銀河英雄伝説 サンフォード炉辺談話   作:mosamosa

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第2話 波紋

宇宙暦796年8月6日、自由惑星同盟軍統合作戦本部。

 

「辞めたいというのかね?」

 ヤン・ウェンリー少将から提出された辞表を手にした統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥が問いかけると、若い少将は愛想よくうなずいた。

 

 ヤンとしてはこれを機会に自らの人生の本道に回帰するつもりであった。

 歴史の創造者の一翼をなしてきた不本意な人生から、歴史の観察者と言う彼の志向する人生へと。

 そういったことをヤンは説明したのだが、本部長に対する有効打には至らないようだった。

 

「第13艦隊をどうする?創設されたばかりの『きみの艦隊』だ。きみが辞めたら、彼らはどうなる?」

「それは……」

 本部長の簡明かつ効果的な攻撃にヤンは大きく後退を余儀なくされた。

 

 反論の糸口を探して忙しく頭脳を回転させている間に、シトレ元帥の手元で合成音が小さく響いた。

「ちょっと待ってくれたまえ。……私だ。うむ……否決?そうか、判った」

 通話を手早く打ち切ると、シトレはヤンに向き直った。

「すまんが今日は引き上げてくれたまえ。近日中に君の副司令官と参謀長を伴って来てもらうことになるだろう」

 

 現在、第13艦隊は少将が指揮官を務める半個艦隊規模の小艦隊であって、副司令官は存在するものの、参謀長は居ない。

 今のところムライ准将は主席幕僚であって参謀長ではないのだ。

 本部長の言葉は第13艦隊を正規艦隊へと昇格させること、そして首脳部が揃って昇任することを意味していた。

 

「……お忙しいところ時間を割いていただき、ありがとうございました」

 辞表の却下に加えて昇任を予告され、ヤンは憮然として本部長執務室を退出すると重力エレベーターで階下に降りた。

 

 待合室のソファーで、行き交う制服姿の人々を所在なげに見やっていたユリアン・ミンツが、保護者であるヤンの姿を認めて勢いよく起立した。

 学校の帰途、本部に寄るようにヤンが言っておいたのだ。

 

 外食の席で軍を辞めたと教えて驚かせてやるつもりだったが、さて、なんと言おうか--無意識に歩みを緩めながらヤンが思案していると、横合いから声がかけられた。

 

「もしかして辞表を提出にみえたのですか」

 声をかけてきたのは精鋭陸戦部隊“薔薇の騎士”連隊を率いるワルター・フォン・シェーンコップ大佐だった。

 

 イゼルローン要塞攻略に大功のあった彼は准将への昇任が決定している。

「そうなんだ。しかし、却下されたよ」

「でしょうな。軍部が閣下を手放すはずがありませんよ。

 まじめな話、私はあなたのような人には軍に残っていただきたいのです。

 あなたは状況判断が的確だし、運もいい。

 あなたの下にいれば武勲の有無はともかく、生き残れる可能性が高そうだ」

 シェーンコップは上官に向かって平然と品定めをやってのけた。

 

 さらに言葉を続け、壮烈な戦死などごめんだ、老衰死で人生を終えるつもりだからそれまで生き延びさせて欲しいと言い放ちヤンを唖然とさせてから大佐は再び敬礼した。

 

 ヤンは毒気を抜かれた態で答礼し、さらにシェーンコップの言葉に促されてユリアンと肩を並べて統合作戦本部を後にした。

 ロビーを行き交う軍人たちの動きの中で小さな流れが生じたことにヤンは気づかなかったが、それを見送るシェーンコップは明確に感じ取っていた。

 何かが起きた。

 今日の執務を終えて退出する途中で呼び出しを受けた人間、あるいはオフィスからオフィスへの移動中に呼び出しを受けた者が何人かいる。

 さりげない風を装って観察し、動きを見せた者の制服の兵科記章と階級章を見定めてゆく。

 同時に、今しがた会話を交わした彼の上官の冴えない表情を思い起こす。

 なにやら面白いことになりそうだ。

 

 

『三日月亭』はヤンが気に入っている料理店なのだが、この夜は予約を怠ったせいで諦めねばならないようだった。

「申し訳ありません、予約を含めて満席でして」

 立派な体格の老ウェイターの言葉どおり、広くもない店内でキャンドルが灯っていないのは壁際のテーブルだけだった。

 

「しょうがないな、よそをあたるか……」

 ヤンが頭をかいたとき、背後から声をかけられた。

「提督……」

 聞きなれた声に振り向くと真珠色のドレスに身を包んだ彼の副官、フレデリカ・グリーンヒル中尉が立っていた。

 

