ムシウタ - error code - 夢交差する特異点 作:道楽 遊戯
一話だけで更新停止はないと思ったので急いだ投稿。
私は亀になりたい。いや毎日コツコツよりも前半に勢いのある兎になりたい。途中で怠ける、多分。
小学校の屋上。
誰も立ち寄らない封鎖された場所。
あの日の告白の舞台でありイチとアリア二つの別れの場所にキノは訪れていた。
あの日の寒空と今の光景は違い過ぎる。
イチが居ない。アリアが居ない。
立ち入り禁止区域にされた屋上はイチとナニカとの戦闘跡を舗装し直され美しい思い出の記憶に陰を指す。
身を乗り出すことを防ぐフェンスから倒れたイチを見つけた場所を見下ろす。
イチは既に欠落者になっていた。
それを見つけたのはキノに他ならない。
同化型の虫憑きは強力だ。無指定クラスのザコの虫憑きでなく確実に号指定クラスの強さを兼ね備えていただろう。
イチを欠落者にしたのは誰か。
何と戦えばイチが欠落者に成り果てるのか。
あの頃キノは焦っていた。
アリア・ヴァレィとしての葛藤だけではない。
明確な危険が迫りつつあることに焦燥感に追いやられていた。だから間違いない。
あの日この街に訪れた脅威大喰いエルビオレーネ。
イチは大喰いと戦い欠落者となったのだ。
キノはイチに教えたことに大喰いの能力についてのことがあった。
大喰いは分離型の虫憑きを生み出しその能力を全て使うことが出来る。生み出された分離型の虫憑きに不死の虫憑きがいるからその能力により滅ぼすことが出来ない。
キノは忠告した。
大喰いと戦ってはならない。
それを聞いてイチはーーー戦う覚悟をした。
なんて浅慮だったんだろう。
知識を持つが故の怠慢、傲り。半端に与えた情報はイチに大喰いの危険性を知らしめ大喰いを倒す意思を与えた。
不死の虫憑きがいるから倒せない。
でもこれからも夢を喰らい虫憑きを生み出す大喰いを倒すのはいつならば可能なのか。当然の疑問、知らなければ強くなり過ぎる前に倒そうと考える。
原作知識を持つキノは知っている。不死の虫憑きは流星群の夜 銀槍使いがその身と共に封じるのだ。大喰いの不死性はこれで失われ倒す可能性がそれからうまれるのだ。
知っているキノはそれを重視せず知らないイチはそれを注視し行動した。だから戦ったのだ。
虫憑きになった人間は戦いの運命から逃れられない。知っていたのに全然わかっていなかった!
フェンスを力の限り握り締める。金属が肉を食い込む痛みも今は気にならなかった。
虫憑きにした罪を背負う覚悟をした少女は意図しない自らの失敗で自責の念に押し潰されそうだった。
「アリア。やっぱり私の罪だよ。イチは私のせいで欠落者になった」
完全に思い出したキノはかつて自分を悪くないと言った同居人の言葉を否定する。
後悔したのは虫憑きを生んだアリアである自分ではなく迂闊な転生者 月見里キノである自分。
驚きの二度目の人生で最も衝撃をうけた絶望だ。
「イチ。約束したよね。私はイチをイチと呼べるんだよ」
思い出したのは後悔だけではない。
イチという少年との思い出。
二人はお互い思いを重ねた大切な記憶と約束。
絶望するにはキノは知りすぎている。まだ終わりじゃない。約束がある限り終わりにすることは赦さない。
せっかくの大事な記憶が戻ったのだまた始めよう。
イチが記憶を無くしたキノとまた始めようとしたように。
「全てを思い出したのね月見里ちゃん。いえキノちゃん」
妙齢の美しき女性大喰いエルビオレーネ。
「今の貴女はとっても美味しそうな香りをしているわ」
人の形をした怪人は夢に誘われ顕れる。二度目の会合。二度目の質問が繰り返される。
「ねえ、貴女の夢聞かせて」
一般人 月見里キノは転生者である。
ムシウタの原作知識を持つ少女は虫憑きの苛酷な事情を知る稀有な存在である。
そして少女は己がかつてアリア・ヴァレィであることを知り少年イチを虫憑きにした張本人であると思い出し今。
「嫌だね。出てこいディオレストイ」
同じ言葉を繰り返し、違う言葉を付け足した。
