10月26日。武は悠平を伴って夕呼の執務室へ向かっていた。それぞれが担当している部分の進捗状況を報告するためだ。もっとも、他の者からも夕呼へ報告がいっているのかもしれないが、一応二人はそれぞれ責任者という形になっているので別途報告の義務があるのだ。
「それにしても、一週間かけてやる予定だった作業を一日で終わらせるとか、がんばりすぎだろ……」
「んー、その辺の記憶が曖昧なんだよなぁ……気づいたら今日の朝だったし」
いつ寝たのか記憶がないまま朝起きたらいきなり二日が過ぎており、つい先ほど進捗状況を確認してようやく何が起きていたかを把握したという。どうやら一流のアスリートに見られるゾーンと呼ばれるものと似たような状態に入っていたらしい。もはや新たな異能ではないのだろうか。
「そんな能力はごめんだな。泣いてはいなかったけど、今回もネージュに心配をかけたみたいだし……」
武は一度様子を見に行った時におろおろするネージュの姿を見ており、その時悠平の口から魂が抜け出ようとしていたように見えていたことは気のせいだと思いたかった。時々体が痙攣していたのはきっと寝相だろう。時折妙な奇声を上げたり、ぶつぶつと数式らしきものを唱えていたのは寝言に違いない。あんな悠平を一日中看病していたネージュには申し訳ないが、武は昨日見た光景を忘却することにした。
B19フロアにある夕呼の執務室へ到着すると、しかし電気はついておらず真っ暗だった。夕呼はどこか別の場所にいるのだろうか。
ふと悠平が入り口で立ち止まっていることに気づき様子を見てみると、なにやら妙な顔をしていた。
「……この状況、覚えがないか?」
悠平が武に耳打ちするように口を開いた。
執務室に電気はついておらず、夕呼も部屋にいない。武にはそんな状況の心当たりなど一つしかなかった。
「――おや、誰かと思えば……」
突如、暗い部屋に三人目の男の声が響いた。その男は影が濃いところからゆっくり姿を現した。その様子はまるで影からにじみ出てきたかのような不気味さがあった。
「はじめまして」
「……はじめまして、鎧衣課長」
武がそう返すと、鎧衣は目を丸くして驚いていた。だがそれも一瞬。すぐにいつものマイペースな空気を取り戻していた。
「ははは、私も有名になったものだな。そうだ、私はちょっと怪しい者だ」
もう名前もバレているのにそう言うと鎧衣は武に近づいて武の顔を引っ張り始めた。前回と同様、確認をされているのだろう。
「ふむ……同姓同名の別人かと思いきや、どうやらそれだけではないようだな」
「いい加減離してくれませんか?引っ張られたままだと痛いんで……」
「おっと、これはすまない。あまりにいかがわしい顔をしていたものだからついね……ん?疑わしい、だったか?」
いかがわしい顔とはなんだと言いたげに武は半眼で鎧衣を睨んだ。
以前悠平に聞いた話によると、この世界のシロガネタケルは武家と何らかの縁があるらしい。だが、悠平はその情報について詳しくはなく、確証が得られなかったため別人としての戸籍を用意するしか手の打ちようがなかった。城内省の壁はそれだけ厚いのだ。しかし、それでも疑惑を完全に晴らすことはできていなかったようだ。
「――で、帝国情報省外務二課の鎧衣さんは、今日は一体何の用でここに来たんですか?」
悠平が油断のない目で鎧衣を見つめながら尋ねた。
「部外者には教えられないな」
しかし、鎧衣はそう言い切った。どうやら夕呼が来るまで待つしかないようだ。
「――騒がしいわね。人の部屋で何やってるわけ?」
武たちはこの世界ではまだ出会っていない美琴について鎧衣と話していると、呆れ顔をした夕呼が戻ってきた。
「こんにちは、香月博士。少しばかり娘のような息子……いや、違ったか。息子のような娘について話し合っていただけですよ」
