本作独自設定を明かします。
フェザーン自治領主官邸、執務室。
ルビンスキーは、ガラスに向かいその向こうにある庭を眺めていた。
つい先ほどまで同盟立法府における議決のライブ中継を映し出していたガラスは、今は透明に戻っている。
若者が入室し、一礼した。ルパート・ケッセルリンクという名で、補佐官室に籍を置く分析官の一人である。
「閣下。自由惑星同盟に関し報告があります」
「聞こう」
「つい先ほど下院・上院とも可決--『武力戦中断』が成立しました。帝国民衆からの救援要請が相次いでも、十分な国力が養われるまでは対帝国出兵を行わない、という内容です」
ガラスに映る自分自身の輪郭を見つめたまま、ルビンスキーはしばらく黙っていた。
「議決の詳細は」
「下院は僅差、5万議席中、およそ400議席ほどの差だったとのことです。上院はより明確な差で可決しております」
若者は、あえて丸めた数値を用いていた。正確な議席差までフェザーンはすでに把握している。だが、自治領主は多忙である。
「ほう」
ルビンスキーの声に、わずかな抑揚が混じった。
「僅差でも、可決は可決だ。しかも下院・上院とも、同日中に議決を終えている」
「はい」
「同盟という国は、動く方向を決めてからの速度だけは、いつも大したものだ」
若者は自治領主の次の言葉を待った。
「イゼルローン要塞を奪取したのは、昨年。796年の、5月だったな」
「はい。あれから1年以上が経過しております」
「そうだ。迅速に見えてそうではない」
ルビンスキーは、そこでようやくガラスから視線を外し、若者に向き直った。
最愛の息子のことが気にかかっていた。あえて時間を割いてでも、この件について若者に分析させることにした。
「君の見解を聞きたい」
「はい」
「この決議は本来いつなされるべきだったと思うかね」
若者は、間を置かずに答えた。
「イゼルローン要塞の、同盟軍による占領成功直後ただちに議論を公に開始し、遅くとも3カ月以内には決議されるべきでした」
「根拠は」
ルビンスキーは大意「今の同盟に出来たはずの最良速さか」と言う確認が来ることを期待していたが、しかし「理論上制度上の最良速さ」と「現実になしえたはずの最良速さ」の比較が返されるものと言う期待はまだ捨てていなかった。
「サンフォードが示した今回の決議請求は、彼が第1回の炉辺談話で示した原型と、意味としては何も変わっておりません。しかもイゼルローン要塞を得た時点で同盟はすでに『十分な国力を養うべき』を決議へ向けて討論開始すべき段階に入っていました」
「つまり君は。サンフォードはその時点ですぐに武力戦中断を選び、平和攻勢という単なる武力戦よりも遥かに苛烈かつ困難な方法に切り替えるべきだった。少なくともそのように同盟の有権者あるいは立法府に問うべきだった。そう分析するわけだな」
「その通りです」
若者は続けた。
「平和攻勢は、それだけならば耳に柔らかに聞こえます。しかし、もっとも苛烈なものです。古代地球では、属国化された側--敗北者が、自身が敗者であることにさえ気づけなかった例があります。軍事侵略に敗れた場合とは、まるで異なります」
「具体的に論じようか」
ルビンスキーは問いを重ねた。
「まず例を挙げてくれ」
「失敗例として名高いものが、2つあります。北方連合の盟主、アメリカ合衆国が旧敵国にして北方連合の構成国家であったニホン国に属国化される寸前。かのレイキャビク協定の英雄レーガン大統領が瀬戸際で気づき、これを阻止したケース。そして三大陸合衆国の盟主、ソビエト連邦がスペイン、フランス、イタリア、ニホン人民共和国、ポルトガル。この5旧敵国が分担実施した平和攻勢により属国化の瀬戸際に立たされ、同じくレイキャビク協定の英雄ゴルバチョフ」
