「ふ~……やっぱり、ヘクトール兄上は強いなぁ~」
兄との訓練の後に汗を流すためにフルトゥーナは湯浴みを終えてカッサンドラの部屋へと向かう。
十四歳になったフルトゥーナはトロイアの中でも将来を待望される有数の若き武芸者として成長した。
既に兄ヘクトールは政治家として、将軍としての立場を背負っており、昔ほどフルトゥーナ個人を鍛えることはできない。
しかし、それでもヘクトールはフルトゥーナを訓練と称して兵たちの前で自ら鍛えており兵たちの武威高揚とフルトゥーナ自身の訓練も兼ねていた。
「全く勝てない……」
槍での戦いではフルトゥーナは必ずと言ってもヘクトールに負ける。
ただフルトゥーナの槍の腕はヘクトールでさえもまともに戦えば不覚を取りかねないほどに鋭く速いの事実であり、ヘクトールは搦め手を交えてフルトゥーナを翻弄するために勝てないのである。
「……やっぱり、私が
フルトゥーナをは自らの身体が年相応の女としての成長を見せていることに悩みを抱いていた。
既にフルトゥーナは多少筋肉が付いているとは言え、女性としての身体つきになっており胸の膨らみも鎧さえつければ隠し通せるほどではあるが存在しており、髪を結わずにいればカッサンドラの妹と言われたら誰もが首を縦に振る美貌の持ち主になっていた。
最近、そんなフルトゥーナに対して、フルトゥーナを美男子と思っているトロイアの女たちや男色の気がある男に言い寄られてすらいる。
さらにフルトゥーナは確かに戦士として男と自分の膂力の違いに真剣に悩みを抱えている。
フルトゥーナは確かに馬術や弓術、剣術、槍術は優れている。
しかし、それでも男と女の地力の違いを理解しているし、単純な力比べでは負けることも自覚していた。
「……本当になんで私を戦士……いや、王子として育ててるんだろう……」
フルトゥーナは自らが女の身にも関わらず、おうじとして、戦士として育てられてきたことに対して幼き時から本気で悩み続けて来た。
かつて父プリアモスにその答えを求めるも、父はただ謝罪するのみで教えてくれなかった。
母にも、兄人も、世話係にも、教育係にも己が女であることを知る全ての者に訊ねても誰も教えてくれなかった。
最愛の姉に訊いても彼女もまた『知らない』と答えるのみであった。
ただここで言わせてもらうと、カッサンドラのみは本当に真相を知らないのである。
それに仮令、知っていたとしてもどうして幼い何も知らない無垢なる妹に『お前は将来、辱められるか戦士として戦うしかない』と言う残酷な運命を告げられる。
それはプリアモスやヘカベー、ヘクトール、フルトゥーナを取り巻く全ての人間も同じである。
誰もがフルトゥーナを愛するが故に言えないのである。
しかし、それでもフルトゥーナは己のその境遇を呪った時もある。
美しくも優しい姉と同じ性別でありながらもどうして己は男として育てられなければならないのかと幼いころは武芸の稽古の辛さの中で悩み続けた。
花よ蝶よと愛される可憐な姉や妹たちと同じように綺麗な衣服を纏いたいし機織りをしたいし恋の話もしたい。
義姉のアンドロマケーや実姉クレウーサの様に兄ヘクトールや従兄アイネーアスのような男と出会って善き夫婦となりたいとフルトゥーナは未だに思っている。
だからこそ、フルトゥーナはよく馬に乗って悩みを晴らすかのように風と一体になる。
自らの名前の如く。
特に物心ついた頃からは稽古が終わる度に人知れずに泣いていた。
周りの女たちが楽しそうに見ているのを恨めしそうに思いながら同じ女なのにどうして自分だけがこんなことをしなくてはならないのかと。
そんなフルトゥーナの涙を唯一目にしたのがカッサンドラであった。
フルトゥーナはいつも隠れながら泣いていたがその光景をカッサンドラは偶然にも目にして弟を放っておけずしつこくも彼女に泣いている理由を訊ねたことで弟が実は妹であることを知ったのであった。
当然ながらカッサンドラは悲憤した。
最も自分が可愛がっていた弟がなぜ女でありがながら戦士として育てられたのかをカッサンドラは王である父に不敬を覚悟で詰め寄った。
しかし、父は何も答えなかった。