大喰いの力の気配が弱まった。
ゴーーン。ゴーーン。
どこからともなく鐘の音が響いた。
周囲の景色が高らかな鐘の音で穢されてゆく。
不意に景色が変わった。学校の屋上だった場所に見慣れない一本の樹その奥には先のない十字架だったものを掲げた黒い教会が顕れた。
『悔いあらためる迷い子よ。さあ中へ』
教会の扉が開かれる。
二度の拒絶を受けたエルビオレーネ。
しかし余裕を崩すことなくことの成り行きを微笑を浮かべて見届けている。
キノは教会の中へと進む。
『お前はかつてアリア・ヴァレィとしての役目を全うした』
教会の中の祭壇。
奉るべき偶像はなく蝋燭が揺れうごめくなかでぼろぼろに擦りきれた法衣のようなものを纏いフードで顔を隠した老人が壊れて棒になった十字だったネックレスをつけて立っている。
『お前はかつての同胞の忘却の使命から己の記憶を取り戻し自らの行いを知った』
法衣の老人の正体。浸父ディオレストイ。特殊型の虫憑きを生み出す始まりの三匹。
特殊型の虫は実体のない媒体によって身体を構成し領域内で力を発揮する。
強力な特殊型には領域を強めることで隔離空間を作り出し能力を十全に使うことが出来る。
この教会は浸父が作り出した隔離空間の領域である。
『お前は罪を侵した。アリア・ヴァレィとしての行いを思い出し後悔を胸の内に抱いた』
厳かに話すディオレストイ。人間らしさのない超常現象的存在。
虫憑きを生み出す化物は的確にキノが抱える悩みを見抜き言葉巧みに誘導する。
『さあ己が内をさらけ出し懺悔するがいい』
特殊型の虫ならば大喰いのように利用されない。虫憑きにならなければ戦うことは出来ない。
一般人でありまだ小学生を終えていない子供に何の力もなしにこれから先を進むことが出来るだろうか。
「私は罪を侵した」
浸父ディオレストイは夢を歪めて食べる嗜好を持つ。
生まれた特殊型の虫憑きはどこか性格が歪んだ破綻者が多い。
キノはイチのことを後悔している。
焦っていた。万全のつもりだった。言い訳の言葉は意味をなさない。
何故ならキノのミスが招いたイチと大喰いとの戦闘。
結果が欠落者となった一人の虫憑き。
忘却の日常に浸っていたキノ。後悔しない筈がない。
「だけどお前にも夢をやれない!」
高らかな拒絶が教会を響く。
罪悪感を突け込んだ誘導と精神攻撃。この二つを持ってしてもキノの意思を揺るがすことは敵わない。
始まりの三匹のうち二匹が夢を喰らうことに失敗した少女は祭壇に立つ浸父と教会の扉の前で見届けていた大喰いに宣言した。
「私の夢を喰らいたいなら協力しろ。イチを取り戻す為に私が利用してあげる」
畏れを知らない少女の宣告。
多くの夢を喰らう化物を自らの目的の為に利用する少女はかつての自分の過ちを正す為に行動を開始する。
「恐ろしいわね。私達を利用しようとする人間なんて」
冗談めいた口調で微笑する大喰いエルビオレーネ。
キノの宣言を聞き届けた後浸父ディオレストイは一度姿を消し鐘の音ともに去った。
次の取引に必要な準備を手伝わせている。
一応確認するがエルビオレーネとは取引しない。
夢を喰われる相手を選ぶならアリアを選びたいが所在不明なのでディオレストイに妥協することはあってもエルビオレーネを選ぶことはない。
「お前がイチを欠落者にしたのはわかっている。さっさと失せろエルビオレーネ」
能力云々よりも個人的な感情から大喰いは受け入れられない。
イチはこいつに挑んで欠落者になった。利用するのも嫌な相手だ。
ただ利用しやすさでは大喰いの方が御しやすい相手だったのは認める。
大喰いは味付けの為に人間を利用したり夢を喰らう為に佐藤陽子と協力関係にあったり食欲を満たす為なら行動を操れる存在である。
夢を喰らう為に罠丸出しに待ち構える虫憑きの軍勢に躊躇なく姿を顕すわかりやすい単純さは制御しやすい。
侵父は厳かに神様気取っているただの狂った狂人なので扱いにくさが否めない。
能力的にも大喰いに劣るのでさじ加減間違わないよう細心の注意がいる。
