私(サンフォード)はいくつか書類の決済を済ませ、監督あるいはゼネラルマネージャーの地位に就けられてしまったファンとして勉強を行うことにした。
本日の自習は、銀河帝国の領地持ちの貴族すなわち諸侯について。
幸い、今の『私』は自習用の資料を入手しやすい。なにしろ自由惑星同盟の国家元首、最高評議会議長なのだ。
そして、「このところ議長がどんな資料を読んでいるか」は注目を集めない様子だ。これはサンフォードと言う政治家の個性のおかげだろう。
サンフォードと言う人物は『私』の知識にあるとおり積極的な言動に乏しく、あまり感情も表に出さない。
この世界で、良く似た声をしているはずのもう一人の権力者、銀河帝国皇帝フリードリヒ4世と似たようなもの。
鋭敏な知性とかリーダーシップなどとは無縁で感受性にも乏しい凡才というわけだ。
さて、原作だが正史だが演義だか知らないが、『私』がかつて読んだ書籍を思い出してみてもサンフォードは「存在感に乏しい類の政治家」だった。
それは今、実感できる。
誰も私(サンフォード)の内心や意向を気にしていない。
何しろ最高評議会のチェアマン(指導者)であるサンフォードを「最高評議会のスピーカー(司会者)」と書くメディアが複数あるほどだ。
立法議会の議長と同じく、会議の司会者でしか無いと言うわけだ。
立法府における議論は市民の代表者たる代議員たちが自由に行うべきもので、立法議会議長は議事進行役に徹するべし、またいかなる議決にも自らは賛否を示してはならないと明文で定められている。
だからこそ両院議長はスピーカーなのだ。
一方、最高評議会議長"Chairman of High Council"は全ての議事と決議に意思を示す責任と権限を持つ。
そればかりか必要な場合には閣僚全員の反対を圧して自分の意思を国家の意思とする、強大な権限が与えられている。
たとえば「史実」においてバーラト星系を帝国軍2個艦隊に押さえられたときにCHCトリューニヒトは独断により降伏を決めている。あれはCHCが持つ正式な権限によるものだ。
トリューニヒトが「史実」で言及したとおり、リコールされない限りはCHCは同盟憲章の停止を招く決断さえ行える。
つまりCHCは民選独裁者でさえある。
とは言うものの、古代地球のある国の独裁者のように「選挙によって単なる首相の地位に付いてから、議会の了承を得ずに大統領権限を委任されて独裁者となる」と言う事例とは全く違う。
そしてもちろん、ルドルフのように「明文規定が無いことを利用して首相と元首を兼職し独裁者となる」のとは全く意味が違う。
同盟の有権者は1930年代のドイツ人や末期の銀河連邦人とは異なり、CHC選出投票の意味を前もって知っている。
強大な権限を持つ指導者を必要とする事態に陥ったときに備えて「任期あり、また任期途中に民意によってリコールできる、強大な権限を持つ指導者」が必要だと言うのが、250年ほど前に自由惑星同盟憲章を制定した人々の到達した結論だ。
そしてその認識は同盟の有権者に共有されている。
CHCの強大な権限を支えるものは、その事実である。
CHCよりも強大な権力は同盟においてただひとつ。民意のみである。
当然ながらCHCが民意に沿った行動をしているかどうかは常にチェックされる……はずなのだが。
サンフォードが強いイニシアチブを持って政権の進む方向を変えるなどとは、誰も期待していない。
『私』もそんなことはやりたくない。
複数のメディアや代議員から「最高評議会の司会者」と揶揄される立場で良いと思っている。
さて、帝国諸侯に関する資料をいくつか広げてみる。
今現在の帝国諸侯は、同盟から見ると2種類に分かれる。
その領地と領民を豊かにして、自らの資産を増そうとするものと、そうでないものに。
「晴眼帝」が登場するまではもう1種類あったが、それに分類される諸侯は現在は居ないので別資料となっている。
さて、現在の帝国諸侯を分類した資料を読み進めてみる。
個々の諸侯とその家臣団について、彼らが畜産農家の経営を任されたときに家畜をどう扱うかを想定してみても良い。参考に開いた資料はまさにそう説明している。
この時代の同盟人が書いた対銀河帝国分析テキストだけあって作成者が銀河帝国に対して抱く憎悪が行間どころかテキスト本文にも散見されるが、まあなんとか読める。
さて資料の序文に従って領主を農場経営者に、領地と領民を農地と家畜に置き換えて考えてみる。
普通の同盟の畜産農家は、家畜を痩せ衰えるに任せたり、病気や怪我をした家畜を放置したりはしない。
水のみ場の整備、牧草地の肥沃化、家畜の定期健康診断や治療など、とにかく家畜の生産性を上げるために必要かつ可能で採算の取れるあらゆる手段を取る。
しかし、そうでない経営者もいる。
先祖代々受け継いだ土地を荒れるに任せ、家畜がやせ衰え減ってゆくことを受け入れるあるいは何もしない経営者というものがあるのだ。
長期的に見れば、それは単なる馬鹿である。しかし、短期的な安売り競争に勝つのはそのような存在だ。
さて同盟の畜産農家と言うたとえ話から帝国諸侯へ切り替えてみる。
現在の帝国諸侯は領地と領民に対して「まともな畜産農家並みの」判断が出来て実施できるものと、そうでないものに分かれる。
領主としてのリヒテンラーデや故カストロプ公オイゲンなどは典型的な前者で、まさに家畜のように領民を扱っている。彼らは領民に出来うる限りの良好な生活環境を与える。
自らの出資で病院を作りもする。ときにはフェザーン経由で同盟から家電製品を輸入して領民に与え、領民の家庭内労働を緩和してやることさえある。
つまり領主たる自らの利益を一時的に削ってでも領民の健康や暮らしぶりに配慮する。
領主が経営する農園や鉱山や工場からの産出額を増やすにはそこで働く健康で高度な教育を受けた領民が必要だと言うこと、領民の健康と教育水準の維持が領主自らの利益に繋がると理解できているのだ。
