ムシウタ - error code - 夢交差する特異点   作:道楽 遊戯

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本当は緩急つけたかったけど、全体的に急展開ばかりです。
いや、元々そんなに緩やかではない回なんですが、それを短く切ってるので余計そのように感じるかもしれません。
では続きをどうぞ。


error"先生"アリア・ヴァレィ

誰であっただろうか。

随分、前に大切な忠告を受けた気がする。

いつか自分が冒してしまう過ちに対する忠告。

後悔するであろう自分に背負える選択ができるよう忠告した誰か。

その誰かを自分は忘れてしまっていた。

それどころか。

自分がどのような過ちを冒したのかも覚えていなかった。

今は得体の知れない罪悪感だけを感じて忘却の生活をしている。

何かとても悪いことをしてしまったように無自覚の意識に責め立てられているのだ。

もしも、思い出せたら、自分が冒した罪を背負えるだけの選択ができたのだと思えるのだろうか?

 

赤牧市のスクランブル交差点、夏の日差しの中、熱病のように歩く青年。

顔を季節外れのマフラーで覆い隠す彼が意識をなくし倒れる前に、銀色のモルフォチョウを引き連れた少女が視界によぎった。

 

 

 

 

父親は、医者だった。

よく母に連れられて病院の入院患者たちと遊んだ。

彼と近い年齢の小児科患者の友達もできた。

ただ彼らとは唐突な別れがあった。

笑っていた翌日、姿を消していなくなる。

その別れを、"死"と呼ぶらしい。

そんな日常と、患者を救う医者である父への尊敬からやがて命を救うものになりたい、と願うのは道理でもあった。

しかし、多くの患者の命を見送るうちに彼の死生観はチグハグに構成されていく。

死とは、一体何なのだろうーー。

その疑問に悩み続け、答えは解明されずにいる。

 

『僕の名前は、アリア・ヴァレィ。ーー三匹目とも呼ばれている』

「格好いい名前だな。あいにく、僕の名前は平凡すぎるんだ」

「ただ、患者にはーー先生と呼ばれている」

一息つこうと訪れた病院の屋上で碧い蛹に出会った。

そいつは馴れ馴れしく語りかけ、一つの提案を持ちかけた。

 

『そうだな......じゃあ、こうしよう。君は何か、やりたいことはあるかい?これでも僕は、人生経験が豊富なんだ。また眠りにつくまでは、それを手伝ってやるよ』

その提案に思いついたのはーー

 

「誰かの命を救うーーというのはどうだ?」

死は、彼が幼い頃から通っていた病院の患者たちの命を看取らせてきた。だから願う。

 

「人は、死ぬ時は死ぬ」

「僕はーーそれを覆したい」

死という運命を目の当たりし続けた青年が願った想い。

 

『君のその願いは、本当なら夢と呼べるかもしれないね......』

『でもそうじゃないのはーー君がとっくに諦めているからか。医者になろうとしているのは、叶わぬ夢に対する復讐ってところかい?』

「......」

『僕と一つになればーーできるよ』

『たった一回だけ、それができる』

「ほ、本当か?」

そして互いに契約を結んだ。

彼らは一つとなり、青年は身の内にアリア・ヴァレィを宿した。

運命や死の理不尽に対して彼は、せめてもの抵抗をしたかった。

始まりの三匹、同化型の虫憑きを生む原虫指定三匹目の器となったとしてもーー。

 

『僕と一つになれば、君は死ぬほど苦しむかもしれない』

そんな化け物の忠告に、例え悪魔に魂を売り渡すことになったとしてもーー。

 

"死"にせめてもの抵抗を果たそうとする青年は自ら罪深い道へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

セミの鳴き声が聞こえる季節。

青年は少女と出会った。

 

「お名前を聞いてもいいかい?」

「パトリシアよ」

「パトリシア......?」

カルテとは違う名乗りに困惑する青年。少女の対応はあまりにもそっけない。

主治医ですらその心を砕くことない頑な少女。

しかし、青年は本棚に眼を向け、納得した。

 

「君は、パトリシアの気持ちが分かるのかい?」

「......」

「それで、いいんだ。答えはゆっくりさがしていけばいい」

魔法の薬という題名の絵本に眼がいった時、彼は少女に尋ねた。

その絵本は彼にとっても、想い入れのある本だった。

眉をひそめる少女に彼はゆっくり言葉を続ける。

 