「私は。君と歴史そのものを論じるために話しているわけではない」
ルビンスキーは、静かに遮った。
「平和攻勢の成否予測において。そうだな、まずは『たとえ帝国領から救援要請が相次いでも平和攻勢に徹する』が本当にできるか。これを歴史上の前例を参考として近い将来の同盟の行動を予測するにはいかなる指標を監視すべきか。これが私が補佐官に求めることのひとつだ」
立ちすくむ若者に向かい、ルビンスキーは大きな失望以上の満足を得ていた。
初めて「父親」らしきことをした。
この社会で生き抜くただそれだけのことがどれほど難しいか。
我が子の精神に打撃になると承知でそれを教えるのは「父親」の義務のひとつ。
たった今与えたはずの打撃など、生きてゆく上で乗り越えなばならぬ障壁を超える過程で負うダメージに比べれば。
予防接種の副作用と本物の疾病の症状程度の関係でしかない。
さてこれは親たるものの最小義務のひとつとも言われる。
共に暮らした時間の多寡など関係ない。
この教示能力は肉体的性別さえ無関係に生育環境と本人の努力で決まるらしい。
ルビンスキーが知るルパート・ケッセルリンクの母の姿とは、若き日の別れの際に見た若い娘。
強さと鋭さを兼ね備え、野心と才気に満ちた娘だった。
しかしあの娘でさえも「父親」を自ら兼務し母子家庭から子を社会に送り出す前にこの最小義務を果たすことには失敗したらしい。
ついで、次の「父親」の義務を果たすべく新たな問いを投げかける。
「さて。同盟にとり、通信衛星の帝国民衆への提供。すなわち言論の自由の提供。知る自由、知らない自由、言う自由と言わない自由に始まりその他あらゆる文化と認識共有あるいは独占の自由の提供。これはいかなる利益を同盟にもたらし、いかなるリスクを招くか。君の見解を聞きたい。知識の披瀝は要らぬ」
この日、ルビンスキーは個人的な事情から執務を早く切り上げ、度数の高い蒸留酒を痛飲した。
さらに予定外の休養を2日に渡って取った。
単に彼の最愛の息子が。
「ルパート・ケッセルリンクは自身の目指す人生目標を遂げるに要する知見を決定的に欠く」と知った落胆から立ち直るのにアルコールと時間の助けを要したと言う、全く個人的な事情によるものだった。
なお、ルビンスキーは個人としての義務からもこのとき逃避している。
* *
フレイヤ星系、ガイエスブルグ要塞。
イゼルローン要塞が敵手に落ちて以来「帝国最大の宇宙要塞」の座を事実として占めているこの要塞は、その主砲「ガイエスハーケン」の存在だけでこの星系における艦隊運用を規定していた。
射程内に踏み込んだ艦隊はたとえ1個艦隊であろうと、一射で半壊する。
ローエングラム侯ラインハルトが、この射程内で艦隊戦を行う愚を犯すとすれば並行追撃によりガイエスハーケンの管制権利者をして味方ごと敵を撃つことを封じる場合のみ。
「その場合は躊躇なく敵を撃て。味方を何隻巻き込もうが構わない」とファーレンハイトが命令した上で出撃していることを、ローエングラム元帥はとくに根拠なく断言確信していたとは多くの証言のみあり、まったく記録にない。
ともあれ帝国政府軍は、シュタインメッツ艦隊を治安戦に割り当てた以外の「推定ほぼ全軍」をもって、ガイエスハーケンの射程外、安全距離を保ったまま展開した。
