幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第41話、魔法のアンサンブル(後編)

「小毬さんが……正気に戻った……?」

 

 広場の方を見渡せる狭い路地の影、直枝理樹はそこにいた。有宇に午後の五時半より前ぐらいに、駅前の広場に集まるように言われていたからだ。

 僕だけじゃない。向こうの路地には来ヶ谷さんと三枝さん、そしてまだ今回の作戦のことを何も知らされていない鈴もいる。真人と謙吾も姿は見えないが何処かにいるはずだ。恭介は席の予約と引き換えに店で働いているため来れないようだ。

 

 にしても流石だよ有宇。今まで拓也さんらしくない、人として残念な行動を取っていたのは、小毬さんに自分が拓也さんではないことを気付かせるためだったのか。

 でもこれからどうするんだろう。ここでこのまま本当のお兄さんが死んでしまったことを思い出してしまったら、結局また振り出しに戻っちゃうんじゃないか?それにこれ……。

 

 理樹は昨日自分の考えたオリジナルの展開になるように書き換えた、神北拓也の絵本に視線を落とす。

 持ってくるように言われたけど、これどうするつもりなんだろうか。

 これから有宇がどうするつもりなのか気になりつつも、理樹は二人の先行きを静かに見守る。

 

「ようやく気付いたか」

 

 正気を取り戻した小毬さんに向け、開口一番有宇が言い放った言葉はそれであった。

 

「有宇……くん、なんでここに?あれ、お兄ちゃんはどこ……」

 

「死んだよ。お前の兄さんは病気で死んだ。忘れたのか?」

 

「死んだ……何言ってるの?お兄ちゃんはここに……」

 

「だからいねぇって。よく見ろよ。僕がお前の兄さんに見えるか?」

 

 有宇がそう言うと、小毬さんは有宇の顔を虚ろな眼差しで見つめる。すると次の瞬間、小毬さんがお兄さんが亡くなった真実を思い出したのか、苦痛に顔を歪めた。

 

「ううっ……」

 

 嗚咽を漏らし、その場に膝をつく。そして思い切り泣き叫んだ。

 

「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!嫌だよ!!そんなの嫌だよ!!」

 

 始まってしまった。一昨日、有宇から聞いた話の通りになってしまった。

 何やってるんだ有宇、これじゃあ振り出しに戻ってしまう。

 更に、小毬さんはその場に踞り「全部夢だよ……」と呟き始めた。

 いけない小毬さん!またお兄さんの幻想に囚われては駄目だ!

 どうしよう、出ていくべきか。でも有宇には合図が出るまで来るなと言われているし。でも……。

 するとそんな時だった。

 

「うっせぇなぁ……」

 

 泣き叫ぶ小毬さんに向けて、有宇が言い放った言葉がそれであった。神北さんもそれを聞いてピタリと泣き止み、有宇の顔を見つめた。

 そして有宇は、そんな小毬さんの胸ぐらを突然乱暴に掴み、強引に小毬さんの体を起こさせる。それから目を見開き、怒りの形相で小毬さんに詰め寄った。

 

「夢だなんだ現実逃避しやがってよぉ……いい加減にしろよ!てめぇのせいでこっちは迷惑してんだよ!いい加減現実見ろよッ!」

 

 有宇!?何やってるんだ!?

 確かに今回、小毬さんのことで有宇には負担を強いたけど……でも小毬さんに当たってもしょうがないじゃないか!!

 でもこれも有宇の演技なのか……わからない。僕達は何も教えられてないから、今の有宇がただ怒っているだけなのか、それとも演技なのか、僕には……。

 そして小毬さんは有宇に怒鳴られても泣き叫ぶのをやめない。寧ろ有宇に怒鳴られたことによって、更に追い詰められてより酷くなっている。

 

「助けて……助けてよお兄ちゃん……」

 

 小毬さんは有宇のことが怖いのか、幻想の中のお兄さんに助けを求める。だが、当然お兄さんが助けに来てくれるはずなんてない。ただ有宇が怒りを収めることなく怒鳴り続けるだけだった。

 

「助けてじゃねえよ!!もうそいつは死んでんだよッ!!死んだ人間にいつまでも縋りついてんじゃねぇよッ!!」

 

 もう見てられない。あんなに苦しんでる小毬さんを見るのは耐えられないよ……。

 止めに行くべきか……でも……。

 有宇の作戦の可能性だってあるのに、もしここで割って入ってしまうことでその作戦が台無しになってしまったら……。わからない。こういうとき、どうすればいいのか。僕は……。

 理樹が有宇を止めるべきか悩んでいるそのときだった。理樹の視界に、矢の如き速さで何かが通り過ぎて行く。

 

「コラァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 聞き覚えのある怒声が辺りに響き渡る。そして次の瞬間、有宇の体が二、三メートル先へと吹っ飛んでいった。

 

「弱いものイジメはめっだ!!」

 

 有宇の顔面に思いっきりドロップキックを食らわし、小毬さんの前に現れたのは鈴だった。

 

「大丈夫か小毬ちゃん!!あいつにいじめられたのか!?」

 

「鈴……ちゃん?」

 

 小毬さんは何が起きたのかわからないといった感じの様子だ。正直、僕も突然のことにびっくりしている。だが、そこで有宇が昨日言った言葉を思い出した。

 

『それと合図だが、これも今は伏せておく。まぁ、とてもわかりやすい合図だ。神北先輩と僕が見える位置にいれば問題ないはずだ。敷いて言えば、鈴さんが何かしら動きを見せるはずだから、鈴さんの動きに注目しててくれ』

 

 もしかして、合図って今のが……!

 これが有宇の言っている合図なら、僕が今すべきなのは……!