自分の夢を餌にしてみたのはいいがここまで大喰いと侵父の食い付きがよかったのは思わぬ誤算だった。
都合がいいのは認めるがけして嬉しい誤算ではないのがみそだ。
エルビオレーネは味に拘るが入れ食いなので無視するがディオレストイが食い付いたのは多分後悔からくる罪悪感で感情がマイナスになっていたのに反応したからだろう。
お蔭で取引相手に選択肢ができたけど微妙に嬉しくない。
「貴女の夢を食べてみたかったわキノちゃん。私とは取引してくれないみたいだし。嫌われちゃったわね」
「いーーーっだ」
どこまでも食欲に忠実な大喰いは去っていった。キノは子供のように舌をだし見送った。
やれることはやる。手段は選ばない。
欠落者になったイチを助ける為にキノは知識を使い頭をまわす。
欠落者からの蘇生は例がない。
つまり失った感情は戻らず欠落者のまま過ごす末路が虫を失った虫憑きのさだめ。
生きる屍となった欠落者を人為的に治すことが不可能なら人外を頼ればいい。
原作開始と共に欠落者ふゆほたるが復活する。
一号指定のふゆほたるの復活は虫憑きとしての復活である為、戦いの運命からは抜け出せないが、十分な成果だ。
今更一般人の回帰を高望みするほど柔ではない。
イチが欠落者でいるよりずっとましだ。
欠落者の復活方法は未だに謎があるが親である始まりの三匹が条件なのをキノは知っていた。
だからキノが必要とする条件とはーーー。
「今は誰になっているのかなアリア」
かつての同居人アリア・ヴァレィとの再びの会合を待つ。
少女が抱いた夢を巡り始まりの三匹が翻弄される。
少女はかつてアリア・ヴァレィだった。
少女は大喰いに目をつけられた。
少女は侵父を呼び出した。
虫憑きですらない今はただの少女月見里キノ。
動き出した夢はもう止まることを知らない。
二十代半ばの研修医の男。一般的生き方をしてきた彼に特別な何かはない。
彼が特別な意味をもつようになるのは不可思議な相棒と出会い、少女に呼ばれた先生という呼称にあるのかもしれない。
始まりは屋上に自分を呼ぶ声、幻聴の声の主 一匹の碧い蛹に触れたことから始まる。
碧い蛹の正体はアリア・ヴァレィ。
アリアの眠りからの目覚めに共鳴した男は先生。
人の命を尊びただ一度の死を覆す力、命の終わりに対する復讐を望む医師の卵は一人の虫憑きを生み出し後悔するさだめにあることは誰もしらない。
とある異例を除けば。
アリアの狙いは資産家の令嬢にして重病を患っている少女 花城摩理。
患者と研修医の会合から始まるbugストーリーにerrorが介入を果たす。
「はじめまして、花城摩理さん」
「......髪」
「ん?」
「切ったほうがいいと思うわ」
どこか壁を感じるほど冷たくて儚い患者の少女と研修医の青年。虫憑きと関係のない会合。
「彼女の心臓は、いつ停まるかも分からない」
「一度でも停まったら......おそらく、蘇生は不可能だろう」
研修医の男は彼女の主治医から言い渡された情報はそんなものだった。死の運命に抗う男は数日後碧い蛹に出会う。
彼は運命をねじ曲げる。
その運命はより多くの運命をねじ曲げることも知らずに。
「......髪、また切ってない」
「髪を切るどころじゃないんだ。忙しくてぶっ倒れそうだよ」
交流を重ねる二人は患者と研修医。どこまで言葉を交えても立場は変わらない。
否、彼女は何かを隠す研修医の違和感に気付いていた。
少女は青年の隠し事の正体を暴く。
「ねえ、おしえて。本当のことを......」
「ーーーよく聞いてくれ、摩理」
彼は己に潜む虫憑きを生む始まりの三匹アリア・ヴァレィの存在を花城摩理に話す。
相棒と思う存分、語り合いが出来る屋上に研修医の青年は居た。
『僕は、無慈悲な化け物だ。それでも良いヤツに見えるなら』
『それは君が良いヤツだってことさ......』
「じゃあせめて祈っておくか。どうかアリア・ヴァレィ様摩理のことを諦めてください」
『それは叶わぬ願いだ人間よ。一度は諦めようと言ったが、あれは嘘だ』