「相変わらず礼儀がなってないわね。アタシは入室の許可どころか、面会の予約すらもらった覚えはないんだけど?」
「いやぁ、部屋の前に立ったら扉が開いてしまったんですよ」
夕呼の口撃に鎧衣は怯みもせずにマイペースに流していく。相変わらず手強い男である。
「……で、結局何をしに来たわけ?」
「なにやら面白いものを作ったという噂を聞きまして……なんでも戦術機がジャンプユニットを使わずに空を飛んだとか。よろしければその話を聞かせていただければと思いまして」
ため息混じりに夕呼が尋ねると鎧衣は相変わらずペースを乱さないまま本題を切り出した。
「ふぅん……残念だけど、あれを作ったのはアタシじゃないわよ。話が聞きたければ本人に聞いてちょうだい」
「博士以外にあのようなものを作れる天才がこの基地には他にも?」
「天才じゃなくても作り出すことは可能だと思うけど?どうしても知りたいなら自分で探してみたらどうかしら」
「……増えた第三計画の遺児たち。そしてここにいるシロガネタケル。何か成果が出たということですかな?」
鎧衣との応酬に応える夕呼には、以前になかった余裕のようなものが感じられる。そのことに鎧衣も気づいたようで話題の方向性を変えることにしたようだ。
「さあ、どうかしらね」
夕呼はイエスともノーともつかないような表情ではぐらかす。
「いやはや、やはり博士は美しくも恐ろしい女性だ」
「アンタに言われたくないわね……ってあぁ、そうだわ」
ふと夕呼が何かを思い出し、丁度いいとでも言うように鎧衣に向き直った。
「今XG-70の交渉の仲介と調停を頼んでいたわよね。それに追加でもう一つ交渉の仲介を頼みたいのよ」
「おや、また何かご入用ですか?博士のような美人に重用されるというのは、なんとも男冥利に尽きますな。それで、目的のものはなんですかな?」
「――G弾よ」
鎧衣が息を呑んだ。
「……そんなものを、一体どうするおつもりですかな?」
「アタシがほしいのはG弾の中身のほうなの。こう言えばわかるかしら?」
なるほど、と鎧衣は頷いた。これは悠平が夕呼を脅――頼み込んだことだ。それを実行に移したのだろう。
「詳しい内容は近いうちに連絡するから、とりあえずそういう話があるということだけでも向こうに伝えてちょうだい」
「ふむ……詳しい事情はわかりかねますが、それが必要ということですか」
「詮索はあまり感心しないわね。余計な首を突っ込みすぎると寿命が縮むわよ」
「おお、怖い怖い。ならば私は飼い犬らしく、おとなしく職務を全うすることにしましょう」
そう言って鎧衣は踵を返した。
彼が去っていった部屋には、なんだかよくわからない木彫りの人形が残されていた。やはり相変わらずな人である。
「報告は以上?なら少し聞きたいことがあるんだけど――」
鎧衣が帰り、進捗状況の報告が済むと夕呼が悠平を見た。
「……御巫、荷電粒子砲の修理はいつ頃終わりそうなの?」
「……気づいていたんですか」
悠平が目を丸くして驚いた。輝津薙の複合ジャンプユニットは現在修理中であり、荷電粒子砲を使うことができない状況にある。実を言うとユーコン基地へ向かった時も荷電粒子砲部分はまるで中身が入っておらず、見せ掛けだけの状態だった。全てはG弾の爆発にわずかに巻き込まれていたことが原因だった。量子分解が一瞬だけ間に合わず、二機とも一番脆いジャンプユニットが損傷してしまっていたのだ。
ジャンプユニットとしての機能はすぐに修復できたものの、予備部品のない荷電粒子砲部分は他に急ぐ作業もあって手付かずの状態だった。
「大部分を新造する必要があるので今から始めると完全修復まではおよそ三週間。通常出力で使用する分には二週間といったところですね」
