内容は全く変わっていません。
イゼルローンからのその通信文は統一選挙の投票と即日開票を数日後に控えたある日の、ハイネセン標準時の真夜中に届いた。
ベッドから這い出してオフィスに入り、評議会議長の持つ暗号鍵を用いて復号を行う。
一読し、一瞬で眠気が吹き飛んだ。
真夜中だったが、緊急に閣僚全員と国防委員会の下部組織のひとつに召集を掛ける。
彼らが集まってくるのを待つ間に、私は数ヶ月前に読み飛ばした帝国辺境の弱小優良諸侯の資料を開いた。
開くまでもなくすでに、行うべきことは判っていた。
というよりも、同盟政府として行えることはこの通信文が発せられた時点で既にひとつしかない。
閣僚たちと統合作戦本部長を招集したのは命令に付随する細部を決めてもらうためだけだ。
だが、数ヶ月前にこの資料を読み飛ばした自分を罵らずにいられない。
「領民に良い暮らしを与えようとする類の弱小諸侯の中には、領民に良い暮らしを与えることを帝国への忠誠よりも重要視している可能性がある」
短い文章だ。
読み飛ばさずにちゃんと読んでも数秒で済む文章だった。
召集から20分後、会議室に閣僚たちと高級軍人2名が顔をそろえた。
「イゼルローンから通信文が届いた。……通信文が届いたこと自体は、国防委員長と統合作戦本部長はすでに承知しているね」
「承知しております」
トリューニヒト国防委員長は即答し、臨時閣議オブザーバーとして出席の統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥は無言でうなずいた。
シトレの隣に控えたグリーンヒル次長(作戦、運用)は表情を動かさない。
「あー、では諸君。手元の端末機を見てくれんか」
トリューニヒト以外の閣僚たちは低く呻いた。
シトレ元帥は無言で頷き、グリーンヒル大将は大きく息を呑むと端末に向かい、素早い手さばきで何ごとかを検討しはじめた。
「辺境領主たちから同盟政府への問い。『来るべき内戦において我が領地と領民の安寧を要求したい』筆頭者はクラインゲルト子爵ですな」
空気が固体と化したかのような会議室の中で、トリューニヒトは平然とそれを読み上げた。
「……議長、どう回答されますか?」
深呼吸して、レベロが私に尋ねた。
「この要請に対して同盟政府が行える回答はひとつしかない。深夜に集まってもらったのは『唯一回答』の細部を詰めるためだ。まず、国防委員長」
「はい」
「アムリッツァ方面のこれら小規模な諸侯領を、同盟の飛び地として確保保護することは可能か、専門家に聞いてほしい」
「議長、その専門家は今この会議室に居ます。議長から直接聞かれても私は気にしませんよ。シトレ君、我らがチェアマンの問いに答えてくれ」
同盟軍の軍政のトップ、トリューニヒト国防委員長は軍令のトップ、制服組トップであるシトレ元帥とは不仲とされる。
しかしこのとき、トリューニヒトもシトレもそのようなことは全く表情にも声にも示さなかった。
一瞬だけグリーンヒル次長が顔を上げてシトレ本部長と視線を交わした。
「飛び地の確保と保全は不可能です。ただし、列記されている諸侯領地の総人口は数百万人でしかありませんので現地での10日から2週間程度の行動で全員を収容、イゼルローンへ避難させることは出来ます」
シトレ元帥の回答は明瞭だった。
「これは帝国から見れば侵略と誘拐だ。激しい妨害を受けるだろう。つまり戦闘になるが、それに勝利して『亡命希望者』を救えるかね」
念のために尋ねる。
私がクラインゲルト子爵に対して行える回答がひとつしかないのと同様に、シトレ元帥が私に答えうる言葉もひとつしかないのだが。
「実施は可能です。勝つための準備は出来ます。しかし、勝てるかどうかは判りません」
「これはシトレ・レポートの『一般解3』に相当するものだが、我が方の損害は?」
人的資源委員長、ホワン・ルイが尋ねた。