もちろん、リヒテンラーデやカストロプの領地に生まれ育つことは人間として決して幸福ではない。これは政治的権利を云々と言う話ではない。
たとえばリヒテンラーデ侯爵領の公営病院(リヒテンラーデは侯爵だから『侯』営か?)の医療スタッフたちは、軽症患者を優先して治療し経過を観察する。
生産活動に復帰させるまでに要する治療コストが嵩む重症患者については、処分と「部品取り」が待っている。要するに『侯』営病院はまさに獣医なのだ。
それは治療に要するコストと、その領民を健康体に復帰させたことで領主にもたらす利益とを常に天秤に掛けて行動する。
加齢によって生産性を失った家畜は処分する。
『私』はふと気付いて、安堵のため息をついた。『侯』営なる言葉と表現は、同盟語でも帝国語でも直接の意味は伝わらない。
「領主何某の出資により運営される病院」とか「○○代領主××さまのありがたい慈悲により設立された病院」とか言う表記になるだろう。
要するにまだ、『私』は日本語で物事を考える習慣を失っていない。いつかこの習慣を完全に失い、完全に同盟語で物事を考えるようになるのだろうか?そのとき、『私』の存在はどうなるのだろうか。
意識してまばたきして、自習を再開する。
リヒテンラーデやカストロプ、マリーンドルフ、それに他ならぬ皇帝直轄領におけるゴールデンバウム王家、遥かにスケールは小さいがクラインゲルト子爵など。
これらはいずれも「マトモな」領主だ。領民に対して、領主にもたらすリターンに応じた投資を適切に行っている。
そしてこれらの領主の存在が銀河帝国を恒星間国家として生き延びさせている。同時に、銀河帝国軍をハードウェアと人的資源の両面で支え、この年5月までは同盟に対して『死』と『破壊』を輸出してきた。
この分類に際しては彼ら自身のパーソナリティ、たとえば領民に対する愛情の有無などは何の関係もない。
なにしろブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯などもこの部類に入るのだ。なんと惑星ヴェスターラントの領主たるシャイド男爵もこれに含まれる。
それ以外も『私』の記憶にある名前、原作または正史あるいは演義の中で「有力帝国貴族」となっている人物の大半がこのマトモな部類に入る。
「有力諸侯=マトモな領主」と考えて良いようだ。
つまり同盟に対する『死と破壊の輸出』を続けてきた部類の諸侯、「恒星間国家の封建領主としてマトモな部類」に入る。
断絶していた家名が今年の年頭だか昨年末だかに復活したローエングラム伯爵も、マトモな領主であるようだ。
この基準によって帝国諸侯を分類するとき、その領地で軍用艦艇が建造され兵器や弾薬が製造されているか否かはあまり意味がない。
たとえば今開いているページには弱小な優良諸侯についての分析がある。
主にフェザーン経由で得られた情報をまとめたものだ。
事例の最初の方に挙げられているのは帝国のイゼルローン寄り辺境に位置する、クラインゲルト子爵領。
この領地は単一の星系から成り、その人口の99パーセント以上が唯一の可住惑星上に居住しているとされている。
恒星間国家の一員として評価する場合、この子爵領の主要産業は穀物農業と、他星系への出稼ぎ。
各種の鉱業および工業輸出高は、ゼロ。少なくとも同盟の当局筋が入手した情報の中には、いかなるフェザーン商人もこの星系から機械製品や鉱物を仕入れた事例はない。
つまり工業と鉱業については完全に他星系頼みで、領主の御座船は皇帝からの下賜、星系内警備艦艇も中古品の払い下げで、それらの整備さえ自力では出来ない。
惑星上での各種産業に用いるエネルギーの主力は人力と畜力と言うありさまで、もし生産できる兵器があるとしたら鉄器や火縄銃といったところか。
しかし、それでもクラインゲルト子爵は辺境の弱小諸侯としてはかなりの名君とされる。
なにしろ年あたりわずか数万トンながら食料を他星系へ輸出し、また軍務や各種近代産業に従事しうる健康状態と教育水準にある若者を年あたり数千人のペースで他星系への出稼ぎに送り出す難事をこなしている。
しかもこの星系出身者の大半は年老いると故郷へ帰り、余生を送ることを選ぶ。それら定年帰郷者の集団を格安運賃で運ぶフェザーン商船が存在しているらしい。
リヒテンラーデのように領民を家畜扱いしている星系では出稼ぎも帰郷もありえないことだ。
そもそも、領地経営に対してよほど大きな貢献をした領民以外には「余生」など与えられない。それらと比較してみると、たぶんクラインゲルト子爵は善良な名君なのだろう。
銀河帝国を恒星間国家として生き延びさせることに細々と貢献し、銀河帝国軍を直接間接に支える存在のひとつであることは間違いない。
スケールや工業水準の違いこそあれど、これらマトモな領主たちが同盟に対して『死と破壊』を輸出しつづけてきた。
その結果は、この同盟首都星ハイネセンでさえ民生労働者の過半が未成年と高齢者で占められるという惨状、各種公共輸送機関が頻繁にマヒ状態に陥るありさまだ。
帝国諸侯を分析した資料に意識を戻す。
スケールは違うがマリーンドルフ伯爵などもクラインゲルト子爵と同様だ。
このような、どうやら領民に対して慈悲の心を持っているらしい領主や代官が「要注意人物:帝国の国力を増大させる危険性あり」としてリストアップされている。
オイゲン・リヒター、カール・ブラッケ、ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ。この名は覚えている。
オスマイヤー、ブルックドルフ、ゼーフェルト、ベルンハイム男爵、ヴァンデルフェルト子爵、マインホフ……どこかで読んだか聞いたかした覚えがある。それはサンフォードの記憶の中にあるものか、『私』の記憶にあるものか?
