ヤンはしばらく、戦史編纂室への異動を夢見てみることにした。戦史教官を兼ねることになるはずだ。
戦史の、自ら関わった部分に関して記すとするならばまずは基礎的な視点が必要になる。それは士官学校の初年生徒に説くような内容になる。
では、まずは「ヤン教官」がどのように候補生たちに語り出すか、そこから考えてみようか。
今日の強力な兵器を備えた軍隊の指揮官を養成するためのこの学校において、弓矢や刃物で戦争をしていた時代を振り返る戦史研究には意味が無いと主張する意見は多い。
残念なことである。
諸君の多くも、指先ひとつの動きで巨大戦艦を火球に変えうるこの時代の士官学校で古代の戦史を学ぶことは無意味だと考えているであろう。
教官もかつてはそのように考える候補生であったことを認める。単に歴史を無料で学ぶために士官学校を受験したのであって、「なぜ士官学校でそんな古い話を扱うのだろう?」と疑問を持ったものだ。
さて。
人類の戦争の歴史は兵器の歴史でもある。
基本的には火力と防御力と機動力の向上競争であって、数千年あるいは数万年の技術競争の末に、扱うエネルギーは文字通り桁違いに増大している。
人類が最初に手にした武器が扱いえたエネルギーは、たぶん現代の健康な成人男子が腕の一振りで発生させうるエネルギーと同じくらいだろう。
個人差はあるが、まあ10~20ジュールくらいと考えて欲しい。
それから数万年。ひょっとしたら数十万年。ヤンが座乗している戦艦ヒューベリオンが主砲斉射時に敵へ投射するエネルギーはさて、何ペタジュールだっただろうか。
ヤンが退役するまでの俸給全額をハイネセンの電力公社に支払っても買えないほどの数字であるのは間違いない。
とにかく、ひたすら向上したのだ。
防御力も同様に向上している。人類が最初に手にした防具が防ぎえたエネルギーは何百ジュールだったろう?そして今、戦艦の装甲と防御磁場が防ぎうるエネルギーは何ペタジュールだったろうか?
さて、「ヤン教官」は言葉を続けることになるだろう。
しかし、その一方で変化しない事もある。
個人の生命や自由意思を奪うために必要なエネルギーの最小所要量は、数千年前からさほど変化していない。
火力向上は、精度と機動力あるいは侵攻能力の不足を補うためのものである。
古代地球においてはもちろん、今日の銀河においてさえも十分な精度を必要な場所で発揮できるなら、生身の人間が発揮しうる程度の火力で足りるのだ。
たとえば銀河帝国皇帝なり帝国宰相代理なりの肉体へその火力を正確に向けうるなら、必要な火力は兵士1人で扱えるもので足る。
それこそが、宇宙艦隊と並行して陸戦隊が今でも編成され用いられる理由でもある。
どれほど文明が進歩しても、人間は不死にはならない。
そして人間が生活し活動するためには地球表面で約束されていたのと同様の環境を要することも、またその空間に敵軍の兵士が入り込んだ状態では生活も作業も成立しないことも、やはり変わらない。
だからこそ、たいていの戦争においては「歩兵こそが主力」となる。
人類の歴史、戦争の歴史においてこれはほとんどの時代において事実であった。
今日、我々が手にしている火力や防御手段のスケールがあまりに大きいためにこの事実を忘れがちであるが、思い起こして欲しい。あるいは想像してみて欲しい。
たとえば士官学校の寮の一室、士官候補生4人が暮らすその部屋に刃物やポータブル・ブラスターを手にした兵士一名が侵入してきたときにどのような結末がありうるか、である。
士官候補生4名が武装していない場合と武装している場合に分けて考えても良い。
想像できただろうか?
