後はどこまでこのペースが持つか、だ。
基地内のいたるところで慌ただしく作業が進む中、ソ連軍将校は祖国の大地を食い物にしている怨敵BETAの巣――エヴェンスクハイヴのある方向を睨みつけていた。
東シベリア奪還作戦が開始され、早数ヶ月。ようやくエヴェンスクハイヴ周辺以外の東シベリア制圧が完了し、士気が高まりつつあった。あと一歩で祖国から忌々しいBETAの巣の一つを消し去れるといったところまで来たが、エヴェンスクハイヴに存在するBETAの総数は予想されていたものよりも多いらしく、BETAによる散発的な攻撃が続いていた。そのこともあってソ連軍将校の機嫌はあまりいいものではなかった。また桜花作戦の時のように新種のレーザー属――超重光線級が現れないとも限らないため、早く攻め落としてしまいたいのだ。
そうでなくてもヴェルホヤンスクハイヴから時折思い出したように増援が出ているという報告もある。冬が来て侵攻できなくなる前に勝負をつけたいが、現状の戦力では難しいと判断せざるを得なかった。
(せめて、空爆部隊が使えれば……)
しかし、空爆部隊は一年近く前にそれまでは確認されていなかった光線級によって全て失われてしまっていた。なぜあの時までこのエリアでは光線級が確認されていなかったのか、それはあの超重光線級を作り出していたからではないかと推測が立てられている。だが、所詮推測は推測に過ぎず、BETA相手に人間の常識は通用しないのだ。
ヴェルホヤンスクハイヴは海から少々離れているため、艦艇からの支援砲撃も難しく、エヴェンスクハイヴ攻略は非常に困難なものとなっていた。
少しして通信機に連絡が入った。予定されていた実験部隊が到着したらしい。
(忌々しい化け物共を連れてやってくるとは……ふざけた真似をしてくれる)
ソ連軍将校は苛立たしげに指揮所へと足を向けた。
シベリアの大地を踏んだ武たちを最初に迎えたのは、7月だというのに日本とはまるで違う冷たい空気だった。ユウヤの話によると、ここは前線基地にしては整備された場所だという。どうやらユウヤは以前この地に来たことがあるようだ。武は知る由もないことだったが、かつてユウヤが不知火・弐型と試製99型電磁投射砲の実戦テストのために訪れた地だった。
基地司令へ挨拶を済ませた武たちは大型輸送車で仮設前線基地へ移動し、作戦の指揮を取っているソ連軍将校と挨拶を交わしていた。だが、ソ連軍将校は武たちを歓迎していないらしく、あまり態度がいいとはいえないものだった。
「あのような玩具を試作するような無駄金があるとは、うらやましいことだな、中尉」
「無駄かどうか、それを確認するためにここに来たんです。評価をするのはテストのあとでもいいでしょう?」
武は将校の態度に腹を立たせながらも、それを表に出さずに対応していた。
意外なことにソ連軍将校は日本語で武と会話していた。本人が言うには、教養の差と格の違いを示すには相手の言語に合わせてやることも必要だということらしい。
「ふん、どうでもいいが、くれぐれも我が軍の邪魔だけはしてくれるな。無能な貴様らのせいで栄誉ある我がソビエト軍人の血が流されるなど我慢ならん。それ以外は好きにするがいい。我々は貴様らがBETAの餌になろうと、我々の邪魔にさえならなければ何をしようとかまわん」
そう言って霞、イーニァ、ネージュの三人を一瞥すると忌々しそうに顔を歪め、ソ連軍将校は去っていった。どうやらあの将校は三人のことを知っている人物だったらしい。もしかすると元々オルタネイティヴ3の関係者だった可能性があるが、今はどうでもいいことだった。
武は三人に対するソ連側の対応を心配していたが、夕呼によると霞とイーニァについては正式に夕呼の預かりになっており、ネージュについてはそもそもソ連側ですら存在しないとされていたため、日本国籍を持つ今のネージュには手が出せないらしい。
前線基地は仮設とはいえかなりの規模であり、基地内に存在する戦力だけでも相当数の戦力があるであろうことは想像に難くなかった。問題は、これほどの戦力をもってしてもまだエヴェンスクハイヴに届いていないということだった。
聞いた話によるとエヴェンスクハイヴのBETAの総数は作戦開始当初のものよりもかなり多いことが予想され、じりじりと前線を押し上げてはいるものの、散発的に大隊規模のBETA群が攻撃を繰り返しているという。
武は整備班にいつでも出撃できるよう準備を指示し、霞の元へ来ていた。
「霞、早速で悪いんだけど……どうだった?」
武は霞にソ連軍将校のリーディングの結果を尋ねた。武としては霞にこのようなことをさせたくはないのだが、これも夕呼の指示なのだ。
「あの人は、嘘を言っていません。私たちに嫌悪感はありますが、何かをしようという気はないみたいです」
武が霞の頭をなでて労ってやると、霞は上目遣いで武を見つめてきた。
「あの……タケルさん。その……少し寒いので、温めてもらえませんか?」
耳が寒さで赤くなり、少し寒そうに震えている霞を見て武は当然、放っておけはしない。武は強化装備の上に羽織っていた防寒用の装備を霞にかけてやることにした。
「……そうじゃないんです」