「わたしでも私服はもっておりますわ……父が、よろしければ同席しないかと申しております」

 薄暗い照明の下で気づくのが遅れたヤンは慌ててグリーンヒル中尉の背後に向かって敬礼した。

 

「やあ、ヤン中将」

 統合作戦本部次長ドワイト・グリーンヒル大将は答礼すると気さくな口調で呼びかけてきた。

「少将です、閣下」

 ヤンは意味を承知の上で訂正したが相手は意に介さなかった。

 

「早ければ明日、遅くとも12日までには君は中将だ。新しい階級で呼ばれることに慣れておいても良いだろう」

 

 その言葉に目を輝かせたユリアンをグリーンヒル父娘に紹介したところ、ヤンは逆に彼の被保護者がフライング・ボールの名選手として大都市ハイネセンポリスの有名人であることを教えられた。

 

 赤面しつつグリーンヒル父娘と同じテーブルにつき、ユリアンの得点王獲得を祝って祝杯を挙げてようやく心を落ち着け、ヤンは考え込んだ。

 自分の中将昇任、第13艦隊の正規艦隊への昇格。

 

 シトレ本部長は近日中と言ったが、今しがたの次長の言葉によればすでに必要な事務処理は開始されている。

 思考を進めようとしたところで料理が運ばれてきた。

 いくつかの皿がテーブル上にのったとき、グリーンヒル大将が新しい話題を持ち出してきた。

 

「中将、目下の状況をどう評価するかね」

「さきほどから職場の上司に奇襲を受けて狼狽しております」

 言外に、軍務上の話をこの場で行うつもりは無いと伝える。

「ほう、君を慌てさせるとは私も大したものだ。しかし言い方が不適切だったな。

 歴史家ヤン・ウェンリー、あるいはひとりの同盟市民ヤン・ウェンリーとしての意見を聞きたいのだ」

「……長年に渡って固定されていた戦略状況が動いたとき、それに直面した人々が新しい状況に適した行動を取るまでには時間が掛かります」 

「この3ヶ月は無為な時間と評されるだろうか」

 

 明らかにグリーンヒル大将はイゼルローン要塞の占領以後の同盟政府の動きについてのヤンの評を知ろうとしている。

「後世の評価を待ちたいところですね」

 逃げを打つと大将は頷いた。

 

「ところで、ヤン、きみはまだ結婚する予定はないのかね」

 新たな奇襲攻撃にヤンはナイフを取り落とし、同時にフレデリカのナイフも皿の上でがしゃんと音を立てた。

 この攻撃をなんとか凌いだヤンに新たな話題が持ち出される。

 

 新たな話題はヤンの旧友、先のアスターテ会戦で戦死した同期生の婚約者であったジェシカ・エドワーズが先週の補欠選挙で惑星テルヌーゼン選出の代議員になったと言うものであった。

 

 グリーンヒル大将が多彩多様な奇襲攻撃を得意とするのは実戦部隊指揮に限らないのだとヤンは痛感させられた。

 

 帰路、都市交通センターの管制コンピューターに異常が生じたとかでヤンとユリアンは官舎まで歩く羽目に陥った。

 グリーンヒル父娘も同じように徒歩で帰宅しつつあるだろうか、そんなことを思っていると街角のニュース掲示が目に入った。

 

 すでに繰り返された内容であるらしく、道行く人々はほとんど目に留めない。

 

『最高評議会にて帝国への大規模出兵、否決される』

『反対に票を投じたトリューニヒト国防委員長、政府は新たな対帝国戦略を持つべきであると語る』

『賛成に票を投じたひとりであるウィンザー情報交通委員長は辞意を示すが議長は慰留の意向』

 

 ふとヤンが気づくと、隣でユリアンも同じニュースを見上げていた。

「あの、提督。質問してよいでしょうか。あのニュースは正しいんでしょうか?国防委員長が出兵に反対だなんて……」

「大規模な出兵と言うのがどんなものか知らないが、奴の立場なら大いにありうることだね」

「?」

「帰ったら他のニュース、とくに軍需産業の株価を見てみるんだね。たぶん、いや確実に出兵案が否決されたと報じられた直後から軍需各社の株価が上がっているから」

「ええっと、軍需産業にとっては大きな作戦があったほうが武器が売れて好ましいことなんじゃないでしょうか」

「うーん、では宿題だ。今年初頭にあったアスターテ会戦の前後で軍需各社の株価がどう動いたか調べて、その解釈と共にまとめてキャゼルヌ先輩に提出すること。採点と解説もキャゼルヌ先輩がやってくれる」

