幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第39話、少女の哀哭

「今日は実践を意識するためにカウントを取るぞ」

 

 日曜明けて月曜の放課後、いつものようにグラウンドで野球の練習をする。今日はどうやらカウントを取りながら練習をするらしい。

 今はカウントがわからない連中(まぁ、鈴さんと神北のことだが)のために、恭介が説明している。

 カウントっていうのはボール・ストライクの記録のことだ。ストライクなら三回でアウト、ボールなら四回でフォアボールで出塁って感じだ。

 

「四つボールが溜まるとダメなのか……」

 

 恭介からカウントの説明を聞いて、鈴さんが声を唸らせる。

 この人ノーコンだからな。最近少しは良くなってきたけど、未だにまともにストライクゾーンには入らないからな。カウントを取るってことで焦っているんだろう。

 すると鈴さんはとんでもないことを言い出す。

 

「じゃあ倍の八球までOKにしてくれ」

 

 なに無茶なこと言ってんだこの人は。ていうか実践意識するためにカウント取るのに、それじゃあ意味ないだろ……。

 しかし流石は兄妹、兄もとんでもなかった。

 

「じゃあ代わりに四振制な」

 

 マジかよ……当初の実践意識するためっていう目的どうしたんだよ。

 妹の主張をあっさり受け入れやがった。妹想いなのか、ただのアホなのか……。

 結局その後、エイトボールが続き、時々四振になったりで、皆のルール理解が深まったかどうかはわからない。

 

 

 

 カキーン

 

 真人が思いっきりボールを校舎より上へと高々とかっ飛ばした。

 

「流石だな」

 

「へっ、俺の筋肉は伊達じゃねぇってことよ。乙坂、お前も俺より強えってんならやってみろ」

 

 そう言って真人は有宇にバッドを手渡す。

 鈴さんのボール怖えからあんまバッターボックス立ちたくないんだが。まぁ、練習だし仕方ないか。

 

「おい、ボールが切れたぞ」

 

 すると丁度そこで恭介が、空になったボール入れのカゴを見せながらそう言った。

 

「じゃあ集めようか?」

 

 直枝さんがそう言って、各自グラウンドやグラウンド外にいってしまったボールを拾い集めてくることとなった。

 

 

 

「有宇くん」

 

 グラウンド外の中庭で球拾いをしていると、神北に声をかけられ、有宇は少しドキリとする。

 昨日、老人ホームで僕は知ってしまった。神北の兄、神北拓也が亡くなっていることを。だからなんとなく顔を合わせ辛くて今日は屋上にも行ってなかった。

 

「今日屋上来なかったよね。どうしたの?やっぱ昨日老人ホームに連れて行ったこと怒ってる?」

 

「いや、別にそんなことない。ただ今日はクラスの奴と食いたい気分だっただけさ」

 

 まぁ、嘘ではないよな。うん。神北と顔を合わせたくなかったからクラスメイトと食べたかったって意味ではあるがな。

 

「それよりどうしたんだよ。何かあったのか?」

 

「ううん、別に何も。あっでもまた昨日の夜もお兄ちゃんの夢見たよ」

 

 兄と聞いてドキリとする。兄の死に感づかなければいいんだが……。

 念の為夢の内容を聞く。

 

「それっていつもの夢か?」

 

「うーん、場面が違うから多分違うかな」

 

「場面?」

 

「うん、白いひらひらがいっぱいあったな〜」

 

「白いひらひらって?」

 

「よく覚えてない。でも場所はいつもいる学校の屋上みたいな感じだったかも」

 

 何かの建物の屋上、それに白いひらひら……シーツ?

 そうだ、それだ!!夢の場所はおそらく病院の屋上。白いひらひらはおそらく干されていた病院のベッドのシーツとかだろう。

 そう考えると納得もいく。なぜ神北拓也は亡くなったのか。おそらくなんかの病気で神北拓也は病院に入院していたんだろう。そして治療の甲斐無く亡くなった。そんな感じだろう。

 もっとも、わかったところで神北には言わない。というか言えない。言えば神北は悲しむだろうし、小次郎の爺さんにも言わないように厳命されている。なぜ言ってはいけないのかという理由はわからないが、他家の面倒事には巻き込まれたくないし、言わないでおくに超したことはない。

 

「あ」

 

 すると神北が何かを発見したようで、声を上げその方向を指差す。

 

「美魚ちゃんだ」

 

 有宇も指差された方を見る。するとまず目に入ったのが白い日傘だ。中庭の端、大きなケヤキの木の下に彼女はいた。

 この女は審判をやっていた……名前は確か……そう西園だ。赤いカチューシャに陰気臭い感じ、間違いない。顔見てないなと思ったらいつもこんなところにいたのか。

 にしてもこの女、キャンプ場にいたとき日傘なんか差してたっけ?

 

「私のクラスメイトなの。ちょっと声かけてくるね〜」

 

 すると神北はそう言い残して西園へと近づいていく。有宇もなんとなくその後ろを付いて行く。

 

「美魚ちゃ〜ん、こんにちは」

 

 神北が声をかけると、西園も読んでいた本から顔を上げてこちらを見る。

 

「こんにちは神北さん。それと……」

 

 西園は有宇の方へと視線を移す。そういやここではまだ初対面か。

 

「彼はね、有宇くん。私の後輩なのです」

 

 神北にそう紹介されたので、取り敢えず頭を下げる。

 

「どうも、乙坂有宇といいます。初めまして」

 

 勿論、初対面のときはいい笑顔で。好印象を持たれるようにする。

 しかし西園に特に反応はなく、そのまま視線を神北の方へと戻してしまった。

 

「後輩がいるということは、神北さんは何か部活をやられているんですか?」

 

 あまり仲のいい同級生同士の会話とは思えないな。普通クラスメイトの、それこそ全員とも言わずともそれなりに親しければ、部活何やってるかぐらいは知ってるもんじゃないのか?

