ムシウタ - error code - 夢交差する特異点   作:道楽 遊戯

1 / 12
過度なネタバレ要素を含みます。原作未読の方は注意して下さい。
13巻までのネタバレ要素をぶっ混みますが、一応未読の方にも分かりやすく描いているつもりでいます。
この作品を読んでムシウタを読み始める方には歓迎の言葉を贈ります。
合言葉は、アニメ化なんてなかった。


夢の交差点
夢失いし記憶


虫憑き。

人の願望である夢を喰らう為に人に寄生し、代わりに力を与える異形の虫に憑かれた人間。

虫は思春期の少年少女に取り憑き夢を喰らう。

 

表向きには、存在しない都市伝説や怪談の扱い、裏では、虫憑きを取り締まる政府機関 特別環境保全事務局 、通称特環と、それに抗うレジスタンス組織むしばねが抗争を繰り広げている。

 

虫憑きになった人間は、恐怖の対象として世に忌避され、自分の意思とは関係なく、戦いに巻き込まれる運命にある。

虫を殺されれば自我を失い、欠落者と呼ばれる結末に至る。

虫を酷使すれば夢を磨耗し、やがては夢を食い潰され、成虫化と呼ばれる現象を起こして宿主は死を迎える。

死の時限爆弾つきの苛酷な戦い、否応なしに投げ出される虫憑きに、誰もがなりたくてなるわけでない。

 

虫憑きが生まれる原因、始まりの三匹。

原虫指定とされている始まりの三匹は、夢を抱いた少年少女に接触し、夢を喰らうことで虫憑きにする。

虫憑き誕生のメカニズムは一つの理と化したシステムだ。

少年少女が抱いた夢に始まりの三匹が誘われ虫憑きがうまれ、戦いが繰り広げられる。

 

三匹目アリア・ヴァレィは、自我を喪失した現象になりつつある。

浸父ディオレストイは、妄想に狂った呪いそのものである。

大喰いエルビオレーネは、自らの食欲を満たすだけに夢を喰らい続けている。

 

流星群の夜、五人目の一号指定 槍使いは、大喰いとの戦闘の末姿を消した。

多くの犠牲を払い、虫憑きの不条理なまでのシステムに一つのbugを起こした。これにより大喰いの完全性に一矢報いることに成功している。

されど槍使いが起こした唯一つのbugでは、虫憑きがうまれ続けるシステムに歯止めをかけるまでには至らなかった。

 

虫憑きから生まれたイレギュラー、だけど終止符にならない。

では虫憑きの誕生するシステムはいつまでも変わらないのか。

どうすれば虫憑きが救われるのか。

 

これはbugが起こすイレギュラーではなく致命的な故障error code。

 

虫憑きの世界に訪れた特異点が紡ぎだす不可思議な物語。

 

 

 

 

「ねえ、貴方の夢を聞かせて」

「嫌だ」

 

拒絶の言葉に、紫の輝きが薄まり、気を抜くと何もかも話してしまいそうになる衝動も弱まった。

たった今、大喰いに目をつけられ虫憑きになりそうになっていた少女、月見里(ヤマナシ)キノは転生者と言うヤツである。

前世で読んだ小説ムシウタの原作知識を持ち、虫憑きの事情を知る少女にとって先程の誘い文句は、かなりヤバめの悪徳詐欺である。

うっかり口を開いて、夢を語れば即虫憑きの仲間入り。

しかも精神攻撃で誘われるようにお口が開くサービスなので断れるケースは少ないどころか稀少である。

即答じみたお断りも、二度目の人生で強くなった精神力の賜物なので笑えない。

大喰いエルビオレーネは、僅かに目を見開くと愉悦に微笑を浮かべた。

 

「あらあら、断られちゃったわね。ヤマナシちゃん」

「拒絶されて余裕がないんじゃないの。特環が来る前に消えたらどうよ」

強気発言。

夢を拒絶されることは始まりの三匹共通の弱点である。

挑発じみた発言も、始まりの三匹は虫憑きを生むだけで別に人間に害意があるわけではない、と裏付けされた知識によるものなので別に大した啖呵ではない。

 

「それもそうね。じゃあねヤマナシちゃん」

簡単にその場を去ろうとする大喰い。だが諦めたわけではない。

機会をみてはまた何度でも現れるだろう。

月見里の夢を喰らう為に。食欲に濡れた恍惚した表情が物語っているので嫌気が指す。

無論虫憑きなんかになりたくもない月見里は何度現れても断る心算である。

ふと去ろうとする大喰いがこちらに振り返り月見里に言った。

 

「私に驚かないのはアリアのことを思い出したからかしら月見里ちゃん」

 

去り際にとんでもない爆弾を残して去っていった。

月見里 キノは転生者である。

ムシウタの原作知識を持ち虫憑きの苛酷な事情を知る稀な存在である。

計らずも二度目の生を得て夢抱く少女は来年から中学生になる。

虫憑きになんか関わらず平穏に生きようとして今。

 

「なんですとォォオ」

 

既に自分が虫憑き事情に巻き込まれていた事実が判明して絶叫したのだった。

 

 

 

