とりあえずいくつかの有力者の動きを描いて見ます。
宇宙暦796年、帝国暦では497年11月末のことである。
帝国宰相リヒテンラーデ公爵は内憂を先に片づけることにしたが、できるだけ小さな損害で大きな利益を得たいとも思っていた。
可能な限り多くの有力貴族を反乱に参加させる。
敵を減らし味方を増やすという政争戦争の大原則に反するようだが、この場合は「敵」に回る貴族が多ければ多いほど、鎮圧後に国庫に入る財産は大きい。ただし鎮圧できないような勢力になってもらっては困る。
その思案はいくつかの形で現れた。
たとえばこのような宰相談話が発表された。
「新帝エルウィン・ヨーゼフ2世陛下は近く6歳を迎える幼少の身なれど、すでに英邁なる気質を示されている。いずれマクシミリアン・ヨーゼフ2世に比肩される名君となられるであろう」
ほとんどの貴族たちはこの談話に失笑するのみだったが、大真面目に受け止めたものもあった。
まだ5歳では新帝の人格や素質など論じようもないが、この宰相の発言は晴眼帝の事跡に倣って門閥貴族の領地経営について介入を行う意思表明であり、場合によっては追放や領地召し上げを行うという示威である。
現在、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が手を組み、新体制を覆す意図を持って盛んに活動している。
新帝を擁するリヒテンラーデ公すなわち帝国政府と、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が形成しつつある反政府勢力がある。そのどちらへ付くべきか。
宰相談話を真面目に読めば明らかである。
宰相談話の意味を理解できる程度の判断力がある有力貴族たちは、ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合とでも言うべきものへ味方する方向へ傾いた。
ごく少数の貴族は宰相談話を文字通りに受け取った。
具体的にはランズベルク伯アルフレットなる人物であるが、この宰相発言に大いに感激し新帝への忠誠を誓ったのである。
彼にとって年若くして即位した少年皇帝というものは英邁な天才児であらねばならず、宰相談話は彼の願望を大いに充足させるものだった。
少年皇帝の実像がランズベルク伯のもとに届かなかったのは幸いであったろう。
ひとつには宰相リヒテンラーデ公の指示を受けた宮内尚書が新帝即位の少し前から、エルウィン・ヨーゼフ少年に接するものの人数を極端に絞り込んだことが効果を発揮していた。
もちろんリヒテンラーデ公はランズベルク伯に配慮したわけではない。知る者は極少数に限られているが、より切実な問題があったのだ。
即位直前のエルウィン・ヨーゼフ少年は自分が皇帝になると聞かされて目を輝かせて言ったのである。
「では、ちちうえと、ははうえのかたき。あのブラウンシュヴァイクめとリッテンハイムめをみな、よのめいれいでしょけいできるのだな」と。
皇太子夫妻の早すぎる死の背景に何かがあったのかどうかは、彼クラウスでさえも知らぬ。
あるいはエルウィン少年の発言は事実を言い当てているのかもしれないが、クラウスは隣りに控えていた宮内尚書と共に慌てて説かねばならなかった。
「大帝ルドルフの定められた法により、帝国においてはたとえ皇帝たりとも、確かな証拠なしに人を裁くことは出来ないのです」
もちろん大嘘である。しかし今はその嘘が必要だった。
リヒテンラーデも宮内尚書も帝国の統治機構にあって重責を担うものだが、決して銀河の向こう側の政治家たちのような意味では人権を重視しない。しかし無視はしない。刑罰と言うものは軽々に扱えば有力な貴族を反乱に追い詰めたり、あるいは帝国に大きく貢献するはずの有能な臣民を同盟に亡命させることになるなどして国力を落とす。
クラウスにとって帝国の繁栄と自らの繁栄は等しい意味を持ち、帝国の衰退は自らの衰退である。
また帝国政府が臣民の生命財産を皇帝や有力者の気分次第で奪うようなことを減らし、有力者の気分次第の冤罪も減らすことはそのまま臣民が帝国の統治機構を信頼することにつながり、統治被統治の関係が安定する。
この点で--女色関係以外では--全く何もしなかった先帝はそれだけで名君と言える。