「ギリギリね……」
ギリギリ。そこから考えると、夕呼は11月11日のBETA新潟上陸時に輝津薙の荷電粒子砲を使うつもりなのだろう。二週間あればなんとか通常出力で荷電粒子砲を使用することができる。ただし、安定した状態で使用できるのは
「本当は荷電粒子砲だけでほとんど片付けられれば良かったんだけど、仕方ないわね。一発でもいいから使えるようにしておいてちょうだい」
「つまり、それがG弾の交渉材料……というわけですか?」
夕呼が少しだけ感心したような笑みを浮かべた。
「……いい線をついているけど、少し足りないわね」
少し足りない、ということは他にも使い道があるということだろうか。夕呼のことだ、一つの事柄を複数の目的のために活用したとしてもおかしくはないと悠平は納得の意を示した。例え消極的とはいえ夕呼が引き受けたのだ。ならば勝算はあるということだろう。
ともあれ、荷電粒子砲の修復にはすぐに取り掛からなければならないだろう。ただでさえ量子融合によって材料を生成するところからはじめなければいけない分時間がかかるのだ。他の急ぎの作業が一段楽しているとはいえモタモタしてはいられない。
唯一つ、問題があるとすれば――
(俺、まだヴァルキリーズに顔見せできてないんだよな……)
ネージュはヴァルキリーズの今日のシミュレーター訓練に参加することになっていると聞いていた。つまり、自分だけがまだ顔合わせできずにいるのだ。輝津薙は悠平がほとんど独力で作り上げたため、組み上げの段階に至るまで誰かに手伝ってもらうのも難しい。
(それに、ネージュの近接格闘能力は速瀬さんに絶対目をつけられるだろうし……)
悠平は大きなため息を漏らした。どうやら当分は一人寂しく作業を続けることになりそうである。
悠平のその懸念は見事的中し、水月を近接格闘戦で秒殺したネージュはその日から毎日水月にシミュレーター訓練へ引っ張られていくことになる。悠平にとってもネージュにとっても苦難の日々の始まりだった。
薄暗い部屋で顔に傷のある男は室内でもコートを着たままの男から報告を受けていた。
「――ふむ、特にこれといった情報はつかめなかったか……いや、あれを作った者が横浜基地にいるらしいことは分かったのだったな」
「ええ。それを仄めかすような言葉を博士は使っていました。確実とはいえませんが、おそらくいるでしょう」
傷の男は机の上に広げられた資料から一枚を手に取った。
「……11月11日に帝国軍と国連軍――副司令直属の精鋭部隊と訓練兵の合同実弾演習を打診されたよ。なんでも新技術を実装された機体のお披露目も兼ねているそうだ」
「いささか急な気もしますが……訓練兵も、ですか?」
「訓練兵は戦場の空気を少しでも感じさせるために戦術機で見学させたいそうだ。……もっとも、その訓練兵は明後日から総戦技演習だと聞いているが」
少々気の早いことではあるが、なるほど、とコートの男が頷く。もしかするとそこに例の機体が出てくるかもしれないのだろう。何故日付を11月11日にしなければならないのかは気になるが、この傷の男はそういったことにあまり頓着しない。
「唯依ちゃんから聞いたときはまさかと思ったが、是非とも一度見てみたいものだ。……XFJ計画も来月中には終わると聞いているし、そうなれば唯依ちゃんも帰ってくる。博士が弐型を使いたがっているという噂もあることだ。開発を担当した唯依ちゃんをアドバイザーとして派遣すれば、あの魔女が何を考えているか少しはわかるかもしれんな」
そう言って傷の男――巌谷榮二は笑みを浮かべた。その頭の中は唯依のことと唯依がユーコンで見た謎の戦術機のことでいっぱいになりつつあった。
ちゃんとそれっぽく感じてもらえれば幸いです。
そしてまた何かフラグが立ちましたニヤニヤ。