迎え撃つ「正義派貴族軍」または「賊軍」いずれにせよ事実としてこの戦役が始まるまでは帝国軍正規艦隊であった、質的にはローエングラム元帥が率いる艦隊と比較することに意味を持つ軍隊である。
このファーレンハイト率いる6個艦隊は、むろん要塞の庇護を離れなかった。射程内に留まったまま、遠距離砲戦を開始する。
両軍の睨み合いは、そのまま数時間に及んだ。
交戦開始から数時間を経て。
重巡航艦と戦艦の成す分厚い戦列に、双方とも綻びが見え始めたその時が戦闘経緯の最初の区切りに見えた。
帝国政府軍指揮官ローエングラム元帥は、遠距離砲戦の火力を維持したまま戦列の再形成を行うという難事を、易々とこなしてみせた。
一方の貴族軍正規艦隊もこの難事を水準以上の手際でこなしたが、ローエングラム元帥の指揮する政府軍艦隊のそれには明らかに見劣りした。
なおも続く砲戦において。まさに砲戦火力の集中と戦列の厚み分布に優劣が明確化し、貴族軍艦隊は豪雨に打たれる砂地にも似た変形を強いられるかに見えた。
まさにその瞬間。
2種類のミサイルの併用同時着弾にも似た事態が、帝国政府軍の戦列を襲った。
そのミサイルは、この条件下で砲戦が続く限りは待機兵力の面がある卿巡航艦と駆逐艦を隊単位で編制から引き抜き、それぞれ1個分艦隊相当まで集結させた存在だった。
ハードウェアとしては品質ばらつきレベルの違いしかない。
しかし「発射点」と「飛翔特性」は、まったく異なっていた。
片方は、政府軍から見て要塞の影から飛び出し、探知されている前提で最大推力の高加速をもって肉薄するーーいわば「短射程高加速ミサイル」に相当する運用がなされた。
古い言葉で記せばSRAAMまたはSRSAMとも記すものだ。
もう片方は星系外縁、すなわち政府軍艦隊をもってしても探知圏外の遠距離で前もって加速し、その後はこの星系内での上限速度に近い約0.3光速で慣性航行により高速かつ被発見確率を徹底的にさげて接近する「視程外距離から放たれる高速ミサイル」に相当する部隊だった。
これも古い言葉で記せばBVRAAMまたはBVRSAMとなろうか。
慣性航行であるから放射熱は加速時に白熱したエンジンの残熱、余熱のみに近い。しかし上限速度に近い。
この攻撃には対処側が使える時間が限られる。よって奇襲でもあり強襲でもある。
攻撃を行う側が解決すべき課題は多いが、最大のものはこの部隊が加速開始するときには標的たる敵艦隊が「見えない」ことにある。
加速結果と恒星フレイアの質量により決定される双曲線の上に「着弾」予定時刻に敵艦隊がいることが望ましい。
より解像度を上げて記すならば。
この部隊をミサイルに例えるならば「終末段階での経路修正、標的追尾が行えいうる円錐、すなわちキルコーン」の中に敵艦隊を拘束する役目の隊が不可欠である。
BVRSAMあるいはBVRAAMの運用においても同じく。
この隊は「検知圏外でまえもって加速し敵に奇襲」が自らにも命中するリスクを負う。
0.3光速とは確実性ある敵味方識別を行うにはあまりに高速すぎ、拘束を担当する隊は味方に撃たれるリスクを承知でその任につかねばならぬこと、これもBVRミサイルの運用に近い。
ファーレンハイトは自らこの隊を率いた。
BVRミサイルの出現前の古代地球の戦史にさえ類似の戦術実施例がある。
平坦な地形の最前線、数少ない遮蔽物からの奇襲射撃と、地平線の彼方から放たれた砲撃を、同一の瞬間に着弾させる--20世紀のいくつかの戦闘に、その記録が残っている。
