団子屋の外の赤い布が掛けられた長椅子で辺りをぼうっと眺める。件の蕎麦屋の他に、ここの向かいにも蕎麦屋があるらしく向こうとは違ってこちらの方はかなり繁盛していた。
その一方でここの団子屋は店構えは小奇麗なものの客の入りは滅法悪く閑古鳥が鳴いている。これだけ繁盛している蕎麦屋の前にあるのなら食後の甘味を求めて寄ってくる客もいそうなものだが、味が良くないのだろうか。
手触りの良い赤い布を右手で撫ぜながら考えていると、団子が入っているであろう包みを持った先生が店の中から出てきた。先生は包みを僕の隣において、長椅子に腰掛ける。
団子を食べて見たいなと思いつつ、先ほど蕎麦代を払ってくれたたばかりであるのでそうそう手を伸ばす訳にもいかず、手を出しあぐねていると先生はひょいと口に団子を放り込んで、「どうぞ。遠慮なさらず」と言う。
「すまないね、先生」
僕が先生、と呼ぶと先生はまだ自己紹介をしていなかった、という顔をしてからもちゃもちゃと咀嚼していた団子をぐっと飲み込んで、
「上白沢」
「ん」
「上白沢慧音と言います」
「そうか、上白沢慧音先生。僕は十歩来太だ」
僕も名を名乗って、団子を頬張った。繁盛していないものだから味の方はさして期待していなかったものの弾力もしっかりしていてなかなかに悪くない。蕎麦と団子を比べるのもあまり賢い話ではないが、向かいの蕎麦屋は他店の客を奪い取る程に美味いのだろうか。だったら一度食べてみたい。
そこまで考えた所で、銅貨の件を思い出して慧音先生に訊ねる。
「どうして蕎麦代を払ってくれたんだ」
「貴方が外来人と気づいたからです」
「外来人? 僕は日本人だが」
「ああ、いえ。そういう訳でなく」
慧音先生は咳払いをしてから説明をする。
掻い摘めばなんとここは日本と陸続きでありながら結界で隔絶されている人と妖が共存する秘境の地、幻想郷だと言う。そこで、何らかの理由で僕のように幻想郷に外から入ってきてしまった者達を外来人と呼ぶそうだ。特に、生き延びて里までたどり着く外来人は運が良いと言う。大抵は妖怪に襲われて喰われてしまうらしい。物騒な話である。
「蕎麦屋で見た十歩さんは馴染んでいた様に見えたので気づきませんでしたが」
「支払いの時に解ったと」
「そういう事です」
表向き理解しているつもりで話をすすめているが俄かには信じがたい。幻想郷だの結界だの言われても、僕はただ適当に歩いてここに来ただけなのだから。
顎に手を添えてううん、と考える。
「解った事はひとつある」
「なんでしょう」
「先生が頼んだ蕎麦は葱大盛りだった」
「……忘れて下さい」
閑話休題。
慧音先生が嘘を吐いている様子でもないし、疑う訳でもないが突然妖怪だの外来人だの言われても矢張り信じがたい。僕が信じる妖怪はせいぜいリモコンを隠す程度の存在なのだ。
何か、信じるに値する物でもないだろうかと余所見しながら二つ目の団子に手を伸ばした矢先である。
「んん?」
伸ばした手は赤い布を撫ぜるばかり。見れば団子の包みが宙に浮いているではないか。
恐る恐る浮いている団子に手を伸ばすが、伸ばせば伸ばす程団子の包みは遠ざかる。うっかり手を伸ばしすぎたせいでどさりと前のめりに倒れると、きゃははは、と人を馬鹿にした様な笑声が聞こえ、顔を上げると羽の生やした少女達が団子を持ってどこかへ飛んでいく。
起こった出来事にやや呆然としながら立ち上がって、
「団子を盗られた」
出た台詞がこれである。
そうじゃない。団子が盗られた事についてどうでも良くない事はないが一先ずはどうでも良い。
何故団子が浮いたのか、今の少女達は一体何者なのか。まだ多く残っていた団子よりもこの不思議現象について僅かに天秤が傾いていた。
「今の少女達は」
「妖精です。悪戯好きの困った連中です」
「団子が浮いた」
「妖精の力です。正しく言えば浮いたのではなく持ちあげたのです」
「それは、どういう」
「簡単です。自分達の姿を消して団子を手で持っただけ」
非科学万歳な説明に僕はついに黙り込んでしまった。呆れてではない。驚いたのである。
慧音先生は未だ信じかねている様子と見たのか、駄目押しとばかりに僕を呼んで、あちらを見て下さいと指差した。追って見ると、数十メートル先で子供達が集まってわいわいやっていた。……いや、あれは。
「……小傘?」