 そんな有宇の疑問を横に、神北は笑顔で答える。

 

「うん、今私リトルバスターズに入ってるんだ」

 

「リトルバスターズ……」

 

「うん、草で野球をするのです」

 

「草野球だ草野球。草で野球なんてしねえよ」

 

 まだそんな勘違いしてたのか。直枝さんと出会ったときにした勘違いらしいが、未だにそんな認識で練習に参加してるとは。こいつ、真人並みのバカなんじゃないか?

 すると西園は「野球ですか……」と何やら困惑した表情になる。

 

「どうしたの美魚ちゃん?」

 

 神北が間髪入れずに尋ねる。

 

「いえ、大したことは。ただ今日はいきなり野球のボールが飛んできたんです」

 

 そう言って西園は自身の背後から白い野球の球を取り出した。その瞬間、二人は固まった。

 そのボールってもしや……。

 

「いきなり飛んできたのでびっくりしました。しかし見たところソフトボールではないようですが……」

 

 ちらっと西園は有宇たち二人を見る。

 まずい、おそらくそのボールはさっき真人がかっ飛ばしたホームランボールだろう。まさか人に当たってたとは……。

 おまけに僕等はさっき草野球をしていると自分で言ったところだ。西園もおそらく僕等のだと疑っているに違いない。なんとか誤魔化せねば……!

 しかしそう思った矢先だった。

 

「おい乙坂、ボールまだ見つかんねえのか?」

「小毬ちゃん、手伝いに来たぞ」

 

 ちょうどタイミング良く、いやタイミング悪く真人と鈴さんが登場した。

 そして真人は西園の手に持つ白球を見つける。

 

「おっ、西園の持ってるそれ、俺がさっき打ったホームランボールじゃねえか。んだよ、二人とも見つけたんならさっさと戻って来いよ。ただでさえボール少ねぇんだからよぉ、とろとろしてんじゃねえよまったく」

 

 こいつぅ、ベラベラといらんこと喋りやがって!!

 有宇と神北はおそるおそる西園の方を向く。

 

「あの、西園先輩……」

 

「ごめんね美魚ちゃん。その、黙ってたわけじゃなくて、言い出せなかったっていうか……」

 

 二人して西園の様子を窺う。しかし西園はひたすら沈黙している。

 これは……やはり怒っているんだろうか。

 すると、西園は突然有宇に、その手に持っていた白球を差し出す。

 

「責任、取ってくださいね」

 

 そう言われ有宇は西園からボールを受け取った。

 

「責任っ!?」

「なんか、エロいな」

「ほわっ、有宇くんがまたエロい!」

 

 三人とも似たり寄ったりの反応を示す。

 

「なんでそうなるんだよ!ていうか神北先輩は全部見てたろうが!」

 

 ていうかまたってなんだまたって。本当に心外だ。ていうか責任って何だよマジで。

 

「痣になってたりしたら……困ります」

 

 西園はボソッとそう呟く。

 そういう意味ならそうとはっきり言ってくれ。あらぬ誤解が生まれるところだったぞ。

 しかし、こちらに落ち度があるのでツッコミを入れるのはやめておく。ていうか怪我したのか?

 

「えっとすみません、湿布とか持ってきますか?」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「いや、でも……」

 

 そっちが良くても、こっちは引き下がり辛い。ていうか僕がぶつけたわけじゃないんだけどな。

 

「おい、もう行こうぜ」

 

 当の犯人である真人は先にグラウンドに戻って行ってしまった。鈴さんと神北も真人について行ってしまったため、有宇だけその場に取り残された。薄情な連中め。

 

「えっとじゃあ、今度持ってきます」

 

「はい、お待ちしてます」

 

 そして有宇も取り敢えずその場を離れてグラウンドへ向かった。

 

 

 

 グラウンドに戻る途中、グラウンドの方から何やら誰かが言い争う声が聞こえる。その中からふと聞き覚えのある声がした。その声を聞いた瞬間、有宇は戦慄した。

 まさか……あいつがここに来てるのか!?

 有宇はダッシュでグラウンドへと向かった。

 今微かに聞こえたあの声……間違いない。まさかあいつも僕同様三年前の世界に送り込まれていたのか!?

 有宇は焦りを感じていた。てっきり自分一人しか送り込まれていないとばかり思い込んでいたからだ。

 まさか自分より歳下のあいつがこのわけわからない三年前の世界に送られていたとは。くそっ、なんであいつがここに。僕一人で十分じゃないか。あんなガキンチョまでこんなところに送り込まなくたっていいじゃないか。

 そしてグラウンドに辿り着くなり有宇は叫んだ。

 

「マヤッ!!」

 

 条河摩耶、木組みの街で有宇が出会った中学三年の少女。有宇の下宿先であるラビットハウスのマスターの一人娘のチノの親友でもあり、ラビットハウスにもよく顔を見せる顔ぶれの一人だ。それこそ有宇がこの三年前のこの学校にタイムスリップする前にしていたキャンプでも一緒だった。

 そして先程グラウンドから聞こえた声の中に、彼女のものと思しき声が聞こえたから有宇は焦ったのだ。有宇とは一つ差とはいえ身長的にも精神的にも色々と幼い彼女が、タイムスリップなんていう意味不明の事態に自分同様巻き込まれてしまったのではないかと思ったのだ。

 だからこうして急いで駆けつけたわけだが、その肝心の彼女の姿はグラウンドにはなかった。代わりに長髪の両サイドに黒い猫耳のようなリボンを結んでいる体操服姿の女子の姿があった。

 

「……誰?」

 

「それはわたくしのセリフですわ!!貴方こそ誰ですの!?」

 

 しまった。ついそのまま心の声が出てしまった。にしてもその声、マヤだと思ってた声の張本人はもしかしなくてもこの女か。取り敢えず無難な自己紹介を……。

 

「えっと、初めまして。一年B組の乙坂有宇といいます。今はリトルバスターズの皆さんとこちらで野球の練習をしているのですが……ところであなたは?」

 

 有宇はマヤと声の似た女子に聞き返す。するとその女子は有宇が聞き返したことなど無視して、傍らにいた連れと思しき女子三人と話し始めた。

 

「貴方たち、この男知ってるかしら?」

 

「はい、確かこの前私の隣のクラスに編入してきた男子だったと思います」

「なんか凄いイケメンだって学年中の女の子が騒いでましたよ」

「私の友達も彼のファンとか。確かに顔はいいですね。まぁ佐々美様の方がお美しいですけども」

 

 このモブっぽい女子三人はどうやら僕と同じ一年のようだな。するとそこのマヤと声の似た猫耳女は三人の先輩ってとこか。ていうか最後のセリフなに?

