Ⅰ,偽者の憧れ   作:鳥焼火炭

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縦で読むことをおすすめします。縦書きPDFか、Word等にコピペして縦でお読みください。

ルビ振りの機能がよくわからなかったので登場人物の名前と読みを書いていきます。読みにくい名前で申し訳ございません。

日暮 恵勇 ヒグレ ケイユウ 主人公。
アラネコ あらねこ 相棒
不動 瑞子 フドウ ミズコ 笑顔が怖いクラスメイト。
和泉 風 イズミフウ 主人公の隣の席の女子。
和泉 鈴 イズミ リン 風の妹
藤谷 朱音 トウヤ アカネ
神尾 翔子 カンオ ショウコ
平優 タイラ ユウ
東雲 海人 シノノメ カイト
臙脂棗 エンジナツメ




1.影

 

「やめて…」

 部屋の中で、少女は泣き声を上げる。その右腕には大きな切り傷がついていた。壁や、壁に掛けてある鞄は切り裂かれている。少女は目にたまる涙を拭い、せめてもの抵抗をと、部屋の中を駆け回る黒い影に焦点を合わせた。

 ユラユラとしていて常にその形は一定でない。どれだけ目を凝らしても、全体に靄がかかっているようにその姿を正確に認識することはできなかった。

しかし、少女はハッとする。確かに、その影に見覚えがあった。

「朱音ちゃん…?」

 そう呼びかけると、影は動きを止めこちらをにらむ。その動きに確信を抱く。

「なんで、なんでこんなことするの朱音ちゃん…!」

「…偽物が」

 冷たく、低い声。

「私の真似をするなぁぁあ」

 それは、少女に襲い掛かった。

 

2.潜伏

 

 閑静な住宅街。今時閑静でない住宅街などあるのかと問われれば、答えに詰まる。

 更に時刻は午前三時。こんな時間に閑静でないとしたら、夜行性の人間が驚くほど多いか、地球の裏側の国か、吸血鬼の根城だけだろう。そのどれにも当てはまらない住宅街。

 最近の流行なのだろうか、白を基調とした清潔そうな住宅が多い。新しめの家々を探るように見て回りながら、夜闇を動く人影。

「ここか…」

 その中の一つ。塀に囲まれ、珍しく瓦の乗った屋根の家。西洋風だがどこか日本らしさを感じる、和洋折衷と呼ばれるものだろうか。言い換えるならどっちつかず。

「よっ、と」

 塀を越え、中へ侵入する。排水用のパイプをよじ登り二階のベランダへ降り立った。

 僕は空き巣ではない。

 窓に手をかざし、鍵を開ける。初歩的な魔術。足跡を残さないように気を使いながら部屋の中へ侵入する。

 重ねて言うが僕は空き巣ではない。ここでの空き巣はこの家には人が寝ているから『空き』ではない、ということではなく、僕は泥棒ではないということだ。

 部屋の中は年頃の女の子らしくピンク色や水色、ポップな色であふれている。かわいらしいアニメのキャラクターのぬいぐるみも置いてある。家を買ったときに両親にうまくおねだりしたのだろうか、中々に広い部屋だ。

 そして、かわいらしい部屋に似つかわしくない、床にべっとりと残った血の跡を見る。壁には何か爪のようなものでひっかかれた跡。

「やっぱり」

 この部屋では中学生の女の子、平優が昨晩襲われる事件があった。命に別状はなかったが、腕や腹を切られ、出血が多く今も入院をしている。

 容疑者は、

「同級生の女の子」

 そんなわけがない、と思う。壁の爪痕は人間の爪じゃまずつけられないし、人の腹の皮膚をかっ裂くことなど不可能だ。それも中学生の女の子ならなおのこと不可能だろう。

「狼少女じゃあるまいし…」

 KEEPOUTのシールが入り口に貼ってあり、ドアはひとまず撤去されている。

「入り口付近に傷跡がないな」

 犯人は窓から侵入したのだ。おそらく僕と同じ方法で。様々な侵入者の姿を思い浮かべる。どれもピンとくるものはない。わかるのはまっとうな人間ではない、ということだけだ。

「…そろそろ帰らないと」

 じっと観察を続けていたからだろうか、既に五時を回っている。誰かが起きてきて面倒くさいことになる前に退散してしまおう。窓の鍵を元通りにし、ベランダから庭へと降りる。

 傾いた月の光が薄く僕の影を作る。僕の姿と全く似ていないけれど、影を見るとなんだか落ち着いた。明日までに思考をまとめておこう。少年は黒いお供を後に引き連れ、住宅街を後にした。

 

古びたビルの三階。かかっているプラカードには『日暮相談所』と書いてある。

 周りには特筆すべきものは何もない。駅から近いわけでもないし、大通りがあるわけでもない。大型のスーパーはないし、妙に薄暗いせいで不審者が多い。通っている学校へ歩いて行ける距離にあるというのは利点かもしれないが、そもそも僕は不登校気味だ。最近行ったのはいつだろうか。

 その相談所の扉の鍵を開け、ノブを慣れた手つきで回す少年は勿論不法侵入者ではない。…先ほどとは違って。

 日暮相談所の所有者、それは僕だ。日暮恵勇。ヒグレケイユウ。知恵も勇気も持ち合わせた名前だ。愛をどこかに忘れ、代わりに知恵がくっついた。なので頭はアンパンでできてなどいない。

 外はボロボロの建物だが、中身は壁紙を貼り、絨毯を敷いて掃除を欠かさないため、見栄えは悪くない。ただし擬態を少しでも剥がせば悲しいコンクリートが現れる。

 家具の類は多くない。ちょっと立派な作業机と、ふかふかの椅子。隅に置かれた観葉植物に応対用のテーブルとソファ。ちなみにそのソファで寝ころんでいる不届き物が一人。

「おかえり恵勇」

 人に猫耳をくっつけたような化け猫がソファで寝ころんだまま、帰宅した相談所のオーナーに話しかける。

「ただいま、アラネコ」

 彼女は化け猫である。人語を話し、姿形は耳としっぽが生えていること以外は人間そのものだ。金色に近い茶色の毛、よく散歩に出かけるため夏は終わったというのに日に焼けている。スレンダーな体をぐぐっと伸ばして欠伸を一つ。

 ホームズにはワトソンがいるように、主人公には相棒がつきものである。そして主人公の相棒といえば犬か猫。それも人語を話すものと相場が決まっている。近頃は鳥が相棒であったりもする。動物が人型になってしゃべっても、驚く人がいないというのはいささか狂っているような気もするが。

 相棒なのに僕の調査には「眠い」と言って同行してこなかった。今すぐにでもチェンジ!と叫びたいところだが、生憎しゃべる猫などほとんどいないので得策でない。

「どうだった?ニャにか問題はあったかニャ?」

 アラネコが問うてくる。

「いや、問題はなかった。大体予想通りだったよ」

 部屋の惨状を見るに、あれは容疑者の少女の犯行ではない。残っていた魔力の痕跡。深々と残った爪の跡。

 本当に、有り得ない。

「ほかの場所はどうだったの?」

 再びアラネコが問う。

 実は、部屋にいた中学生の女の子が夜中、同じ同級生の女の子とおぼしき人間に襲われる事件はこれで三件目なのだ。三件も別々の家を回ったせいで、帰宅はこんな朝になってしまった。どの事件もほとんど事例は同じだ。唯一あげられている容疑者は『藤谷朱音』という名の少女。

 おかしな話だ。扉も開けず、窓を割ることすらせず夜中に部屋に忍び込み、凶器を用意せず爪で襲い掛かり、足跡を残さず消え失せる。そんな所業がただの女の子にできるはずがない。

 ただしこれは、藤谷朱音が『ただの女の子』だった場合だ。

「妖か、それとも魔術師か」

「その線はニャいね~」

 呟いた言葉は即座に否定される。それもそうだろう。もしも十四年近くも妖が人に化けて生活していれば同じ存在であるアラネコが必ず勘付く。十中八九僕も気づくだろう。そして魔術師は一般人に対して襲い掛かることは少ない。最も、まともな魔術師に限るが。

 なら別の可能性。妖が人に化けている。

 でも、何故?

