おかしい、こんなはずでは……
夕呼は人体実験にならない範囲での超能力のデータ採りを行うことを条件に、悠平とネージュの保護を確約した。夕呼いわく、こんな珍しいものを他の連中にくれてやるなんてもったいなさすぎる、ということだ。ゲームの中で言われていたとおり、どこか子供っぽい天才である。
居場所が確保できたことでようやく一息つくことができた悠平は、横浜基地に来てからずっと気になっていたことを訊ねることにした。それはつまり、
「何で、白銀武がまだこの世界に存在しているんですか?」
これに尽きる。
白銀武という存在は桜花作戦が成功に終わっている以上、すでに因果導体という運命から解放され再構成された世界へ旅立っているはずなのである。しかし、武は未だにこの世界に存在している。
すると夕呼は呆れたように肩をすくめ、
「この馬鹿は社のために自分の意志の力だけでこの世界に留まったのよ。確かに理論上は可能だけど、そんなに社のことが大切なのかしらねぇ、この二股男は」
思いっきり武をなじった。
武は心外だとでも言いたげに顔をゆがませるが何も言えず、悠平から見てもあまり説得力はなかった。武が霞を大切にしているのは間違いないのだ。そして霞は武の最愛の女性、鑑純夏の半身のような存在であり、霞自身も武に好意を寄せている。ならば霞と純夏、二人とも武がもらってやってもいいだろうにと悠平は考えていた。結局のところ悠平もどこかずれているのである。
(よし、なら俺は霞の恋を応援してやろう。純夏は霞が相手ならきっと武をどりるみるきぃするくらいで許して受け入れてくれるだろう)
悠平はそう考え霞へグッドサインを送ると、霞も頬を染めながらグッドサインを返してきた。リーディングにやや抵抗があるらしい霞には珍しく、またリーディングしていたらしい。
「そういえば御巫、アタシが身柄を保護することは決まったけど、アンタこれからなにをするか予定でもあるの?」
話がひと段落ついたところで夕呼がそう訊ねてきた。悠平としては保護を受けることが最優先であり、その先はあまり考えていなかったため少しばかり考える必要があった。そして数瞬ばかり考えた結果、結論は出た。
「衛士の訓練をしながら戦術機とかの技術の勉強ができればいいと思ってます」
悠平はもともと技術系の人間であり、この世界の人型兵器である戦術機に興味を持っていたが、同時に戦術機に乗って動かしてみたいという気持ちも持っていた。
「なるほど、訓練生ね。ならちょうどいいのがいるからそいつに教官をやってもらうといいわ。技術に関しては専用の資料室があるから好きに使えるようにしてあげるわ」
夕呼の反応は悪いものではなく、むしろちょうどいいとでも言うように悠平の案を推した。普段の夕呼を知っている武は気味が悪く感じ、たまらず身を振るわせた。
「……夕呼先生、またなにか良からぬことを企んでるんじゃないでしょうね?」
「白銀、アンタはアタシをなんだと思ってるのよ。別にいつもそんなことを考えてるわけじゃないわよ」
悪戯を思いついたような笑みを浮かべながら、明らかに嘘だとわかる夕呼の態度は、しかし悠平にとっては渡りに船も同然だったので反論はなかった。
「それで夕呼先生、今って教官をできるような人って誰かいましたっけ?どこの部隊もまだそんな余裕はなかったと思いますけど……」
武は半月ほど前に横浜基地で起きたBETA侵攻を思い出していた。あの戦闘で横浜基地に存在していたほとんど全ての戦術機が桜花作戦での戦力として使えなくなり、部隊の損耗も今までにない規模に上っていたのだ。あれから残存していた戦術機は整備で使えるようになり臨時で米国から戦術機の補充も届いてはいるが、失われた人員の補充は思うように進まず、現在は再編された部隊の調整などで多くの者に余裕はなかった。
そんな中誰が教官をできるのだろうと疑問に感じる武に、夕呼は意地の悪い笑みを浮かべた。
「何言ってんのよ。御巫の事情を知ってて、XM3を生み出し、なおかつまりもの教育を受けた最適な人材がいるじゃない」
武はもうこの時点で理解していたが、それを気のせいだと心の中で必死に否定していた。しかし、夕呼はそんな武を楽しそうに見つめながら残酷な運命を突きつける。
資料室があるというB
「これが合成食の味、か……なるほど」
初めて合成さば味噌定食を口にした悠平はわずかに顔をしかめながら咀嚼した。本来さば味噌に含まれるはずの味が足りず、合成食特有の癖がある、というのが悠平の合成食に対する感想である。ゲーム中の武の台詞が正しいのならば、これでもまともに食べられる方だという。日本の食糧事情に戦々恐々しつつ、悠平は一口ずつしっかりと味わいながら食事を進めていた。
