部分的に残虐なシーンもあります。
帝国暦798年2月、銀河帝国帝都オーディンのローエングラム元帥府にてアムリッツァ星域会戦の戦訓分析が行われた。
高速巡航艦を用いて帝都に帰還したアムリッツァ方面軍の副司令官、オスカー・フォン・ロイエンタール中将は車椅子型の医療ロボットの上に負傷した身を預ける姿だったが、戦闘記録を再生しながら要所要所で行われる質問への返答は明晰だった。
「会戦に先立ってイゼルローン経由での捕虜交換を実施している。ボーデン、フォルゲンで彼らを休息させた際に聞き取りが行われたが、イゼルローン要塞に兵站物資を大量集積している様子は見受けられなかったと言う点で一致していた」
まず説明したのはルッツ中将である。
「アムリッツァ方面軍としてはそれらは偽装であり、同盟軍はごく普通に横陣からの長距離砲戦を相当な時間に渡り行うものと判断した上で戦闘に臨んだ。……結果として、大敗を喫した」
人工呼吸器マスクの下から発せられたロイエンタールの声には苦味があった。
「今さら悔いても死者は蘇らぬ。情報の精査はいついかなるときでも必要だが、人間は常識と言うものから離脱できぬものだ」
オーベルシュタインの言葉は単なる事実の指摘にしか聞こえず、アムリッツァ方面軍に属した3人の将帥を咎めるようにも励ますようにも聞こえなかった。
「戦術上の質問がひとつある。戦闘詳報を見ると砲戦開始の直前に乱数加速の命令がキルヒアイスから出ているが、この理由は?」
ラインハルトが尋ねた。
「命令に従い、その意図を問う前に集中射撃を受けました。キルヒアイス大将が何を見抜いたのかは不明です」
ロイエンタールは即答したが、その額に汗が滲むことまでは防げなかった。
彼の旗艦、戦艦「トリスタン」へと集中してくる4000本以上の中性子ビームが脳裏に蘇ったためである。
いっぽう、ラインハルトはある事実を知った。
キルヒアイスが死の直前に何に気づいたのか、何を思ったのかを知る手段は、無い。
ラインハルトが部下を失うのはこれが初めてではない。
そう割り切ることにした。なにしろ今生きている部下たちの前であり、今は軍服に身を包んで執務中なのだ。
ラインハルトが元帥府スタッフに頷いてみせると、戦闘記録の再生が開始された。
ロイエンタールにとっては自らの記憶と重なるものだった。
後に判明することだが4000門以上の中性子ビーム砲を向けられた事実と考え合わせると、戦艦「トリスタン」の被弾状況はむしろ軽微だとさえ言えた。一瞬のうちに艦橋の全てのスクリーンが映像を失って割れ、そして艦内各部との連絡が途絶した。艦長が被害状況の報告を命じるのと、艦橋のどこかで爆発が生じたのとどちらが先だったかは再生記録でも判明しなかった。
最初の爆発は人の目に見えるものではなかった。
人の目には映らない高速で機材の破片が飛び、艦橋内部の機材と人にぶつかって二次破片を撒き散らす。
二次破片、機材や人間だったものが飛び散る様子は目に見えた。
ありとあらゆる機材の破片が鋭利な刃物となって犠牲者を増やすべく飛び散り、機材だったものと人間だったものが即席の弾丸となって艦橋要員を襲った。
絶叫が重なり合って響き、すぐに途切れる。
オスカー・フォン・ロイエンタール中将の上にも機材だったものや部下だったものは降り注ぎ、中将は指揮座から弾き出された。彼の意識はここで途切れた。
……意識を取り戻したとき、ロイエンタールはなぜか指揮座にあって軍医と看護兵による応急措置を受けていた。
「何度も申し上げておりますが絶対安静とすべき負傷状態です」
軍医の声に自分の視界が揺れる。
自分が首を振ったことにロイエンタールは気づいた。
看護兵の足元に何本もの注射器が転がっているところを見ると、自分は鎮静剤か何かの注射を拒否したらしい。
さらに、どうやら今まで意識が無いままに医務室行きを拒否したらしい。
