最近大変ですが、自身は大事なく生きてます。
ブリテンで最も贅沢な料理とは何か?
肥え太らせた家畜の希少な肉の部位を素材とした料理?
年に一度しか回遊してこない魚を素材とした料理?
ブリテン本土では育成不可能な生鮮野菜を使った料理?
確かにどれも贅沢なのは間違いない。
だがしかし、あえて俺は違うと言おう。
そして俺が最も贅沢な料理だと言えるもの、それは…揚げ物であると。
「菜種からこんなに油が採れたなんて…」
人の頭ほどの瓶いっぱいに溜めた菜種油を前にアルちゃんが声を震わせる。
その反応もさもありなん。
ブリテンで油といえば大凡ラードかオリーブオイルのほぼ二択。
菜種は香辛料の代わり程度で、油の取得などローマでさえやっていない。
そして植物油は高級品として取り扱われており、アルちゃんが持っている瓶ほどオリーブ油を買おうとすれば金貨で二桁は覚悟する必要があろう。
「疲れた…」
知識ゼロからの菜種油の採取に着手してから約三年。
失敗と挫折を重ね続け、漸く求める純度の油を必要な量だけ確保できるようになった。
とはいえひたすら菜種を砕いて蒸しての作業の連続は、人生の下り坂の終わりが見えて来る年に至った俺には辛く、重労働を通り越して苦行レベルのしんどさだった。
一応採取法は残しておくが、労力から考えて定着はしないだろうな…。
「料理長! すぐにアーサー王からリゲニスの壺を借りてきますね!!」
「そいつは今晩使う予定だよ」
「なん…だと……?」
さり気なく命知らずな発言を口にしたアルちゃんにそう言うと、アルちゃんはまるでこの世の終わりを前にしたような顔になった。
「正気ですか料理長!?
まさか働きすぎて心が疲れ果ててしまったのでは!!??」
そう縋り心配そうに見上げるアルちゃんに、心配りは有り難く思いつつも否定する。
「合間合間でちゃんと休憩は挟んでいるから大丈夫だよ。
少なくとも、ケイや宰相殿の苦労に比べたら軽いもんさ。
それに、アーサー王だって一日も休んでないんだ。
上司が働いてるのに部下が易易と休んでられないよ」
そう言うと何故かアルちゃんは自分が諌められたかのように曇ってしまった。
「私が休まないから料理長が休めないなんて…。しかし私達が一人休むだけで執務が倍に…クソッ、料理長のためにも人材が欲しい…っ!?」
なにやらよく聞こえないが、割って入るのも気が引けてしまう。
然しながら、アルちゃんの言い分も確かだ。
輸入頼りのオリーブ程ではないが菜種とて安い品とは言い切れない。
加えて油を搾った菜種は飼料か畑の肥料の足し以外の使い道を俺は知らないし、対応費量から考えたら暴挙と思われても仕方ない。
「仕方ないか。
これだけ菜種油が有れば故郷の最強料理の一角が作れたんだが、それは諦め「やって下さい」」
菜種油をどう使うか考え直していた俺にアルちゃんはすごい剣幕で詰め寄ってきた。
「え? だがさっきアルちゃんも」
「私が間違っていました。
料理長の心からの献身と誠意を疑う貧乏が染み付いた愚か者の戯言など忘れて頂きたい」
表情がのっぺりしたアルちゃんから怒涛のように流れ出てくる言葉に気圧されつつ、一応言うだけ言ってみる。
「い、いや、流石に油の量もあるし、一応アーサー王や宰相殿にも確認を取ったほうが…」
「陛下とアグラヴェイン宰相ですね?
序でにサー・ケイからも了承をぶんどって来ます!!」
そう言い、竜巻みたいに風を起こして厨房から飛び出していくアルちゃん。
「…ちょっと、盛り過ぎたかな?」
落ち着かせるつもりが逆に火を付けたような気がして本気で困っていると、数分と待たずにアルちゃんは竜巻みたいな風と共に戻って来た。
「三人から許可を取ってきました!!
ついでに人手としてボーマンも連れてきました!!」
「早っ!?
