銀河英雄伝説 サンフォード炉辺談話   作:mosamosa

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第2章"Ambition"の始まりです。

話の話数を通算でナンバリングするか章ごとにするか考えてみましたが、章ごとにした方が整備性が良いと考えてこの方式としました。




Ambition
第1話 地上勤務と艦隊再編


宇宙暦796年11月上旬、自由惑星同盟 首都星ハイネセン

 

「艦体固定を確認。艦内気密確認。……よろしい、艦内閉鎖用具収め、航行保安用具収め」

 第13艦隊旗艦「ヒューベリオン」は惑星ハイネセンを周回する軍用宇宙港のひとつに入港し、艦長マリノ大佐が入港に伴う最後の号令を発した。

「用具収め良し!」

「よろしい。提督、本艦係留状態となりました」

 応答を受け、マリノ大佐が報告する。

「了解。旗艦総員に上陸許可を発する。……やれやれ、帰ってきた!諸君、お疲れ様!」

 ヤンが大きな声を発するのは珍しいことだが、誰も今回ばかりは驚かなかった。

「死傷者なしに戻れましたな」

 参謀長ムライ少将が確認する。旗艦が最後に入港し、係留状態となったことで第13艦隊全艦の今回の行動は完了したのだ。

 戦死者なし、事故による死傷者なし。

 第13艦隊はアムリッツァ哨戒任務を終え、イゼルローンでの待機を終えて一足先に戻ってきた。

 艦隊の一部の将兵や、ヤン自身を含む司令部要員にとってはイゼルローン攻略以来、実に半年振りのまとまった休暇がもらえるのだ。

 第1次のアムリッツァ哨戒任務を共にした第3艦隊(ルフェーブル中将)、第7艦隊(ホーウッド中将)はまだそれぞれシヴァ星系とエルゴン星系で待機状態にある。

 第2次アムリッツァ哨戒に当たっている第10艦隊(ウランフ中将)、第12艦隊(ボロディン中将)に何かがあった場合、しかもそれがイゼルローン駐留艦隊では対応しきれない事態であったときに備えてのことだ。

 第3次隊として予定されている第5艦隊(ビュコック中将)、第8艦隊(アップルトン中将)が近いうちにシヴァとエルゴンへ前進して、第3艦隊と第7艦隊は前進待機状態から解放されハイネセンへ戻ってくる。

 そして彼らもローテーションの整備休養段階に入る。

 ローテーションの合間すなわち休養再編期間にある艦隊の将兵は当面の間、交代で地上勤務を行う。

 第13艦隊の場合、休養の後は基礎訓練を経て第11艦隊(ルグランジュ中将)との合同訓練が予定されている。

 そして第4次アムリッツァ哨戒部隊として第11艦隊と共にシヴァあるいはエルゴンへ前進し、その場で第2次隊(10F、12F)と交代する。

 その後、さらにイゼルローンへと前進して第3次隊(5F、8F)と交代する。何事もなく進捗するなら、それはおよそ半年先のことだ。

 今後の「各艦隊の一年」は、何事もなければ以下のようになる。

 まずは3ヶ月の整備休養段階。この段階で交代での地上勤務と休暇、艦艇整備を行う。

 次いで基礎訓練による再戦力化と合同訓練を実施する。これも3ヶ月。

 訓練期間の仕上げはシヴァないしエルゴンへ進出しての艦隊対抗演習となる。

 「仕上がった」艦隊はイゼルローンへ進出し、同要塞を起点として90日のアムリッツァ哨戒を実施する。

 その後はシヴァないしエルゴンへ後退して最大90日の待機状態となる。アムリッツァで何事かあればイゼルローンへ取って返し増援となる。

 何事もなければ、その後はハイネセンへ戻り整備休養段階に入る。

 イゼルローン要塞の艦艇収容数に上限があることがシヴァ、エルゴンでの待機を必要とし、一見したところ複雑に見せている。

 また、今のところイゼルローンへの駐留は第9艦隊(アル・サレム中将)と従来の辺境星域警備艦隊が担当しているがこれもいずれは形が変わるだろう。

 休養→訓練→哨戒→待機で1年が過ぎ、その次の一年が始まる。

 ……と言う計画になっている。

 イゼルローンが敵手にあったころも建前上は同じローテーションだったが、待機期間中に「何か」が起きてしまう頻度は高かった。何より、12個艦隊を4単位分割していた。

 今は違う。10個艦隊を4個単位とし、さらに第1艦隊は国内警備、第9艦隊はイゼルローン駐留と言う余裕が生じている。

 

 

 それにしても整備休養段階、そして地上勤務!

