銀河英雄伝説 サンフォード炉辺談話   作:mosamosa

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第5話「ベレーの下から見る銀河」

 宇宙暦8月22日、3個艦隊からなるアムリッツァ派遣艦隊はバーラト星系とその周辺星系から進発していった。

 3個艦隊の指揮官はいずれも中将で、先任順に従い第7艦隊のホーウッド中将、第3艦隊のルフェーブル中将、第13艦隊のヤン中将の順で指揮権継承が定められている。

 イゼルローンへ向かう航路の途上、ヤンは艦隊運用を完全に副司令官フィッシャー少将に委ねて連日指揮座で居眠りをしているかに見えた。

 事実ほとんどの時間は本当に居眠りしていたのだが、時折はその頭脳を活用してみることもある。

 顔に軍用ベレーを被せて腕組みし、指揮シートにもたれた姿勢でヤンは考える。

 今日はイゼルローンの帝国側での哨戒、警戒をいかに行うか考えていた。

 とくにアムリッツァ星系での警戒態勢の実施について。

 これまで同盟軍宇宙艦隊が実施してきた宙域哨戒の手法と方針を応用できるはずだが、なにしろ今回が最初の進出と言って良い星系だ。

 

 まずこれまでに同盟軍宇宙艦隊が経験あるいは研究成果を持つ星系および宙域について考えてみる。

 小規模部隊のパトロールから正規艦隊による会戦、要塞攻防に至るまでの豊富なノウハウがあり、また良く研究されているのはイゼルローン回廊とその同盟側出口に広がる星系となる。

 これについてはヤンよりもフィッシャーやムライ、パトリチェフなどがさらに詳しい。

 それとは対照的に、理論研究と監視基地の建設運用、小規模部隊のパトロールに留まっているのがフェザーン回廊方面となる。

 1世紀ほど前にフェザーン回廊を通じての密輸や亡命が始まり、そして帝国の大商人が粘り強い工作活動によってこの航路を用いての交易を帝国政府に認めさせた。

 これまで、帝国も同盟もこのルートを用いて正規艦隊を侵攻させようとはしてこなかった。

 

 

 フェザーン回廊は広すぎるのだ。

 

 銀河の軸方向に数万光年ほど離れた視点を想定する。

 銀河を巨大な渦巻きとして見下ろす視点だ。

 この渦には大まかに言って、中心核から対数螺旋を成して伸びる4本の腕があり、そして腕の中ほどから分かれた2本の局所枝がある。

 今のところ政治的、軍事的に意味を持つのはペルセウス腕から伸びた枝であるオリオン局所枝、そしてサジタリウス腕の2つだ。

 オリオン局所枝は人類発祥の地であり、かつての銀河連邦はこの局所枝のほぼ全域に広がっていた。

 今、そこには衰退を重ねつつも銀河帝国がある。

 一方、自由惑星同盟の領土はサジタリウス腕の一部に広がっている。

 オリオン局所枝とサジタリウス腕の間には恒星がほとんど無い暗黒宙域、渦状腕間隙が平均1万光年の幅を持って広がっている。

 この領域はほぼ航行不能と言って良い。

 

 しかし、オリオン局所枝もサジタリウス腕もあくまでも大きな渦の一部だ。

 たいていの渦巻きがそうであるように、完全に整然としたものではない。

 

 か細い枝はあちこちに生えている。

 

 ほとんどの枝は渦状腕間隙の途中で途切れてしまうのだが、途切れずに渦状腕間隙を渡りサジタリウス腕とオリオン局所枝を繋ぐ恒星の連なりが今のところ二つ見つかっている。

 片方は言うまでもなくイゼルローン回廊であり、艦隊は今それを目指して航行中だ。

 この細い枝は回廊と呼ぶのにふさわしく、狭い。

 戦隊単位の定期哨戒をきちんと行えば回廊の交通状況を監視できるほどに。

 あるいは要塞をひとつ築いて1個艦隊を常駐させれば封鎖できるほどに。

 