「とりあえず明日から訓練を開始するけど、本当にやるのか?」
悠平の教官を務めることになった白銀武
それを聞いた武は己の恩師にどこまで追いつけるかを考えながら、悠平を徹底的に鍛えることを密かに誓った。しかし、その誓いは思わぬ形で綻びを見せる。
「私も悠平と一緒に訓練をする」
話を霞に翻訳してもらっていたネージュが珍しく口を開き、出てきたのはそんな意味のロシア語だった。
社に通訳してもらった武はとたんに頭を抱え、閉口してしまった。見た目は全体的に霞よりわずかに小さい、十四歳の少女なのだ。男である悠平と同じように教官として接する自信が武にはなかった。
(神宮司軍曹……俺はあなたみたいな教官にはなれないかもしれません……)
夕呼の許可があっさり下りてネージュを訓練生に加えた武は霞を補佐につけ、まずは二人の体力づくりを行っていた。何を行うにしても、体が資本なのだ。悠平とネージュは武の指示に従い、黙々と訓練を行っていく。たった二人しかいない訓練兵が訓練を行う姿は、現在の人材不足の深刻さをあらわしているようにも感じさせる光景だった。
悠平はこの体力づくりで一つ、思わぬ誤算があったことを痛感した。息を切らしている悠平の視線の先にあるのは、同じ訓練量であるにもかかわらず未だ汗一つかいていないネージュの姿。そう、ネージュは悠平や武が思っていたよりも遥かに体力が高かったのだ。
悠平はネージュと同じ第六世代の少女であるイーニァのことを思い出し、イーニァも同じくらいの年齢にもかかわらず戦術機をあれだけ動かしていたのだから彼女たちは体力的な面でも何かしら優れているのではと考えたが、付き合いでグラウンドを一周走っただけでへばっている霞を横目で見てその考えを打ち消した。
座学の時間になると霞が教官役となり、武はその補佐へと回る。この理由は単純にネージュのためだ。ロシア語をしゃべることができない武ではネージュに教えることができない。そのための霞なのだ。
悠平はひたすら頭の中に内容を叩き込んでいく。もともと技術系に秀でた人間である悠平は戦略や戦術といったものはともかく、爆薬の種類や使用方法、銃の知識といったものなどに高い適正を発揮した。
しかし、それ以上に能力を見せたのはやはりネージュだった。もともと持っている知識こそたいしたことがないネージュではあったが、スポンジが水を吸うかのように知識を吸収していくのだ。これはオルタネイティヴ3でBETAとのコミュニケーション解析のためにリーディングによる記憶の関連付けの下地として高い教養や各種専門知識を広く必要とすることが関係しているのか、これまで閉じ込められていた反動なのか、悠平には判断がつかないものだった。
ネージュの高い知識吸収能力は語学にも発揮され、訓練兵の節目である総戦技演習――総合戦闘技術評価演習を迎えるころにはすでに霞の補助が必要ないほど日本語に熟達していた。これには悠平も安心を覚えたのだ。総戦技演習の際にチームメイトであるネージュと言葉が通じないという最悪の展開を避けることができるのだから当然である。
訓練を開始して2ヶ月と少し経ち、たった二人だけの物寂しい総戦技演習は何の問題もなくあっさりと終わっていた。たった二人しかいないために複雑な試験内容を組むことができなかったことと、夕呼が盛大に無駄を省いた結果だった。
武は自身が体験した二度の総戦技演習を振り返り、今回の試験内容に様々な意味での物足りなさを感じながら演習を終えた二人を見やった。
「これで晴れて貴様たちは戦術機に乗ることを許される!だが、これは終わりではない!ようやくスタートラインに立っただけなのだ!」
武は慣れない口調で、しかし気合を入れながら二人に言葉を送る。武にとっても次からが教官としての本番といえるのだ。
XM3。武が発案し、夕呼と霞が組み上げた新OS。従来のOSにはなかった自動シークエンスのキャンセルや一定のコマンドを入力した際に通常とは別の動作を行うコンボを組み込んだ、これまでの常識を打ち崩した新概念のOSである。
訓練課程の初めからXM3を使用した訓練を行うことで二人が、あの戦いで失った仲間たちと比べてどれほど伸びるのか、武は密かに楽しみにしていた。もしかするとまりももこういう楽しみを抱いていたことがあるのかもしれないと考えると、武は少しだけ可笑しくなってしまった。
このとき、武はすっかり忘れていた戦術機適正検査でとんでもない目にあうとは予想もしていなかった。
夕呼先生が優しい?いいえ、きっと気のせいです。
訓練課程の描写なんて見て楽しめるのは人が苦しんでるところを見て興奮するドSか、自分が苦しんでるところを妄想して悶えるドMだけなんです、きっと。