 すると佐々美?とやらは有宇の顔を見ながら言う。

 

「ふーん、まぁ確かに顔立ちはそこそこ整ってるようですが、宮沢様には遠く及ばないですわね」

 

 あ゙っ、今なんて言った?僕があの万年道着野郎に遠く及ばないだとぉ?

 イラッときたものの、有宇は怒りを抑えた。

 落ち着け、下手に感情的に動くな。相手は一応先輩だし、険悪になってもいいことなんかない。ここは我慢だ。

 取り敢えず相手のことを知ろう。有宇は再び尋ねる。

 

「ところで先輩はどちら様でしょうか?」

 

「あら、わたくしを知らないなんて。そういえば編入したばかりと言っていたわね。いいわ、では耳をかっぽじってよくお聞きなさい」

 

 どうでもいいが、この女の喋り方、なんかお嬢様言葉っぼいよな。リゼとシャロのとこのお嬢様学校の連中の喋り方のそれだ。マヤがもう少し大人っぽくなってお嬢様学校に入ったらこんな感じになるんだろうか。

 

「わたくしは笹瀬川佐々美。女子ソフトボール部のホープにして次期キャプテン候補ですわ」

 

「さささ……えっと、すみません、もう一度お願いします」

 

 余計な情報が入ったせいで名前が上手く記憶できなかった。それに『さ』何回入ってたっけ?

 

「さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・みですわ!!あ……貴方といい、棗鈴といい、馬鹿にしてるんですの!?」

 

 有宇としては悪気はなかったのだが、笹瀬川としては大変ご立腹だったようだ。とはいえ、そんな『さ』ばっかついてるややこしい名前をしている方が悪い。僕は悪くない。

 ていうか女子ソフトボール部がうちに何の用だよ。こっちは一応練習中だっていうのに。

 

「と・に・か・く!貴方達は我がソフトボール部がのびのび練習できるよう、グラウンドを明け渡すべきではなくて?」

 

 笹瀬川はそう言って、鈴さん達に詰め寄った。

 ああ、元々そういう事情でここに来てたのか。確か女子ソフトボール部は僕等がグラウンド使ってる間は反対側で練習しているんだっけか。一応日によってはちゃんとグラウンド全体を譲ってうちは練習休みにしたりもしてるが、向こうから言わせれば、正式な部でもない連中がグラウンドの貴重なスペースを横取りしているわけだからな。そりゃ気に入らないよな。

 しかし鈴さんは「その発想はないな」ときっぱり断る。そしてあっさりと断わられたことに笹瀬川が「キーッ」とキレる。そんな笹瀬川を「まぁまぁ、さーちゃん」と神北がなだめた。

 

「あれ、神北先輩、ささs……笹瀬川先輩と仲いいのか?」

 

「うん、実はルームメイ……」

 

「神北さん」

 

 神北が言いかけた瞬間、笹瀬川がそれを遮った。もう大体聞こえたが、どうやら笹瀬川的には秘密にしたいらしい。まぁ、敵であるリトバスメンバーと仲良しなんていったら、部で示しがつかないんだろうな。

 更に笹瀬川は続ける。

 

「大体、神聖なグラウンドを猫まみれにするっていうのはどういうことかしら。グラウンドとは、高みを目指し、汗を流すスポーツマンのためのトレーニングの場所。それを猫とじゃれ合うために使うなんて……!」

 

 鈴さんは「ちゃんとトンボみたいなのかけてるぞ」と言うがそういう問題ではないんだろう。大体、猫については僕も少し物申したいと前から思っていたところだ。

 鈴さんのノーコンに継ぐ練習での問題点。それが猫だ。

 なんでも鈴さん、この辺りの野良猫に餌あげたり遊んであげたりと世話をしているらしく、それで猫が懐いて寄ってくるのだとか。まぁ、猫への餌あげとかはここの女子寮長とかもしてるし、そこは別にいいんだが、猫が鈴さんの周りを練習中もうろつくものだから練習がやりにくいったらありゃしない。

 仮に鈴さんのノーコンボールを打てても、猫に当たりそうになったりすると、鈴さんは物凄くキレる。そのくせ自分では追い出そうとはしないし、本当に困ったものだ。野球ボールは硬いし、危ないからマジで練習中ぐらいはどこかに置いてきて欲しいものだが……。

 するとその時、猫の一匹が空気も読まずに笹瀬川の足元に擦りつく。

 

「「「佐々美様のお御足に無礼な!」」」

 

 そう言うと、笹瀬川の取巻き三人が猫にヘッドスライディングを食らわす。すると猫は「ニャー」と鳴きながら宙を舞った。

 

「テヅカ!?」

 

 猫はそのまま見事に一回転してから無事足から着地した。しかし「んなぁ」と弱々しく鳴いてうずくまった。

 笹瀬川は申し訳なさそうな顔を浮かべていた。おそらく笹瀬川にその気はなく、後輩三人が勝手にしたことなのだろう。

 一方鈴さんの方はというと、顔に影を落としていた。明らかにキレている。そして笹瀬川の方をゆらりと睨む。

 

