「土壌は肥沃。数すくないオアシスで集約的な農耕と希土類元素の採取がおこなわれていた」「平和なら他所から何兆トンもの水が運ばれ開発が進んだはず」は刊行当時の科学の最先端に近い知見を田中芳樹氏は踏まえたと解釈しています。
まず「土壌が栄養を持つ砂漠」は、形成の経緯次第でありえます。地球上にもいくつか、あるともいえます。ただし、私が知る事例は現在はいずれもその層は栄養乏しい砂で覆われています。
極端な例は砂漠化と浅い湖沼群との転換を何回か重ねており、淡水魚や淡水貝類の化石、そしてカバの化石まで発掘されているルブアルハリ砂漠でしょうか。
掘れば、あるいは淡水を注ぎ(どうやって?)再度湖沼が点在する状態にすれば沃野になるでしょう。
また「希土類元素採掘」つまり「海のない惑星で鉱脈が形成されている」という原作記述は「類似の形成経緯をたどったことを示唆」と解釈できます。これは今の地球にも砂に埋まった元湖沼、あるいは塩類平原が希土類の濃縮井戸になっているケースがあります。
それらの平原にも掘れば植物を養う栄養塩があります。使えない状態にあるだけで。
田中芳樹氏は定量化しない物語の分析設定は緻密であると本作の作者は信頼しています。
なお。原作の読み解きには本作はなんら役立ちません。
惑星ヴェスターラント、シャイド男爵領、領主城館。
その報せは、シャイド男爵の予定を狂わせた。とは言ってもささやかな対処を予定外に行っただけである。
実に珍しい大規模砂嵐が、短時間のうちに発生していた。この惑星の常として、風は穏やかで局所的な嵐が生じるのみだった。
であるから、広範囲の複数オアシスの農場に砂を降らせる嵐など誰も警戒していなかった。
観測記録を遡れば、兆候そのものは存在した。
シャイド家の初代がこの惑星に赴任するよりも前の記録にまで遡れば、同種の現象がすでに何度か起きていた。
それらはいずれもが新しいオアシスの出現とセットだった。
今回はどうなのかを知るよりも被害状況の確認が優先である。
武器弾薬の増産を続けるためにも。
舞いあげられた砂の雲は実に広範囲に降り、今年の収穫を絶望的なものにした。
翌日、複数のオアシス代表が城館に押し寄せた。
シャイド男爵は、彼らを前に立った。
騒然とした空気の中、男爵は落ち着いた声で言った。
「なんら心配することはない」
それだけだった。
多くを語らなかった。理由も、対策も、具体的な数字も、何一つ示さなかった。
それでも、代表たちの表情から緊張が解けていくのが分かった。男爵の一言は、それだけで安堵を呼び込むだけの重みを持っていた。
代表たちは頭を下げてそれぞれのオフィスへ戻った。
男爵は彼らを見送ると執務に戻った。
--なんら心配することはない。領民が、そしてシャイド家そのものが、ことごとく死に絶えようとも。
伯父上の軍勢が勝利を収め、帝政が正常化するならば、何の問題もない。
それが早くなることを願いたいが、願うに留める。伯父上が奸臣を倒す好機をいつ得るかは、要望したところで変わらぬ。
今はその勝利への貢献を続けること。それは心配無用な水準で、今も継続中だ。
それが男爵の「心配することはない」だった。代表たちに異なる意見がある可能性を、男爵は考えなかった。
領民はむろん帝国臣民である。であるから帝国の繁栄と安寧は自らの身命よりも重要である。語らずとも共有認識である。
現に、皆はあの一言で納得したのだ。男爵はそう信じて疑わなかった。
彼はまた、自身のこの見解「なんら心配することはない」の根拠にも、気づいていなかった。
かつて。社会秩序維持局が数世代に渡りこの惑星の統治体制に不審の目を向け、内偵を行ったことがある。
それは数代を経てシャイド男爵家にも明かされた。