艦長が指揮座のロイエンタールの方へ振り向き、今乗っている艦が「トリスタン」ではないことに気づいた。
いったいどうやって損傷した「トリスタン」から僚艦へと移乗したのか、思い出そうとしたロイエンタールは優先すべき物事に気づいた。
戦況を把握せねばならない。
「3週間が過ぎましたが、未だに誰が小官を退避させてくれたのかはわかりません」
「卿には済まないが、戦訓分析が優先だ」
「承知しております」
再生再開。
複数の生存者の宇宙服レコーダーの映像と、僚艦からの映像、そして途切れ途切れの戦艦「トリスタン」の艦内状況記録が統合表示される。
艦橋後部の居住区は奇跡的に無事--設計者の意図しない大きな開口部が生じ、艦外の光景が直に見える状況を無事と言えるなら--だった。僚艦が危険を顧みずに接舷して「トリスタン」の生存者を救い、そしてロイエンタールは医務室への直行を拒否して艦橋へと乗り込んだ。
より正確には運び込ませたというべきか。
偶然にもロイエンタールが僚艦の指揮座に座るのと同時に戦艦「トリスタン」から送られていた艦内状況が失われた。メインスクリーンの隅に小さく表示が行われた。「これ以降『トリスタン』の状況は不明」
「この時点で艦隊の状況を把握できるようになった」
ロイエンタールは静かに説明した。旗艦と艦長の喪失にはとくに言及しなかった。
3週間前に臨時旗艦からロイエンタール提督が把握した戦況が、今元帥府作戦室に再生されている。
それは惨憺たる状況だった。
方面軍旗艦「バルバロッサ」は消失し、ロイエンタール艦隊の旗艦「トリスタン」も放棄され漂流してゆく。
「この時点で判明したことは、同盟軍は両艦隊の旗艦と次席旗艦、分艦隊旗艦ら合計8隻に集中射撃を行ったこと、この時点で方面軍司令官直率艦隊と、小官の艦隊、合計2個艦隊には健在な少将以上の指揮官は小官ひとりだと言うこと」
「通常は2個艦隊を8個分艦隊に分けて指揮するわけだが……これではどうしようもないな。たった一人で2個艦隊を動かすなどできることではない」
ビッテンフェルトが頭を振った。
「交戦開始直前にキルヒアイス提督から乱数加速の命令が下っていなければ『トリスタン』も小官もアムリッツァ星系の恒星風の一部となっていたでしょう」
ロイエンタールの言葉をラインハルトは彫像と化したかのように聞いた。
実際に彼の友、ジークフリード・キルヒアイスの旗艦「バルバロッサ」はその全ての乗組員とともに、今やアムリッツァ星系の恒星風の一部となって漂っている。早ければ数百万年後、遅くとも数億年のうちに恒星風はガス雲として集積し、新たな恒星が誕生し、宇宙の片隅を照らすことだろう。
指揮系統は崩壊し、当面は重傷を負ったロイエンタールひとりで2個艦隊を動かさねばならない。後に二人の分艦隊指揮官(少将)の健在が判明するが、その時点では全く不明だった。
「ルッツ、ワーレン両艦隊が前に出ます!」
3週間前、アムリッツァ星系においてロイエンタールの臨時旗艦の艦橋に響いた声が今、元帥府作戦室に響く。映像からもそれは読み取れた。同盟軍の両翼が展開し、我が方を半包囲せんとすることも。
「全艦隊に通達……オスカー・フォン・ロイエンタール中将が方面軍の指揮を継承する。ルッツ、ワーレン両提督は前進、複縦陣形へと再編する」
まだ止血さえも終わっていなかったが、その指示だけは出さねばならなかった。
包囲されつつある今、取りうる手段はこちらも両翼を開いて延伸して横列の再形成を強要するか、我が兵力を集中し陣形の厚みを増すかのどちらかである。
2個艦隊を、8個分艦隊としてではなく64個戦隊の集まりとして、それもたった一人で指揮せねばならないこの状況で延翼運動など行えるものではない。
集中によって艦列を厚くし、時間を稼がねばならなかった。
何の時間を?