「な、なんですの……」

 

 その目に笹瀬川は怖じ気づいていた。それだけ鈴さんの気迫に圧倒されたのだろう。

 

「勝負だ」

 

 すると恭介がこんな時にも関わらずそんなことを言い出した。

 

「笹瀬川だったか。聞けばあんた、二年でソフトボール部のピッチャーと四番を張っているらしいじゃないか」

 

「え、ええ……」

 

「鈴と一打席勝負しろ。あんたが勝ったらグラウンドから去ってやるよ。但し、鈴が勝ったらあんたは後輩の非礼を詫びて大人しく自分の練習に戻るんだ」

 

 まぁ、確かにこの場は言い争っても収まりそうではないし、恭介の言うとおり、いっそ勝負事で決めた方がいいかもしれないな。それでお互い後腐れなくこの問題は片がつく。あとは笹瀬川がこの勝負を飲むかどうかだけだ。

 

「ふ……ふふっ、おーほっほっほっほ!いいでしょう!受けて立ちますわ!このわたくしが草野球に興じてる程度の輩に負けるはずありませんもの!」

 

 笹瀬川は自分の得意分野の勝負事ということで、高笑いをしながら喜んでこの勝負を引き受けた。

 

「ボールは軟式。バッドは好きに持ってきてくれ」

 

 恭介にそう言われると、笹瀬川は一度、反対側の自分の練習しているグラウンドに戻って行く。

 一方、鈴さんはマウンド上で俯いたまま、ただ不機嫌そうに突っ立っている。

 

「おい恭介、いいのかよこんな勝負。今の鈴がソフトボール部の四番に勝てるわけねえじゃねえか」

 

 真人は心配そうに恭介にそう言う。

 確かにそうだ。今の鈴さんのコントロールじゃ、まともにストライクゾーンに投げることだって難しい。球速も速いといえば速いが、それも女子にしては速い方ということであって、ソフトボール部のエースに勝てる程かと言われると微妙なところだ。

 しかし恭介はまるでバトル漫画で主人公を見守るコーチのような目をしながら言う。

 

「確かに、鈴の実力じゃ難しいかもしれない。でも俺は賭けてみたいんだ。鈴が新たな力を引き出す……そんな可能性に」

 

 どうせいつもの漫画の影響だろうとは、このときの有宇には思えなかった。

 僕は知っている。鈴さんが、()()魔球をいつか投げることが出来るようになることを。もしかして、今がその時なのかもしれない。

 そして笹瀬川が数人の取り巻きを引き連れて戻ってくる。

 

「俺はスピードメーターの動作確認するから、真人はジャッジ頼む。理樹はキャッチャー頼む」

 

 恭介がそう指示すると、直枝さんはキャッチャー防具を身につけ、真人がその後ろに立つ。それから笹瀬川がバッターボックスに立ち、バットを構える。

 

「素人が佐々美様とサシで勝負してもらえるなんて、それだけでも羨ましいです」

「佐々美様っ!大きいのかっ飛ばして、格の違いってものを見せつけてやってくださいっ!」

「佐々美様なら棗鈴ごときの相手、余裕に決まってます!」

 

 取り巻き三人は口々に笹瀬川を応援し始める。

 こいつらわかってんのか?お前らのせいでそもそもお前らの愛する佐々美様はこんな面倒事に巻き込まれてるってのに、気楽なもんだな。

 

「準備はOKですわよ。とっとと始めましょう」

 

 笹瀬川がそう言うと、それを合図に鈴さんが大きく振りかぶる。そこには、いつもの鈴さんにはない気迫のようなものを感じた。そして次の瞬間───

 

 ビュン

 

 ボールは物凄い速度でキャッチャーミットの中へと収まっていった。笹瀬川に至ってはぴくりと動くこともできずバッターボックスに立ち尽くすばかりである。

 

「な、なんですの今のは……」

 

 笹瀬川だけじゃない。おそらくその場にいた全員が呆気に取られたことだろう。更に恭介のこの言葉である。

 

「ひゃ……百三十キロ……」

 

 恭介がスピードメーターの数値を読み上げたのだ。軟式で百三十キロなんて物凄い速さだ。まさかここまでだったとは。しかも女子でこれってかなり凄くないか?

 続く二球目、今度は笹瀬川もバットを振ったが完全な振り遅れであった。

 

「ちょっ、今のさっきよりも速かったんじゃねえか……?」

 

 真人がそう呟いた後に恭介がスピードメーターの数値を読み上げる。

 

「百三十五キロ……すげえぞ、更に速くなってやがる」

 

 一方笹瀬川の方は最後の一球ということもあり、焦りと苛立ちが目に見え始めた。

 

「このわたくしがっ……掠りもせずに終われるものですかっ……!」

 

 そう言ってバットを短く持ち直す。

 

「ファイトです!佐々美様!」

「佐々美様が負けるはずありません!」

「最後に目にもの見せてやってください佐々美様!」

 

 応援の声も悲痛だ。流石に不安になっている様子だ。

 そして運命の三球目。鈴さんが振りかぶって投げた!……が。

 

 ぴろろ〜ん

 

 ボールは力の抜けたような球速で、明後日の方向へと飛んでいった。笹瀬川もまさかそんなボールが来ると思わず、先程までの豪速球に振り遅れないようにとバットを勢いよく振ったせいで、空振ってしまった。

 

「チェ……チェンジアップ。しかも馬鹿にしたような素っ頓狂な暴投……こっ、このわたくしがここまで舐められるとは……」

 

「いや、集中力が切れただけだ」

 

「なぁっ!?」

 

 鈴さんの答えに笹瀬川は絶句した。

 その後真人が鈴さんにもう一度投げるよう言い、笹瀬川を押しのけ自らがバッターボックスに立ち、鈴さんの豪速球を再び見ようとしたが、何球投げても百キロを超えることはなかった。まぁ、それでも八十キロ出てたし十分凄いと思うが。