「こっちにも意地がある。僕が摩理の夢を喰らわなければ、君はずっとバカな僕の中に居続けるしかないのさ」
『僕の器になるヤツは、どいつもこいつもバカばっかりだ。何度言っても分かってくれない』
諦めの悪い研修医と、意地っ張りで照れ屋の化け物。
うしろ向きな相性の悪い二人の前に突如穢れた鐘の音が響いた。
穢れた鐘の音の正体。研修医の男の中に潜む始まりの三匹のひとりはすぐに気付いた。
『ディオだ。特殊型を生む始まりの三匹の内の一人ディオレストイ。何でここにっ』
「ーッ。アリア!摩理の夢を狙っているのは君だけじゃないのかっ」
『待ってくれ。どうもおかしい。摩理に反応していない。真っ直ぐここを目指している』
鐘の音は次第に強くなる。遂に耳障りな鐘の音が屋上に鳴り響いた。
『ーーーかつての同胞とその仮初めの器よ』
「これが、始まりの三匹」
『どういうことだい。ディオ。僕らはお互い不干渉。同じ夢を欲した時のルールは早い者勝ち。君が僕らに接触する必要はないはずだ』
姿を顕す法衣を纏う老人ディオレストイ。
『契約によりお前たちを迎えにきたのだ。かつての同胞よ』
「契約?」
『訳が分からない。一体誰と何を契約して顕れた』
『契約はお前たちを迎えること。そしてアリア・ヴァレィの子を迎えることのみ』
「君の子。つまりは同化型の虫憑きのことか」
『ディオを使い、僕を探しあて僕が生み出した同化型の虫憑きを引き合わそうとする人物......』
『かつての同胞よ。汝がよく知る者だ』
『誰かが......僕の器になっていた誰かが僕を思い出したのか』
屋上から鐘の音が鳴り始まりの三匹であるアリア・ヴァレィと宿主である青年が消え去った。
鐘の音が聞こえる。目を閉じて耳を澄ます。
耳障りの鐘の音も今だけ幸運の福音に聞こえる。
準備が整った。見えなくても感じることができる。目の前の景色は目を瞑る前の景色とは変わっているだろう。
そのまま一歩進む。
それだけで少女は鐘の音とともに姿を消した。
少年は感情のない人形のまま、とある施設に搬送される予定だ。
事件とも事故とも判らぬ経緯で運ばれた重症を負った少年は病院施設で治療を受けていた。生死をさまよう大怪我を奇跡的な回復を果たし順調に傷を癒した。
意識を取り戻した少年はしかし感情のない人形だった。何度もリハビリとカウンセリングをした。
無反応な生気のない少年に効果はなかった。怪我の後遺症。
知らぬ者はそう考えるだろう。知っている者には欠落者としての症状を思わせるのには十分である。
特別環境保全事務局が管理する欠落者の収用施設。
そこに搬送されることが決定された少年はやはり表情を浮かべることはなかった。
表向きは治療の為の施設に移される為の行為。
しかし特環関係者たちが一般人に思惑を隠す方便でしかない。
欠落者は隔離施設で特別環境保全事務局の下に管理されるのが公然の秘密である。
まだ解明されていない虫憑きの不測の事態に備えた護送トラックに収納される。
特別環境保全事務局の局員の虫憑きはそんな役割で少年の搬送に同行していた。
「本当に欠落者になっているなら俺たちに出番なんてないのに」
「連中は怖がっているのさ。得体の知れない俺たち虫憑きに」
虫憑きを管理する組織ですら虫憑きを怖がっている。
何のお笑い草にもならない事実が虫憑きの存在をいかに腫れ物であるかを物語る。
「こっちは好きで虫憑きになった訳でもないのに、クッソ」
「当たり前だ。虫憑きになって好きで特環なんかに従うかよ」
毒をもって毒を征す。
特別環境保全事務局は、虫憑きを使って虫憑きのトラブルを解決しているがその扱いに違いはない。
彼らの利害関係は組織に抗う虫憑きとそれを狩ることを目的とした組織に服従した虫憑きの支配関係。
特別環境保全事務局に対する不満は組織に属する虫憑きの大半が抱いている。
それでも彼らが特環に付き従うのは強大過ぎる組織の力ともうひとつの原因。
「かっこうのクソヤロウが居なければこんな所に」
「あの化け物のせいでどれだけの虫憑きが従わされているか」
特別環境保全事務局 最強の刺客かっこう。
