無駄に長くて稚拙なので、「要点はシンプルだ」と言うヤンの台詞のところまで読み飛ばしていただいても大丈夫です。
地上55階、地下80階。惑星ハイネセンの北半球落葉樹林気候帯に自由惑星同盟軍統合作戦本部のビルがある。この周囲には技術科学本部、後方勤務本部、宇宙防衛管制司令部、士官学校、首都防衛司令部、宇宙艦隊司令部地上オフィスビルなどの建物が整然と配置されている。
首都ハイネセンポリスの中心部からはおよそ100キロほど離れているが、さほど不便ではない。
その統合作戦本部の地下、4層のフロアをぶち抜いた集会場において、アムリッツァ星域会戦戦没者の慰霊祭が行なわれようとしていた。同盟軍『帝国民衆救援』任務部隊が実に160万人の将兵を失いつつ凱旋してから二日後の、雨降りしきる午後である。
会場へ向うベルトウェイは出席者の群に埋まっていた。戦死者の遺族があり、政府や軍部の関係者がいる。なかに第13艦隊司令官ヤン・ウェンリーとその幕僚たちの姿もあった。
ヤンは頭上に拡がる分厚い雲に視線を送った。彼の目には見えないが、大気の層が幾重にも重なったその上の空間には、無数の軍事衛星が音もなく飛翔しているはずだった。
なかでも、12個の迎撃衛星を連ねた「アルテミスの首飾り」……宇宙防衛管制司令部によって制御される巨大な殺人と破壊のシステムは、「これあるかぎり、惑星ハイネセンは難攻不落である」と同盟軍幹部をして豪語させている。しかし上層部は、難攻不落と称されたイゼルローン要塞さえ今や同盟軍の手中にある事実と、「アルテミスの首飾りあるかぎり云々」と言う見解をどう整合させて居るのだろう?
ヤンの疑問は己の功績を誇ってのものではない。
そもそも、イゼルローン攻略が本当にヤンの功績なのかどうか、歴史家としてのヤンは疑っている。
あの作戦において、あまりにも軽々しく帝国軍イゼルローン駐留艦隊は要塞の援護圏の外へと離れたこと。そして要塞守備隊が何のボディチェックもせず、念のために陸戦隊員を司令室に待機させることもなく「フォン・ラーケン少佐」なる人物を招き入れてしまったこと。
帝国軍の通信プロトコルの全てを完全に偽装できたこと。
公式にはヤンは「帝国軍の油断に助けられた。幸運だった」と言うしかないのだが、さてどこまで本当なのだろうか。帝国軍の「油断」のうちいくつかは、同盟軍が時間を掛けて作り出したものではないか?
ヤンは両手で軽く頬を叩いた。
今日行われるアムリッツァ星域会戦慰霊祭は、昨年、同じ場所で行われたアスターテ会戦の戦没者慰霊祭とは違う。部分的には戦勝記念式典を兼ねる。
そしてもちろん、同盟全土にソリビジョン生中継が行われる。
とりとめもなく考えている彼の肩を叩く者がいた。振り返ると彼の幕僚たちの列に割り込んで、統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の次席副官アレックス・キャゼルヌ少将が渋い顔で立っていた。
「戦勝式典でもあるはずだが、どうも皆表情が冴えんなあ」
「160万人の犠牲者と引換えの勝利です。しかも実質的にやったことは帝国民衆の大量誘拐、およそ300万人。素直に喜ぶのはいい趣味じゃありませんよ」
「まあそんなところだな。しかも今回は勝利した。ことさらにビュコック中将以下、任務部隊の将兵たちを英雄として持ち上げる必要もない。アスターテやエル・ファシルのときとは逆だな」
相変わらずの皮肉である。
13艦隊参謀長ムライ少将が咳払いをして、キャゼルヌは表情を改めた。
「まあそれよりお前さんがどんな態度でこの式典に臨むのか俺は興味があるね。なにしろ今や、国防委員長はジェシカ・エドワーズ閣下だ」
両者はひとしく、同盟政府国防委員長に就任して間もない少壮政治家の顔を思い浮かべた。
ヤンにとっては士官学校生徒時代からの付き合いでもある。