そのような事態を防ぐためには何が必要かを順を追って考えてゆけば、最終的には同盟軍宇宙艦隊と統合陸戦隊の編成と整備へと行き着くはずである。
いささか途中を省きすぎた感もあるが、逆順で考えても良い。
リップサービスでも考えておこうか。最初の講義での説明は、とにかく戦史に興味を持ってもらうことが大事だ。
銀河帝国皇帝あるいは宰相代理の執務室に踏み込み、降伏宣言書あるいは帝国議会再召集宣言書へのサインを強いるには何が必要かを順を追って考えてみよう。
最終的に必要なのは陸戦隊員一名とその携行武器だけであることは容易に判ると思う。では、その陸戦隊員を執務室に踏み込ませるためには何が必要か。
その執務室が存在する建物の、全ての部屋と通路を制圧ないし破壊するための準備がまず必要になる。それに先立って、まずその建物を取り巻く街区の制圧の準備が必要だ。
あとは順番に全てを考えてゆけば良い。
この講義を受けている諸君の誰かが皇帝なり宰相代理なりにブラスターを突きつけるのかもしれない。
その建物を制圧する陸戦隊指揮官が、今この講堂で教官を見ている誰かであるかもしれない。あるいは、その陸戦隊がそこまで乗ってゆく艦、銀河帝国首都星オーディンへ降り立つ強襲揚陸艦の艦長になるかもしれない。
ヴァルハラ星系を守る帝国軍艦隊を撃破し無力化する艦隊の司令官も、この受講者から現れるかもしれない。
ヴァルハラ星系へ至るまでに遭遇する敵艦隊を無力化する艦隊の司令官も現れるかもしれないし、またそれらの艦隊への兵站線確保と言う大役を受け持つ者も現れるかもしれない。
そのような考察を踏まえれば「宇宙艦隊が存在する現代における、陸戦隊の存在意義」は容易に想像しうるはずである。
戦史を学ぶ意味がいくらかなりとも理解できただろうか?
では戦史の最初のページへ進みたい。
人類の戦争の歴史は個体としてのヒトを殺傷することから始まった。それは数百万年前、地球のアフリカ大陸で獲物を狩るために得た技術を身内の争いに転用したものだろうと言われている。
それからかなり長い期間に渡り、戦争の技術とは個体の殺傷と、生活空間の制圧に限定されていた。
ここで言う生活空間とは家屋だけでなく、生活の糧を得るために必要な土地や水路も含む。
船舶と言うものが発明され、人類の生活空間が地球の湖沼や河川や海へと広がってからも、かなり長い時代に渡り戦争の手段は敵軍の人間それ自体の殺傷と制圧に限られていた。
しかしあるとき、人類はある種の生活拠点を破壊する能力を手にした。
それをいくらか具体的に述べる前に、ひとつ基本的な解説をしよう。
今日においても、人類が居住する惑星の多くには海があり、水上船舶が用いられていることは諸君も知っていると思う。
ここで、ヤンは自らの候補生時代を思い出した。戦史科の教官は「ハイネセンへ来るまで、実物の海を見たことが無かったものは?」と問い、挙手させたのだった。
ヤンは少し迷ってから挙手したのを覚えている。
「教官は海の無い惑星の出身者を差別する意図は持たない。しかしながら、諸君が持つ経験や知識には固有差があることを把握しておきたい。また諸君にも、お互いに認識や経験の違いがあることを理解してもらいたい」
うん、その言葉も覚えている。
「惑星上の海は、どれほど天候が静穏であっても本質的にヒトが生活できる場所ではない。これを実感を持って理解しているか否かは、この先の講義において重大な意味を持つ」
かつてヤン候補生はここで教官の意図を理解したと判断し、挙げていた手を静かに下ろしたものだった。おかげで、同期生の中で最初に指名され見解を述べる栄誉(?)を得たのだが。
『宇宙空間において気密を保持できなくなった艦船の中では、乗員乗客は生存できません。水上船舶が浸水を止められなくなった場合と同様です』