しかし社会秩序維持局が辿り着いた結論は記録に残されただけで、誰にも活かされなかった。
惑星ヴェスターラントの統治体制とは民主主義という強靭なシステムの、部分的な再発明だった。
残り数ステップ--意図してさえ実に乗り越え困難な--で立憲君主制とさえ言える。
歴代のシャイド男爵は、ほぼ常時オアシス代表たちを介して惑星全土、すべてのオアシスの問題と可能性を把握してきた。
民主主義というシステムは、フルセットで稼働すれば、「近視眼的な有権者と、己の栄達しか考えない政治家ばかり」という状況であってもなお、英邁な君主による専制政治を超える成果を発揮できる。
領土の可住地域すべての問題と可能性を把握し、優先順位をつけることはどれほど英邁な君主であっても困難。
君主がどれほど優れていようと、その耳目を統治下の社会全域に巡らせること自体がまず困難なのだ。
民主主義を部分的に再発明したヴェスターラントにおいては「オアシスの自分の住処や、勤め先の希土類鉱脈採掘での不便」「勤め先農場での、新たな地味豊かな層の発見」領民一人一人が知りうるのは、その程度のことでしかなくとも。
この帝国という社会が許す限度内であっても。
それらをオアシス代表に伝えることしかできない領民たちの200万の目を活用したことでシャイド男爵とその家臣は、惑星全土の状況を把握してきた。
オアシス代表は選挙で選ばれるわけではない。
フルセットの民主主義国家の政治家すなわち「たとえ責任感を持たず権力欲しか持たずとも、落選したくないなら働くしかない」立場の存在ほどの実力発揮はできない。
それでもこれこそが歴代のシャイド男爵家による奇跡的な善政を、実際に支えてきた仕組みだった。
近年に絶えていたローエングラム家を継承し、新たに領地を得たラインハルトなる人物が、統治代理権と義務を下賜されるや否や、その領地で似たことを始めている。
それは偶然であり必然でもあった。
* *
惑星ヴェスターラントと聞けば、多くの者は灼熱の気候と、頻繁に吹き荒れる砂嵐を思い浮かべる。
だがそれは事実といささか異なる。
地表のほとんどが砂に覆われているという一点だけで、人はこの惑星を「熱風が吹く灼熱の地」と決めつける。
だが砂という色の薄い地表は、日射のかなりの部分をそのまま宇宙へ跳ね返す。
深い青をたたえた海が日射の大半を吸い込んでしまう、水の惑星とは違う。そもそもヴェスターラントには海が存在しない。
跳ね返す一方の地表を持つこの惑星は同じ量の陽光を浴びる水の惑星よりも、むしろ涼しいくらいだった。
砂嵐についても同じく。
海を持つ惑星の砂漠を吹き荒れる嵐とは。
遠く離れた海から供給され続ける水蒸気と、その水蒸気が凝結する際に解き放たれる莫大な熱によって駆動される。
大本は海洋が吸い込む陽光のエネルギーだ。
ヴェスターラントには、陽光と言うエネルギーを吸収し大気活動に役立てる機構そのものが乏しい。
約50カ所のオアシスとその地下水、それがこの惑星の水のすべてだった。
だからこの惑星の「風は」ほぼ常に穏やかだった。暮らしやすいことを意味しないが事実として穏やかである。
そしてオアシスもまた、海を持つ惑星のそれとは違う。
海を持つ惑星のオアシスは複雑に入り組んだ地形のあちこちに降った雨が地下水となり、砂漠のどこかに顔を出してできる。
数は多いがそのひとつひとつは小さい。
ヴェスターラントのオアシスの過半は違う。数は少ないが、個々は比較的大きい。
その理由を正確に知る者は、今はほぼいない。
その今の姿ーーわけても「地味豊かな土壌を持つ砂漠惑星」であること、「海のないこの惑星のオアシスに、希土類鉱脈がある」という事実を知ったなら。
銀河の向こう側にある地域社会建設委員会なる役所は、この惑星が人類入植前に経てきた経緯をある程度推察するだろう。