 

「くそっ、なかなか上手くいかねえもんだな。どれっ、もう一回猫蹴っ飛ばしてみっか」

 

 バキッ

 

 当然、やる前に鈴さんに蹴飛ばされた。

 

「恭介、鈴のこれってなんなの?」

 

 鈴さんの豪速球について未だに信じられないのか、直枝さんが恭介に尋ねる。

 

「火事場の馬鹿力みたいなもんだろ。意識しては出せない……正に鈴の中に疼く潜在的な力が引き出されたみたいな感じだろう」

 

「それだけ鈴にとって、あの猫達が大事だってことだね」

 

「つまりあの球には鈴の中にある猫の魂が宿った魔球ということになるな。よし、あの魔球をライジングニャットボールと命名する」

 

 〈鈴はライジングニャットボールを修得した!〉

 

 なんかテロップ出てきた。ていうかやはりこの豪速球がライジングニャットボールなのか。

 恭介が確かキャンプ場で試合したとき、ライジングニャットボールの生みの親は鈴さんだと言っていたが、正に今僕はその場に立ち会ったのだ。

 だが、キャンプ場での試合には鈴さんは不在、代わりにピッチャーを努めた恭介がこの魔球を投げていた。こいつもそのうちこの魔球を投げる特訓でもするんだろうか。それとも実はもう既に投げれたりするんだろうか。

 こいつの実力はとにかく未知数だ。一応味方ではあるし、警戒する必要はないんだが、なんとなく警戒してしまう。それだけこの男の力を僕自身、認めているのかもしれない。

 もしこの男が敵だったら、僕は勝てる自信が正直いってあまりない。正攻法を取らなければワンチャンといった感じだろうか。いや、それすらこの男は読んできそうだ。なんにせよ敵にはしたくないな、本当。

 そんなことより、笹瀬川と鈴さんの勝負だが、一応これって鈴さんが笹瀬川から三振取って勝ちってことになるんだろうか。最後が最後なもんだから微妙なところだが、ルールに照らし合わせれば鈴さんの勝ちのはずだ。

 

「貴方達、帰りますわよ」

 

 すると笹瀬川は取り巻き三人にそう言うと、僕等に背を向け、自分達の練習場であるグラウンドの反対側へと去っていく。

 

「棗鈴!」

 

 そして去り際に鈴さんに声をかける。

 

「今回はわたくしの後輩が迷惑かけましたわ。でも、次は負けません。必ず勝ちますわ!」

 

 そう言い残すと今度こそ笹瀬川達は去っていった。

 一応約束は守ったようだな。なんだかんだ律儀な奴だ。口調とか高飛車なとこは気に食わんが、そういうところは二木と違ってしっかりしてるし、僕はそんなに嫌いじゃない。

 すると笹瀬川の去った後、恭介が言う。

 

「まっ、うちにもなんだかんだ落ち度はあるし、女子ソフトボール部とあんま険悪になると今後もまたグラウンドについて争うことになるかもしれないからな。明日の午後練は休みにして女子ソフトボール部に譲るか」

 

 恭介はそういうが、笹瀬川は二木と違ってそこまでしつこく敵対はしてこないと思うけどな。鈴さんは今回の件で完全にライバル視されただろうが、リトルバスターズ全体にケンカを売られることは今後ないと思う。でも休みにするっていうのなら僕も楽でいいし、別に構わないけどな。

 すると、「有宇くん、有宇くん」と神北が声をかけてきた。

 

「ん、何だよ」

 

「明日の午後、お暇ですか?」

 

「まぁ、練習無くなったし暇っちゃ暇だな」

 

 そう返すと、神北は顔を赤らめながら恥ずかしそうにモジモジしだす。

 

「それじゃあ私と……デ……デート行っちゃう……?」

 

「……へ?」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日の放課後、有宇は教室から急いで自室に戻って、制服から私服に着替える。着替え終わるとショルダーバッグだけ持って校門へと向かった。

 なにをそんなに急いでいるかというと、今日の放課後、神北と出かける約束をしているのだ。なんでも湖に行くとかなんとか。少し遠いらしいが門限までには帰れるということなので、やることもなく暇だし付き合ってやろうということで行くことになった。

 そして校門に着くと、既に神北は来ていた……のだが。

 

「神北先輩、お待たせしまし……た……」

 

「あ、有宇くん。大丈夫、今来たところ〜」

 

 有宇は神北の私服を見るなり絶句した。神北はそんな有宇の様子にも気付かないで「えへへ……一度このセリフ言ってみたかったんだよね〜」などと一人で浮かれている。

 

「先輩……それ、私服だよな……?」

 

「うん、変かな?」

 

「いや、似合ってるけど……」

 

 校門で待っていた神北の服装は、私服というには些か派手なものだった。

 こういうのってゴスロリとかロリータっていうんだっけか。服は上が白をベースとしたブラウス、下が黒をベースとしたスカートなのだが、どちらにもレースやフリルが多用されていて、極めつけは胸元のリボンである。更にソックスもただの黒のハイソックスかと思えば、上の方に白のフリルが付いていやがる。これはもう私服というよりコスプレに近い。

 服の好みは人それぞれだが、正直普通からは離れた格好と言わざるを得ない。やはりこの人変わってるよな。

 似たような性格のココアだって、僕やチノに勧める服は変なのが多いけど、あいつ自身の服は意外にも普通なデザインなのが殆どだったりする。空気読めないとこもあるが、たまによく周りを見てるところとかもあったりするし、こうして改めて見ると、なんだかんだココアは常識ある奴だと思えてくる。

 同じプラス思考の明るい女子同士でも、服装とかこういう所で変わってくるもんだな、本当に。

 対象的に有宇は、上が黒のジャケット、インナーは白のシャツ、下はベージュのパンツというシンプルな格好だった。随分と対象的になってしまったが、これで二人並んで歩いて大丈夫だろうか……。