三匹目アリア・ヴァレィは始まりの三匹のなかで、最も謎の多いとされる原虫指定である。

まず目撃例がない。

これにより姿形が判らず、どのような手段で虫憑きにしているかも不明である。

虫は親である始まりの三匹にならい、それぞれ三つのタイプに分かれる。

最も数の多い、分離型は大喰いに生み出された虫憑き。

次点が浸父の生み出す少ないが珍しいほどではない、特殊型の虫憑き。

稀少性が高く強力な虫憑きが多い、同化型の虫憑き。

これが三匹目アリア・ヴァレィが生み出す虫憑きにあたる。

 

前置きは済んだので本題に入ろう。

アリア・ヴァレィが謎に包まれた存在であることと、稀少な同化型の虫憑きを生み出す存在だと分かっていただけただろうか。

生み出された虫憑きと親である虫憑きは似通った特徴を兼ね備えている。

夢を喰らう時、顕著となる。

大喰いが巨大な蝶の発動体を出すように。

浸父が教会の領域に誘き出すように。

そしてアリア・ヴァレィは同化型の親である。

つまりアリア・ヴァレィは人に同化して夢を喰らう特性を持っているのである。

アハハ。そして何を隠そうアリア・ヴァレィに同化した人間は、役目を終えた後、生み出した虫憑きとアリアに関する記憶のすべてを失うのである。

あははは。目撃例がないことと情報がないのはこの為だ。

ワハハハ。さてと自棄に笑ったところで大喰いの発言に戻ってみようか。

 

どうも自分アリア・ヴァレィに関わったようである。

思い出した発言から察するにアリアと同化した人間と予想できる。

アリア・ヴァレィが取り憑く基準は目標の人物に親しい間柄から選別される。

 

名探偵の要らない推理をしよう。

私はかつてのアリア・ヴァレィで、そのことを忘れて過ごしていたことから、親しい人物を同化型の虫憑きにして、役目を果た終えた後、日常回帰していたらしい。

どないやねん。私なにやってるだよ。マジ意味不明。

 

「どないやねん......」

虫憑きと関わるつもりはなかった。

原作の謎と伏線の多さから明らかにされた真相まで複雑怪奇過ぎて介入する余地がなかった。

無双する要素ほぼ皆無。

一号指定の化物クラス、始まりの三匹、魅車八重子、殲滅班、死亡フラグてんこ盛り。

夢の代償による力の行使。全力出したらそれだけ成虫化が早まる素敵仕様に涙必須。

戦わない虫憑きはいない。力をもてば周りが戦いを強要する。結論関わりたくねえ。

 

「でも既に関わっているんだよなり不本意ながら。しかも罪悪感のある感じで」

そう自分は、自分が陥りたくない虫憑きに、誰かを陥しめたのである。全く思い出せないが免罪符にならない。

寧ろ今もそのことを忘れていて、のうのうと過ごしていることに罪悪感を掻き立てられる。

一体自分は誰を虫憑きにしたのだろうか。

その人は、虫憑きになって何をしているのだろうか。

 

「おのれアリア恨むぞバーカ」

今は自分の中に居ないかつての同居人に対して愚痴をこぼしてみた。

なんだか懐かしい気分がした。

 

 

 

酷く枯れている少年 一 人識(ニノマエ ヒトシキ)は夢を抱いた。

ニノマエは感情の起伏がない冷めた少年である、と自他共に認めていた。

そんな自分が願望を抱き渇望するようになるとは思ってもみなかったことだ。

多分、と言わずに原因はあの少女にあるのだろう。

世界が酷く色褪せて興味を持てなかった自分を魅了し、期待させたのは少女に他ならないのだから。

 

「変な女」

幼なじみと呼ばれる関係なのだろう。目前の少女は掛け値なしの変人だと常々思う。

よくわけのわからない言葉を使ったり、テンションが激しく、同年代としておかしな感性の持ち主である。

何を考えているかわからない自分と対照的な存在として扱われている。

 

「名前で呼べい。月見里キノ。リピートアフターミー」

「変なキノコ」

温度差が激しい二人である。

二人は名前の漢字の読み方で接点を作った仲だ。

月見里は、月の見渡せる里で山がないヤマナシ、一は、数字において二の前、ニノマエである。

ニノマエは月見里キノをキノコ呼ばわりするが、キノは少女らしからぬ捻ったあだ名で彼を呼ぶ。

 

「キノコとはなんだ、イチ。私はキノコタケノコ戦争でまさかのタケノコ派なんだぞこらー」

「キノコとの不毛な会話をヤマナシと呼ぶ」

「なんだと。ヤマナシオチナシってか。私との会話はそんなに詰まんないかイチ」

ニノマエヒトシキ。漢字を宛字にするとニノマエに等しき、イコールイチでイチと呼んでいる。

 

「それで私の何が変なのかハッキリさせようか」

「別に。何も。キノについて考えてトータルさせたらそうなった」

冷めた少年に夢をみせた少女。

自分とは違って世界に映えるように生きていて、色とりどりの鮮やかな表情を浮かべる少女に憧れを懐いたのは少年だけの秘密だ。

 

「普通にショックだよ。特に理由もなく私が変人にされているじゃないかイチ」

「キノについて考えてみたら、そう思ったんだから仕様がない」

「私について考えた。それってあれかな、文面通りに私のこと意識したってことなのかな」

「うん。そして結論が変。今はクネクネしててさらに変」

身体を身捩らせる少女を少し冷めた眼でみる少年。

ニノマエは少女の僅かばかり残念な部分を嘆息しながら、歩みを進める。

置いていかれた少女が追い掛けてくる。

 