「……思い出した」
「正史」または「演義」でその名が挙げられていた、ローエングラム王朝の閣僚陣ではないか。
これらの貴族に関して関連資料をリクエストしてみる。
読み始めてすぐに「正史」あるいは「演義」を初めて読んだときからの疑問が氷解した。
この歴史線の上ではまだ起きていないことだが、ラインハルトが帝国宰相となってから行った急激な内政改革はいかにして成し遂げられたのか。
今のところ『私』だけが知っていることだが、ラインハルトはリップシュタット戦役によって貴族財産を没収する。
しかし貴族財産が何兆マルクあろうとも、それだけでは何の意味も持たない。
人間は金銭を食べて栄養にすることは出来ない。車両や機械、船舶の燃料タンクに札束を押し込んでも意味はない。
『私』には通貨はその額面に見合った食品なり燃料なり輸送サービス、医療サービスなりに見える。
たぶん、同盟人の全員、フェザーン人の全員にとっても同じだろう。
これは「必要額の通貨を手にして市場に赴けば商品とサービスを購入できる」社会、貨幣経済が崩壊したことのない社会に生まれ育ち、暮らしてきたものの特権だ。
たとえば『私』の前世の祖父母などは違う。『私』は前世の祖父母から、円が紙切れになってしまった時代の思い出を、つまりは物々交換経済に退化してしまった辛い時代の思い出を聞かされたことがある。
銀河帝国ではどうだろう。
つまるところ通貨とはモノやサービスとの引き換え券でしかない。
何かモノなりサービスなりと引き換え出来る場合に限り紙幣や証券の類は価値を持つ。
たとえばモヒカン・スタイルの悪漢が闊歩する荒野ではどんな高額紙幣も価値を持たない。
前世で読んだあの漫画でモヒカン・スタイルの悪漢が嘲笑したように「トイレットペーパーの代わりにさえならない」のだ。
たぶん、一部の程度の低い領主の領地に暮らす不幸な平民や奴隷にとってもそうだろう。
さて「正史」または「演義」においては、銀河帝国は没収した貴族財産を用いて平民の生活を急激に向上させえたとある。
銀河帝国は荒野ではなく、平民に対してモノやサービスの急激な供給増大を行えたのだ。
その余地はどこにあったのか。
食料や一次資源については、同盟へ輸出できるほど産出しているのだから何の不思議もない。
しかし、サービスまでも平民や解放奴隷へと拡大したとあった。医療のような高度サービスまでも。
それはどこから沸いたのか?
今『私』が考えていることは、この歴史線の上ではまだ起きていないことだ。
さらに全人類400億人の中で『私』しか知らないはずのことだ。
だが、手元にある資料のいくつかはその可能性に言及している。
医療を始めとするサービスは、現在の銀河帝国ではゴールデンバウム家を筆頭とする特権階級によってほぼ寡占状態にある。
たとえば医療を見てみよう。
銀河帝国の国是上、医学の水準は自由惑星同盟には及ばない。
同時に国是により、帝室財産や貴族財産として寡占状態にある医療スタッフは非常に稼動率の低い状態に置かれている。
「帝国を支える高貴なる方々」の健康のために、常時待機状態にあるわけだ。
銀河帝国において医療と言うサービスをもっとも能率的に平等に受けうるのは帝国軍将兵、またもっとも効率的に稼動している病院は帝国軍病院だと言うのは冗談としては笑えないが、どうやら事実であるらしくなおのこと笑えない。
こんな話は医療に限らない。
サービスに限らない。
銀河帝国では帝室財産や貴族財産と言う形で実に多くのモノやサービスや生産能力が浪費されたり死蔵されたりしている。
あるいは待機状態にある。
仮にこれらを改め、平民もこれらのサービスを享受できるようにする宰相なり皇帝なりが現われたならば、帝国の国力は急激に成長し、自由惑星同盟は滅亡する。
手元にある資料のいくつかはそう指摘している。
もっともそのケースは同時にルドルフの創始した銀河帝国の滅亡でもある。
ルドルフが定めた国是の否定であり、銀河連邦憲章の部分的復活を意味するからだ。
この歴史線の上ではまだ起きていないことだが、正史または演義では宇宙暦797年(帝国暦498年)の末からローエングラム『公』ラインハルトがそれを行った。
同時期、ヤンが言及している。
「ゴールデンバウム王朝はすでに滅んでいる」「自由惑星同盟が銀河帝国と敵対する理由それ自体が弱まりつつある」と。
この歴史線の上では、まだ未来の話だ。
混乱してきた。面倒な考え方は止めて「これから起こるかもしれない未来」として考えよう。
仮に近未来に帝政の大刷新が行われるものとする。この大刷新は、現在の銀河帝国において寡占され、遊休状態にあるモノやサービスを平民や奴隷にも与えるものだとする。
それを行うには様々な摩擦と様々な困難が生じる。
たとえばどの星系で、どの惑星でどのようなモノとサービスが不足しているのか。
あるいはどの星系では余剰があるのか。
星間航路の整備優先順位から、各惑星上の各都市の水道や電気供給網の整備、農地の灌漑計画の見直し。
それらの整備を自由経済の働きにだけ委ねた場合には何十年も掛かると手元資料は指摘している。
また「晴眼帝」に匹敵するか上回るくらいの優秀な指導者が現われたとしても、それだけでは足りないとしている。
有能な指導者が辣腕を揮い国家を導くためにはその目と耳と手足、すなわち有能な官僚機構が必要なのだ。
モノやサービスの淀みない流れを生み出すには何が必要か。
まず治安と徴税の安定。これ無しには社会は大混乱に陥る。
『私』は前世で祖父母から大混乱の実例を聞いたことがある。数ヶ月前まで鬼畜米英と呼び戦争していた当事者そのもの、アメリカ軍の憲兵隊を秩序の回復者として歓迎する惨状だったと聞いた。
それが事実なのかどうかは知らない。
さて「公平な税制と公平な裁判さえあれば良い」とは「正史」または「演義」におけるラインハルトの名台詞だが、銀河帝国の総人口250億人に対して公正な徴税を行い公正な裁判を行うには、膨大な数の税務調査官と警察官と検察官、司法職員が必要になる。
領民を家畜扱いする今の領主たちよりマシでさえあれば良いとはいうもののそれだけでも大変な事業だ。
それに要する人員が帝国のどこに居るのか?