 なんとありがたい言葉だろう。自宅や官舎から出勤し、ちゃんとしたスケジュールに従って執務し帰宅と言う生活ができるのだ。

 溜まっている年次有給休暇もこの時期にまとめて消化する。

 ヤンも参謀だったころには積極的に有給を消化したものだったが、司令官となった今回も率先して有給を消化するつもりだった。

 ただし、まだ数時間は艦から降りられそうにない。

 宇宙港の構内がどんな状況にあるか、彼の副官が気を利かせてメインディスプレイに表示してくれた。先に入港した各艦から降りた乗員の列がベルトウェイをうずめている。

 旗艦「ヒューベリオン」の総員にも上陸許可が出ているが、その順番が巡ってくるまでそれなりに時間が掛かりそうだ。

「……気のせいか、我々が出撃したときよりも人の流れが良いようですな」

 パトリチェフ准将が豊かな声量で指摘した。

 言われてみればそんな気もする。

「しかし、旗艦乗員が上陸し、さらにそれを見届けてから我々司令部要員が降りる。あと3時間は見ないといけないな。……司令官、待ち時間に決済事項をいくつか処理しますか?」

 参謀長ムライ少将が答え、そしてヤンに尋ねた。

「緊急案件かい?」

「いいえ、上陸後、明日に地上オフィスでの勤務を開始してからでも処理可能な案件です」

「明日できることなら明日にしよう。上陸の順番が来るまで、司令部要員も自由時間とする。総員の上陸完了予想時刻は?」

 ヤンの副官がハイネセン標準時の19時と即答した。

「では諸君、明日の朝に地上オフィスで会おう。さて、上陸順まで私は私室にいるから、何かあったら呼ぶか、公室に来てくれ」

 ヤンの答えは司令部要員と艦橋要員全員の予想の範囲内だったようだ。

 指揮卓から降りて、艦橋のすぐ後ろにある司令官室へ戻る。

 司令官室は公室と私室で構成されている。

 公室とはいわゆる執務室で、小規模な会議室でもある。

 私室は慣習上そう呼ばれているがもちろんヤンの私的な財産ではない。「執務室ではない」くらいの意味しかない。

 空間と機能としては、他の乗組員や司令部スタッフの個室と似たものだ。

 艦隊司令官の持つささやかな特権として、私物の持込許可量が他の誰よりも多い。といっても手荷物の範囲でしか許可されないので、ヤンの腕力で運べる書籍と飲料くらいしか置いていない。

 そして司令官職という激務の象徴として専用タンクベッドなどと言うものがある。専用タンクベッドも特権だと言う司令官も居るらしいが、ヤンはそうは思わない。今回の任務ではほとんど使わずに済んだが、イゼルローン要塞攻略時には何度もお世話になった。

 その私室に戻って襟元を緩め、さてこの中途半端な時間をどうするか何も決めていないことに気付いた。上陸順序が来たとしてもすぐに上陸しないといけない……わけではないが、そうした方が好ましい。

 たとえばヤンがこのまま夜中まで熟睡して、その間はヤンひとりを地上に下ろすためにシャトルを待たせておくなんてことも出来るが、あまり良いことではない。

 タンクベッド睡眠を3時間とれば通常の睡眠で言うと半日以上も熟睡したのに等しいリフレッシュ効果を得られる。それを実施して、地上オフィスへ戻り次第ばりばりと事務仕事をしてみるのはどうか。