足音に振り返ると、少女の髪が碧色に輝いたのを幻視した。

 

 

 

旨そう。

 

それが先程まで帰り道一緒に歩いた幼なじみに抱いた感情。

誤魔化す。誤魔化す。抱いた感情を誤魔化して、必死にアリア・ヴァレィの意識を誤魔化す。

さっきのは正直危なかった。自分と全く同じ声をした同居人が悔しげにうねる。

 

『惜しいもう少しだったのに。勢いが足りない』

「少しは自重してよアリア」

飢餓感が弱まることはないが、自制心を取り戻すことには成功した。

アリアと出会って一週間経つが、イチが持つ夢の芳醇な香りにはクラリと食欲を刺激される。

まだ耐えられる。でもいつまでも耐えられない。

この空腹感には抗えないと分かっているけど覚悟は決まらない。

イチを虫憑きにする覚悟が。イチを忘れてしまう覚悟が。イチと離ればなれになる覚悟が。

 

『覚悟なんて要らないよ。私に全部都合の悪いことは押し付けて、その飢えを満たすことだけを考えればいいのさ。さあレッツトライ』

「私が言うのもなんだけどやっぱり自重しなよアリア」

頭に響く声はキノに同化するアリアそのもので、自分を模した声で馬鹿みたいに夢を喰らうことを催促される。

ちなみにキノ以外に声を聴けないから独り言する痛い子をやっている。イチに見られた時に生暖かい眼というエピソードがあったり、なかったら良かった。

 

『私が自重しない性格って言うなら、それは君が自重しない性格ってことなのさ』

「分かっているもん。アリアのオリジナルの人格はなくて、今ある人格は私のコピー。イチに変人扱いされたから、アリアも変人ってことだよね。ざまあ」

『君って自分のこと省みないだろう。我が宿主ながら残念だよキノ』

非常に仲良くやっているキノだが、イチのことを考えるとやはり暗い。

アリア・ヴァレィは眠りにつく為に夢を喰らう。

目標達成率百%。多くの宿主を鞍替えして夢を喰らってきた、最弱の始まりの三匹。

生まれる同化型は強力だから、戦いの中心に必然的に巻き込まれる。

アリアの好みの夢は質で選ばれる。

大喰いが美食家、味を大事にする気質、浸父が歪んだ夢という偏食家、アリアは自称こだわり派である。

ただしイチがどんな夢を抱いているのかは、キノに知る由がない。

原作に登場しない人物が同化型になる不安を、アリアに悟られないよう思考の隅で考えたりもする。

 

「アリア。私はイチを虫憑きなんかにしたくないよ」

『無駄さ。私が目をつけた時点でイチは虫憑きになる』

「偽悪振らないで聞いて。別にアリアのせいにしたい訳じゃない。私はイチに伝えたい。そして謝りたいんだ。きっと私のせいだ。イチが夢を抱いたのは。それに気付けるぐらいは鈍感じゃないからね」

イチは同年代と比べるとひとつ頭飛び抜けていて、どこか冷めた部分がある。

そんな少年の初対面の印象と今の印象が変わる位にはキノは彼に影響を与えていた。

 

『私が悪くない訳ないでしょ。君は悪くない。私が君に取り憑いたせいだ』

「アリアは悪くないよ、そういうものなんだから。選べない。望んでいない結末で夢を喰らい続けているんでしょ。そういうものに成り果てたとしても、アリアはきっと悪くないんだよ」

『どうしてそんなこと言えるのさっ。君たちはどうして私を責めようとしないんだ。その権利は君たちにあるのにさ!』

「アリアは責めたてるには優し過ぎるんだよ。私に罪悪感を感じないように諭すのは何故なんだい。責めたてられようとするのは何故なんだい。私から言わせるとその優しさが反則だ」

『......恨まれる自覚はあるのに恨まれない。君たちはバカだね。私の優しさが反則だと言うのなら』

「私の優しさが反則と言うことなのかな」

『セリフを盗るなよ』

「明日イチに伝えてみるよ。告白だね。そしたらイチに選んで貰う」

『キノ。やはり私は伝えることは反対だ。忘れてしまってもそれがきっと救いになるから、今感じている辛いことなんてなくなるんだよ』

自分の夢を喰らって虫憑きにしようとする化物。

それを告白するんだ。そしてそのことを忘れてしまう罪を告げなければならない。

イチがどう反応するのか想像するだけで、気分が暗くなる。

 

「私もね意外だったんだよ。無くなるかもしれないって分かって始めて知ったんだ。イチのことが好きなんだ。救いじゃなくて罰なんだよ。私は楽になりたい。飢えに耐えきる自信もないし、夢を喰らう覚悟もない。だから告白するんだ。赦されても、赦されなくても、受ける結末は罰であるべきなんだ」

『それでも私に罪を押し付けないんだね。私の経験からアドバイスするよ。きっとあの子は赦すよ。見てたら分かる、あの子はいい子だ。そしてあの子はキノのことが好きだろうさ』

「マジでっ」

『単純だなっ』

ワイワイやり取りしながら不安を圧し殺す。

私はどうやってもイチを虫憑きにしてしまうだろう。

それに抗うには知りすぎている。どんなに期間を延ばしても解決する手段はない。

 