「最大では、動員可能な4個艦隊の全滅。想定最小値、中央値などは今は回答できません」
作戦本部次長グリーンヒル大将の手元に視線をいったん落としてからシトレ元帥が答えた。
その黒い顔に感情はうかがえない。
端末に向かって忙しく作業しているグリーンヒル次長の顔は、私の席からは見えない。
今、私が命じているものはホワンが指摘したとおり、つい先日に提出されたシトレ・レポートの「一般解3」に近い。
各委員会でリスクやコストを考えて、避けることになったはずのものだ。
専門家たちつまり軍人の間でも、実施した場合に結果がどうなるかは意見が別れている。
それを政治の要請に基づき、急遽行う。
政治が軍隊に無理を要求する実例だ。
しかし同盟と言う国家の性質上、通信文が届いた時点で他の選択肢はすでに無かった。
ここで副議長兼国務委員長が咳払いした。
「我々が行動を起こす前に、帝国軍がこれら辺境諸侯の行動を察知して彼らに懲罰を与える可能性もあるのではないか?」
その指摘はもっともだった。
「ありうることです。いずれにせよ我々には即座の出兵を行い民衆を救う、これ以外に選択肢はありません。辺境諸侯の意図としては単に『内戦中に侵攻してくるな』と要求したものかもしれませんが、こちらとしては専制に喘ぐ民衆からの救援要請として行動するよりありません」
評議会書記が指摘した。
「外交文書としては解釈の余地ありと言うのは良くない。しかし辺境諸侯としては帝国政府に知られたときの言い訳も考えなくてはならない」
副議長兼国務委員長の言葉はあまりにも当然で、無言で小さく頷く以上の反応を示したものはなかった。
「こちらへ避難させる以外の選択肢はありませんか。オリオン局所枝は銀河連邦の支配領域であり、その正当な政府は自由惑星同盟であるはずです。確保し保全することは不可能なのですか」
ウィンザー情報交通委員長が尋ねた。
「さきほど申し上げたとおり、軍の能力では無理です」
これはシトレ。トリューニヒトがうなずいた。いつの間にか作業の手を止めて顔を上げていたグリーンヒルは表情を動かさない。
「仮にそんな動員を行ったら財政が破綻する」
「人が足りない」
これはレベロとホワン。
『私』が見るに、ウィンザーは出席者たちにそう言わせたいだけらしい。
「もし可能だとしても有事準備船制度を適用することになる。情報交通委員長はそれを許容できるかね?」
確認を求めてみる。
「許容しかねます」
ウィンザーはあっさりとこたえた。
そしてようやく私もやるべきことに気づいた。
この事態に誰がどんな発言をしたのか、誰が得点し失点したかなど後回しだ。
唯一可能な決断を行うことだ。
「統合作戦本部長、そして次長。軍には今、何が出来る?教えてくれ」
「今動かせるのはアムリッツァ哨戒中の第10、第12艦隊とイゼルローン駐留艦隊、そしてシヴァとエルゴンの第5、第8艦隊だけです」
シトレは淡々と応じた。
「では、『軍は可動の総力を挙げて前線へ進出、帝国軍アムリッツァ方面軍を撃退し、現地の民衆を救出せよ』と命じれば良いかね?」
「超光速通信(FTL)でそのまま送るのはこの場合は危険です。細部は本部長と私が今起案しますので、議長に封緘をお願いできませんか」
思ってもみないことをグリーンヒルが言い出し、シトレが頷いた。
「……?傍受される危険かね。ならば『進出せよ』とだけ命じて、細部はイゼルローン経由で追って通達ではいかんのかね?」
確か、史実でのアムリッツァ・キャンペーンでは帝国領内に侵攻した派遣軍と政府はイゼルローン経由で通信していたはずだ。
「帝国側の傍受体制には未知の部分があります。しかも艦隊が進出、合流するまでに情勢が変化しえます。救援を求める民衆に危害が及ぶ可能性を最小限とするために、工夫が必要です」
グリーンヒルは問いにそう答えた。
ひょっとしたら昨年8月から、グリーンヒル大将は敵地での軍事行動をいかに安全に行うか検討していたのだろうか?