特にニホン帝国陸軍はこの戦術を好みさえした。
BVRAAMとSRAAMの同時着弾は21世紀のある戦争の「2日目」におけるウクライナ空軍とソビエト空軍の交戦、そしてニホン国防衛空軍とニホン人民共和国空軍との交戦に例が複数見られる。
それらの前例の中から成功例を選び大規模に再現したかのように帝国政府軍の戦列に痛撃が走り、2種類の「ミサイル」が持つ性質に応じた穴が開いた。
ただし根本的にミサイルや砲弾の例と異なるのは、ファーレンハイトはこの2つの隊を使い捨てにはしなかったことである。
それぞれに得た高速力をもって実効火力増大と防御力を増大したこれらの奇襲部隊は戦術的には瞬時に帝国政府軍の戦列を突破し、次いで2通りの行動でえた2種類の速度分布を利して広帯域センサー群となった。
同時に艦載センサー群を敵艦隊--数ヶ月前までの僚友ばかりの帝国政府軍--に向け、自らの通信系を再設定していた。
今や彼らは合成開口径が300万kmを超える、軽巡航艦や駆逐艦の本来の観測距離を超越する戦闘支援用観測装置となっている。
これも前例は多数ある。その成功例を大規模に再現したかのように、貴族軍正規艦隊は砲戦火力の精度と確度を高めた。
実効火力すなわち備えた火力に命中率を乗じた数値を著しく高め、帝国政府軍の戦列に空いた複数の穴を数分のうちに裂け目へと拡大する。
この戦術をローエングラム元帥もその指揮下にある提督たちも熟知してはいた。対処方法も知っていた。
この知見と見識、それを活かす能力においてこのときファーレンハイトが勝ったわけではない。
ただ、ガイエスハーケンの存在が運用前提パラメータを不均等にしていた。
意に反して砲戦中に水雷戦隊の突撃距離に入り込まれる事態に対処するために、軽巡航艦と駆逐艦を配置する必要性。
これは両陣営に存在したのは無論だが、この会戦で一度も発射されなかったガイエスハーケンこそがこのパラメータの著しい違い両陣営に前もって与えていた。
ファーレンハイトはそれを最大限に活かしたに過ぎない。
数分前まで整然たる戦列の優位を得ていた帝国政府軍は今や「着弾点」の連なりで引き裂かれていた。
これを再度修正、火力の応酬における優勢を再確保する対処にはローエングラム元帥にはいささかの遅れもミスもなかった。
しかし。
前もって得られていた優位を補うことはローエングラム元帥と言えども出来ない。
彼の手元には魔法の壺はなく、駆逐艦の1隻はおろか雷撃艇の1つ、単座戦闘艇の1つとて「いまこのとき足りぬもの」を臨機に湧き出させることは出来ない。
またローエングラム元帥と言えども時計の針を戻すことは出来ない。
どれほど速い「対処」も「何かが起きてから」である以上はその「何か」がいつ、どのように生じるのかを事前に知っていた側に遅れを取る。
つまり「着弾」するタイミングを事前に知っていた貴族軍正規艦隊が先に動いていた。
そもそもその先んじる動作そのものが直前までは戦列の乱れに見えていたのだ。
わずかな間に遠距離砲戦は肉薄戦闘に切り替わった。
政府軍艦隊の裂け目を突破した貴族軍正規艦隊が政府軍艦隊戦列の外側に密着するように展開し、個艦で見れば至近距離から敵艦の推進機を撃つ絶対優位を得た。
その優位をさらに拡大し、包囲陣形の形成を開始する。
ここで、ファーレンハイトはいくらかシュターデンの理論どおりの陣形形成から離れ、包囲の完成を待たずに政府軍艦隊をガイエスハーケンの射程内に押し込む行動を行うべきだったか?