本当に危惧すべきは、アリア・ヴァレィではなく、食欲にまみれて誘われる紫の蝶々なのだから。

 

 

 

アルバム漁っても中々出てこない人物。

そんな浅い関係ではなく、探せば幾らでも出てくる人物を忘れていた。

アルバムなんてわさわざ見直したりしない親の趣味の様なものだ。

だからこそ誰を忘れていたのかを知り、ショックが隠せない。

 

名前を思い出した。

ニノマエヒトシキ。キノはイチと呼んでいた。

幼なじみで冷めた感じの少年。キノが夢を喰らった少年である。

思い出せたのはそこまで。

アリア・ヴァレィとしての葛藤と、同居人とのたわいのないやり取りを思い出しながらも、肝心の虫憑きにした時の記憶が思い出せない。

この世のものとは思えない、芳醇で甘くて切ない味を咽に流したことは間違いない。その感覚は思い出していた。

 

イチの夢を喰らった。アリアはもういない。私は一人の虫憑きを生んだんだ。

 

「イチ。どうして私は君の夢を喰らったんだろう」

別れは罰で、今まで忘れていたことも罪になるのだろうか。

私は今まで楽しく生きてきたよ。

君のことを忘れてね。だけどーー

戦いの運命に落とされたイチに、罪悪感を感じるよりもしなければならないことがある。

 

「イチ。君は今どうしているのだろうか」

知らなければならない。

イチがどうなったかを。虫憑きの戦いを。

 

少年の結末を。

 

 

 

 

ーーーかつて一人の少女にイチと呼ばれていた少年、ニノマエヒトシキ。

虫憑きの中でも稀少な同化型の虫憑き。

彼は今とある施設で佇んでいる。

その瞳は感情を写し出さない。

表情は人形のように変化しない。

その少年は自らの意思で行動しない。

 

何故なら少年は欠落者なのだからーーー

 

 

自らがかつてのアリア・ヴァレィであることを思い出した少女月見里キノ。

イチと呼んでいた幼なじみの少年と再会するため、日和見した平和な道から離れる決意をする。

まずは完全に思い出すこと。

現在のイチを知ることをしなければならない。

 

今はもう一般人。今はまだ一般人。

切れるカードは鬼札一枚のみ。

反則的な原作知識があるが利用価値があんまりなかったりする。

とりあえず今世の初恋にして初告白の舞台。

小学校の屋上を目指してみる。

両親に別れの文をしたため住み慣れた日常を後にする。

 

軽快な運動靴の足取りの跡に、穢れた鐘の音が響いた。

 

 

 

その遭遇はイチと別れて、アリアとの会話のなかでふいに起こった会合であった。

 

佇む男に異形の生き物。

 

「ねえアリア。私は君から事情を知った時に赦せないことがあったよ」

『これはっ、生まれたての虫憑き。

分離型、エルの仕業か!』

「大喰いエルビオレーネ。ただただ食欲の為だけに夢を喰らう化物」

『キノッ。のんびりしてられないよ。君は逃げるんだ』

「無理だよ。あの虫はコントロールされていない。生まれたてで暴走しているんだ」

『エルは夢の匂いに誘われ出現した。この辺りで一際強い香りを放つものは一つだけ』

「ここで虫憑きが特別環境保全事務局に見つかることだけは避けたい」

『エルは、イチの夢の香りに誘われた』

「私は今覚悟した。エルビオレーネなんかにイチの夢はくれてやらない。特環にイチを見つけさせはしない」

『キノ!』

キノの肩に触れないほどの短い髪が碧色に染まった。

アリア・ヴァレィと一体となったキノは、目の前の虫憑きに挑む。

 

「イチは私たちの物だ!」

「うわあああ」

暴走した名も知らない虫憑き。

典型的な分離型の巨大な虫。キリギリスの近似種コバネヒメギスに酷似した虫である。

虫憑きの男は、錯乱した雄叫びをあげると、虫がキノに反応し襲いかかってきた。

 

「こっちの都合で欠落者にするわけだけど、正当防衛になって気が楽になったよ」

三メートルはある巨体の突進を、キノは開けた空間である左側ではなく、壁際の右に避けることを選んだ。

虫の爪がその身に迫ろうとした時、キノは碧色の輝きを残すように壁を透過して攻撃を避けた。

 

無機質との同化による透過能力。

戦闘力の低いアリア・ヴァレィのもつ技能の一つ。

そのまま壁を透過して虫の背後に回り込む。

キノの姿を見失った虫が辺りを見回していた。

気付かれる前に決着をつける。

碧色を纏った腕を大きく振りかぶると軌跡を描く碧色の輝きが、虫の身体を抉った。

 

『そんなことまで出来ると教えてないはずなんだけど』

「私ってば天才だからね。とりあえず大勝利」

 

虫が虚空に消えていく。

 

虫憑きの男は感情なく佇んでいる。欠落者になったのだ。

服の袖が僅かに破れて怪我した腕が鈍く痛んだ。

 