「君は彼女と違って、たくさんの時間があるんだから」

「......」

「あらためて、名前を教えてくれないか?」

「ーー花城摩理」

騒ぎ立てるセミの声の中、小さく名乗る少女のことを鮮明に覚えていた。

儚げな少女、花城摩理と先生は出会った大切な思い出。

だけどアリア・ヴァレィと契約した青年はいずれその記憶をなくしてしまう時がやってくる。

夢を喰らい、虫憑きを生み出す化物に選ばれてしまったのだから。

 

それは覆られない絶対の法則。

役割を与えられた青年も例外ではない。

イレギュラーが起きない限り。

運命が書き変わらない限り。

ナニカが壊れて狂ってしまわない限り。

 

起こり得ないはずだったーー

 

 

 

 

『ああ、美味しそうだな。この子の、夢......』

内に潜むアリア・ヴァレィがそんな感想を述べた。

病気に蝕まれ、なお強くある少女の願い。

それが、始まりの三匹であるアリアを引き寄せ、抗い難い食欲を引き立て魅了する。

 

「摩理......!」

患者として出会った花城摩理は当然病に侵されており、そしてそれは明日を保証してくれないほど深刻な病気であった。

激しい咳に、苦しそうに胸を押さえる摩理。

 

「大丈夫か?さあ、薬を飲んで......」

「ーーは何?」

「まだ、喋っちゃダメだ。ゆっくり深呼吸をーー」

「目的は、何?どうして毎日、私に会いに来るの?」

積極的に関わる青年に摩理は疑念をぶつけた。

 

「君をーー助けたいんだ」

「......」

「たった、それだけなんだ......」

本心からそれだけを伝えた。

でも彼は途方にくれるしかない自分に無力感に打ちのめされていた。

 

「どうして、あなたのほうが泣きそうな顔をするの?」

それを見て、摩理は笑った。

 

「まるで自分のほうが助けてほしそうね」

「......!」

頭が良い少女はとっくに青年のことを見抜いていた。

何かを隠して自分に会い続けていることに。

アリア・ヴァレィの飢餓による一瞬の衝動までも。

 

「すごく優しいのに時々、少し怖い目で私を見るのはどうしてなの?」

「ぼ、僕はーー」

「もしかしたら私、とてもひどいことをあなたにしているんるじゃ......」

『ーー絶対、言うなよ』

青年はひどく狼狽した。

そしてアリアが釘を刺す。

 

『どうしても喰いたくないっていうなら、分かった。別の夢をさがすことを考えてもいい』

アリア・ヴァレィは青年とは、もっと別の意味での危機感を抱いた。

青年にとって思いがけない提案をし、始まりの三匹として、矛盾するほどの危機感を。

 

『今、すごく嫌な予感がしてきたんだ。この子はーー花城摩理という女の子は、頭が良すぎるよ。こんな子を虫憑きにしたら、もしかしたらとんでもないことになるんじゃ......』

「ねえ、おしえて。本当のことを......」

二つの声が青年を追い立てる。

やがて決意した青年が、口を開いた。

 

「ーーよく聞いてくれ、摩理」

こうして青年は隠し事の一切合切を少女に打ち明けた。

 

 

 

 

『あーあ、もう!どうして、喋っちゃうかなあ!』

「謝ってるじゃないか。アリアはしつこいな。本当に僕の人格のコピーなのかい?」

『そうさ!僕がしつこいというなら、君がしつこい性格をしてるってことなんだ!ああもう、どうして僕の器になるヤツは、どいつもこいつも身勝手なのかな......!』

アリア・ヴァレィが癇癪するのを青年は受け流した。

 

「本当のことを話せば、摩理が怖がるということも分かっていた。でもーー」

『あの子は、怖がらなかった』

「......」

『それどころか化け物の力を使う君を見て、こう言ったんだ』

『"ーーそう。あなたは私の夢を喰らうために、会いに来ていたのね"』

『僕らのことを信じた上で、安心していた。たった十三歳の女の子が、自分を喰らう化け物を前にして笑ったんだ』

「......」

『化け物の餌。ーーそんな恐ろしい理由に、自分の存在意義を見出していた』

「......これまで誰もが、彼女の顔色を窺ってきたんだろう。家族や、病院の人間、彼女に接してきた人々の全てが」

『金持ちの令嬢っていうのは、大変だね』

「だが君がーーアリア・ヴァレィが狙っているのに、金持ちなんて関係ない」

『そうさ。僕が欲しいのは......他ならない"花城摩理"のという夢なんだからね』

「それを知っても、アリアは摩理の夢を喰らうのか」

『僕には感情がないんだから、慈悲もないのさ。ただ夢を喰らうだけの存在だからね。とんでもなくひどい化けもななんだよ。彼女の夢を喰らって、また眠りにつきたいという欲望があるだけだ』

