合同実弾演習前日。そろそろ日が沈もうという頃、ヴァルキリーズとオーディンズ、207訓練小隊と第19独立警備小隊は合同実弾演習のために設営した野営地に到着していた。
帝国軍の基地を間借りするという意見も出ていたが、戦術機に実装している技術の機密性を考えてちょっとした訓練もかねて野営を行うことになったのだ。
周囲は整備兵が慌ただしく走り回り、水月たちもつい先ほどまで着座調整や打ち合わせなどで慌ただしい中にいた。今は賞味期限間近のレーションを食事代わりにしながらヴァルキリーズやオーディンズの面々と雑談をしていた。この場に207訓練小隊とまりもがいないのはA-01の機密性ゆえと、離れたところにある別のテントで細かなブリーフィングを行っているからである。
「……で、アレは何なのよ?」
水月が指差した先にあるのは桃色の幸せオーラの塊だった。
「ほふぅ……」
「はふぅ……」
オーラの中から緩みきったような二人分の吐息が聞こえてくる。
一人は出立直前に紹介されたオーディンズの一人であり、技術者でもある御巫悠平大尉――らしき者だ。緩みきっていて判別が難しいが、おそらく間違いはないだろう。
そしてもう一人はこの二週間、氷のように冷たい表情で水月を毎日秒殺してくれたネージュ・シェスチナ大尉――のはずだ。毎日近接格等戦を挑んでいるのは伊達ではなく、水月は日々強くなっていっている実感があった。にもかかわらず、ネージュは毎日水月を秒殺していく。見ているだけで凍えそうな無表情で毎日毎日。
それがどうだろう。悠平の膝の上に座り後ろから抱き締められているネージュの表情は、まさに春の陽だまりとしか言いようのないほど完全に緩みきっていた。これがあの凍りついたような表情をしていた少女と同一人物だとは到底信じられないほどだ。
「誰かさんが二週間毎日引っ張って行ってたせいでまったく会えていなかったそうだ。今日くらいは許してやれ」
みちるが苦笑いしながら答えた。
技術者でもある悠平は試作機を合同実弾演習に間に合わせるために二週間ほどカンヅメ状態だったらしい。ネージュはそれを手伝いたがっていたのだが、水月によって邪魔されたことで訓練中はずっと気が立っていたのだそうだ。つまり、この二人が今このように周囲に毒を撒き散らしている原因は水月にあった。
「自分に相手がいないからって誰かに八つ当たりするのはどうかと思いますよ」
「なんですってぇ!?」
「と、稲村が思っていました」
「おや、バレはりましたわぁ」
キッと水月が睨みつけるが、小鳥は悪びれもせず正面から受け止めた。幼馴染に武家がいたこともあって、誰に対しても臆することなく接することができる彼女は水月にとっても少々やりにくい相手の一人だった。いつもこの悪びれなさと独特な喋り方で勢いを削がれてしまうのだ。
再び水月は視線を桃色オーラへと向けた。
「ユーヘー……」
ネージュが悠平に甘えるような声ですりすりと頬を摺り寄せている。悠平のほうも見ていて腹が立つくらい幸せそうな表情をしており、見ているだけで胸やけがしそうな甘ったるい毒を撒き散らしていた。
これまで毎日近接格等戦を挑んでいたため水月はあまり実感がないが、ちゃんと戦った場合はネージュよりも武のほうがずっと強いらしい。もっとも、技量の問題というよりは戦術の相性の差らしいが。しかし、そんな武もネージュと悠平のエレメントを相手にするとほとんど一方的に大破させられてしまうという。
(フォローするのがうまいのか、それとも御巫大尉も化け物じみているのか……)
ただ一つわかっていることは、この二人のエレメントが
翌早朝、整備兵が最終チェックに勤しんでいる中、207小隊の面々は強化装備に着替えていつでも機体に搭乗できるよう準備をしていた。
「みんな、準備はできてるみたいね?」
「うむ。見学とはいえこれから正規の軍との合同演習に臨めると思うと、少々気が逸ってしまうな」
冥夜は武人の血が騒ぐのか、どこかウズウズしているようにも見える。もっとも、それはここにいる全員がそうだろう。
「見学といっても、実弾が装填されてるんだよね」
「ええ。だからこれまで以上に注意しないといけないわね」