幼児の気まぐれで先帝の長い治世の間に得られた統治の安定--停滞とセットであるにしても--を揺るがすことは、今や帝国宰相となったリヒテンラーデ公クラウスには認められないことだった。
同じ理由から、その日を境にエルウィンの身の回りにある者を総入れ替えし、養育方針も入れ替えた。皇太子夫妻の死についてエルウィンに噂を吹き込んだものが誰かという調査は後回しである。
最優先されているのは、エルウィンに自らを立憲君主であると錯覚させることである。これには幼児用の睡眠薬と鎮静剤の処方まで含む。
むろんゴールデンバウム王朝の皇帝は専制君主そのものである。
クラウスもそれは熟知している。
だが、史上最年少で即位したエルウィン・ヨーゼフ2世に関しては分別のつく年齢になるまでは自らも明文法と慣習法の双方に従う立憲君主だと思い込んでいてもらう必要がある。
幼児の気まぐれで処断されるのがブラウンシュヴァイクやリッテンハイムの類だけであるなら結構なことだ。
しかしクラウスはじめ、本当に帝国に貢献しているものまで処断されるようでは幼い新帝にとっても、帝国の繁栄と言う面からも、もちろんクラウス個人にとっても、本当に困るのだ。
クラウスの意思どおりに発言する腹話術の人形になってくれるなら専制君主でも良いと言いたいところだが、クラウスはそこまで病んではいない。
リヒテンラーデ公クラウスがこれまで操ってきた人間は程度の差はあれいくらかなりと分別のあるものに限られている。衝動を制御することは熟練の陰謀家にも出来ないのだ。
さて公爵の思念は別の形でも示された。
副宰相兼財務尚書ゲルラッハ伯爵が次のように語ったという噂が広く平民にまで流された。
「昨年のカストロプ動乱によって帝国の国庫事情は大きく改善された。近く、さらに大きな国庫の改善がなされ、帝国臣民に広くその恩恵がもたらされるであろう」
これはそのまま素直に読んでも、明らかに有力貴族に対してなんらかの口実を設けて討伐し、その財産を没収する意思表示である。
それにしても「帝国臣民に広く恩恵をもたらす」とは帝国を支える貴族に対してなんと傲岸無礼な言葉であろうか。
まるで貴族が不当に利益を独占し平民を虐げているかのように聞こえるではないか。むろん、すべての貴族は「人類の救世主」大帝ルドルフの遺訓を守り、それぞれにゆだねられた領地で善政を行っている。
かつて銀河連邦が民主主義なる欠陥制度のもとで行った悪政とは比較にならない良い暮らしを臣民にあまねく提供しているのである。
彼ら貴族たちの主観では。
この崇高なる義務の実務者たる貴族に対してこの噂は真っ向から冷水を浴びせるに等しく、いずれゲルラッハに真意を糺さねばならぬ。
いや糺すのみでは足らぬ、我ら貴族を侮辱した罪に問わねばならぬ。ではどうするか。
これにより、先帝の二人の女婿ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯を中心とする貴族の集団が武力集団の形をとり始めた。
私兵の動員準備が完了次第、彼らの主観による「奸臣を討ち帝政を正す義挙」に踏み切るつもりである。
彼らの家臣には私兵の動員準備だけでなく統一した指揮系統と支援体制を形成しようと主君を諌めるものもあったが、頭に血が上った貴族当主たちの答えはどれもほぼ同じであった。
「当主自らが兵士を率いて、君側の奸たるリヒテンラーデとゲルラッハを撃つ」というものである。また彼らは挙兵の日の前倒しを図った。
ほかならぬ盟主ブラウンシュヴァイク公、副盟主リッテンハイム侯もその点では一致した。彼らが早期の挙兵を思いとどまったのは「誰が実戦部隊の長となるか」が決定できなかったからに過ぎない。
しかもそれは、「有能な指揮官が不可欠」という常識的な認識によるものではない。
当初はブラウンシュヴァイク公が自ら貴族連合軍の実戦部隊を率いるつもりであったが、これはリッテンハイム候に反対された。
リッテンハイム候はもっともらしい反対の理由を述べたが、「ブラウンシュバイクに武勲を立てさせたくない」という本音があることは明らかだった。
しかしリッテンハイム侯はまさに自らの発言により、自身が貴族連合軍の実戦部隊を率いる機会を逃すことになった。