これは後の時代でも複数の士官学校が考察教材としている。
結果論としては。
「ラインハルトの反応と対処は、貴族軍正規艦隊のいかなる想定よりも速かった」であるからこそ議論と分析の対象となる。
想定を敵が超えたときの緊急対処。
立案時に持たなかった戦術詳細情報への対処はどれほどコンピュータが発達しても人間が指揮を執る理由の、かなり大きなひとつである。
そして、この戦闘の戦闘詳報からこの瞬間の個艦から全軍に至るまでの「ローエングラム元帥がその瞬間までに得ていたはずの状況情報」で「いかなるその場での分析がその判断と命令を作りうるか」各隊各隊自ら指示を発し、形成されかけた包囲網の、ごくわずかな綻びを見出す。
そこへ火力を集中させ、完成されつつあった包囲網をその直前で破壊することで包囲されたままガイエスハーケンの射程内へ押し込まれるという最悪の事態を回避するか。
これも後の時代に先例とともに、また失敗例多数と共に教材とされている。
「成功例の真似ができると考えるのは危険」と言う注記を繰り返し記して。
帝国政府軍は包囲網を突破して脱出する。
脱出は、そこで終わらなかった。
脱出直後、帝国政府軍は驚くべき速さで艦列を再展開した。直前まで自分たちを包囲していた貴族軍正規艦隊--包囲のために分散していた各隊は、今や逆に、各個撃破の的になりかねない陣形から再編中であった。
貴族軍正規艦隊は、この危険を即座に察知した。各個撃破される前に、素早くガイエスハーケンの射程圏、すなわち安全圏へと後退する。
両軍は、それ以上の交戦を続けなかった。
初戦は、そこで終わった。
双方とも、決定的な打撃を与えることも、与えられることもなかった。
ガイエスブルグ要塞、指揮所。
ファーレンハイトは、シュターデンと共に、直前の戦闘記録を見返していた。
「観測圏外加速と要塞の影からの高加速接近の両方が成功するとは思っておりませんでした」
シュターデン参謀長が認める。
「奇襲は成功し、帝国政府軍艦隊に痛撃を与えた。ここまでは、こちらの計算通りだ。立案時に却下した最良結果が実現した。むしろ不可思議に思えるほどに」
「問題は、その先です」
シュターデンが、記録の映像を進めた。
ファーレンハイトはさえぎった。
「今優先すべきは違うはずだ」
「はい。損失回復の彼我双方の見積もり。今後双方が使える兵力とそれによる可能行動の分析です。出来るだけ精度確度高く」
「まず我が軍は6個艦隊から今や5個艦隊相当まで目減りした。だが、要塞内での艦艇修復、将兵の治療、要員交代--これを数日行えば?」
「まず人員においては6個艦隊相当の完全充足ができます。これは確実です。我が方は地の利を得ています。長距離航行に必要な要員全員を全艦に乗り込ませる必要がありません。要塞内で待機していた乗組員が、そのまま補充に回せます」
ついでハードウェアの修復見積もりをシュターデン参謀長が示す。自軍の損失状況を、堅牢な要塞の中で把握するのであるからその精度と確度はおのずから高い。
この条件を仮に欠いても、シュターデン参謀長はヒューマンファクタ―以外の全てをかなり精度と確度高く把握できること。
これにはファーレンハイトは信頼していた。
ヒューマンファクタ―の分析はアテに出来ないを通り越してそもそも必要性さえ理解していないとする認識と同じくらいに。
「一方で帝国政府軍は遠征中だ。しかもローエングラム侯は、推定される全軍--治安戦担当のシュタインメッツ艦隊を除く、ほぼ全戦力を投入してきた」
「短期決戦の構えです」
「それも、わずかなミスでガイエスハーケンの射程に踏み込みかねない危険を冒してまでの、短期決戦だ。射程内では狙われた艦隊は一射で半壊する。ローエングラム侯ほどの指揮官が、そのリスク評価を誤ったとは思えない」
「同感です」
「となれば--想定していた以上に、急ぐ理由が何かあるはずだ」
「その推測自体には同意いたします。閣下は、どのような理由を想定しておられますか」