 却下。

 ひとつ、ヤンが突如として勤勉になったら軍医を呼ばれるだろう。

 ふたつ、司令官がそんなペースで仕事をしたら司令部スタッフに迷惑が掛かる。

 みっつ、すでに「司令部の業務再開は明日の朝から」と通知済みである。

 明日の朝から地上オフィスで行うべき仕事について考えてみた。

 すぐにうんざりしたので止めにする。

 艦隊は軍戦力単位であると同時に行政府の一部署でもあり、司令官は戦闘指揮官であると同時に行政官でもある。

 休養ローテーション中にも仕事はある。

 特に多い業務が各戦力単位の人事関連だ。

 退役あるいは予備役に入るものの穴埋めを行い、今回は無いが戦死者があればその除籍に伴うありとあらゆる事務作業も行わねばならない。

 これらの業務に際してはもちろん、後方勤務本部が全面的に支援してくれる。

 しかし、補充されてきた新兵を各艦の部署に配置してそれでおしまい、ではみんな休暇を楽しもう、というわけには行かない。

 部署訓練、艦単位での訓練、戦隊単位での訓練、分艦隊訓練を行い、最終的に艦隊と言う巨大な兵器として再び使える状態にするまでの膨大な作業が待っている。

 もちろん全ての部署の全ての将兵に休養期間を与えはするのだが、その復帰を待つ間にも司令部の仕事はゼロにはならない。

 将兵が休んでいる間に艦艇の修理と整備の手配、老朽艦の除籍、新造艦の受領といった業務もこなさないとならないのだ。

 もちろん艦隊が行動中の場合に比べればずっと業務量は少なく、だから司令部要員も交代で休暇を取れる。

 その休暇表(または勤務表)はすでに参謀長ムライ少将の手で作成されてヤンが承認しているので、今日、上陸待ちの3時間は本当にすることが無い。

 ヤンの休暇は上陸後1週間ほどしてからで、その事実を思うとこの3時間は仕事のことなど考えたくもなかった。

 というわけでヤンは私物の書籍をいくつか手にとりかけて止めにして、酒瓶とグラスを手にとった。

 

 酒の肴は銀河帝国に生じた兵力の再配備と政変だ。当面はヤンの仕事に直接は関係しないだろう。

 おそらくは今回の同盟軍の行動に対応して、銀河帝国軍は兵力の再配備を実施した。

 アムリッツァから3日の距離にあるボーデン、フォルゲン両星系に合計4個艦隊を配置しこれをアムリッツァ方面軍と呼称する。

 これは同盟軍の侵攻を抑止する配備に見える。

 しかし、その後に生じた政変すなわち皇帝フリードリヒ4世の崩御と新帝エルウィン・ヨーゼフ2世の即位を経て眺めると、違った意味を持つようにも思えてくる。

 視点を変えるとローエングラム伯、もとい侯爵がオーディンの主力とアムリッツァ方面軍を用いて有力貴族の領地を挟み込むように、有力貴族たちに二正面決戦を強いるようにも見えるではないか?

 考えすぎだろうか。

 この配備を挟撃体制として活かすには、同盟軍が動かないあるいは動けない状況が必要になる。

 同盟軍が自由に動けるならば、さらにはもし同盟政府と帝国貴族の間に密約でもあれば、二正面作戦を強いられるのはローエングラム侯の方になる。

 グラスを片手にそんなことを考えていると呼び出し音が響いた。

「ムライです。公室への入室許可を求めます」

「どうぞ」

 まだ全く中身の減っていないグラスをどうしたものかヤンは少しだけ考えて、まず酒瓶を公室会議机に移動させながらムライ少将を公室に迎えた。

 ムライ少将は会議机に移動したばかりの酒瓶を目にして眉をひそめた。続いてヤンが中身入りと空の二つのグラスを手に私室から姿を現したのを目にして肩を竦め、ヤンの対面に座った。

「……いただきましょう」

「ということは、酒の肴になるような話だね、少将」

 空のグラスに手ずから酒を注ぎながらヤンは確認した。

「まあ、そうですな。司令官のお考え次第では、明日以降の司令部勤務表に変更を要するかもしれません」

 聞きながらヤンは酒を注いだばかりのグラスをムライに差し出した。

「休暇のスケジュールは変えたくないね。司令部のスケジュールだけで済むようなものかい?」

「恐らくは」

 答えて、ムライはグラスと交換するかのように情報メディアをヤンに手渡した。

「軍事シミュレーションの実施命令が来ています。命令者は評議会議長」

「我らがチェアマンは第13艦隊をご指名かい?……違うようだね。在ハイネセンの全司令部、および同盟軍戦略研究所、さらに戦史編纂室宛か」

 