戦隊長のいずれかを臨時に分艦隊司令として任じ、指揮系統を立て直すための時間を。
ロイエンタールが持つ、同盟軍の作戦行動に関する豊富な知識に基づけば、その時間はあるはずだった。
「この時点では、同盟軍は遠距離砲戦をしばらく続けるものと判断していた」
ロイエンタールが説明し、ルッツとワーレンも頷いた。
ラインハルトも居並ぶ諸将もこれには同意を示した。軽快艦艇を突撃させるのは砲戦によって十分に敵軍を損耗させてからと言うのは常識を通り越して義務でさえある。
アムリッツァ方面軍4個艦隊が複縦あるいは方形陣を成す前、ルッツ艦隊とワーレン艦隊が斜めに突出した状態にあるまさにそのタイミングを計ったかのように、同盟軍の艦列から軽快艦艇群の突撃が始まった。
「……完全に後手に回ったな。しかし、無理もない」
「根本的には同盟軍の作戦目的を見誤ったことに大敗の原因がある。同盟軍は今回、統制集中射撃と言う新戦技を用いたがこれは技術的には目新しいものではないし、またこの会戦に決定的な影響を与えたものでもない」
ビッテンフェルトが常にそうであるようにシンプルにかつ明快に核心を指摘した。
「それはそのとおりだ。事前の想定が正しかったなら、方面軍司令官に加えて分艦隊司令官を複数失ったことさえ問題ではなかった。想定どおりに各戦隊が砲撃を続け、方面軍副司令官……いや、方面軍司令官代行が局面を見て突撃なり撤退なりを命じるだけだったのだからな」
ラインハルトが静かに評した。
想定どおりに作戦が進むものならば、会戦が始まってからの艦隊司令官の仕事は「油断するな」と命じておき、あとはしかるべきときに「進め」あるいは「引け」と命じるだけなのだ。
「ですが、この戦いではそうは行かなかったのです」
ロイエンタールが脂汗を滲ませながら答えた。
再生が再開される。
予想より遥かに早く開始された同盟軍軽快艦艇の突撃第1波を阻止しきれず、ルッツ、ワーレン両艦隊は軽巡や駆逐艦の放つ砲火で戦艦さえも撃沈される至近距離への接近を許してしまう。帝国軍の艦列に次々に穴が開く。
ここでその後方にある『元』キルヒアイス艦隊とロイエンタール艦隊から戦隊を動かせばその穴を埋めることが出来るが、それを為すべき分艦隊の指揮官たちは失われ、重傷を負ったロイエンタールひとりで64個の戦隊へ直接命令を出さねばならない。
ロイエンタールは2度にわたり、それに成功した。
「第2波、第5波の突撃に対処できたのは見事だな」
ミッターマイヤーが評し、ロイエンタール、ルッツ、ワーレンが苦い顔で頷いた。
「だが、結果から言えばこれは撤退できる形勢を作る準備にしかならなかった。また、それ以外は対応しきれなかったこと。そして撤退の判断が遅過ぎたことを認める」
ロイエンタールの言葉に苦いものが含まれているのは人工呼吸器のせいではないことが諸将には知れた。
そもそも本来なら艦隊が隊列を保ってアムリッツァ星域からオーディンへ戻るには5週間が掛かるのだ。
会戦からわずか3週間でロイエンタールが、そしてルッツとワーレンがオーディンへ帰参している理由は、まさに大敗したからである。
「誰が指揮していてもそれは同じだったろう」
ラインハルトが評した。
「この大敗の根本原因は、同盟軍の作戦目的が我が方に損耗を与えることではなくアムリッツァ方面軍の殲滅だと気付かなかったこと、そしてその目的のためには自軍の損耗を厭わないことに気付かなかったことにある。つまり、宇宙艦隊司令長官と統帥本部総長が適切な情報を方面軍指揮官に与えられなかったことが原因であり、責任もそこにある」
宇宙艦隊司令長官であるローエングラム候ラインハルトは結論を出した。
ただし彼らの分析には不足があった。
「なぜ帝国軍アムリッツァ方面軍はこの戦況で撤退しないのか?退いて立て直しを図らないのは何故か?」
3週間前、敵将たちがそのように首を傾げていた事実を彼らが知るのは、ずっと後のことである。
