暗かった世界に光が生まれた。
その時、シェリルは歌を聞いた。
乾いていた世界に水が注がれた。
その時、シェリルは二度目の生を得た。
注がれた水を溢れさせる瞬間、シェリルは初めて運命を見た。
#4
仕事も終わり事務所の入っているビルへと戻る。
いつもならシェリル以外の音がしない建物に、シェリル以外の歌が聞こえる。
そして、それはずっと待っていた声だった。
「このアイモ」
「ああ、例の子が今日から来るみたいよ」
グレイスへと視線をやれば、それだけで察してくれる。
この事務所を引っ張るシェリルに遠慮してるのか、他の歌い手はこのビルで練習をしない。
気にせずに練習をしてくれと伝えてはあるが今のところシェリル以外の音は聞こえなかった。
無機質な空間に自分以外の声が聞こえるのが心地よくて頬が緩む。
「あら、とても気に入っているのね」
女王様とも揶揄されるシェリルの機嫌がここまでいいのは珍しい。
基本的に何かを渇望して、それをぶつけるようなスタイルが彼女の歌には多かった。
ずっと側でマネージングしていたグレイスにはよくわかった。
「声はね。まだ、どんな子かも知らないもの」
ふふっと楽しそうに笑い、鼻歌でハミングする。
シェリルのほとんどは歌でできていた。
新しい歌を運んできてくれる存在は手放しで歓迎するし、その人物がいい子だったら言うことはない。
生まれてから今まで、ここまでワクワクする歌を届けてくれる存在はいなかった。
”銀河の歌姫”という名前は何よりも孤独だ。
――この広い銀河に自分しか歌姫がいないなんて、なんてことだろう。
割と本気でそんなことを考えることもあった。
シェリルの周りにはたくさんの人がいる。
支えてくれる人も、ファンも、群れてくる狼だって。
だが、それらは全て対等には立ってくれなくて、自分と対になってくれるような存在をシェリルは探していた。
「とても、それだけには見えないけれど」
「わからないわ、とてもワクワクしてるってこと以外は」
グレイスが言い、シェリルは笑った。
自分でも分からない。それでも高ぶっているのはわかる。
否定も、肯定もせず、シェリルは出会いの瞬間を待つことにした。
*
「ランカです、よろしくお願いします!」
元気よく下げられた頭と共に緑の髪がぴょこんと跳ねる。
天真爛漫という言葉をそのまま表現したような少女が緊張した面持ちで頭を下げていた。
事務所で次の仕事の打ち合わせをしていたシェリルは歌が止まった時からそわそわしてしまっていた。
彼女が自分のファンだということは聞いていた。
その部分に興味はあまり湧かなかった。
シェリルのファンは――この言い方は酷いが、掃いて捨てるほどいる。
シェリル自身が今一番求めているのはその類のものではない。
「シェリル・ノームよ。よろしく、ランカちゃん」
今綺麗に笑えているか、シェリルには自信がなかった。
歌が止まって、足音が近づいて、そのたびに動悸が増した。
扉の前で何かを話している声が聞こえて、それから扉が開けられる。
バチンと音がしそうなほど、強く視線がぶつかった。
きっと間抜けな表情をしていただろう。
それほど、彼女以外の何も見えなくなった。
――見つけた。
最初にそう教えてきたのは、どの細胞だっただろうか。
一瞬にしてシェリルの全身がランカに集まり、それから同じサインを出した。
体の底から歓喜の渦が巻き起こり、全てを変えようとする。
それを押しとどめるのはシェリルをしても難しいことだった。
「は、はい!」
大げさなくらい、力強く頷いたランカに笑みがこぼれる。
彼女の瞳にあるのは純粋な喜びであり、シェリルと同じものは一欠けらも見当たらない。
――言ってたことと違うじゃない、アルト。
発情期も収まり、また仕事に忙しい男を引っ張り出してきて脳内で文句を言う。
運命の番は見た瞬間に、”お互いが”番になると理解する。
しかし目の前の少女にその様子は見られず、シェリルとしても聞きづらい。
ましてや自分だけ一目ぼれしたような状況になることなどプライドが許さなかった。
そういう複雑な感情を矜持のみで覆い隠し、シェリルは銀河の歌姫たらんと笑う。
「あなたの歌、とてもいいわ。だけど、アタシを追いかけるにはまだ足りない」
もっともっと貴女の歌を聞かせて。
もっともっと熱くさせて。
もっともっと。
溢れ出しそうな欲望を押しとどめ、煽るような言葉を口に出す。
シェリルが欲しいのは、ただの後輩ではないのだ。
歌うことに命を懸けていいと思っていて、実際に命を懸けれる人。
シェリルと同じくらい歌を愛している人だ。
――追いかけてこれるかしら?