「直接会いに行くか」

「被害者に?まだ入院中じゃニャかった?」

「精神科医とでも名乗ろう。」

「悪い顔してるニャ、恵勇」

 いよいよ眠気が僕の頭を叩き始めたので、しばらく寝てから調査に出かけることにした。

 

 太陽が傾いている。残暑というものは荷物をたたんで実家に帰ったので、暑くはないがまだ半袖で過ごせる。通りには誰もいない。僕が精神科医と名乗って疑われやしないだろうか。今になって不安になってきた。アラネコの手前、自信たっぷりに出てきたが、実際のところノープランの手ぶらである。

 どうしたものかと思案しながら歩いていると、病院へと続く大通りへ出る。

 相変わらず車通りが多く、信号はなかなか青にならない。信号を待つ人々はスマートフォンを覗いたり、足元に視線を落としたり、空を見上げたりしている。

 歩行者用信号において、青の点滅は『速やかに、その横断を終わるか、または横断をやめて引き返さなければならないこと』と法律で定められているらしい。僕は十七年生きてきて引き返す人を一人しか見たことがない。青が点滅すれば人々は駆け出し、向こう側に辿り着こうとする。誰もがそうするから、だれも疑わずにそうする。むしろ点滅し始めたから全力で走って向こう岸へ行こうとする。

 …ただ一人を除いて。

「日暮君?」

 そのただ一人が目の前にいた。

 不動瑞子。全体として儚げだけれど力強さを感じる眉。人形のように大きく、綺麗な黒の瞳。日焼けもなくなってきて元の白い肌を取り戻し始めている。黒く長い髪を縛らず飾らず腰まで伸ばしていた。学校の帰りだろうか、制服のままだ。鞄とは別に、右手に花束を持っている。

「やぁ不動、今から誰かのお見舞いかな」

「うん、和泉さんの妹がね。事件に巻き込まれちゃったらしくて」

 和泉…。和泉…?彼女の妹が、事件に?

 事件の被害者の名前を思い浮かべる。最初の被害者は和泉鈴。次に神尾翔子。最後に平優。

 …和泉?

「和泉の妹だったのか…」

 それは奇しくも僕のクラスメイト、更に言えば僕の隣の席の人間である。

 あ、だから三件目の家の表札に『和泉』と書いてあったのか。納得。

「えっ、どうしたの?」

 これは何の巡り合わせなのだろう。僥倖と呼ぶほかない。不動に付いていけば不審に思われることなく面会ができる。普段は全くしない神への感謝を告げ、ふと浮かんだ疑問を投げかける。

「君は和泉と知り合いだったのか?」

 和泉はあまり人と仲良くしているところを見ない。そんな人間の、しかも妹のお見舞いなんて、彼女と和泉は友達なのだろうか。…ここまで考えてかなり失礼だなぁと思った。友達の数なら間違いなく僕のほうが少ない。だって学校にさえ行っていないし。どこかにこんな僕と仲良くしてくれる心根の優しさを売りとしてくれるフレンズはいないだろうか…僕も無条件に褒めてもらいたい…。

「知り合いってほどじゃないけど…クラスメイトだし、やっぱり行くべきだよ」

 その返答に、思わず感心をする。

 不動は優しい。僕の知る中で世界でいちばん優しい人間である。その返答がほかの人間から帰ってきたら下心や他意を疑うところだが、彼女にそう言われれば納得をしてしまう。

「ところで、日暮君はこんなところで何をしているの?学校は?」

 訂正。彼女はすごく怖い。特に笑顔が。

「ちょ、ちょっと調査にね…」

「…また『相談』?」

「まぁ…そんなところだよ」

 彼女は僕のやっていることを知っている。何故なら、以前その『相談』をしてきたのが彼女本人だからだ。

「その、和泉さんに関係のあることなんだ」

「…この事件について調べてるんだね」

 信号は青になった。周りの人に合わせて僕らも歩き出す。

 なんだか微妙な雰囲気だ。僕の仕事について彼女が快く思っていないことは知っていたが、この空気は少し堪える。

「わかった。どういう言い訳して和泉さんの妹から事情を聞くの?手伝うよ」

「…いいのか?」

 願ってもないことだが、彼女から提案してくるとは思ってもみず、確認をしてしまう。

「いいよ。私もお世話になったし」

 まっすぐに前を見ながら彼女は答える。どんな心境をしているのかは窺い知れなかった。

「精神科医で行こうと思ってるんだ」

「…よくそんな嘘つこうと思ったね」

 呆れられてしまった。そのジト目はとてもゾクゾクするので素晴らしいが、あまり長いこと続けられると僕のハートがチクチクしちゃうのでそこまでにしていただきたい。

「いいけど、その代わりに約束」

「約束?」

「そう。明日から一週間、毎日学校に来ること」

 それはとても難題である。できれば一日中事件について調べたい。

「最近全然来てないでしょ?だめだよサボっちゃ」

 彼女の言うことは最もである。サボタージュ、ダメ絶対。でも学校サボった日って何もすることなくても特別に感じるよね。

 しかし彼女の協力があるのとないのとでは雲泥の差だ。不動という少女は品行方正、文武両道、誠の文字を全身で表したような生徒だと教師の間でも人気が高い。初対面でも好印象。更に付き合っているとその株は急増、好感度のインフレーションが起こり、脳内日銀も金融政策に追われることとなる…。と、僕のような胡散臭い人間の対局に位置する存在が彼女だ。

 ぜひとも手伝ってもらいたい。学校か…あまり気のりしないけど…背に腹は代えられないか…。

「わかったよ、明日から一週間だな」

 観念してそう言うと、彼女は満足げにほほ笑んだ。

 

「でも今回の事件って中学生の女の子が三人、部屋で襲われたって話だよね?日暮君が首を突っ込む場所なんてあるの?」

 警察に任せておけばいいのに、と彼女は付け加えた。

 確かに、任せておいても真実に辿り着くだろう。もしかしたら僕よりも早いかもしれない。けれど、何もしないのは違う気がした。折角こういう力を持っているんだし。

「糸さえ通らないような穴でも広げて首を突っ込むんだよ、僕は」

「迷惑な人だね」

 笑ってくれたのでよしとする。あまり声を出さない控えめな笑い方が心地いい。

 彼女に昨日見た現場の状況を手短に伝える。と、

「…女の子の部屋に入ったの?」

「一番気にするのはそこ!?」

 本日二度目のジト目だった。

 

 恐るべきことにすんなり病室に入ることができた。これが女の子パワーだろうか。

それとも不動のことを誰が見ても『人畜無害』だと判断するからか。プリティーでキュアッキュアな彼女にかかれば、僕のような姑息な人間の嘘やごまかしなんて灰と化すであろう。格差社会である。

 僕が世界の真実に愕然としていると、不動が花瓶に花を活けているのを見ていた少女が、

「…ところで、こちらの方は…?」

 と、話しかけてきた。確かに不審者と思われても仕方がない。事実僕は出口の傍で立っているだけだし。

 和泉鈴。僕のクラスメイト、和泉風の和泉の妹とあって、かなり彼女に似ている。栗色のウェーブのかかった髪は彼女とは違うが、ふっくらとした唇とか整った鼻筋とかはそっくりだと言える。