というかボーマンは仕事は良いのか!?」
憧れていた騎士になれたと意気揚々と語っていたボーマンが、アルちゃんに首根っこを掴まれ目を回している様についそう言葉にするも、アルちゃんはなんでか自信満々に親指を立てた。
「陛下から許可は出ています!!」
「えぇ…?」
それで良いのかアーサー王?
「う〜ん…」
と、困惑していた所で目を回しつていたボーマンが呻きながら目を覚ました。
「あれ…なんで私、厨房に?」
「すまんなボーマン」
「ふぇっ!? 料理長!?」
巻き込んでしまったボーマンに詫びを口にするとびっくりして飛び起きる。
「一体何があったんですか!?」
「ちょっと作ろうとしている料理で少し騒ぎにしちまってな。
折角というのも何だが、ボーマンもブリテンでも作れる俺の故郷の料理を覚えてみないか?」
そう言うとボーマンは喜色満面の笑みで応えた。
「料理長の故郷の料理…知りたいです!!」
尻尾があったらブンブンと振っているだろう様子で希望するボーマンに良しと俺は頷いた。
「じゃあ始めるか。
まずはボーマン、」
「着替えて手を洗ってきます!!」
「私は不埒者が侵入しないか見張っています」
何より最初にやるべきと教えた事を言うまでもなく実施する姿に成長を喜ばしく思う。
だけどアルちゃんや、それはちょっとどうかとオッサンは思うんだが?
とはいえ居られてもついつい味見で食べさせ過ぎてしまうだろうし、そのままやりたいようにしておこう。
「さてと、ボーマンが戻るまでに下ごしらえを進めておくか」
揚げ物といえばやはり鶏唐は外せない。
ついでにディナー用のカツレツもやってしまおう。
それとガウェインのために作ったひよこ豆の豆腐で厚揚げと野菜かき揚げもやらねばならないし、ケイ他酒好きの連中向けの魚とエビのフライも忘れてはいけないな。
惜しむらくは、芋も南瓜も無いブリテンでは揚げ物の定番であるコロッケが作れない事か。
「一体何の騒ぎだ?」
豚肉の筋切りをしていると面倒と興味が半々と行った様子のケイが厨房に顔を覗かせた。
「悪いなケイ。
ちょっと材料で贅沢がな」
「まあ、
そう肩を竦めると、ケイは「で?」と尋ねてきた。
「一体何を作る気だ?」
「揚げ物っていう油を大量に使う料理だ」
「通りで」
納得がいった様子でケイは息を吐く。
「お前の事だから酷いことにはならないだろうが、あまり滅茶苦茶するなよ?」
「分かってるさ。
あ、それと揚げ物は冷やしたエールと最高に合うぜ」
「そいつは良い。
なら、良いやつを準備しておこう」
そう言うとケイはさっさと厨房を出ていった。
心無し機嫌が上向いているのは見間違いではないだろう。
「料理長!! 此度の夕飯に一言申し上げたい!!」
と、入れ替わるようにガウェインが厨房に現れる。
「ちゃんとガウェイン卿とベディヴェール卿に合わせた野菜のみの料理も予定しているぜ」
「委細承知しました!!」
まあ、展開はあるだろうと思い先んじて言うとガウェインは答えは得たと言いそうなぐらいいい笑顔を浮かべていた。
「円卓の騎士ガウェイン。
今この時のみですが汎ゆる存在から御身を守り通してみせましょう」
目をギラギラと輝かせてガウェインが間近に迫る。
「あ、うん。
じゃ、じゃあつまみ食いする奴が入らないよう外で見張っててくれるか?」
「我が身を賭して遂行します!!」
なんか、アーサー王に向けて言っている勢いでガウェインは俺に恭しく頭を下げてから厨房を出ていった。
「何をしているのですかサー・ガウェイン!?」
「お許し下さい陛下、今この瞬間だけは私は陛下の騎士ではなく料理長の騎士なのです」
「頭の中にマヨネーズでも詰まってるのかマヨゴリラ」
「サー・ケイ。いくら貴公でもマヨネーズを愚弄するなら容赦はしない!!」