 哨戒部隊からの報告に応じて戦力を出動させれば、敵軍が自国領へ侵入することを防げる……いや、妨害できると言うべきか。

 かつてコルネリアス1世が率いた大軍は同盟軍の哨戒部隊によって早期に回廊内で発見されたが、当時の同盟軍の戦力ではこれを押し留めることは出来なかった。

 この事実は忘れてはなるまい。

 ともあれ、敵陣営に気付かれることなくこの回廊を経由してサジタリウスからオリオンへ、あるいはその逆に航行することは大変に難しい。

 分散した小集団で哨戒網を個々にすり抜けるしかなく、その過程で駐留艦隊に遭遇すれば悲惨なことになるだろう。

 もちろんそのような活動にも意味はある。

 この年の5月、他ならぬヤン自身が意味を持たせた。

 

 ……もっとも、ヤンがその行動を成功させたと言うよりは「帝国軍が寝ていた」と言うほうが事実に近いかもしれない。

 

 

 

 さてフェザーン回廊を見てみる。

 こちらはイゼルローン回廊より遥かに広大で、かつて同盟軍が実施した研究のひとつでは「回廊中点の星系(フェザーン星系)に複数の艦隊を駐留させてさえ、回廊内の交通を遮断できない」と結論されている。

 仮に今イゼルローンに向かっている3個艦隊をフェザーン回廊に侵入させ、フェザーン星系を占領したとしてもこの研究と同じ結果になるだろう。

 フェザーン商人にとっては「数日分の航行所要時間および利益損失と天秤に掛けて良い程度」のリスクにしかなるまい。

 このような広大な回廊の一箇所を占領したとしても、それは永続しえない。

 フェザーンとは古代地球の戦略用語で言うところの「大国の墓場」、「攻略し占領することは容易だが、その状態で維持することは困難」な場所の典型例である。

 よりシンプルな表現を用いれば「攻めるに易く守るに難い」。

 同盟軍がフェザーンを占領することは実に容易い。

 そしてその後、フェザーンの占領状態を保つ、あるいは同盟の加盟星系としたときに防護することは実に困難だ。

 

 軍事的占領であれ政治的位置の変化(フェザーンの同盟への加盟)であれ、対する帝国軍はフェザーン星系を占拠ないし駐留する同盟艦隊との対決を避け、それどころかある程度の確率で発見さえされずに同盟側へと侵入できる。

 そして同盟軍フェザーン占領部隊の補給路を不確実ながらも脅かすことが出来る。

 同時にこの帝国軍艦隊も補給を要するから、同盟軍フェザーン占領部隊がそれを妨害することも出来る。

 

 もちろん確実とは行かない。

 

 フェザーン回廊の広大さが両軍の敵となる。

 お互いに敵軍の行動を完全に把握し制約することは出来ない。

 そしてどちらも敵軍の補給路を完全に断つことは出来ず、かつ自らの補給を確実化することもできない。

 このような地勢において大戦力を敵地へ侵攻させることは、消耗戦に陥るリスクばかりが高い。

 双方がある場所ではすれ違い、ある場所では接触し戦闘を行い、ただひたすら消耗してゆく。

 そんなことはどちらの政府も望まない。だからこそフェザーンは自治領として存続できている。

 

 さて。

 先日に宇宙艦隊司令部の作戦参謀が提案して否決されたイゼルローン回廊経由での帝国領への大規模侵攻は同様の問題をより大規模に抱えている。

 この場合、狭隘なイゼルローン回廊を出るまでは危険は少ない。

 しかしその先に広がるオリオン局所枝=銀河帝国領はフェザーン回廊と比べてさえなお、桁違いに広い。

 帝国辺境の個々の星系を制圧占領する、あるいは同盟に加盟させることまでであれば容易である。

 だがその後の行動は著しく困難だ。

 

 広大な帝国領内での軍事行動は、よほどの兵力優位または戦闘正面の制限なしには不確実なものになる。

 

 歴史を探せば前例もある。

 

 このような、人類が実用化しているハードウェアに対して相対的に広大な空間での戦争と言うものは無数の小戦闘の積み重ねとなることが通例だ。

 双方がなんらかの理由を持って戦闘正面を同じ場所に設定しない限り、「決戦」など生じない。

 古代地球史にはそのような戦争の事例が多数ある。

 

 宇宙時代を迎えてからも複数の事例がある。

 たぶん宇宙艦隊司令部作戦参謀の、あの顔色の悪い准将もこれには同意してくれるだろう。

 戦略検討会議でヤンが将来におけるフェザーン回廊経由での侵攻を「同盟が、帝国を確実に併呑できるほどの戦力を用意して行う場合」と言う条件つきで示したが、あの准将もこの条件そのものには異を唱えなかった。