 ヤンはとくに気にせず読み上げたが、この時点で「在ハイネセンの全司令部」とはつまるところ統合作戦本部の作戦部、宇宙艦隊司令部、統合陸戦隊司令部、第1艦隊司令部(クブルスリー中将)、そして現在ハイネセンで再編中の第11艦隊司令部(ルグランジュ中将)を示す。

 さらに戦略研究所と戦史編纂室がこのシミュレーションの実施を命じられており、添付されたシナリオ集に現在取り組んでいる人数は将官だけでも50人を超える。

 

 この時点ではヤンもムライも知らないことだが、この中でもっとも意欲的にシミュレーションに取り組んでいるのは宇宙艦隊司令部である。

 宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は作戦参謀フォーク准将にシミュレーション専従プロジェクトチームを編成させて取り組ませている。

 しかしそれらの事情をヤンとムライが知るのは翌日、宇宙艦隊司令部の地上オフィスビルでのことである。

 

 公室情報端末にメディアをセット、まず表題から読んで見る。

「我が艦隊の将兵の上陸第一陣がハイネセンに降りたことで、第13艦隊も条件を満たして自動送付が行われたようですな」

「となると、まずひとつ。複数の司令部にやらせるほどの分量なり重要性がある。ふたつ、すでにある程度は他の司令部が進めている。……今日のところは酒席の話題で済ませたいね」

「そもそも、連続勤務で疲労状態の人間が複雑な作業をしてもロクな成果は出ませんからな」

 謹厳実直な参謀長がヤンに影響されて仕事を怠けるようになったわけではない。

 人間に休養が必要だと言うのは、単なる事実だ。

「……ふむ、『帝国内戦の見積もり』か。仮にわが方が介入する場合に用いてよい戦力は4個艦隊まで。4個艦隊の同時動員期間は1ヶ月以内といきなり明記されている。が……」

「帝国側の陣営については見積もり幅が非常に大きく取られています。帝国政府軍としてローエングラム元帥府直属の9個艦隊から全軍18個までを想定、帝国反政府軍あるいは貴族軍については兵員数にして2000万から3500万。我らが同盟政府が帝国の内情を把握しきれていないのか、あるいは我々にも情報源を明かしたくないのか、いずれかでしょう」

 ムライは手元の蒸留酒に氷を足しながら答えた。

「だろうね。やはり明日、司令部要員が地上オフィスに揃ってから着手することにしよう。上陸待ち時間に幕僚の呼集は行わない。また、休暇のスケジュールを変えることはしない」

 ヤンは答えると、さきほどから会議机の上で待っていた酒に彼の喉を通る権利を与えた。

「速報性よりも精度を要求する類のシミュレーションであるとお考えですか?」

「うん、帝国側の両陣営の兵力をどう設定してもある結論だけは動きそうにないからね。政府の求めるものは、ケース別の詳細だろう」

「結論とは?」

「帝国政府軍がアムリッツァ方面軍を自由に動かせるなら、反政府軍は過程はどうあれ2正面作戦を強要されて敗北する。反政府軍に勝機があるとしたら2ケースのみ」

「シンプルなケースとしては、我々、自由惑星同盟軍が反政府軍の味方につく場合ですな」

 ムライもヤンと同様の結論をすでに出していたのだろう。

「そう。そしてもうひとつはその亜種だね。アムリッツァ方面軍を我々が内戦の初頭に壊滅させ、あとは何もしない。この条件において、さらに反政府軍が優秀な指揮官の下で一本化された場合だ」

 ヤンは答え、ふた口目のウイスキーを口に含んだ。ムライも静かに頷き、グラスを口元に運んだ。

「……といったところは基本条件を見るだけでおおよそ判ると思うが、どうだろうか」

 ふっと息を吐いてヤンは確認を求めた。

「同意します。我々どころか、士官学校の生徒でもこのくらいは判るでしょう。政府が求めているのはいくつかの変数を設定しての詳細分析かと思います」

「うん、そしてそれは上陸待ちの短い時間でどうにかできることではないし、一部は他の司令部がすでに実施しているはずだ。また、参謀長もそう考えているからこそ、この件を酒の肴にしている」