ここでは「いわゆるルブアルハリ型多数が惑星の大半を占める」とだけ記せば十分であろう。
その天体に代々のシャイド男爵家が築いてきたその仕組みが、何を成し遂げてきたか。
数字で示せば、それは一目瞭然だった。
惑星ヴェスターラント、全土でおよそ50カ所のオアシス。そこに養われる人口200万。単純平均では1つのオアシスあたり4万人。
古代地球の歴史を紐解いても、この水準に達したオアシスはほとんど存在しない。
むろん恒星間社会である今の人類社会においては「海を持つ惑星の砂漠地帯」にあるオアシスにわざわざ住む人じたいが少ない。
いかに時代が違うとはいえ、この場合は全人類がまだ単一の惑星に住んでいた時代の地球と比較する以外にない。
その時代の地球においてさえ人口4万人規模のオアシスといえば、それ自体が突出して例外的な、傑出した繁栄の証だった。
ヴェスターラントでは、地球のオアシスの最高度成功例に平均で並んでいる。
帝国諸侯の間でシャイド男爵家は「まずまずの名君」とだけ評されてきた。だがその評価はあまりにも小さい。
血統こそがすべてを決めるという、この帝国を支配する思想のもとでは、当主の実際の統治能力など誰も検証しようとはしない。する発想自体が生じない。
「優れているとされる血筋からは優れた統治が生まれる」いう、ルドルフが帝国の全ての人間に掛けた呪いの直接被害者はルドルフの子孫、そして貴族たちであろう。
だからこそシャイド男爵家の実績は正しく測られたことが一度もなかった。
彼らは代々にわたり、この過酷な惑星の限界ぎりぎりを、綱渡りのように維持し続けてきた。
それも血統への盲信からではなく、領民たちの無数の目というこの帝国では数少ない仕組みによって。
その仕組みを当の男爵自身が理解していなかった。
今、彼はその仕組みを自らの手で壊し始めていた。
彼は自らがそれを壊しつつあることにさえ、気づいていなかった。
この惑星の統治を支えてきた、巧妙で強靭な仕組み。
それはシャイド男爵にとって、生まれる前から当たり前に存在するものだった。
歴代の当主にとっても、同じだった。
ただ代々受け継がれてきた戒めが一つだけあった。この統治のやり方を、他の諸侯に勧めるな、というものだった。
もはや理由は忘れられている。
「この惑星には、この統治がある」と当事者常識になって久しい。
それは疑うべき対象ではなく「前提」だった。
シャイド男爵はそれを疑問に思ったことも他家に教えようとも思ったことはなかった。
自分が動かしているこの仕組みが、民主主義というものの部分的な再発明であることにさえ、思い至ったことがなかった。
これは決して彼の知見の浅さを意味しない。
常識を疑えるのは、天才を含む異常者たち。あるいはその常識とは根本的に異なる社会の構成員だけだ。
そして立憲君主制まで残り数歩にあるこの惑星の統治体制は、根本的なところでそこには届いていなかった。
まず選挙がない。議会がない。そして領主本人の行動や選択を拘束する法もない。
「君主自ら率先して守り、国民もまた等しく守る法」に相当するものが、この惑星には存在しなかった。
だからシャイド男爵はこの惑星における絶対君主であり、専制者だった。
その統治に、圧迫と隷従は乏しかった。だがいくつかの要素だけを、決定的に欠いていた。
欠いているからこそ社会秩序維持局に歴代当主が拘束されずに済んでいるともいえる。
この残り数歩は極めて進むこと困難であり、古代地球の事例は全て莫大な流血を伴った。
社会秩序維持局が監視を終了し規定年数経過後に当事者に開示したのは、帝国において民主主義をもっとも研究している彼らの知見による判断であった。
* *
数百年ぶりのあの砂の雲の大拡散に、まだしばらく間があった頃のことだった。