 回廊出口の何箇所かの星系を数ヶ月や数年程度のタイムスケールで争奪することと、より広大な領域を永続的に支配下に置くことでは所要の兵力、兵站は違う。

 それだけの話だ。

 

 

 このような広大な空間での軍事行動で長期消耗戦を避けるには宙域や星系を確保するのではなく、直接敵軍の行動を抑える必要がある。

 理論上の最良の手段は敵国の機動戦力全てを開戦劈頭に撃破することだが、これは戦史上の成功例がほとんど無い上に、数少ない成功例も特殊条件が多すぎて参考にはならない。

 より参考にしやすい事例を思い浮かべてみる。

 たとえば敵国本土に侵入させた複数の艦隊をもって敵主力の行動を制約し、同時に個々の戦闘正面に至る経路に十分な戦力を置くことだ。

 かつて銀河帝国皇帝、コルネリアス1世がそれに成功しかけた。

 当時の同盟軍はほぼ全軍が帝国軍先鋒部隊への直接対応を強いられ、同盟領内に展開された帝国軍の補給経路にはなんら妨害を行うことが出来なかった。

 コルネリアス1世が親征に際して用意した兵力はそれほどのものだった。

 古代地球上でもこれに類する事例はいくつか存在している。

 しかしこれも現状の同盟には当てはまらない。

 先日の会議でヤンが発言した時の様子を改めて思い起こしてみる。

 出席者の誰一人として、現状の同盟軍をしてコルネリアス1世の親征軍を再現できると考えるものはあるまい。

 それを為しうるほどの戦力を自由惑星同盟が用意できるようになるまで、何年くらい掛かるのだろうか。

 あるいは、それを為しうる存在が銀河帝国に再度出現する可能性はあるのだろうか。

 この条件すなわち圧倒的に優勢な軍隊とそれを動かす国家の出現した状況においては、フェザーン回廊の広大さは優勢な軍にとり一方的な味方になる。

 たとえば、もしコルネリアス1世が親征に際してフェザーン回廊の存在を知っていたなら必ずそちらから侵攻しただろう。

 もちろんフェザーン回廊はイゼルローン回廊のように一度に数個艦隊しか通れない場所ではない。

 つまり短期間で大軍を同盟領内になだれ込ませることができる。

 この架空の歴史においては、同盟軍は親征軍の先鋒部隊を相手どっての抗戦さえ出来なかったのではなかろうか。

 架空の歴史におけるフェザーン経由での大親征とその帰結は、おそらくは「バーラト星系会戦」を最初で最後の決戦と称する形になっただろう。

 

 その結果は……もしコルネリアス1世がフェザーン回廊経由で侵攻していた場合には、同盟は今ごろは滅亡しているか、それともサジタリウス渦状腕を放棄して隣のケンタウルス渦状腕への再度の長征を行っていたかもしれない。

 

 

 逆方向の事例を思い浮かべてみる。

 人類が古代地球の海と大地を戦場にしていた時代、そして恒星間文明時代を迎えて太陽系とシリウスが覇権を争っていた時代。

 広大すぎる空間を戦場とする場合、投入可能戦力の大きな格差が生じるまでは長期の消耗戦となる。

 古代地球の海において、そのような戦争はいくつも行われている。

 当時使われた言葉で示すなら、「制海権がどちらの手にも無い海域での、無数の遭遇戦の繰り返し」となる。

 当時の地球の海は人類にとってあまりに広すぎたのだ。

 当時、地球上の大洋を戦場としての戦争はわずかな例外を除いて、小規模戦闘の無数の繰り返しから始まった。

 まずは今で言う軽巡航艦のような航続力に優れた艦艇に被発見防止措置や商船への偽装を施して敵国近くの海域へ個別に侵入させる。

 侵入に成功した艦は敵正規軍との戦闘を徹底的に回避し、敵国の商船を襲っては逃げることを繰り返す。

 相対的に広大な古代地球海でのことだから通商破壊艦に遭遇せずに航行に成功する商船の方が多いこともあるだろう。

 しかし確実に交易のリスクとなり、国家経済になんらかのダメージを与える。

 それが十分なダメージとなり交戦国の衰退に繋がるかどうかは、双方の国力や投入兵力、地勢によってさまざまだ。どちらかの勢力が衰退してからの展開も個々の戦争によって違っている。