「そして......僕は摩理のことを、忘れるんだな」

「救いのない話だ」

『救済だよ、これは。少なくとも君にとってはね』

屋上で続く一人と一匹の会話。

ーーそこに、穢れた鐘の音が鳴った。

 

まるで世界を侵食する不協和音のように。

 

予定調和を壊してしまうかのように。

 

物語が上書きされるかのように。

 

『ディオだ。特殊型を生む始まりの三匹の内の一人ディオレストイ。何でここにっ』

「ーッ。アリア!摩理の夢を狙っているのは君だけじゃないのかっ」

『待ってくれ。どうもおかしい。摩理に反応していない。真っ直ぐここを目指している』

 

『ーーーかつての同胞とその仮初めの器よ』

「これが、始まりの三匹」

『どういうことだい。ディオ。僕らはお互い不干渉。同じ夢を欲した時のルールは早い者勝ち。君が僕らに接触する必要はないはずだ』

鐘の音の正体。法衣を纏った老人。

始まりの三匹の一人、侵父ーーディオレストイ。

この場にいるはずのない、登場人物。

彼はとある人物からの使者だった。

化け物の中でも、その生み親である超常的存在。

最悪の化け物を使者と扱う、謎の人物。

ありえない変化に、ありえない事態をやってのけた破格者。

青年は知らない。知る由がない故に。

しかし、彼女はアリア・ヴァレィが知る人物であった。

ディオレストイの領域、朽ちた教会に招かれた青年とアリア・ヴァレィを待つ少女は、祭壇の上で何かに祈るように立っていた。

軽やかに振り返り、強い眼差しの少女は夢の香りを甘く漂わせたまま、笑顔で迎い入れる。

少女の名前は、月見里キノ。

かつて、青年と同じアリア・ヴァレィの器となっていた少女だった。

 

彼女からは大切なことを教わった。

「かつてのアリア・ヴァレィの器として忠告します。誰かを虫憑きにする。そんな覚悟は忘れてしまうその罪を前にすればなんの意味をなさない」

彼女はすでに虫憑きを生んで後悔していた。

罪であると認め、それと向き合っていた。

 

「先生、貴方には貴方の役割がある。後悔なき選択はない。せめて背負えるだけの道を見つけることを私は願います」

役割を知る者の言葉は重かった。

でも僅かに救われた気分になった。

青年が知らなかった虫憑きという存在は、こんなにも夢にあふれており力強い意思を秘めていた。

選択する日がいつか来る。

それでも自分は選ぶのだろう。

そう思えた。

 

 

 

 

 

 

「しっかりしろ、摩理!すぐに担架を呼んでーー」

いつかこうなることはわかっていた。

でも実際は突然のように起きた。

病棟を離れ、中庭を散歩する。些細な日常を壊すかのように。

 

「はぁっ......!はあっ......!」

いつ起こるかわからない発作。

摩理の心臓はたった一度でも発作で停まれば、蘇生は不可能。そんな主治医の言葉を思い出した。

 

「たーー」

呼吸が停まりそうな弱々しい摩理。

傍にいるしかできない憐れな青年の前で、涙をこぼした。

 

「助ーーけてーー」

「っっ......!」

彼は、絶叫すら叫べない。

苦しんでる摩理をおいて彼自身が叫ぶことに意味があると思えないからだ。

医者は人の命を救う人間なのに、彼は無力でしかなかった。

 

「摩理ーー」

はじめて助けを求めた少女を前に青年はーー

 

『何を言っても無駄だろうけど、言っておくよ......この僕ーーアリア・ヴァレィが病人を虫憑きにするとしたら、何が起こるか分からない。今さらだけど、僕が躊躇っていたのはそういう理由もあったんだ......』

独白するように静かに告げられたアリアを無視してーー

 

「君の夢は、なに?」

花城摩理に夢を聞いた。

閉じられた目蓋がピクリと動く。

 

『救えるかどうかも分からない。救えたとしても、何が起こるか分からない』

 

「教えてくれ、摩理」

 

『もしかしたら虫と虫憑きという存在そのものを覆すようなーー君が嫌いな運命ってやつをねじ曲げてしまうような事態を引き起こすかもしれない。そのせいで、この世界が滅んでしまうことだって有り得る。大袈裟じゃなくね』