さて、では誰をして貴族連合軍の実戦部隊指揮官に充てるか。
参謀長としてシュターデン中将を充てることは決まったものの、そこから遅々として話がまとまらない。
さて、貴族連合軍の内情の一部は複雑な経路を通し、リヒテンラーデ=ローエングラム陣営に届いた。
「きゃつらがここまで無能であったとは、過大評価しておった。そしてきゃつらの家臣団が有能であることを承知のつもりであったが、過小評価しておった」
帝国宰相リヒテンラーデ公クラウスは嘆いた。
有力貴族というものは程度の差こそあるが、家臣に支えられて立っているものである。
代々の名門の当主ともなれば、妙に自身の才気を誇ろうなどとせず、無難にお飾りを務めることができればそれで務まる。
有能な家臣の提言を活かすことが出来ればそれでよい。人間の姿をしたマイクとスピーカーのセットで構わないのだ。
その極端な事例はゴールデンバウム王朝の幾人かの皇帝で、ひたすらサインと押印と文書読み上げだけをこなして名君と呼ばれた事例がある。
一代でなりあがろうとするならば、有能な家臣を集めるというそれだけでも本人の才能と努力を要する。たとえばローエングラム家を継承しまた元帥府を開設して以降の金髪の孺子がそれに努めているように。
名門の一族で高い地位にあるなら何もしなくても人材は集まってくる。代々に渡りそれを受け継ぐことに成功すれば、家臣の提言そのままに振舞うだけでよい。
たとえば、これまでのところブラウンシュヴァイクやリッテンハイムの歴代当主はそうしてきた。
それさえ出来ず、家臣の言うことも聞けないならば本当の愚物と言うもの。
このあたり、ヒルデスハイム伯爵やフレーゲル男爵あたりはどうであろうか?
親から受け継いだ家臣団の言うことを聞けているか?
一度や二度は失敗しても良い。失敗を認めてそれを繰り返さないようにすることが出来るか?つまり、「今後は家臣の提言を聞こう」とすることが出来るかどうか。
門閥貴族の当主に限らない。失敗を認めてそれを繰り返さないための工夫なりなんなりが出来るかどうかは、平民から官僚のトップに至るまで要求されることである。
本人がなんでも出来る天才である必要などないが、門閥なり官僚組織なり軍組織なり、あるいは民間企業やその部門を率いるならば下に付く人間を活かせるかどうかは重要なことである。
もし、リヒテンラーデ公クラウスがヤン・タイロンなる同盟の商人(故人)の言葉を聞けば大いにその内容を認めたであろう。
故ヤン・タイロンいわく、
偉人なら1度の忠告で改める。
普通の人なら2回も忠告されれば顧みる。
出来の悪い奴でも3度も忠告されれば考え直す。
それでもダメな奴は見捨ててよろしい。
というもので、クラウスが部下に何かやらせるときに用いてきた基準とほぼ等しい。
もちろんこの基準はある程度高い地位を占めているあるいは占めようとしている人間に対するものである。
さすがにクラウスも、たとえば大学を出て国務省に任官したばかりの新人官僚に「3ストライクアウト」方式は採らないし、また新人に仕事上で接する機会の多い下級管理職の人間には「長い目で見るように」命じている。
クラウス自身、新進気鋭の新米官僚だったころには細かい失敗を二度や三度どころではなく繰り返した。何度も当時の上司に注意されることを繰り返しながら仕事を覚えた。
そのことを覚えている。
クラウスがリヒテンラーデ家の人間であったことが、同期入省の平民そしてかなりの貴族の若者に比して有利に働いたことは認めよう。だが同時に、同期の有力貴族家の若者との競争には自力で勝ち抜いてきたことも覚えている。
さて、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムは今回、重大なミスを犯している。新人官僚のそれのように今後を期待して許してもらえるたぐいのものではない。
特にローエングラム侯やメルカッツ帝国騎士がそれを聞き逃し見逃すことはありえない。
今回、ブラウンシュヴァイクが自ら陣頭指揮を執ることにリッテンハイムが反対した理由、またリッテンハイムも陣頭指揮を執れなくなった理由、そして未だに実戦部隊指揮官が定まらない理由はあまりにも重大でありすぎる。
こともあろうに「指揮を取らせたら勝利してしまう、武勲を立ててしまうから」とは!