 病室は個室だった。確かに重症でないにしろ傷害事件で心を痛めた女の子なら一人部屋にするべきだとは思うが、恐らく和泉の父親の地位が効いているのも大きいだろう。

 病室っていうのはどこも変わらない。白い壁、白い床、白いベッドに白い照明。白々しいほどに清潔感を強調している。花瓶の花はちょっとしおれていたが今は不動の持ってきた…えーっとあの花は確かアルストロメリア…が飾られている。なんだか光線銃みたいな名前だ。その花まで白いので、病室は不気味さを放っていた。

 どこの病院もそうなのだけれど、もう少し元気な色にしたほうがいいと思う。

「僕は時雨、精神科医です。事件の事情とか、関係なくても悩みとか…そういうのを聞かせて欲しいんだ。誰かに話すことで楽になることもあるから…それと、治療のためにもね」

 偽名を名乗るとは言っていなかったからか、少し不動ににらまれた。もう少し辛抱してください。

「え、でも…そんな話…」

「…私も、昔診てもらったことがあるので、心配ないですよ。連絡が遅れているのかもしれません」

 不動のアシストが入る。ナイス不動!愛してるよ!

「…」

 アイコンタクトは無視された。

「話せないならいいんだ。無理に聞き出すことが僕の仕事じゃない」

 嘘だ。本当は洗いざらい全部話して欲しい。

 ベッドに座っている少女は考え込んでいる。

 病院指定の衣類を着用しているのも相まって、病的なほどに白く見える。余談だけど、病衣っていうのは看護婦さんが脱がしやすいように作られているらしい。脱がしやすいように。本当に余談だけれど、よいこの君たちは覚えておくと役に立つかもしれない。

 彼女の様子を観察していて、やはり似ている個所の多い姉妹だと思う。ただ僕の知る和泉と違うのは、伏しがちな目と困ったような眉だ。姉のほうが三十度ほど吊り上がっている。

 僕が閻魔大王のような姉の姿を妄想していると、少女はこちらを窺うように口を開いた。

「えっと…誰にも、言いませんか?」

「精神科医はね、守秘義務って言うのがあって、患者さんの秘密は誰にも言えないんだ」

 一拍おいて、

「面倒なことにね」

 僕の冗談をわかってくれたのか、彼女はクスリと笑った。笑った顔は本当に姉に似ている。

 そして今度は不動のほうを窺うようにして話し出す。

「不動さんにも…その、聞いてもらいたいです」

「わ、私でよければ、いくらでも聞きますよ」

 頼られたことがよっぽど嬉しいのか、やけに乗り気だ。

「なんなら時雨先生抜きでも大丈夫です!」

 それは酷い。

 

「部屋で次の日の準備をしていたんです」

 まずは襲われた日の話からだ。僕としては現場を見たのでその前を知りたいところだが、焦っても仕方ない。

「あと少しで荷物を詰め終わって、寝ようかなと思っていた時に、持っていた筆箱が破れて、ペンが飛び散ったんです」

 僕らにわかりやすく説明するためだろうか、しばらく考えて、ひとつの文章を淀みなく話す。そんな流れを健気に続けている。不動はそんな彼女の手をそっと握っていた。

「…何かに切り裂かれたようにペンが飛び散って、びっくりして顔を上げたんです。そしたら…そこに黒い影があって」

「部屋の明かりは消していたのかい?」

 質問を挟む。話の腰を折るようで悪いが、確認をしておきたい。

「いえ、点けていました…でも、その影の様子だけ、わからなかったんです」

「ごめん、口をはさんでしまった。気になってね」

「だ、大丈夫です」

 少しくらい突っ込んだ質問をしても疑われないかもしれない。これが不動パワーか…今度何かおごってあげないと。

「そのあとは右腕とか…お腹とかを切られて…部屋も荒らされて、新聞に載っていた通りです」

 そこまで言って、少女は何かを思い出したようにこう言った。

「影は、何かを探しているようでした」

「…」

 何を?影は何か別のものを狙っていたのか。彼女を襲うことが目的ではなく、それは手段に過ぎなかったのだろうか。

「えっと…事件については以上です…」

 いくつか気になる点はあったが、僕が知りたいのはその奥。彼女が警察に話した『容疑者』についてのこと。

 どうして、その謎の影のことを藤谷朱音だと思ったのだろう。

 おずおずと不動が手を挙げる。挙手制だったのかこの会話。思わず口が滑る。

「はい、不動さん」

「どうして時雨先生が指名するのかしら」

 あ、先生って呼ばれながらのジト目はなかなかに来ますねぇ!もうお腹いっぱいなのでやめていただけませんか不動さァん。

 ダンゴムシのように縮こまりながら不動が質問するのを待つ。そういえば昔ダンゴムシだと思ってワラジムシという虫を捕まえてしまったことがあった。ダンゴムシじゃないことに気が付いてから、何故かその虫が気持ち悪く思えて放り投げてしまった。あの虫たちには申し訳ないことをしたなぁ…。その時隣にいた子はペットのトカゲの餌にすると言って持ち帰っていたような、あれこの話もしかしてどうでもいい?

「どうして…その、影のことを藤谷さんだと思ったのかしら」

 どうやら不動も気になっていたらしい。申し訳なさそうに、だけど瞳には力が籠っていた。

「知っていたんですね」

 そういえば名前までは新聞には載っていなかったか。僕は人づてに聞いたから知っていたけれど…。

 どうやら和泉は僕たちがそれを知っていたことに関しては疑問に思わなかったのか理由を話し出した。

「信じてもらえるかはわからないんですけど、影の形というか、放っている雰囲気というか、臭いっていうのか、その影の全部が…朱音ちゃんと同じもののような気がしたんです」

 そこまで精密に化ける妖。いくつかは頭に思い浮かぶ。だけど、僕の知っているそれらは化けている対象を襲う。

 どうして同級生を立て続けに襲っているのだろう。

「それと、もう一つ…これは警察の方にも言っていません」

 ピンとくるものがあった。

「藤谷朱音には動機がった、って話かな」

「…動機って程じゃ、ないですけど…」

 勘が当たる。

「私が襲われた日に、喧嘩したんです。私たち」

 喧嘩。そんなことで家にまでおしかけることにはならないと思うが…私たち?

「私と翔子ちゃんと優ちゃんが、藤谷さんと喧嘩したんです」

 そう言って、和泉の妹は話し始めた。

 

 朝、和泉たちの三人は一緒に学校に行く。それは彼女たちが小学校の時からずっと変わらない。三人で他愛のない話をしながら教室へ行くのだ。和泉は、その時間をとても楽しみに思っていた。遊ぶ予定とか、勉強の話とか、お互いの家の愚痴とか…。

 そして、今日はもうひとつ楽しみな理由があった。転校生である藤谷の持っていたキーホルダー。

 それを三人も購入したのだ。なかなかに高価なものだったが、銀の色合いやデザイン、特にウサギをモチーフにした時計というかわいらしさを気に入った。そして何よりも藤谷朱音と仲良くなりたかったのだ。転校してきてからいつも一人でいるけれど、勉強も運動も得意な彼女。単なるおせっかいではなく、折角同じクラスになったのだからお近づきになるきっかけになればいいと思っていた。

 だけど、藤谷朱音の反応は予想と大きく違っていた。

「何よそれ…私の真似?」

「ち、違うよ。そういうつもりじゃなくって」

 仲良くなりたかっただけ。

「そうやって…馬鹿にするの…!?」

 彼女が怒り出した理由がわからなかった。

「違うよ!なんでそういう言い方するの!?」

「私たちは藤谷さんとお友達に」

 