『危険なんだよそれは。空間に同化したエネルギーを不安定にぶつけた攻撃は、君も無傷でいられない』

「アリア。エルビオレーネの気配はどうなっている」

『ちゃんと聞いてよキノ。エルの気配は感じない。

虫憑きを生んで今日はもう大人しくしているだろうね』

「イチは大丈夫だよね」

『結局はそれか。無事だよ。エルと接触した様子はない』

ほっと息を吐く。

大喰いが顕れた以上悠長に事を構えていられなくなった。

明日の告白が逃れられないものになり、キノは改めて覚悟を決める。

 

「エルビオレーネ。絶対イチの夢は渡さない」

 

 

 

小学校の屋上は鍵で施錠された立ち入り禁止の空間である。

イチはキノに誘われ立ち入り禁止の屋上にやって来た。真冬の寒空が天気良く二人を出迎えた。

厚手の服とマフラーを靡かせ二人は向かい合う。

 

「鍵はどうした鍵は」

「あはは。私に開けられない鍵はないのだ」

お忘れなきよう月見里キノは転生者。職員室の鍵をチョロまかすぐらいどうってことはない。ドヤ顔でキメてみたが反応が鈍いイチ。

 

「キノ。今日はやっぱり変だ」

「変って言うな」

濁してみたがイチは心配そうである。

察しがいいのはこの少年の優しい取り柄だ。

 

「誤魔化されないよキノ。いつもより元気が空回りしてるし落ち着きがない。そしてなんだか顔色も悪い」

「このご尊顔を拝して私を美少女を讃えないとは。

まあ冗談はここまでにして話そうか。私の告白を聞いて欲しい。イチ」

何から話そうか。THEノープラン作戦は行き当たりばったりの体当たりだけど本心をぶつけるのには丁度いい。

 

息を吸って吐くルーチンワーク。

 

 

 

「私はイチのことが好きだ。愛してる」

 

 

 

神妙に言葉を聞き届けているイチは膠着した。

 

幼なじみの少女の異常を違和感を感じ取り必死に取り繕う様から悪い予感を募らせていたイチ。自分こそがこの少女を助けになりたい。

二人きりで顔を合わせ遂に幼なじみの問題を聞き出すところで投げ込まれた暴球。

 

普段澄ませた顔でいる大人びた少年もこの時ばかりは年相応の赤面を見せたのだった。

 

 

 

「それでおれの夢を食べたら虫憑きになってキノから忘れられるのか」

「うん。そうだよ」

滅多に見られない幼なじみの動揺を楽しく観賞したキノであったが本題を忘れたわけではない。

アリアにかなり呆れられていたが。

それにしてもイチが赤面した姿は可愛いかったな。

これがギャップ萌えってヤツか。この記憶を忘れてしまうなんて勿体ない。おのれアリアめ赦さんぞ。

アリア・ヴァレィとしての事情、虫憑きの事情をこと詳しく教える。

原作知識は教えられない。

アリアが不審がるし価値のある知識は戦いの中心にいるものだけだ。なるべく戦いから遠ざかってもらいたい。

とは言っても一般以上というか特環の上層部も知らない知識の倉庫アリア・ヴァレィですよ。ハンターや先生ばりの知識を伝授。

 

重要度が高いのは大喰いの能力そして不死の虫憑き。

大喰いは全ての分離型の虫の能力を使える。そして分離型には不死の虫憑きがいる。

これが大喰いを倒せない絶望的真実。

大喰いと戦ってはいけないと言い聞かせ説明を締めくくる。

 

イチは告白の動揺が収まってアリア・ヴァレィのことを話してもただ疑問を感じたことを質問して聞き取ることに専念した。

 

「事情はわかった。大喰いが来ている以上逃げ切れないからおれに選択して欲しかったんだろ」

「恨まないの?」

それが疑問だった。知りたくて怖い大切なことだった。

イチは手を伸ばしてきた。キノに身構える心算はない。全て受け入れる覚悟だから。

 

だから頭の上に手のひらを乗せて撫でられても身動きができなかった。

 

「恨まないよ。だってキノだもん」

「ジゴロだ。天然のジゴロがいる」

惚れた。マジで。この子タブらかしスキル高過ぎだろ。

ナデポってこんなタイミングで使うのか。

やだ私の好きな人イケメン過ぎる。好きだ。結婚してくれ。

 

『私の予想通りだけどキノ、トリップし過ぎ。戻って来い』

「おおう。アリア居たのかよ。ビビったよ」

『居るに決まっているじゃん。空気にし過ぎだよ。黙っていたらこの扱いかよ』

「アリア・ヴァレィだっけ。キノの独り言はいつもの病気じゃなかったんだな」

『この子言うね。キノが病気なのは認めるけど』

「アリアうっさい。イチが恨まないのは有難いけど虫憑きになるんだよ。いいの」

「キノが苦しんでいるよりずっといい。空腹感でずっと飢えに苦しんでいるんでしょ」

「私はイチのこと忘れてしまうんだよ。今までイチと居たこともイチを虫憑きにしたことも全部」

「赦せる赦せないだと赦し難いけど。そこは割り切る」

「寂しくないの」

「次逢えたらイチって呼んで貰えないかもしれないけど。初めましてでまた仲良くなるさ。そしたらまたイチって呼んで貰えるよう努力する。絶対だ」

『この子は強いね。めげることないひたむきな強さを持っている』

「そうでしょアリア、イチは強いよ。絶対だよイチ。約束」

「約束だキノ。さあお別れをしよう」

遂にきたお別れの儀式。

イチはキノの覚悟が薄れてしまわない内に自分から言い出すことでキノの負担を取り下げた。

言いにくいことを敢えて先に進めてくれる思いやりは分かりにくい優しさをもつ少年の配慮だ。

キノの躊躇は思いを行動にさせない呪縛である。

今も感じるイチの夢の美味しそうな香りに喉を鳴らし自然と吸い寄せられそうだ。欲求を満たそうとする背徳感に一体どう踏ん切りをつければいいのか。

自分をどこまでも受け入れてくれた少年との別れ。

本人は気付いていないがアリア・ヴァレィになっても空腹に耐えられる精神力は歴代のアリア・ヴァレィの中でもダントツである。

転生者であることだけでない少年との絆と恋心がなせる強靭な忍耐がこの時ばかりは仇となって行動を阻害した。

 