彼らは勝てるつもりでいるのだ。あの戦争の天才、ローエングラム侯ラインハルトに!万一それを成し遂げたとしても、それなりに損害を蒙った手勢を率いて名将メルカッツを相手に勝たねばならないのだ。
不平貴族どもは自分たちにそれが出来ると思い込んでいる。
今、内戦の準備に掛かっている不平貴族たちのいかに無能か、これひとつで知れよう。
その彼らが有力貴族でありつづけてきた理由はひとつ、有能な家臣団の存在に他ならない。
貴族家の当主に対して個人的忠誠を誓っているものもあれば、当主が与える給与や待遇に忠誠を誓っているものもある。
さらには忠誠など誓っておらず当主を復権不可能な形で破滅させるために密かに活動しているものもある。
それらの者たちが貴族たちの内情を宰相府に伝えているのだが、まさにそれが宰相の嘆きの種であった。
有力貴族の当主たちがリヒテンラーデ公クラウスの予想を越えて無能である事実は、そのまま各貴族家の家臣団が予想を越えて有能であることを示す。
当初の構想では有力貴族の当主やその係累と共に全て処刑するつもりであったが、この内憂を片付けた後に控えている強力な外敵すなわち自由惑星同盟との戦いを考えると、有力貴族が抱えている有能な家臣団とは帝国の、皇帝陛下の支配下にあるべき貴重な財産であると思える。
とくにその忠誠心の対象が報酬や待遇であるものについては、なんらかの形で罪を償わせた後により良い報酬と待遇で報いることで取り込み可能であろう。
そのためには……?
「実戦経験においても、演習で指揮下に動かした兵力においても、武勲においても貴族連合軍のどの当主も宇宙艦隊司令長官ローエングラム侯や統帥本部総長メルカッツ帝国騎士の足元にも及ばない」と言う事実に、貴族家の当主たちが気付かないのは仕方ない。
彼らは自分の足で成功まで歩いたことが無いのだ。彼らにとって成功とは命じれば家臣が実現してくれるものである。
彼らの有能な家臣団こそが彼らをスポイルしている。
さて、その有能な家臣団には情勢の不利に気付く能力があるのではないか?
だとするならば、むしろ帝都オーディンにあるうちに暴発させ警察なり憲兵なりを用いた方が良い。
ローエングラム侯やメルカッツ帝国騎士といった大きな武器を用いて病巣をその周囲の役立つ部分までまとめて切除するのではなく、警察や社会秩序維持局、あるいは憲兵といったメスを用いて摘出し縫い針で閉じることは出来ないか。
この場合、方法を選べば貴族当主へ忠誠心を向けている人物をも取り込むことが出来る。
当主をどこかへ軟禁し生殺与奪を握ってしまえば、それだけでその家臣団の忠誠を帝国そのものへ向けさせることが出来る。
「……と、言ったところであろうな」
「御意」
ラインハルトが帝国宰相の思案を推測してみせると元帥府参謀長のオーベルシュタインが肯定の意を示した。
彼も貴族たちを激怒させ暴発させるための辛辣な策謀をいくつか準備していたのだが、宰相府が連日行っている貴族への挑発行為とその影響を見るに、取りやめた方が良さそうだ。
貴族どもが宇宙を舞台とした戦闘を選ばず帝都におけるクーデターを選ぶようでは、彼ラインハルトとその部下たちの出番が無くなるのだ。
ラインハルトが見るにクーデターを選んでも貴族連合軍には勝ち目がほぼ無い。
地上戦において貴族連合軍が取るに足らないと言うわけではない。
恐らく地上戦においては銀河最強の存在であろう装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将がどうやらこの叛乱の企てに参加するらしい。その腹心の部下たちもどうやら参加する様子である。
これを相手に同規模部隊でなんとかしようとするなら銀河の向こう側から「薔薇の騎士」連隊を借りてこなくてはならないだろうが、むろんラインハルトには戦争や政争と学生スポーツを混同するような趣味はない。
帝国軍憲兵隊の指揮権を持つメルカッツ元帥にも、警察や社会秩序維持局を動かす立場の閣僚たちにもそんな不健全な趣味はなかろう。
なによりもクーデターを成功させるために同時に抑えるべき地点、建物、人物の数はあまりにも多い。文書に残さずに何度も検討を重ねてきたラインハルトはそれを熟知している。
要するにオフレッサーとその部下がいかに地上戦で精強を誇ろうとも「同時に複数の場所には出現できない」のだ。
そう考えつつも、近く発生するであろう帝国内戦について楽観視するラインハルトではなかった。ことは軍事行動であり、それに「絶対」とか「確実」なるものはめったにないのだ。