自由惑星同盟を僭称する叛徒が、不可解にもイゼルローン回廊から数千光年も隔たっているこの惑星を訪れ「言論の自由を提供する」なる通信を送りつけてきた。
通信はそれ以外になかった。惑星を巡る周回軌道にその衛星を載せると、叛徒の艦はシャイド男爵家のわずかな手勢が動き出すよりも早く逃げ去った。
男爵はこれを即座に破壊させようとした。だが家臣の一人が進言した。
「領民に役立つやもしれません。当家の通信衛星も、かなり古くなっております」
男爵は頷いて調査を命じた。
その結果はすでに出ている。
なんと地上からの操作で、好きに受信を設定できる。
叛徒からの放送しか受信できない、改造しなければ使えない、改造を妨害するための巧妙な自爆装置が仕込まれている。
それらの当然の疑念はわずかな時間の調査で「叛徒を過大評価しての思い込み」と判明した。
調査に当たった家臣もシャイド男爵も、叛徒の愚かさに呆れかえった。ともあれ使えると判ったこの衛星の設定を、男爵は二つに絞った。
一つは、伯父ブラウンシュヴァイク公爵、副盟主リッテンハイム侯爵の現在地--正義派貴族軍の本拠地たるレンテンベルグ要塞からの発信。
もう一つは帝都オーディンで国政を私物化している奸臣どもからの放送。
たちまち、現在の戦況を知るに至った。
イゼルローン回廊から遥かに離れた宙域に、叛徒の艦が現れているという、不可解かつ重大な事実。それを招いたものが何かさえ、この衛星は伝えていた。
男爵はこの中から選んだ内容だけを、我が家の通信衛星と叛徒からの「献上品」を用いて、惑星全土へ放送させた。
選んだのは伯父の軍勢が奸臣どもをいかに追い詰めつつあるか、その戦況の報せだった。領民たちの士気を保つには、これで十分だと判断した。
だが男爵は、当面の統治を継続するために隠す必要があるものに気づいていなかった。
今年の収穫を支えるはずだった財源--食糧を緊急に買い付けるための、代々手をつけてはならぬと伝えられてきた蓄え。
それはすでに、新しい工場と、新しい住宅に姿を変えていた。このままでは、多くの民が飢える。
その事実をいかに扱うかを決める必要も男爵は認めなかった。
「家臣も領民もまた、帝国のために命を捧げる覚悟を、自分と同じように当然持っている」そう信じて疑わなかったからだ。
ならば財源がどこに消えたかなど、いちいち説明するまでもない。
誰もが、この内戦が続けば確実に訪れる死を当然のこととして受け入れるはずだった。
だから放送内容を選ぶ指示には「目下の戦況から領民の士気を高めるものを選び放送前に確認」が追加されるのみだった。
放送設備を扱う技師にとり目下の情勢での新たな判断基準はそれだけだった。
だから作業の手違いは、起こるべくして起こった。
財務状況が放送に乗り、惑星全土に流れた。これは放送事故ではなかった。
代々のシャイド男爵家当主は財務状況を領民に明かす義務など持ったことはないが、しかし財務状況を示し解説することが統治に役立つとはシャイド男爵家で受け継がれてきた知見である。
領民に財務状況を理解させることで各種の報告の精度確度、解像度が上がるのだ。
であるから放送スタッフにも「この財務状況は危険状態」と気づく能力と、放送を数十秒で差し替える判断力があった。
同じ理由で、すでに手遅れだった。
この放送事故とさえ言えない些細な手違いの翌日。
シャイド男爵は家臣たちの防戦むなしく、重傷を負った。だが家臣たちの戦いには成果があった。
シャイド男爵は惑星からの脱出に成功していた。シャトルに乗り込みレンテンベルグ要塞へ向かうことにも成功した。
そして命尽きる前にレンテンベルグ要塞に到着することにも成功した。
彼は伯父ブラウンシュヴァイク公爵に事態の経緯を報告し終えると、息を引き取った。