 理樹は神北の元まで走っていく。そして来ヶ谷と三枝、何処かで見ていた真人と謙吾も理樹に続いていく。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「小毬さん!」

 

 鈴ちゃんが突然現れたと思ったら、今度は理樹くんが現れた。

 

「小毬くん!」

 

「こまりん!」

 

「神北ぁ!」

 

「神北!」

 

 そして理樹くんに続いて唯ちゃん、はるちゃん、真人くん、謙吾くんもも一緒に現れた。

 

「みんな……どうして?」

 

「どうしてって、小毬さんが言ったんじゃないか。助けてって」

 

「でも……」

 

「僕達はリトルバスターズだから。だから、友達が困っていたら助けに行くんだ」

 

 理樹くんはそう言ってニコリと微笑む。それから理樹くんは一冊の絵本を取り出す。

 

「これ……お兄ちゃんの……」

 

 そうだ、お兄ちゃん……死んだ……死んじゃった。嘘だ……そんなの……。

 神北が再び顔を悲しみに歪める。しかし理樹はそっと神北の手に、自分の手を添える。

 

「大丈夫、もうこれは、悲しい絵本じゃないから」

 

「えっ……」

 

 悲しく……ない?

 

 理樹のその一言で兄の死を知った悲しみから現実へと引き戻される。そして神北は絵本に目を落とす。それからページを捲って読んでいく。

 途中までは元々のものと変わらなかった。卵を産んだ鶏は自分の産んだ卵のことを忘れる。そして卵から生まれたひよこは自分が卵であったことを忘れる。成長したひよこは鶏になり、今度は自分がひよこであったことを忘れる。この繰り返し。そして最後のページで自分が卵であったことを思い出す。

 そこまで神北が読むと、理樹が神北にこう持論を話し聞かせた。

 

「小毬さんはひよこが前のことを忘れるのが悲しかったんだと思うけど、でもそうじゃないんだ。ひよこや鶏は悲しいから忘れるんだ。もう戻ることもできないから、ひよこや鶏は忘れることで悲しみを和らげた。でもそれじゃあいけないんだ。どんなに悲しくても、受け止めなきゃいけないときは必ず来るんだ。だから鶏は最後に、自分が卵であったことを思い出すんだ」

 

 有宇がどんなに読んでもわからなかった、拓哉がこの絵本に書き込めた想いを、理樹は絵本を作る過程で自分なりに解釈し、そして拓哉が絵本に込めた想いを理解したのだ。

 兄、拓哉は神北にただ自分の死によって生じた悲しみの記憶を忘却することだけを望んだわけではないのだ。いつかこの鶏のように悲しみを乗り越えられるぐらい神北が成長したら、自分の死を真正面から受け止めて欲しい。そんな想いを込めてこの絵本を書いたのだ。

 しかし理樹の話を聞いても尚、神北の顔は晴れることなく、こう泣き言を漏らした。

 

「無理だよ……こんな悲しいこと……乗り越えられないよ」

 

 そう、神北は未だ鶏にはなれていないのだ。兄を亡くした悲しみを忘れられないからこそ、こうして神北は兄に関わる記憶の忘却と想起を繰り返して苦しんでいるのだから。

 だがそんな神北に、理樹は優しくこう声をかける。

 

「次のページを見て」

 

 理樹にそう促されて、神北はページを捲った。そこには兄の絵本にはなかった新たなページが描かれていた。新たなページには、主人公のひよこの周りにも、沢山のひよこがいる絵が描かれている。周りのひよこ達は何処かリトルバスターズのメンバー達の面影を感じさせるイラストで、そして主人公のひよこに笑いかけていた。

 

「辺りを見回すと、ひよこの周りには……沢山の仲間達がいました。そして気がついたのです……ひよこはもう一人ではありませんでした。どんなに悲しいときも、楽しいときも……仲間達が側にいたのです」

 

 神北は最後のページに書かれたその文章を、涙声で読み上げた。

 

「僕達がいるよ。一人で乗り越えられないなら、僕達と一緒に乗り越えよう。だから笑って小毬さん。辛いときも、悲しいときも、僕達が側にいるから」

 

 理樹がそう言うと、周りのメンバー達も口々に神北に声をかける。

 

「そうだ、今みたいに小毬ちゃんを悲しませる奴がいたら、あたしが蹴っ飛ばしてやる」

 

 と鈴。

 

「うむ、小毬くんを悲しませる輩はお姉さんが断罪してやろう」

 

 と来ヶ谷。

 

「私は姉御や鈴ちゃんみたいなことはできませんが、こまりんの側にいて笑わせてあげるぐらいならお茶の子さいさいデスよ」

 

 と三枝。

 

「俺達の自慢の筋肉が必要ならいつでも言ってくれ」

「おうさっ!!」

 

 と言いながら腕を直角に曲げ、腕の筋肉を強調する真人と謙吾。

 

 神北は自分に声をかけてくれる仲間達の顔を順に見回していく。それから手元の絵本に視線を落とす。

 

 ────笑って……小毬

 

 その時、神北の頭の中に誰かの声が響く。

 

 ────また太陽みたいな笑顔で、笑って欲しいんだ。

 

 神北は顔を上げる。そこには、自分を心配する仲間たちの姿があった。

 その時、神北の頬から涙が伝い、手元の絵本に落ちた。だがそれとともに、神北の瞳に光が宿り、顔に笑顔が戻っていく。

 

 お兄ちゃん。

 今までごめんなさい。でももう大丈夫。

 辛いことも、悲しいことも、みんながいるから乗り越えていけると思います。笑っていられると思います。

 だから……ありがとう。そして……さよなら、お兄ちゃん。

 

「ありがと……みんな……ありがとう」

 

 そう言って神北は泣いた。だがその頬を伝う涙は、もう悲しいものではなかった。支えてくれる仲間達に対する、嬉し涙であった。

 それから神北は近くにいた鈴に思いっきり抱きつく。そこにはいつもの彼女の笑顔があった。そんな様子を見て、周りの仲間達も嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 こうして、めでたく大団円を迎える一方で、一人寂しくその場を後にする影があった。しかしながら皆、神北が正気に戻ったことに喜んでいたため、それに気付く者はいなかった……ただ一人を除いては。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「どうしたんだよ有宇、その頬。殴られたりでもしたのか?」

 

 有宇が学食でクラスの男子達と夕食を取っていたときのこと。蒼士に腫れ上がった頬について聞かれた。確かに有宇の頬は指摘された通り少し腫れており、赤くなっていた。

 何故こうなったかといえば今日の夕方、神北を正気に取り戻させる作戦をしていたとき、作戦通り現れた鈴さんに、顔面に思いっきりドロップキックを食らわされたのであった。作戦通りといえば作戦通りであったが、まさか顔面を思いっきり蹴られるとはな……。