さて ラインハルトがオーベルシュタインに命じた同盟の動静分析は難航していることがすぐに知れた。ラインハルトはこのような場合に過干渉も無関心も好ましくないことを知っている。人間を能力以上に急がせることはできないことをラインハルトは熟知しているし、またトップの関心の示し方によっては分析チームはトップの望む分析結果へと自らを誘導してしまうことがある。
しかしこの件に関してはラインハルトが進捗状況をチェックするまでもなく、オーベルシュタインからの要望によって難航が知れた。
あろうことか、オーベルシュタインはいわゆる開明派貴族を元帥府スタッフとして招くことを要望してきたのだ。
「今回の同盟軍の戦闘行動および兵站の動きからは、答えに至らないものと考えます」
要するに戦闘詳報や軍部が得ている情報だけではお手上げであるとオーベルシュタインは顔色ひとつ変えずに言ってのけた。
「……卿が言うのであれば根拠あってのことだろう。その根拠を知らせてくれ」
「今回の同盟軍の行動は軍事的には不合理そのもの。彼らのこれまでの行動とは著しい違いがあり、にも関わらず戦闘に際してはこれまでと変わらぬ高い士気を持って臨んでいることがその行動と捕虜尋問によって裏付けられています。不調和なのです」
まず、昨年5月までに同盟軍が繰り返した軍事行動においては必ず事前にシヴァ、エルゴンへの大規模輸送を実施している。これは民間船舶まで動員することが多く、時には帝国軍情報部が潜入させている諜報員の報告よりも先にフェザーンで関連企業の株価変動として現われることさえあった。
昨年10月から始まった同盟軍が言うところのアムリッツァ哨戒行動においてはより顕著である。
彼らの意図が我が方に対応を強要することにある以上、公然と準備を整え我が方に対応を強要するのは当然であろう。
しかし今回のアムリッツァ星域会戦において同盟軍が動員した4個艦隊については、そのような動き、関連兵站組織の事前の動きが全く見受けられない。イゼルローン要塞に同盟軍4個艦隊が合流した事実を帝国軍が把握したとき、帝国軍ではその奇妙さに気づいたものがあった。
諜報網のいずれにも、またフェザーンの株式市場においても、同時あるいは先行して生じるはずの兵站組織の動きや民間運輸企業への輸送委託が全く検知されなかった。
このとき、帝国軍は同盟軍の意図を奇襲攻撃にあるものと判断した。
同盟軍の行動はこれまでは対応強要に留まってきたが、今回はある程度の損害を与え帝国辺境を実際に脅かす意図を持ってのことであろう。
そう判断するのは、無理もない常識論でもあった。
しかし現実に行われたアムリッツァ星域会戦での同盟軍の行動は、得られたわずかな同盟軍捕虜の証言、すなわち会戦に先立って行われたとされる「ビュコック中将訓示」なるものがまるで事実であるかのような、異常なものである。
同盟軍は各艦の搭載物資と戦闘継続可能時間に厳しい制限があるかのような行動をとった。すなわち短時間の長距離砲戦からの突撃と包囲体制への移行である。第一斉射によってキルヒアイス大将を戦死させ、アムリッツァ方面軍の指揮系統を一時的に麻痺させたこと自体は「やはり」に類する新戦術のひとつに過ぎない。
しかし同盟軍はそれによって得た優位を着実に拡大するのではなく、時間を自軍将兵の生命で買うような行動を取った。また自軍の損失を厭わずにアムリッツァ方面軍を壊滅させること自体が目的であるかのような行動を取った。
しかもその指揮官が老練堅実を持って知られるアレクサンドル・ビュコック提督であることも帝国軍を悩ませていた。
その悩みを帝国軍統帥本部も、宇宙艦隊司令部を兼ねるローエングラム元帥府も共有している。
「わずかではあるが我々も同盟軍の捕虜を得た。証言はいずれも一致している。第5、第8艦隊はシヴァ、エルゴン星域での訓練中に突如として出動命令が掛かったと」
これはロイエンタール提督の証言である。
捕虜証言もまとめられて提出されている。
アムリッツァ星域会戦後、同盟軍はアムリッツァ辺境諸侯領に降下部隊を侵入させ数百万人を略取誘拐した。