アスターテ会戦で戦死したヤンの同期生ジャン・ロベール・ラップ少佐の元婚約者。
士官学校の事務長の娘で、音楽学校に通っていたジェシカ・エドワーズ。ヤンやラップが問題を起こす都度、面倒を掛けたものだった。ヤンとラップが士官学校を卒業するのと時を同じくしてジェシカは音楽学校を卒業し、音楽教師となった。
そのジェシカ・エドワーズはラップの戦死をきっかけに政界に身を投じて昨年テルヌーゼンの補選で代議員になった。
エドワーズ代議員は先日行われた最高評議会議長公選に出馬し、大方の予想通りに現職サンフォード議長に敗れた。
だがジェシカの政治スタンスとその背後にある反戦団体の支持はサンフォードに次ぐ得票を得るに足るもので、第2次サンフォード政権の閣僚として入閣することになった。
反戦団体を背後に持つ人物を国防委員長に据えるという議長の組閣方針はちょっとしたニュースになった。
今日の慰霊祭ではそのサンフォード議長が恐らくはいつものように官僚に作成させた原稿を棒読みし、その後にエドワーズ国防委員長が演壇に立つ。
第2次サンフォード政権がどのような対帝国の国家戦略を持っているのか、あるいはそんなものはないのか。
それを知る上では重要な催しであるかもしれなかった。
そんなことを考えているヤンは軽い自己嫌悪に陥った。
これから行われるのは160万人の戦死者を弔う行事なのだ。だと言うのに、ヤンはこれからの戦争のことを……いかに効率良く大量殺人を行うかを考えている。
以前と同じく、会場で両者の席は離れ離れになった。キャゼルヌは貴賓席のシトレ本部長の背後に、ヤンは幕僚たちや他の艦隊司令部スタッフたちと同じく演壇直下の最前列、やや外側である。
貴賓席にシトレ本部長が座るのはこれが最後とされている。もうすぐ定年なのだ。
シトレの定年退職後、その隣に座っているラザール・ロボス宇宙艦隊司令長官が本部長になることは規定路線とされている。
任務部隊の帰還直後、軍用宇宙港の地上ターミナルで行われた凱旋式では主役だった4個艦隊の司令官とスタッフたちも今は演壇直下、演壇の真正面にある。その両脇に休養整備段階にある第13艦隊と第11艦隊の将兵が並ぶ。
そんなわけでヤンの席から第10艦隊の列は遠く、ヤンの2期下の後輩ダスティ・アッテンボロー少将の姿を見出すことは出来なかった。
式は型通りに始まり、型通りに進行していった。いつもそうであるようにサンフォード議長が官僚の作製した原稿を無感動に棒読みしはじめた。
その内容は議長の演説が常にそうであるように型通りの面白みもないことだったが、最後にわずかな違いが生じた。
「慰霊祭と言う場ではあるが、一言申し添えたい。わが国は自由の国である。誰もが内心の自由と政治活動の自由、行政府への要望の自由を持っている。それは同時に、誰もが他人の自由を守る義務を持ち、自分と意見が異なる人物の自由をも守る義務を持つということでもある。このことを、改めて同盟市民諸君に申し上げる」
そう言ってサンフォード議長が演壇の脇へ退くと会場はざわめきに包まれた。
今の議長のコメントは、次の登壇者に配慮しての言葉なのか?
次の登壇者はどんな「違う意見」を述べるのだ?
そして新任の国防委員長、ジェシカ・エドワーズが落ち着いた足取りで登壇した。彼女が現れたことで場内のざわめきがさらに強くなる。
ジェシカは原稿を手に、落ち着いた口調で6万人の参列者に語りかけた。
「お集まりの市民の皆様、兵士のみなさま。今日、我々がこの場に集った理由はさきほど議長が述べられたとおりです。アムリッツァ星域において戦死した160万の英雄たちを偲ぶためです。彼らは貴い生命を祖国の自由と平和、そして国是を守るために捧げました」
ここまでは昨年、アスターテ会戦の慰霊祭で当時の国防委員長ヨブ・トリューニヒトが述べたのと大凡同じである。ジェシカはこの慰霊祭を、トリューニヒトがそうしたように政治ショーにするつもりなのだろうか?