虫憑きから蛇蝎のごとく嫌悪されており、その強さから誰もかっこうに逆らえる虫憑きはいない。
「俺らもコイツのみたいにならないよう生きるには特環に従うしかなかったって訳だ」
「欠落者になる位なら特環に従う。それしか道は残されていないからな」
後ろ暗い虫憑き同士の会話。
虫憑きでない特環の関係者は遠巻きに二人を不気味がって近づこうとしない。
収納されるトラックのコンテナには欠落者の少年が一人と護衛を命令された虫憑き局員が二人いるだけだった。
たいして重要でもない危険のない任務。
気が抜けても仕方ない任務内容に緊張は弛緩していた。
不意に鐘の音が響いた。
「さあ全ては揃ったんだろ。はやく招待しろディオレストイ」
ゴーーン。ゴーーン。
鐘が打ちならされた音が強く響く。
欠落者の少年は人形のような相貌を静かに虚空に向けた。
「なんだっこれは」
「ぐわああああ」
局員の強さを測る号指定。
十から一までの数字が与えられていない無指定の虫憑きは鐘の音によるディオレストイの精神攻撃に対処できない。
もがき苦しみ地面をのたうち回るだけでたいした抵抗もできずに倒れていった。
残されたのは欠落者の少年のみ。
また鐘の音が鳴る。
自らの意思を持たないはずの少年は誘われるように歩き出す。感情も思考もない。
夢遊病のように歩き出した欠落者の少年は最後に鳴り響いた鐘の音にきえていった。
教会に似た黒い建物、そこに十字架は立てられておらず先の折れた棒があるだけで荒廃とした建築物に退廃を偲ばせる。
扉が開かれる。
招かれた人物は一人の少女の思惑によって集められた。
ここに居るのはこの領域の支配者ディオレストイ。
招かれた支配者と同じ存在アリア・ヴァレィとその器 研修医の青年。
そしてこの集会の黒幕の少女月見里キノ。
「舞台に役者が揃った。開演開幕の音頭を仕切らせて貰おうか。私が主催の此度の舞台、役割を果たすのが君たちの務めだ。虫憑きでもアリア・ヴァレィでもないただの人間月見里キノの筋書き通りに頼むよ皆」
驚愕の舞台に扉を潜る者が一人、最後の役者
イチと呼ばれた欠落者の少年が現れた。
鐘の音に招かれたアリア・ヴァレィと器の青年。
教会には法衣の老人ディオレストイと一人の少女がいた。
青年には少女が何者であるのか正体がわからない。
しかし彼の中のアリア・ヴァレィには少女の名前が分かっていた。
『キノ!何で君がここに!』
「アリア。彼女が君のかつての器なのか」
領域の支配者とは別の存在である少女に青年は声をかけた。
「久し振りだねアリア。私は十三才になって少し大人びたけど君の姿ほど別人にはならないかな」
『しっかり僕を思い出している。ディオと契約したのはキノなのか』
「私はかつてのアリア・ヴァレィとしてアリアの匂いを貴方に感じることは出来ても声を聴くことは叶わないらしい」
少し悲しげに少女は声を聞けない事実を嘆いた。
「君は思い出したのか。アリアのことを全て」
「はじめまして。今回のアリアのお友達。私は月見里キノ、キノだよ。よろしくね」
『お友達って......恨んでいないのか彼女は』
あっけらかんに話す少女キノに青年は少し気圧される。まさかアリア・ヴァレィのことをお友達呼ばわりするとは思っていなかった。
「はじめまして。アリアはお友達って言葉に呆れているようだ。そして君に恨まれていないか気になっている」
「通訳か、不便だね。私は恨んでいないよ。イチを虫憑きにしたのは私のせいだからね。アリアは相変わらず意地っ張りだね」
声を聞けない弊害を青年が代弁することで補う。
記憶を取り戻したキノは当然のようにアリアに負の感情を向けなかった。
『記憶が戻ってもまだそんなことを言えるのか。君も僕の器になった人間がいかに呆れたヤツばかりなのはわかったかい』
変わらない言葉を聞いてどこか優しい愚痴をこぼす。
「僕もアリアが意地っ張りなのは同意するところなんだけど。ああ、アリアが僕らをバカにしているんだ。照れ屋だからね」