 無責任な保護者はそう言い放って被保護者を呆れさせたが、ヤンとしてはこの問題には補給と調達を担当しているキャゼルヌの方が自分より遥かに適任と考えてのことである。

 

 官舎へ帰り着くとユリアンは即座にホームコンピューターを起動し、いくつかのニュースを検索してみた。

 ヤンが予言したとおりに軍需各社の株価は出兵案の否決が報じられると同時に上昇していた。

 

 尊敬する師父の言葉と合わせてもなお意外な結果にユリアンは当惑したが、すぐに「宿題」へと取り掛かった。

 この年初めまで遡って軍需関連企業の株価を調べてみる。

 

 ユリアンの予想に反してアスターテ星域へと第2、第4、第6艦隊が出動するのと前後して軍需各社の株価が下がり、そして大敗が報じられると同時に急落している。

 

 しばらく考え込み、時刻がそろそろ遅いことに気づいて大急ぎで解釈をまとめる。

 ヤンのような独身者と違い、その先輩であるアレックス・キャゼルヌ少将は家族とともに自宅でくつろいでいるはずだ。

 あまり遅い時間にヴィジホンを掛けるわけには行かないと考えてメールにまとめたところ、その当人からヤンに通話があった。

 例によって毒舌交じりの挨拶を交わしたヤンがユリアンを居間から退出させて何事か話し込んでいる。

 これはときおりあることで、なにしろどちらも軍の高官なのだ。

 たぶん直接機密に触れることは話していないのだろうが、心配して訊ねてみたこともある。

「ユリアンの心配するような会話はないよ。単に、先輩の毒舌を聞かせるのは教育に悪いから保護しているだけだ」

 そんな答えが返ってきたことを思い出しながら廊下で猫と戯れていると、ヤンがユリアンを呼んだ。

 

「なるほど、ユリアンはどう解釈した?」

 ユリアンの手短な説明にキャゼルヌは当初大いに眉をしかめて画面の脇に控える後輩を罵ったが、結局は「宿題」への採点を引き受けたようだった。

 

「ええと、軍需産業の株価は軍が敗北すると下がります。大きな作戦があると聞いたとき、市場関係者はその可能性を考えて株を手放すということでしょうか」

 

「半分正解だな。なぜ敗北すると軍需関連株価が下がるかわかるか?」

 

「……考えてみたんですけど、判りません。非人道的な話ですけど、負ければ兵器が大量に消耗して、軍需産業はその補充を受注することになりますからある程度の負けの方が良いような……」

 

「残り半分のうちさらに半分、25パーセントの正解だな。負ければ死傷者が大量に発生し、戦死者遺族への一時金支払いがまず発生する。そして翌年以降の遺族年金支出が膨らむことも確定する」

 

「軍事予算の支払いはそちらが優先されると言う事ですか?」

「そのとおり。アスターテほどの大敗ともなると、人的損耗に伴う支払いが兵器と装備の調達を圧迫するのさ。

 もちろん戦力の建て直しも急がにゃならんから調達も増えるが、政府からの予算措置が確定するまでは軍需各社は金融機関から借金して兵器を製造することになる」

 

「……両方を同時に支出することは出来ないんでしょうか」

 

「まあ出来なくはないな。国債発行高を増やすくらいしか方法が無いから、ユリアンの世代には納税負担をさらに増やすことになるが」

 キャゼルヌはここで、案ずるような表情を浮かべた。

 

「ですが、他の方法はないのでしょうか。たとえば紙幣の発行高を増やすというわけには……」

 

「それこそ、ユリアンたちは財布の代わりに荷車を引いて買い物に行くことになるぞ」

 ユリアンの答えにいったん表情を緩めたキャゼルヌは、表情を改めて付け足した。

 

「戦争が社会にダメージを与えるとき、軍需産業さえ例外じゃないんだ。

 その辺はお前さんの保護者の方がよく知ってる。

 特に西暦の20世紀末から初めにかけて、大国が戦争をするたびに軍需産業の経営が苦しくなって経営統合を強いられた事例が有名だから、詳しく解説してもらえ」

 

 謹厳な表情を作って説明していたキャゼルヌが片目をつぶって笑って見せ、ヴィジホンの画面が灰色に転じた。

「なんて無責任な先輩なんだ」

 ヤンが深いため息をつき、ユリアンは笑ってキッチンに向かった。

 

 

 