アリアの懸念。

虫憑きを生む化け物すら畏れる危惧でも青年は止まらなかった。

その時、思い出した。

これは自分が背負うべき罪なのだと。その選択だと。

 

「私は......」

摩理の消え入りそうな声が

 

「生きたいーー」

ーー自らの夢を告げる。

 

「生きてくれーー」

青年よぼさついた髪が、紺碧の輝きに染まった。

 

「二人で、夢の続きを見よう......」

鼓動をやめた摩理の運命を書き換えるように、彼はせめてもの抵抗を行った。

 

 

 

 

 

 

「ねえ」

虫憑きに生まれ変わった花城摩理は、以前と変わらない日々へと舞い戻った。

 

「アリア・ヴァレィは、まだあなたの中にいるの?」

「......」

「私を虫憑きにしたんだから、もういなくなるはずじゃなかったの?」

病室に横たわる姿も変わらなければ、自分を訪ねてくる青年も変わっていなかった。

アリア・ヴァレィの役割を終えた青年は拍子抜けするほど変わらず摩理を忘れずにいる。

 

「だとさ、アリア。この嘘つきめ」

『こんなイレギュラーは、僕もはじめてなんだ!何度も言っただろ!』

「"こんなイレギュラーは、僕もはじめてなんだ!何度も言っただろ!"だってさ」

「イレギュラーだったのは......私が病気だったから?」

「アリアはそう見てるね。同化型の虫憑きになる瞬間、その人間は身体が作り替えられる。だからもとから普通の状態じゃない人間を虫憑きにしたことで、なんらかのエラーが生じたんだろうって。ーーどうせ生まれ変わるなら、君の病気も治せたら良かったのに」

摩理は青年に出会った頃と変わらないまま虫憑きとなった。

 

イレギュラーと叫ぶアリア・ヴァレィが今までにないケースを青年は楽観視していた。

運命を覆す。青年の夢と呼ぶことさえでない望み。

それは皮肉にも叶ってしまっていた。

虫憑きが生まれ、その罪を忘れられない。

歯車が歪んでしまったかのように、運命は軋み世界の理を大きく狂わせてしまったのだった。

 

しかし、それも物語においては予定調和。

本当の軋みは摩理が虫憑きとなった翌日、病室にやって来た。

約束を果たすために現れたキノ。

彼女は、青年とアリア・ヴァレィの異常とも呼べる変化にどこか芝居かかった驚きを示し摩理と出会った。

初対面の少女同士が行うスキンシップには驚かされたが、キノと摩理が仲良くやれそうで喜んだのが青年だ。

アリアはかなり呆れて愚痴をこぼしていたが、キノには聞こえないので青年は苦笑するばかりだ。

摩理もなんだか普段の大人びた調子を忘れたれたように動揺していたけど、彼女のことを嫌いではないようだ。

 

 

 

 

 

 

「ーーもうよしてくれ、摩理」

時計の針が真上を越えた深夜。白衣を改造したコートとマフラーをした少女を引き留める。

青年と花城摩理は向かい合ったまま立っている。

 

「僕と約束しただろう。いっしょに夢の続きをーー」

「自分の身体のことくらい、分かるわ」

街を徘徊し、虫憑き狩りをする摩理を説得できない青年。

同じ虫憑きでありながら、摩理とは違い不死と呼ばれる能力を持つ虫憑きを知った時から変わってしまった。

彼女は嫉妬していた。

青年が与えることができなかったその力を。

 

「最期くらい、私のやりたいことをやらせて」

そして青年は摩理を止めることができなかった。

彼女の身体はまた弱りはじめていた。

虫憑きになる以前のように。

そして、二度目の奇跡を起こす力はなかった。

昼も夜も病気と虫憑きと闘い、死に怯え嗚咽を漏らす摩理を見守るしかできないアリア・ヴァレィの器となった青年。そして同じ虫憑きキノもであった。

 

キノは青年と同じく摩理に肩入れしつつも深い入りしないように一歩引いたスタンスながらも止めようとしてくれた。

イチという摩理と同じ同化型の虫憑きの少年も紹介していた。だがある日を境に彼女は諦めた。

歯痒く思えた。摩理を止めるのに頼れるような人物が他にいない。キノも少年も彼自身も摩理を変えることができない。

それでもなんとか摩理を止めたかった。

そんな彼女を変えたのは、青年でもキノでもイチでもなく唐突に現れた少女だった。

 