「うんうん。アリアは性格が変わってもアリアだね。貴方は白衣を着てるし雰囲気から察するにお医者様?」
少女にはなんと無く目の前の髪が伸びた青年のことに心当たりがあったがそれは転生における知識によるもの。
知識の相違点を確かめる為の確認のための作業を行う。
「まだ研修医の駆け出しさ。君はどうしてここにいるんだい」
「それじゃあ先生って呼ぶね。お医者様の駆け出しさん。ねえ先生、そしてアリア気付いたことないかな?」
面白そうに青年を先生と呼び、両手を広げどこか誇らしげに質問する。
アリアと同化した先生には少女のそれに気づくことが出来た。だからアリア・ヴァレィには手に取るようにそのことがわかった。
『キノは夢を抱いたんだね』
「君から熟れた夢の香りがする」
「そう。私は夢を抱き大喰いに出会った。その時虫憑きにならなかったけどアリア・ヴァレィだった過去を知った」
夢を抱けば始まりの三匹が引き寄せられる。そこから繋がる過去に隠された真実。
「アリアは役割を果たすと器は忘却する。本当のことだったんだな」
「そして私は自分が虫憑きにしたイチのことを思い出した」
『僕が虫憑きにした。そう言っても君は取り合わないだろうね』
「アリア。イチは欠落者になったよ。虫憑きになってすぐに大喰いに挑んで敗れたんだ」
『なんだって!キノはイチに大喰いの能力を話した。勝てないって知っていたはずだ』
「私は目覚めてすぐにイチが血まみれの欠落者に成り果てているのを発見した。そのことをずっと忘れて過ごしていた」
「それが虫憑きなのか......アリアの器の使命なのか......」
『僕は......僕はっ......』
語られる事実、アリアと先生に与えた衝撃は大きかった。
先生はアリアの器としての宿命の大事さにアリアは少女に強いた役目とその結末の重さに。
「だからお願いアリア・ヴァレィ。貴方にイチを取り戻して欲しい」
『......ッ!?』
「なんだって!?」
だからキノが語る言葉よりも重要な意味合いをもつ嘆願は更なる衝撃として加わった。
「始まりの三匹。その一人であるアリアなら欠落者になったイチを救えるはずだ」
「そのために君は......」
全てのお膳立てはイチを救いだすこと。少女は欠落者となった少年に絶望し立ち尽くすことはなかった。
「夢に誘い出されたディオレストイに契約を持ち掛けアリアのことを随分探したよ」
『キノ、君は虫憑きになろうとしているのかっ』
「っアリア本当かい!?キノは虫憑きになろうとしているのか」
不明瞭だった契約という言葉の意味をここに来て一端を知る。
「そう。それがディオレストイとした契約の一部」
『まだ何かあるのかい。キノはどれだけ無茶をしたら気が済むんだ』
「自分の夢を餌にしてアリア・ヴァレィを探しだす。無謀ですらない蛮行だぞそれはっ」
「貴方に何が分かる!」
「ッ......!?」
先生の叱責も少女を咎めるには至らない。
何故なら少女は安い感情で動いた軽挙ではなく硬く決意した意思によって行動している。
「かつてのアリア・ヴァレィの器として忠告します。誰かを虫憑きにする。そんな覚悟は忘れてしまうその罪を前にすればなんの意味をなさない」
「......」
「辛い別れだよ。私はイチのことが大好きだった。その気持ちの分だけ今は辛い」
『僕が......奪ったんだよ』
「先生、貴方は貴方の役割がある。後悔なき選択はない。せめて背負えるだけの道を見つけることを私は願います」
「肝に命じておくよ」
新旧アリア・ヴァレィの器同士の会話。それは役割に対する戒め。虫憑きを生み出す者達の器に選ばれた人間の交わす言葉。
「話が逸れちゃったね。私のことはいいからイチのことを頼むよアリア」
『僕は結局キノの望みを叶えることで虫憑きを生むのか。一体何故こんなことに』
「アリア......」
虫憑きを生み出す罪の連鎖。自分が喰らう訳でなくともキノは虫憑きになる。罪深い業がアリアを悩ませる。
「先生?もしかしてアリアは悩んでいるのかな?」