少数が多数を打ち負かし勝利することは異常事態だが、その異常事態さえしばしば起きてしまうのが軍事行動というものだ。
これから起きる内戦について確実に言えることは、とある歴史家が後世評した言葉に尽きた。
「帝国を支える三本柱のうちの二つすなわち官(リヒテンラーデ)と軍(ローエングラム、メルカッツ)が組んでの貴族粛清、弾圧」と言うものである。
リヒテンラーデとローエングラム、メルカッツがいずれも貴族であることがこの問題を一見複雑に見せている。
新たに軍務省と統帥本部の主となったメルカッツは、つい先日のことを思い出していた。
帝国宰相の説得は短く、しかも効果的で実利さえ伴っていた。
彼メルカッツが皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世に忠誠を誓う限り、彼の妻子の安全を保障すると言うものだ。
時として皇帝さえも暗殺された事例のあるこの国で為政者の約束にどこまで価値があるものかメルカッツは楽観的ではないが、しかし事実として知っていることもあった。
メルカッツが知る限り、帝国宰相リヒテンラーデ公は若手官僚であったころから今まで一度として約定を違えたことが無いのだ。
メルカッツのこの思念を知ればリヒテンラーデ公クラウスは低く笑ったであろう。
クラウスにとって約定とは追い落としたい対象者、破滅させたい人物に「違えさせる」ものである。その人物が弁明できないような条件を整えてあればなお望ましい。
脅迫も同様で、追い落としたい人物、破滅させたい政敵にこそ「脅迫を行わせる」ものである。できればその人物が確実に脅迫罪に処せられるように準備しておくことが望ましい。
そうでない場合でも、「その人物がある人物を不当に脅迫した」とうわさが流れ、その政敵の声望を落とさせることや、脅迫された人物がそれに不愉快や恐怖を抱いてリヒテンラーデの庇護を求めるように計らうことが必要である。
これに成功しつづけてきたからこそクラウスは10年以上にわたって「大過なく」筆頭閣僚たる国務尚書の地位を保ってきた。
国務尚書にまで上り詰める過程でも、そしてその後にもクラウスの多くの競合者は不用意な言動によって自滅していった。
観察力に優れた人物、たとえば現任の副宰相にして財務尚書ゲルラッハなどが見ればクラウスには「競合者を自滅させる」能力があることに気付くのだが、そうでないものもある。
たとえばある大門閥貴族の当主の数名かに聞けばこう答えるであろう。
リヒテンラーデ公が閣僚を歴任しついには国務尚書にまで上り詰めたのは、単に前例主義で仕事を処理している間に競合者が功を焦りあるいは政争に巻き込まれて自滅していったに過ぎない。
リヒテンラーデ公は単に幸運に恵まれただけの前例主義者であり、先帝崩御と共に政界を退くべき老廃の人物に過ぎない。
と。
今やリヒテンラーデ公爵に権勢を比するものはブラウンシュバイク公爵とリッテンハイム侯爵という先帝の二人の女婿のみという国内政治情勢をそのように解釈する貴族はかなりの数に上る。
さて軍務に専念してきたメルカッツはリヒテンラーデ公クラウスの処世術と人生哲学など知らない。
しかしつい先日、まだメルカッツが軍務省の参議官の一人として次の人事異動を待っていたときにその執務室を訪れたブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯が何を口にしたかは良く覚えていた。
「卿を国を憂う武人と見込み話がある」と挨拶もそこそこに開始された話たるや、まるで成立性の無い叛乱計画と、その実戦部隊指揮官としてメルカッツの就任を依頼すると言うものであった。
メルカッツは事が重大に過ぎるとして考える時間が欲しいと答え、また「ご両所は国家の重鎮、ご多忙でありましょう」と付け加えてその場を乗り切った。
両者はメルカッツがどのように回答するか確信している表情と足取りで執務室を立ち去った。
先帝の女婿二人が揃って足を運び要請した以上は断る人間があるはずもなく、またこの話を外に漏らすはずも無いと確信しているかのようであった。
さて、確かに帝国屈指の有力貴族の要請を断っては自分はともかく家族の身が危うい。
そもそも近く始まるであろう内戦は全く無益である。出来れば中立を成したいと考えていたメルカッツであるが、その無益な内戦の方から足音も高く近づいてきたのだ。
静かに考えていたところで執務室のヴィジフォンが鳴り、帝国宰相府への出頭を命じられた。
こちらもまた、無益な内戦の方からメルカッツへと近寄ってくるものであった。