 

 

 

 

「摩理って、ちょっと変わってるわね」

「あ......アリスのほうが、変わってるわ」

「え、ウソっ?私、変わってる?なにかヘン?」

摩理は自然に笑っていた。

誰にもできなかったそのことを一人の少女が成し遂げた。

『君の出る幕ナシだね』

一之黒アリス。アリア・ヴァレィは、その名前の人物に少しだけ複雑そうな様子を見せたものの青年と語り合う。

 

『医者の卵の面目が、丸つぶれだ』

「まったくだ。嬉しいよ。僕なんかもう、摩理の前から消えるべきなんだ」

アリスが訪ねるたびアリア・ヴァレィの能力を使い、退散する病室。

今は摩理とアリスの二人きりだ。

彼は自分自身の存在が必要のないことに安堵した。

 

『彼女の前から消えて、どうするつもりだい?』

「さあ、どうしようかな......君はどうしたい?」

『僕?どうして僕に訊くんだ?』

「これでも同居人の意思を尊重するつもりは、あるんだぜ。なにしろ君がいつまでたっても、僕の身体から出て行こうとしないからな」

『そうだな......眠りにつきたいのは当然としてーー』

別れがこない隣人と語り合う青年と化け物。

彼らの不思議な関係も随分と長く続いていた。

 

『その前に、海が見たいかな......』

「海か......悪くないね」

語り合う日々に運命が牙を向けて襲いかかる。

 

 

 

 

 

「先生」

「なんだい?」

「私から先生に、プレゼント」

手渡されるネックレス。銀色の鎖に繋がれた金色のリング輝いている。

嬉しさを感じたが陰りもあった。

 

「私が生きていた、もう一つの証拠......」

摩理の様子は儚さを感じさせるものだった。

検査の結果が彼と摩理とのやり取りに空虚を生んでいる。

夢が叶いそうになった所で、摩理は残酷な現実を突きつけられることになったのだ。

彼女はもう長くない。

青年の変えた運命は、またも摩理を連れ戻そうとしている。

 

「もう一つは、アリスに......私の夢を知ったら、きっとアリスは私を恨むよね」

「恨む......?」

「アリスは優しいから、私のお願いも......」

危うい雰囲気を醸し出す摩理の言葉の意味を、青年は気になっていた。

そして、そのことを本人から確かめることは永遠的に叶わないものとなった。

 

 

 

 

 

屋根の上で、横たわる少女を彼は見守ることしかできなかった。

朝日が、照らす横顔には小さな笑みがあった。

花城摩理という少女。

闘病生活、虫憑きとして生きてーー力尽きた少女のことを青年はいずれ忘れてしまう。

 

「ーーううっ」

抱えた少女があまりにも軽くて

 

「うあああああっっ!」

救えなかった少女を、憶えてもらう人間がいなくなる真実を嘆いて

 

「あああああっっ!」

声を嗄らすことしかできなかった。

 

『......君は、憶えているかなあ』

聞こえる声には優しさがあった。

 

『僕が海を見たいと言ったら......君は、悪くないって言ったんだよ』

哀しい結末を迎えた一人の虫憑きがいた街、赤牧市から先生と呼ばれた青年は去った。

しかし、これは舞台からの退場ではなく

 

ーー物語の場面が切り変わった。それだけの内容が続きを始める。

 

 

 

 

 

『......確かに僕は、海が見たいと言ったよ』

赤牧市での研修医を終えた青年は海の前に立っていた。

 

『でもさ』

潮風が彼の長い髪を揺らし、見渡す限りの海が日射しに反射していた。

 

『極端すぎるよ!海に囲まれたいとは、一言も言ってないぜ!』

「不満かい?僕はけっこう気に入ったよ」

青播磨島という人口も三百そこそこの孤島に彼とアリア・ヴァレィはやって来た。

できるだけ赤牧市から離れた場所を思っていた彼は約束もあってこの島に誘われた。

 

 

 

 

「なにしてるのぉ?」

振り返った彼に髪の長い少女が近づいた。

 

「......きれいな夢をさがしてるのさ」

無警戒に近寄る少女は甘い香りを放っていた。

 

『大丈夫ーー』

その正体をアリア・ヴァレィと先生は知っていた。

 

『この子の夢は、まだ蕾だ。僕らの食欲をそそるほどのものじゃない......』

少女の名前は、白樫初季。奇しくも摩理と同い年の少女だった。

 