『キノ......』

別れはひとつだけでない。今も居る同居人アリア・ヴァレィとのお別れも待っている。

ああ、どうしても出来ないしやりたくない。苦しめと言ってこの平穏が守れるなら幾らでも耐えてみせる。でも平穏を壊す為に楽になれなんて残酷な仕打ちだ。

足は前に進まない。

君を守る為ならこの誘惑を断ち切り幾らでも足を退かせよう、君が好きだ。

イチが見守るなかキノは動けずにいた。

やがてイチは行動を起こす。

 

ポケットの中からカッターを取り出しおもむろに自分の腕を切り裂いた。

 

「なにをしているのっ!」

キノは突然のイチの行動に声をあげる。

 

「どうせ同化型の虫憑きになれば怪我なんて治る。

虫と同化出来る身体に作り変わるから怪我が消えてなくなるって教えたのはキノだよ。キノは苦しまないでいいんだ」

怪我の痛みを感じさせない笑顔すら浮かべて優しげに微笑む。

出血は血に馴れないキノからすればかなりのもので、重症なんてあり得ないのにも関わらず焦りが隠せない。

 

「怪我を治してキノ。それなら君は出来るはずだ」

「無茶をする。イチのバカ。バカバカバカバカ」

『本当に無茶苦茶だよ。痛みを全然恐がっていない。こんな子供が虫憑きになったら一体どうなるの』

アリアの戦慄も今は聞く気がしない。

これ以上は待たせることは出来ない。イチの覚悟を無駄にすることはキノには出来ないことだ。

ゆっくりとイチとの距離を縮め数センチを残して前に立つ。

 

「お待たせっ」

「待ったよ」

「可愛い気がない。赤面したイチはどこに行った」

「忘れられて良かったと思えることが一つあったようだ」

苦虫を潰した顔をするイチと笑い合い髪を碧色に染めていく。

別れを迎える少年と見つめ合う。

言葉以外の伝えたい思いを交わし合った。

 

「そういえば告白の返事忘れていた」

思い出したように言うイチはどこか悪戯めいた表情を浮かべた。

 

突然の話題に思考する前にイチとキノの距離がゼロになる。

 

「これが返事代わり。ついでに忘れられることに対する罰。これだけは赦すつもりはないよ」

ファーストキスは小学生らしからぬディープキスだった。

碧い輝きに包まれ髪を染めたキノとそれに呼応して黄金の輝きを放つイチが抱き合う。

黄金の光がキノに取り込まれ喉を嚥下する甘い味はアリア・ヴァレィとして喰らったイチの夢の味か情熱的なベーゼの味か判らないままキノは最高の至福の美味を味わい意識を遠退らせた。

 

「これじゃあ罰じゃなくてご褒美だ」

瞼を閉じらせながら自身からアリア・ヴァレィが消え去るのを感じた。

 

『全く君たちは少しばかり発展し過ぎだよ。まだ小学生なのに』

愚痴りながらもどこか優しい同居人の声が響いて消えた。

 

 

 

キノは意識を失った。

碧色の輝きも消え失せ今は静かに寝息をたてている。

ニノマエヒトシキ。少女からイチと呼ばれている少年。彼の肩には一匹のムカデが乗っている。

ワインレッドの胴体に黄色い手足十センチ程の大きさから考えられないほどの圧迫感と逞しい力の脈動からダイオウムカデと呼ばれる虫に酷似している。赤い頭部から尾先まで黒とオレンジのラインが走る差異があった。

彼が虫憑きになった最たる証拠である。

 

イチは眠りにつく少女を優しく見つめ屋内の扉に寝かせたあと表情を引き締める。

虫憑きになった瞬間感じた凶悪な視線と存在感に気付いている。

眠るキノから離れて上空を睨んだ。

 

「アリアと競争する前に捕られちゃったわね」

「大喰い。いやエルビオレーネ」

「アリアの獲物を横取りすることは出来ないのかしら」

「お前は危険だ。不死の虫憑きなんて関係ない。これ以上強くなる前に死ね」

イチの身体にダイオウムカデが同化していく。

身体にオレンジと黒のラインが浮かび上がる。アイラインに縦の黒のラインが戦闘民族の戦化粧を思い起こさせた。

 

