幾人かのキャラクターの視点でみれば、後味が悪い話です。
通信文と封緘命令を受け取った第5艦隊、第8艦隊は直ちに前進を開始した。
シヴァ、エルゴンからイゼルローンまでは9日の距離である。
捕虜交換船団の最終便とすれ違いイゼルローン回廊へ入る直前、第5艦隊司令官ビュコック中将は第8艦隊司令官アップルトン中将を第5艦隊旗艦「リオ・グランデ」に招き、司令官公室での打ち合わせを行った。
両中将はあまり冗談の得意な人物ではないといわれるが、首都星ハイネセンからFTLに乗って届いたニュースにはその不得意な冗談を口にさせるものもあった。
たとえば第2次サンフォード政権の発足である。
閣僚の顔ぶれはほとんど第1次政権と同じだが、副議長兼国務委員長の引退に伴って変化が生じた。
第2次サンフォード政権の副議長兼国務委員長はヨブ・トリューニヒト代議員。
そして国防委員長は議長公選でサンフォードに敗れた若手議員、ジェシカ・エドワーズ代議員である。
「あの口の達者なお嬢さんが入閣となると、さぞ閣議室がにぎやかになることじゃろうな」
老提督はそう言ってアップルトン中将を笑わせると、打ち合わせに入った。
「第10、第12と合流するまで封緘解除できないと言うこと自体が、アムリッツァまでの緊急進出を要求しておる」
「同感です。一方でイゼルローン駐留の第9艦隊が封緘解除条件に入っていないと言うことは、彼らを後詰に残しての作戦を意味します」
アップルトンが髭を撫でながら答えた。
「もう少し艦隊対抗演習を行っておきたかったものじゃな。特に統制集中射撃はまだ仕上がりが十分とは言えん」
「互いに戦列を組んだ状況からの第1斉射には使えるでしょう」
統制集中射撃とは、艦列から放つ砲撃を並行させず、敵戦列のいずこかへ集中させるものである。
これは戦艦よりもずっと強靭な防御構造、具体的にはイゼルローン要塞の装甲を打ち抜くために同盟軍が開発したものである。
ハードウェアとしてはそう目新しいものではない。
要するに敵艦列の中のどの艦を狙うか通達し確認できれば良いのだ。
通信科の将兵に負担を掛けて良いならば、新しいハードウェア無しでも実施できる。
このシステムは実戦ではまだ一度も使われていない。
昨年5月にイゼルローン要塞が同盟軍の手に落ちたことでその必要が当面は無くなったのだ。
そして、帝国軍にはその必要が生じた。
ならば同様のシステムや射撃方法を帝国軍も今配備しつつあり訓練しつつあると考えるべきで、当然ながら同盟軍はその対策を考えねばならない。
先日から数回実施した艦隊対抗演習ではこのシステムを艦隊戦闘に用いたらどうなるかと言う実地演習を行った。
実弾射撃は破棄予定の旧式無人艦や適当な残骸をターゲットに実施したが、演習用の模擬砲(低出力レーザー)を用いて人が乗っている艦を標的としての演習も実施している。
今のところ、戦況が流動的となってからはとても使えない。
「我が戦隊は敵のどの艦を狙うのか」と言う情報をやりとりしている間に相対位置が変わってしまう。
アップルトン中将の指摘はそれである。
「我が軍も帝国軍も、艦隊旗艦や次席旗艦、分艦隊旗艦にはその任務上、標準戦艦とは異なる識別可能な艦を充てておる。じゃから、第1斉射を前に『司令部直率戦隊は敵旗艦を狙え』などと命令しておいて実施する、そのくらいなら出来る」
「旗艦を失った途端に烏合の衆と化すような敵軍が相手なら、絶大な効果があるでしょうな。そして今回の任務では、恐らくは違います」
アップルトンの言葉に老提督は深く頷いた。
「じゃろうなあ。ワシの第5艦隊と貴官の第8艦隊と、ウランフの第10艦隊にボロディンの第12艦隊。これをまとめてぶつけ、しかもアル=サレムの第9艦隊を後詰に残さんといかん相手と言えば、帝国軍アムリッツァ方面軍と言うことじゃ。甘い相手ではないぞ」