「大筋は司令官の言われるとおりですが、部分的には違います」

「?」

 ヤンの口元でグラスが静止した。

「正論を形式ばって唱える役割と言うものは肩がこるものです」

 ヤンは数年ぶりにムライの笑顔を見た。

「……肩こり解消にもう一杯、どうだい」

 ヤンはグラスを会議机に下ろし、酒瓶を手にとった。

「いただきましょう」

 いつもどおりの表情で、ムライがグラスを差し出す。

「……ところで、わが方の動員が最大4個艦隊、期間も1ヶ月以内と言うのは明瞭な意味を持ちますな。ローテーションを一度、一ヶ月繰り上げる以上の出費と出兵はしないという政府の意図を示しています」

 グラスを空にしてからムライが呟いた。

 謹厳な参謀長が意外に酒に強いことをヤンは初めて知ったが、ヤンの酒量が少ないらしいと考え直した。

「たぶん、我々とは別のところで結論が出ているんだろうね。民力休養、国力回復と並行して運用できる軍隊の上限と言うものが」

 購入したときの想定よりいささか高い消費率を示している酒瓶を見つめてヤンは答えた。

 何事にも予想外ということはあるものだが、さて、政府の分析は正しいのだろうか。正しくあって欲しいものだ。

 過去には3個艦隊以上を同時に動員したことがほとんど無い同盟軍だが、そのころ、12個艦隊体制かつイゼルローンが敵手にあったころのローテーションは6個艦隊が戦闘可能状態に置かれ3個艦隊が訓練中と言うかなり厳しいものだった。

 それに比べると今はかなり楽が出来るローテーションではあるが、今の同盟はこの状態と規模の軍隊を支えられるのかどうか。

 

 翌日朝から、ヤンは司令官として初めて艦隊の休養再編期間の任務についた。

 やってみると「休養期間」だというのにけっこう忙しく、なんと宇宙艦隊司令部ビルの一角を占める第13艦隊地上オフィスへの登庁直後からほとんど執務デスクを離れることが出来ない。

 同じ建物の上階、宇宙艦隊司令部オフィスに30分ほど参謀長のムライ少将と艦隊副司令官のフィッシャー少将を伴って赴いた以外は、決済と指示に追われて過ごすことになった。

 とは言え戦闘よりは遥かにマシで、参謀長と副官が立てたスケジュールに従って執務できるのはありがたい。

 なによりもヤンが過去に経験した艦隊再編期間の業務に対して最も違うことは、戦死者の除籍と遺族への通知文作成と言う業務が無いことだった。

 艦隊司令官として過ごす初めての再編期間に、かつて参謀として仕えた司令官たちがもっとも苦悩していたこの業務をこなさずに済むことはヤンにとって何より嬉しいことだった。

 次回のアムリッツァ哨戒は予定では半年後に始まり、その3ヵ月後に終わる。

 そのように予定どおり進み、そして他の艦隊も戦死者を出さずに済めば良いのだが……。

 

 現在、再編が行われているのは第13艦隊だけではない。

 同盟軍宇宙艦隊そのものが、イゼルローンがわが方の支配下にある前提での10個艦隊体制と言う体制へと再編されつつある。

 現在はバーラト星系外縁で対抗演習を実施している第5艦隊(ビュコック中将)、第8艦隊(アップルトン中将)も同様だ。

 とはいうものの将来、どのような艦隊が整備されるべきかはまだ定まっていない。現状で行われていることは老朽艦艇の退役と、新型艦艇への更新作業が主になっている。

 軍縮により同盟経済を立て直すことが優先されてはいるが、だからと言って艦艇や各種兵器、補用部品の生産を行う軍需産業までもが大幅に縮小されたわけではない。

 これは軍事戦略ではなく国家戦略によってしか定められない類のものだ。

 同時に、経済見通しと軍事戦略との整合もまた欠かせない。たとえば数年間だけ同盟経済の再編を行うことで得られる経済的余力だけで銀河帝国を打倒できると想定するのか、それとも20年や40年の歳月が必要なのか。