光るものは何があっても必ず光る。
だが輝き続けられるかは別の話である。
銀河の妖精として、頂上にいるシェリルの背中を見て、それでも追いかけてこられる。
そういう人間は非常に少ない。
「はい、必ず」
力強い瞳にぞくりとした。
体中が喜んで仕方ない。
今だったらいくらでもαとしての務めを果たせる気がした。
この日、シェリルは手に入るまいと諦めていた二つ。
ライバルと番。
その両方を一気に見つけることに成功した。
*
体の中で心臓だけが大きくなったようだ。
全身に鳥肌が立ち、熱が湧く。
自分自身の体を鎮めるかのように、シェリルは己の体に腕を回していた。
「どうしよう……どうしたらいいのよ!」
「お前なぁ、来てすぐに言うことがそれか?」
月の綺麗な晩だった。
動物はもちろん人も月に操られて発情するという。
操られるにはもってこいの月夜だ。
門を道場破りの勢いで突破して、シェリルは幼馴染の部屋の障子を遠慮なく開けた。
そこにいたのは、いつもながら涼しい顔をしたアルトであった。
居ても立っても居られなくて叫んだシェリルに呆れた顔をよこす。
「今度はどうした?」
シェリルの幼馴染を長年務めているアルトにとっては慣れた言動だった。
感情の起伏が激しい幼馴染は、アルトの家の扉をいつか壊すのではないかと思っている。
「癪だけど、すっごく、癪だけど」
「ああ?」
ぎらぎらと光る瞳でにらみつけられ、身に覚えのない苛立ちをぶつけられる。
普通であれば怒りそうなものだが、眉を顰めるだけで受け入れる形を取れるのがこの男のすごいところでもあった。
「あんたの言う通りだったみたいね、アルト」
ぎりとシェリルが歯を食いしばる音が聞こえてきそうだった。
今まで貯めていた鬱憤が全て出てきているような荒々しい表情だ。
まるで気が立っている獣のようで、アルトはどこか納得した。
「見つけたのか、運命の番」
「見つけたわよ! 見つかったわよ、でもね」
手のひらを強くテーブルへとたたきつける。
銀河の歌姫の柔らかな手には似合わない仕草だが、激情家のシェリルには似合う仕草でもあった。
じんじんする手のひらに少しだけ気分がまぎれる。
今のシェリルは自分の本能と戦っていた。
運命の番。
いるとも思わなかったものが、目の前に転がり落ちてきた。
幸いと言えるかはわからない。
その番のおかげで、今シェリルはこんなにも荒れているのだから。
「あっちは、ぜんっぜん、意識してないわ。どういうことよ?」
綺麗なピンクブロンドの髪の毛をくしゃくしゃにかき上げる。
好き――というのも生ぬるい。
αとしての本能にまみれた感情。これは”欲”だ。
好きなんて可愛らしい言葉では表わすことができない。
「……へぇ」
シェリルの言葉にアルトは少し表情を変化させる。
αとしての番を見つけたということは、相手はΩである。
その法則は何があっても乱れない。
だとしたら、アルトにとってシェリルの言うことは少々おかしかった。
「振られたのか? 銀河の妖精さん」
「失礼ね! このシェリルが振ることはあっても、振られることはないわっ」
シェリル・ノームという人物を形作るのは、歌と歌だけに命を懸けている生き方だ。
自分の歌を広めるための努力は惜しまない。
――歌を歌うことだけで生きている。
そう表現してもおかしくないほど、シェリルはそのことに情熱を注いでいた。
ランカが歌うことで存在を確認しているのだとしたら。
シェリルは歌うことで自分を表現していた。
そして、そのどちらも自分の命が「歌」だともはや一方的に決めてしまっていた。
とても似た者同士の番だった。
「……あんなに」
シェリルはアルトをにらみつけていた視線を逸らし、うつむいた。
夕日がすぐに色を変えるように、先ほどまで燃え盛っていた感情は沈んでしまったらしい。
αとしての本能。
シェリルはそれを理解しているつもりでいた。
周りの誰よりも、セカンドバースについて勉強した気でいた。
周りがαとして本能的に生活していく中で、いつも置いていかれそうだったからだ。
「あんなに、衝動的だなんて、思わなかったわ」
今思い出しても胸が痛い。
ドキドキしてきて、ムズムズしてきて、熱い。
発情じゃないことはわかっている。
わかっていたからこそ、怖かった。
「ああ、初めてだったな。α様」
「今なら俺のフェロモンも効くか?」と捻くれたことをきこうとして、アルトは言葉を噤んだ。
遠慮なく殴られそうな気がしたからだ。
ただでさえ商売道具を傷つけられてはたまらない。
アルトはがしがしと頭を掻き、それから座り込んでしまっている幼馴染の傍に立った。
この距離でもシェリルの様子が変わったようには思えない。
つまり、アルトのフェロモンは相変わらず効かないということだ。
――なんつー、強情。
口に出そうな言葉を押しとどめる。
これで銀河の妖精はプレイガールなんて噂が立った時もあるのだから、シェリルの世界の危うさと言ったらない。
「……歌えよ」
「え?」
「どうせ、お前のことだから、歌う以外の解決策がないに決まってる」
決めつけて、それからアルトは笑った。
呆気にとられたような表情だったシェリルの口角が上がる。
アルトが柄にもなく慰めてくれようとしてくれているのがわかったからだ。
さらに、そのせいで照れている。
それがシェリルには面白くて仕方なかった。
「アルトにしては、いいこと言うわね」
ゆっくりと立ち上がり、窓際へと近寄る。
そこから見える月を眺めつつ、シェリルは息を大きく吸い込んだ。
その歌詞はまるでこれからのシェリルの決意を表しているかのようだった。
#4 end