「騎士を愚弄しているのは貴様だろうが」
なんか扉の外でドッタンバッタンし始めたんだが、いかんせん煩すぎて会話がこちらにまで届かない。
「何事ですか料理長?」
支度を整えたボーマンに、俺はどう答えるべきか少し悩んでから答えた。
「まあ、いつものだから気にすんな」
「ああ…成程…」
理解したとどんよりした目で頷いたボーマンにスマンと思いつつも、しかし作業を遅らせないようせっつかせてもらう。
「さ、外は外に任せて俺達もやるぞ」
「ハイッ!!」
一声掛けるとボーマンもスイッチを切り替え料理人の顔になる。
「先ずは下ごしらえを済ませる。
ボーマン、焼いてある丸パンを細かくちぎってボウルに溜めておいてくれ」
「分かりました」
指示通りにパンをちぎって行きながらボーマンは質問を投げてきた。
「コレは何に使うんですか?」
「そいつは食材にまぶして熱し過ぎて硬くならないよう食材を守るために使うんだよ」
「へぇ…」
感心したふうに声を漏らすボーマンに俺は言う。
「それと完成した後はパンそのものもサクサクとした食感を与えてくれるから食べ応えも良くなるぞ」
「うわぁ」
声からしてワクワクしているのが見て取れるボーマンに穏やかな気持ちを覚えつつ、火入れした竈に油を注いだ銅鍋を乗せていく。
「料理長、それはお湯じゃないですよね?」
「ああ。菜種から搾った油だ」
「ヒエッ!?」
正体を言うと面白いぐらい驚くボーマンが先程のアルちゃんと被ってつい笑ってしまう。
「そんなに驚くなよ」
「驚きますよ!!
こんなに沢山の油を使うなんて、料理長の心が心配になります!!」
手を休めず抗議するボーマンに改めてどれだけと思いつつ、俺は笑い飛ばした。
「心配するなって。
本当にまずいと思えばちゃんと休んでいるよ」
「…むぅ」
ジト目を向けてくるボーマンを受け流し話題を変えようと俺は尋ねる。
「序でというのも何だが、ボーマンもリクエストが有れば聞くぞ?」
「え? え、えぇと、じゃあ甘いのが欲しいです!!」
ほう?
「じゃ、蜂蜜掛けの揚げパンをボーマンだけに賜らせてやろう」
「パンを『揚げる』?」
おっと、そういや説明していなかったな。
「食材を油に通すことを『揚げる』って言うんだよ。
で、パンを揚げるとこれがまた美味いんだよ」
「ふぇぇ…」
概要を理解したボーマンが感心と驚きの混じった目で奇妙な声を出す。
「因みに揚げるだけならラードでも出来るが、ラード臭くなるし油っこくなってあまり美味くないからオススメはしないな」
「成程」
「とはいえラードは安上がりだしお湯より高い温度で調理出来るから、水を確保しづらい状況で短時間で安全な食事を大量に用意する必要があるならラードも選択肢に数えたほうがいいな」
「例えば…戦場とか?」
「だな。あまり言いたくはないが熱した油は凶器として使えるってのも状況次第じゃ有利を向けれるかもしれない」
人を殺す手段なんざ口にしたくは無いが、しかし口を噤んだせいでボーマンやアルちゃんが死んでしまうほうが俺は辛い。
こればかりは、時代がそうだと受け入れるしかない。
「大丈夫ですよ料理長。
私、こう見えて結構強いんですよ。
それにアルちゃんもです。
だから、料理長は何も心配いりません」
むん。と気合を入れる仕草を見せるボーマンに、俺は自然と笑っていた。
「ああ、年寄ってのは心配性でいけねえな」
暗くなった感情を振り払ってくれたボーマンに感謝しつつ、菜種油が十分に温まったのを確かめ俺は気合を入れ直した。
「さて、今日も頑張るか」
なお、その日の晩餐は地獄絵図と化した模様。(ただし料理長には一切知られないよう配慮だけは全員忘れなかった)
蜂蜜揚げパンの事がバレ、暫くガレスはアルちゃんからしっとりした眼差しを向けられました。