 あるいは、銀河帝国の打倒を軍事力に依ること、すなわちオリオン局所枝への侵攻それ自体を行わないのか。

 それによって今後必要な軍備は変化する。

 

 そしてもちろん、それは軍人が決めて良い話ではない。最高評議会が決めて上院下院で承認されるべきことだが、任期切れの近い今の政権が行えることはたぶん、次回の選挙へ向けて選択肢を提示することだろう。

 来年1月の統一選挙によって、民意がそれを決める。

 ……適切な選択肢を現政権が提示してくれることを願うばかりだ。

 

 さて、政府に選択肢を作ってもらうための参考資料を軍事の専門家として作る仕事、つい昨日舞い込んできたシミュレーションシナリオ集の消化と言う任務も待っている。

 上級司令部たる宇宙艦隊司令部が精力的に取り組んでいるから第13艦隊では後回しして良い、と言うわけにも行かない。

 それどころか「第13艦隊でも専従チームを編成して掛かれないか」と宇宙艦隊司令長官ロボス元帥に眠そうな声で問われてしまったほどだ。

 ヤンが返答に迷っている間にムライが「時間を捻出して第13艦隊司令部全員で対応する」と回答した。

 その回答は宇宙艦隊司令部の作戦参謀フォーク准将にはやや不服なようだったが、ロボス元帥はムライの回答を了とした。

 

 そんなわけで今、その時間を捻出するために忙しく決済処理を行っている。

 第13艦隊は歴戦の精鋭と気鋭の新兵の集合体、言い換えると敗残兵とルーキーの寄せ集めなのだがそれはハードウェアにおいても同様だ。

 艦隊にはワープの度に艦体に振動を生じる、いささか運用に不安のある艦も含まれる。

 そういった艦をどうするかの措置もこの期間の仕事のひとつだ。

 補強工事で済む艦、退役させて新造艦に置き換える方が安い艦、とりあえずそのまま使う艦……。

 艦隊次席旗艦、つまり副司令官フィッシャー少将の座乗艦である戦艦「アガートラム」に対して船体補強工事の申請と、工事を行うスタッフと機材の手配書を決済して上階へ送る。

 承認されれば「アガートラム」は来月から、ヤンの「ヒューベリオン」の隣の桟橋(古代地球時代からの慣用語)を離れてドック入りし、補強工事を受けることになる。

 ヤンの旗艦、戦艦「ヒューベリオン」にも要整備箇所がいくつもあるが、それは桟橋に係留したままで行える範囲とされている。

 その決裁書にサインして上階へ、宇宙艦隊司令部へと送る。

 ヤンが時計を見ると標準時の15時を指そうとしていた。

 そしてほぼ同時に、オフィスのあちこちで伸びをするもの、立ち上がってコーヒーを取りに行くものがあらわれた。偶然ではない。

 しかしヤンがそのように計らったわけでもない。

 計らったのはムライである。

 

「本日の事務仕事はここまで。定時まではシミュレーション室でちょっとした作業を行う」

 ヤンはそう宣言し、自ら紅茶を取りに立ち上がった。




サンフォード議長が誰に相談するかは感想欄や、一部のweb掲示板で話題になっていたようですが正解は「動員できる限りの専門家」でした。

ローテーションの前倒しの限界については、財政委員会と経済開発委員会に諮って決めるシーンを描こうかと思いましたが冗長になりすぎるので省きました。

なお、艦隊ローテーションは原作の外伝から推測した12個艦隊体制時代のものを、本作の10個艦隊体制に合わせて設定したものです。

つまりこの二次創作かぎりの設定です。

また、司令官室に専用タンクベッドがあるというのも原作にない設定です。元ネタは旗艦設備を持つ海自護衛艦には司令官専用の檜風呂があることです。

数行空けてネタバレ









以下にネタバレ

サンフォードには特定の軍人をアドバイザーとして引き抜く意図はありません。
史実(原作)において特定の軍人から持ち込まれた案に基づいて同盟を破滅させたことを覚えているためです。

「ヤンが艦隊から引き抜かれて政権のアドバイザーになる」展開をお望みの読者がいらしたら申し訳ありません。
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