 僕的には、神北に詰め寄る様を見て、鈴さんが止めに入るぐらいの軽い感じのを予想していたんだがなぁ。くそっ、こんなことならもっと別の策にしておくんだった。

 取り敢えず本当の事を説明するわけにもいかないし、誤魔化しておくか。

 

「ああこれ?演技に熱が入った鈴さんに蹴られたらこうなった」

 

 有宇は昼間の演技の練習という嘘を使って、演技の練習で怪我をしたことにした。

 

「あれ、お前優しい兄貴の役じゃなかったか?」

 

 ああそうか、確かに優しい兄の役だったのに、他のキャラに蹴飛ばされるような立場なのはおかしいか。

 

「正確には死んだ兄貴のふりをしてヒロインに近づき、ヒロインを殺そうと企てている殺人鬼の役だ。それで、鈴さんが殺人鬼を倒すヒーロの役だ」

 

「全然ちげぇじゃねぇか……」

 

 事前に聞いていた話と違い、蒼士が不服そうな顔を浮かべる。そんな蒼士と相対的に、一緒に食事を取っていたクラスメイトの四辻(よつつじ)(りく)の二人は有宇に羨ましそうな眼差しを向ける。

 

「けどいいよな、鈴さまに足蹴にしてもらえるとか。そんなのご褒美じゃん」

 

「ああ、ほんとな。やっぱイケメンはこういうとき得だよな」

 

「おい待て、別に僕が頼み込んでやってもらったわけじゃないぞ。それに足蹴にされたとかそういうレベルじゃないからなほんと。マジで痛いからなこれ。あとお前ら普通にキモいんだが」

 

 二人の反応を見て、有宇はドン引いていた。しかし二人は変わらず鈴の話を続けていた。

 足蹴にされたいとか、蹴飛ばされたいとか、変態だろ。それに様付けで呼んでるのが更にキモさを増してるんだが。

 そして、そんな二人の様子に疑問を持ち、有宇はこっそりと蒼士に耳打ちする。

 

「おい、なんだこれは……」

 

「ん、ああ、前にも言ったろ?鈴先輩、男子の人気高いって。一年にもこの二人みたいなファンがいるんだよ」

 

「みんな……こうなのか」

 

「ああ、外見以外にも、あのSっ気が人気の秘訣なんだとか」

 

 マジかよ。この学校の奴等、リトバス以外の連中も大概変なの多いよな。科学部や生物部も変な研究してるらしいし、お嬢様言葉の女もいるし、そして蹴飛ばされて喜ぶドM共ときたもんだ。ここほんとうに進学校だよな……?

 

 

 

 夕食後、男子寮へと戻る蒼士達と別れた有宇は、裏庭へ一人缶コーヒーを買いに行っていた。

 夜にコーヒーっていうのは眠れなくなりそうなイメージがある。だが個人的には飲んだところでそんなに眠れなくなるってこともなく、割とすんなりと眠れるし、特に気にしていない。

 

 それに日本人はカフェインへの耐性が強く、眠気覚ましとしての効果はあまり望めないんだとか。コーヒーにはリラックス効果もあるし、ラビットハウスにいたときは、よく夜に本読んだり勉強しながら飲んでたしな。飲まないと寧ろ落ち着かないというものだ。

 そして自販機の前でコーヒーを買っていたときだった。

 

「やぁ有宇くん、こんなところで奇遇だね」

 

 突然後ろから声をかけられる。振り返ってみると、そこにいたのは来ヶ谷であった。彼女は足音も立てずに後ろから有宇に近づき、不敵な笑みを浮かべながら悠々とそこに立っていた。

 

「なんのようだ。こんな夜遅くに」

 

「なに、君と同じだよ。コーヒーでも飲もうかと自販機に買いに来たら君がいたというだけさ。にしても、酷い顔だな」

 

「ほっとけ」

 

 来ヶ谷は有宇の腫れ上がった頬を見てクスクスと笑う。そんな来ヶ谷に内心腹立つものの、今日はもう疲れていて、一々こんなことで怒る気にはなれなかった。かといって、このままこいつのお喋りに付き合う気もないがな。

 

「ま、それじゃあな。僕はもう寮に戻るから」

 

 そう言って有宇は買ったばかりの缶コーヒーの蓋も開けずに、そのまま寮へと戻ろうとする。しかし、来ヶ谷の横を通り過ぎようとしたとき、来ヶ谷が一言こう言った。

 

「今日の君の作戦、見事だったよ」

 

 有宇は足を止める。そして来ヶ谷の話に耳を傾ける。

 

「最初の君と小毬くんのデート、あれは小毬くんを現実に引き戻すためだったわけだ。あの状態の小毬くんには何を言っても無駄であろうと考えた君は、まずは小毬くんを現実に引き戻さなくてはと考えた。違うかね?」

 

「まぁ、そんな感じだ」

 

 有宇は素っ気なくそう答えた。

 

「だから君は小毬くんの兄になるふりをした。あえて小毬くんの幻想の中に入り込み、小毬くんの望む兄を演じた。そして、そこから小毬くんの兄らしからぬ行動を積み重ねていくことで、現実と小毬くんの幻想との間に齟齬を生じさせ、無理やり彼女を現実へと引き戻させたんだ」

 

 そうだ、僕の今回での最初の作戦の狙い、それは神北を兄が生きているという幻想から引き剥がすことにあった。説得しようにも、あの時の神北では話にならないからな。

 だが引き剥がそうにも、僕はお前の兄ではないと言ったところで、そういった神北にとって都合の悪い展開は一切通じない。それは昨日の屋上での一件でわかっていたことだ。

 

 だから僕は最初は神北の理想の兄さんを演じてやった。敢えて神北の幻想の中に取り入って、そこから引き剥がしてやろうと考えたのだ。最初から神北を毛嫌う兄を演じる案もあったが、それだと最初から兄ではないと否定するのと大差ないし、意味がないのではと思った。だからまずはあいつの理想通りの優しい兄を演じたのだ。

 