「要らないよ!そんなの!」

 

 揺さぶるような怒声。静かに窓の外をいつも見つめている彼女。そんな藤谷朱音から発せられた怒気に三人は思わず固まってしまった。

「…っ」

 そのまま鞄を掴んで出て行ってしまう。

 和泉は、呆然と立っていることしかできなかった。

 

「そしてその日から影が順番に襲い始めた…」

「…」

 項垂れるように首肯する。

「どうして藤谷さんはそんな風に怒り出したのでしょうか…?」

 不動の疑問は最もだ。藤谷朱音との喧嘩。それは確実に事件のカギを握っているだろう。だけど、何故かがわからない。もっと言えば、妖との関連もわからない。

「わかりません…」

 和泉は、今にも泣きだしそうな顔で言う。

「話してくれてありがとう。心配いらないよ、きっと彼女なりの理由がある。君たちは友達になれるよ」

 こんなに優しい子が、笑顔になれない現実なんて。

「君が、このことを誰にも話さなかったのは、藤谷朱音が犯人だと断定されてしまうからだよね?」

 恐らくは藤谷朱音の名前を出したところで、警察に問い詰められたのだろう。証言さえあれば、ひとまずは拘留することができる。だけど、和泉鈴は考えたのだ。「藤谷朱音が犯人にされてしまう」。それは望むことではない。ただ、ただ本当に友達になりたかったのだ。

 だから嘘をついた。「なんでもない」と。喧嘩をなかったことにし、証言をなかったことにし、多分見舞いに来たほかの二人にも藤谷朱音は関係ないと話した。

 だから誰も証言をしない。犯人はわからない。その独白を聞いたのは、きっと僕に事件を知らせてきた者だけだ。

 紛れもなく、和泉鈴は藤谷朱音に善意しか持ち合わせていない。

「…」

 彼女は黙っている。不動はそんな彼女のことをじっと見つめている。

「それじゃあ、僕は帰ることにするよ。今日は本当にありがとう」

 和泉の目がこちらを見る。それは誰かを気遣う目だ。

ああ、

「大丈夫、藤谷朱音は逮捕されないよ。それは僕が補償する」

 そのことに安心したような吐息の後、彼女は言葉を吐いた。

「あの、時雨先生。…最後に一つ、話していないことがあるんです」

 外へ向かう足を止め振り返る。

「私たちの買ったキーホルダーと、藤谷さんの持っていたキーホルダー、少し違う気がしたんです」

 

「さっぱりわかんないや」

「どれが?」

 ため息をついた不動に聞き返す。正直僕もわからないことだらけだけど。

「藤谷さんが怒り出した理由とかさ…」

「それはきっと、和泉妹が最後に言ったセリフに答えがあると思う」

「どういうこと?」

 それは僕にもわからない。けれど、そんな気がする。

「確かめたいことが多すぎるなぁ…」

「調査に夢中で約束のこと忘れないでね」

 …すっかり忘れていた。明日から学校かぁ…。

 病院を出て、不動とあった信号まで差し掛かる。

「それじゃあ、僕はこっちだから」

 僕が信号を渡らず右に曲がると、なぜか不動も同じように曲がる。確か不動の家は信号を渡った方面にあるはずだ。

「本屋さんに寄ろうと思って」

 そして、

「日暮君の家も向こう側じゃないんですか?」

 探るような目だ。僕は目をそらしながら言う。

「ちょっと寄るところがあるんだよ」

「ふぅん…」

「そんな怪しいところじゃないって」

「夜遊びはだめだよ」

 誰がするものか。…人の家に忍び込んだりはよくするけど。

 それから、不動と本屋の前で別れるまで他愛のない話を続けていた。和泉鈴もこんな時間が好きだったのだろうか。少し歩いてから、僕はこぶしを強く握りしめていたことに気がついた。

 

「デートの後か?」

「違う!」

 コーヒーを淹れながら開口一番にそう言ってきた老人に突っ込みを入れる。

 彼の名はハルヌ。偽名らしいが、本当の名前は知らない。白いひげを顔いっぱいに生やし、皺の寄ったでこを出すように、白く染まった長い髪を後ろで縛っている。眼光は鋭いが、同時に温和な印象を持たせる。

彼はカフェを営む老人のほかに情報屋という側面も持っていて、今回の事件の情報もこの情報屋から手に入れたものだ。彼は「通りすがりに聞いた」と言っていたが真実はわからない。

 タキシードのような制服に身を包み、優雅な仕草で湯気の立ったカップをカウンターに置く。カップの置かれた席に座ると、

「さて、何かわかったかね?」

「藤谷朱音に化けた妖が、彼女と喧嘩した相手に復讐して回っているみたいだ」

 それと、と僕はさっき得た情報を付け加える。

「キーホルダー、が重要なカギみたいだ」

「キーホルダー」

 老人は反芻するように呟く。

「キーホルダーを真似されたくらいでそんなに怒るもんかねぇ…」

 コーヒーを啜りながら僕はハルヌにそう溢す。

「己しか持っていないものに愉悦を抱く人間などいくらでもいるだろう」

 それは僕でもわかる。多くの人間の場合でのそれは『才能』と呼ばれるものだ。自身しか持たない才能は他人との優劣を作り出し、優劣が優越感を生む。他人との才に差があれば羨み、時には恨んだりもする。

 その時の確執が他人への害意となる場合もあれば、ひたすらに自分を磨き昇華することで他人との差を埋める人間もいる。プライドは自らを高める結果となることもあれば、貶める結果になることもある。誇りは刀に似ているとは、誰の言葉だっただろうか。

そして、プライドやそういった意識を喰らう者たちがいることも知っている。知ってはいるが、キーホルダーはそれに該当するのだろうか。

「キーホルダー如きで愉悦に浸る人間は少ないだろうがな」

「ああ、なんだか気になることも聞いたし」

「とは?」

「藤谷朱音の持っていたキーホルダーと、三人が買ったキーホルダーは少し違っていたらしいってさ」

「…それは面白そうな情報だな」

 白いひげをヌッと釣り上げて老人は笑った。彼の笑顔には何通りかの意味があり、それは時と場合によって全然違う意味を持つ、ので考えるのは無駄なことだ。

 コーヒーの最後の一口をのどに流し込んで僕は店を後にした。

 

3.考察

 

 翌朝、七時に起きる。まだ寝ていたかったが約束なので仕方がない。窓から差し込む朝日が目に痛い。昼間はこれ以上の強い光の中を歩いていたとしても痛みなど感じないのに、起きたばかりだと目も開けられないほどに陽の光を避けようとするのはなぜだろう。

アラネコはまだ眠っているようで、彼女の分の朝食は準備しなくてもよさそうだ。

 ぼやぼやとした視界のままトースターにパンを放り込む。そのままほとんど閉じた目で冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぐ。椅子の上でだらっとしながら焼けた食パンをもそもそと口の中に入れ、牛乳をのどに流し込んだ。

 寝不足の時って椅子の上で目を瞑っているだけで寝ている気になる。体のあちこちから湧いてくる気怠さを押し込めて支度をした。

 相談所の看板がかかっている出口のとは反対の、所謂関係者専用の裏口から出る。朝は涼しいなぁ…。冬でも朝のほうが好きだ。空気がとても澄んでいる気がする。朝のほうが好きだが朝起きるのは嫌いだ(矛盾)。

 昨日の和泉との会話を思い出す。問題は、どうやって藤谷朱音から話を聞き出すか、だ。藤谷の家の場所はハルヌからすでに手に入れている。忍び込むなら今夜にでも可能だ。ただし、それは話を穏便に聞き出すことが不可能になることも意味している。できることなら波風を立てずに藤谷から話を聞き出したい…。