宙に浮かんだままの大喰いに向かって跳躍する。

人間では考えられない弾道のような勢いで大喰いに飛び込む。

大喰いがイチに目を向けた。

紫の鱗粉が形をつくる。巨大なムカデが顕れた。

イチは構わず拳を固めて突っ込んだ。

トラックがぶつかったような轟音と共に巨大なムカデが吹き飛んだ。イチが拳でムカデを殴りとばした。人間大の大きさで巨大な化物を殴りとばす。

それを可能にしているのは彼が虫と同化し身体能力が増幅しているからである。

だが大喰いとの間に顕れたムカデによって攻撃が届かなかった。

重力に引かれ落下しながらも大喰いを睨む。

 

「イチちゃん。私には勝てないってキノちゃんに教わらなかった?」

「お前がおれをイチと呼ぶな」

またも跳躍。人間離れの身体能力を発揮するイチ。

次はムカデだけでなく、キリギリス、コオロギ、セミに蝶、トンボと次々の虫を作り出し襲いかかってきた。

イチはそれを足場代わりに使った。

迫る爪や牙を掴みとり引き寄せ粉砕し蹴って跳び移る。

 

「流石はアリアの子ね。とても強い。でもこれはどうかしら」

紫の鱗粉でできた蝶。

同じ姿の虫憑きを知ることはないがそれぞれ固有の能力を持っている。

蝶が炎を纏いイチに襲いかかるのを近くにいた紫のゲジをぶつけることで避ける。

雷撃が炎が氷水が衝撃がイチに押し寄せる。

全ての分離型の能力が扱える大喰いは個にして群。

一人で全ての分離型を相手取るのと同義である。

 

「っく」

イチは降り注ぐ攻撃に対して腕を交差させ防御の体勢で耐えていた。じり貧であると同時に攻め手にあぐねている。

 

力が足りない。

足りない力を欲するままマフラーの先を掴み取ると変化が起きた。

身体に浮かんだラインがマフラーを侵食しやがて一本の分厚い板のような剣になった。

柄は無骨であるが刃から鍔にかけて異形の大剣であった。先端はムカデの頭部鋭い顎が大きく切り開いている。

胴体から伸びる短い手足は敵を刈り取る鎌刃であり鍔は頭部の触角のような尾が担っている。

荒々しい両刃の大剣。

同化型の虫は宿主以外の無機物にも武器に形を変えるために同化する。

足りなかった武器が今手に入った。

 

「せいっ」

イチは反撃の為に剣を振るう。

近くにいた虫が抵抗もなくぶつ切りにされた。鱗粉で出来た虫が攻撃を激しくする。

様々な種類の攻撃がイチを襲いかかるがムカデの大剣はものともせず攻撃を切り裂く。

攻撃の中心にいる大喰い目掛けて三度跳躍を開始した。虫を盾にしたり足場に使ったり切り裂いて距離をひたすら縮める。

大喰いを目前にして壁となる三匹の虫。

ここで勢いを殺されたら振り出しに戻らなければならない。

 

「うおおおお。」

横凪ぎで大きく大剣を振るう。

剣は果たして三匹の虫を切り裂いた。

しかし勢いをなくしたイチは落下していた。地上に落ちながらもイチは目の前の戦果を確かめる。

 

大食いが上半身下半身二つにわかれていた。

届かないはずの剣。

届かせたのはイチではなく剣そのもの。ムカデの大剣は今は本当の形である剣鞭の姿をしていた。

まるで獲物を捕らえるムカデそのものの形状をした剣鞭はしなやかにその動きを大剣に畳まれていく。

 

「駄目か」

はじめて入れた攻撃その成果はみるみるうちに損なわれていく。

クマムシを模した虫が大量に蠢いて大喰いのわかれた部位を繋げていく。

 

不死の虫憑き。

その能力は大喰いを生かす為に使われている。

厳しい表情のイチ。イチが大喰いを始末するのはこれからも生まれる分離型の虫が大喰いの力を強めることを危惧した為にある。

 

今のうちに殺す。殺せるうちに殺す。

キノの警告は意味をなさなかった。知ってしまった情報がイチに大喰いの危険性を認識させ殺すことを決意させてしまった。

 

大喰いの反撃が始まる。

先程よりも更に数多く先程よりも更に厚い弾幕の攻撃が開始された。

余りの攻撃に跳び上がることも出来ず地面に縫い付けられる。大剣を盾にして防ぐが攻撃のダメージを確実に通しており既に両手は血に濡れ脚がふらつく。

止めをさすように巨体さを誇る虫たちの群れが大波のような質量をもって呑み込むように降り注いだ。

 

「ふふふ。これでイチちゃんも邪魔出来ない」

沈黙した風景に大喰いは姿を消そうとして背を向けた。光が走る。

振り返ると満身創痍のイチが雷電を纏い立っていた。

 

「何処へ行く大喰い」

ムカデの剣そのオレンジの毒腺の部位から雷が漏れだしている。

周囲を焦がして虫を消す威力を秘めた雷を大喰いの周りに浮かぶ虫たちに降り注ぐ。

 

数百単位の虫の三割が消し飛んだ。

 

「イチと呼んでいいのはキノだけだ」

虫の力を使い過ぎたのだろう。

意識は朦朧とし夢が急激に喰われていくのを感じる。

大喰いはこの時微笑を浮かべるのを止めていた。

イチは既に十分に脅威となっていた。

 

「アリアの子が元気がいいのはよくあることだけどイチちゃんは少し元気が良過ぎるわね。どんどん能力を開花させ成長し強くなる」

イチは生まれてすぐにその能力に目覚め制御し新しい能力を開花させた。

他の虫憑きと余りに違う異例の成長速度。そして強さ。

 