ヤンがそう答えると教官は「いささか不親切かつ、説明不足に過ぎるな」と苦笑してから着席を許した。そして周囲では納得の表情を浮かべるものと、首を傾げるものがいたのを覚えている。
かつて人類が古代地球に広がる海にまで生活と戦争の場を広げてから数千年に渡って、海上戦闘の手段は敵勢力の船舶に接舷して歩兵を乗り移らせ、敵船の乗組員を直接殺傷ないし捕縛することであった。
当時の人類が保有する火力ではそれが最も合理的かつ経済的でもあったからである。
戦史教官ヤン・ウェンリーは、ここでかつてのヤン候補生の不十分な解説に補足しなくてはならない。
「船舶は水上にあってヒトを生存させる能力を備えている。またこの能力を失った船舶の中においては、乗員はいずれ死亡する。いかなる兵器がその船舶に搭載されていても機能を失う。従って敵船舶のヒトを生存させる能力を奪うことこそが、敵艦船の乗組員全員と全装備を一挙に無力化する手段である。これは今日の宇宙艦隊に置き換えてもそのまま成立する」
かつて戦史教官が講堂を見渡したように、ヤンもいずれそうするかもしれない。
すなわち敵艦を破壊し、気密保持の機能を奪うこと。それが敵国の戦力を奪う最も効率的な手段である。
では何のために陸戦隊なるものが必要なのか。そのような疑問を諸君は抱くであろう。それは条件付で正しい。
ただし水上船舶とはその規模や性能、運用環境に応じて水圧に耐えるように頑丈に作られている。宇宙船はさらに過酷な環境に耐えるように作られているのは言うまでもない。要するに人体より遥かに頑強に出来ている。
さて、人体は10ジュール前後のエネルギーを適切な位置に与えれば機能を永遠に停止する。これは数千年あるいは数万年を経た今でも変わっていない。
先ほど「士官学校寮の居室に一名の武装兵士が侵入」と言うたとえ話をしたことを思い出してほしい。それを忘れた者、聞き流した者もあるだろうが、銀河帝国皇帝や宰相代理の執務室に我が陸戦隊員が踏み込む未来ならば想像できるはずだ。
くどいようだが、この基本は変化していないのだ。
これまでも、そしてこれからも陸戦隊員が戦争の最終的な帰趨を定めることは変わらない。戦争の最終的な帰結は、その陸戦隊員をその執務室に踏み込ませることで得られるのだ。
もちろん、その時点での銀河帝国皇帝なり宰相代理なりが愚か者でない可能性はある。
最終的な帰結すなわちその陸戦隊員が執務室に踏み込み、皇帝なり宰相代理なりにブラスターを突きつける事態が不可避であることをどこかの段階で悟り、我が同盟に対して降伏する可能性はある。
ここでヤンは「付け加えない台詞」をひとつ決めた。
逆に同盟首都星ハイネセンの上空を帝国宇宙艦隊が制圧し、最高評議会ビルに帝国軍兵士がなだれ込み、評議会議長が降伏を決定する未来もありうる。
だがこれは「戦史教官ヤン」がその講堂で言及するには不適切だろう。
講義構想の続きに戻る。
たとえば古代地球の戦争において、敵艦隊が首都の沖に姿を現した時点で降伏した国家の事例がある。また、気圏内戦闘艇の大編隊が重要都市の上空を覆いつくした段階で降伏した事例もある。
今後、諸君が戦う戦争においても同様だ。皇帝なり宰相代理なりがどの段階で降伏を決意するかはわからない。
皇帝の居城『新無憂宮』を包囲した段階で降伏するかもしれないし、ヴァルハラ星系へ我が艦隊が侵入した時点で降伏するかもしれない。
あるいはヴァルハラ星系周辺の、どこかの星系での艦隊戦闘の結果を見て降伏するかもしれない。
戦史を振り返ると「文字通りの最終結末」が現実のものになった事例の方が少ない。すなわち、皇帝なり宰相なり大統領なり、その護衛兵士なりが比喩ではなく文字通り最後の一兵となった事例は非常に少ない。
古代地球の戦史には散逸したものが多いが、信憑性が高い事例としては西暦の19世紀に地球の南米大陸で行われた戦争が数少ない事例のひとつだ。