いや、他にも「史実」との違いは多数ある。
そんなことも考えたが、確かめている暇も無かった。
辺境諸侯がこともあろうにハイネセンへとこの通信を行ったことが帝国政府にいつ知られてもおかしくない。
助けを求める民衆(こちらの主観)を見殺しにしたとなれば寝覚めが悪いとか、私が辞職するとかくらいでは済まない。
二人の制服軍人が相談して命令文をこの場で作るのを聞きながら、私は別のことを考えていた。
統合作戦本部の抱える多数のスタッフを呼びもせず、実戦部隊たる宇宙艦隊司令部や統合陸戦隊司令部に諮ることもなしにこの場で作戦命令が作られるのはなぜか。
使えるリソース、この場合は動かせる兵力や、動き出すまでに許される時間といったものの幅が無いからだ。
まるっきりスケールも分野も違うことだが、「貧乏かつ忙しいときには買い物に迷わない」と言う経験上の事実を思い出した。
買い物に迷うのは生活費と時間に余裕があるものの特権だ。
シトレとグリーンヒルの二人は無数の選択肢の中から大勢のスタッフを駆使して最適の解を短時間で出すことに実績がある軍人だが、この場合にはスタッフを召集する必要も意味もないのだろう。
ポケットにある現金だけで急いで買い物をするようなものだ。
そして気づいた。
それはまさに、今の『私』の立場なのだ。
それにしても。
一応、『私』は自由惑星同盟の国家元首だ。人口130億人の、人類史上3番目の人口と国力を持つはずの国家の元首だ。
その『私』が、領民人口の合計が数百万人でしかないそれも帝国の辺境領主によって決断を迫られるとは。
数日後に投票と即日開票を控える統一選挙をふと思い出した。
今回の騒ぎに関わっている辺境諸侯の領民人口の合計は、ハイネセン第3区の有権者総数よりも少ない。
その彼らによって同盟政府が動かされるとは。
「出来ました。確認と封緘をお願いします」
私の端末に命令文が送られてきた。内容は想定される状況に応じていくつかに分かれるが、あまり詳細ではない。
現地指揮官の裁量範囲が大きい。
素人に過ぎない『私』が読んでもどこでいつ合流するかとか、あるいはどんな形で戦闘に持ち込むのかと言った図式は見えて来ない。
だがこれが、今作れるもっとも具体的な命令なのだ。
ただちに署名し封緘を行う。開封鍵を第5艦隊、第8艦隊、第10艦隊、第12艦隊の各司令官のそれに設定。
封緘した命令をシトレに送り、私は呼吸を整えた。
「評議会議長命令。第5艦隊と第8艦隊はローテーションを繰上げ、前線へ進出。詳細は封緘命令による」
統合作戦本部長と次長が並んで敬礼し、封緘命令を手にして会議室を退出した。
何百万人もの人々が死ぬかもしれない命令がいとも簡単に出せること、出してしまったこと、それ以外にどうしようもなかったことを思いやる。
ため息をつきそうになり、息を詰めて時計を見やった。
まだ夜明けまで数時間ある。
ふと、思い出した。人類が住んでいる惑星は多々あるが、どこの惑星地表から見る夜明けもそれぞれ違うことを。
「……もし、クラインゲルト子爵その他が断固として領地から離れることを拒んだらどうする?」
そう言って見渡すと、閣僚たちは怪訝な顔をした。
「彼らにとって領民の暮らしを良くすることが帝国への忠誠よりも重要らしいのですから、どうにでも説得できるでしょう。わが国も余裕があるわけではありませんが、それでも農業従事者たちの平均的な暮らしは帝国農民のそれより上です」
意外なことに、地域社会建設委員長が答えた。
「あらゆる産業でのオーバーワークがようやく緩和されつつある、つまりまだオーバーワーク解消に至っていないこの国に、数百万の単純労働者を受け入れて職業訓練を行う力があるかね?」
「現状であれば、そして数百万のオーダーならなんとか出来ます」
人的資源委員長ホワン・ルイが答えた。
「まあ、説得は特に不安ないかと思います。今回通信をよこした諸侯領にも、同盟の捕虜収容所で『同盟での暮らし』を経験した人間はそれなりに居るようです」
さきほどから黙っていた国防委員長が端末機の画面から顔を上げて付け加えた。
「うん、まあ、ヨブの言うとおりいろんな産業の生産性は大違いだと言うことは向こうでも理解できるはずだ。たとえば帝国農民が亡命してきたとして、しかるべき職業訓練を受けた後に一人でどれだけの農地を耕せるようになるか。現に耕しているか。本来は桁違いの差がある。帝国のダメ領主どものせいで、同盟の農家は厳しい経営を強いられているがね」
地域社会建設委員長の言葉を聞いて、私は前世の記憶をひとつ思い出した。
片方の祖父から聞いた話だ。
田植えと言う、何十人もの列を成して行っていた重労働が、農村に田植え機が入ってどんなに楽になったか。
たったの数人で行える気軽な労働になったことの感激を何度も聞かされたものだった。
それによって職を失うどころか、都会へ出稼ぎに出る余地が生じたこと。
そして都会の工場での仕事が農作業に比べてどんなにか楽で儲かるものだったか。
前世で聞いた、日本社会のモータリゼーションと高度成長の話。
それに類する話を今ここで聞いている。