ただし、明らかにこちらに付く方が勝ち目が大きい。なによりも皇帝陛下への忠誠をたがえずに済む。
懸念はひとつ、家族の安全である。
そうメルカッツが説明したとき、リヒテンラーデ公クラウスは高らかに笑ってこう言ったものである。
「卿がこの人事を受けることで、ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムは何秒か怒った後に卿への関心を失うであろう。現に奴らはミュッケンベルガー退役元帥に対し関心を失っておる」と。
ここで史書の多くは視点を転じる。
メルカッツが元帥となりさらに軍務尚書兼統帥本部総長に就任したことについて、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の見解は打ち合わせたわけでもなく、しかし細部まで一致したシンプルなものであった。
「いかに陛下から元帥杖を示されたとて、おめおめと奸臣の飼い犬となるような惰弱な武人など必要ない」である。
そしてリヒテンラーデ公クラウスの予言したとおり、両者はそれきりメルカッツへの関心を失った。
これにメルカッツにも家族はあるから本人を脅迫するなどの方法をとって味方につけることは可能だと提案した家臣はそれぞれの家にあったが、どちらも主人によって一喝され黙り込むしかなかった。
確かにブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯はまずは前任の宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥を自陣営に招こうと試み、次いでメルカッツを招こうとした。
しかし言葉の上ではともかく両者が求めていたのは「実戦部隊を任せるに足る優秀な武官」などではなかった。
もちろん彼らの主観では能力を度外視しているわけではない。
ただその基準が、たとえばメルカッツなどから見れば病的であり想像しがたいレベルに設定されているのだった。
たとえばブラウンシュヴァイク公はリッテンハイム侯に反対されるまでは自分が艦隊を直接指揮してラインハルトに勝利するつもりでいた。
リッテンハイム侯が反対した理由も似たようなものである。
言葉に出しては「金髪の孺子相手に大貴族が自ら出陣するなど体面に関わる」であったが、実際のところは「ブラウンシュヴァイク公がラインハルトを打ち倒すという武勲を挙げてしまうことはリッテンハイム侯の不利益になる」であった。
密かに(当人たちの主観)結成されつつある「帝国の将来を憂う、帝国と帝室への真の忠誠心を持った貴族による大勢力」の盟主予定者と副盟主予定者の認識はこの程度のものである。
この認識を持つ両者がメルカッツを相手に丁寧な懇請(当人たちの主観)を行ったのは、単に「金髪の孺子ごときを相手に陣頭指揮を執らせてその者とその家の体面を傷つけず、またその者が功績を上げても『正義派諸侯軍』(仮)の秩序を乱さない」人物を求めたからに過ぎない。
ミュッケンベルガー元帥なる、在任中に生じたイゼルローン要塞失陥と言う大失態により本来なら5月のうちにその職を退いているはずの人物を自陣営に招こうとしたのはまさにそれが理由であった。
そのミュッケンベルガーは軍務省ロビーと言う公の場所で「自分は金髪の孺子に勝てない」と言ってのけたことで落選した。
この場合傷つくのはミュッケンベルガー本人の体面であり、盟主予定者ブラウンシュヴァイク公、副盟主予定者リッテンハイム侯としてはアテが少し外れただけのことである。
単に相手が「自分ミュッケンベルガーは腰抜けである」と言い放っただけのことであるから、もはやこの人物を重ねて自陣営に誘う必要もない。
むしろその場で罵り文句を吐いて見せ、見込み違いを取り繕う必要があったほどだ。
さて、ミュッケンベルガーの次に両者が自陣営への招聘を図ったのはメルカッツであった。その位階は単なる帝国騎士、これまで軍務以外に関心を示さず貴族社会への影響力ももたない。
軍人としての能力は、まさか金髪の孺子に劣ることはあるまい。
メルカッツはミュッケンベルガーとは異なり、その場で「自分は腰抜けである」と宣言してみせるようなことはせず時間が欲しいと答えた。
ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯の耳にはメルカッツの答えは「諾(ヤー)、ただし待遇、報酬等の条件を具体化して欲しい」としか聞こえなかった。