ではここでもう一度、諸君に問おう。
今日の強力な兵器を備えた軍隊の指揮官を養成するためのこの学校において、弓矢や刃物で戦争をしていた時代を振り返る戦史研究の意味とはなにか。
自由惑星同盟は自由の国家であり、同盟軍は自由の軍隊である。もちろん諸君がどのような所見を持つかも自由である。
「最終目的はわかった。自分はヴァルハラ星系会戦に勝利し、惑星オーディンの周回軌道を制圧する艦隊司令官になりたい。それに直接役立つことだけ教えてくれ」と考えている候補生もあるだろう。
「遠い最終目的のことは考えない。戦艦の機関長として身につけた経験と技能を活かし、故郷の発電所の所長になりたい」と考えるのも自由だ。
それもまた国家への立派な貢献である。
「退役するその日まで兵站業務一筋に生きて、最終目的の実現を近づけるようにする」と考えても良い。
もちろん、「陸戦隊はその執務室に踏み込むための必要最小限だけあれば十分だ。予算と人員を出来るだけ多く艦隊に割り振る」と言う軍政構想を立てて、国防委員会に提出する日を夢見ても構わない。
諸君がどのような考え方をもってこれからの軍務に当たるのであれ、士官候補生が戦史を学ぶことの重要性は変わらない。
兵器は変われども、戦争とは人間が行うものである。
そして兵器の変化によっても変わらない、人類社会から戦争が根絶されるまで変わらない時代を超えた原則がある。
戦史研究の意義の片方はそこにある。時代を超えた要素を過去の戦史から導くことで今後の戦争に備えることである。
また、別の方面もある。現代の軍事理論に関する理解を深めるために、過去の戦争を分析することである。
さて、戦史の入門編に戻ろうか。
教壇に立つ自分を想像しつつ、ヤンは自分の講義構想がまとまりを欠いていることを自覚していた。
いったい何度脱線しているのか。
いずれテキストにまとめ、整理しなくてはなるまい。
その時間を与えられるのはいつのことになるやら。
さて脳内講義をまたもや再開する。
古代地球においては地域ごとの技術水準の差異が激しかった。
そのために正確な年代を述べることは難しいのだが、今日に伝わる史料から平均的に言うと西暦の10世紀を過ぎるころまでは水上船舶を破壊し撃沈するために必要な火力は当時の人類にとって高コストに過ぎ、現実的でも実用的でもなかった。
軍隊のどの部署の兵士もヒトの個体を殺傷する程度の火力しか扱えなかったその時代、敵艦を無力化するには接舷して兵士を移乗させ、敵乗組員を無力化することがもっとも実用的な手段だった。
もちろん今日では違うが、覚えておいて損はない。
恒星間文明時代に接舷斬り込み戦術が復活し、戦争の主要手段となった時代があると言えば諸君も興味が沸くかもしれないな。
さて、水上船舶はヒトの個体より遥かに頑丈だと述べた。
しかし西暦の10世紀ごろに地球のある文明圏において、水上船舶を効率的に撃沈する技術が開発され実用化された。
一挙に古代地球全土へ普及し海上での戦争手段の主役になったわけではない。先ほども述べたとおり、古代地球においては地域ごとの技術水準の差異が非常に激しいものだったのだ。
その普及と進歩と競うようにして水上船舶の防御力を高める技術も開発され普及していったことが、この問題をさらに複雑にしている。
これもまた今日に伝わる史料から平均的に述べざるを得ないのだが、古代地球での水上戦闘において接舷斬り込み戦術が完全に廃れるまではおよそ千年を要した。
奇しくも……あるいは必然なのかもしれないが、接舷斬り込み戦術が廃れたのとほぼ同時代に水上船舶よりも遥かに頑丈な存在、すなわち都市を直接破壊ないし消滅させ、ヒトの生存を不可能にする火力を備えた兵器が実用化された。
その兵器は最初の試作品が実験成功してからわずか数ヵ月後に実戦投入された。西暦で言うと20世紀の半ばのことだ。