そんなことを考えながら閣僚たちの話を聞いていると、改めていましがた発した命令の重大さが実感された。
「シトレ・レポートの一般解その3は避けるはずだった。だが今、その命令は出された」
トリューニヒトが淡々と指摘した。
嬉しそうでもない。
心外そうでもない。
何を考えているのか相変わらず判らない。
「命令の結果が、良い形になるとは限らない。こちらの4個艦隊が大打撃を被り、助けを求める民衆を救えない可能性もある。そうなればどうなる?」
レベロが応じた。
「その場合は次の最高評議会議長は就任した直後に辞任となるでしょうな」
「だが、次の議長が誰になるかはまだ全く判らんぞ。まず今週末の統一選挙で上院改選と下院総選挙だ。それで代議員が新たに揃う。来週中に上院と下院で議長候補者が複数指名され、議長公選だ」
「その時点で艦隊はまだ移動中だな。この件は議長公選の争点には出来ない」
閣僚たちが次々に口にしたのは今後の政治日程だ。
トリューニヒトの内心は判らないが、多くの閣僚たちはこう主張したいらしい。
「今しがたサンフォード議長が下した命令の結果について、次の評議会議長に責任を取らせるわけには行かない」
まったく同感だ。
皆、それぞれの支持者と職務に対して大きな責任を持っている。
今同盟の政界から失われて構わないのは、『私』サンフォードと、副議長くらいだ。
もっとも副議長は今回の統一選挙には立候補していない。
今季限りで引退する。
「次の議長公選についてだが……ここでひとつ、話しておきたい」
喉が引き攣りそうになり、コップを手に取って、これから話すことを頭の中でまとめた。
私が続投を表明する。
私サンフォードには選挙区で代議員として選ばれるかどうかに関係なく、現職特権として次の議長公選への立候補権がある。
同時に閣僚たちに動いてもらい、彼ら自身を含む有力な政治家たちには議長選への出馬を見送ってもらう。
彼らは多くの市民の意思を代表する、同盟の財産だ。
出兵が失敗したときに失脚させてはならない。
誰か一人は対立候補に立ってもらう必要はあるが、まあ上院下院の代議員の中から誰か一人くらいは立候補するだろう。
なにしろ「この出兵が失敗したときに責任を取るための議長候補」だ。あまり有力な候補でないと良いのだが。
そう言おうとして会議室を見渡す。
それは閣僚たちにもわかっている様子だった。
だから、こう言った。
「統一選挙の結果、上院下院の顔ぶれがどうなろうが、私は続投を表明し次の議長公選に出馬する」
私がそう表明すると閣僚たちは一斉にうなずきかけたが、トリューニヒトが座席から立ち上がるのに気づいて次々に立ち上がった。
トリューニヒトは合図はしなかった。
しかし立ち上がったトリューニヒトが私の座席へと向き直り、深々と礼をするのに合わせて閣僚たち全員が頭を下げた。
トリューニヒトは演説の名手だが、こういう芝居掛かった仕草も様になる。
いつか誰かがこの臨時閣議のエピソードを書物に記すなら、トリューニヒトが礼をしてみせるところに焦点を置きそうだ。
『私』の中にあるサンフォードの記憶から、前回の議長公選へ立候補したときの情景が浮かび上がってきた。
人類史上最大の会議室、同盟立法議会下院議場に響いた、熱のこもっていない義務的な拍手。
どの会派も多数を占めることができなかった前回の統一選挙。
「何も決められない議会」となった下院議場で、その情勢を反映して指名された「無力なことが取り得」「特に味方も敵も居ない政治家」が、議長候補として受けたあの拍手。
たぶんまた、同じように熱意の無い拍手を受けて議長公選に望むことになる。
ただ少しだけ、今しがたの閣僚たちの振る舞いによって救われた気がした。
そして疑問が生じた。
救われたのは『私』なのか、サンフォードなのか?
そもそも、『私』は誰なのだろう。
封緘命令:この時代でも「封緘命令」はあると言うことにしました。封筒に収めて蝋と刻印で封じるのか、量子割符でも使うのかどうかは想像もできないので設定していません。「一般的な通信よりも手間は掛かるが秘匿性の高い連絡方法がある」程度に読んでいただけると幸いです。
議会や選挙について:
原作中には同盟にも立法議会があることは少ないながら言及があります。
一院制なのか二院制なのかも原作には書かれていませんが、本作では二院制として設定しています。
同盟下院議場が人類史上最大の会議室である、つまり銀河連邦の最盛期の議会よりも大きいというのは独自設定です。
現職議長には議会に席があるかないか関係の無い続投立候補権があると言うのも独自設定です。
行政のトップ(大統領など)を公選としている国のいくつかの事例を参考に設定してみました。要するに、現職指導者がその選挙区で落選したとしても国民の総意が続投を望めば続投、と言う制度です。
もっとシンプルに、行政のトップの公選は議員選とは独立している国もあります。
サンフォード議長の軍師役は誰か:web上のある掲示板の疑問への回答です。今回に関しては「同盟の国是による自動的、反射的な行動」と、シトレ元帥とグリーンヒル大将と言うことになります。