 そしてそこから徐々に崩していった。直枝さん協力の元、カツアゲをするところを見せつけたり、店員に横暴な態度をとる姿を見せたり、また神北自身にも少し冷たくしていったり、そうしていくことであいつの中の優しい兄さん像と現実との間に矛盾を生じさせていったのだ。

 

 そしてあいつを見事、兄が生きているという幻想から目を覚まさせるまでは成功させた。最も、僕の本来の予想案では、店員に横暴な態度を取った辺りで正気に戻ってくれると思ってたので、内心ヒヤヒヤしていたのだが。

 そして来ヶ谷の話は次に移る。有宇も缶コーヒーの蓋を開け、話に聞き入る。

 

「そして、小毬くんを正気に戻した君が次にしたこと、それは今回の作戦の本題でもある、小毬くんに兄の死の悲しみを克服してもらうことだ。いくら正気に戻しても、また彼女が悲しみを抱えたままでは繰り返すだけだからな」

 

 そうだ、確かにデート作戦は神北を正気に戻させるところまでは成功した。だが結局、目を覚した神北が再び兄の死を知って現実逃避をしてしまえば、振り出しに戻ってしまう。

 言うなればデート作戦は、今回の作戦全体の前哨戦に過ぎない。本題はそこから先なんだ。

 目を覚まさせて話ができるようになったあいつを、再び現実逃避させないようにし、そして兄の死の悲しみを乗り越えさせてやること。それをして初めて神北は完全に正気に戻ったといえるのだ。

 

「それに当たって君が取った方法。それは君が作戦のときに話していた、兄の死に悲しむ小毬くんを変えるだけの何かを与えてやることだった。今ならそれが何かわかる。そしてそれは作戦実行前にも、理樹くんへの指示で既に君が口にしていた言葉だ。君の言う小毬くんを正気に取り戻させるための何か、それは()()ではないかね」

 

 来ヶ谷がそう言うと、有宇は「ククッ……」と笑いを漏らす。

 

「友情か、まぁ、そうなんだけど、そんなクサイ言葉を言うつもりじゃなかったんだけどな」

 

「と、いうと?」

 

「そうだな、僕が言う何かってのは、言うなれば人と人との繋がりといったところだろうか。僕は基本的に他人は信用しない質の人間だが、ときに人との関わりが変化をもたらすってのは嫌ってほど身に沁みて感じてきたからな……」

 

 有宇は微小を浮かべ、染み染みとした様子でそう答えた。

 

 他人など、自分を目立たせるための引き立て役。その程度にしか思わず、これまで他人を(ことごと)く蹴落とし、利用してきた。

 そんな僕が、ココアや、木組みの街の人々と関わり過ごしていく上で、他人へと無関心さ、過去にしてきた自分の行いを改めてきた。そして他人に対して損得勘定で図れない優しさってやつも、ほんの少しだけだが身についたかもしれない。

 

 あれだけ頑なに他人との深い関わりを拒絶し、自分こそが正しいと疑ったことのなかったこの僕が、少しは他人に歩み寄るようになった。自分の行いを省みるようになった。

 

 他人から言わせれば大した変化ではないのかもしれない。現に、未だにおじさんとは和解せずに色々とウジウジ悩んでいるのだから。でも以前の僕なら悩むまでもなくおじさんが悪くて僕が正しいと決めつけて終わっていただろうしな。それと比べれば変化はあったと思う。

 なんにせよ、ココア達との出会いは、僕に大きな変化をもたらしたと思う。

 

 根拠なんてこんな僕のくだらない経験則だけだ。それでも僕は、この人と人との繋がりってやつが、小次郎爺さんのかけてきた時間に匹敵するものだと信じて、今回の作戦を立案したのだ。

 

 すると、来ヶ谷もまた、有宇の話から何を感じ取ったかは知らないが、微笑ましそうに微小を浮かべる。

 

「なるほど、君自身が大切な誰かと過ごして変わっていったといったところか。素敵な仲間がいたようだな、少年」

 

 仲間……か。

 そうだな、離れたくないような温かな居場所。それを形作る彼女達のことを呼ぶとすれば、その言葉が一番相応しい。

 

「ああ、そうかもな」

 

 ぶっきらぼうに、けれどどこか満足気に、有宇はそう答えた。

 そして、それから来ヶ谷は今日の有宇の作戦の話に戻した。

 

「して、君の狙いは、小毬くん自身と我々リトルバスターズとの繋がりを改めて小毬くんに認識させることにあったわけだ。その繋がりこそが兄の死の悲しみをも乗り越えると信じて。そして、その為に、君は何も知らない鈴くんをけしかける事を思いついたのだな」

 

「ああ、そんな感じだ」

 

 そうだ、それこそが神北を救い出す鍵となる。そして、その最初の合図となるのが、あの鈴さんの登場にあった。

 

「何故鈴くんだけに内緒にするのか、最初はわからなかったよ。てっきり鈴くんは演技は苦手そうだから作戦から外した程度にしか考えていなかった。しかし、それもあったのかもしれないが、君の狙いはそれだけではなかった。君と理樹くんの茶番を見て、君が小毬くんとデートした目的を理解してから全てが繋がったよ。何も知らない鈴くんがあの場面を見たら、鈴くんは小毬くんが君にいじめられているとしか思わないだろうからな」

 

 そう、あの場に来ヶ谷達に鈴さんを連れて来させ、そして鈴さんに作戦について一切伝えなかったのはそのためだ。

 理由の一つとして、最初に来ヶ谷の言った通り、鈴さんは演技が苦手そうだということだ。一週間近く過ごしてわかったことだが、あの人は純粋すぎる。自分を包み隠さず、思うがままに行動するタイプだ。

 

 なので芝居を打ったり、そういうのは苦手そうだと思ったのだ。勿論、大事な神北のためとなれば鈴さんも頑張るだろうが、それが余計に空回りさせそうで心配だった。

 不安要素はできるだけ消したかったし、だから何も伝えなかった。だが、それでも鈴さんの協力は必要だった。それで……。

 