「貴い生命と、私は申し上げました。まことに生命は貴ぶべきものです。しかし同時に、わが国においては個人の生命よりさらに貴重なものが存在するということを有権者の多くがご存知のとおりです。後に残された我々はそれを十分に理解し、次なる行動に活かさねばなりません。良き夫、良き妻、良き父、良き母、良き息子、良き娘が160万人失われ、そして彼ら彼女らの将来が失われたこの事実を忘れてはなりません」
「……どう話を持ってゆくつもりなんだ、ジェシカ」
ヤンはごく小さな声で呟いた。壇上には聞こえなかっただろう。今のところ、まるで昨年のトリューニヒト演説の焼き直しか、皮肉だ。
エドワーズ国防委員長の静かな口調の演説が続いている。
「今回、わが国は専制政治の支配に喘ぐおよそ300万人の民衆を救いました。その代償は我が軍の将兵、我が国の国民160万人の死です。この数字が逆であったとしても、あるいは助けを求める人がただ一人であったとしても、我々はこの作戦を実施したこと間違いありません。またこれからも、必要とされるならば躊躇わず行うこと間違いありません。誰もが知るとおり、同盟憲章に明記されたわが国の国是は一個人の生命と人権を守るために国家の総力を尽くすものであるためです」
まるで情報交通委員長が昨年の閣議で口にしたと噂されるような美辞麗句だ。
困ったことに、否定できない。
「個人の自由と人権は国家の存亡よりも重い」とする国是は、ヤンも同意するところだ。
同盟憲章にはそれが明記されており、あらゆる市民には「抵抗権」がある。
「同時に、この戦いが終わる可能性もあることを私はここに申し上げます。私はここで、和平を口先で唱えるものではありません。その答えは100年以上前に当時の評議会議長が帝国のコルネリアス1世に送った返書にあります。銀河帝国がその国民の自由と人権を守る国に転換する場合、また我々がそれを帝国に受け入れさせた場合、この長い戦いは終わります。専制政治に対する我々の勝利と言う形で」
会場は粛として声もない。
「また私はここで、古代地球人の言葉をひとつ紹介したいと思います。『自らの自由を確実なものにする人は、敵すら抑圧から守らなければならない。なぜなら、この義務に違反すれば、いずれ義務違反の前例はそれを作った本人に及ぶことになるからである』これは我々にとってまさに事実です。我々の先祖がアルタイル第7惑星をはじめとする流刑星に投獄されてから本日この日に至るまでの戦い、そして今後も続くであろう戦いはまさに、この義務に違反した人々の集団すなわち銀河帝国がその前例すなわち抑圧を我々に及ぼそうとしたために始まり、そして続いているからです」
エドワーズ国防委員長が引用した言葉は同盟人ならば誰もが知る、同盟憲章にも引用されている古代地球の思想家の言葉である。西暦の18世紀に初出を認めるその言葉は、これまでいくつもの民主主義国家の憲法や憲章に引用されてきた。
「戦いを終わらせるための準備、終わりの始まりとしての戦いは150年前に始まり、そして今も続いています。その戦いは戦場での戦いに限りません。社会を立て直す戦い、あらゆる産業を立て直す戦い、教育機関を、治安組織を立て直す戦いです。古代地球においてこのような戦いを『国家総力戦』と呼びました。私はまた、ある古典から言葉を引用します。『戦争とは相手に我が意志を強要するために行う力の行使である』この『力』とは軍事力に限らないのです。経済力であり、文化力です。我々は戦場にあろうともあるいは後方の職場にあろうとも、皆銀河帝国と戦っているのです。抑圧から自らと周囲の市民を、そして敵である銀河帝国の人々までも守る戦いです。もちろんこの戦いの一環として、戦場に今回以上の大軍を投入することも、今回以上の犠牲者を出すこともあるかもしれません」
会場はざわめきに包まれ、ジェシカはいったん言葉を切った。
ヤンは表に出しては平静を保ったが、内心には困り果てていた。
ジェシカは「平和のために戦う」と言う巨大な矛盾を口にしている。「敵を抑圧から救うためにこちらの意思を力で強要する」とまで言った。政治家のスピーチにありがちな矛盾ではある。ジェシカは口にしていないが、聴衆は「この矛盾は我々には許される、それが正義だ」と解釈することだろう。
養子や、部下たちに解説を求められたらそう答えて、皮肉を付け加える程度のことしかできない。
「帝国との戦いが総力戦である」これには異存は全くないが、うっかりすると全体主義へと陥りかねない発言でもある。
「出来うることならば、前線における武力戦に多くを頼る傾向を改め、社会全体による総力戦によって新しい墓碑を作ることなく勝利することが望まれます。今やフェザーン回廊だけではなくイゼルローン回廊を通しても『人権思想の浸透』そして『文化侵略の推進』と言う戦争手段を用いることが出来ます。同僚諸氏と協力し、私はそれを目指したいと思います。そしてまた、私はひとつ約束をしたいと思います。それは勝利を目的としない戦いのためには決して軍隊を動かさないということです」
壇上のジェシカが言いたいことは「支持率目当ての出兵はしない」なのだろうか?