近い将来にラインハルトの大改革を支えるはずの人員はどこから沸いて出るのか?
その答えは「要注意人物」の領地資料にあった。
たとえばマリーンドルフ伯爵とその官僚団ならば、マリーンドルフ領に数倍する星系を突如任されても「今までの領主よりずっとマシ」な領地経営を領民にもたらすことが出来るだろう。
ブルックドルフとその部下たちならばそれまでは門前払いしていた平民からの訴訟を数倍のペースでこなせるだろう。
その他の要注意人物たちにも同様の評価がなされている。
これらの人物は自由惑星同盟にとって危険人物であり、今後も動向に注意せねばならないと資料は記している。
もちろん、資料が仮定している帝政大刷新を本当に行うとなれば大変な激務だ。
「原作」(正史あるいは演義)では一言「膨大な政務」と書かれていたが、ひとつ確信できる。
宰相就任から即位までの間に、ラインハルトとその補佐官ヒルダは無数の官僚を抜擢し降格し、あるいは懲戒しただろう。
これを考えるのは、この世界の人類400億人の中で『私』1人だけの楽しみだ。
ともあれ、現時点ではラインハルトは帝国宰相ではない。
彼が帝国宰相となったときに抜擢して大きな権限と責任を与える人々は、今現在のところ「マトモな領主とその部下」として自由惑星同盟に対して死と破壊を輸出している人々、危険人物だ。
ヤン・ウェンリー提督による、イゼルローン要塞の攻略成功によって死と破壊の移送ルートは閉じた。
以来半年、軍務を終えた将兵が民生へと安定したペースで復帰するようになったこと、同盟軍宇宙艦隊を12個艦隊体制から10個艦隊体制へと縮小したことで自由惑星同盟の状況はゆっくりと改善しつつある。
いつ失ってもおかしくない場所だったアスターテやエル・ファシルにも入植を認めうるようになった。
この状況を続けることが出来れば、『死と破壊』の輸入を再開することさえ避け続ければ、労働人口ピラミッドは正常な形に回復し同盟は帝国を圧倒できる……とは、行かない。
高度成長の再開を阻害する要素があるのだ。
別資料に目を移す。
イゼルローン回廊の支配権を同盟が手にした今でもなおフェザーン回廊経由の交易には手が出せない。『貧困』と『衰退』は輸入され続けている。
1万光年前後の距離を隔てて輸送され、輸出元の貴族の取り分とフェザーン商人の取り分を載せて、それでもなお同盟の同種商品よりも安価な帝国製品とはどうやって産み出されているのか。
それを産み出す領地とはどんな場所か。
先ほどから手元にある資料の片方のグループに記されている領主の領地。
一言で言えば「マトモでない」領主の領地だ。
彼らは短期的な安売り競争に勝つこと、あるいは支出切り詰め以外に興味を持たない。
もし彼らに畜産農家の経営を任せたなら、真っ先に獣医の解雇と家畜病院の施設と機材の売却に着手することだろう。
あるいは畜舎の維持修理コストの切り詰めも同時に開始するかもしれない。
他業種の事業に置き換えて考えても同じこと。「事業処分を前提とした出血セール」とか「システム維持費さえカットしてのコストダウン」とか言われるものだ。
この経営方針では時間と共に事業規模が縮小してゆく。
もし同盟やフェザーンでこんな経営方針を採る企業があったらすぐに社員に逃げられて倒産する。
しかし、銀河帝国では領主の意向ひとつでこの方針を選びうる。
この方針を選択する前に持っていた事業規模、すなわち領民人口と星系経済力が大である場合ほど、この方針を長期継続できるし経営収支の短期的改善手段として安易に選びやすい。
そして、銀河帝国の多くの諸侯が実際にそれを行ってきた。
彼ら「マトモでない」諸侯は自らの領地経営においてこの愚策を続けてきた。
『私』はふと前世で学んだ歴史を思い出した。
西欧による植民地支配や奴隷貿易の時代において、いったいどれだけの国が植民地を単なる収奪の対象とし、荒廃させるに任せたか。
いったいどれだけの国が、人と言う貴重な資源、豊かな生活をさせてやることで購買者となり自国の富をさらに増やすはずの資源を単なる奴隷として使い捨てる愚策を行ったか。
銀河帝国の多くの諸侯はその程度のレベルにまで退化したのだ。
初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの時代には極端な中央集権国家だったはずの銀河帝国が、いつごろからこのような内部抗争を続ける封建国家へと変質したのかは諸説あってはっきりしない。
とにかく事実として、『晴眼帝』ことマクシリミアン・ヨーゼフ2世が出現するまで、揺り戻しはあったもののおおよそコンスタントに銀河帝国は衰亡し弱体化してきた。
今、これらの「貧困と衰退の製造者」は「貧困と衰退の輸出者」として同盟にダメージを与えている。
彼らもまた同盟にとって危険な存在だが、いずれラインハルトの手によって一掃されてより危険な存在に置き換えられる。
それを阻止する手段はあるだろうか?