それが目的だとしても、あまりに不合理にすぎる。
公然とは口に出来ないことだが、労働生産性において同盟のそれが帝国を倍は上回ることは周知の事実である。
だとするならば、同盟の今回の行動は明らかに「採算が合わない」。
また、捕虜交換の最中になんらかの通信文が辺境諸侯から同盟側に渡った可能性が指摘されているが、これも理由として薄い。
事実として同盟は150万から180万人の戦死者(推定)と引換えに帝国辺境から数百万人の人間を略取誘拐した。
この逆の事例、すなわち帝国軍が同盟領に侵攻して「民主主義なる迷妄に囚われた人々を解放」した事例はある。
しかし、それらの事例と比べてあまりにも異常な比率である。
「その『異常さ』を分析するには軍人だけでは足りぬ、それが卿の意見か」
「しかり」
オーベルシュタインの機械的に平静な言葉を人間めいたものに訳せば「自分にはわからないから詳しい人間の助けがほしい」である。
「……良いだろう、外部の人間を分析に招くことで何かが判ることもあろう。宰相閣下に依頼して何人かを派遣していただくことにする」
翌日には開明派貴族として知られるオイゲン・リヒター、カール・ブラッケの両名が元帥府に派遣され同盟政府の行動分析について助言することとなった。同時に、あまり歓迎されないスタッフも派遣されてきた。
社会秩序維持局の分析官、取調官たちである。
彼らがどのように同じ場所で同じ課題に対して協力し仕事を進めたのかについては公式記録は沈黙を守っている。
はっきりしていることは、彼らの出した結論である。
分析チームが発足してから3日後、オーベルシュタインがローエングラム元帥の執務室にひとり赴いて結論を述べた。
研究チームを伴っていないことについてラインハルトが尋ねると参謀長はいつもどおりの口調で答えた。
「開明派貴族と社会秩序維持局員と言う、潜在的に敵対するものたちです。お互いの顔を見ずに済む場所で休息をとらせています」
と。
あるいはオーベルシュタインにも他人のストレスに対する配慮能力があるのかもしれない。
ラインハルトはそう考えつつ、分厚い報告書を受け取った。
「要約を聞きたい」
「はい。4項目に要約できます。
ひとつ、同盟政府に対してアムリッツァ辺境諸侯は救援要請ないしはそう受け取れる内容の通信を送った
ふたつ、同盟政府はこれに対して条件反射を起こした。兵站準備が秘匿されたように見えるのは、単に何の準備も無く実施したためである
みっつ、同盟人にとって今回の行動の目的は、ビュコック提督が行った訓辞そのままである
よっつ、今後は同盟を『外敵』であると認め、外敵の行動原理と内在論理の把握に努めねばならない
これだけです」
これを聞いてラインハルトは彼らしくもなくしばらく沈黙し、オーベルシュタインに対してやはり彼らしくない胡乱な目を向けた。
「……分析チームの能力や職務への精励を疑うわけではないが……まだ何か見落としがあるのではないか?同盟軍がこれまでと全く違う行動をとった事実をもって、同盟の今回の行動を条件反射と結論つけるのは飛躍に思える」
ラインハルトが疑問を示した。口には出さなかったが、このときラインハルトは参謀長の能力に対しても疑問を抱いていた。
「失礼ながら元帥閣下。同盟は『外敵』であると事実を認める必要があります」
この言葉には流石にラインハルトも秀麗な顔に不快感を見せた。
「卿は何を言いたいのだ?」
ラインハルトはオーベルシュタインの言葉を嫌味として受け取ったわけではないが、愉快ではなかった。
「外敵の行動原理、外敵の思考様式の把握と言う基本的な任務に立ち返るとき、我々軍人だけの視点では困難がありました」
「それは知っている。卿の進言を受けて研究チームを発足させたのは私だからな」
ラインハルトは続きを促した。
「まして『自国民が反乱を起こしている』と言うこれまでの形式論ではこの『外敵』の行動は理解不可能。彼ら同盟人にとって『専制政治から人民を救い出すこと』には、救出する人民よりも多くの兵士を失う価値がある。これは研究チームが同盟の法律書、思想書、さらにあちらの各種マスメディアの論調、政治家のステートメントを研究して到達した結論です」
