狼のモルモット   作:コアラの餌

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第1話

無人のエレベーターに乗り込むと、神田コウは胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。

 

幼少の頃から今まで、泥と血に塗れながら死に物狂いで生き延びてきた。

それが一夜にして安全で温かい場所で寝り、まともな食事を口にする生活に変わった。

フェンリルの募集張り紙に応募したときには予想もしていなかったほどの激変ぶりに、体調を崩すほどの驚きを味わった。未だにこれが夢ではないかという疑いをぬぐい切れない。

だが、神機の適合試験で味わったあの激痛が鮮明に思い出せる辺り、これは夢ではないのだろう。

 

フェンリルに勤める人間には、フェンリルから衣食住が提供される。

荒神から狙われる危険性を下げる特殊な素材の防壁に囲まれ、生きていく分には問題ない程度の食料が支給され、雨風の凌げる部屋で時には嗜好品を楽しむことが保証された生活を送れるのだ。

また、家族にフェンリルの関係者がいれば、少しだけ水準は下がるが防壁の中での生活が許される。

 

では、それらに該当しない大多数の人々は、荒神が蔓延る地上でどのように生活しているのか。

答えはとても単純である。

荒神から必死に逃げ回り、草木を食べ、泥水をすする生活を送るのだ。

納得できなければフェンリルの採用試験に合格するか、死ぬしかない。

神田もつい先日まではこのような生活を送っていた。

募集倍率が云百云千であることを考えると、神田が神機に適合しうる人材として合格したのは奇跡と呼んで差し支えないだろう。

 

崩れかけた廃墟やクレーターのくぼみに慣れ親しんだ体は、人工の光や綺麗な構造物に囲まれているだけで緊張してしまう。

荒神の脅威から最も遠い場所に来たというのに落ち着けないというのが正直な感想だった。

支給された特注の戦闘服も未だ肌に馴染まない。穴だらけの泥だらけな布が今となっては恋しいほどだ。

 

現状に対する贅沢な愚痴を思い浮かべていると、小さな鐘の音と共にエレベーターの扉が開いた。

 

「…あら、久しぶりですね」

 

声をかけてきたのは、採用試験の際に神田とペアを組んだ銀髪の少女だった。

試験に参加していた者の多くはお世辞にも清潔感があるとは言い難い出で立ちであったのに対し、この少女だけは白い服装で着飾っていたために強く印象に残っている。

 

試験内容はダミー荒神との戦闘で、一方が指示を出し、もう一方はそれをもとに木刀で攻撃を加えるというものだった。

荒神への立ち回りと急場での連携を評価するためのこの試験で、神田と少女のペアは他のペアと比較しても抜きん出て良い連携を見せ、無事に二人とも採用と相成った訳だ。

 

だが、この合格は少女のオペレートが的確だったために掴みとれたものであり、神田の力など殆ど必要なかった。

少女は荒神の僅かな予備動作から瞬時に動きを予測し、最小限の言葉で必要な指示を出し続けてのけたのだ。

おかげで神田はダミー荒神から一切の攻撃を受け付けることなく一方的に攻撃を加えるという、劇のワンシーンの如き鮮やかな活躍を披露するに至った。

 

「あのときはありがとう。お陰で受かることができたよ。えっと…」

 

少女の名前を言おうとしたが、言葉が詰まってしまう。

思い返せば、試験では番号で呼ばれていたため、互いの名前を確認する機会などなかった。

神田の意図を察した少女は呆れたように小さなため息を溢す。

 

「リーネ・ウォルソンです。あなたは?」

「あ、神田コウっていいます。よろしく」

 

リーネの目付きが険しいものに変わる。

 

「神田、あなたが…」

 

突然に睨みつけられ、神田も戸惑いを隠せない。

何か失礼を犯したかと考えるも、出会って数秒で相手を苛立たせるようなことをしでかした覚えはない。

何が気に障ったのかわからないが、兎も角機嫌を直せそうな言葉はないか。と悩んでいるうちにエレベーターが止まり、リーネは早足に下りてしまう。

 

「精々足手まといにはならないように」

 

僅かに投げかけられた敵意ある視線と棘のある言葉を残して、リーネは扉の向こうへと姿を消した。

 

「…足手まとい?」

 

この言葉が何を意図して残されたものなのか、神田には見当もつかなかった。

 

 

 

 

 

リーネと別れた後、神田は研究室へと足を運ぶ。

 

自動ドアの奥では白衣と作業着をそれぞれ身に着けた男が二人、難しそうな顔で一つのモニターを眺めていた。

 

「…あのー」

 

所在なさげに上げた声で、二人はようやく神田の存在に気が付く。

 

「お、来たね」

 

白衣の男がモニターから紙を引きはがし、狐のように細い目をわずかに見開く。

 