「キルヒアイス大将、ロイエンタール中将、ルッツ中将、ワーレン中将。いずれも艦隊戦に実績があり、その艦隊の練度も高い。現在は10Fと12Fがイゼルローンに退いたのに合わせてボーデン、フォルゲンに後退しているようですが、こちらが4個艦隊で出撃したときにあちらの対応が遅れることはまずないでしょう」
アップルトンはごく常識的な見解を示した。
同盟軍が偵察艦艇を帝国領内に侵入させて帝国軍の動静を見張っているように、帝国軍も偵察艦艇をイゼルローン回廊に侵入させてこちらの動静を見張っていると考えるべきなのだ。
そしてもちろん、帝国軍情報部の鋭敏な目と耳はシヴァやエルゴンにもある程度は向いているに違いない。
また同時に、艦隊は即時出撃可能なコンディションにあるはず。
「つまり、ほぼ同数での会戦となる。またお互いに動静を監視しており、奇襲は望めない。この場合に戦闘はどのように始まるか」
「戦艦や重巡の最大射程程度の距離を取ってほぼ相対静止、長距離砲戦から戦闘を開始でしょうね」
光速の10パーセント以上までも加速できるこの時代の艦隊が、戦闘開始時には相対静止とするのには理由がある。
ビーム兵器の威力は距離の2乗に反比例する。
最大射程、およそ10光秒(300万キロメートル)での戦艦の射撃は、10秒後に敵艦がいるであろう位置を予想して放たれる。
運が良ければ命中し、敵戦艦のシールドを飽和させ次の射撃で敵戦艦の装甲に命中する。
そしてこの距離で戦艦を破壊できる可能性があるのは戦艦や重巡航艦の主砲だけである。
軽巡航艦や駆逐艦の主砲も一応はこの距離で届きはするが、意味が無い。
しかし1光秒まで接近すれば威力は100倍となり、軽巡航艦の射撃で戦艦を破壊できるようになる。
さらに接近するにつれ、砲火はお互いにとってより致命的なものになってゆく。
光より遥かに遅いレールガンの砲弾やミサイルさえも命中が見込めるようになる。
副砲に切り替えお互いが戦闘艇や雷撃艇を放つような距離ともなれば、まさにそれら戦闘艇や雷撃艇が備えた火器で戦艦を破壊できるようになる。
こうなると、どちらかの僅かなミスで数分前までの均衡消耗戦が一方的な殲滅戦にまで至る。
そのもっとも華々しい成功例は第2次ティアマト会戦に見られる。
ブルース・アッシュビー提督は戦艦と重巡からなる突撃部隊を、敵軍の側面至近まで接近させることに成功したのだ。
至近距離から放たれる戦艦や重巡の砲火は、40分足らずの間に帝国軍の過半を宇宙の塵に変えた。
同時にそれは、敵軍の行動を遠距離砲戦によって拘束しつづけた主隊の功績でもある。
第2次ティアマト会戦はあまりにも極端な例だが、この時代の宇宙艦隊勤務の将兵なら誰もが接近戦において火力と命中率がいかに跳ね上がるかを熟知している。
そうなる前に、遠距離砲戦の段階で敵の数を減らしておくか敵の指揮系統や陣形を乱すことが艦隊指揮官の重要な仕事である。
また接近戦に持ち込む前に味方艦隊を打ち減らされないように工夫することも艦隊指揮官の重要な仕事である。
打ち減らされてしまった場合に接近戦に持ち込まれる前に逃げ出す決断も艦隊指揮官の重要な仕事である。
場合によっては打ち減らされてしまった艦隊で優勢な敵艦隊への接近戦を挑むことも、艦隊指揮官の重要な仕事である。
と言った話はビュコックとアップルトンにとっては常識であり、「リオ・グランデ」の司令官公室での会話はここに記したよりももっと短い言葉のやりとりになった。
さてこれらにことごとく失敗したのがアスターテ会戦における第6艦隊と第4艦隊であるが、戦死したムーア中将やパストーレ中将だけの責任ではない。