* *
レンテンベルグ要塞、ブラウンシュヴァイク公の私室。
目の前で甥が息を引き取った。
ブラウンシュヴァイク公は、しばらく言葉を発しなかった。
「身分いやしき者どもが……よくも汚れた手で、甥を殺したな」
特権を持つ者はそれを持たない人々の全存在、全人格を容易に否定することができる。
ブラウンシュヴァイク公は民衆に、圧政に反抗する権利どころか大貴族の許可なしに生きる権利すら認めていなかった。
そのような身分いやしき者どもが大貴族に反抗し、あまつさえ彼の甥までも死に至らしめたのである。
ブラウンシュヴァイク公は怒り狂い、自らの怒りを正当なものと信じた。
「忘恩の者どもに、正義の刃を加える」
彼は、そう決意した。
「ヴェスターラントに核攻撃を加える。身分いやしき者どもを、一人も生かしておくな」
この言葉はレンテンベルグ要塞、リッテンハイム侯の私室にも伝わった。
侯は重要な家臣数名をワインとグラスと共に一室に集めた。
声には出さない。紙に書き、示し、そして即座に暖炉に投げ込む。彼なりの用心だった。
「この暴挙が実施されれば、ブラウンシュヴァイクめはその瞬間に、正義派諸侯軍盟主の座を失う」
紙が炎に包まれる。次の紙が示された。
「盟主の座は、儂のものになる。暗殺などするまでもない」
家臣たちは、互いに目配せしてから頷いた。ひとりが、同じように紙に書いて示す。
「同意いたします。しかしその際、ブラウンシュヴァイクの非を鳴らし、取り押さえる準備のみは抜かりなく」
家臣たちの顔は、一様に蒼白だった。押し殺そうとしても、隠しきれるものではなかった。
リッテンハイム侯は、それに気づいていないわけではなかった。ただ、気に留める様子もなく、ワイングラスを手に取った。
彼の計算は、一見して合理的だった。
だが「知っていながら阻止しなかった、反対さえしなかった」という事実が明るみに出れば、ブラウンシュヴァイクと同様に彼もまた瞬時にその立場を失うはずだった。
実施する艦もまだ定まらぬ今この時点で、すでに確立されている決まりがある--有人惑星への核攻撃なる暴挙とその企てに対する反応が、長期的には決して隠せないということ。
それが「即座の反対」以外の反応であれば、その人物の価値をどれほど損ねるかは遥か昔に定まっているのだ。
それに気づかないほど、彼は愚かではない。気づいていて、なお顧みないのだ。
そして、この場に居合わせた家臣の誰一人として、諫めようとしなかった。蒼白な顔のまま、誰もが「同意いたします」とだけ告げた。
ブラウンシュヴァイクの陣営には、まだアンスバッハがいた。
リッテンハイム侯爵が上機嫌でワインを楽しんでいたまさにこのときにその主君に諫言し、退けられ、監禁されつつあった。
だがブラウンシュバイク公爵には諫める者は存在した。
リッテンハイムのもとには、それすらなかった。
対外的には、彼はいまだ副盟主の地位にある。だが家中においては、この瞬間すでに失脚していた。
まともな諫言を受けられる主君ではないという事実が、家臣たちの沈黙そのものによって証明されていた。
重要家臣団を無条件に信用し、この危険極まりない内容を紙に書いて示すこと自体--たとえ燃やすという用心をしていても、書いて示した瞬間にすでにリスクは生じている--が、彼という人間の知見と人格を、何よりも雄弁に語っていた。
同じ先天的な知的資質を持つ人間がまともな教育を受けていれば、こうした判断はしない。
だがリッテンハイムは意識の芽生えた時点から、二重の要因によって知見の成長そのものをスポイルされ続けてきた。
ひとつは、有能な家臣団に取り囲まれ、自ら考える必要をついぞ持たなかったこと。