しかし、たとえば一昨年まで繰り返されていたイゼルローン要塞攻略作戦も一応は勝利を目的としていたはずである。
「勝利とは何か。同盟憲章前文をここで引用するまでもなく、抑圧と専制から人々を守り、そして解放することです。この解放の対象には、現在の銀河帝国において支配者の側にある人々さえも含みます。解放の後、恐らくは彼らに対して法秩序委員会による告発がなされ、同盟最高裁によって適正な刑罰が下されることでしょう。そして同盟の刑法が定めるとおり、いかなる罪を犯した人物であろうとも、刑期を終え釈放された後は一市民となります。帝国の民衆が解放され、良き市民としてみなさんと同じ社会の構成員となる日のさらに後のことでしょう。彼ら、すなわち帝国の支配者層全員が刑期を終えて釈放され、良き市民としてこの自由の国の一員となる日。それが、最終的な勝利の日です」
会場にはやや弛緩した空気が漂い、不平の呟きもあちらこちらから聞かれた。
つまらない建前論だ。
演壇の脇で最高評議会議長が力強く頷いて見せているが、なんら場内の空気に影響を与えていない。
「私は戦場に立ち武力戦を担当する人々と、後方でそれぞれの戦いを行う人々との間にある対立を緩和したいと思います。たとえば兵役についた人と兵役を拒否して別の職場での奉仕義務を選んだ人との間に対立が見られますが、この対立は避けるべきことです。兵役を選び戦場に立つことはすなわち武力戦を担当することであり、兵役を拒否して別の職場に立つことは総力戦における別の役割、別の戦いを担当することです。しかしながらその一方で、たとえば武力戦の担当者をただ賛美しそれ以外の従事者、それ以外の戦いを受け持っている人々を軽んじるかのようなアジテーションを行うことは国家と社会に分裂と対立を招き、総力戦の勝利を遠ざけます。私は評議会の同僚諸氏と対立せず、合意や同意によって職務を進めてゆくつもりです」
ジェシカの言葉に、会場のざわめきはいっそう強まった。
「異議あり、戦場で命を投げ打つことと後方勤務を同列視すると言うのか!」
そんな野次が飛び、会場は騒然となった。
遺族の席から……では、なかった。
そして野次を発するものは一人ではなかった。いくつもの声が壇上のジェシカに浴びせられ、さらに野次に対する新たな野次「後方勤務を軽んじるな!委員長の言うとおりだ!」が加わる。
ざわめく会場をジェシカは手で制した。
演壇の脇で立ち上がりかけた議長が再び腰をおろす。
「この国は自由の国であり、この国の政治家である私は表現の自由、意見の自由を尊重します。ただいま発言なされた方々に、みなさん敬意を払ってください。そして今発言された方々、次回は私なり同僚諸氏なり、あるいはお住まい近くの代議員事務所へ陳情なさるか、公開のメディアに記事として投稿されてください。それによってご意見はアジテーションではなく、リーダーやマネージャーの行動に反映されるものとなります。もちろん選挙に立候補され自らリーダーとなることもお勧めします」