「キノ。アリアは君の望みを叶えることで君が虫憑きになるのを気に病んでいる」
「ああ、そうか。そういう考え方もなくはないのか。それは違うよ先生、アリア」
『キノ?』
即座に否定するキノ。その否定にはどんな意味をもつのか。
「アリア・ヴァレィ足るものがなんて思い違いをしているのかな。私が虫憑きになる理由なんて一つしかないのに」
「理由?」
理由とはなんだろうか。イチを救い出したい想いか。ディオレストイと交わした契約によるものか。始まりの三匹と関わったことか。選択した自らの意思か。ただの不幸か。
そしてキノは語る。
「簡単なことだよ。それは私が夢を抱いたからだ」
正解はそれしかないのだと疑わない迷いのない答えだった。
「戦わない虫憑きはいない。どの虫憑きも自分が抱いた夢を守るために戦っている。アリアも言っていたことだよ。私は虫憑きになるけど夢を見続けることができる。夢を叶えるために戦うことだってできるんだ」
少女は夢を抱いた。その夢は始まりの三匹を惹き付けるに値するほど確かなもの。
「私は虫憑きになる。アリアもイチも関係ない。だって夢があるから。誰にも負けない思いがここにあるから」
夢に輝く少女に同情なんて必要なかった。
虫憑きは苛酷な戦いを強いられる。そんな運命に負けない夢見る少女の強き想い。
少女は契約によって虫憑きになる。だがそれは屈したからではない。
どこまでも貪欲に願いを叶えるための少女の選択に過ぎなかったのである。
「アリアはそんな私の夢を手伝ってくれる?」
見誤っていたのはアリアと青年の方。
この少女は虫憑きになることを憂いていない。
何一つ諦めていないからここに居るのだ。
少女は自らの夢のはじまりを告げる。
「さあ全ては揃ったんだろ。はやく招待しろディオレストイ」
教会の扉が開く。
一年と数ヶ月ぶりとなる少年は以前より髪が伸び女の子のように髪が長かった。
人形のように感情のない顔を張り付けているけどキノはその顔にぶっきらぼうに無愛想な表情を思い返させた。
姿を現した最後の役者に対してキノは声を張り上げ舞台を演じる。
そんなやり取りに全く反応を示さない欠落者の少年に少女は近づく。
「約束破るとあとでヒドイ目に遭うぞイチ」
教会に鐘の音が鳴り響く。
この日非公式に一人の欠落者が蘇生されこの日始まりの三匹全てを巻き込んだ一人の虫憑きが誕生する。
空気を震わせた鐘の音に目が覚める。
祝福のようでいてそうではない鐘の音は空気に鳴り響いたあと消えていった。
長い眠り、長い夢を見ていた気がする。
病室で感情のない自分が寝ても起きても変わらない風景。そんな夢をずっと。
何故自分はこんなところに居るのだろう。
病院の前のトラックの近くに人が倒れているのが見えた。覚えのない景色だ。
「イチ」
そう呼ばれただけで心臓の鼓動がひとつ高鳴るのを感じた。
ゆっくりと振り返る。
聞こえた音が幻聴でないように呼ばれた名前の意味が真実でありますように。
果たして、少女が居た。
少女の周りに群青のウスバカゲロウの幼虫ずんぐりした胴体に鋭い牙をもつアリジゴクの姿をした異形の虫が空間に形作り姿を消した。
少女の周りの異変なんて気にも止めない。
イチと呼ばれた少年は少女に向かって駆け出した。
これは再会であり、約束である。
イチとキノは名前を呼びあった。
「キノ」
「イチ」
「約束守れた?」
「遅い。私の方が先に思い出しちゃったよ」
「守れなかった?」
「ん?約束は結局、私がイチを名前で呼んでいるしね。だけどお詫び位は欲しいな」
「幾らでも」
再会の感動を静かに喜ぶには二人は大人ではない。
思いの丈をぶつけるように抱き締め合い、顔を近付ける。
お詫びの名目の接吻が再会と約束を締めくくる。
再会を祝う二人に一匹のダイオウムカデが顕れ一鳴きした。
ダイオウムカデ「リア充バクハツしろ」
ムシウタで怖いのは虫憑きじゃない一般人。魅車八重子しかり佐藤陽子しかり土師圭吾しかり宗方しかりヤッコしかり。
今回から独自解釈が強くなっています。妄想じみた根拠の薄いものなので悪しからず。