「食事の邪魔になるのなら今ここで潰しておこうかしらイチちゃん」

敵対。

相手を障害と見なし遂には牙を剥く行為を大喰いが決意した。

イチは大喰いに対し剣を構える。交差する敵意が二人を行動させた。次々と生み出した虫が空を埋めつくし紫の軍勢がイチを囲む。

 

何故イチは戦うのだろうか。

 

もはや逃げ出すことすら叶わない圧倒的不利な状況で思考する。

イチは夢を抱いた虫憑きだ。色が無かった世界で一際目立つ輝く少女を見て想った。あの少女のように自分も楽しく生きてみたい。それが抱いたイチだけの夢。

自分の目標であり夢である少女はこんな夢を抱くだけで残酷な運命に翻弄される世界に生きていくのは赦さない。

あの輝く少女が夢を抱く時、この世界は優しくなければならない。その障害が目の前の敵だ。必ず殺してみせる。例えーーー

 

「はああああ」

例え今ここで全ての夢を使い果たしても。

 

捨て身覚悟の特攻。イチが選んだのは単純明快な手段。剣鞭を身体に覆うように展開し自らがカミナリとなったように大喰いに突撃する。

与えた夢の分だけ雷に変換するムカデの大剣はことごとく虫を焼き払い蒸発させていく。

驚愕すら浮かべた大喰いを前にイチは力を使い大喰いに届く範囲に距離を詰めた。

 

「これで終わりだーーー!」

最大火力の電撃を一本の剣に束ねて大喰いを消し去らんとする。その破壊力はまさに大喰いを跡形も残さず消し去る威力を秘めていた。

 

鮮血が舞う。

 

大喰いは消滅していない。

 

眼が顕れる。

 

昆虫の複眼をバラバラにして神経を繋いだ虫の中でも異形の化物。中心に人間の瞳が埋め込められている。

この眼の化物がイチを貫く閃光を放ちイチの攻撃を止めた。あと一歩。足りなかったものは距離か力か覚悟か。イチに知るよしがないが運が悪かった。

眼の化物α(アルファ)と呼ばれる虫憑きには一定の周期があり活動が限られている。

 

しかしイチは元々虫憑きになったばかりの小学生。未熟どころか未発達の身体に無理を重ねての初戦闘。大喰いと渡り合えたのが奇跡だった。

 

何度目になるかわからない落下。

もう思考がままならない。虫の力を使い過ぎた代償は確実に顕れていた。

ムカデは宿主を守ろうと落下に備えた。イチが地面に叩きつけられ受け身をとれたのはムカデの防衛本能によるもの。

更なる攻撃がイチを襲う。

眼はイチに向かって熱線を放つ。

ムカデがイチに覆い身を挺して庇う。

剣鞭はボロボロに撃ち抜かれイチを守り果たして同化が解除された。

 

ダイオウムカデは一鳴きして空気に溶け込むように消えていった。

 

大喰いは結末を見届け姿を消した。

一切の警戒心もなく背を向けてどこかへ向かう。

 

二度と敵が立ち向かうことがないことを知っていた。

 

誕生から激戦そして敗北した虫憑き。ニノマエヒトシキ。

彼をイチと呼ぶ少女は忘却に眠り彼自身その呼び名に応えることはない。

血に濡れ怪我だらけの瀕死の少年はもう感情を写すことはない。かすかな息を繰り返す少年は無表情で心を欠落した人形のようだった。

 

これが虫を殺された虫憑きの結末。

 

誰にも知られることがなかった同化型の虫憑きの最初で最後の戦闘録。

 

 

むくりと起き上がった月見里キノ。

頭が朦朧で何故自分がこんな場所で寝ていたのかわからない。

何か大事なことを忘れているような気がする。

 

咄嗟に誰かに聞いてみようとしたが誰に聞こうとしたのかわからない。

自分以外誰もいないのに誰に聞こうとしたのだろうか。

小学校にいたことが移動してわかったが誰も利用しない屋上に何故立ち寄っていたのか思い出せない。

 

校舎に出ると一人の子供が血塗れで倒れていた。

 

「なんだこりゃ」

あり得ないほどの破壊的跡が周りに残されていた。

訳がわからないまま混乱し倒れた少年に近づくと生きていることがわかった。

すぐに救急車の手配と大人に連絡を考え少年の様子を確認する。

 

不意に頭に衝撃が走った。

 

見たことない知らない子供だった。

なのに異常なまでの動悸と動揺を感じた。頭が真っ白になりその後どうやって大人を呼んで少年が病院に運ばれたか覚えていない。

ただ事情聴衆のあとベットに入り翌日にはそんな記憶はなくなっていた。

周囲の大人も親しい幼なじみが血塗れで倒れたことを目撃した少女が忘却したことに同情の視線だけを残し何も語らない。

 

 

倒れた少年を助ける為に大人を呼びに行く少女を、人形のように見つめる少年イチは感情を宿さないまま静かに瞼を閉じた。

 

 

 




ムシウタの作者 岩井恭平様を尊敬している身としては亀更新をお約束させて戴きます。
こんなに長い文章打てたのはムシウタが逸材過ぎたからと分割するより一気に載せたい私の見栄です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。