カッサンドラはその時憤慨しながらもあることを条件に引き下がった。
それはフルトゥーナの女としての名を求め、自分だけがせめてその名で呼ぶことを許すことであった。
父プリアモスはそれを許しカッサンドラはその時からフルトゥーナのことを二人だけの時はフルトゥーナをニネミアとして扱い慈しんだ。
そして、フルトゥーナは最初は戸惑うも姉の愛情を感じていくことで次第に心を許し姉に妹として甘えることで救われてきたのだ。
フルトゥーナが歪まずにいたのは偏にカッサンドラの愛情であった。
フルトゥーナは辛い時に必ずカッサンドラの許で泣く。
カッサンドラはそんなフルトゥーナを慰める。
だからこそ、フルトゥーナにとってカッサンドラは最愛の姉なのである。
「姉上に……甘えるのもそろそろかな……」
フルトゥーナは切なさと寂しさと共に自分に言い聞かせようとした。
カッサンドラはトロイアの守護神と言われる太陽神アポロンの目に留まり求愛されている。
カッサンドラも当初は初めての異性からの強い押しと愛の言葉に戸惑ったが日に日にアポロンの熱意と初めての異性からの求愛に胸が躍り、最近ではフルトゥーナに少し恥ずかしながらも嬉しそうに恋する乙女として語っている。
アポロンとの恋を話す姉の姿を見ているとフルトゥーナは姉を取られた気分になり多少のやきもちを焼く。
「……まあ、姉上が幸せならいいかな?」
ただフルトゥーナは寂しくもあるが、それでも姉のアポロンへの恋を語る際の幸福な顔を見ていると心のどこかでフルトゥーナは自身も嬉しくもあった。
「それにアポロン様が相手ならば姉上を悪い様にしないと思うし……」
フルトゥーナは同時にアポロンのことも悪く思っていなかった。
確かにアポロンは恋多き神でありそのほとんど悲恋で語られていることも事実ではあるが、基本的にアポロン自身が恋人をぞんざいに扱うことはない。
大体の場合は相手がアポロンを嫌ったり、アポロンを裏切ったり、他人に嫉妬されたりして悲劇的な目に遭うことが多いのだ。
仮にアポロン自身に原因があるとしてもそれは善意によるものであり、寿命を与えながらも不老を与え忘れたりとする等といった過失が原因であって、アポロンは恋人が自らを裏切らない限りは恋人を破滅させるような真似はしないのだ。
「姉上がアポロン様を裏切るようなことはしないと思うし……」
加えて、フルトゥーナは姉の貞淑さを信じていた。
アポロンはあくまでも相手が裏切ったり、恋を拒んだりしない限りは相手を害することはない。
その点、カッサンドラならば安心だとフルトゥーナは考えていた。
カッサンドラはアポロンと情を交わしておきながら他の男と情を通ずることはないだろうし、何よりもカッサンドラは最初は戸惑いを隠せずにいなかったが今は心の底からアポロンを慕っている。
その彼女がアポロンを拒むことはないだろうとフルトゥーナは疑いもしなかった。
それは彼女がフルトゥーナに恋を語る際の嬉しそうな顔が物語っていた。
「着いたか……」
フルトゥーナはいつものように姉の部屋の扉の前に立った。
きっと扉の先にはいつものように自らの好きな姉のえがおがあるとフルトゥーナは疑わなかった。
「姉上、私です」
フルトゥーナはいつものように姉に呼びかけた。
フルトゥーナは姉の返事がいつものように返って来るのを待った。
「……姉上?」
しかし、返事は返って来ず静寂が漂うのみであった。
「……姉上、失礼します」
訝しくも思いながらもフルトゥーナは失礼を承知で部屋に入ろうとした。
カッサンドラは必ず声をかけたらどんなことだあっても返事をする人間である。
特にそれはフルトゥーナ相手ならば尚更である。
いつもと様子の違う姉に違和感、同時に嫌な予感を覚えてフルトゥーナは扉を開けた。
それが自らの運命の扉そのものであると理解せずに。
今作でのアポロンとカッサンドラの関係に関してはカッサンドラもアポロンのことを憎からず思っていた路線でいこうと思います。そう考えないと少し腑に落ちないことがありますので。
唯一の★5鯖がジャンヌの私は今回の幕間追加でかなり助かりました。
スタンなしで仮にジャンヌ以外全滅でも粘り勝ちできる可能性ありますし。