もうひとつは、ルドルフが意図せずして帝国貴族すべてにかけた呪い--優秀な血統に生まれれば必ず優秀な人物であり、優秀な人物は優秀な血統を保証されている、という循環論法。
それは有史以前、人類が家畜の育種を始めた時代の経験知(の、成果物化石からの推測)にさえ劣る幼稚な認識に過ぎない。
たまたま瘦せ細っている家畜を「血統が劣る」と判断して間引くようでは原始的な家畜育種の水準に及ばない。
しかし約5世紀にわたり帝国貴族はこれを常識として強要され続けてきた。
この国の貴族に生まれて自己の判断を根本から疑う契機を持つものは天才を含む異常者、あるいは相当な「幸運」に恵まれたものに限られる。
ブラウンシュヴァイクの「愚挙」と、リッテンハイムの「合理的計算」は、表面上まったく異なる反応に見えた。
だが、どちらも同じ構造的欠陥--自己を疑う契機の不在--から生まれた、同型の脆弱性に過ぎなかった。
* *
有人惑星を目標とする核攻撃の任につけられた駆逐艦は出撃した。
駆逐艦が搭載しているレーザー水爆弾頭は、宇宙戦闘で用いられる兵器としては雷撃艇や単座戦闘艇の火器の次に威力が小さい。
古代地球において人類が初めて実戦に投入し、ニホンという国の都市を3つ焼き払った核分裂弾頭「リトルボーイ」「ファットマン」「ギルダ」の1ケタ上程度でしかない。
ブラウンシュヴァイク公は決して暗愚ではなかった。
手持ち兵力の中で惑星ヴェスターラントの「卑しく邪悪な平民ども」を焼き払い、なおかつ戦後に居住惑星として再建可能な攻撃。
これを最小限のコストで行うようにと家臣に命じたのだ。
この公の命に対して家臣らが手配したのがこの駆逐艦である。
この駆逐艦の乗組員は全員が先祖代々からブラウンシュヴァイク家に仕えてきた家系のものばかりであったが、それでもなお全員に対して航行中の飲酒制限の緩和が認められていた。素面で行える攻撃ではない。
この駆逐艦の乗組員は後に述べる経緯により全員が戦死することになるが、それでも出撃前に遺した言葉が伝わっている。
「公爵閣下の甥を害した惑星ヴェスターラントの民を誅殺することに異存はない。しかし駆逐艦の搭載兵器でそれを行うことは、無駄な苦しみを与えてから殺すことではないか」
「戦艦、それが無理ならせめて重巡航艦をこの任に当てるべきだ。戦艦や重巡が搭載している核融合弾を用いれば惑星ヴェスターラントの民は苦痛も恐怖も感じることさえなく全員が即死できる」
だが実際に出撃を命じられたのは駆逐艦に過ぎなかった。
駆逐艦が搭載している核融合弾は可住惑星の大気中で炸裂させたときに「キノコ雲」なるものを形成してしまうほどに非力なものである。
核爆発の後に、爆心地から一時的に押し出した惑星大気の吹き戻しによって火球が成層圏に吹き上げられてしまう程度の、ごく非力な弾頭である。
艦隊戦闘において戦艦や重巡航艦に打撃を与えるには直撃させねばならない規模の弾頭でしかない。
逆に攻撃の直撃数を増やすためにこの出力規模に設定され、搭載数を確保しているとも言える。
これが戦艦や重巡が搭載している、艦隊戦闘において砲戦距離で用いるごくありふれた弾頭--直撃させずとも熱線と放射線の照射だけで戦艦にさえダメージを与える弾頭。
ガス惑星の大気を擾乱し恒星の彩層活動に影響を及ぼすような兵器であれば、核爆発によって形成される火球は人間が住める惑星の大気程度の存在に押し戻され成層圏に吹き上げられることなどない。
そしてこの駆逐艦の乗組員が進言したように。
このクラスの弾頭が爆発する時に熱線と放射線が照らしうる範囲に人間や家屋が存在した場合にはたとえ屋内にいようとも人間は苦痛を感じることさえ出来ない。
人間の神経が反応するよりも先に、犠牲者も家屋も確実に蒸発するためである。
弾頭が落下してくる光景に気付きさえしなければ、犠牲者は恐怖さえも感じない。