 優勢な側が正規艦隊を出撃させ、弱体側の本土近くで艦隊戦を強いた事例もあれば、通商破壊の積み重ねのみで決した事例もある。

 恒星間文明時代になってからも、通商破壊の積み重ねから艦隊戦闘に至った事例が存在している。

 シリウス戦役がそれだ。

 これは地球統一政府が長年続けてきた植民星系統治の誤りが軍事的にも誤りとなって地球軍の行動を制約した事例だが、その詳細を思い出して論じる意味は今は無いだろう。

 

 ともあれ、最終的に主力艦隊を繰り出しての会戦となった事例は数多い。

 そのためか、それらの会戦を「この戦争の帰趨を決した戦い、決戦であった」と評している文献も数多いが、間違いも多い。

 繰り返された無数の小戦闘のうち単に目立つものを「決戦」と誤って評している歴史書が多い。

 典型例は西暦の20世紀半ばに行われた二つ目の大戦で、特に太平洋(地球にいくつかある海の中で最も広大な海)戦域においては「決戦」など一度も生じていない。

 無数に繰り返されたどの会戦についても経緯や損耗にどのようなイフを設定しても、最終的な帰結はひとつに収束してしまう。

「歴史の復元力」と言う用語と概念はこの戦争の太平洋戦域を専門とする史家が作ったと言われるほどだ。

 しかし当時の史書の多くが「ミッドウェーの決戦」とか「決戦マリアナ沖」などと書いている。

 そのような文言がある史書は、たいていの場合は敗北した側の国家の言語で、敗戦後間もない時代に作戦に関わった当事者によって原書が書かれたとされるものだ。

 

 これは史学的にも興味深いことだ。

 

 しかし、西暦20世紀後半に主要交戦国それぞれの言語で書かれた史書の多くは「ミッドウェー海戦やフィリピン海海戦、レイテ戦役の帰趨がどうあれ、日本帝国の降伏時期はほとんど揺るがない」としている。

 

 当事者よりも後世の史家の方が客観的に分析できると言う事例のひとつだろう。

 このような「決戦の生じない戦争」の最終的な結果は、戦争が始まる前に定まっている。

 

 あるいは戦火が届かない場所で定まっている。

 

 それに比べると、個々の会戦の指揮官の判断やそれに影響されての戦闘の帰趨などは誤差にしかならない。

 

 これをして「歴史の復元力」と言うのだが、やや誤解を招く言葉だ。

 

 歴史そのものに意思があるのではなく、国力比や地勢、外交関係と言った要素が帰結を決める類の戦争があると言うことに過ぎない。

 

 

 さて「決戦なき戦争」すなわち長期かつ大規模な消耗戦においてはいろんな展開がある。

 ひとつひとつの島や星系といった要地を占領しあるいは取り返すことを繰り返して少しずつ敵国首都へ迫ってゆく場合もある。

 敵国交易路への妨害と自国の交易路確保のための小さな戦闘を繰り返して互いの国力や補給力にダメージを累積してゆく場合もある。

 ある一定の戦域で戦闘をひたすら繰り返し、互いのダメージの積み重ねによって戦略的優劣が生じる事例もある。

 今年の5月まで帝国が同盟に対して実施していた戦略がそれだ。

 

 さて、今回から開始されるアムリッツァ哨戒は、同盟と帝国の戦争においてどのような意味と位置づけを持つのか。

 政府は、国防委員会は、最高幕僚会議はどのような構想を持っているのか。

 何らかの構想があるはずだ。

 それに基づいて戦略検討会議が実施方針を定め、今回のアムリッツァ哨戒が行われようとしている。

 

 イゼルローン回廊の帝国側出口を出て最初に到達する星系、アムリッツァ。

 終末期の準巨星あるいは初期の赤色巨星とされるその恒星はひとつの惑星も持たない。

 帝国軍の常駐部隊も居ないらしい。まあ、あまり住み心地の良い星系でないことは確かだ。

 

 ようやく、アムリッツァ哨戒の考察へ進めそうだ。ヤンはベレー帽の下でため息をついた。

 

 なんと基本的なことから考えねばいけないのだろうか。

 

 戦略検討会議で定められた方針を振り返ってみる。

 大目的はイゼルローン回廊の帝国側出口の確保。

 ただし今年前半まで帝国が同盟に対して強いてきたような、定期的な会戦を攻守入れ替えて実施する意図はもたない。

 