そして、その兵器が次に実戦投入されたのはそれから84年後のことだ。
知らぬものの無いその戦争、古代史と近代史を隔てる惑星上での全面核戦争を、今日では「13日戦争」と言う。
以後千年以上に渡り、居住惑星上での核兵器の使用はタブーとされてきた。銀河帝国軍が我が自由惑星同盟の星系を制圧し有人惑星を攻略したことは数回あるが、それらの事例においても核兵器は使用されていない。
もちろん諸君が将来において銀河帝国を制圧するときには核兵器を有人惑星に対して使うことはないだろう。
さて「有人惑星上での核兵器使用の空白」となった84年間に記された軍事書籍の多くには、機序や認識の転倒が見られる。
たとえば「ある国の軍隊が都市を占拠し数十万人の民間人を殺害したと言う主張があるが、その軍隊は核兵器でも装備していたと言うのか?」と嘲笑する文献が今日に伝わっている。
実際にはその国の軍隊はその都市に侵攻していない……つまり、その都市の周辺での大会戦によって勝敗は決していたとする史料が多く見られることが、当時のこの議論を複雑化していたようだ。
もちろん数万の歩兵を大都市に突入させれば、能力的には数十万の民間人を殺害することはごく容易なことだ。
その議論が古代地球戦史のどのページにあるかはここでは論じない。また、当時における事実が何であるかも論じない。この戦史講義において重要なことは、認識の転倒が見られた事実だ。
この時代、高性能艦艇や気圏内戦闘艇を保有する国家の国民がそうでない国家の軍隊を嘲笑した事例も伝わっている。
機械を通して扱えるエネルギーの増大を、人体そのものの強度増大と混同したとしか評しようがない。もちろん人体が直接扱えるエネルギーおよび耐えうるエネルギーは増えていないにも関わらずにだ。
もう一度、先ほどのたとえ話「士官候補生寮の居室に1名の兵士が侵入した場合」を思い出してほしい。
たとえばこのハイネセンポリスに銀河帝国装甲擲弾兵の1個連隊3000名が侵入した場合を想定してほしい。前もって、火器の使用を封じるためにゼッフル粒子が高濃度散布されているものとする。
それでもなお、結果は数万人の同盟市民の死を意味するだろう。
史料が多く残されている事例としては、シリウス戦役の初期段階すなわち惑星ロンドリーナにおける、ラグラン市の悲劇が挙げられる。
繰り返すが、人間はわずか10ジュールのエネルギーで死亡するのだ。
諸君ら士官候補生を前にしてこれを繰り返すのは、大学生に対する数学の講義を「数え方のべんきょう」から始めるのに等しいかもしれない。
しかしながら、人類の歴史、戦争の歴史、兵器の歴史は一桁の自然数の数え方に相当するような基礎を忘れることの繰り返しなのだ。
たとえば西暦の20世紀前半から今日まで使われ続けている陸戦兵器を挙げよう。戦車と言うものだ。
ここでヤンは思い出した。あの戦史教官が戦車の説明をしたのは、確かヤンと同期生たちが陸戦訓練を受けてからだった。ヤンも見習おう。
当時の火器とは火薬を用いて弾丸を撃ち出すものだった。西暦の19世紀から20世紀にかけて連発式の火器いわゆる機関銃というものが普及したことにより、陸戦は防御優勢となった。
この原則は今でも変わらない。
火力の優勢を得るには大量の弾薬あるいはエネルギーパックの輸送を要し、そのために前もって布陣し準備を整えておく側が火力の優越を得やすい。
そして兵士は敵火力が揮われる環境では前進しえない。
機関銃の普及から戦車が登場するまでの間、攻勢の手段とは敵火力に人体を晒さずに前進すること、すなわち塹壕やトンネルを掘り進むことと、敵機関銃の射程外から大型の砲を用いて火力投射し敵陣地を無力化することであった。
西暦の20世紀前半に戦われた戦争において、両陣営は試行錯誤の末に戦車と言うものを作り出した。それはすなわち、敵機関銃に撃たれつつも機能を失わずに前進し、敵防御陣地へ乗り込み火力を発揮するための車両である。