オーベルシュタインはごくシンプルに分析過程と結果を示した。
「……確かに、人間は生まれや育ちが違えば物事の考え方が違ってくるものだ。……が、諸将に説明する前に準備をしておくように」
明快迅速な意思伝達を旨としてきたラインハルトらしくもない逡巡であった。
「行ってもらうことは説明の準備だけではないな。参謀長、今後の同盟に対する研究体制について意見、要望はあるか?」
ラインハルトは確認を求めた。
「今回協力をいただいた開明派貴族の方々に引き続き研究を依頼することが最適かと」
「社会秩序維持局は?」
「いささか外敵に対する敵対心が強すぎ、物事を相対化して認識するに難があります」
「よかろう。開明派貴族を元帥府に集める」
その研究成果は同盟軍の行動予測に留まらないことがラインハルトには判っていた。
ラインハルトとしても、帝国のあらゆるところに満ちている不公正の是正をこれまで何度も考えてきたのだ。
数千光年を隔てた暗黒の虚空を戦場として兵士たちが死の恐怖に脅え、あるいは恐怖する時間さえも与えられずに素粒子へと還元されてゆくそのときに王宮や貴族邸宅では華麗な舞踏会が催されてきたのだ。その悲惨で滑稽な対照に、ラインハルトは初めて舞踏会に出たときに気づいた。
その現実は変わらねばならない。変えねばならない。
この数年、ラインハルトはそう考えてきた。
考えを同じくする友がアムリッツァ星域の恒星風の一筋と化した今もそれは変わらない。
「今回はオイゲン・フォン・リヒター、カール・フォン・ブラッケのご両所に協力を頂いた。今後は研究チームを常設とし、規模と質を高めるとしよう」
ラインハルトが名前を挙げた二人の開明派貴族は自ら「フォン」を省いて名乗る人物である。ラインハルトもそれは承知していたが、敢えて両名の正式な名を挙げた。
若い元帥の言葉は、対同盟研究チームを元帥府の公的部署として公文書に記すことを示している。
午後、作戦室に諸将を集めて同じ説明が行われた。
午前中にラインハルトが示したのと全く同じ疑問を諸将が口々に述べると、オーベルシュタインは義眼を光らせて答えた。
「卿らを愚弄する意図は全くないが、率直に述べる。我々は今後、同盟は『外敵』であると事実を認める必要がある」
この言葉にラインハルトは内心、ため息をついた。やはりオーベルシュタインには他人のストレスや不快感へ配慮する能力は無いのだ。
「何?!」
「今の言葉が我々に対する愚弄でないだと、では何か!」
複数の将が顔色を変えひとりなどは席を蹴って立ち上がった。
「大声を出すな、骨に響く」
自走車椅子の上からロイエンタール中将がビッテンフェルト中将をたしなめた。実際に苦痛があるらしく、額には脂汗が滲んでいる。
「同僚諸君を愚弄するつもりはない。単に異なる問題には異なるタイプの人材が必要と言うだけのこと。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあるに過ぎない」
「参謀長、もう少しわかりやすく順序立てて説明してくれ。私も最初は判らなかったのだからな」
ラインハルトの言葉で騒然とした作戦室は静けさを取り戻した。
オーベルシュタインが言葉を続ける。
事実として同盟は今回の不可解な行動を実施した。
各種諜報、わずかながらアムリッツァ星域会戦で得られた同盟軍捕虜の証言。会戦に先立って行われた、イゼルローン経由での捕虜交換と、それによる帰還兵証言の数々。
いずれも、同盟軍は「行動開始に遅れて」兵站輸送を開始した事実を示している。
ついさきほどまでは、捕虜交換に伴う莫大な艦船の移動に隠してイゼルローン要塞に兵站物資を移動したものと思われてきた。
しかし、そうではなかったのだとオーベルシュタインは主張する。