『私』ひとりで考える必要はないことに気づき、後回しにしていた古い資料に目を通すことにした。
これもまた、「正史」または「演義」を読んだときから感じていた疑問への答えだ。
銀河帝国はその初期において人口3000億人を数えた国家だ。500年を経て、人口250億人にまで衰退している。
減少量は実に2750億人。
比率で言えば12分の1への減少だ。
「マトモでない畜産業者」に類する領主の存在だけでは、この減少は説明できない。
もちろんこの100年間に同盟軍が殺傷した帝国人の人数はこれには全く足りない。帝国から同盟へと亡命してきた人口も、2750億人と言うとてつもない数値には全く桁が足りない。
『晴眼帝』によって滅ぼされた、分類3番目の領主たちがその答えだ。
今日の帝国諸侯は程度の差はあれ、領民を自分の資産として考える。自分の資産を増やそうとするマトモな諸侯と、資産の目減り=領民の減少や暮らし向きの悪化を気にしないダメな諸侯に分類される。
しかし『晴眼帝』が即位する前の古い資料では今日で言う「ダメな諸侯」でさえ名領主のうちに入る。
領民を資産ではなく負債と見なす類の領主が複数いたのだ。
要するに天然資源に恵まれた領地を持ち、領民による稼ぎを無視する領主だ。
この場合でも天然資源を採掘し皇帝なり他の諸侯へ販売するには人手が要るのだから領民は重要資産であるかに思われるが、それは現代の同盟人であり21世紀日本人である『私』の思い込みだ。
古代地球人である『私』が知る古代地球にも「国民を負債としか考えない為政者」が支配する国はいくつかあった。
天然資源の採掘と販売は他国から派遣されてくる専門家に任せ、利益は自らが独占する。
自国の国民には何も還元しないし何も期待しないし、働き口も社会インフラもいっさい与えない。
探査も採掘も輸送も他国の専門家に任せるほうが自国の国民に教育して行わせるよりも効率的なのだから、自国民の貧窮を放置することはある程度の合理性を持つ。
資源の採掘と販売だけで政府の運営が成り立つ場合、政府は国民を資産ではなく負債とみなす場合があった。
前世で『私』がこの問題を扱ったニュースを見たり読んだりしたときにはより手短に「資源の呪い」と言う言葉で言い表されていた。
かつての銀河帝国にはこれと同様の「合理的な」領主が複数いた。
領主?
単なる鉱山所有者と言うべきかもしれない。
前世でいくつか見た「レンティア国家」の中でも最悪の事例と同じだ。国富と国民が全く無関係になっていて、政府にとって国民は邪魔者でしかないという国家だ。
その最悪例を再現した領主と領地と言うものがかつての銀河帝国には複数あった。
このような領主は領民から徴税することもしない。徴税するにもコストは掛かるのだ。
領民に何も与えない。領民が暮らすに必要な社会インフラが損傷しようが修理などしない。
少しでもマトモな思考力があるなら鉱山収益を用いて領民に良い暮らしを与え良い教育を施して稼がせ徴税し、それによって領地と自らをさらに富ませて拡大再生産を行う。そして自由惑星同盟へと死と破壊を輸出するものだ。たとえば歴代のカストロプ公やマリーンドルフ伯や、クラインゲルト子爵のように。
そして成年被後見人レベルの思考力がある領主なら、領民に最低限度の暮らしを与えて最低限度の環境で酷使して、格安の輸出物資を作らせて自由惑星同盟へと貧困と衰退を輸出する。
しかしかつての銀河帝国にはそれ以下の領主が複数居たのだ。
今日で言う「ダメな領主」でさえもそれにくらべれば「領民を資産とみなすだけまだマシ」な部類の領主たち。
領民を資産として見なすことさえしない領主たち。
彼らは諸侯に列せられ領地を与えられたときには億単位の人口を擁していた星系を、『晴眼帝』が現れるまでに領主城館と鉱山街以外には無人の荒野にしてしまった。
その過程はあまりに不愉快で、精読したくはない。
前世で、古代地球で知ったいくつかの国家の記憶だけで十分だ。
さて偶然かあるいは必然か、このような領主が増えた時期は主に3つの時代に集中している。
最初のピークはまず42年に及んだルドルフの治世の終盤に見られる。
ルドルフが老いるに従って知的衰退を示したエピソードは数多いが、そのひとつとされる。
2つめのピークは『痴愚帝』ジギスムント2世の治世に見られる。
彼は黄金と札束を単に積み上げて投資に使うこともなくただそれを眺めると言う変わった趣味の持ち主だった。
前世で読んだある漫画に登場させるなら、荒野の中で黄金と札束を積み重ねたベッドの上で餓死するタイプの人間だろう。
モヒカン・スタイルの悪漢に嘲笑されるに違いない。
さて、ジギスムント2世はその趣味については大変熱心だった。皇帝直轄領を希望者に対して分割切り売りすることも黄金と札束を収集する手段のひとつだった。
領地と爵位を金で買った人々の中には今日まで続く名領主の家もあるが、そうでないものがより多かった。
また、ジギスムント2世の治世を迎えるまではマトモな領主が続いた諸侯家が各種産業従事者を別の領主に売り渡して皇帝への献上金へと換金した事例も見られる。
3つ目のピークは『流血帝』アウグスト2世の治世のごく初期である。
同盟人であり21世紀地球人でもある『私』から見ても、同意はできないが同情は出来る。誰しも、他人の命よりは自分の命の方が大事だ。
ただし3つ目のピークはそれ以前の2つに比して小さい。