当時の戦車とは今日のレーザーライフルで貫通できる程度の装甲板を張った、徒歩の人間と同じ程度の速力しか持たない無限軌道式の車両だが、ハードウェアの細部について語ることはこの講義について本質ではない。
重要なことはそれが敵機関銃の弾丸を浴びつつ前進し、敵陣地へ乗り込みえたと言う事実と、またそれを目的として開発されたと言う事実だ。
戦車が登場するまでは戦線を数百メートル前後させるのに1ヶ月以上を要することも珍しくなかったが、戦車の登場により戦線の移動速度は時速4km近くにまで飛躍的に向上した。
さて、無敵の兵器などと言うものは戦史のどこを見ても存在した事例がない。
戦車に対抗するための戦術や兵器がすぐに開発された。その結果、当時の地球上の存在したほとんど全ての国家の軍隊は次の結論を出すに至った。「戦車こそが最良の対戦車兵器である」であるという皮肉な結論である。
この結論はそれから50年ほど有効だったのだが、やがて戦車よりも優れた対戦車兵器が出現した。西暦20世紀の終わりごろのことだ。
さて、教官はさきほど述べた言葉をもう一度繰り返そう。
「人類の歴史、戦争の歴史、兵器の歴史は一桁の自然数の数え方に相当するような基礎を忘れることの繰り返し」であると教官は先ほど述べた。
西暦20世紀の終わりごろのこと、戦車は「最良の対戦車兵器」から「2番目に有効な対戦車兵器」へと転落した。
ここで当時の史料に多く見られる見解を紹介しよう。諸君は信じないかもしれないが、事実である。良いかな?
戦史教官はわざとらしく咳払いして見せたものだったな。将来、戦史教官兼戦史編纂員ヤン・ウェンリーはどうしようか?淡々と平板に語ってみせるのも良いかもしれない。
当時、「戦車無用論」と言う主張が猛威を揮った。「戦車を用いずとも敵戦車を撃破しうるのだから、戦車そのものが不要である」と言う主張である。
教官のこの言葉は衝撃的だった。
講義室に声にならないざわめきが満ち、誰の顔にも当惑が浮かんでいたものだった。あの前日くらいにヤンのクラスは陸戦演習で泥まみれになったのを覚えている。ヤン自身が属した班は陸戦演習で全滅判定を受けたのだったな。
「気圏内戦闘艇か戦車を呼んでその到着を待つべきところを、無理な前進を図った」として指揮官役の上級生が叱責されていたのを覚えている。
西暦の昔に出現した「戦車より優れた対戦車兵器」がどんなものだったかヤンは覚えていないが、いずれ戦史教官になるときには復習しておこう。
教官が強調した言葉は覚えている。
このとき出現した「戦車より優れた対戦車兵器」は、戦車が登場した本来の目的には適さないものだった。すなわち、敵防御陣地が備えた火力を浴びつつ前進し、敵防御陣地に踏み込み搭載火力をもって敵陣を焼き払う兵器ではなかったのだ。
もちろん機関銃で撃たれつつ人体を防護し行動を可能とするような歩兵用装甲服が登場したわけでもない。
それにも関わらず「単に戦車を破壊できる兵器が出現した」と言うだけで当時の軍事専門家の間で戦車無用論は猛威を揮った。
いかに容易に人類が戦史を忘れるものか、そもそも戦史とは何かを容易に忘れるものだと強調するにはこれは良い事例だろう。
これも諸君は容易に信じないだろうが「気圏内戦闘艇無用論」が軍事専門家の間で猛威を揮った時期がある。これも西暦の20世紀のことで「気圏内戦闘艇に対する最良の兵器」の座を気圏内戦闘艇がほんの数年だけ失った事実に伴うものだ。
あの講義から10年以上過ぎた。講義が指し示した時代からは1000年以上が過ぎている。
今のところ、「宇宙艦艇に対するのに最良の兵器」の座は宇宙艦艇のものであり、宇宙艦隊と言う巨大な兵器システムに対するのに最良の兵器は宇宙艦隊であることは間違いない。