 街路樹はすでに葉を変色させ、あたりの景色を一変させている。鼻をくすぐる枯葉の香りと、僕と同じように学校へ向かう小学生たちの騒がしい声を聞きながら、思いつきもしない方法をずっと探っていた。

 

 久しぶりの学校だ。特に新しくもないし、古くもないコンクリート構造の建物が見える。

敷地は広いほうだが木が大量に生えているだけで持て余している感が否めない。自転車置き場って毎日何台かはみ出てるよね。

 校門を通ってからの道を、在校生なのに懐かしいと感じながら歩く。下駄箱の場所はかろうじて覚えていたので、上履きが埃をかぶっていないか注意してから履き替えた。

 階段を上って二階へ上がる。教室棟、四階建ての校舎は下から学年順で、四階は特別教室になっている。最近はほとんどないが生徒の数が多いと使っていない教室が割り当てられるらしい。一年から四階へ上がる苦行を味わうのはうつ病になりかねないし、楽しいはずのクラス替えが祈りを捧げる場になってしまう。廊下の床と上履きが織りなすなんともいえないギュッギュという音を盛大に響かせながら歩く。確か僕の教室は階段を登り切って右に曲がってから三つ目だった気がする。教室の場所を間違えるのだけは避けたい。

 擦りガラスと擦ってないガラス(名前不明)が特に規則もなく取り付けられた、予算不足感溢れる窓を通り過ぎる。擦りガラスのほうが安物っぽいが、砂を吹きつける手間がある分値段はそちらのほうが上らしい。絶対に透明だった方がいいと僕はずっと思っている。

 教室に入る。クラスメイト達の顔ぶれを見るに、どうやら教室は間違えていないようだ。何人かの生徒が珍しいものを見るかのように僕の顔を見てくる。話したこともなく、僕は顔も名前も覚えていないが、彼らは僕のことを知っているようだ。まぁ不登校気味の生徒がクラスに一人いたら覚えてしまうのは必然なのだろうけど。

 廊下窓側の自分の席に座る。休んでいた間のプリント類がわんさか入っていた。わざわざ捨てずに入れておいてくれた隣人に俺を言おうと左を見たがそこには誰も座っていない。   

 僕は結構ギリギリの時間に来たので来ていないことは考えにくい。鞄だって置いてあるので欠席の線もなさそうだ。それに彼女が何か先生から大役を任されるような立場だということもなさそう(とても失礼)なので、トイレにでも行っているのだろう。と、見当をつけて鞄の中身と机の中身、つまりは教科書類とプリント類を入れ替える。

 入れ替えたのに厚みが同じくらいになった。これ持って帰れるのかな…どうせ明日から一週間ここに来ることになるから少しずつ持ち帰ればいいか…。

「あ、本当に来てたんだ」

「僕は約束を破るやつだと思われているのか」

 不動に話しかけられる。酷い言い草だ。まるで僕が約束を守らない人間みたいだ!約束は自分に利がある場合のみ忠実に守る。これほど信用に足る人間がほかにいるだろうか。

「ところで、僕の隣人はどこに?」

「あー…和泉さんはどこかでふらついてると思うよ」

 僕がいない間に彼女は浮浪癖を発症したのだろうか。

「そんな自由気ままな生き方をしていたかな…」

「妹のことであれこれ聞かれるのが嫌なんだってさ」

 なるほど、確かにクラスメイトの妹が事件に遭遇すれば野次馬だって湧くだろう。直接聞く下世話な人間は少ないだろうが、教室にいればいやでも噂話が聞こえてくる。決して彼女が精神病を患ったわけではなさそうだ。

「ホームルームには戻ってくると思うよ」

「じゃあお礼はその時でいいかな」

「お礼?」

 僕は黙って不動に鞄の中身を見せる。

「わ。これって休んだ分のプリント…?」

「ああ。いつも不動が机の中に詰めておいてくれるんだ」

「へぇ…それにしてもすごい量だね…ちゃんと全部目を通さなきゃだめだよ」

「気が向いたらね」

 目を通す気は全くない。裏側をメモとして利用させてもらおう。重要そうなものだけ後で抜き出しておくか…。

「そろそろ私は戻るね」

 自分の席へと戻る不動に手を振りながら、プリントの束を物色していると、

「日暮じゃん、珍しい」

「あ、おはよう和泉」

 ホームルームが始まるほぼ直前になって和泉は席に戻ってきた。金に染められた短髪に、気崩した制服。これで肌が土色だったら完全に新宿や渋谷に生息する学名『ギャル』と呼ばれる新生物である。剣呑な雰囲気をいつも放っているが、素行は悪くないので張りぼてに過ぎない。

「アンタ失礼なこと考えてない?」

 妹と違う釣り目が本当に怖い。鷹のように鋭い、敵から立ち向かう勇気というものを根こそぎ奪いとる狩人の目である。

「失礼なこと考えてるでしょ」

 詰め寄られる。あ、まつげ長いな。とか、妹と胸の大きさまでそっくりだな。とか、顔まですらっとして小顔ローラーも裸足で鳥取砂丘を走り出すだろうな。とかいろいろ考えたけど、そのどれかを口に出して半殺しにされるのは絶対に嫌なので、

「い、いや。プリント机の中に入れてくれてありがとうって言おうと思ったんだけど」

「本当に?」

「いやぁすごい剣幕で睨むもんだから吹っ飛んじゃって…」

「そう。ならいいけど」

 別にお礼なんていいよ。と、顔を前に戻しながら和泉は言う。こういうサッパリした性格なので和泉が隣の席でよかったと心から思う。

「アンタこの二週間何してたの?」

「僕は二週間も学校に来ていなかったのか」

「…」

 呆れるような目を向けられる。とっくにホームルームは始まっているので、二人とも顔は前に向けたまま話を続ける。担任は時候の挨拶のようなよくわからないことを言っている。時候の挨拶に適当に一つ俳句を詠んでもバレそうにないと常々思う。

「いつもの仕事だよ」

「好きだねそれ」

「最近は色々立て込んでてね」

「こっちも立て込んでて大変だよ」

「うん、聞いたよ。休み時間は毎回放浪してるのか?」

「基本はトイレだけどね」

「七十五日も続かないといいね」

 人のうわさがそんなに長く続いたのをあまり聞いたことがない。一季節しか噂話なんて続かないだろうという意味らしいが、あだ名がうまく定着した時くらいしか七十五日も続かないと思う。余程の恨みがあるか、しつこい人間でなければそこまで粘着しないだろう。

 それにしても、休み時間に毎回トイレに籠ったりしていたら臭いが染みつきそうだ。…便器女なんてあだ名をつけられたら、彼女の見た目からして別の意味にとらえられそうだ。もっとわかりやすく言うと、2chやまとめサイトの広告によく出るアレである。紳士諸君はよくお分かりだと思う。退魔忍とかね。

「はーいじゃあ授業頑張ってね~」

 すごい適当な感じにホームルームは終了する。時候の挨拶よりも中身に力を入れるべきだと常々感じる。次の授業はすぐに始まるので席を立つ人は一部のおしゃべりやトイレに立つものだけで多くはなく、和泉もこの時間は電子辞書なんかをいじっている。

 学校に来るのは久しぶりだ。数えていなかったがどうやら二週間も来ていなかったらしい。

 この学校は特殊なので、学校を欠席していても課される宿題や小テストを提出し、毎学期ごとのテストである程度の成績さえとれば単位は確保される。僕のような人間にはぴったりの制度だ。最も、この制度はクラブ活動や病欠した場合の救済措置である。