『ーーまた、あの子だ。もうすぐここに来るね』

「鼻がいいな、まったく」

『そうさ。僕の鼻は、始まりの三匹の中でもピカ一なんだからね』

「あ、先生。そんなとこいたのぉ?」

『すっかりなつかれちゃったね』

「元気な子だ。彼女を見ていると、ほっとするよ」

元気な少女はよく先生になついた。平穏な島での生活。

 

『花城摩理のことを思い出しているのかい?』

「......」

『初季は、大丈夫さ。あの子は風邪一つひいたこともないそうだし、なにより僕が目をつけた夢ってわけでもないーー』

穏やかな日々に

 

ーー終わりがやって来る。

 

 

 

 

 

「先生!初季を助けて......!お願い......!」

何かの、間違いだろう。

そんな考えを嘲笑うかのように診察台には彼が見馴れた少女が横たわっていた。

 

『ぼ、僕のせいじゃないーー』

現実感のない思考の中でアリアが叫んだ。

 

『こればっかりは、僕のせいじゃないぞ!狙ってもいない夢の持ち主まで、ひどい目に遭ってたまるか!こんなのは、何かの間違いだ!』

小さな診療所で医者の先生をしている青年は、何もできない。

 

「なあ、一度っきりというヤツはーー別の人間ならもう一度、有効なんだろう?」

青年はせめてもの抵抗を忘れていなかった。

 

『一つの器にいるまま、二人も虫憑きを生んだことはないんだ......』

「どうなるか、分からない?」

『ああ、分からない』

「そうか」

いつでも最後に選択するのが彼の役目だった。

 

「初季ーー」

許しすら乞わない。罪だけ背負う彼は祈った。

 

「生きてくれ......」

その呟きには万感の想いがつまっていた。

 

 

 

 

 

「なあ、アリア」

診察室から患者を見送った先生は、摩理から託されたネックレス外しアリア・ヴァレィに話しかける。

 

「鼻が利くんだろ?これの匂いを、憶えておいてくれよ......」

応答すらできないほど弱々しいアリア・ヴァレィはいまだに彼から離れられずにいた。

 

 

虫憑きになった少女白樫初季。

彼女は摩理とは違い特別な力を持たない。

イレギュラーがあり、特殊な状態で生み出された彼女の力は空を飛ぶだけの能力だった。

 

「初季」

彼女を呼び止め、ネックレスを渡した。

 

「なに、これぇ?」

「僕の大切な......大切だった人から貰ったものだよ。君にあげる」

「いいの?」

「君に貰ってほしい。......いや、君が持っているべきだと思う」

「......ありがとぉ」

嬉しそうに笑う初季を見ながら先生も喜んだ。

 

『......いいのかい』

「三日ぶりだな、アリア。もう、そろそろかい?」

気怠い声をしたアリア・ヴァレィに苦笑する。

 

『もう何日も、もたないと思うよ......眠くてたまらない。初季を虫憑きにした瞬間に眠れずに、ズルズルと起き続けるなんて、生き地獄だ......』

二度も虫憑きを生み出したアリア・ヴァレィは、次の眠りを待ちながら青年の中で潜む。

今度の期限は短い。

それほど身の内にいるアリア・ヴァレィは弱まっていた。

 

『ーーなにも、島を出る必要はないと思うけどね』

「僕が初季のことだけを忘れたら、彼女はきっと傷つく」

彼が別れに備えた準備をする。

アリア・ヴァレィとしての役割。

その使命の終わりを、青年は待っていた。

 

 

 

 

 

「ーーあれは、なんだ?」

空に異物が光った。その正体に気付かない彼は立ち上がる。

 

『何かが......こっちに近づいてーー』

「......!」

咄嗟に使ったアリア・ヴァレィの同化能力が彼の身を救った。

真っ青に光る彼の紺碧がその異物を透過していく。

そしてそれは島を揺るがす火柱となった。

飛来した異物の正体。近代兵器、ミサイル。

戦闘機がミサイルを地上に落とし爆炎をつくる。

島には軍艦まで押し寄せいた。

 

『な、なんてことだ......』

「うあああああっ!」

ーーこの日をもって青播磨島は消え去る。

 

絶叫を叫ぶ青年の目の前に燃え盛る炎の光景が焼き付いた。

 

 

 

 

『どうして、島が攻撃されているんだっ?どうしてーー』

気が狂いそうになる炎の地獄の中、アリア・ヴァレィと同化している青年は生きていた。

それは彼が特別だからに過ぎない。

この灼熱は島の住民にも及んでいる。

彼らには生き残るすべはありはしない。

 