しかしその前提が覆る何かが起きたとき、「宇宙艦艇無用論」や「宇宙艦隊無用論」が唱えられないと誰が言えるだろうか。
あのとき教官は候補生たちの混乱を避けるためか、同じく西暦の20世紀に生じた戦艦無用論には触れなかった。
これは戦車無用論や気圏内戦闘艇無用論とは違い、正しかった。戦艦は20世紀初頭には諸国の海軍(地球の海で活動する軍隊)の主力を為した存在だが、20世紀の後半には1隻も建造されなくなった。
当時の戦艦とはもちろん古代地球の海を航行する船舶に重武装と重装甲を与えたもので、つまり水上戦艦である。一時期は戦艦に対抗しうる兵器は戦艦のみとなっていた。
戦車無用論や気圏内戦闘艇無用論と同様に「より有効な対抗兵器」が登場したことで戦艦無用論が唱えられたのだが、これが正しかったわけではない。
古代地球で戦艦が建造されなくなったのは、たまたま当時登場した「戦艦より有効な対戦艦兵器」が戦艦が従来務めていた任務をより効率良く実施できる兵器であったからにすぎない。
もしこの兵器が対戦艦兵器として戦艦より劣るものであってくれたなら、当時の人々はともかく今日の戦史研究者は楽が出来ただろう。
「その兵器に対する最良の兵器が同種兵器であるか否か」と「その兵器の有用無用」には何の関係もない。これは、古代地球時代から現代まで通じる共通原則だ。
振り返れば、歩兵に対して歩兵よりも有効な兵器の登場から千年以上の年月が過ぎている。しかし、歩兵の本来の任務を歩兵よりも良くこなせる兵器は未だに登場していない。
……核兵器を都市に投下する場合を除いては。
だからこそ同盟軍は陸戦隊を擁し、帝国軍は装甲擲弾兵を擁している。
さて、ヤン教官は将来の講義において「なぜ核兵器を有人惑星に投下してはいけないのか」「なぜわざわざ銀河帝国の惑星に降下して陸戦隊を展開させねばならないのか」を説明する必要があるだろうか?
ヤンのような「ハイネセン生まれ、宇宙船育ち」の人間でさえも有人惑星に降り立つとなんとも言えない安心感を得る。この戦艦ヒューベリオンの分厚い装甲と3重冗長与圧保持システムに守られた艦内では決して得られないものだ。
今回の作戦行動で久々にイゼルローン要塞に立ち寄るが、有人惑星に降りるのに次ぐ安心感を得ることだろう。
銀河帝国軍の将兵も同様なのだろう。そうでなければ、イゼルローン要塞の居住施設があれほど充実している説明がつかない。
たぶん、お互いが酷寒の惑星カプチェランカの拠点に対してさえ核兵器を撃ち込もうとしなかったのはそのためだろう。これはたぶん、普遍的な原則として良いはずだ。
将来講義するときにも同様……だろうか?
同盟首都星ハイネセンに対して核攻撃を行うと恫喝する銀河帝国将官が現れないとして良いものかどうか。また、将来ヤンが育てる候補生の誰かが帝国首都星オーディンを核攻撃で焼き払うことは無いのだろうか?
西暦の終わりごろ、人類がかろうじて核融合反応を実験装置の中で熾したころにはその炉心プラズマは真空に近い希薄なもので、数グラムの空気が炉心容器に流れ込むと冷えて反応停止する貧弱なものだった。
今日の人類が手にしている核融合装置はそれとは桁が違う。
戦艦や重巡航艦ともなれば巨大ガス惑星の大気に大規模擾乱を引き起こすような核融合弾、あるいは恒星の彩層活動を刺激するほどの出力を持つ核融合弾を標準搭載している。
仮にこのような弾頭をハイネセンやオーディンのような可住惑星に投下した場合、西暦の昔に地球上で生じた「キノコ雲」は発生しない。
白熱した半球が出現し、これが潰れ広がり惑星全土を覆いつくすだけだ。
戦史教育について考える前に、やはり20世紀の戦史および軍事理論について勉強しておく必要があるかもしれない。
「なぜジュリオ・ドゥーエの戦略爆撃理論は広く支持され、そして予想されたよりも遥かに効果が小さい結果になったのか」あたりだろうか。