3個艦隊がお互いに連携できず敵艦隊の動静を把握できなくなるほど分散して進軍することを認めたロボス宇宙艦隊司令長官に最大の責任がある。
迂遠な長距離砲戦を嫌い、敵軍への急接近からの零距離射撃と言う方法で戦果を挙げた事例もある。
第11艦隊の前司令官、一昨年に戦死したホーランド中将がそれだ。
しかし新しい戦法には新しい欠点があった。
敵軍が最初から後退を選び距離を詰めきれない場合、無謀な突出となってしまう。
「あの戦闘では敵軍の1個艦隊に後退を強いただけで良しとして、取り残された敵主力へ集中すべきじゃったな。そう講評したのは、貴官や第13艦隊の若造じゃったな」
ビュコックは目を閉じ、慨嘆した。
「ヤン中将なら目下の状況をどう解釈するでしょうね」
「つまらん歴史講義から始めるか、参謀長に常識論を提示させるかその辺じゃろうな。さて、貴官はイゼルローンまでの残り3日、どう艦隊を動かす」
「イゼルローンでの合流後に最短時間で出撃させるために、第9艦隊の哨戒圏に入って以降は4直体制とします。入港時のみ総員配置」
つまりおよそ1日半の間、各艦の乗組員の4分の1のみを配置に付け、残り4分の3は休憩や睡眠を取らせるとアップルトンは答えた。
「けっこう。……それにしても『イゼルローンへの接近に合わせて4直』とはのお。時代は変わるもんじゃ。去年の今頃であれば、そろそろ艦内閉鎖用具用意を号するところじゃて」
艦内の気密を保つための各種用具を用意する命令に続くのは、普通は総員戦闘配置命令である。
総員が配置についたのを確認してから、艦内の各種隔壁が閉鎖され、閉鎖用具がセットされる。
「まったくです。合流後、封緘命令を開きますが、4個艦隊の先任指揮官はビュコック中将です。アムリッツァ星域での会戦に際して、配置をどうお考えですか」
「一応は考えておるが、芸も無い横列じゃな。両端を第10艦隊と第12艦隊に固めてもらい、第5艦隊と第8艦隊を中央に配置。……統制集中射撃は第5と第8のみが第1斉射で実施、各分艦隊が対応する敵旗艦を狙う」
アップルトンはこれに頷いた。
哨戒に当っていたウランフの第10艦隊、ボロディンの第12艦隊は艦隊規模での演習を行えていないし、また疲労度も第5、第8両艦隊に比して高いはずである。
両艦隊には緊密な陣形保持と情報交換を要する統制集中射撃を行わせるべきではない。
アムリッツァ星域を実地に知っている経験を活かし、ある程度自由に動いてもらうことが望ましい。
同じ理由から、たとえば4個艦隊をひとまとめとしての紡錘陣形といったものは困難である。
もっとも乗組員が疲労している艦の運動に全艦が合わせなくてはならなくなるためだ。
「敵軍が同様に統制集中射撃を実施してきた場合、ワシと貴官は戦死する可能性が高い」
あっさりと老提督は言い放ち、これにもアップルトンは頷いた。
統制集中射撃は敵艦隊のうちごく少数の艦に無数の砲を向けて行うものであり、通常はなかなか当らないか当っても効かない最大射程からの砲撃が有効になる可能性が高い。
距離ゆえの命中率と威力の低さを、数を集めることで補うものである。
指揮継承順位の確認と、戦闘方針の徹底を要することで両提督は同意した。
「私から念のために……第10、第12艦隊の疲労度が予想以上である場合には逆に第5、第8艦隊を両翼に配置することも考慮すべきです。またその場合、イゼルローン駐留の第9艦隊から分艦隊単位で臨時編入を要するかもしれません」
「うむ。……封緘命令を開くまでは、これ以上のことは何通りか想定して作成しておくしかないじゃろうな」
同意し、アップルトン中将は彼の旗艦「クリシュナ」へ戻った。
数日後。
アムリッツァ星系への最後のワープを控え、ビュコックは4個艦隊からなる任務部隊への訓示を行った。