 数少ない僕の友人である東雲海人は陸上の大会にあちこち出ているのでこの制度の恩恵に授かっているのだが、彼曰く「そんな理由で利用する奴はお前以外いない」らしい。学校に行かずに単位が出るのならそれに越したことはないと思うのだが…授業に出るか課題をこなすかの違いは僕にとっては大きい。一度依頼が舞い込めば解決するまでそれにかかりっきりになってしまうので、学校に行っている暇なんてない。ないはずなのにどうして僕はここにいるんだろう。

 授業の間ずっと、僕は授業以外のことを考えていた。数学の間は時々和泉が僕に助けを請うてくるので考え事は中断されたけど。

 今回の事件が妖の仕業だと仮定すれば、考えられる状況は三通りだ。

一、藤谷朱音に因縁を持つ妖が嫌がらせをしている。

二、藤谷朱音の代わりに復讐をする妖。

三、愉快犯のような妖。

 このうち三は考えにくい。ただの気晴らしに襲った相手が偶然、藤谷朱音が喧嘩した相手というのはあまりにもできすぎている。

 一か二だとすれば人に化ける妖だ。これなら何体か見当がつく。一番メジャーなのはドッペルゲンガーだが、アレは本人に化け、色々な場所で目撃されるというだけである。本人がそれと会ってしまうと取って代わられるという恐ろしいものだが、自ら人を襲ったりはしない。…藤谷朱音が生粋の殺人鬼だったら話は別だけれど。

 ほかに人気どころといえば狸や狐の妖だが、こんな街中でわざわざそんなことはしないだろうし、あいつらはもっぱら食べ物をくすねるための悪戯として行うので除外。

藤田に朱音に恩を感じている妖が彼女と喧嘩した相手に復讐をしているのだろうか。それなら付喪神なども考えられる。それほど強力なものならちょっとした化ける術くらい使えると思う。だけど、

「影の形というか、放っている雰囲気というか、臭いっていうのか、その影の全部が…朱音ちゃんと同じもののような気がしたんです」

 と、和泉妹は言っていた。それほどまで精密に化けることはできないと思う。見た目を似せたり幻覚を用いるわけでなく、ただ影の形だけでそう見せる。そんなことができるのは高位の存在。例えば神とか…

「さっぱりわからん」

 そのうち僕は考えることをやめた。

 

4. 夕景

 

 僕の仕事についての話をしよう。

 僕が事務所なんかを開いて何やらうさんくさい商売を始めたのは高校に入学してからだ。それまでは山奥の山奥、超田舎でのんびりと暮らしていた。

 最初はこの町で高校に通うだけのつもりだったのだが、ある事件に巻き込まれ、ハルヌに会い、事務所を開くまでになった。

 『相談』の内容は様々だ。厄払いとか、工事の前の祈祷なんてのもやる。個人の心霊相談なんかも受けるし、ちゃんとした霊能者が来るときもあるけど、基本は僕が興味を持った事件の調査だ。要は趣味の延長である。その趣味にのめりこみすぎて学校に行かなくなっていることが知れたら親に半殺しにされそうだ。

 今回の件はハルヌから報せを受けた。「お前が好きそうな話だろう?」なんて言われたけど、僕は女子中学生にストラークゾーンを持っているわけではない。彼は情報を売って生計を立てる情報屋だが、ことの顛末を僕から聞くことに主たる楽しみを置いているように見える。実際彼のカフェ(夜はバーに変貌する)は繁盛しているので、恐らくそちらだけで暮らしていけるだろうとは思う。

 まんまとハルヌの口車に乗せられて調査に乗り出した僕だが、危険度とは逆に難航を極めている。どこかにヒントが転がっているといいのだけれど…。交番に行けば届いてないかな、ヒント。

 

 学校が終わって片付けを終え、鞄を持って校門へ向かう。プリントは結局半分しか鞄に入らなかった。玄関から校門への道を、夕日が綺麗だなんて思って歩いていると見知った者の声がする。

「恵勇」

 見ればアラネコが校門に立っている。尻尾と耳はうまく隠しているみたいだ。それでも彼女の外見は人目を引くので、そこだけ見えない何かがあるように人が避けて通っている。

「どうしたんだ」

「冷蔵庫のニャかにニャにもニャかったニャ」

 ニャの四連コンボである。とても聞きにくい(さらに読みにくい)。ナの音や語尾にニャがつくのが彼女の話し方だが、アラネコ曰く「ニャんとニャくそれっぽい」からつけているだけらしく、最初のほうは色々と滅茶苦茶な言葉遣いだった。最近はちゃんとニャが至る所についているが、語尾のニャが付くかつかないかの法則については僕にもわからない。いえ作者のミスではニャく。

 しかしもう冷蔵庫の中身が切れたのか。こいつ僕のいない間に盗み食いをしているんじゃないだろうな。明日学校に行く前に監視魔術を使っておこう。

「仕方ない。それじゃスーパーにでも寄って行こうか」

 それを聞いてご機嫌に歩き出す猫。尻尾や耳が見えていればしきりに動いていることだろう。彼女とスーパーに買い出しに出かけるのも久しぶりだし。ちなみにアラネコは猫缶やキャットフードは勿論食べるが、人間の食事も食べる。多くの化け猫はそのままキャットフードらしい。蓼食う虫も好き好きというのだろうか。十猫十色である。

「ん?」

 スーパーの道も中ほどというところでアラネコが立ち止まる。

「どうした、アラネコ」

「ここの神社…」

 彼女が見る先にあるのは地元にある小さな神社である。毎年春くらいに小さなお祭りがあって屋台が出たり、新年には初詣の人で賑わう。和泉は「除夜の鐘と初詣を一緒の場所でやってほしい」なんて言っていたが、彼女は一度神道と仏教の法典で殴られた方がいいと思う。

 それにしてもこの神社に一体何があるというのか。何かが引き寄せられるほど魔が集まっているわけでもないし…。全くないといえば嘘になるが、熱心な教徒がいるわけではないので霊的なエネルギーに溢れてはいない。

「逆だよ恵勇。魔がニャさ過ぎるんだニャ」

「うーん…初詣やお祭りから時間が経っているからかな?」

「前はもっとあった気がするニャ…」

 放っておいても問題がなさそうな気がするけど、確かに気になることではあるし、今度僕の方でも調べておこうか。

 ブルッとアラネコが身震いする。そういえば今夜は冷え込むとテレビで言っていた気がする。昨日まではそこそこの気温だったのに、季節が移ろうのは本当に早い。

「夜が遅くなると冷えそうだ。早く行こう」

 そのあとはスーパーに行き、魚肉ソーセージを隙あらばカゴに入れてくるアラネコとの格闘を終えて、僕たちは岐路についた。

 

 寝ぼけ眼と気怠い体を引き摺って登校する。稼働していない脳みそはただ重いだけだ。古くなったコンピュータみたく起動が遅いのでそろそろ初期化したい。えっちなウィルスにも感染してるからね!

 上履きがひどく冷たい。足元から昇ってくる冷気に震えながら階段を上り教室へ入る。朝は段々と寒くなってきたがまだ暖房をつけるには早い季節だ。こういう微妙な気温の時ほど風邪を引くので気をつけねばなるまい…。まぁまだ半袖のままの僕が言うべき言葉ではないですが。

 教室は人が多いのでその分温かい。他愛のない話をBGM代わりにして課題のプリントを開く。昨日単位補填に必要な課題の量を確認したらマウンテンなアマウントだったので休み時間や授業中もやろうと大量に持ち込んできた。なおこの意気込みは五分ほどで廃れます。

「おぉ、学校に来ているという噂は本当だったか恵勇」

「おはよう東雲」

 大男に声をかけられる。およそ1.5ページ前に紹介した数少ない友人Aだ。190に差し迫る高さと強靭な肉体を併せ持つ。強靭なる精神が宿っていそうだ。デスサイズ!