 しかし時間もないし、気に入ってるであろう服装を変えてこいとは言い辛いので、このまま湖に向かうことにした。

 

 

 

 駅に向かう途中、神北がこんなことを聞いてきた。

 

「そういや有宇くんは女の子と二人きりで出かけたことってあったりするの?」

 

 そう言われて改めて思い返してみる。白柳さんとカフェ行ったり、ココアやリゼとも何回か出かけたりしたっけ。お嬢様学校の女子達とも……いや、あれは二人きりではなかったな。なんかみんなギスギスしてたしなぁ。出来れば複数の女子とのデートはもう二度とゴメンだ。

 あとそうだな、友利とも出かけたことはあるが、あれはなんかデートとかそういう感じじゃなかったな。あいつ、あん時猫かぶっていやがってたし。肉親も入れると、歩未とも二人で出かけたことは何度かあるな。うーん、そう考えると割と回数だけはあるな。

 

「まぁ、それなりに何回かは」

 

「おおっ、有宇くんモテモテだね」

 

 ああっ、本当にモテモテだったらどれだけ良かったか。本命の女子とは結ばれる前に離れ離れにはなるし、今は住み込みで働くフリーター状態だし、周りにいい女はいないし、当分はまともな恋愛は出来そうにないな。

 

「私は初めてだから、今日はエスコートよろしくね」

 

「いやいやいや、僕今日行く場所知らないから。寧ろ僕をエスコートしてくれよ」

 

 そんなこんなで学校のすぐ近くの電車へと僕等は乗り込んだ。

 そういや電車に乗るのは、この学校に初めて来たとき以来か。あの時は中野のアパートに戻ろうとして失敗したんだっけか。今日は大丈夫なんだろうか。

 そんなことを心配しながら電車にしばらく揺られる。電車内は有宇たち二人の他に客の姿もなく、ガラガラである。

 平日の午後なんだし、もっと下校中の生徒とかいてもおかしくないんだが普段からこんな感じなんだろうか。

 すると、電車で席につくなり神北がカバンからクッキーを取り出して食べ始めた。

 電車で食べカスが落ちる食べ物とか、普通にマナー違反だろ。こいつ、やっぱり常識ないな。ココアがどんどんまともに見えてくる。

 そんなことを思いつつも、神北から差し出されたクッキーを有宇も一枚貰ってかじっていた。まぁ、でも誰もいないしいいかなって。

 

 

 

 しばらくして電車は見知らぬ駅のホームに停まっていた。

 前に電車に乗って眠気に襲われた駅よりも、ずっと先の駅だったのだが、変な眠気に襲われることなく無事来ることができた。

 おそらくだが、僕を三年前に送り込んできた謎の存在Xの意に背く移動でなければ、どうやら妨げられることはないらしい。かといって、ここで僕がいきなり中野へ向かおうとするならば、おそらくXによって妨げられることだろう。

 試してみてもいいが、時間の無駄な気がするし、今は神北と一緒だからな。変に迷惑はかけられないしな。ここは大人しく神北に付き合おう。

 それから駅を出てバスに乗る予定だったのだが、バスはしばらく来ないようなので、二つ先のバス停らしいので、僕等は歩いて向かうことにした。

 そして道中で、有宇は今回の目的について尋ねる。

 

「で、先輩。今日はなんでまた湖なんかに行くことにしたんだ」

 

 そう聞くと、神北は少し神妙な顔つきになる。

 

「私ね、昔ここに住んでたの」

 

 それを聞いて有宇ははっとする。まさか、これも神北拓也絡みなのか?

 

「でも私、ここに住んでた頃のこと、あんまり覚えてないの。いっぱい思い出、あるはずなのに……」

 

 この人は、兄さんのことだけじゃなくて、それに関わる全てを忘れてしまったのだろうか。一体……なぜ。

 

「忘れたくないことや、忘れちゃいけないことまで忘れちゃうなんて、悲しいことだよね」

 

 それが本当に忘れたくないことならそうかもしれない。けど、あんたの場合はきっと、忘れていたいことなのかもしれないけどな。

 僕はどうだろう。言われてみれば僕も昔の記憶、中学に入る以前の記憶は結構あやふやだったりする。単に物忘れが少し激しい程度のものかと思っていたが、これも僕の夢に出てくるあの人と何か関わりがあるのだろうか。

 

「湖はね、私が唯一覚えていた記憶なの。だから、そこに行けば何かわからないかなって」

 

 その時、遠くの山間から白い建物が見えてきた。おそらく病院だろうか。

 神北拓也は亡くなっている。親族である祖父の小次郎爺さんが言ってたんだ。間違いないだろう。

 そして昨日、神北が言っていた白いひらひら。もしかしたら、神北拓也はあの病院で亡くなったのかもしれないな。

 有宇は一人でに、そんなことを考えていた。

 やはり真実を伝えるべきなのか。悲しいことかもしれないけど、家族としてやはり知るべきことにも思えるし。けどなぁ……小次郎爺さんのこともあるし、それにそんな重たいこと僕の口からわざわざ言いたくないな。

 有宇がそんな葛藤を抱えながらも歩いていくと、二人は更に奥まった林道に入り、そこから五分程歩くと、林道の先が見えてきた。

 林道を抜けると、空から眩しい太陽光が差し込む。そして目の前には広大な湖が見えた。

 

「着いたようだな」

 

 すると少し離れたところに見える小屋から神北が有宇を呼ぶ。

 

「有宇く〜ん、ボート屋さんがあるよ」

 