「だってああすれば、正義感の強い鈴さんはきっと飛び出して僕を止めに入るはずだからな。神北は、助けに入ったそんな鈴さんの姿を見て、兄から気持ちが離れるだろう。そうして、こちらの言葉を聞き入れる隙を作ったところで、お前を含む他の連中を神北に差し向けて励まさせた。するとどうだ、神北はリトルバスターズとの間に友情を改めて再確認するに違いない。そしてそれが、神北が一人ではないこと、兄がいなくても仲間がいることを気付かせてくれるはずだからな。その思いこそが神北自身の後押しとなって、兄の死の悲しみを乗り越えさせてくれるはずと僕は考えたんだ」

 

 そうだ、それがあの場に何も知らない鈴さんを連れてきたもう一つの理由。それは僕の真の狙いである、神北に人と人との繋がり、即ちリトルバスターズとの絆を再確認させること。そのためには神北のことをメンバーの中で一番大切に思っている鈴さんの力が必要があった。

 

 人との絆を再認識させられるときとは、自分は一人ではないと認識させてくれるときとは何か、僕は考えた。考えた結果、自分が本当に辛いときに、手を差し伸べてもらえるときだと思ったのだ。

 

 僕がココア達に心許すようになったのも、まさしくココアが手を差し伸べてくれたあのときからだった。直枝さんだって、両親を失って辛かったときに恭介に手を差し伸べられたからこそ、両親を失った悲しみから立ち直れたのだ。

 あのときの僕や幼い頃の直枝さんのように、神北もとても辛いときに手を差し伸べてもらえたら、何か変わるのではないかと思ったのだ。

 自分のことを支え、寄り添ってくれる友人の存在を再確認して、兄がいなくとも自分は一人じゃないと認識を改めてくれるのではないかと考えた。

 

 じゃあ、そんな状況を作り出すにはどうすればいいか。簡単だ、まずはひたすら神北を追い詰めてやればいい。

 あの人のことだ、人の悪意ってやつに触れたことないだろうしな。ただひたすらに敵意を向けられ、怒鳴られ、詰め寄られたらあの人は何もできずに、ただただ心をすり減らし、相当追い詰められることだろう。自分じゃどうにもできないから、誰かに助けを求めるはずなんだ。

 

 あのときの神北にとって、助けに来てくれる存在は兄しかいなかった。兄しか意識していなかった。けれど今はその兄はいない。けど、もしこの状況で兄ではない誰かが助けに来てくれたら、神北は兄以外のことにも意識を向けてくれるようになるはずだ。

 

 それで次に必要なのは手を差し伸べてくれる人間、つまりは鈴さんだ。助けに来たそのヒーローが自分の知る友人であるならば、神北も友情に心打たれることだろう。

 では何故鈴さんなのか。それはこの配役が誰でもいいというわけではないからだ。

 ここで現れるヒーロー役はただ純粋に神北に味方し、容赦なく敵となる者を蹴散らしてくれる。そんな純粋にただ神北のために颯爽と現れるヒーローである必要がある。

 

 鈴さんじゃなくて直枝さんでも、もしかしたらよかったのかもしれない。けどこの作戦は一度きりしかない。直枝さんだと僕に躊躇してしっかり神北の味方になりきれない可能性、はたまた遠慮が出るあまり、演技臭さが強く出る可能性があった。

 あの人は優しいからな。僕を強く否定し、容赦なく蹴散らし敵対する存在にはなれないと思ったのだ。この場に相応しいのはただひたすら神北の味方になってやれる人間なのだから。

 

 だからこそ、この役に相応しいのは、神北とただ行動を供にしてきただけの僕でも、誰にでも優しい直枝さんでもなく、嘘のつけない純粋な、そしてただひたすらに神北の味方になってやれる鈴さんこそが相応しいと考えた。

 

 ただ肝心の鈴さんは演技が苦手そうだし、色々と事前にすることを決めたり、作戦を立てて実行するとなると不安が付き纏う。それに、それでは鈴さんの純粋に神北を味方しようとする行動に支障が出る。だからここは敢えて鈴さんを信用して何も伝えずに、鈴さんが自然と神北の助けに入る行動に出るように色々とお膳立てをしたということだ。

 

 つまり、後半の作戦を要約すれば、まずは神北を追い詰める敵を作り出す。そしてその敵によって神北を追い詰めて、苦しみのどん底に叩き落とし、誰かに手を差し伸べてもらえる状況を作る。そして自分を思い遣ってくれる仲間、つまり鈴さんが助けに現れて、敵を蹴散らす。

 こうした明確な敵を作り出し、それを仲間達が排除するシチュエーションを作り出すことによって、仲間達との絆をより際立たせることができると僕は考えたのだ。

 

「なるほどな、では理樹くんに描かせたあの絵本は?」

 

「あれは説得の材料さ。仲間への思いやりが強い直枝さんなら、神北が悲しいと言ったあの本を上手く描きあげてくれると思ったんだ。そこに直枝さんの神北へのメッセージを込めて伝えてやれば、神北も心動かされるんじゃないかって思ったんだ。それに絵本にして聴覚だけじゃなく視覚でも訴えてやれば、より神北にこちらの思いが伝わるんじゃないかってな。そして、そういう気持ちを上手く言葉にして伝える役は鈴さんより直枝さんの方が適任だと思ったんだ」

 

 もしかしたら絵本なんて必要なかったのかもしれない。でもやるならやはり万全を期して望みたかったからな。だから直枝さんには絵本を描かせた。

 例え口で上手く言葉にできずとも、文字と絵でなら自然と神北に自分の思いを伝えることができるはずだしな。つまりあれは説得の材料であり、万が一直枝さんが言葉に詰まったときの保険だった。

 しかし、今日の直枝さんの様子を見た限りでは、もしかしたら絵本なんてなくても、直枝さんなら神北にうまく伝えられたことだろう。

 

「ま、以上が僕の神北救出大作戦の全貌というわけだ」

 

 そう言って、有宇が自信満々な様子で最後にそう閉める。すると来ヶ谷はクスクスと笑い出す。

 

「ふふっ、にしても、改めて聞いても君の作戦は不確定要素に頼るところが多いな」

 

 笑う来ヶ谷を見て、有宇はムッとする。

 

「だって元から正攻法なんてないだろ?なら賭けに出るしかないだろ。そりゃ穴だらけといえば穴だらけかもしれんが……」

 