「えーと。新型の神田コウ君、で間違いないかな?」

「そうです。あの、受付にいた赤毛の人にこちらに行くようにと言われて」

 

神田の説明に白衣の男は笑顔を浮かべる。

 

「ああ、ヒバリ君のことかな。彼女には君に色々と世話を焼いてもらうことになる。仲良く頼むよ」

「はぁ…」

「サカキ博士、世間話もほどほどに。神田もこいつの話に付き合わなくていいぞ」

「おっと、失礼。いつも一人で狭いところに籠っていると、どうにも人恋しくてね」

 

サカキの飄々とした態度に作業着の男は小さくため息を吐く。

 

「まあいい、本題に入るぞ。俺は本堂宗二朗、君の直属の上司兼専属の神機整備士だ。今日からよろしくな」

「あ、こちらこそよろしくです」

 

がたいが大きく威圧感のある風貌に神田は思わずたじろいでしまう。

対する本堂は、そのような反応を見せても不快感を表に出さない。

 

「まあそう畏まるな。別に上司といってもお前をどうこうできるような立場じゃない。そうだな、年上の飲み仲間、程度の認識で構わん」

 

それどころか、ニヤリとはにかみながら神田の髪をワシャワシャと掻き撫でてきた。

初対面の相手に何度も怖がられる中で編み出した、本堂流の挨拶だ。

その甲斐あって、神田の警戒心も大分ほぐれる。

 

「んで、あっちがサカキ博士。荒神研究の偉い人で、ゴッドイーター達のお医者さんにもなったりする」

 

本堂に親指で指し示され、サカキはキーボードを打つ手を止めないままに片手を神田に振って見せた。

 

「うし、俺たちの紹介はこんなところだな。次はお前の仕事についてだ」

 

まあ座れ、と部屋の隅に置かれたソファを勧められ、おずおずと腰かける。

腰かけた瞬間に体が沈む感覚は、地べたを這いずり回って来た神田には慣れないものだった。

 

「そうだな、先ずはお前さんの所属先についてだ。緊急極東対策本部の危険度調査課って言ってな。要するに極東にいる荒神が俺たちにとってどれくらい危険か、ってのをランク付けするのが俺たちの仕事だ。勿論、どれくらい危険なのかを決めるにはその荒神と戦わなくちゃならない。お前さんがやるのはこの荒神との戦闘にあたる部分だ。ここまでは大丈夫か?」

「はい、適合試験に合格した人間は、ゴッドイーターとして荒神を倒すんですよね」

「その通りだ。ただ、荒神との戦闘はゴッドイーターだけでやるものでもない。そんなことしたら大多数のゴッドイーターは荒神の不意打ち食らうか、包囲されて死んじまう。それを防ぐのがオペレーターだ。オペレーターは周囲の荒神や交戦中の荒神の状況を逐一報告してくれる」

「荒神との戦闘はゴッドイーターとオペレーターで行うってことですか?」

「他にも偵察班やら整備士やら関わっている連中は大勢いるが、まあ大体そんなところだな。んで、こっからが面倒くさい話なんだが…」

 

本堂の顔が苦虫を噛んだようなものに変わる。

 

「俺たちの所属する危険度調査課の存在は、お前の新型の件も含めて今のところ秘密ってことになってるんだ」

「どういうことですか?」

 

神田の質問は当然出てくるべきものだろう。

自分の職場が外様に知られてはならないものだと言われれば、誰しも不審に思うはずだ。

 

しかし、神田の質問は首を振って返される。

 

「詳しい話は知らない方がいい。この手の話題は首を突っ込んだ奴ほど早く消される」

 

神田は背筋が寒くなるのを感じた。

自分の仕事は秘密にすべきものであり、探れば消される?

消される、というのはとどのつまり、殺されるということだろう。

自分は知らず知らずのうちに命がけの綱渡りをさせられていたのか。

 

本堂が申し訳なさ気に眉尻を下げる。

 

「変なことに巻き込んじまってすまんな。兎に角、極東支部支部長とサカキ博士を除いて、俺たち以外の人間には知られるわけにはいかない。ただ、そうなると極東支部に所属しているオペレーターをお前に付けることができないわけだ。新型が知れ渡っちまうからな。オペレーターなしで荒神との交戦なんぞ命が何個あっても足りない。そこでお前と同様、もう一人の新人がオペレーターとして危険度調査課に入れようってことになってる。リーネというヤツで、お前専属のオペレーターにあたるな」

 

リーネの名前と共に先ほど彼女が残した去り際の言葉が呼び起こされる。

”足手まといになるな”とはこのことを指していたのだろう。

 

「お前はもう会ったか?」

「はい、採用試験の時に一緒でしたし、さっきエレベーターで話しました」

「どうだ、上手くやれそうか?」

 