 同年。帝国暦では497年8月の半ば。

 銀河帝国宰相代理で国務尚書をかねるリヒテンラーデ侯爵は一夜、帝都別邸に財務尚書ゲルラッハ子爵の訪問を受けた。

 

 先日生起したカストロプ動乱の事後処理が一段落したことを報告することが財務尚書の訪問の目的だった。

 

 カストロプ公の領地財産の処理と、それによって帝国の国庫に収まる資産の額を報告した財務尚書にワインを勧め、国務尚書が切り出した。

「ところで卿とちと相談したいことがある」

「どんなことでしょう」

「先刻、フェザーンのレムシャイド伯から連絡があった。叛乱軍が、わが帝国の領土内に侵入してくるそうだ」

 ひとしきり国務尚書と財務尚書は意見を交換し、問題の核心に触れた。

 

「誰をもって防衛の任にあてるか……」

「金髪の孺子がやりたがるでしょう。奴にやらせればいいではありませんか」

「まさに問題はそこにあるのだ。レムシャイド伯の報告によれば、叛徒どもは数個艦隊の動員準備を行っておるらしい。可動全力ではなく、多くとも3個艦隊をな」

「……ほう」

 言うところの叛乱軍、自由惑星同盟が帝国に侵攻するとなれば大戦力を投入してくるものとゲルラッハは予想していた。

 

 帝国と異なり、同盟はその首都周辺に軍事力の空白を生じても政変の恐れは低いと見ているためだ。

 公式の場では言えないことだが、大帝ルドルフが築いた銀河帝国のもっとも大きな設計ミスはこの点にあるとゲルラッハは考えていた。

 歴史上もっとも偉大な専制君主であるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが比類ない指導力を持って築いた銀河帝国は、500年近くを経て中央集権国家とはかけ離れた存在になりはてている。

 帝国はこの春までは正規軍だけでも18個艦隊を抱えており、イゼルローン駐留艦隊を失った今もなお同盟のそれを圧倒する戦力を保有している。

 さらに大貴族の私有艦隊と言う形で正規軍に近い規模の予備戦力を抱えている。

 それにも関わらず、またこの春までイゼルローン要塞をもって回廊の通行権、ひいては戦争そのものの主導権を握ってきたにも関わらず、帝国がこれまでに同盟に対して一度に動員できた兵力はただ一度の例外を除いて数個艦隊でしかない。

 およそ100年前、「元帥量産帝」ことコルネリアス1世のみが帝国の可動戦力を糾合して同盟への大親征を行い、同盟軍の抵抗を次々に撃ち破り首都星ハイネセンを陥落せしめんとした。

 まさにそのとき帝国の首都星オーディンで政変が生起し、コルネリアス1世は手中に収めた同盟領土を投げ出して帰還せねばならなかった。

 以後、帝国の対同盟戦略は長期消耗となった。

 定期的に数個艦隊をもって侵攻し、撃退される。

 

 ときおりは同盟の辺境領土を制することもあったが結局は反攻にあって放棄を余儀なくされる。

 長期消耗戦略の迂遠さに耐えかねて大戦力の同時投入が提案されたことは何度もあったが、予備戦力であるはずの大貴族とその私兵は実際には内乱予備軍でしかない。

 

 それに備えるために一定数の正規軍を帝都オーディンとその周辺に残さねばならないことに変わりはなかった。

 結果、大親征の再現はならず長期消耗戦略を続けている。

 これによって繰り返される対同盟侵攻は平民にはフラストレーションの解消手段として、下級貴族には立身出世の有力手段として、大貴族には大規模な狩猟や家督争いの解消手段として定着している。

 その上で同盟の社会全体に少しずつ、しかし確実なダメージを積み重ねてきている。

 むろん帝国にもダメージは蓄積しているが、ゲルラッハの見るところ同盟の崩壊が先になるはずだった。

 

 この5月までは。

 

 イゼルローンを占領されたと聞いたときはゲルラッハも意識が空白になったものだが、同盟がこれを好機と可動全力をもって侵攻してくれるならば帝国の未来は明るいと気づいて気を取り直したものだ。

 宇宙艦隊司令長官であるミュッケンベルガー元帥、副司令長官ローエングラム元帥は無能ではなく、仮に負けるとしても同盟軍にすくなからぬ損害を与えることは確実である。

 御しがたい金髪の孺子ことローエングラム伯爵の軍をもってまず迎撃の第一陣にあてる。

これは負けてもかまわないし、それどころか負けてくれたほうが好都合なくらいである。

 この過程において、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯の軍をも投入して同盟軍によって始末してもらうことが出来ればさらに望ましい。