「ああ、そうだな。結果的に君の作戦は成功した。小毬くんが兄の死を乗り越えることができたのも、君の尽力のおかげだよ。有宇くん」

 

 そう言って来ヶ谷は微笑みかける。なんかそう素直に褒められると、どう反応していいのやら……。

 まぁいい、話すべきことは話した。有宇は手に持った缶コーヒーを一気に飲み干す。

 

「で、満足か。もうお前が聞きたいであろうことは全部話したし、答え合わせはもういいだろ?」

 

 こいつはおそらく、初めから今回の作戦における僕の意図を知りたかった、はたまた確認したかっただけなのだろう。そのために大方、僕を学食辺りで待ち伏せて、二人きりになれるところを見計らっていたといったところか。

 なら、もう話すべきことは全部話した。さっさと部屋に戻ろう。有宇が来ヶ谷に背を向けたその時、来ヶ谷がその背中に声をかける。

 

「いや、答え合わせならまだあるぞ、少年」

 

 そう声をかけられて、有宇は面倒くさそうな表情を浮かべて振り返る。

 

「なんだよ、これ以上何を話せば……」

 

「何故君は鈴くんだけではなく、我々にもその作戦の意図を隠したかについてだよ」

 

 そう言うと、来ヶ谷は真っ直ぐと真剣な眼差しで有宇を見つめる。どうやら、来ヶ谷が真に聞きたいことはこれのようだな。

 そして有宇は言い訳でもするかのように、来ヶ谷から視線を反らしながら話す。

 

「それは……あれだ、下手にあれこれ決めておくと、演技臭さが出るだろ?それに事前に決めたセリフを話そうとして言葉を詰ませたりするかもしれないし、自然な方が神北に気持ちが伝わると思って……」

 

「それもあるだろう。けどそれだけじゃない。答えるつもりが無いなら私が当ててみせようか。君は……()()()()()()()()()()()()()()()()()、我々に作戦の概要を話さずに隠したんだ」

 

 有宇は図星を付かれたのか、苦い表情を浮かべる。

 やはり……バレていたか。

 言ってしまえば、さっきまで話したことは、作戦が終わった今であれば、来ヶ谷でなくても誰でも気付けることだ。三枝や筋肉とかはともかく、直枝さん辺りもおそらく気付いてることだろう。

 だから、端から来ヶ谷が聞きたかったのは、僕の本心からしか聞き出せない、作戦にかける僕の意図や考えだったのだろう。

 そして来ヶ谷は続ける。

 

「この作戦の後半、大事なのは小毬くんを助けに来るヒーロー役である鈴くん。そしてその後、小毬くんを優しく説得する役である理樹くん。そしてもう一人が、小毬くんの前に立ちはだかる悪役、つまり君だ。君は……自ら悪役を買って出たんだ」

 

 この作戦で重要なもう一つの役柄、それは神北を追い詰める悪役だ。では、これは誰がふさわしいか。

 この役に相応しいのは、あの心優しい純粋な神北に非情に接することのできる人間だ。躊躇してるような奴では演技であることもバレるし、鈴さんが助けに入るときのインパクトに欠けてしまう。

 そして、それができるのは……僕だけだ。

 

「……別に僕のことなど誰も気にしないとは思ったけどな。けど、直枝さんなんかはあの人、お人好しだからな。僕みたいなのが、たかだか演技でも悪役を買って出ることに何か言ってくるんじゃないかと思ってな。けど、作戦はこれしか考えてなかったし、反対されると面倒だった。だから言わなかったし、別に言う必要だってなかったはずだ。どの道、こうでもしなければ神北は救えなかっただろうしな」

 

 この作戦には悪役が必要だ。所詮は演技ではあるが、嫌な役であることは確かだ。そんな役割りを必要とするこの作戦に、心優しい誰かは反対するかもしれない。それこそ、直枝さんとかな。

 けれど、僕にはこの作戦以外に神北を完全に正気に戻せる作戦は思いつかなかった。いや、考えれば他にもあったのかもしれない。けどこれが一番成功する可能性が高いと踏んだ。だから反対されたくなかった。

 

 どの道、作戦を反対されたところで、他に案がなければやるしかないだろう。けど、そうなると作戦に対する皆の意識の低下が表れる可能性がある。

 不安要素は少しでも取り除きたい。だから僕は、皆にやって欲しいことだけを伝えて、作戦の意図や詳しい概要を説明しなかった。

 そして有宇は更にこう続けた。

 

「それに、こういうのは僕が適任だと思ったんだ。神北に対して非情になることもでき、かつ兄の演技の後そのまますぐに悪役に入れるし、この役の適任は僕しかいないんだ。他の奴等じゃ、ああはいかなかっただろ?」

 

「確かにそうだな。君しか適任はいなかったのかもしれない。でもな有宇くん、確かに私達は小毬くんをなんとしても助けたかった。けれど、君を傷つけてでも助けようとまでは思っていないよ」

 

「傷つく?僕が?何言ってんだ。この作戦は僕自身が提案したものなんだぞ。わざわざ僕が僕自身を傷つけるわけないだろ。あんな悪役演じる程度で傷つくほど僕は(やわ)じゃ……」

 

「今回の作戦で悪役を買う者は、鈴くんからも嫌われるだろうし、それに小毬くんとの関係も悪くなるかもしれない。それに、演技とはいえ仲間に冷徹な態度を取ることに、少なからずの心を痛めることになる」

 

 確かにその通りだ。少なくともこの役をやる者は、鈴さんに敵意を持たれることになるからな。

 神北だって、いくら自分を救うためとはいえ、あんな風に詰め寄られた相手に良い印象は持たなくなるかもしれない。あれだけ怒鳴りつけて、乱暴に接したんだ。後で演技だとわかってても複雑なことだろう。けど……。

 

「そんなもの、後でどうにでもなる。全部演技だったとちゃんと説明すればいい話だし、それでも関係が悪くなったとしても、時間なんていくらでもある。挽回なんかいつでもできるだろうし、神北があのままでいるのと比べれば、全然マシだろ。それに、僕はそんなことで心を痛めたりはしない」

 

 何もこれで終わりではない。リトルバスターズである限り、僕達の関係は続いていく。だからこそ気不味いのかもしれないが、逆に考えれば、今でなくとも名誉回復のチャンスはいくらでもあるということだ。