そうではなかったこと、あるいは元帥杖の授与こそがメルカッツにとって至高の報酬であったことを知ってブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も己の判断ミスに気付いたが、ひとしきり家臣の前でメルカッツへの罵声を並べて見せてそれで終わりとした。
帝国屈指の大貴族家の当主とて判断ミスはする。またミスは次なる成功で補わねばならない。ブラウンシュヴァイクもリッテンハイムもその程度のことは知っている。
たとえばこのように、交渉相手が予想外に愚鈍や惰弱であった場合である。
この場合は相手たるメルカッツを罵る言葉を家臣の前で並べるだけで済んでしまうのだ。
来るべき義挙(当人たちの主観)において『正義派諸侯軍』(仮)がリヒテンラーデを筆頭とする奸臣たちを打ち負かすことはすでに決定された未来であり、メルカッツがもしそのとき生き残っているようなら改めて懲罰を与えるだけのことである。
メルカッツ当人が聞けば軍隊に入って初めて下級兵士と接した若き日を憮然たる思いと共に思い出し、今のところ家族にさえ明かしたことのない持論「貴族とは程度の差はあれ病人ばかりである」への確信を強めたであろう。
さて、彼らの人選作業はいったんやり直しとなった。
今結成されようとしている「帝国と帝室への真の忠誠心を持った貴族」の実戦部隊『正義派諸侯軍』(仮)に必要なのは実績ある武人と言うわけではない。
能力的には貴族が持ち寄る私兵と、この国難を憂いて参戦するであろう正規軍6個艦隊を率いて、「姉の七光りで昇進しただけの金髪の孺子を倒す」ことが出来れば良い。
ただしその実戦部隊指揮官が金髪の孺子を倒した実績を持って新たな盟主となってしまうようでは困る。
では誰が最も好ましいのか。
軍務尚書の地位を追われたエーレンベルク、統帥本部総長の座を失ったシュタインホフが密かに「自らは帝国と帝室への真の忠誠心」の持ち主であることを伝え、それぞれが実戦部隊指揮官の候補者を挙げた。
その名は一致した。
名ばかりの貧乏貴族、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト中将である。
これにブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯は納得した。
彼は、アーダルベルトはすでに「帝国と帝室への真の忠誠心を持っている」ことを使者に対して答えている。実績と能力においても専門家二人が保証するのだからまず間違いあるまい。
仮に専門家二人の見立てにいくらかなりと誤りがあろうとも、あの金髪の孺子や、元帥杖と言う餌で奸臣に尻尾を振る初老の帝国騎士、あるいはこともあろうに軍務省ロビーで「自分では金髪の孺子に勝てない」と言い切る腰抜けといったものたちよりマシでさえあれば良いのだ。
強いて欠点を探すならファーレンハイトはまだ若く独身であり、誰か有力な貴族の娘を娶るか本人がどこかに婿入りすると言う手段で有力貴族となりかねないことである。
が、ここまで考えたところでブラウンシュヴァイク公の思索は結論を出した。
金髪の孺子を倒した後にリッテンハイム侯を始末する次の戦いがあるのは確定している。
その際に、ファーレンハイトを味方につけるにはエリザベートとの婚姻と言う実に効果的な材料があるではないか。
もちろんほのめかすだけでよい。所詮は貧乏人、可能性という擬似餌で釣れるであろう。
ブラウンシュヴァイク公がこのように結論を出したのとほぼ同時刻、リッテンハイム侯もほぼ同じ結論を出したとされる。
リッテンハイム侯の思索から固有名詞二つ、具体的には一組の父と娘の名前を入れ替えれば、ブラウンシュヴァイク公の思索と全く同じとなる。
後書き:6年前、プロットを考えながら原作を読み返していたときのことです。
「ブラウンシュヴァイク公がメルカッツに軍事指揮官を依頼したのは、有能な指揮官が必要だと考えたから」と初読以来誤解していたことに気付きました。
「ブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も、ブラウンシュヴァイク公の陣頭指揮でラインハルト相手に勝てると考えている」
「しかも原作(史実)のラインハルトはアムリッツァで2倍近い同盟軍を壊滅させた天才であると知れ渡っていて、多くの貴族は『ラインハルトを敵に回すと破滅だ』とパニック状態に陥っている」
これらが明記されていることに気付いて頭を抱えたものでした。
この二次創作の世界ではラインハルトは原作2巻時点ほど軍人として能力を評価されていないので、原作(作中では「史実」)とは大貴族の対応も少し異なります。