 いつの間に先を歩いていたんだろうか。そして目の前には確かにボート乗り場がある。まぁ、折角だし乗っていくか。

 有宇も小屋の方まで行き、おじさんに百円を払って、二人はボート乗り場に置いてある白いボートに乗り込む。

 ボートは当然、男である有宇が漕ぐ。まぁ、ここで女子に漕がせるようじゃ男じゃないよな。

 神北の方は鼻歌まで歌ってご機嫌の様子だ。喜んでくれてるようで何よりだ。こっちも付き合ってやってる甲斐があるってものだ。

 

「貸し切りみたいだね」

 

「そうだな、人気が全くないな」

 

 割と綺麗な湖なのだが、僕等以外にボート客もいないし、湖の周りを散歩しているような人の姿もない。まぁ、平日ってこともあるんだろうけど、ここまで人がいないと少し不気味だな。でもあれか、穴場ってやつなのかもしれない。なんにせよ人がいないに超したことはないか。

 しばらくして、有宇がオールを漕ぐのに疲れを感じ始めた頃、きゃっきゃとボートと景色を楽しんでいた神北は飽き始めたのか、水面をじーっと見つめている。

 

「何見てるんだ?」

 

「うん、お魚さんが沢山泳いでますよ〜」

 

 確かに水面を覗くと、水奥に鯉ぐらいの大きさの魚の影が何匹か、水中を泳いでいた。

 

「本当だ。何匹かいるな」

 

「ほわ〜」

 

 神北は心ここにあらずといった感じで、水面に見入っていた。どうやら飽きたからぼーっと眺めていたわけではないようだ。

 すると神北は水面から顔を離さずに、こんなことを呟いた。

 

「でも、湖の底は見えないんだよね」

 

 まぁ、結構深そうだもんなここの湖。底の方は見えないだろうな。僕もこのボートから落ちたらと思うと少し背筋が寒くなる。

 

「透き通るぐらい綺麗な水なら見えたかもな」

 

 そんな風に適当に言葉を返す。すると彼女は突然こんなことを言い出した。

 

「……貴方の目が、もう少し、ほんのちょっとだけ見えるようになりますように」

 

「突然どうした?ていうかなんだそれ?」

 

「ううん、なんでもないの。ただ、よく見えるようになったらいいなって」

 

「なんだそりゃ。それに僕一人見えても意味ないだろ」

 

 別に僕は湖の底なんかに興味はないしな。よく見えるようになりたいのはお前だろうが。

 有宇がそう言うと、神北は微笑んだ。

 

「そうだね、私の目も、見えるようにはなって欲しいな……」

 

 そして神北は再び湖の水面へと視線を移した。水面の底を見ようとするその目が、有宇には自らの記憶の底を覗き込もうとしているように見えた。

 

「なぁ、やっぱり兄さんのこと思い出したいのか?」

 

 有宇は神北に尋ねた。やはり聞いておくべきだと思ったから。そして神北は答える。

 

「うん、思い出したいよ。だって、失くし物は寂しいよ。使い古しの消しゴムを失くしても、私はきっと一晩しょんぼりしてしまいます。だから、失くし物は探すんだ。お兄ちゃんの記憶も……」

 

 その気持ちは理解できなくもない。僕とて自分の中にある失われたものを取り戻したいとは思うからだ。昔のこと、それに関わっていると思われる夢の中のあの人のこと、僕だって思い出したい。

 けど、もしそれが探した末に悲しみしか残らなかったらどうだろう。僕だって内容の如何を問わずにきっと探すのを躊躇することだろう。

 知ることは死ぬこと。少し前に僕が読んだ藤島とかいう作家の小説にそんなフレーズがあったっけか。知ることとはなにも得るものばかりではない。

 知るということそのものは、何かしらの知識や情報を得るという行為ではあるが、得たことそのものが自分のその先の人生においてプラスに働いてくれるとは限らない。結果次第では僕等は知ることによって何かを得るどころか失うことだってある。

 今回だってそうだ。確かに神北は兄さんの死を家族として知るべきなのかもしれないし、それは当然の権利なのかもしれない。

 ただそれは、今背負うべきものかといえばそうではないし、別に知らなくたって、この先の人生でそう困ることもないだろう。寧ろ、兄さんの死を知ることで神北は悲しみ、嘆き、今ある生活の平穏を脅かすかもしれない。

 本来なら兄さんの死によってそれが知られるべきだったのに、神北が何故か全てを忘れてしまったこと。そして小次郎の爺さん含め神北家がそれを隠蔽しようとしたことにより、知るべきタイミングを失ってしまったのだ。

 神北の気持ちはわかるが、やはり僕はもうここまで来たなら神北家の思惑通り、兄さんのことは思い出させないで隠しておくのがベストなのではないかと思えてきた。

 

「見つけなくて……いいんじゃないか」

 

 そして気が付けば僕はそんなことを口走っていた。

 

「兄さんは夢の中にいる。それで、いいんじゃないか」

 

 有宇がそう言うと、神北は寂しそうに聞く。

 

「有宇くんの方は、その、それでいいの……?」

 

 僕の方というと、僕の夢のことを言っているんだろうか。

 正直、あの人が誰か知りたい気持ちは今もまだある。だが、同時に神北拓也のようになっていたらと思うと、探す気も少し失せてきたのも確かだ。

 

「僕も、あの人は夢の中だけの人ってことで割り切ることにするよ。結局僕の夢に関してはなにもわかんなかったし」

 

「そっか……。有宇くんがそう言うなら、そうしよっかな」

 

 どうやら神北の方も兄さん探しは諦めてくれるようだった。しかし神北はこう続けた。

 

「でも……それなら、有宇くんが私のお兄ちゃんの代わりになってくれないかな?」

 

「…………えっ?」

 

 なんだって……?僕があんたの兄さんの……代わり???

