の定数は4個艦隊とする
・方面軍はボーデン、フォルゲン両星系を根拠地とし、叛徒の侵攻を阻むことを最優先の任務とする
・新たにルッツ中将、ワーレン中将の艦隊が10月半ばまでに支援艦群を伴って根拠地星系に展開する
・支援群の現地展開を待ってミッターマイヤー中将、ビッテンフェルト中将は帝都オーディンへ帰還するものとする
従来の体制においてはイゼルローン要塞駐留艦隊を除いては帝国軍宇宙艦隊は常に帝都オーディンに駐留し、作戦行動の度に堂々たる艦列を組んで征途に上っていた。
今回の再配置は数百年の伝統を覆すものである。
そして通達には補足があった。
アムリッツァ方面軍の発足と並行して、ブラウンシュバイク公爵の私兵がハーン星系に、またヴィーレンシュテイン星系にリッテンハイム侯爵軍が配備される。
これは明らかに前進配備されるアムリッツァ方面軍の後方を扼する意図を示している。
辺境諸侯と方面軍が結びつく事態を回避する手段として合理的に見えるが、しかしある危険を含む。
アムリッツァ方面軍は明らかに帝国軍元帥ローエングラム伯の子飼いの兵力であり、伯がブラウンシュヴァイク公またはリッテンハイム侯と結ぶことがあれば辺境に一大勢力が誕生することになる。
その危険を銀河帝国の事実上の支配者リヒテンラーデ侯が知らぬとは思われない。
ローエングラム伯、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯の間にクサビを打つなんらかの手段、そして三者を掣肘するなんらかの策があるものと思われる。
現地において独立勢力を為す可能性は低い。
ボーデン、フォルゲン両星系はそれなりに経済力を持つ星系ではあるが、宇宙艦船を独自に建造し保守する能力は高いとは言えない。
そのような能力を与えないように歴代の帝国為政者が努力してきた成果でもある。
「……かくして帝国はイゼルローンが同盟の手にある事実に即した新しい戦略配備を定め、それが形になりはじめたと言うわけだ」
遠くフェザーンにあって男はウィスキーのグラスを手に呟いた。
異相である。
一本の頭髪もないその浅黒い顔には事態の推移を楽しむ色が濃い。
「イゼルローン失陥からもうすぐ半年になります。ここまで時間が掛かるのは帝国の制度老化を示すものでありましょう」
側近の言葉に異相の男、中継貿易国家の終身制統治者の地位にあるアドリアン・ルビンスキーは笑った。
「イゼルローン失陥から起算すれば確かに遅いな。
だが同盟が対応強要を示してから起算して考えるならば、帝国の対応は十分に早い。
とは言え、銀河帝国の制度老化と言う君の指摘そのものは正しい。
イゼルローン要塞の失陥に際して帝国政府が辞表を提出した帝国軍3長官を慰留し、いわば宙に浮いた存在としておいたことが結果として役立ったに過ぎない」
ルビンスキーは今回の戦略規模での再配備開始を十分に早いと評し、その早さは帝国軍3長官の権威や立場が「弱いからこそ」であると見解を示した。
「確かに。さて同盟が帝国に対して『対応強要戦略』を採ること、それに応じて帝国が兵力の常設的前進配備を行うことにより、イゼルローンを対称軸として攻守ところを変えた配置が形成されつつあると言えるわけです。
すなわちボーデンやフォルゲンがこの5月までのアスターテやエル・ファシルに相当する存在となり、ヴィーレンシュタインやハーンがエルゴンやシヴァに相当することになります」
ボルテック補佐官はいくつかの地名を挙げた。
アスターテおよびエル・ファシルはイゼルローン回廊の同盟側出口に近い星系であり、これまで何度も戦場となってきた。
その後方を支える軍事拠点となってきたのがエルゴン、シヴァ両星系である。
この構図が帝国領に再現されるとボルテックは指摘した。
「いささか単純化しすぎではないかな?
同盟はアスターテやエル・ファシルを有事には放棄しても良いものとしてきた。
だからこその有事準備船制度だ。
だが同盟を敵国と認めることさえしていない帝国が同じことを行えるものかどうか。
しかもボーデンやフォルゲンは帝国辺境にあってはかなりの有力星系だ。
これらの星系を有事に切り捨てることは難しいだろう。
もっとも、これらは軍事戦略上の新配備に過ぎない」
ルビンスキーは言葉をいったん切り、喉を潤した。
「銀河帝国がアムリッツァ方面軍を常設の派遣軍としてアムリッツァに蓋をする。
これによって同盟が選んだ対応強要戦略の効果が薄れる。
さて同盟の次の手は何か?」
「今のところは、同盟の次の手は見えておりません。
単にアムリッツァで膠着状態を続けること自体が目的と見ることも出来ます」
「ふむ。確かに、この場合には時間は同盟の味方だ。
仮に双方の人的資源が戦闘損耗しない状況が続けば、いずれ同盟の国力は帝国のそれを超えることになる。
……ただし、かなりの時間を要する。その間、よほどのことが起きない限りは同盟側にイニシアティブがあることも確かだ」
言外にボルテックの報告を促す。
「先日入手した同盟軍最高幕僚会議の資料がございます。
今回実施した対応強要は半ば場当たり的なもので、今後数十年続けるような確固たるものではないようです」
「先月の閣議で否決された大規模侵攻をやってくれれば面白かったのだがな。
さてボルテック君、ローエングラム伯が同じ結論に到達している可能性はないかね?