神田の頬が無意識に引き攣る。

 

「いや…どうでしょうか。なんか睨まれましたし…」

「あー、あいつも元はゴッドイーター志望だったらしいからな。神機が見つからなくて夢叶わずってところに新型のお前と組めとお達しが来たわけだ。気の毒なもんだよ」

 

どれほどゴッドイーターに憧れようとも、適合できる神機が見つからなければゴッドイーターになることはできない。

その反対に、例えゴッドイーターに無関心であっても、適合者であれば狩りだされて神機を持たされる。

夢志しても諦めなければならない事実を突きつけられたところで、目の前に自分の夢を難なくつかみ取る者が現れた。

腹を立てて当然だろう。

 

「まあお前さんが気にするようなことじゃない、放っておけ」

「でも、彼女とペアを組むんですよね?」

「あれは私情を仕事に持ち込むようなタイプじゃない。やることさえやってくれればいいんだ。もしお前がそれだと仕事に集中できないって言うんなら、それは自分で解決しろ。いいな?」

「…わかりました」

 

とは言ったものの、あの険悪なムードを漂わされながら仕事に集中できるほど神田は図太くなかった。

荒神との戦闘、秘密の仕事、人間関係。心配事は少しずつ増えていき、入社初日で胃がキリキリと痛み始める。

そんなことは露知らず、本堂はやりきったとばかりに大きく背伸びをする。

 

「大体はこんなところだな。それじゃあ初仕事としてメディカルチェックをやってもらうか。サカキ博士、あとは頼んだ」

 

片手を上げて挨拶を済ますと、本堂は軽やかな足取りで研究室を出て行ってしまった。

その隙一つない立ち去りを呆然と見送る神田に、サカキは同情の視線を向ける。

 

「気を悪くしないでやってくれ、彼はあまり堅苦しい話は得意じゃないんだよ。あれでも君やリーネ君のことを考えて言葉や内容を選んで話しているんだ」

「はい、理解しています」

 

秘密を深く話さなかったのも、リーネがゴッドイーターに憧れていたと話したのも、無用なトラブルやリーネとの衝突を避けるための本堂なりの配慮であることは神田にも伝わっていた。

 

「それならよかった。どうもリーネ君はそのあたりを誤解して受け取っていたようだったからね。さて、メディカルチェックの前に少しだけ話したいことがあるんだ」

 

サカキは一旦キーボードに指を走らせると神田を手招きする。

 

「ちょっとこのモニターの波形を見てもらえるかな」

 

サカキが指さす場所には滑らかな波が映し出されている。

 

「なんですか、これ?」

「神田君は適合率という言葉を知っているかな?」

「はい、勿論です」

 

適合率。

対象の人物がその神機のオラクル細胞と適合しうる部分を相対的に数値化したものだ。

この数値が低すぎても高すぎてもゴッドイーターの体は神機に蝕まれていく。

それらを正常な範囲でコントロールするために、ゴッドイーターがつけている腕輪からは偏食因子と呼ばれるものが定期的に摂取されるようになっている。

 

「本来なら君の腕にもあるその腕輪で制御できるんだが、新型の適合率は極めて不安定になりやすい。これは神田君が適合試験で興奮状態にあったときの適合率だ」

 

言いながらサカキがキーボードを叩くと、モニターの波形が滑らかな波から大きく波長の乱れた波に変化した。

 

「このように、恐らく感情の揺らぎが引き金となってその腕輪で修正できる範囲を大幅に超えてしまう」

「えっと、これは放置していたら不味いんですよね?」

「ああ、実に不味い。というわけで、適合率が不安定になったときのためにこんなものを作っておいた」

 

サカキが白衣のポケットから白い錠剤が入った透明の瓶を取り出す。

 

「これは強制的に適合率を安定化させるものだ。肌身離さず持っておくように」

「ありがとうございます」

 

神田が受け取ろうと手を伸ばすと、サカキは胸元に瓶を引き寄せてしまった。

何をするんだと抗議の目を向けようとしたところで神田は気付いた。

サカキの表情が陰っていることに。

 

「これは危険なものなんだ。オペレーターからの指示がない限りは使用は控えるように。いいね?」

 

念を押して迫るサカキの顔に気圧され、神田は勢いよく首を縦に振る。

 

「よろしい、それではメディカルチェックに移ろうか。そこの診察台に横になってくれるかい」

 

サカキからもらった薬をポケットに押し込み、言われるがまま診察台に体重を預ける。

 

「あと少しで眠りにつく。目が覚めたらそこは君の自室だ。束の間の休息を過ごしてくれたまえ」

 

意識が落ちる直前、神田は悲し気な声を聞いた気がした。

 

「連中、人をモルモットと勘違いしているんじゃないのか…」

 

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