封緘命令は一昨日に開封され、最先任のビュコック中将がこの任務部隊の指揮権を与えられている。
訓示の内容は大凡以下のとおり。
帝国軍アムリッツァ方面軍に対して徹底的な損失を強いること、つまり殲滅を狙う。
これは今回の任務の達成手段であるが、第5艦隊旗艦を含む全艦の安全よりも優先される。
この作戦の目的は救援を望む帝国辺境の民衆を救うことにある。
そして同時に、それを妨害しうる唯一の戦力である帝国軍アムリッツァ方面軍の組織的戦力を破壊しなくてはならない。
撃ちもらした敵軍によって、民衆を収容する作業中に襲撃されることがあってはならない。
逆もしかり。
敵軍を壊滅せし得るならば、我が方の全滅も許容される。
敵軍を壊滅させた後であれば、アムリッツァ近傍の星系へ赴いての民衆の救助と収容はイゼルローン駐留艦隊のみで十分行える。
「作戦目的は辺境各星系。ターゲットは帝国軍アムリッツァ方面軍。くどいようじゃが、目的は辺境各星系の救援。そしてターゲットは帝国軍アムリッツァ方面軍じゃ。諸君の勇戦を期待しておる」
訓示をそう締めくくった後に、老提督は付け加えた。
「ワシの生死に関わらず、この戦いに生き残った将兵にはハイネセンの一番良い店でディナーを奢る。出来ればワシの家にある勲章と従軍章が全部借金の抵当に入るくらいに生き残ってくれ」
4個艦隊の通信回路に爆笑が響いた。
「イゼルローン要塞で各艦隊から一部下ろされた法務士官や憲兵隊、陸戦隊員と強襲揚陸艦についてはどうなのか」を問う野暮なものはなかった。
もっともビュコックは彼らの扱いについてはすでにイゼルローン駐留艦隊との間で合議し決済もしている。
この会戦に勝利できたなら、彼らこそがこの作戦の目的を果たす主力となる。
この訓示に先立ってアムリッツァ星系に到達、敵艦隊の動静を監視している偵察部隊も同様である。
訓示から10分後、同盟軍の4個艦隊はアムリッツァ星系へとワープアウトした。
ワープアウトした彼らは恒星アムリッツァの放つ膨大な恒星風の中で隊列の乱れを整え始めた。
そして帝国軍アムリッツァ方面軍の整然たる隊列を発見した。
発見した時点における、相互の時間的距離はおよそ2時間。
ほぼ偵察部隊の報告どおりだった。
共にアムリッツァ星系の基準面すなわち恒星アムリッツァの赤道面上に、横列を組んで並んでいる。
もちろん個々の艦隊には「上下」つまりはアムリッツァ星系における南北方向への厚みもあるが、平面広がりの方が大きい。
恒星風が一番安定する面から外れたくないのは当然だろう。
アムリッツァ星系の北極方向から見下ろす視点を取ったとき、両軍の配置は以下のようになる。
同盟軍は敵軍すなわち帝国軍に向かって左端から第10艦隊(ウランフ中将)、第8艦隊(アップルトン中将)、第5艦隊(ビュコック中将)、そして第12艦隊(ボロディン中将)と言う配置で並んでいる。
第10艦隊のさらに左には恒星アムリッツァがあり、恒星風は彼らに対して左舷から右舷へ向かって吹いている。
一方、帝国軍アムリッツァ方面軍は同盟軍から見て左端からルッツ中将ないしワーレン中将、キルヒアイス大将、ロイエンタール中将、そしてワーレン中将ないしはルッツ中将と並んでいるものと推測された。
より正確には左端の艦隊の旗艦が戦艦「スキールニル」ないしは戦艦「サラマンドル」、その隣に位置する艦隊の旗艦が戦艦「バルバロッサ」、同様に戦艦「トリスタン」、戦艦「サラマンドル」ないしは戦艦「スキールニル」と識別され、これに同盟軍が得ている帝国軍人事情報を当てはめたのだった。
恒星風は帝国軍に対しては右舷から左舷に向かって吹いている。
「横列を保ちつつ接近せよ。砲戦射程に入る30分前から減速開始、最大砲戦射程で相対速度ほぼゼロとする。射撃発令は第5艦隊旗艦『リオ・グランデ』の発砲とする」