今回の同盟軍アムリッツァ哨戒に対する彼の行動だけを見れば同盟軍の行動に対して後手に回ったように見える。
また帝国政府に対しては軍事上の合理性のみ考えた案を提出した上、前進配備する艦隊の後方を有力貴族の軍に扼されたように見えるが、これをそのまま受け取って良いものかな?」
「それは……ローエングラム伯の近くに情報源を得る努力を続けている次第で……」
ルビンスキーの言葉はローエングラム伯が同盟の戦略方針をある程度把握した上で今回の提案を行った可能性を問うもので、ボルテックは苦しい表情で答えた。
「引き続き努力してもらおうか。さて、帝国の現状と近い将来をどう判断するか」
ルビンスキーの問いは半ば以上確認であった。
「対同盟の新しい国家戦略を講じる前に、彼らは内憂を解決せねばなりません。
今のところ軍事的な行動こそ始まっておりませんが、すでに宮廷内ではゴールデンバウム帝国、ブラウンシュバイク公国、リッテンハイム侯国の3者に分裂しているとさえ言えます。
そしてこれを解消するだけの実力者はおりません」
ボルテックが現状を示し、ルビンスキーは頷いた。
なにより、皇帝フリードリヒ4世がこれを解消するどころか対立の激化を放置しつづけてきた。
皇太子ルードヴィヒの没後ただちに後継者を定めていればこれほど対立が深刻になることもなかったろうが、事実は放置に任せてきたのだ。
もし、今からフリードリヒ4世が後継者を定めたとしてもすでに手遅れだ。
帝国の安寧と自らの繁栄を同一視している種類の貴族たち--その筆頭が国務尚書リヒテンラーデ侯である--は皇帝の決定がどのようなものであれ従うだろうが、ブラウンシュバイク公はその娘エリザベートが女帝となる決定以外を受け入れることはできまい。
同様にリッテンハイム侯もその娘サビーネが女帝となる決定以外を受け入れられない。
もし仮に両門閥の当主その人が受け入れようとも、その周囲に居る貴族たちが同意できぬ。
彼らは「女帝の夫」と言う口約束、あるいは示唆に乗せられてそれぞれブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの周囲に集まっているのだ。
またブラウンシュバイクもリッテンハイムも、仮に皇帝の決定を自ら受け入れたとしても、それを自らの派閥にまで同意させるだけの力を持たぬ。
ここでジョーカーとなりうるのは若き天才ローエングラム伯ラインハルトだが、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯とその取り巻きの軽挙を防ぎあるいは静かに圧殺するには未だ実績が足りぬ。
「オーディン情報によりますと、先日からの同盟軍の消極的な行動を見て有力貴族は同盟軍の戦意と能力を侮り、伯の実績までも低く評価する方向へと認識を改めつつあるようです。
『あのような戦意乏しき叛徒ども相手に重ねてきた勝利など評価するに当たらぬ』という次第で」
「帝国貴族らしい願望と現状の混同だな。
対応強要戦略、古代地球史のころから実績のあるFleet-in-Beingの初歩的応用さえ理解できない」
結論としては、帝国はごく近い将来に大規模な政変に突入する。
それは宮廷での勢力争いで収まる可能性がまだ残っている。
リヒテンラーデ侯が「実績ある軍人」と手を結んだ場合には、ブラウンシュバイクやリッテンハイムとその取り巻きが諦める可能性はある。
「実績ある軍人」の候補としてはまずミュッケンベルガー元帥、次いではメルカッツ大将と言うところか。
ただし前者はイゼルローン失陥に伴いその威信を大きく損ねた。そもそも退役を一度は申し出ているのだ。
要するに威圧の道具としては力を損ねている。
そして後者は政争から距離を置くタイプであり、仮にリヒテンラーデ侯が協力を要請しても謝絶する可能性がある。
それらを考慮すると、実現性と実現時の影響の積が大きなものとなるシナリオ、フェザーンとして優先的に備えるべき展開が自ずと知れる。
すなわちリヒテンラーデ侯がローエングラム伯の武力を頼ってエルウィン・ヨーゼフを擁立し、残り2者との武力衝突を選ぶことだとルビンスキーとボルテックの見解は一致した。
いずれにせよ、より多くの情報を得ねばならない。
ルビンスキーがそれを強調するとボルテックは表情を歪めた。
「うむ、上司というものは部下にある程度の負荷増大を要求する権限があるのだよ。
人員増勢や超過勤務に必要な経費は認める。さて、あらためて同盟の方はどうか」