 有宇が放心状態になってると、すぐに神北はクスクスと笑い出す。

 

「えへへ、ビックリした?冗談だよ冗談」

 

 冗談……そうだよな、流石に本気じゃないよな。身内に、血も繋がってない赤の他人だというのに、やれ妹になれだとか弟になれだとかいう女がいるからつい本気にしてしまった。

 大体、兄さんになれって言っても、血の繋がり以前にこの人より歳下だもんな。弟ならまだしも兄になれっていうのは無理があるしな。

 

「う〜ん、ずっと座ってると腰が痛くなっちゃうね〜」

 

 そんな婆臭いことを言いながら、神北は立ち上がって腰を伸ばした。すると、いきなり立ち上がるものだから、ボートが揺れ、神北がバランスを崩した。

 

「うわぁ!?」

 

「危なっ!?」

 

 前のめりに倒れる神北を、有宇はしっかりと抱きかかえるような形で受け止めた。すると神北は、恥ずかしいのかすぐに有宇の胸からばっと離れる。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ったく、いきなり立つなよ。危ないからさ」

 

「えへへ、でも有宇くんがしっかり支えてくれて助かったよ」

 

「あんま頼られても困るけどな」

 

 神北はそれからもずっと楽しそうに笑っていた。

 そう、それでいい。あんたは空気も読まないでずっと笑ってるぐらいがキャラに合ってるんだ。変に辛い過去を掘り返してその笑顔を曇らせるようなことなんかしなくていいんだ。

 修学旅行のこともある。僕が本当に修学旅行の悲劇からこいつらを救えるのかといわれると、正直いってあまり自信はない。

 だから、仮に僕が失敗してもいいように、人生を生き抜く最後の瞬間まで、あんたはそうやって笑っていてくれ。

 有宇は笑顔の神北を見てただそう願った。だが、運命というのは中々そう上手く事を運ばせてはくれないものだ。

 

 

 

 ボートから降りた後、僕等二人は湖を出た。それから電車に再び乗り学校へと戻る。電車に揺られている途中、外では雨が振り始めた。

 

「雨降ってきちゃってるね。有宇くん傘ある?」

 

「折りたたみが一本あるけど、先輩は?」

 

「私、持ってきてないや……」

 

「じゃあ一緒に入るか?」

 

「おおっ、相合傘だね」

 

「ただ一緒の傘に入るだけだろ」

 

「え〜そうかな。有宇くんはちょっとドライな気がするな」

 

 そんな下らない会話をしているうちに、学校前の駅に着く。そこで有宇は折りたたみ傘を開き神北を中に入れる。

 

「有宇くん、もうちょっと中に入らないと濡れちゃうよ?」

 

「どうせすぐだ。別に構わない」

 

 湖でゆっくりしてたこともあり、時間はもう門限の七時間近だ。さっさと学校に戻らないとな。

 するとその時、突然()()が有宇の目に入った。

 

「げっ……」

 

 有宇は思わず足を止める。

 

「有宇くん?どうしたの?」

 

 神北に言われて、有宇は道の端の下水を指差す。

 

「猫の死骸だ。くそっ、嫌なもん見たな。気持ち悪ぃ」

 

 有宇の目に入ったのは猫の死骸。力無く下水の中で倒れていて、ピクリとも動かないからおそらく死んでいるんだろう。まだ小さい子猫のようだ。

 一応気持ち悪いと思いながらも近づいて見てみる。

 うちの学校にいるやつではなさそうだな。白猫だがよく見ると黒い小さな模様がついてる。目の周りにも黒い模様がついてて特徴的だし、こんな猫は確か鈴さんの周りにはいなかったと思う。うろ覚えだが。

 まぁ、なんにせよ違うならよかった。もし学校に来てる野良猫なら鈴さんが名前つけた猫かもしれないからな。もしそうだったら鈴さん悲しむだろうしな。

 違うなら別に放っておいても構わんだろう。死骸だって行政の職員とかが片付けてくれるだろう、きっと。

 さて、変な寄り道してしまったな。さっさと行くか。

 有宇はその場を離れた。しかし、神北は猫の前から動かなかった。

 

「先輩?もう行くぞ。門限まで時間がない」

 

 門限過ぎても特に誰か確認してるわけではないが、門限過ぎてるところを教師とか風紀委員に見られると面倒だしな。出来ればさっさと帰りたいんだが。

 すると神北は無言で下水道の中で力無く転がる猫の死骸を撫で始めた。

 

「先輩、それ汚いからあんま触らない方がいいぞ」

 

 猫の死骸なんてどんな病気がついてるかわかったもんじゃない。猫を撫でたきゃ鈴さんの周りにくっついてるやつを撫でればいいのに……。

 そして神北は静かに口を開いた。

 

「ねぇ、猫さん動かないよ……?」

 

 なにをおかしなこと言ってんだこの人は。死骸だってさっき言ったばかりじゃないか。

 有宇は呆れながら言う。

 

「動くわけ無いだろ」

 

「どうして……?」

 

「死んでるからだ。ほら、汚いしあんま触らない方がいいって。いいから帰るぞ」

 

 そう言って有宇は神北に帰ることを促す。しかし、神北は黙ってそこを動かない。

 何か様子が変だ。そう思った有宇は神北の顔を伺う。

 表情がなく全身が強ばっている。目もなんか虚ろだし、一体どうしたんだ。

 

「神北先輩……?」

 

 もう一度呼びかける。しかし返事はない。それから不自然な間が空く。

 さて、どうしたもんかと有宇が頭を悩ませた次の瞬間だった。

 

「ううっ……」

 

 神北が喉を締められるような呻き声を漏らし、その場に膝をついた。更に……。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 神北は子猫の死骸を前に、身を震わせ絶叫した。

 

「おいっ!?どうしたんだよ!?先輩っ!!」

 

 有宇は突然の出来事にどうしたらいいかわからず、神北の肩を揺すって呼びかける。しかし肩はがくがくと震えており、神北は泣きじゃくるのをやめなかった。

 日も沈み雨曇が空を覆う夜の暗闇の中、電灯だけが明かりを照らすその場所に、雨音と少女の泣き声だけが響き渡った。


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