なんとも面白みのない説教だったが、それによって野次はすっぱりと止んだ。
「政治に文句あるなら自分で立候補しろ」とまで言われると、同盟市民はその場では黙るしかないのだ。
自由惑星同盟は過去の民主主義国家の失敗を踏まえて、立候補すること自体は非常に容易となっている。
「私は再び、古い言葉を引用したいと思います。『自由で多様な社会とは、誰か個人だけでなく誰もが自由で多様な振る舞いと発言を許される社会であり、それは必ず摩擦と意見対立に満ちた、辛い社会である。そのことをよく理解した上で、敢えてリスクを引き受け、また対立と摩擦を時間が掛かっても穏当な手段で解決してゆくと言う覚悟のある人々によってしか、自由で多様な社会は実現できず運営できない』と言うものです。また、昨年のアスターテ会戦慰霊祭において、この壇上から当時の国防委員長、現在は副議長を務めておられるヨブ・トリューニヒト代議員はこう述べられました。『吾々の強大な武器は、全国民の統一された意思である。自由の国であり民主的共和政体である以上、どれほど崇高な目的であっても強制することはできない』と」
酷いトリミング(切り抜き)だとヤンは内心で評した。
ジェシカが引用した『古い言葉』は古代地球の思想家の言葉であり、一部分は同盟憲章前文にも引用されている。
それは良いのだが、昨年のトリューニヒトの言葉は確かその後、「卑小な自我を捨てて団結」することを尊ぶ言葉へと続いたはずだ。
そこへジェシカが乱入してトリューニヒトの演説を滅茶苦茶にしたのだ。
「いささか私の職責から逸脱しますが、ご要望がありそうですので私が国内問題に対して持っている意見をお話したいと思います。またも古い言葉の引用となりますがご容赦ください。『理想的な未来は誰かを倒せば、あるいは何かを倒せばそれだけでやってくるものではありません。未来とは、そこへいたるまでの全ての手段と、損失を含む全ての成果の積み重ねでしかない。デマや暴力で作る未来は、デマや暴力の積み重ねにしかならない。 目的は、手段を正当化しない』というものです」
事情を知っているもの、つまりはヤンの耳にはジェシカの言葉は憂国騎士団やその同類に対する嫌味にも聞こえる。
周囲の人々は素直に聞いているようだ。
もっともヤンの周囲に並んでいる人々は職業軍人ばかりであり、そして歴史的に軍人とは秩序ある社会や速やかで正確な情報伝達を尊ぶ傾向が強いものだ。そして社会の秩序を破壊する行為や偽情報を嫌う。
「また、特にマスメディアの方々にお願いしたいことがあります。マスメディアの方々のお仕事は実に多岐に渡りますが、『この国の現状が良くないのは誰あるいは某社のせい、力を合わせてその人物や会社を倒せ、その人物や会社さえいなくなればマシになる』と国内に敵を作りそれを指し示し、怒り方のお手本を見せることはマスメディアの仕事ではないはずだと」
そのようにジェシカはシリウス政府のウィンスロー・ケネス・タウンゼントの言葉を引用してみせたが、これはコーネリア・ウィンザー情報交通委員長への皮肉だろうか?