帝国軍情報部、帝国内務省をはじめとする全ての諜報機関が欺かれ、200万人の帰還兵の誰の目にも触れないように物資集積を行ったというのでない限り、同盟軍の今回の行動は「艦隊のみ先に動かし、降下部隊と輸送部隊を後から動かす」ものだ。
「アムリッツァ辺境諸侯から同盟政府へ通信文が届けられた日付はまだ確定できないが、前後どのように幅をとっても結論は変わらぬ。同盟政府はアムリッツァ辺境諸侯からの通信文に応じて、条件反射に類する行動を取ったのだ」
オーベルシュタインが彼には珍しいほど強い口調で重ねて主張した。
「……大略は理解した。して、今後の同盟の行動はどうなるか予想は出来るのか」
車椅子の僚友を見やってミッターマイヤー中将が訪ねた。
「基本的にはこれから始まる帝国内戦を長期化させることに同盟の狙いがある。しかし、極端な長期化および帝国の『急激な』崩壊は望まない、そう考えられる」
「今回アムリッツァ方面諸侯が行ったような救援要請がなされない限り、同盟は手出しを控えると言うことか?」
「しかり」
義眼の参謀長は短く答えた。
「仮に不平貴族領地の領民が反乱を起こし、我々ではなく同盟政府に助けを求めた場合はどうなると考える」
オスカー・フォン・ロイエンタール中将の声は人工呼吸器によって曇ってはいたものの、その内容は健常時と同じく明晰だった。
「損失を無視しても出兵してくると考える」
「卿の考える同盟とはまるでスイッチで動く単純な機械だな」
ビッテンフェルト中将がたくましい長身に似合わない細面を傾げた。
「この件に関する限り、同盟人は単純機械だ」
「だが戦場では違う。機械に例えるならば我々を殺傷すること自体を目的とする機械だ」
居並ぶ軍人たちの誰一人として、敵を殺すことそれ自体を目的とする作戦など行ったことは無い。常に勝利を求めてきたのだ。敵を倒すことは手段に過ぎない。
ラインハルトに至っては、一度は全く発砲せずに戦術的勝利を得たことさえある。
リップシュタット盟約貴族たちは武装蜂起の準備を着々とすすめる一方、宮内省に働きかけて皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世臨席の園遊会を開く手はずを整えた。その一方で動産の持ち出し、不動産のひそかな換金をも進めていた。
これはブラウンシュバイク公爵の家臣アンスバッハ准将なる人物の手配によって行われ、「園遊会」に併せて帝都脱出を行うと言う大胆な計画を知るものはごく少数に留まった。
さて、皇帝臨席の催しを故なくして欠席することは、銀河帝国においてはそれだけで大逆罪に値するという事実がある。この事実が宰相府や内務省警察局、軍務省憲兵隊に先入観をもたらしていた。不平貴族どもが武装蜂起と帝都脱出準備を進行中であることまでは掴んでいたが、まさか皇帝臨席の園遊会をめくらましとすることはあるまい。
恐らく帝都脱出はその園遊会の直後、警察局や憲兵隊が園遊会の警備に動員された隙をついて行うのであろう。
そう考えるのはある意味、彼らにとって当然であったろう。
不平貴族こぞって「園遊会」を無断欠席し惑星オーディンから宇宙へ飛び立つ。
これだけで領地召し上げの理由に十分である。
不平貴族がそのような無謀な行為を行うと考えなかった警察官や憲兵たちを責めるわけには行くまい。
彼らの失策の根本は、不平貴族すなわちリップシュタット盟約貴族たちが「自分たちが確実に勝利する」「帝国有数の大貴族たる我々を一方的に処断できるはずもない」と信じていると気づかなかったことにあった。
要するに内務省警察局も、軍務省憲兵隊も不平貴族たちほど病んではいなかったのだ。
だから、ほとんど全ての不平貴族が帝都オーディンからの脱出に成功した。
帝国宰相リヒテンラーデ公爵は失策にすくみあがって報告する内務尚書、静かに報告する軍務尚書にねぎらいの言葉を掛けた。