『流血帝』に対して領民を生贄として差し出しても領主には何の慈悲も与えられないことがすぐに知れ渡ったためである。
それでもいくつかの諸侯が領地経営に必要な人材を失い、あるいは自身の精神と肉体に深刻な怪我を負って「3番目の領主」へと転落した。
かくして、ルドルフの時代には総人口3000億人を数えた銀河帝国が数百年後には人口300億人にまで縮退した。
この状況を変えたのが『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ2世だ。
彼はその治世において一度として自由惑星同盟に軍を向けなかった。司法尚書ミュンツァーに「距離の暴虐」を説かれたことも理由ではある。
しかし、仮に距離を乗り越えることが可能であったとしても彼と彼の軍隊には自由惑星同盟に対して出兵する暇など無かっただろう。
ここで、『私』は前世でのやり取りを思い出した。
たとえば自由惑星同盟との接触以前、帝国自らの認識では「全人類を統治下に置く唯一の国家」であったはずの銀河帝国が即座にダゴンまで攻め込めるような外征軍を保有していた事実も、友人たちとの議論の対象になったものだ。
「いったい何に備えて?」と。
『私』は今やその答えも知っている。
銀河帝国軍はその歴史を通してずっと、「内乱鎮圧を任務とする外征軍」でなくてはならなかったのだ。
歴代皇帝とその側近は自らの軍隊に対して、作戦目標の星系やその近傍星系で補給や整備、休養が不可能な軍事行動を強いてきたのだ。
なにしろ皇帝に背こうとする諸侯はその時々においてそれなりに強大なものばかりだったから。
そのような状況が続いたのは、もちろん歴代皇帝が銀河帝国を中央集権国家から封建国家へと改造する努力を続けてきたからだ。
それにしてもルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが掲げた理想とはこんな国家を作り出すことだったのだろうか。
もし機会が造れれば、銀河帝国を再び中央集権国家とし全権を握ることを目指しているはずのラインハルト・フォン・ローエングラムにも聞いてみたいものだ。
ともあれ晴眼帝ことマクシミリアン・ヨーゼフ2世が即位するより以前の銀河帝国では政変や内乱が相次いでいた。
とりわけ、フリードリヒ3世の治世の末期6年は「暗赤色の6年」とまで評されている。
私(サンフォード)は少し首をかしげた。
一応、今の『私』は自由惑星同盟の国家元首であり、国家公務員なのだから執務中には同盟の未来に関することを優先すべきだろう。
それが自習であっても、同盟の未来へつながる形で行うべきだ。素人だろうとなんだろうと、今の『私』はこの国のゼネラルマネージャーなのだ。
さて、同盟は帝国から『貧困と衰退』を輸入している。
つまりフェザーン回廊を介して、ダメな領主に収入を与えている。
『憂国騎士団』を始めとする愛国者団体は帝国製商品の購入を売国行為だと非難して回っているが、どうにもならない。
そしてそこに大問題がある。
大問題があることは理解できるが、対策は思いつかない。経済開発委員会や財政委員会に任せよう。
なんと言っても今の私(サンフォード)はゼネラルマネージャーであって、専門的な問題に首を突っ込むべきではない。そもそも、何が必要なのかを理解するだけでも21世紀地球人に過ぎない『私』には過重なほどだ。
私(サンフォード)が把握しておくべき事実は、今の同盟における各種1次資源の市場価格は同盟にとって好ましい数値では無いと言う事実だ。
理想的な価格は「新規に星系を工業化するために必要なコスト」を載せた価格となる。銀河帝国との再接触を果すまでの時代、つまりダゴンの殲滅戦以前は実際にその価格で市場流通していた。
あの奇跡的な高度成長はそうやって実現された。
毎年のように新たな有人星系が同盟に加盟し、また毎年のように新興工業惑星が誕生しつづけるためには、結局はそれらの星系や惑星上にあれこれと箱物を建て、また人手を配置するためのコストが必要になる。
ダゴン以前の時代には、主にハイネセンやテルヌーゼンの市民がそれを自発的に支払い、なおかつ自らも投資者として利益を享受していた。
かつての惑星債はそのためのシステムとして機能していた。
銀河帝国との再接触、そしてフェザーン経由での交易の開始はその前提を根本的に破壊した。
ふと『私』は前世で……あるいは本来の人生で「読まなかった」書籍を思い出す。書店の店頭でその背表紙を見て秘かに苦笑したこと、手に取ることさえしなかったことを覚えている。
正確なタイトルはもう覚えていないが、「鎖国」を推奨するものだった。
銀河帝国との再接触以前の同盟、フェザーン経由での『貧困と衰退』の輸入が始まる前の同盟はまさに鎖国状態にあって、あらゆる物品の価格が国内事情だけで自然と定まっていたのだ。
もっとも、ダゴン以前の自由惑星同盟は鎖国状態にありながら天然資源と居住空間は無限大が保障されると言う、『私』が歴史の授業で習った、古代地球の鎖国国家とは全く異なる社会だ。
そして鎖国にはメリットがある。21世紀の日本人としての『私』には鎖国のデメリットが先に思い浮かぶが、サンフォードの知識は鎖国のメリットを教えてくれる。
鎖国のメリット……手に取りさえしなかったあの書籍は、たぶんそれを言及したものなのだろう。
鎖国のメリットとは何か。
国内のあらゆるリソースの他国への流失を防ぎ、また他国産業の直接あるいは間接的な進出による国内産業への圧迫を防ぐことだ。