ジェシカの本音でもおかしくないとは思うが。
ふと見ると、演壇の脇で彼らの元首、最高評議会議長が頷いている。
「私は国防委員長の職責にあり、武力戦部門のリーダーと言う仕事を先日来、そこにおられる我々の指導者、最高評議会議長から任されています。帝国を武力によって倒すことが当面の私の職責です。そして同時に、出来る限り多くの将兵をその家族のもとへ生きて帰らせることもまた私の職責です。そして同僚の各委員長諸氏はそれぞれの職場、業種における戦いのリーダーに任じられています。部門ごとに意見対立はあるでしょう。摩擦も多々あることは間違いありません」
ジェシカはそこで一息ついた。
「この自由の国において、摩擦と意見対立を穏当な手段で解決し、それぞれの職場における戦いが最良の成果を得られるように協力して、最終的な勝利を勝ち取りましょう。それらはいずれも、今回戦死した160万人と、そして長い戦いが始まってから今日に至るまでの、何百億もの死を無駄にしないためのことです。ご静聴ありがとうございました」
巧みとはお世辞にも言えないエドワーズ国防委員長の演説はそう締めくくられ、戸惑いと熱意の交じり合ったなんとも言い難い空気が集会場を満たした。
演壇の脇で最高評議会議長が立ち上がり拍手を始めると、集会場のあちらこちらで散発的に拍手が沸き起こり、そしてそれは広まって集会場を満たした。
エドワーズ国防委員長の演説をどう受け取るかは聞くもの次第だろう。
テキストとしては単なる建前論を述べたものに過ぎない。
しかもその内容は、本人も述べた100年以上前にコルネリアス1世が送り込んできた使者に対して当時の同盟政府が突きつけた文章を手直ししたものに、西暦時代の古い思想家の言葉をあれこれと付け足し、さらには昨年のトリューニヒト演説から切り抜いて意味を裏返してから付け足したものでしかない。
さて、ヤンは率先して立ち上がり拍手を送ったものに含まれる。
その周囲も同様である。
なんとなれば、同盟においては反戦政治団体の最大の支持者と構成者は現役軍人とその家族なのだ。
ヤンが知る限り、古代地球における北方連合や三大陸合州国でもそうだったらしい。なにしろ軍人とは政府が冒険的な軍事政策を取れば真っ先に無意味な死を強制される立場なのだ。
今、エドワーズ国防委員長は「無意味な死はさせない」と言明した。
拍手が静まり、自然発生的に同盟国歌の斉唱が始まった。
昨年の慰霊祭と異なり、ヤンは列を外すことなくその斉唱に加わった。
どうにも感情が整理しがたい。
ジェシカの演説に完全同意するわけではない。あちらこちらに全体主義へと陥りかねない危険な言葉があった。また昨年のアスターテ会戦戦没者慰霊祭におけるトリューニヒト演説に対する皮肉も含まれ、ジェシカの立場が心配でもある。
その一方、ヤンはある興味を持っていた。
副議長兼国務委員長と言う政権ナンバー2の座を得たトリューニヒトがこの演説をどんな表情で聴いたことか?ヤンとしては知りたい気分だった。
しかし議長がこの場に居る以上、そのスペアたる副議長はハイネセンポリスに居る。
基本的にはどちらかがハイネセンポリスに居るものだ。
ただしこの式典は同盟全土に生中継されている。複数のカメラが場内を動き回っているのはヤンも意識している。演壇の下、最前列で国歌斉唱に加わっているヤンの姿も数秒くらいは映されるだろう。
その数秒のためにヤンは拍手し、国家斉唱に加わっている。
「国防委員長の演説を副議長兼国務委員長閣下がどんな顔で聞いたものやら、知りたいもんですね」
式典が終わり、会場を後にして宇宙艦隊司令部オフィスビルへ向かう公用車を待っていたヤンに、背後から声が掛けられた。振り向くとヤンの後輩、第10艦隊第4分艦隊の指揮官であるダスティ・アッテンボロー少将の姿があった。左腕をギプスで固め、頬から首筋にかけてはゼリーパームと言う姿だが毒舌家としての本分にはなんら支障ないらしい。左胸には真新しい勲章が輝いている。
「負傷で済んで良かった。叙勲おめでとう……と言って良いのかな」
アッテンボローの前任の分艦隊司令はアムリッツァ星域会戦において重傷を負い、現在療養中である。そして、第10艦隊は34万人の将兵を失っている。