「確かに卿らの失策ではあるが、仮にワシが指揮をとっておったとしてもまさか園遊会のその時刻に合わせて飛び立つなどとは予想しようがない。備えることは不可能だったのだ。それにしてもアンスバッハとやら、ブラウンシュバイクめには過ぎた家臣よ。あの才、陛下のために帝国のために役立てたいものだが……逃がしてしまった今、大きな武器を用いて根こそぎにするよりあるまい。もはや猶予はならぬ」
珍しく穏やかに語った宰相はそこで言葉を切り、表情を改めた。
「ただちに軍は『賊軍』を討ち果たし、大逆罪を犯した元貴族どもをその家臣ともども懲罰せよ。生死はもはや問わぬ」
『元』貴族と宰相は口にした。
これに対する典礼尚書の反応は鈍かった。多額の宮廷工作費を用いて典礼尚書と言う閑職、普段は仕事それ自体がないただ権威と栄誉があるだけの職を掴んだ人物とはいえ、あまりにもその反応は鈍かった。
メルカッツ軍務尚書の咳払いでようやく典礼尚書は何か自分が行うべきことがあるらしいと気づき、視線を彷徨わせた。
「ただちに宇宙艦隊に出動を命じます。『元』貴族どもを徹底的に叩き、一平民としての降伏か、死を強制いたします」
「よろしい」
軍務尚書が一礼して退出し、規則正しい靴音が遠ざかってゆく。
そして典礼尚書はようやく「自分が行うべきこと」が何か理解した。
もはやブラウンシュヴァイクもリッテンハイムも貴族ではないのだ。軍務尚書は「平民として降伏させるか殺す」と言い放ち、宰相がこれを肯定したのだ。
「た、ただちに『賊軍』に与したものたちを貴族譜より外します。……エリザベートさまとサビーネさま、それにアマーリエさまとクリスティーネさまは……」
典礼尚書は狼狽もあらわに先帝の孫娘二人の名と、先帝の息女二人の名を挙げた。
「例外はない。もはや『賊軍』に貴族などおらぬのだ。おぬしは帝国を支えると言う、貴族の神聖なる義務を諳んじておるはずであろう」
「は、銀河帝国貴族たるは……」
「暗証せんで良い。仕事に掛かれ。明日までに『賊軍』の全員を貴族譜から省くのだ」
宰相の険しい視線に典礼尚書は危なっかしい足取りでその場を退出した。
史書は伝える。
ゴールデンバイム王朝においてもっとも多数の典礼省職員が超過勤務を行ったのはこの日か、あるいは『止血帝』の即位前夜であったろうと。
典礼尚書を退出させた後、リヒテンラーデ公クラウスは愛読書「理想の政治」の一節をひとり諳んじた。
「国家や法を動かすに当ってもっとも重要な原理の一つは、それら国家や法を一時的あるいは終身で『所有』している人々が、祖先や先輩から受け取った権限と義務、本来は子孫や後輩に渡すべきことを忘れて、しかも自分達こそ宇宙のはじめから定められた全権的な存在だと認識して振舞う、といったことがあってはならぬ」
今夜『賊軍』に与した貴族どもは、この一節の原著者が知れば激烈に批判するであろう行動を取った。
その報いはただちに受けさせねばならぬ。
彼クラウスは、愛読書の一節が古代の思想書、それも共和主義者の著書からの引用であることを知っている。もちろん愛読書はこれに対して批判を付け加えた上で「これは専制と言う、共和主義よりも優れた政治体制にも当てはまる」と記しているし、クラウスも同感である。
「王朝や国家の存続は個人の権利よりも優先されねばならぬ」
クラウスはそう解釈している。
原著者や銀河の向こう側の政治家がクラウスの解釈を聞けばどう評するか知らぬ。
知るつもりも方法も無い。
同時に懸念が浮かぶ。
可能性は低いがローエングラム侯、帝国騎士メルカッツの二元帥が『賊軍』によって倒されることがあれば、彼クラウスも「権限を失う」側にまわる。
また勝利した場合でもローエングラム侯への対応を過てば、結果は彼クラウスにはもちろん、ゴールデンバウム王朝にとっても致命的なことになろう。
あとがき:1個分艦隊が何個戦隊から構成されているのかは原作には明記されていないと思います。これは作戦ごとに変化しうるものだと考えていますので、今回の「8個分艦隊=64個戦隊」は今後は変わる可能性があります。
ファーレンハイトや『賊軍』首脳部がこの戦闘をどう分析しているかを書こうかと思ったのですが、長くなりすぎるので後々の話に入れます。