「第5、第8艦隊は第1斉射のみ統制集中射撃を実施。集中単位は分艦隊、単位あたりターゲット数は『1』とする」
同盟軍の正規艦隊は約1万2千隻からなり、これを約3000隻ずつの分艦隊4個に分けている。
つまりこの指示は第5、第8両艦隊の各分艦隊3000隻前後がそれぞれ1隻の敵艦に対して集中射撃を行うことを意味して……はいない。
軽巡航艦や駆逐艦、宇宙母艦はこの斉射には加わらない。
戦艦と重巡航艦合計512隻ずつが砲撃を行う。
今日、第13艦隊が帝国軍との戦闘においてこの砲戦形態を多用した映像が多く残されているためか、統制集中射撃と言えば1目標に対して10数隻が臨機応変に行う印象が強い。
しかし戦史に残る最初の統制集中射撃はこのように砲戦開始の2時間前から準備され、1隻のターゲットに512隻が射線を集中するというものだった。
このシステムと砲戦形態を用いる最初の実戦であること、左舷から吹き付ける恒星風によって照準が妨害されまたビームが拡散することを考慮しての命令だった。
「第10、第12艦隊は第1斉射から自由射撃。敵軍が隊列を開いて我が方を包囲せんとする場合には各艦隊司令官の判断により対応せよ」
おおざっぱに聞こえる指示をビュコックは出した。
第10、第12艦隊それぞれの司令部を活用する指示でもある。
「第5艦隊の各分艦隊はロイエンタール艦隊旗艦、次席旗艦、第3分艦隊旗艦、第4分艦隊旗艦に対して集中射撃を実施。同じく第8艦隊各分艦隊はキルヒアイス艦隊旗艦、次席旗艦、第3分艦隊旗艦、第4分艦隊旗艦に対して集中射撃を実施」
帝国軍の正規艦隊は同盟軍で言えばやはり4個分艦隊編成に相当するが、個別に指揮官の名前を冠して呼んでいる。
そのことはビュコックも知っているのだが、個々の分艦隊指揮官の名前までは判明しておらず番号を付与して呼称していた。
互いの艦隊は側面から恒星風を受けつつ接近していった。
恒星アムリッツァの発する恒星風は一定しておらず、しかし両艦隊とも整然たる陣形を保っている。
砲戦射程に入るまでおよそ40分。
「艦内閉鎖用具用意」
そうビュコックが命じた直後、わずかなハプニングが起きた。
「星系外縁、複数艦隊がワープアウトしてきます!」
第5艦隊旗艦、任務部隊旗艦「リオ・グランデ」のセンサー長が報告した。
「距離を報告せよ。時間距離でかまわん」
およそ12時間から14時間、と言う幅のある報告にビュコックが眉を傾けた直後、星系外縁、帝国軍の列の遥か「風下」に大きく散開した艦隊が出現した。
どこからどこまでがひとつの艦隊なのか識別しがたいほど拡散している。
星系外縁、恒星風の密度が低い宙域でありながら隊列を整える動きは鈍い。
「そういえば、まだ帝国では内戦は始まっておらぬのじゃったな。貴族軍か」
ビュコックは表情を緩めた。
始まっても居ない帝国内戦から帝国辺境の民衆を救うために、同盟軍がここで戦う。
内戦が始まれば帝国正規軍とは敵同士になるはずの貴族軍が、その帝国正規軍への増援としてやってくる。
戦争とはなんとも馬鹿馬鹿しいものである。
「総数は……およそ3万隻です。編成は読み取れません。監視衛星を放出し、恒星風に乗せて流します」
「けっこう。あの艦隊については今より10時間後までは報告せんでよろしい」
実際のところ、ヒルデスハイム伯爵軍とフレーゲル男爵軍はアムリッツァ方面軍に対する増援に来たわけではなかった。
それぞれの駐留星系までの距離や偵察体制、いかに貴族軍とは言えあまりにも散漫な艦列の拡散を考えれば「少なくとも、増援ではない」と気づいたはずだったが、このときビュコックは貴族軍の動きに向ける注意力など持ち合わせていなかった。