ダゴン以前の同盟はまさにこれを享受していた。
鎖国にはデメリットもある。
自給自足できない資源や技術といった問題と、その国土で養える人口と言う上限を課せられることだ。
もちろん、ダゴン以前の自由惑星同盟には鎖国のデメリットはひとつを除き、存在しなかった。
オリオン局所枝に比べると密度が低いとは言え、サジタリウス渦状腕に存在する天体の数は人類の尺度では無限とみなして良い。
地球上の資源しか使えなかった時代、あるいは太陽系の資源しか手に取れなかった時代と、現代は根本的に違うのだ。
この時代、航行距離を倍に伸ばすごとに手が届く資源量と可住惑星は8倍になるが、航行コストは最悪の場合でも3倍にさえならない。
ダゴン以前の自由惑星同盟の高度成長、わけても惑星債の発行と償還を介しての新規惑星開拓と言うシステムは壮大な時空スケールでのネズミ講みたいなものだが、成立していた。
理論上はサジタリウス渦状腕に存在するテラフォーミング可能な惑星の全てに手をつけ人で溢れるそのときまでこのシステムは破綻しない。
もしそれまでに銀河帝国を打倒してオリオン局所枝を取り戻すか、あるいは他の渦状腕への経済的な航行の目処をつけていればその時になっても破綻せずに拡大を続けうる。
建国からダゴンに至るまでの同盟人が「人類史上最も楽天的かつ勤勉な集団」であったのはそのような事実に裏付けられてのことだった。
当時の同盟人が意識していた、ただひとつの鎖国のデメリットは「銀河帝国といずれ再接触したとき、対抗不能なほど国力と技術に格差をつけられていたら」と言う懸念だけだ。
そこに考えが及んだところでしばらく手が止まる。
どうやらこれは夢ではないらしい。
本当に『私』はサンフォードとして人生を過ごさねばならないらしい。
二度と会えない友人たちの顔が思い浮かぶ。
やがて、『私』は前世で友人の1人から聞いた話を思い出した。
古代地球の--『私』の前世の--世界の自動車市場を制圧した日本の自動車産業が、自動車の生産に用いる工具の全てを国産化したのは20世紀の終わりか21世紀初頭だったらしい。
たしか友人は「日米自動車摩擦よりも20年は後だよ」と言っていた。
ということは、鎖国を止めてから欧米に追いつくまで実に140年くらい掛かったことになる。
それが事実かどうか、今となっては確かめようもない。もしかしたらその時代の史料が伝わっているかもしれないが、それを探してみようとは思わない。
それを探すことは『私』にとって未来の日本について知ることになりかねない。
前世で『私』が最後に眠りに就いた日以降の日本がどんな歴史を辿ったのかは知りたくない。
「13日戦争」と言う最終結果だけを先に知っているのだから、どのページを読んでも悲劇の序曲にしか思えないだろう。
ともあれ、『私』の知識では鎖国のデメリットの一番具体的な例はそんなものだ。
再接触前の同盟人は、この懸念さえも社会を拡大し成長させるエネルギーにしていた。ダゴン以前の高度成長を科学と技術の面から支えていたのはこの懸念でもある。
惑星ハイネセンにたどり着いた逃亡奴隷はわずかに16万人でしかなかった。移民船の機能を維持できる下限ぎりぎりだったといわれている。
当然ながら惑星上に暮らしを移すには無数の技術的な苦難があった。流刑地に閉じ込められていた時期と長い逃亡の間に多くの技術を失っていたのだ。
しかしあらゆるテクノロジーの分野で「車輪の再発明」がなされ、また何百万人ものホイットルやエーリングが、デュポンやハーバーが、ショックレーやエサキが現れた。
そして同盟人が抱いていた懸念は杞憂に終わった。
「ダゴンの殲滅戦」の結果がそれを示している。唯一の鎖国のデメリットは、無かった。
今の同盟人の視点で考えてみれば「自ら衰亡を選んでいる国の軍隊」である銀河帝国軍が「高度成長中の国の軍隊」である同盟軍を圧倒できるほど精強であったらその方がおかしい。
もちろん、再接触前の同盟人はそんなことを知らなかった。
ダゴン星域会戦後、帝国軍と同盟軍との相対評価が行われた。
「狭隘なイゼルローン回廊と、その出口星域の星系を利用しての防戦は十分に可能」と言うものだった。
もちろん戦争とは相手があることであり、同盟軍も無傷ではありえない。しかし自由惑星同盟はなお成長を続けることができた。
いずれはあらゆる分野で量的にも圧倒し銀河帝国を滅ぼすことさえ可能なはずだった。
その前提は今では覆されている。
それを覆したものはふたつ。
ひとつは『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ2世の出現。もうひとつはフェザーン回廊の発見だろう。
「ダゴンの殲滅戦」以降、帝国では政変が相次ぎ短期間に皇帝が次々に死亡し、そして第23代皇帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の時代を迎える。
『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ2世は多数の悪法を有名無実化すると共に、帝国のあり方そのものを変えようとした。
「マトモな」領主を増やす努力を始めたのだ。
あまりに酷い状態にある諸侯領に対しては自ら経営指導を実施したり、時には帝室費から出費して零細な「マトモな」諸侯を援助したりもした。