 対して神北を完全に正気に戻すチャンスは、兄の記憶のある今しかない。今を逃せば、次はいつになるかわからないしな。なら、少し嫌われることぐらい、どうってことない。

 

 それに、二人に嫌われた程度で僕は心を痛めたりはしない。今までどれぐらいの人間に嫌われて生きてきたと思ってる。信頼してる家族に捨てられたり、同級生に陥れられたり、それ以外にも色々ある。あれらと比べたらこれぐらいどうってことない。

 すると、来ヶ谷は何処か悲しそうな顔を浮かべ、有宇にこう尋ねる。

 

「本当にそうかね?君は確かに痛みに慣れているのかもしれない。けれど、なんの痛みも感じていないわけではないだろ」

 

 そう言われると、有宇は動揺したのか、少し心臓がドキリと高鳴る。

 

「今回の一番の功労者であるにも関わらず、その君が一番報われていないわけだしな。それに、ここ最近、君は小毬くんと行動を共にしていたな。彼女に恋愛感情がなくとも、一緒に過ごしていくうちに、それなりに信頼関係を築いてきたはずだ。そこにひびが入ることに、何も思わないわけではないだろ」

 

「それは……」

 

 確かに何も感じないわけではない……かもしれない。

 別に神北に恋愛感情があるわけではない。けれど、ここ最近、あいつとはずっと一緒にいたからな。変わった奴だけど、悪い奴じゃないし嫌いじゃなかった。仲良く……ってわけではないかもしれないが、それなりに良い関係を築いていたと思う。

 そんな彼女との関係が壊れるかもしれないと思うと、確かにそうだな……少し、寂しくなるな。

 有宇が少し顔を俯けると、来ヶ谷はこう語り始めた。

 

「私は最初、君のことを身勝手な自意識の塊のような男だと思った。けれど、君とこうして仲間として過ごしてきてわかる。君はなんだかんだ優しい男だ。葉留佳くんや、小毬くんを佳奈多くんから助けたときもそうだった。関わる必要もないのに誰かに手を差し伸べてしまう。それこそ、自分を犠牲にしてでも、他人に手を差し伸ばしてしまう程に」

 

 来ヶ谷のその言葉に、有宇は複雑な感情になる。

 優しいと言われたのは何もこれが初めてではない。ココアやその周りの連中にも言われたことがある。けれど、それというのも、少しあいつらの助けになってやったりとかしたときに言われたとか、その程度のものだ。

 

 人間、誰しもそういうちょっとした気まぐれのような優しさはあるものだ。そこだけを切り取って優しいとか言われても、素直に喜べない。

 そんな複雑な思いが心の底から競り上がって来ると、有宇はぶっきらぼうにいつもの調子でこう答える。

 

「……勘違いするな。別に僕は優しさや慈悲を持って他人に施しを与えているわけではない。僕の行動原理は常にそれが自分の利となるかどうかだ。神北があのままじゃ僕自身の生活に影響を与えかねなかったに過ぎない。それだけだ」

 

 別に優しさとかそんなんじゃない。そうだ、僕は常に損得勘定で動く男だ。

 こうして作戦を立てて行動した理由の一つは、恭介たちに、お前がやれと言わんばかりに頼まれたからだ。あの場じゃ断りにくいし、断れば今後の関係に差し障ると思ったからだ。

 

 まぁそれについては、本当に嫌なら「そんなの脅迫だ!」とか、「僕に押し付けるな!」とか「僕には無理だ!」と粘り強く反論すればよかったのかもしれない。

 実際簡単にどうこうできる問題じゃないし、それはあの場にいた皆だってわかっているだろうしな。断ったところでリトバスの連中も僕を非難したりはしなかったのかもしれない。だから、実際断ったところで大して問題は起きなかったかもしれない。

 

 でもそれだけじゃない。神北を正気に戻すことに成功すれば、こいつらからの信頼を得て、この先こいつらに話すバス事故の話を信じてもらうという目標に近づけると思ったからだ。

 神北を救いたいという気持ちがなかったわけではないけど、これは優しさとかそんなのではないのだ。だから───僕にそんな期待するな。

 すると、それを聞いた来ヶ谷は優しく微笑むと、有宇の頬に手を伸ばした。

 

「お、おい……」

 

「君が本当に私が初見で思った通りの男であるならば、ここで否定したりはしないよ。君は少し意固地になっているだけなんだ。君は自分で自分をそういう人間なんだと決めつけているに過ぎない。だって、君は小毬くんに嫌われることに痛みを感じると言ったばかりじゃないか。君は自分のしたことの重みをちゃんとわかっている。そしてわかった上で誰かを救うためにその手段を選んだ君が、ただの利己的な人間だとは思えないよ」

 

 僕が決めつけてる?違う、自分のことだから自分が一番理解しているだけだ。自分がそういう人間じゃないということを。

 否定しようと思えばいくらでも否定できた。けれど、今はその優しいという言葉を否定しようとは思わなかった。

 

 自分の思うような期待とは違うとはいえ、わざわざこの僕に期待してくれているというんだ。その事自体は決して悪い気はしないしな。

 それに、今まで見せたことのないような表情でこう言われるとな……流石にわざわざ否定する気も失せるというものだ。

 すると来ヶ谷は有宇の頬から手を離す。それから依然、有宇の顔を見つめてこう言う。

 

「だがな有宇くん、これだけは覚えておいてくれ。君にだけ辛い役目を負わせてしまうことに、負い目を感じる者もいる。少なくとも私は、君のおかげで取り戻した空間なのに、一番の功労者である君がいないことに心寂しさを感じたよ」

 

 そう言うと、来ヶ谷は本当に寂しそうな儚げな表情を作り、顔を一瞬俯ける。そしてすぐに顔を上げ、有宇を見据えるとこう続けた。

 

「最初、恭介氏が君に協力は惜しまないと言ったね。でもそれはね、何も君の作戦に協力することだけを指して言ったのではないよ。君が小毬くんを背負う過程で負う痛みもまた我々も共に背負うという意味もあるんだ。だから、今度は我々にも相談して欲しい。そして、君の痛みを分かち合わせて欲しい。それを断る人間は、このリトルバスターズにはいないはずだよ」