「ま、国防委員長の言うとおり、武力戦の担当者ですからね。怪我をするのも死ぬのも給料のうちですよ。それにしても、今年はずいぶんと大人しくしていたようですが壇上の相手次第ってことですか?」
「んー、それもあるけどね。私が大人しく拍手して国歌斉唱に加わっているところをある人物に見て欲しかったのさ。自意識過剰かもしれないけどね」
ヤンとアッテンボローは顔を見合わせて笑った。
このとき、両者とも知らなかった。
国務委員会オフィスビル大会議室に国務委員の過半を集めたトリューニヒト国務委員長(兼、最高評議会副議長)が満面の笑みを浮かべ、スクリーンに映し出された戦没者慰霊祭の式場とエドワーズ国防委員長に対して熱意溢れる拍手を送っていたことを。
「ところでエドワーズ演説をどう評価します?」
「んー、話があちらこちらに飛んであまり上手い演説じゃあなかったな。でも要点はシンプルだ。
ひとつ、帝国との戦いは単なる武力戦ではなく国家総力戦である。
ふたつ、みんな総力戦を勝ち抜くために自分の職場で頑張ろう。
みっつ、リーダーやマネージャーは必要だがアジテーターは要らない。
……まあ、最後のはトリューニヒト閣下への皮肉だろうね。あと、演壇の脇で頷いていたチェアマン閣下に対して『もっと働け』と言う意味もあったかもしれない」
「我らがチェアマンは、あれは居眠りしてたんじゃあありませんか?それはそうと対帝国戦略として『人権思想の浸透』、『文化侵略の推進』とか不穏な言葉もありましたが」
「それはお前さんや私が言えた立場じゃないよ。お互いに総力戦の中で一番不穏で荒っぽい部門、武力戦の実務者なんだからな」
ここで第10艦隊の公用車が到着し、ヤンは後輩とそのスタッフたちを見送った。
「同盟軍史上最年少の分艦隊司令、史上最年少の少将閣下、か。アッテンボローがね……」
ヤンは士官学校時代、当直についたある夜のことを思い出さずにいられなかった。あのとき、アッテンボローは門限破りの現行犯、ヤンは本来ならそれを捕らえて寮監に突き出すべき立場だった。
今、ヤンは160万人の生命を預かる第13艦隊司令官の座にあり、アッテンボローは42万人の生命を預かる第10艦隊第4分艦隊司令の座にある。まだお互いに20代だと言うのに。
それはつまり、武力戦の只中でどれだけの上級士官が戦死しあるいは負傷退役を余儀なくされていったかを物語っている。
軍隊に掛かり続けてきたとてつもない過負荷とオーバーワーク。
それはしばらくは緩和されていたが、今後しばらくはまたオーバーワークになる。第13艦隊と第11艦隊の休養整備期間は3ヶ月が予定されていたが、今回のアムリッツァ星域会戦で任務部隊が被った大損害を補うためにローテーションが前倒しされる。
3ヶ月の予定が2ヶ月に短縮だ。
第13艦隊次席旗艦、フィッシャーの戦艦「アガートラム」はドックから出て点検を済ませた直後に、基礎訓練に参加しなくてはならない。
そして基礎訓練期間も予定の3ヶ月ではなく2ヶ月に短縮せざるを得ない。
一昨年に第11艦隊が壊滅してからローテーションに再加入するまでの再建に2年近く掛かった事実と、今回任務部隊が被った損害を比べて考えると、たぶんこの2ヶ月単位ローテーションを1巡くらいはさせないとならないだろう。
建造や修理に時間が掛かる大型艦を後回しにして取り急ぎ軽快艦艇を充実させるとしても、まあ半年。
そんなことを思っている間に第13艦隊の公用車が到着し、ヤンは幕僚たちを伴って乗り込んだ。座席に座ると即座にベレー帽を顔に被せて眠る。
だから、ヤンはエドワーズ演説に対するトリューニヒト国務委員長(兼、最高評議会副議長)のステートメントを生中継で聞くことにはならずに済んだ。
宇宙艦隊司令部オフィスに到着してから参謀長ムライ少将からメモを差し出され、ヤンは一読して慄然とした。
トリューニヒト国務委員長のステートメントはエドワーズ演説を適確に要約した上で賞賛し、同盟市民が為すべきことをより詳細に美辞麗句に包んで解説したものだった。
要旨は3項目。
さきほどヤンがアッテンボローに対してまとめたものと全く同じだった。
あとがき:エドワーズ演説には苦吟しましたが、結局いろんな政治家や思想家の言葉を切り張りした拙いものの方が新米政治家ジェシカ・エドワーズには相応しい気がしたのでこうなりました。
ジェシカファンの方々には申し訳ありません。