「いつもギリギリまで練習していないか?珍しいな」

 まだホームルーム開始まで10分ほどある。この男は大変な陸上バカなのでホームルームに参加しなあったりするほどだ。たまに授業にすら遅刻する。

「今日は集中が切れたから教室で柔軟に変更する」

「通行人の邪魔はするなよ」

 こんな人間なので教師たちはあまり注意をしない。結果は残しているし、「集中して走りこんでいたら授業が始まっていた」なんていう間抜けな言い訳を疑う人間もいない。僕だって彼が朝席にいなかったとしても何も疑うことをしないだろう。

「昨日は大会だったのか?」

 そもそも学校にいなかった覚えがあるのでそう問いかける。大男は首肯して、

「つっても記録会みたいなもんだな。優勝はしたがトロフィーはもらえなかった」

 この男はいくつ杯を持っているのだろう。ホステスがピラミッドのようにグラスを積み、上からワインを注ぐパフォーマンスをトロフィーでやってしまえるのではないかと思える。勿論それに意味はないけどね。

 というか、僕は学校に来るだけで噂になるのか。なんだかショックである。特に話もなかったのか東雲は桃上げ運動をしながら廊下へ出ていった。トレーニングをしていないと死にそうな男である。マグロか。

そう言えばマグロが泳いでいないと死んでしまうことから常に活発な人間に対して『マグロ』と言うが、全く動かない人のことも『マグロ』という。まぁこっちは隠語だし『冷凍』って単語が省略されているんだけど。あ、よい子は調べちゃだめだよ。つまりマグロは矛盾をはらんだ存在であり、宇宙そのものである。何を言っているのかわからなくなってきた。マグロ。

 手元のプリントを見る。今日明日と学校に来ればひとまず休みになるので、気合を入れなおした。

 解く、己の全身全霊を込めて。解く、雑念など介入する余地はなく。そして解く、たとえその身が終わりを迎えようと。

 もう飽きた。やりたくないよ~。なんなのこのプリント~。自分の中の天使が「サボったツケだ」と囁く。悪魔と共闘して二度と口が利けぬ体にしてやった。

「アンタ何してるの…?」

 どうやら和泉に天使が雁字搦めになっている落書きを見られたようだ。

「いやプリントが多すぎてさ」

「サボったのアンタでしょ」

 和泉、君も悪魔なのか。いや天使か?言っていることは先ほどボコボコにした天使だが、僕にとっては悪魔だ。正に矛盾。和泉、君はマグロだな?

「なんだか卑猥だな」

「突然気持ち悪くならないで」

 怒られてしまったので大人しく自分の持つシャープペンシルの先に視線を戻す。と、その時後ろの席の会話が聞こえてきた。

 いつもの僕なら大して耳を傾けたりせず、内容は頭に入ってこなかっただろう。だけどその時は偶然―――必然かもしれないが―――その声が透明な音を携えて僕の耳元までそよいできた。

「おい、臙脂棗神社の話、知ってるか?」

「あん?そんな名前の神社あったっけ」

「毎年棗祭りやってるだろ。ほら、春にさ。いつも行くじゃん」

「ああ、あそこ。そんな名前なんだ」

 それでどうしたんだよ、と男子生徒は続きを急かす。臙脂棗はエンジナツメと読む。臙脂色は濃い赤を指し、棗は赤い木の実のことだ。つまりは真っ赤に熟れた棗のこと。夏に目を出すから棗なのだが、何故か春にお祭りをする。ちなみに神社には棗の気が植わっているわけではない。昔はあったらしいけれど。

「ご神体が消えたらしいぜ」

 その言葉に嫌でも体が反応する。アラネコが「魔が足りない」と言っていたのはご神体がなくなったからなのだろうか。

「それがただ盗まれただけじゃなくて消えたらしいぜ」

「消えた?」

「ああ、なんでも扉が開けられた跡もなくて、鍵もかかったままだったみたいなんだ。神主が毎月の蔵の掃除をしようとしたらなかったことに気が付いたらしいぜ」

「なんだか怪談みたいだな」

「季節は随分と外れてるけどな」

 僕はじっと考えていた。何かが当てはまる気がする。違和感が喉の奥にへばりついている。呑み込めないその噂話は、じっと息をひそめて喉の奥からこちらを見ている。

 手を止めてその授業の間頭をひねっていたけれど、違和感はずっとそこにあったままだった。

 

「ふむ、ご神体が」

 コーヒーを啜りながら僕は頷く。チェック柄のネクタイを締めたタキシード風制服姿の老人は、棚に並んだワインのボトルを順番に拭きながら僕に問いかける。

「お前はそれが今回の件に関係あると思うのか?」

「断言はできないけど、多分」

 ハルヌは考えるような素振りを見せる。カフェの他の客は思い思いに飲み物や軽食を楽しんでいる。まだ六時頃なのでアルコールの摂取に勤しむ会社員はおらず、店の中は静謐な時が流れている。

「ご神体が盗まれたのではなく消えたのなら、それは神が外出したと考えるべきだな」

「外出?」

 ハルヌの発言に疑問を返す。神って神社に留まっているものじゃないのか。

「神はそんなに立派な存在じゃあない。気まぐれ、好奇心、なんとなく…そんな感情で動く、人間たちと何ら変わらない存在だ。日本の神話にも、海外の神話にもロクなやつはいないだろう?」

 そう言われればそうかもしれない。女の子に結婚を迫ったり、嫉妬して嫌がらせをしたり、喧嘩の腹いせに糞を置いて行ったり、妻がいるのに何度も浮気をしたり…。『人間がもし余計な力を持っていたらこんなことになるだろう』と言うのを鏡に映したような者たちばかりだ。中には立派な神様もちゃんといるけれど。

「わざわざご神体を伴って外出したのなら、余程興味のあることでもあるのだろう」

 どんな事柄かはわからないが、と彼は拭き終わったワイン瓶を棚に戻しながら続けた。

 神が全力をふるうことができるのは自分の敷地内、言い換えれば結界の内側のみだ。それの外では能力が限られる。その結界を広げる道具となるのがご神体だとハルヌは言っていた。ただしそれは弱点となるとも。

「それに身を宿すことは実体を持つということだ。ご神体には榊の枝葉や御札、土や木の人形、石まで様々だが、その多くは脆い」

 木や葉なら炎に。土や石なら衝撃に。確か臙脂棗のご神体は木の人形だったような…。

「ただし心得ておかねばならないことがある」

 僕の目を見据えて彼は言う。

「もしもこの事件を解決するにあたって神と戦うことになるのなら、相応な覚悟が必要だ。いかに君が神と同じ力を持っていようと、本当の神とは文字通り格が違う」

 たとえ落ちぶれた、さびれた社の主だとしても。人間とは決して同じ土俵に立ってはいない。故に、彼らは崇められる。

 だけど白いひげの老人は含みを持つようにこう告げた。あるいは彼は既にこの事件の全てを見通していたのかもしれない。

「ただしそれが、本来の神の道の上の存在ならば」

 

 翌日。やはり学校。気持ちがついてこず気怠い。本当のことなら全く行きたくはないが、約束というものが効力を発揮しているので仕方がない。完敗。とここまで書けばラーメンの食レポっぽいかしら?