 帝国が同盟に対して毎年定期的に強いてきた、個々の星系での会戦をこちらから繰り返すものではない。

 さてこれを前提として、アムリッツァ星系で艦隊が採るべき行動方針を考える。

 これは艦隊司令官の責任範囲だ。

 今回の哨戒における具体案を作るのはフィッシャーとムライに任せるとして……。

 

 ヤンとしてはもうひとつ考えておく必要があるだろう。

 すなわち、帝国に対する通商破壊を行う可能性だ。

 今回は行わないはずだが、将来はどうだろうか?

 少なくとも、先日の戦略検討会議では議題に上がっていないし、ヤンと第13艦隊に対してもその命令と指示は無い。

 ではより上位の意思決定機関においてはどうか。

 制服組における最上位の意思決定機関は最高幕僚会議で、元帥と大将しか出席できない文字通りの最高幕僚の会議だ。

 中将に過ぎないヤンにはその議事録は回ってこないし、それどころか出席者の顔ぶれさえ教えられていない。

 仮に最小限の人員すなわち統合作戦本部長シトレ元帥と宇宙艦隊司令長官ロボス元帥、そして双方の大将クラスのスタッフのみが出席して実施されたのであれば、現有兵力の運用構想レベルの話だ。

 しかし後方勤務本部長や技術科学本部長までが参加してのことであればより長期的な話になる。

 

 現有兵力と技術によって採り得る戦略は規定され、逆に長期戦略構想によって将来の兵力練成と技術開発の方針が左右されうる。

 そして同時に、将来の年齢別人口推移や技術的可能性によっても戦略方針は影響を受けうる。

 想像を絶する新兵器などありはしない。

 秘密裏に大軍が編制されることもありえない。

 

 これはもちろん、ヤンのような実戦部隊指揮官やその指揮下にある将兵が新兵器の開発動向を学ぶ必要がないと言う意味ではない。

 敵軍の新兵器に遭遇したときに「まさか」と言うようでは公務員としての職務専念義務を怠ったとさえ言われてしまう。

 西暦の20世紀に生じた二度目の世界大戦において、負けた側の軍人の多くが敵軍の新兵器に遭遇したときにパニックに陥り、当時の技術では不可能な「魔法のような新兵器」とみなして誤った対応を示したのがその例である。

 

 敵軍の新兵器に遭遇したときに「やはり」と評して対応を考えることが出来る程度には学んでおく必要がある。

 そしてそれ以上のことは技術者に任せるべきである。

 

 

 つまり常識と想像の範囲内にある兵器と兵力しか出現しえないからこそ、予測し計画を立てておくことは意味を持つ。

 そして、最高幕僚会議の出席メンバーによって検討対象のタイムスパンが判る。

 

 はて、なぜ私はこんなことを考えているのだろう。

 アムリッツァ哨戒について俸給分働くだけなら、時代を遡り、また別の状況まで思い起こしながら考える必要と将来への影響を考える必要は薄いはずだ。

「当方の消耗を抑えつつアムリッツァ星系を確保」と言う当面の方針だけははっきりしているのだ。

 

 戦略検討会議でビュコック中将が批判したような、目の前の任務だけ考える指揮官で良いはずではないのか?

 ヤンはベレーの下で顔をしかめ、しばらくして苦笑した。

 

 もちろん、いずれ同盟軍公刊戦史の「宇宙暦8世紀末の戦略情勢と同盟側の判断」の章を書くためだ。

 できるだけ早く戦史編纂室へ異動させてほしいものだが……難しそうだなあ。

 

 

 