小傘が空を飛んでいた。それだけでなく、「いつもより多くまわしております!」等と言いながら手鞠をぐるぐると唐傘の上で操っているではないか。あの歳で器用な真似を、と感心したがそこではない。空を飛んでいるのだ。
見た所、ワイヤーアクションをする様な機械も見当たらないし、ハングライダーで飛んでいるわけでもない。と言うか、空中で静止したまま止まるなんて無理だ。まさか、傘でふわふわ飛んでいると言う訳ではないだろうな。何処ぞのミュージカルじゃあるまいし。
そこまで思考した所で小傘が空飛ぶ家政婦がどうだの言っていた事を思い出す。いやいや、馬鹿なと目を擦っても現在の光景は変わらない。頭が痛くなった。
「あれが妖怪です」
「あれが」あんなどこか抜けた少女が、と意味を込めつつ。
「ええ。でも、あれは無害です」
視線の先で、降り立った小傘が子供達に「手毬かえせ」と四方八方からスカートを引っ張られて「やめてえ」とかわあわあきゃあきゃあやっていた。どうやら、奪った手毬で芸をやっていたらしい。
見事手毬を取り返した子供達はそれを蹴りながらどこかへ行ってしまい、残された小傘はぺたりと座り込んでいた。遠くて表情は見えないが情けない顔をしているに違いない。
「だろうな」
いつもの調子を取り戻した僕は煙草を咥えてカキンッ! とライターを鳴らした時である。小傘が音に反応してこちらに振り向いた。しまったと思う暇も無く「おじさああん」とやはり情け無い声を出しながらどべどべ走ってきた。
「彼女を知っているのですか」
「まあ、道中で捕まって。里まで一緒に」
「そうでしたか」
慧音先生とそんなやり取りをしている内に小傘は荒い息をしながらこちらに近づいてきて、ぱあと人懐こい笑みを見せた。
「駄目じゃない、はぐれちゃあ」
「お前がはぐれたんだろう」
「そうだっけ?」
首を傾げる小傘にそうだと告げる。そもそも、里までの案内で終わりじゃなかったのか。
「と。話を戻しますが」先生が言う。
「うむ」
「先ほど言ったとおり幻想郷は結界で隔絶されています」
「その様だな」
「ですが、結界を抜けて帰る方法もあるのです」
「そうなのか」
「……他人事ですね」
「そうでもない」
「帰る気はないのですか」
「気が向いたら」
「おじさん帰るの? 家どこ?」
「ない」
「やあいやどなし……いひゃいゆるひへ」
「こらこら」
小傘のやわい頬を抓りあげていると慧音先生が軽く窘めた。
「これからどうする積もりです」
「どうもしない」
「でしたら、丁度空いている長屋があります」
「……そうか」
「一月の家賃も働けば直ぐに払える程度です。仕事の方も今、人手の足りない所が……」
「ちょっと、ちょっとまってくれ」
黙って聞いていれば話があらぬ方向へ動き出したので慌てて声を出した。
「僕は人里に住むとは言っていないぞ」
今迄ふらふらしていたものだから、今更どこかに住むだなんて気にもなれない。屋根のある家が厭だと言うわけでもないが、どこかひとつの場所に定住するのはなんとなく厭だ。働くのはもっと厭だ。
「そうよ。おじさんはこれから私の助手をして貰うんだから」
むくれた面で小傘が言うが、そんな話もしていない。なんの助手だ。曲芸のか。
慧音先生は困り顔になって、「でしたらどうするのです」と言う。
「どうもしない。適当にやるだけだ」
「寝床は」
「何処でも良い。道端でも何処でも寝られる所なら」
「よくありません。妖怪に襲われたらどうするのです」
「妖怪か」
そこで隣にいる小傘を見る。ふ、と鼻から息が漏れた。「ちょっと、なにさ」と抗議の声が聞こえる。慧音先生が「それは別です」と言う。小傘は「し、しどい」と涙目になった。
「兎に角、襲われて死ぬならそういう運命なのだろう」
これ以上話が縺れると面倒になりそうだったのでそう言い残してさっさと立ち去る事にした。背を向けて歩き始めると、慧音先生がぽつりと一言。
「蕎麦代」
「それは」
「ええ、私が好意で奢ったまでですから。それでは、お達者で」
「…………」
背を向けて二、三歩歩いた所で良心の呵責に押し潰されて動けなくなった。この先生、真面目な顔をして意外とやり手である。
空を見上げると、自由の象徴である雲はひとつも浮かんでいなかった。実に良い天気であった。
少し短めになってしまいました。
思い通りに書くのが難しい。