「ビュコック提督は指揮座に座して落ち着き払っているように見えた」とは「リオ・グランデ」艦橋要員の誰もが証言しているが、当人の回想録は減速しつつも接近しつつあるアムリッツァ方面軍の動きに全ての注意を集中していたとそっけない。
20分前。ビュコックは全艦に総員戦闘配置を命じた。
直ちに命令は遂行され、全艦の艦内隔壁が閉鎖される。
交戦開始まで推定10分前。
相互距離は15光秒。
吹きつける強烈な恒星風にも関わらず、両陣営の合計8個の艦隊はいまだ整然とした横列を保ったままゆっくりと距離を詰めつつあった。
推定5分前。
距離はおよそ12光秒。
第5艦隊旗艦「リオ・グランデ」砲術長が直率分艦隊に属する戦艦、重巡の狙点を再確認した。
第1斉射に限り、第1分艦隊(司令官直率)に属する512隻の巨艦が備えた主砲4200門の引き金は彼の手で引かれる。
ターゲットは敵戦艦「トリスタン」。
帝国軍アムリッツァ方面軍副司令官、ロイエンタール提督が座乗しているはずの艦である。
同じ確認を次席旗艦、分艦隊旗艦の砲術長たちが実施した。
「第8艦隊より『統合狙点を確認』と報告あり」
「うむ」
ビュコックは静かにうなずいた。
正規艦隊と言う巨大な兵器が4つ、彼の手に委ねられている。
そして460万人の生命が彼の手に委ねられている。
これは「救出」する予定の帝国辺境民衆よりも多い。
ビュコックはそのことにはなんら疑問を感じなかった。
同盟軍においては、場合によってはそれがただ一人の生命であろうとも、それを救うために全軍を動かすことさえありうる。
二等兵としてそう教えられた日は遥かに昔のことだ。
ここでビュコックは目下の現実について、内心で静かに検討した。
最大射程からの砲戦開始とする方針だったが、数分前から恒星風が強くなっている。
最大射程での砲戦開始とせず、より命中を見込める距離に詰まるまで待つか?
「リオ・グランデ」の艦橋統合スクリーンと、ビュコックの指揮卓のディスプレイの上で時間と距離を示す数字が減ってゆく。
一番「風上」に位置している第10艦隊からの恒星風観測情報も次々に更新されている。
「……旗艦は最大射程で第1斉射を実施」
ビュコックの迷いを打ち消したのは第10艦隊からの報告だった。
観測によれば、数分後に恒星風が弱まる。
理由はもうひとつあった。
まだ一度も実戦で使ったことのないシステムと砲戦形態にあまり「賭け」たくないのだ。
第1斉射で敵艦隊の指揮系統を乱すことが出来ればそれで十分。
命中せずとも、しばらくは敵艦隊の各旗艦は過飽和した恒星風に包まれ通信は遮断される。
その決断は敵将の下した命令によって、逆方向へと覆ることになった。
「およそ10.4光秒……敵主隊、乱数加速を開始!」
「リオ・グランデ」の艦橋にどよめきが走った。
コンピュータに生成させた乱数に基づいて各艦が文字通りランダムに加速する乱数加速は宇宙戦における古典的な回避手段だが、陣形が乱れ自らの行動、とくに砲戦を制約することから近年では滅多に用いられない。
それを敵将が選んだということは、考えられることは二つ。
こちらが統合集中射撃を用いることを察知したか、あるいは故ホーランド中将とは別の方法での肉薄攻撃を意図しているか。
今日、この行動はキルヒアイス大将が命じたものだと知られている。その判断の背景に何があったのかは定かでない。
「撃ち方はじめ」
老提督の低い、良く通る声が「リオ・グランデ」の艦橋に響いた。
復唱と共に「リオ・グランデ」砲術長が戦艦「トリスタン」の未来位置に向けられた照準を確認し、4200門の砲の引き金を引いた。
その直後に7人の男女が引き金を引き、約3万4千本の中性子ビームが8隻の帝国軍戦艦へ向けて放たれた。
敵艦隊と第10、第12艦隊はその弾着を見ることにしたのか、まだ発砲しない。