戦術機には味方誤射防止機能があるとはいえ、事故は起こりえる。乱戦時には特に注意が必要だ。
やがて準備ができたようで、それぞれの機体へ搭乗の指示が出る。これから演習ポイントへ移動するのだ。
「各機、機体のチェックは済んだな?マガジンに弾が入っていなかったり、推進剤が入っていなかったらどうしようもないぞ」
訓練兵を指揮するまりもが注意を促す。まだ戦術機に乗り始めて一週間も経っていないとはいえ、さすがにその程度のことを忘れるようなものはこの中にはいない。
「よし。ではこれより、我々は演習ポイントへの行軍を開始す――」
まりもが移動命令を出そうとした瞬間、けたたましいアラートが管制ユニット内部に響き渡った。
「な、何事なの!?」
「状況を確認する!各機はそのまま待機だ!」
突然の自体に動揺する訓練兵たちにまりもが指示を出した。どうやら緊急事態なのは間違いないようだ。
207小隊の訓練兵たちはみんな、これから起こることに緊張を隠せないでいた。
「――来た!」
やはり、BETAは武たちの知る未来のとおりに今回も侵攻してきた。BETA自体に影響を与えるようなことをしていないため、この事柄に関しては変化の起きようがなかったのだ。
戦域情報を確認すると、BETA上陸予想地点は想定以上にバラけており、輝津薙の不完全な荷電粒子砲では全てを殲滅することは不可能だとわかる。ならばとるべき手段は一つだろう。
「霞、HQにBETA上陸予想数が一番多い二箇所で荷電粒子砲を使用することを伝えてくれ」
「わかりました」
共に輝津薙に乗っている霞がHQへ連絡を取り付ける間に、武は仲間たちと隊の分割について話し合う。と言っても、輝津薙の武と悠平、不知火・改のイーニァとネージュで四人しかおらず、悠平とネージュの二人は少々特殊な位置づけのためどう分けるかは決まりきっているのだが。
「……私は悠平と行きます」
「じゃあタケルと行ってくるねー」
もっとも、そんなものは関係なしにあっという間だが。
「――白銀大尉、少しいいか?」
部隊分けが終了すると、みちるから通信が入った。聞いてみるとBETA上陸時の対応についてだった。
オーディンズは荷電粒子砲を使用した後は各地でそのまま遊撃し、訓練兵である207小隊と第19独立警護小隊は後方の補給地点に布陣することになっている。
「なるほど……では我が隊も二分し、オーディンズ分隊の援護に回すべきか」
「いえ、隊を分けるくらいならいっそ俺のほうについてきてください」
「は……?いやしかし、それでは御巫大尉の分隊は戦力が……」
目を丸くするみちるに武が苦笑する。ヴァルキリーズはあの二人のエレメントはおろか、悠平との訓練すらまだしていないのだ。そう思ってしまうのも無理はないだろう。
一人ずつを相手にするのならば、武はいくらでも勝機を見出すことができる。だが、あの二人がそろった場合、武には一切の勝ち目がなくなる。あの二人が戦術機に乗り始めた頃ならばまだ何とかなっていたが、ここ一年ほどはかすらせてもくれなくなっていたのだ。
だが、その強さの真価は多数の敵を相手にしたときに発揮される。極端なことを言えば、今回戦域に展開する全てのBETAが二人をめがけて集まってきても、多少の時間さえかければなんなく殲滅してみせるだろう。特筆すべきはその尋常ではないコンビネーションによる撹乱能力と殲滅力なのだ。
「あの二人のエレメントは、それほどなのか……?」
「ええ。エレメントに限ったコンビネーション戦闘なら、あいつらの右に出るやつはいませんよ」
悠平によると、XM3を用いた高次元戦闘に熟達したイーニァとクリスカのコンビならば自分たちも危ういかもしれないらしい。謙遜なのか、本当なのかはわからないが。
「攻撃をするな!?温存しろだと!?正気で言っているのか、それは!!」
帝国軍衛士はHQからの指示につい怒鳴ってしまっていた。合同実弾演習で国連軍の部隊がまだ一発しか撃てないという試作兵器を使用する事は聞いていた。だが、実戦になってまでそんなものを使うと言い出すとは思っていなかったのだ。
(指示には従う……が、後方の国連軍はやっぱり何もわかっちゃいない!)