「先だっての閣議で帝国領への大規模出兵を否決して以降は、内政の充実を優先する声が力を強めております。
これが年単位で続くものか近いうちに出兵論が巻き返すかはまだ判りません。
なにしろあの国の指導者には定見というものがありませんし、現職の議長には閣議をリードする力もなく、むろん世論を形成する力もありません」
「それは承知のことだが、だからこそ短期的利益の動向を見れば彼らの行動が読めるとも言える。
まず、次の統一選挙までに起きそうな利益の変動を見せて欲しい」
ルビンスキーが促すとボルテックはコンソールを操作してある図を表示した。
「目下、同盟は12個艦隊体制への復帰を見送り10個艦隊体制を続けるとしています。
これにより2個艦隊に対応する支援要員500万人が民生へと戻りつつあり、またその経費が他の分野に流用されはじめています。
これによって物流の麻痺と渋滞が緩和されつつあります。
軍縮と人員の振り分け次年度以降も続くかどうかは選挙次第ですが、年度内の経費低減分については他の政府支出に流用される可能性が大です」
ボルテックが示した経費は同盟政府予算の総額に比べるとわずかなものだが、年間予算がその額に及ばない同盟辺境星系の数は両手に余る。
「それを諸星系に細かくばら撒くか、それとも来年度以降を見据えてどこかの星系なりなんらかの事業に集中して用いるか。
それを見れば来年度以降の同盟の動きもある程度は予想できるというものだ」
「我々フェザーンの利益を考えるならば、フェザーンとバーラトを結ぶ航路上に位置するいくつかの星系に投じてくれると有難いところです」
そのように同盟の政財界に工作するか否かをボルテックは問うたのだが、ルビンスキーは首を振った。
「しばらくは静観しようではないか」
両者が共に対応を誤る、あるいは両者が共に対応に成功する場合にはこれまでどおり勢力比の維持に努めるとしよう。
だが、どちらかが成功しどちらかが誤った場合には勢力比が揺らぐことになる。
その対応も考えておかねばならないが、具体案に入る前にスポンサー向けの説明を行っておく必要があるだろう。
ルビンスキーはしばらく側近との状況確認と今後の方針指示を行った後に私邸に戻った。
そして奥まった一室に坐った。
窓のないその部屋は厚い鉛の壁にかこまれて密閉されており、空間そのものが極性化されている。
操作卓のスイッチを入れると、通信装置が作動した。部屋の主たるルビンスキー本人にさえ、それを肉眼で識別するのは困難だ。
なぜなら、部屋そのものが通信装置であり、数千光年の宇宙空間を超え、ルビンスキーの思考波を用いて超光速通信の通信波を変調させて送り出すようになっているからである。
「私です。お応え下さい」
極秘の定期通信を明確な言語の形で思考する。
「私とはどの私だ?」
宇宙の彼方から送られて来た返答は、この上なく尊大だった。
「フェザーンの自治領主ルビンスキーです。総大主教猊下には御機嫌うるわしくあられましょうか」
ルビンスキーらしからぬ低姿勢であった。
「機嫌のよい理由はあるまい……わが地球はいまだ正当な地位を回復してはおらぬ。
地球が過ぎた昔のごとくに、全人類に崇拝される日まで、わが心は晴れぬ」
胸郭全体を使った大きな吐息が、思考波を通して感じられた。
地球。
3000光年ほど隔たった星系の第3惑星の姿が、ルビンスキーの脳裏に浮かぶ。
一言で言えば忘れられ、見捨てられた惑星である。ルドルフさえ無視した無力な惑星。
しかし、その忘れられた惑星こそが、フェザーンの支配者なのだ。
レオポルド・ラープがフェザーン自治領の設立工作に用いた資金は、貧困なはずの地球から出ていたのである。
そして今でもルビンスキーのスポンサーである。
人類社会の現状に対する定型的な呪詛の言葉を総大主教は述べ、そして続けた。
地球こそが人類の揺籠であり、全宇宙を支配する中心である事実を全人類が知るようになるまで、あと2年から4年であると。
「そのように早くでございますか」
「疑うか、フェザーンの自治領主よ」
思考波が低く陰気な笑いを伝え、ルビンスキーを総毛だたせる。
「歴史の流れとは加速するもの。
ことに銀河帝国と自由惑星同盟の両陣営において、権力と武力の収斂化が進んでおる。
それに間もなく、新たな民衆のうねりが加わろう」
帝国において大規模な政変の兆しがあること、内戦に陥る可能性があることはルビンスキーも承知している。
しかし同盟ではどうなのか?