『あのーー女ーー』

島を一望できる丘の上に細い影が立っていた。

 

『ちくしょうっ!あの女が戻ってきたのか!ということは、あの男もーーくそっ!どうして今さら舞い戻ってきやがった!あいつがーーあいつの仕業だったのか!』

「あの......女......?」

『魅車八重子だっ!』

アリア・ヴァレィに追っ手が迫ったのは初めてのケースだ。

何故なら、誰もアリア・ヴァレィの正体を知らない。

器を取り替え、記憶を改竄するアリア・ヴァレィの力は事実を隠し通してきた。

だが隔離された孤島で同化型の虫憑きが生まれればどうなるだろう?

その島の中にアリア・ヴァレィが潜んでいるのは明らかだ。

正体はわからなくても存在を確認できたアリア・ヴァレィ。

その存在を殲滅する為、島の住民も含めすべてを焼き尽くすことができる組織。

特別環境保全事務局副本部長、魅車八重子はそこにいた。

 

 

「どうして......どうしてなんだ......ちくしょう......」

『立てーー僕がまた......眠りにつく前に......』

アリア・ヴァレィの能力が自分の意思とは関係なく解除されつつあった。

この状況下で弱まりつつアリア・ヴァレィの声が頭の中で響いた。

 

『立ってくれ......なあ......』

彼は罪の意識に呑まれていた。

大事な何かが折れてしまった青年。

しかしアリア・ヴァレィは発破をかけ語りかける。

 

『君はーー先生なんだろう?』

せめてもの抵抗。支えのない彼を動かしたのはアリア・ヴァレィの言葉だった。

彼を先生と呼んだの少女たちだった。

彼は命を救うために先生になったのだ。

止まることは許されていない。

 

『左だっ、先生!』

『何かが動いた......見間違いじゃないぞっ!』

一人の少年が倒れながらも呻く。紛れもなく生きていた。

 

「うおおおおっ」

少年を抱えたまま爆炎を走った。

地獄の中で、少年の他に赤ん坊の一人だけ見つけ地下の貯蔵庫に隠した。

 

「生きてくれ......どうか、君たちだけでも......」

島中を駆け巡った生存者に言葉を残して地上に出た。

 

 

 

 

 

再び出た地上はもう以前の島と違う炎の光景しか残されていなかった。

最後にやり残したこと。

アリア・ヴァレィを救うこと。

それが先生が果たしたかったことだった。

地獄のような光景でそれすらできそうにない青年はうちしがれていた。

そんな時にソレは何でもないように現れた。

 

「あーあー、ひでぇな、こりゃ。まるで俺が産まれた時みたいだぜ。懐かしき我が故郷、我が産土ってか?」

炎を纏う魔人。この地獄の中でその存在感は圧倒的な威圧感は放っていた。

三匹目、アリア・ヴァレィ掃討作戦を物見遊山できた少年、世果埜春祈代。

先生と呼ばれる青年と魔人は語り合う。

 

「ハンターを捜してる」

この魔人の一言が、土壇場で花城摩理という少女の繋がりの深さを青年に思い知らせた。

 

 

 

 

 

「ーー行け、アリア」

炎の魔人の気まぐれで先生は生き延びることになった。

彼が乗ってきたボートが西にあるらしい。

彼は敵を引き受けてくれた。

花城摩理という少女を捜す少年に彼女が死んだことを隠したままヒントだけを与えた。

中にはとある少女のことをボカしつつも含まれていた。

ひょっとしたら彼女にまで迷惑をかけることになったかもしれない。

結局以前彼女がしてくれた忠告も無駄にした気もして、申し訳なくなってしまう。

彼は今はいない摩理にたどり着くだろうか。

僕は本当に背負えるだけの選択をできたのだろうか。

 

「僕らの罪は、重い......どうやら死ぬ前に、まずは必死に生きなきゃいけないらしい」

『そうか......じゃあ僕は......また眠りにつくとしようかな』

イレギュラーが引き延ばし続けた終わりもそこまでやってきた。

本来なら花城摩理を虫憑きにした時点で訪れていた別れ。

そのはずが随分長いこと別れることなく彼と共に居続けた。

 

「さよなら、アリア・ヴァレィ」

『さよなら、ーー先生』

一人と一匹。アリア・ヴァレィは眠りーー。

彼はーー忘却する。

 