この規模の核兵器を使えば惑星全土の民を、苦痛なく瞬時に死亡させることもできただろう。
もちろんどれほどの核出力があろうとも惑星が丸い以上は単純な幾何学により「瞬時の苦痛のない死」が保証される範囲は限定される。
それでも4発使えば十分。
駆逐艦乗組員のこの進言はブラウンシュヴァイク公のもとに届いた上で却下された。
却下する理由は3つあった。
ひとつ。我が甥を殺した下手人どもに、苦痛のない速やかな死を与えるなどもってのほかである。
ふたつ。そのような核融合弾は、ありふれたものとはいえ、下手人どもを処刑するために用いるには高価に過ぎる。
みっつ。そもそもそのような核融合弾を使えば、数百年にわたり惑星ヴェスターラントという我が財産は価値を失う。
砂漠惑星でありながら200万人を養う惑星ヴェスターラントは、貴重な財産なのだ。
この一連の発言は、私室ではなく、豪奢壮麗な「執務室」で発せられた。
もっとも「執務室」とは名ばかりで、レンテンベルグ要塞に複数ある貴族社交室のうち、2番目に大きいものをそう呼んでいるに過ぎない。
最大のものは、この要塞に「逼塞して」いる貴族たちの「軍議」に用いられている。
その場にはブラウンシュヴァイク公自身の家臣だけでなく、他家からの連絡役までもが同席していた。
「我が財産」--この一言も、また失言だった。
全人類の領土は、すべて銀河帝国皇帝の所有物である。貴族とは、その統治を代行する代理人に過ぎない。
便宜上「下賜」と略されるが、正しくは「皇帝陛下の財産管理を代行する栄誉の下賜」である。
ブラウンシュヴァイク公が、他家の耳もある場で発した一言は、その建前をまるごと踏み外していた。
ブラウンシュバイク公の家臣にも、他家のものにもある事実を思い出すものがあった。
提案された戦艦や重巡の核融合弾頭に比べると出力が3桁も小さいが「熱線と放射線が幾何学上照らしうる範囲のあらゆる生命と家屋を瞬時に蒸発させた」という点だけは同じ核爆発が、かつて地球上で2回だけ生じている。
13日戦争の初日にそれは生じた。
地球の地図を見たことがある者なら誰でも知っている。モスクワ湖、ワシントンDC湖。
2つの丸い湖はいずれも、人造湖である。
かなりの独自設定を盛り込んでいることを明かしました。
細かなことを言えばこの時代に「ルブアルハリ型」なんて言葉が残っているわけがないのですが。
「かつての浅い湖沼群を砂が埋めて形成された砂漠」「地下になお存在する湖沼がそれなりの地下水をもたらすオアシス」は本文に入れるには冗長と考えてここに記します。
ルブアルハリ砂漠の湖沼群の最後の水面が砂に埋まった時期には諸説ありますが「人類が文字記録を残している」時期であることは確定しています。
また。21世紀の今であれば主に天体災害や木星への天体落下現象の研究者から「TNT換算にしてギガトン級の熱放射を伴う爆発」「テラトン級の爆発」について聞けますが。
宇宙歴8世紀末の人々が、WW2当時でもすでに古い換算基準になっていたTNT換算など覚えているとはとても思えません。
WW2においては日本帝国でさえTNTより強力な爆薬を当たり前に生産配備していました。
本土決戦準備においては一挙に黒色火薬にまで退行しましたがこれも本編に押し込む価値はないでしょう。
最後に。
まずシャイド男爵ファンのみなさん、申し訳ありません。
ブラウンシュバイク公爵ファンのみなさん、申し訳ありません。
リッテンハイム侯爵ファンのみなさん、申し訳ありません。
いわゆるルドルフ大帝。つまりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのファンのみなさん、申し訳ありません。
悪いのは本作の作者です。