 

 おそらく、これが来ヶ谷の一番言いたいことなのだろう。一人で全て背負わないで欲しかった。やるにしても一言欲しかった。仲間なのだから相談して欲しかった。そういうことなんだろう。

 僕は不安要素はできるだけ取り除きたかったからこそ、この作戦におけるデメリットともいえる部分を隠すために皆には作戦の概要を説明せずに黙っていた。今でもそれが間違いだったとは思わない。あれが確実なんだ。

 

 でも、神北を救う事ばかりを考えていて、他の奴等の気持ちなんてものまでは考えてはいなかった。人の気持ちを理解していたつもりでも理解しきれていなかったのかもしれない。

 作戦に誰か反対するだろうというその場での人の心理は読めていても、読んだ上でそれを無視する行動に出たら、皆がどう思うかという皆の感情の動きまでは読み切れていなかったのだ。その辺のところで、やはり僕は他人の気持ちを理解しきれていないということだ。今後の課題だな。

 そして来ヶ谷は「話は終わりだ。また明日な、有宇くん」と言うと、早々にその場を去っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 来ヶ谷が立ち去った後、有宇も寮に帰ろうと男子寮に足を向ける。すると、すぐ近くの木の後ろに隠れているそいつと目があった。

 

「あっ……えっと……」

 

「何やってるんだあんたは……」

 

 木の後ろにいたのは、他でもない神北であった。目が合うと慌てた様子を見せたが、すぐに落ち着きを見せる。しかし、そこからしばらく沈黙が流れる。

 気不味いな……この人にあんなことした後だし……とりあえずなんか話すか。

 

「あ……えっと、今の話聞いてたのか」

 

「えっと……うん、聞いちゃった。でも知ってたよ。有宇くんが私のために頑張ってくれたこと。あの後、理樹くんやみんなが有宇くんのおかげだって教えてくれたの。鈴ちゃんは納得してないみたいだけど……」

 

「そ、そうか……」

 

 まぁ、鈴さんは何も知らなかったわけだしな。さっきまで神北に酷いことしてたのが、実は演技でしたなんていきなり言われたところですぐには信じないだろう。

 

「でも、言わなくたってわかるよ。確かにあのときの有宇くん、ちょっと怖かったけどね。でも、口は悪いけど有宇くんが優しいの知ってるから。だからきっと、私のために頑張ってくれてたんだろうなって。だからお礼が言いたかったの。ありがとね、有宇くん」

 

 そう言うと、神北は少し微笑んで、有宇の顔を見つめる。

 優しい……か。またそれか。まぁ、神北なりの感謝だろう。誤解されていなかったというのなら、それでいい。

 すると神北は突然有宇の左手を手に取り、そして自らの両手で優しく包んだ。それから目を閉じてこう呟く。

 

「……あなたの目がもう少し、もうちょっとだけ見えるようになりますように」

 

 その言葉はどこかで……ああ、確か。

 

「それって、湖で言ってたやつだよな」

 

 湖で神北が言ってやつだ。あのときは突然言われて驚いたが、今のはちゃんと意味があるんだろうか。

 

「有宇くんもお兄ちゃん、見つかればいいなって」

 

「え?」

 

「有宇くんの夢のお兄ちゃん。もしかしたら有宇くんも、私みたいに悲しいことがあったのかもしれない。でも、今度は私が力になるから。だから、有宇くんも見えるようになったらいいね」

 

 そう言うと、神北はまた優しく微笑んで見せた。

 

「……ああ、そうだな」

 

 そうだな、そうだと……いいかな。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ───ようやくテレパシー能力者を見つけた

 

 頭の中に突然声が響く。視界は朧げだが、髪の長い男の後ろ姿が見える。

 誰だこの男……見たことないけど。

 

 ───お前は俺達にとって唯一の希望だ

 

 だから誰だよ。ていうかここはどこだ。何かの施設?なんでこんなところに?

 するといきなり場面が変わる。何かの警報アラートが鳴り響き嫌な感じだ。目の前には血まみれの老人がいる。

 

 ───立ちすくんでいる場合か。妹さんを助けたいんだろう。

 

 妹……歩未?歩未がどうしたんだよ。

 

 ───お前の真の能力……を使えば……。

 

 真の能力?なんだよそれ、聞こえねぇよ……なぁ。

 

 また場面が変わる。警報に続いて、エリア閉鎖だとかのアナウンスが流れる。そして知らない誰かの悲痛な悲鳴が頭に響く。

 

 ───何が起きてるんだよッ!?

 

 ───出して!!出してよ!!

 

 ───うわぁぁぁぁぁ!!

 

 なんだよ……何なんだよこれ!?

 すると次の瞬間、施設の中が赤い警戒色の光に染められる。同時に銃声のような音も施設内に響き渡る。何が起きてる。これは何なんだ。

 

 場面が変わる。今度はさっきまでの場所とは違い、何やら異質な空間だ。薄暗く、何かの実験装置が置いてあり不気味なところだ。

 だが、そんな部屋の中央に……あの人がいた。

 

 ───ご無沙汰だな、有宇

 

 兄さんなのか。貴方は……僕の兄さんなのか。

 

 ───未来のために、みんなのために、俺は……。

 

 未来?みんな?なんだよそれ。答えてくれよ、なぁ!?

 

 ───世界を変えるッ!!

 

 あの人がそう叫んだ次の瞬間、後ろのドアが開き、銃を手に持った武装した男達が部屋に雪崩込む。そして男達は一斉にあの人に銃を向けた。

 おい……嘘だろ……やめろ……。

 

 ───処分ッ!!

 

 やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 目を覚した瞬間、有宇は叫び声を上げながら、寮のベットから飛び起きた。

 何だ今のは……夢?

 取り敢えず息を落ち着けようと呼吸を整える。それから自分の両手を見る。すごい手汗だ。いや、手だけじゃない、全身から汗が噴き出している。

 そしてようやく息を落ち着ける。そして右手で頭を抱え、今見た夢を思い出す。

 

 今のは……一体何なんだ。




これにて神北小毬ルートお終いになります。しかしリトバス編はまだまだ全然続くのでよろしくお願いします。

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