「......どこだ、ここは......」

燃え盛る地獄の中、西に進み船を見つけた。

傷だからけの彼がリハビリを終えたのは一年以上先のこと。

そして忘れたままの彼は、赤牧市へと向かう。

 

 

 

 

 

「報告が入りました、副本部長。三匹目らしき姿は確認されていないとのことです」

炎の上、崖の頂で人の気配が存在した。

スーツを着た若い女性が炎につつまれる島を見下ろしたまま微笑を浮かべている。

丘の上には他にもいくつか人がいた。

 

「いくらなんでもやりすぎだ、魅車くん......!島を丸ごと消すなんて......!」

「本部長。今回の任務の責任は、貴方にとっていただきますわ」

「な......!ど、どういうことだ!」

「ご安心ください。ちゃんと次の後任者は決まっていますから。あの方にすべてをお任せすれば、特別環境保全事務局は大丈夫......」

魅車八重子は揺らがない。すべてを思惑通りに動かし、手のひらで弄ぶ。

 

「もう、怯えることはありません。あなたのようなかわいそうな子たち、すべての虫憑きを、私たちが愛してあげますから」

怯える少女に慈愛に満ちた微笑みで語りかける。

炎から逃れてやって来た崖の上で、先生や島の仇を前にして、初季は恐怖で震え続けていた。

 

 

 

 

 

物語が予定調和を続ける。

虫憑きが生まれ、死に、また生まれ、そして次に引き継がれる。

運命の歯車が回っている。

あたかも、それが正しいかのように規則正しく誰かの知る物語のままで。

ただし知る者には物語の軋みの音が聞こえる。

この音を物語の登場人物で最初に聞いた人間は、虫憑きである花城摩理ではなく、アリア・ヴァレィに取り浸かれた先生と呼ばれる青年である。

彼は確かに、音を聞いたのだ。

病院の屋上。

アリア・ヴァレィと二人きりでの会話の中。

教会の鐘の音をしたありえない軋みの音を。

その原因である少女の姿を。

 

ーー物語にerrorがうまれた。

 

気付かれないように細心の注意を払い、見えない所で準備を重ね、少しずつ侵食してきたerrorが、今。

 

見える形となったーー

 

 

 

「魅車副本部長!中央本部からの緊急の回線です!」

「繋いでください」

予定調和だったはずの物語。

 

『......ッ、......!ーーこちら、中央本部!』

「どうしました?」

切迫した余裕のない声が回線から通る。

それでもなんら変わりなく問い質す魅車八重子。

 

『......緊急事態です!中央本部局員、下位......局員から続々意識不明。近くにいた一般職員にも被害が及んで......』

「落ち着きない。詳細を話してください」

冷静な彼女の様子に感化されることなく、取り乱した声がまくし立てる。

 

『電波障害......ああっ、最深層禁区ブロックの壁が開放され、!......ううっ、頭が......っ!これは、鐘の音......?』

「現状を報告しなさい」

回線にノイズが混じる通信でも魅車の対応は変わらない。

 

『システムが支配され......!局員の無力化......禁区ブロックに侵入者が......、......!現在、特別環境保全事務局中央本部ーー』

 

ノイズ混じりの雑音から飛び出る情報も単語ばかりで言葉の意味を成すものは少ない。

それでも魅車八重子にはある程度状況を掴むだけの情報はあった。

今にも途切れそうな通信の中、最後だけ明瞭に声が響く。

 

 

 

 

『ーー何者かに、襲撃されています!』

 

 

 

 

とある少女が訪れた世界。

ムシウタという物語の世界観。

彼女が関わった変えることのできない物語がそこにはあった。

しかし、少女は変える準備がしてきた。

それは彼女自身の夢の為に。

虫憑きとなった彼女の願いの為に。

変わらない物語で脇役だった少女。

ついに彼女が躍り出る。

それでは変わる物語の話をしよう。

 

胎動するerror codeが動き出す話をーー

 

 




結構過去編では舞台になってる彼処。
それぞれの人物にとって因縁のある場所ですね。
初季、ハルキヨ、先生、霞王も居ましたね。

好きなシーンの多い先生とアリア・ヴァレィ編だけど、泣く泣くカットするシーンは多かったです。

衝撃のラスト?を演出した通り、これまではただの繋ぎ回として時系列に関する話の内容なので、テンポよく進める為色々ハショりました。

名シーン多くて会話のやり取りが深イイのが全部トンでいるので魅力をお伝えできなくて悔しいです。好きなシーン一杯あったのに......

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