亜光速の中性子ビームが恒星風を弾き飛ばしながら10光秒あまりの距離を走り、そして弾着結果が超光速センサーによって得られるまで、発砲から10秒あまり。
長い長い10秒の間に、「リオ・グランデ」の艦橋統合スクリーンの上で512隻が放ったビームが戦艦「トリスタン」の予想位置へ向けて集束してゆく。
第5艦隊の各分艦隊の射撃も同様に、それぞれのターゲットへ向けて集束してゆく。
補助スクリーンは第8艦隊の射撃を表示していた。
第8艦隊旗艦「クリシュナ」と第1分艦隊(アップルトン中将直率)の放ったビームは帝国軍アムリッツァ方面軍旗艦と推定される、戦艦「バルバロッサ」へと集束してゆく。
今日では、この統合集中射撃は過度にターゲット数を少なく設定し、火力の無駄が多かったと評される。
過度に集中したために弾着の観測にさえ支障を来たした。
たとえば第5艦隊第1分艦隊が戦艦「トリスタン」に向けて放った4200本の中性子ビームのどれだけが「トリスタン」に命中したのか、あるいは「トリスタン」の直率戦隊各艦に対する流れ弾となったのか判っていない。
各分艦隊の射撃も同様だったし、それは第8艦隊でも同様だった。
キルヒアイス提督が直前に命じた乱数加速はこの意味では効果を発揮したとも言える。
また、次のこともはっきりしている。
戦艦「トリスタン」がこの砲撃によって大破したことは観測できた。
ほぼ同時に、戦艦「バルバロッサ」は蒸発したらしい。
「らしい」とは観測できなかったためである。
だが戦艦「バルバロッサ」がこれ以降全く目撃されていないことは確かである。
第5、第8艦隊による統制集中射撃のターゲット8隻のうち3隻は蒸発(推定)し、3隻が大破し、2隻は小破に留まったがしばらく通信不能と見られた。
この損害によって帝国軍アムリッツァ方面軍が烏合の衆となるようなことは無かった。
それどころか、アムリッツァ方面軍は短時間で指揮系統を再確立した。
それに要した時間は同盟軍の推測ではわずか5分から8分とされる。
しかもこの間、旗艦を失ったはずのキルヒアイス艦隊、ロイエンタール艦隊は各戦隊単位で見事な長距離砲戦を行ったと「リオ・グランデ」戦闘詳報に記されている。
この数分の間に第10艦隊、第12艦隊は突進し、同盟軍が数分前まで形成していた横列陣形は三日月型の半包囲陣形となりはじめた。
それと同時にルッツ艦隊およびワーレン艦隊がキルヒアイス艦隊、ロイエンタール艦隊を援護すべく前進し、アムリッツァ方面軍の陣形は同盟軍の陣形の中央へ指向した二重横列あるいは二列の縦列へと変化しはじめた。
遠距離砲戦の段階で敵の数を減らしておくか敵の指揮系統や陣形を乱すことが艦隊指揮官の重要な仕事のひとつである。
接近戦に持ち込む前に味方艦隊を打ち減らされないように工夫することも艦隊指揮官の重要な仕事のひとつである。
場合によっては打ち減らされてしまった艦隊で優勢な敵艦隊への接近戦を挑むことも、艦隊指揮官の重要な仕事のひとつである。
この会戦の両軍の行動には、それら3つが見られた。
この会戦の両軍の行動には、軽快艦艇を突撃させ敵軍に致命的打撃を与える上で最良に近い判断がいくつも見られた。
砲戦開始からおよそ5時間後、音声信号のみの撤収命令がアムリッツァ方面軍副司令官ロイエンタール中将から発せられ、これは同盟軍任務部隊の傍受するところとなった。
ほぼ同時に同盟軍任務部隊指揮官、つまり第5艦隊司令官ビュコック中将も戦闘の終了を命じ、また損傷した帝国軍艦艇に対して降伏勧告を発した。
「リオ・グランデ」も激戦の中で小破していたが、幸いこの艦に限れば戦死者は無かった。
ロイエンタール提督の命令に従ってアムリッツァ方面軍の航行可能な艦が撤収してゆく。