「いくつか、可能性はある。一つ。帝国政府側のなんらかの内部事情。二つ。同盟の動向に何らかの変化があり、それに備える必要が生じた。三つ。貴族軍の領地、すなわち我々の後方で、平民の不満が高まっている可能性」
「一つ目は推測の域を出ません。裏付ける情報がこちらには入らない」
「二つ目も同様です。同盟の動向について、我々は十分な情報を持っていません」
「三つ目に至っては、まったくの推測に過ぎません。状況証拠さえないのです」
「では参謀長は、何を理由として認める」
「ヒューマンファクターに基づくものであれば、一つだけ認められます。遠征疲労です」
「疲労、か」
「はい。長期にわたる遠征と、これまでの戦闘の連続による、将兵の疲弊です。これは記録として裏付けが取れます。それ以外の理由については、いずれも根拠となる情報を、我々はまだ手にしておりません」
ファーレンハイトは、しばらく黙っていた。
「--参謀長らしい回答、参謀長らしい見事な見識だ」
彼らには重大な情報上の不利があった。
むろん彼ら自身がそれを認めていた。
先日のフレーゲル男爵、ヒルデスハイム伯爵の浅慮と軽挙が貴族軍陣営からひとしく奪った最大のものは。
このときにすでに実施中であった同盟の平和攻勢の規模と苛烈さを知る能力である。
後に行われる、リスクを承知でその苛烈さを劇的に、格安で高めるものについてはまだ同盟政府首脳部らの脳内にさえない。
ただし。
トリューニヒトとレベロ、ホワンはすでにその可能性と効果を検討済みだったとする信頼度低い資料は散見される。
この欠落は実はフレーゲルとヒルデスハイムの軽挙の実施前から存在していた。
有力な政府を、ただしい国家戦略を。体裁はどうあれ持たぬ陣営は、いかに有能な将帥参謀が星座をなしていてもなお。
その軍隊に実力を発揮させることは出来ない。まして、武力戦以外のありとあらゆる平和攻勢と言うそもそも分担範囲外の事態には対処できない。
この時代には文民統制なる言葉は同盟においてのみ使われる。
しかし国家と国民の支持。実態経済、文化、ありとあらゆるインフラの維持運営整備力。
これらの戦略と戦術あってこその軍事戦略であること。軍隊はつねに政治に従うべきこと。
これはまさにローエングラム侯ラインハルト、帝国軍元帥にして帝国軍宇宙艦隊司令長官が実施中である。
古代地球で文民統制なる言葉が作られる以前からの共通常識であった。
これを欠いた軍隊の例として古代地球のニホン帝国陸海軍が代表例である。
その有能な将帥参謀--最悪例とされるR.ムタグチ将軍でさえも同時代ドイツ軍のロンメルやマンシュタインと比して名将である。
この序列比較について疑念が絶えて1000年以上が過ぎ、史家の常識となって久しい。
しかし、ニホン帝国陸海軍はWW2においてただ一度。
リッセイテンノウすなわちエンペラー・ヒロヒトの特に強い指導で実施した作戦を除き一度としてその実力を発揮できなかったこと。
これも史家の間で評価が定まって久しい。
しかし歴史に類例を見ない特異事例であるとして、そもそも分析不可能であるとは指摘される。
ニホン帝国そしてニホン国においては希代の名君が200年に渡り続いた。類例は、人類史に見出されない。
「人類統合政府(仮称)または地球統一政府(仮称)準備委員会」の最後の委員長は最後のニホン国エンペラーでもあった。
彼はG.G.の成立を見届けて後社会の第一線から、あらゆる公職から退き静かに過ごした。
ねんのため:ラインハルトはファーレンハイトの油断を誘うためにわざと失敗したわけではありません。
彼には別の理由があっての作戦行動です。
>リッセイテンノウすなわちエンペラー・ヒロヒト
「1000年以上を隔てての史料混乱」ではありません。
OVAで一度示された、13日戦争直前の地球地図の勢力塗分けを私なりに解釈したものの一部です。
私にはどうしても、銀英伝の歴史線はWW2の展開と終結が我々の歴史と大きく異なると解釈する以外に思いつきません。
日本が南北分裂しているだけなら史実でも瀬戸際でしたが、他国の陣営塗分けを見ると「WW2大変更」が未公開で設定されていると解釈するしかありませんでした。