目の前の戦域には千二百ものBETA群が上陸しようとしていた。帝国軍衛士のいる部隊はこのBETA群の上陸阻止を任とされていたが、目の前でそれを見逃せと言われたのだ。その憤りも仕方のないものだった。
戦域情報を睨みつけていると、二機の国連軍機が帝国軍衛士が展開している戦線の近くへやって来ていた。どうやら例の試作兵器とやらを使用するポイントへ移動しているようだ。
帝国軍衛士はその試作兵器を一目見てやろうと思い、望遠でその二機の姿を映し出した。
「なんだ……新型機か?」
一機は国連色に塗りつぶされた不知火だったが、もう一機は見たこともない機体だった。見た目の印象は帝国製よりも米国製のほうが近いだろう。ジャンプユニットは通常のものよりも大きく、あまりバランスがいいようには見えない。
(ハ、ハハ……なんだ、あれは。欠陥機じゃないのか?)
つい嘲笑が漏れてしまう。国連軍はあんなものが使えると思っていたのかと笑ってしまう。
やがて、二機の国連軍機は所定のポイントについたらしく、移動を止めていた。見慣れない機体のジャンプユニットがせり出すように機体の前方へ展開される。
(なんだ?あのジャンプユニットに何かあるのか……?)
そんな疑問は、すぐ後にHQから送られてきた試作兵器の使用に伴う被害想定地域の情報を見て吹き飛んでしまった。
(このエリアに上陸してくるほとんどのBETA群が、有効射程内だと……!?)
信じられない。あれだけの数のBETAの大部分を消し飛ばせるような兵器が存在するのか。
(……いや、そういえば電磁投射砲が数千のBETAを消し飛ばしたって聞いたな。ならその試作兵器ってやつは電磁投射砲なのか?)
そう思っていると、アラートがBETAの先頭集団の上陸を知らせた。BETAはどんどん増えてくる。うじゃうじゃ、うじゃうじゃと次々に上陸していく。
センサーが上陸するBETAの総数を知らせてくる。
百――二百――まだ増える。
五百――六百――これでようやく半分。
八百――九百――どんどん増える。
千百――千二百――おかしい、止まらない。
千五百――二千――さらに増える。
「お、おい……どうなっているんだよ?上陸予測は千二百前後じゃなかったのか!?」
HQからの最新の上陸予測総数を、帝国軍衛士は利き間違えかと思った。
一万二千。
旅団規模どころか、師団規模のBETA群がこの新潟に上陸しようとしていた。
現在展開している部隊だけではとてもではないが食い止めることができない数に、帝国軍衛士は震えが走ってしまった。
このままでは内陸部まで侵攻されるのは確実だろう。それどころか、今日が帝国最後の日なのかもしれない。それ以前に、自分は今日ここで死ぬのだろう。
無力感が帝国軍衛士を侵す中、戦域情報は上陸しようとするBETA群が途切れたことを知らせていた。最終上陸総数は、予測どおり一万二千ほど。
これでは本当に電磁投射砲でもなければ、現在展開している部隊は全滅するだろう。センサーはこのエリアに向かってきているBETAの総数を四千だと言っている。このエリアを任されている帝国軍衛士のいる部隊は一個大隊。とてもではないが戦線を支えきれるものではない。
海中での攻撃で生き残った光線属種もすでに上陸しつつある。今から支援砲撃を要請しても効果は薄いだろう。
(くそっ、国連軍のやつらのせいだ!あいつらさえ余計なことをしなければ……!)
帝国軍衛士は憤りを隠せない。こうなれば試作兵器とやらの使用を待つのは愚策だ。そう判断して部隊に攻撃命令を出そうとしたその瞬間――
例の見慣れない機体から光が弾け、暴力的な力の奔流が迸ったかと思うと、衝撃波が帝国軍の機体を襲った。
「な、なんだ!?何が起こっ――っ!?」
メインカメラに映った光景が信じられなかった。
一面を覆いつくしていた数千ものBETAがその姿を消していた。残っているのはせいぜい千に届くかどうかといったところだろう。
帝国軍衛士は、たった一瞬で三千ものBETAを消滅させた兵器が荷電粒子砲であることを掃討が完了した後に知ることになる。だが今はそんなことは知らず、先ほどまで虚仮にしていたはずの機体が放ったあの鮮烈な光が、人類にとっての夜明けの光になるような予感に囚われていた。
荷電粒子砲の焼き直し回でした。