 さて艦隊戦闘に拠らない、敵国を衰退させる手段を考えてみる。

 それは古代地球の海で幾度も繰り返されたことだ。

 情報収集目的の艦艇潜入、各種の破壊工作、帝国側の反政府活動家への支援、さらには商船への襲撃などなど。

 このうち、商船への襲撃によって敵国経済を衰退させるのは歴史上の事例を見ても艦隊がドクトリンを定め、長期的計画に基づいて行うべきものだろう。

 古代地球史を見るとこれを戦争の主要手段とした国家の事例さえある。

 恒星間文明時代においてもシリウス戦役ではシリウスと地球の双方が大規模にこれを行い、終戦後に大量の宇宙海賊が残ると言う社会的な悪影響が残った。

 これまでのところ同盟軍は帝国への通商破壊を行ったことはない。実施手段も無かった。

 イゼルローン要塞を手にした今でもハードウェアの面で実施困難だ。 

 要するに国営の海賊業を始めるということなのだが、現在の同盟軍はそれに適した艦と部隊を保有していない。

 宇宙艦隊が現状のハードウェアと教育訓練体系で実施できることは、まさにヤンが今回命じられたような任務になる。

 もし最高幕僚会議に後方勤務本部長や技術科学本部長が出席していたのであれば、ハードウェアと人事体系についての変革を検討することを意味する。

 まあ、今回のアムリッツァ哨戒任務におけるナンバー3であるヤンにさえ出席者の顔ぶれが明かされないこと自体は納得がゆく。

 防諜の基本は味方にも情報を与えないことだ。

 今のヤンは実戦部隊の指揮官として敵地に踏み込む立場であり、つまり不本意ながら帝国軍の捕虜になる可能性がある。

 であるから、ヤンは必要以上の情報を持っていてはならない。

 

 これにも歴史上の先例がある。

 ある戦争において、敵国の尉官を捕虜として尋問した軍隊が「尉官なりの情報しか持っていない」と感嘆したと言う逸話があるほどだ。

 

 さて艦隊が受け持つべきで「ない」残りの要素について考えてみる。

 つまり情報収集目的の艦艇潜入、各種の破壊工作、帝国側の反政府活動家への支援といったものだ。

 それを行うのは、憲兵と並んで軍隊と言う行政組織の暗い部分を象徴する部署。

 同盟軍においては、宇宙艦隊とその部署すなわち情報部との間には人事上の壁が故意に設けられている。

 なにしろ会戦時には少なくない数の捕虜が発生してしまうのだから、帝国への工作員浸透状況を知る人間を艦隊勤務させるわけにはゆかない。

 

 帝国軍も同様らしく、会戦や地上戦で得た捕虜を尋問しても帝国側の情報工作が同盟にどう伸びているのかは知りえない。

 ヤンの副官は情報部勤務から艦隊勤務へ移籍した例外組だが、それはまだ若く知りうる情報が少ない立場だったからだろう。

 それでもヤンを含め、第13艦隊の司令部スタッフは副官の情報部時代については聞かないようにしている。

 

 情報部はいかなる方法によってかきちんと仕事をしていて、イゼルローン要塞攻略時には帝国軍の通信を完璧に偽装できるだけの情報資料を与えてくれた。

 それらの情報収集活動の責任者は統合作戦本部の3人いる次長の1人で、大将を持って任に充てている。ドーソンと言う大将だ。

 

 であるからドーソン大将が戦略検討会議に先立つ最高幕僚会議に出席していてもおかしくないのだが、ヤンは次長たちの出席状況についても知らない。

 

 それを知ることで今後の方針が推測できるはずだが、当然ながら艦隊勤務者には伝わってこない。

 あるいは退役後に戦史研究者ヤン・ウェンリーとして関係諸方面をインタビューして回ることになるのかな。

 

 ヤンは改めて当事者としての歴史と、史家にとっての歴史との違いを実感した。部分的な1次史料だけでは歴史を書けないことも。

 

 

 最高幕僚会議で定めた方針を、艦隊レベルでの行動へと具体化するために開催されたものが先日の戦略検討会議だ。

 比較的明白な方針が定められたとヤンは解釈しているが、これもホーウッド中将、ルフェーブル中将に確認を求める必要があるだろう。

 

 今回は艦隊単位の哨戒である。

 それは間違いない。これには両中将も同意してくれるだろう。

 では今後については?

 

 銀河渦状腕空隙をまたぐ空間スケールと、年単位の時間で考えられている……そうであって欲しい……はずの戦略の一部として、為すべきことは艦隊単位の哨戒だけなのか、どうか。

 

 どうにも考えがまとまらない。

 前線指揮官がそれを考える必要があるほど、同盟軍は陣容の薄い軍隊だろうか?