 例に漏れず考え事をしながら過ごす。和泉は僕が三日連続で来ていることに少し驚いていた。僕は七日連続で来なければならないので、そうなったら彼女はどんな反応をするのだろうか。きっと四日くらいから気にしなくなると思う。人間そういうものだ。

 昨日は結局事件が起こった日の新聞記事を集めて読んでいるだけで終わってしまった。進捗なし。

「この問題の証明は…」

 今は数学の授業。高校の数学なんて半分くらいは国語みたいなものだ。最近あまり計算らしい計算問題が出ていない気がする。色んな人がしきりに読書を勧めてくるのはここらへんに理由がありそうだ。高校から読書を始めてもあまり身に付かなさそうではある。

 昔は植物図鑑なんかをよく読んでいた。映画になった方ではない。内容はほとんど読んでいないが、毒がある植物や、南米にしかない花、禍々しい色をした木の葉など、説明文を写真とともに眺めているだけで楽しかった。今は滅多に開かない。どうしてだろうか。いつの間にか息子の話を始めている教師の声を聞きながら、僕は目を閉じた。

 

 まどろみの中。僕の影が伸びている。それは僕の足元を離れて独立する。

やがてそれは僕の顔をして息を始める。連れ戻そうと手を伸ばしてもつかめない。それは僕の思想と相反する考えを持っているようで、破滅的だ。いや、僕の意識しない意識の底だろうか。信じたくはなかったのだけれど、僕にはそういった欲求が眠っていたのかもしれない。とにかく、そんな影が意思を持って動き出す。僕はその影を追うけれど、どんどんと距離が離れていく。まるで、自分から意識が乖離していくかのように。

 そして、影が夢の中の和泉風を切り裂いたところで目が覚めた。

 じっとりとした嫌な汗をかいている。いつの間にか休憩時間になっていた。どうやら僕は授業終わりの挨拶すらすっぽかして眠っていたようだ。気怠さが増している。

そこでふと視線を感じる。

「…和泉?」

 視線の方向を見ると和泉がこちらをじっと見つめている。良かった。現実の彼女は切り裂かれていなかったみたいだ。

じっと見つめられる。な、なんだろう…。僕だって居眠りくらいするぞ…。

「悪い夢でも見てた?」

 彼女に悪いことをしていたわけではないけれど、そう言われるとなんだかバツが悪い。

「いや…悪夢ではなかったと思う」

 目を逸らしながらそう答える。逸らした先には筆箱につけられたウサギのキーホルダーがあった。妹と、その友達と合わせてそのキーホルダーを買ったのだろう。和泉姉妹は仲がいいのだろうか。病室での話が蘇り、また影が這うような感覚がする。

 咄嗟に否定したけれど実際には悪夢だった。僕自身よくわからないまま心配をかけるのはよくないと思ったので否定をしておく。彼女が心配してくれるかはわからないけれどね。

「そ。家でちゃんと寝ときなさいよ」

 ぶっきらぼうにそう言って、弁当を持って教室を出て行った。そういえば四限が終わったのか。僕はパンでも買ってこようかな。銀のウサギが頭の片隅に残る。

 ついでに冷たい飲み物を買って、汗の嫌悪感と気味の悪い不安を拭い去りたかった。

 

 あの夢は何かの予言だったのかもしれない。そう思ったのは随分と後のことだったけれど、考え直せば自然とそう思われた。

 学校帰りの僕は一人の少女と出会った。それも、僕が探していた相手と。

 

 夕日が照っている。その光が届く限りのすべてを赤く染める沈みかけの太陽。住宅はさながら地球最後の日のようだ。赤色は光の中でエネルギーが小さい色らしいけれど、この景色を見ていると全然そんな気はしてこない。普段はすました青をしている空でさえ燃え滾っている。

 学校が終わった後のやる気の削がれた僕の目にもその赤は飛び込んでくる。もう少し控えめに照らして者だといつも思う。子供のころは自分の何倍にも伸びる影で遊んでいたものだけれど、今そんなことをしていたら間違いなく職務質問に遭う。懐かしさに浸るためだけにそんなリスクは冒したくない。

 だがそこで、こちらに向かって走ってくる少女に気が付く。そして少女の背後に迫る白い靄にも。僕はその靄に向かって駆け出した。足元に躓き、少女はそのまま転倒してしまった。お約束だ。

「―――速く」

 身体強化の魔術を使用する。極めて初歩的だがそれ故に扱いやすく、単純な強化を施す。右足で地面をけるとともに周囲の景色がぶれる。その勢いを殺さずに跳躍し、少女の頭上を飛び越えて背後の靄を左手で掴み取った。

「っ…」

 そのまま着地とともに地面に叩きつけたが、手ごたえはない。すぐさま右に反転し、転がる。僕が先ほどまで立っていた地面が鋭く切り裂かれる。靄は僕に狙いを移したようだ。巻き込んでしまわないように、僕は声をかける。

「離れていて!」

 少女は何とか身を起こし、こちらを心配そうに窺っている。

 靄は相変わらず宙に浮いている。僕は先ほどアレを掴んだ左手に目を落とした。手だけではなく、腕まで鋭利なもので切り裂かれたような傷があった。まだ僕が衣替えをしておらず半袖でよかった。ずぼらな自分に感謝をする。長袖を着ていたら制服が大変なことになっていた。制服の心配をしている僕に苛立ったか、それとも痺れを切らしたか、靄は強い風を纏って襲い来る。

 脚力の強化はまだ続いている。風の刃を全力で屈むことでかわす。頭上を通り抜けた風に向かって立ち上がりながら身を翻し、左腕で薙ぎ払う。傷が痛んだが、その代償のお陰か、風の塊は払った先の民家の塀に叩きつけられ霧散した。

「なんだよその腕…」

 そう言い残して靄は消えた。ふぅ、と息を吐きだす。

 カマイタチ。一昔前に人気になった妖怪だ。風に乗り、人を切り裂く。風に魔が宿ることで発生する低級かつシンプルな怪異だが、危険でもある。

 なんとか倒すことはできたので僕は少女のほうへ歩いて行った。なるべく恐怖を与えないように話しかける。

「怪我は、ないかな」

 精一杯のスマイル。どこぞのファストフード店でも金をとっていいレベルの笑顔だ。通報されたらたまらないからね!最近そういうの多いし!

「だ、大丈夫です…で、でも」

 彼女は僕の傷のことを心配してくれているのだろうか、僕の腕に目を落としている。

「大丈夫だよ。気にしないで」

  傷はもう治っているし、そもそもカマイタチにつけられた傷から血は出ない。

 少女は驚いたようだが、同時に安心もしたようだ。ほっと息をついた。

 僕はこの少女を知っている。ただし写真で見ただけなので、知っているのは一方的だ。

「えっと…私、藤谷朱音って言います。えっと…」

「僕は日暮恵勇だよ」

「さっきのって」

「カマイタチ。妖怪だよ」

 こんなことを言って信じてもらえるのだろうか。確かに目の前で起こったことだけれど、常識的に考えれば信じられないと思う。常識外にいる僕が言うのはおかしいと重々承知だ。

 だけど女の子は顔を伏せている。そのことに何かを察した。

「君は魔に襲われる原因に心当たりがあるのかな?」

「…」

 もっと顔を伏せてしまった。ショートカットだが前髪は長めで、そんな風に伏せてしまえば栗色のキノコのようになってしまう。セーラー服のショートカットって至高だと思うのだけれど、皆さんはどう思いますか?そんなことを考えている暇じゃない?あ、はい。その通りです。

「できれば聞かせて欲しいんだ。君の知っていることを、全部」

 追い打ちのようなことはしたくないが、彼女の後ろめたい感情は消し去っておいた方がいい。負の感情は魔を引き寄せる。今の彼女は、何故かはまだわからないが悪いものを引き寄せやすい状態にあるようだ。

「私は…」

 

「願ってしまったんです」

 

 僕は、そこですべてを知った。

 




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