 まさかこの国難に際して兵力供出を拒むことはできまい。

 全力を供出させることは出来まいが、一部を供出させて消耗させることは出来よう。

 これまでいくつもの有力貴族が家督争いを同盟軍の手によって解決してきたが、帝国政府が同じ事を少し大きな規模で行ってはならないと言う理由はどこにも見当たらない。

 

 そして本拠地をはるか離れて遠征の途上で損害を受け疲れた敵を、ミュッケンベルガー元帥をもって撃つ。

 この過程で帝都オーディンに軍事的空白を生じないためには慎重を要しようが、自分と国務尚書にはそれが出来よう。

 そして大損害を受けた同盟は戦力回復に数年を要しよう。

 いっぽう帝国は、少なくともローエングラム伯と言う内憂を弱体化させうる可能性が高い。

 いくつかの幸運に恵まれればブラウンシュバイク公、リッテンハイム候と言う内憂をも始末できよう。

 仮に同盟軍を撃退する過程でブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯の弱体化がならずとも、同盟が戦力を再建するまでの時間を用いて対応できよう。

 同盟経済にはもうひとつのルートからダメージを与えている。このルートは帝国経済にもダメージをいくらか与えているが、しかしダメージ比は帝国に有利に働いている。

 同盟の戦力回復は急速には進むまい。

 問題はローエングラム伯が同盟軍に楽勝してしまった場合だが、これにもゲルラッハには腹案があった。

 なにしろ、ローエングラム伯には宮中に味方がおらず、四六時中軍隊と行動を共にしているわけでもないのだ。

 なんにせよ、同盟の大規模侵攻は諸侯を弱体化させ、帝国政府の力を強めることになるだろう。

 ゲルラッハは今しがたまでそのように想定してきたし、国務尚書に構想を示し細部を詰める機会を得ようとも考えていた。

 

「これまで長期消耗戦略に基づいて攻撃を繰り返し叛徒どもを疲弊させてきたが、今度は同じことを叛徒どもが行おうとしている」

 苦々しげに国務尚書がつぶやく。

 財務尚書も困惑していたが、国務尚書にして宰相代理の地位にある人物からの諮問とあっては沈黙を保つわけには行かない。

 

「繰り返されるであろう叛徒どもの侵攻に金髪の孺子をあて、その指揮下の兵力を消耗させることができましょう。無論、叛徒どもも消耗します」

「金髪の孺子が撃退に成功しつつ消耗するとなぜ言える?

 楽勝を繰り返すようなら奴はますます手におえなくなる。

 敗北を繰り返し、辺境領を少しずつ切り取られることにでもなればさらにやっかいなことになる。

 内務尚書からの報告によれば、平民どものなかでまたぞろ革命的気分とやらが醸成されつつあるという。

 イゼルローンを失ったことを、奴らはうすうす感づいておるらしい」

「人数で言えば帝国軍の大多数は平民、さらに近年は将官にさえ平民がおりますからな。

 いずれイゼルローン失陥が平民どもに漏れることは避けられますまい」

「そうだ。それを吹き飛ばすには叛徒どもを撃破して帝室の威信を回復せねばならぬが、

 叛徒どもが長期消耗戦略を選ぶとなれば国内を長期にわたって引き締め続ける困難は倍にもなろう」

 この老人は何年先まで国務尚書職にあるつもりか。

 ゲルラッハの内心に笑いが浮かんだ。

 

 しかしゲルラッハはそれを表には現さず、身を乗り出すようにして説明をはじめた。

「閣下は悲観的にすぎます」

 ローエングラム伯は無能ではなく、同盟を僭称する叛徒の軍隊もまた無能ではない。

 勝敗いずれかが連続する可能性は低く、結局は100年に渡って繰り返されてきたようにイゼルローン回廊をめぐる消耗戦となる可能性が高い。

 であれば、たしかに困難はあろうが帝国の滅亡に直結はしない。

 撃退を繰り返す過程において大貴族の私兵を消耗させることも出来よう。

 そのようなことを説明し、さらに財務尚書は付け加えた。

「当面は伯が楽勝を繰り返してくれるのがもっとも好ましいことです。

 必要なうちは奴の才能を役立て、そのために支援も行いましょう。

 叛徒どもにせよ金髪の孺子にせよ、役立てようはあります」

 国務尚書は頷いたが、その表情は晴れなかった。

 

 

 




web上では「国債は借金ではなく株式に相当する」と言う意見もあるようです。
この作品ではその解釈を採りません。
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