 もう一度思索の向きをフェザーン回廊に切り替えてみる。

 フェザーン回廊は古代地球人にとっての海のように広い。

 しかし、帝国も同盟もフェザーン回廊を通じての通商破壊戦略を実施してはいない。

 たぶん双方の情報部が工作員や情報収集任務を帯びた商船を送り込んでいるだろうが、それだけだ。

 現状では通商破壊などどちらにとっても行う利点が無いし、その能力が無いのだ。

 

 ただし、一応は同盟は帝国による通商破壊への備えを持っているとも、影響を受けているとも言える。

 具体的にはフェザーン回廊の同盟側出口には数千光年にわたって無人星系が広がっている。

 もし帝国が通商破壊戦略に踏み切ったとしても直接の大きな損失は受けない。

 フェザーン星系あたりで補給を受けるだけで同盟本土への往路航行と商船襲撃、同盟軍の巡察部隊からの退避、フェザーン星系近辺への復路航行の全てを余裕を持って行えるような艦が多数登場すれば別だが、今のところそれは架空の存在だ。

 多数の星系を未開拓で放置していること自体が同盟にとっての損失だと言うことも出来るが、別の要素もある。

 数千光年に渡って商船が補給や休養を行えない宙域が広がっていることは、フェザーン回廊経由で輸出されてくる帝国製品のコストを引き上げさせる効果も発揮している。

 これが同盟経済へのダメージをいくらか緩和している説には、一定の説得力がある。

 かつてヤン少年が父から聞いた話のひとつでもある。

 

 この方向へ考えることは、あまり知的刺激にはつながらないようだ。

 思考の方向を変えてみる。

 

 

        *                     *

 

 

 その艦は存在しない。

 ゆえに艦名もなければ艦番号も持たない。

 ヴァンフリート星系の外縁で小型補給艦と会合し長期航行の準備を行っているその艦には、かつては名前を持ち宇宙艦隊に所属する同型艦が何隻もあって特務通報艦と呼ばれていた。

 偵察型スパルタニアンの出現後、特務通報艦は次々に退役していった。

 もっとも、艦隊には今でも軽快かつ高速な艦すなわち駆逐艦が多数在籍している。

 駆逐艦の速力やセンサー性能は特務通報艦のそれにはおよばないが、数は力となる。

 そんな事情があり、偵察型スパルタニアンの出現する前から多くの指揮官は集結させて艦隊戦闘に使うことも哨戒や偵察に充てることもできる駆逐艦を活用することを好んでいた。

 偵察型スパルタニアンの出現は以前から薄かった特務通報艦の存在意義を完全に消し去ったのだと言われている。

 艦隊においては。

 

 艦隊での運用から離れたこの艦は、書類の上ではすでに解体処分されたことになっている。

 そして書類の上では乗員もみな長期の療養中であったり、僻地勤務中のもの、そして予備役入りして民間人として暮らしているものばかりだ。

 さすがに死者や行方不明者は滅多に配属されない。

 なにしろ僻地勤務者や長期療養中の人間、予備役軍人はどこかの惑星上でうっかり知人に目撃されてもたいした問題にはならないが、死者や行方不明者はそういうわけには行かない。

 情報部は艦隊や陸戦隊とは異なる労働倫理を持っているとソリビジョンなどでは演出されるが、人間には定期的な休暇が必要なことを忘れるほどではない。

 

「推進剤の補充、完了。補給配管切り離し完了」

「ドッキングハッチ、全て閉鎖済み」

「船外作業班を収容、点呼完了。全エアロック閉鎖」

「外部ビーコンの電源、カット・オフ」

 

 カット・オフ。

 

 遮断ではなく切断である。

 外した電線を再び取り付けない限り、誤ってビーコンを発信することは出来ない。

「電波通信装置、光通信装置電源カット・オフ」

 長期療養中の艦長は部下たちから次々に上がってくる報告を確認し、進発準備を完了させる号令を下した。

「超光速通信装置の電源、カット・オフ」

「了解……カット・オフ完了。配線収容」

「よし、それじゃあ行くかね、写真とりに」

 特務通報艦は静かに補給艦から離れた。




ストーリーにはたぶん関係しませんが、1次史料とは要するに当事者の証言や当事者によって書かれた記録などを指します。

これ「だけ」を用いて歴史を書くことは、多くの場合大変な困難を伴います。

たとえば、「大本営発表」はすべて1次史料ですが大本営発表「だけ」に基づいて太平洋戦争を書くのは非常に困難です。

複数の1次史料を比較参照し真相に迫るのが歴史家の仕事のひとつです。
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