星系外縁では増援に来たはずの貴族軍がワープインして、消えてゆく。
同盟軍はこれを追撃しなかった。その余力は無かった。
この5時間の間に帝国軍はおよそ350万人の将兵を失い、同盟軍もおよそ160万人の将兵を失った。
同盟軍任務部隊を率いるビュコックから見てより重大なことは、帝国軍アムリッツァ方面軍はこの方面の辺境領地を守る能力を喪失したことである。
「イゼルローンに連絡。『任務部隊はターゲットの排除に成功。降下部隊を進発されたし』とな。……それにしても、まさに一将功成りて、文字通り万骨枯る……か」
恒星風に流されてゆく残骸の群れを見ながら呟いて指揮座に体を沈めたビュコック中将に、ひとつ疑問を解消する報告が上がった。
降伏勧告に応じた帝国軍の巡航艦から、この会戦に先立ってキルヒアイス大将から行われた訓示の動画映像が得られたのだ。
映像は「リオ・グランデ」の艦橋メインスクリーンで再生された。
『我々は全滅を賭しても、帝国辺境領に安寧をもたらさねばなりません』
映像の中で先日の捕虜交換式典で同盟の女性兵士たちの人気を集め、会見したアル=サレム中将からは「飾らない人柄の誠実な軍人」と評された赤毛の好青年がそう訓示を発している。
ビュコックは低く笑った。
有能な将帥が率いる艦隊が、まるで自らの死と引換えにこちらを殺すことを望むかのような戦闘を展開したのは何故か、その答えがこんなところにあった。
何日か前のニュースでジェシカ・エドワーズ女史が国防委員長に就任したと聞いてジョークの素材にしたものだが、戦場の事実はもっと酷いジョークそのものだった。
この数日後、同盟軍の降下部隊を惑星クラインゲルト上で出迎えたクラインゲルト子爵は、自らを罪人であると述べた。
また、領民に少しでも良い暮らしを与えて欲しいと要望した。
対応した法務士官は言葉に迷った後、亡命手続きと入国審査に必要な書面を手渡した。
クラインゲルト子爵:OVAオリジナルキャラクターです。原作には登場しません。OVAでは領地と領民に深い愛情を持つ人物であることが描かれていましたが、それが帝国への忠誠心より強いのかどうかは判りません。同盟の政治家たちが勝手に思いこんでいる可能性もあります。
統制集中射撃:原作とOVAにおける「ヤン艦隊の特技・一点集中射撃」として有名な戦技ですが、「特定艦隊の特技」になったのは原作におけるアムリッツァキャンペーンでの大損耗が理由だと解釈しています。要するに、原作では他の艦隊がそれを可能とする練度まで仕上がることはついになかったと解釈しています。
原作では救国軍事会議のクーデターに加担した第11艦隊との戦闘(ドーリア星域会戦)において初めて用いられ、「数万本のビームが敵艦隊の1点へ集中した」(大意)とあります。
また、原作でもOVAでも帝国軍はこの戦技をほぼ用いていません。単に必要なかったのでしょう。
艦隊戦闘について:原作でもOVAでも、まるで打ち合わせたかのような相対疑似静止状態から砲戦を開始するのはなぜか。また、原作におけるヴァーミリオン会戦の序盤で急遽かき集められた第14、第15艦隊がミッターマイヤー艦隊を一時的に圧倒できたのはなぜか。スパルタニアン等は何のために戦闘宙域を飛び回るのか。その解釈を示してみました。
軽巡航艦と重巡航艦:ワシントン・ロンドン軍縮条約に相当する取り決めが同盟と帝国の間にあると設定しているわけではありません。また原作中でも明瞭な区分は示されていません。しかし、どうも使い方の異なる「巡航艦」があるらしいので本作では戦艦と共に砲戦を行う重巡航艦、駆逐艦と同じく軽快艦艇である軽巡航艦を設定してみました。
キルヒアイスファンの方々、ロイエンタールファンの方々へ:悪いのは本作の作者です。