『想像が及ばない』
そのように思念したルビンスキーを総大主教は咎めず、地球教はルビンスキーの想像を超える情報収集能力を持つことを大仰な表現で伝えた。
「両陣営に潜んでいた地球回帰の精神運動が地上に現われる。
その資金調達と組織化は汝らに任せておったが、手ぬかりはあるまいな」
「手抜かりなきよう務めておりますが、最短で2年のうちに大きな動きとなれば私めの非才をもっては間に合わぬやもしれませぬ」
ルビンスキーは謙遜を脳裏に浮かべてみせ、帝国と同盟の現状を手短に報告し、勢力バランスが崩れる可能性を述べた。
仮にどちらかがどちらかを併呑する事態に陥った場合にはこれまで続けてきた勢力バランスの維持による帝国同盟の共倒れにより人類社会を縮退させるという戦略が成立しなくなる。
この場合には、地球教が新体制における国教の立場を占めることで人類社会を支配することが望ましく思われる。
幸い、その場合においてもフェザーンが人類社会の経済と流通の中心であることは変わらない。
地球が人類社会の支配権を回復すると言う崇高な目的にフェザーンが、そしてルビンスキーが貢献できること間違いない。
「殊勝な心がけよな、ルビンスキー。
われらの偉大なる先達は、そのためにこそフェザーンなる惑星を選び、地球に忠実なる者を送りこんで富を蓄積せしめたのだ。
フェザーンがその位置を生かした経済力によって世俗面を支配し、わが地球が信仰によって精神面を支配し……戦火を交えずして宇宙の支配者の地位を地球に奪回する。
実現に数世紀を要する遠大な計画であった。わが代にいたってようやく先達の叡智が実を結ぶか……」
そこで総大主教の思念の波は鋭いものに変わった。
「ルビンスキー」
「は」
「裏切るなよ」
ルビンスキーを知る者がひとりでもその場にいれば、この男でも恐怖に汗を流すのか、と目をみはったであろう。
「こ、これは思いもかけぬことをおっしゃいます」
「汝には才幹も覇気もある……故に悪い誘惑に駆られぬよう、忠告したまでのこと」
総大主教は続けた。
『亡命帝』ことマンフレート二世の死、そしてルビンスキーの前任者ワレンコフの死について総大主教は注意を喚起した。
マンフレート二世は帝国と同盟とを平和共存させる理想を持ち、それを実行に移そうとした途端に急死した。
そしてルビンスキーの前任者ワレンコフは地球の支配から離脱しようと試みた結果、これも急死した。
どちらも地球教による暗殺であることはルビンスキーにとっても既知のことであった。
ルビンスキーは忠誠の意思を思念波に乗せて送り、総大主教はそれを良しとした。
「その殊勝さが汝自身を守るであろう」
そう告げて総大主教は通信を切った。
定期通信を終え、部屋を出たルビンスキーは、大理石のテラスから星空を見上げた。
地球はもちろんのこと太陽--フェザーン人にとっての太陽ではなく、地球在住者にとっての太陽--さえも見えないのは幸いだった。
惑星フェザーンの地表から見上げる見慣れた星空は彼に安堵感を与え、平常の彼の不敵な自信を回復させつつあった。
フェザーンがフェザーン自身のものであるなら、彼こそが人類社会の事実上の支配者であるだろう。
残念ながら現実は違う。
いま現在のところ、スポンサーの意のままに動かねばならない。
しかもそのスポンサーとは歴史を逆転させ、ふたたび地球を人類社会の首都たらしめようとする狂信者である。
そう、いま現在のところは地球がスポンサーである。
だが雇われ商人が新しいスポンサーを見つけてはならない理由、あるいは自己資本比率を高めて独立商人となってはいけない理由は少なくとも彼の周りには見当たらない。
「さて、誰が勝ち残るかな。帝国か、同盟か、地球か……」
呟くルビンスキーの口の端が、異称どおり狐のように吊り上がった。
「あるいは、俺か」
フェザーンと太陽系の距離は3000光年と言うのは原作にある数字をそのまま採りました。
この距離では、ありふれたG型恒星である太陽系の太陽は肉眼では見えない計算です。
そんなことはどうでも良いからそろそろ艦隊戦を見せろと言われそうですが、第一章"Dawn"はあと2話くらい掛かりそうです。
おまけ:国土交通省の推計によると、2010年代の日本での物流従事者人口は約150万人とされます。
日本の100倍の規模を持つ自由惑星同盟ではどうなのか、また他の業種の従事者人口は作者にはわかりません。
ですから、この話の中で示した「500万人の支援要員」が民生に戻ることの具体的な影響は描けません。