たとえばクラインゲルト子爵領から産出される穀物は帝国産としては割高なのだが、晴眼帝の時代からは皇帝直轄領が買い上げるようになり今日に至っている。
そして、晴眼帝は「あまりにもダメすぎてどうにもならない」と判断した諸侯--内容はいずれ読む--については粛清や追放処分を行った。
そんなわけでこの時代の銀河帝国軍はかなり忙しかったらしい。
「領地経営において有能な諸侯ほど皇帝への忠誠心が篤く、またその逆も正しい」と言う単純な状況ではなかったことも、晴眼帝と銀河帝国軍を忙しくさせていた。
まあそのおかげで自由惑星同盟は滅亡を免れているのだが。
晴眼帝がダメすぎる諸侯に対して粛清や財産没収のような、反発と抵抗が激しくなるような手段を出来るだけ避け、動産や家臣団を伴っての亡命を許したことは複数の証言が残っている。
その判断のどの程度までが晴眼帝のパーソナリティによるものか、どの程度が「皇帝の意のままに動かしうる軍隊」と言うリソース制限によるものだったのかは諸説あってはっきりしない。
はっきりしていることは、マクシミリアン・ヨーゼフ2世の始めた帝政刷新は中途に終わったと言うこと、そしてそれから100年以上が過ぎた今では同盟人の多くがかつての「ダメな」諸侯やその家臣の血を引いていることだ。
当時、イゼルローン回廊を経由して莫大な数の亡命者が同盟へ流入してきた。流入してきた人々はその思想も、受けている教育水準もさまざまだった。
その中には政争に敗れた貴族や皇族、あるいは皇帝によって追放されたダメな諸侯とその家臣を含んでいた。
同盟が短期間にダゴン以前のそれさえ越える勢いで人口規模を急激に拡大し、そして変質したのも当然だろう。人口のみが急激に増大し、しかし国家全体での生産性は低下した。
それでもなお、同盟の経済成長は続いていた。鎖国のメリットを享受して。
密輸航路フェザーンが発見されるまでは、そうだった。
晴眼帝による帝政刷新は確かに平民の生活水準を引き上げた。所得を引き上げ、同時にあらゆる物価を上昇させた。
それでもなお、あるいはそうだからこそ、晴眼帝が存続を許したレベルの諸侯の多くが安易な道を選んだ。
ただし安売り競争を仕掛ける相手は帝国のマトモな領主とその領地に留まらなかった。
交易国家フェザーンの正式な成立は宇宙暦682年のことだが、それ以前から密輸は行われていた。その起こりは未だに判然としない。
とにかく判っていることは地球出身の大商人レオポルド・ラープは当時の帝国政府に対し熱心に働きかけて同盟との交易を認めさせたと言うことだ。
もちろん働きかけの対象は帝国政府だけではなかった。同盟の物価は帝国のそれより遥かに高く、「獣医の解雇と安売り競争」を延々と続ける類の領主たちにとって魅力的な市場だった。
また「これによって叛徒の経済成長を抑止でき、これをあるべき姿すなわち銀河帝国の支配下に置く日を早める良策でもある」との言葉をラープが帝国政府要人に対して発したとされている。
最終的には多額の賄賂がフェザーンの成立を決定したと言う。賄賂の出所は、この時代においては不明だ。
物品を高値で売れる新しい市場=同盟市場を求める帝国諸侯から集めたと言う説が有力視されている。
それ以前から密輸航路フェザーンを利用し利益を上げていた、一部の帝国諸侯こそがラープのスポンサーと言う説もある。
しかし『私』の知識には、ラープが帝国政府要人に対してばら撒いた多額の賄賂は地球が隠匿していたものだとある。
銀河帝国が自らに強いた衰亡について地球教の影響を考えるのはたぶんお粗末な陰謀論だろう。
地球教とはテロを繰り返すだけしか出来ない、お粗末な秘密結社でしかないはずだ。
しかしフェザーン回廊経由で銀河帝国から自由惑星同盟へと『貧困と衰退』が輸出されるようになった経緯と結果については、見事に成功したと言える。
ラープ以後。交易国家フェザーンは銀河帝国の国是に貢献しつつ、ダメな帝国諸侯を生き延びさせるようになった。
自由惑星同盟から見れば、それは異常な安値の物品の流入である。ダメな領主の領地で生産された、つまりシステム維持費度外視の体制で生産された安価な帝国の商品が流れ込んできたのだ。
そして、コルネリアス1世によって開始されたイゼルローン回廊経由での『死』と『破壊』の流入。
かくして自由惑星同盟の社会と経済は根本的な変質を強いられた。
あらゆる産業分野で人手と物の不足が始まり、自滅への加担と理解していても安価な帝国の商品に手を伸ばすしか無くなった。
同盟政府は同盟の商品を保護しているが、それはすなわち同盟の財政への負担を意味する。
今や同盟は社会システムの維持が困難なところへ追い詰められている。わけても流通と言うサービスは稼動率100パーセントをしばしば超える状況に陥っている。
つまりは余裕率ゼロやマイナスと言う状況が頻繁に起きるのだ。
史実で、あるいは原作で準備不足の大規模出兵が通ったのもこれによってだろう。
それを否決に追い込んでいながら、私(サンフォード)はそれが正しかったのかどうか判らない。
……後に、『私』は帝国の弱小優良諸侯について勉強を怠ったことを、強い後悔と共に思い出すことになった。
しかしこのときには、そんなことを知る由もなかった。
以前の話での帝国宰相代理や、銀河帝国軍宇宙艦隊副司令長官の認識とは異なります。
「視点が違うからこうなる」つもりですが、さて上手く行っているかどうか。