霞が気落ちしたように小さくつぶやくが、武はそれに気がつくことはなかった。この主人公はやはり、鈍感なのである。
武と霞がそんなやり取りをしているのを横目に、ユウヤはイーニァとそれぞれの機体で着座調整を行っていた。
およそ三週間に及ぶ訓練の結果なんとかXM3の習熟を完了した二人は、まだ他の三人についていくだけで精一杯な状態だった。しかし、そのうち二人は今回が初陣である。いかに模擬戦が強かろうと、シミュレーションでいい成績を出そうと、現実には何が起きるか分からないため自分たちでフォローできるように機体を完璧に把握しようとしていた。今回はいつもと違い寒冷地である。用心に用心を重ねてもしすぎるということはない。
「みんなで帰ってこようね、ユーヤ」
「あぁ、もちろんだ」
二人とも、新しくできた仲間を死なせたくはないのだ。
悠平は整備班の面々と今回が初の寒冷地試験である新型関節構造について意見を交し合っていた。寒冷地では数値の設定や注意事項が変化するため、実際に出撃する前に動作のチェックを行う必要があったのだ。
全てのチェック項目をクリアし、装備の確認に移ろうとした時、
「……くちっ」
ネージュのかわいらしいくしゃみに一同に微笑ましげな笑顔が広がった。温度調節が可能な強化装備と違い、むき出しの顔は冷気が当たってとても寒いのだ。
悠平は気休めと知りつつ、自分の羽織っていた防寒具の内側にネージュを招いてやった。
今回が初陣だというのに二人とも不思議と緊張していない様子だったが、そんな二人を霞が羨ましそうに見つめていることにはまるで気づく様子はなかった。
各自の準備が完了しいつでも出撃ができるようになり、しかし、もどかしさを感じるような速度で時間は過ぎていった。
到着から一週間が経ち、ごく小規模な戦闘は発生したが出撃するまでもなく片がつき、現状は膠着状態に留まっていた。
そんなある日、横浜機関が使用している仮設ハンガーには数人の嘲笑が響いていた。嘲笑の発信源は数人のソ連軍衛士であり、その全員が少年兵と思われる者たちだった。
「我が偉大なソビエトの大地にお前たちみたいなよそ者が何の用だ?お前たちの薄汚い血で穢しに来たのか?」
「後方でぬくぬくと無駄な戦術機を開発してる、実戦経験もなさそうな甘ちゃんじゃ死の八分も乗り越えられないんじゃねーの?」
「そう言ってやるなよ。こいつらは現実を知らないんだよ。だからこんな衛士でもないガキを連れてきてるんだぜ」
「でも可愛い顔してるじゃねーか。俺たちが可愛がってやろうか?」
(前も似たようなことに巻き込まれたっけなぁ……)
ユウヤはデジャブに頭を痛めながら、衛士たちに近づいていった。
「おいおい、アンタたちにこんなことをしている余裕があるのか?今はアンタたちの土地を取り戻す重要な作戦の途中だろうが」
「アァ?なんだテメーは?」
ユウヤが自分の所属を伝えると衛士たちは再び嘲笑をあげるが、ユウヤはそれを無視して口を開いた。
「アンタたちは勘違いしているみたいだが、日本はついこの間まで自国にハイヴを抱えていた最前線だ。それを知らないってことはアンタたち、まだ任官して半年もたってないんじゃないか?」
「ッ、なんだとぉっ!?」
衛士たちの怒りもなんのその、ユウヤは言葉を続けていく。
「まぁ、新任だろうがベテランだろうが関係ない。俺たちにちょっかいを出す時間があるのなら、少しでも生き残る確率を上げる努力でもしたらどうだ?俺たちは生き残るためにここにいるんだからな」
「……チッ。おい、いくぞ!」
ユウヤの言葉に面白くなさそうな顔をしながら、衛士たちは去っていった。そして霞とイーニァはその能力で、彼らの行動が己の不安を隠すための強がりだったことを見抜いていた。
「ブリッジス少尉、助かりました。俺じゃ何言ってるのか良くわかんなくて……」
「中尉……いや、以前にも似たようなことがあったからな」
ユウヤは武が話を聞き取れていなかったことに苦笑し、笑顔で手を振るイーニァの元へ歩いていった。
四日後にソ連軍が攻勢に出ることが決まったのは、このすぐ後のことだった。
「そうか、始まるか……」
連絡を受けた男は口元を歪ませ、ポツリとこぼした。
豪奢なインテリアが施された、しかし人に不快感を与えないセンスのいい部屋。天然の素材を使用した高価な執務机。見るからに強い権力を持つのが良く分かる部屋に男はいた。
「大事なものはしっかりと囲っておかねば、どういうことになるか……たっぷりと思い知るといい」
男がこれから起こることを思いほくそ笑んでいると新たな連絡が入った。その内容は男がまるで予想していなかったものであり、男にとっては余計なことでもあった。
「あの贅肉ダルマめ。先走りおって……」
だが、男は苛立ちつつも焦らない。最悪の場合は贅肉ダルマと呼ばれる豚を切れば済むことであり、己の懐が痛む心配はないのだ。しかしその結果、得られたかも知れないものが手に入らなくなることはやはり苛立たしいものだった。
今回でBETAとの戦闘に入るつもりだったのに、ままならないものです。
実はソ連軍将校の台詞は大幅に変更したものであり、変更前はものすごくツンデレ臭がするものでした。嫌味な感じがうまく出ているといいな。