運命の番は惹かれあうのか?   作:鼎立

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閲覧ありがとうございます。
まさかの感想を頂いている事実に感謝感激です。



#5

 

 

 

歌も恋も仕事も。

全てはこの性に絡められて得られないと持っていた。

それでも、欲しかったものはあるし。

目の前にあるそれに手を伸ばすことを諦めるわけにもいかない。

 

 

 

#5

 

 

 

ランカは走っていた。

ゼントラーディの血は肉体を強固なものにする。

それでもこんなに無茶苦茶に全力で走るなど初めての経験であり限界が近い。

 

「何なのっ……もう!」

 

息が切れる。汗が滴る。

興奮状態になるなと研究所からはきつく言われていたが、そんな役に立たないアドバイスはいらない。

 

確かにランカは油断していた。

薬は問題なく効いていたし、何より事務所に行く以外でαという人種に会うことがない。

自分のΩ性のことなど検査の時以外もう関係ない気持ちだった。

 

後ろを振り向けば、近づいてはいないが遠くもならない距離に見知らぬ男が追いかけてきていた。

全速力でも振り切れないのは、αの身体能力の高さゆえか。

このままでは逃げ切る前に自分の体力が尽きてしまうとランカにはわかっていた。

 

「飲み忘れたわけじゃないよねっ?」

 

自問自答する。

飲んだ。間違いなく。

いくら効いている自覚のない薬であっても、研究所でずっと育ってきたランカは勝手に薬を止めることの意味を分かっていた。

発情期、フェロモンほどΩの自分にとって恐ろしいものはない。

 

逆だというαが多いことも知っている。

Ωのフェロモンで惑わされるのはαであり、そのせいで迷惑をこうむるのもαだと言うのだ。

それでも、ランカはこう思ってしまう。

 

――発情くらい。

 

なんだというのだ。

αが発情するということはΩがいるということだ。

つまり、αは問答無用にΩを襲って、その欲求を解消することができる。

襲われるΩの意思はない。

酷い話ではないか。

 

自分にできる全力で足を回す。

それでも段々削られていく体力と気力。

捕まっていいとは絶対に思わないが、逃げ切れるとも思えない。

闇雲に走っていたせいで、ランカは自分の場所さえわからなかった。

 

「マネージャーさんのいう事聞けばよかった……!」

 

オーディションに合格しても、ランカの日々に変化は少なかった。

毎日レッスンの時間が組み込まれただけの日常。

営業さえ、まともに行っていない。

たまにレッスンに顔を出してくれるシェリルとの会話だけが楽しみな日々だ。

それとてファンであった時のような楽しさの塊ではない。

少しだけ苦くて、自分が隣に行けないことが苦しい。

シェリルを見るたび、そういう感情にランカは襲われていた。

 

「なるべく、一人で行動しないでください。特に夜は」

 

マネージャーにそんなことを言われたのは、記憶に新しい。

シェリルのような売れっ子ならまだしも、ランカに専属のマネージャーはいない。

送り迎えをしてくれる車ももちろんない。

基本的に電車を乗り継ぐ生活をランカは変えていなかった。

知名度も、何もない自分がこういう目に合うことを考えていなかったのだ。

 

ちらりと後ろを振り返る。

発情しきった瞳が自分を食い入るように見ていた。

――食われる。

比喩でもなんでもなく。

きっと、ランカの存在自体が食われてしまう。

番にされてしまえば、どうしようもない。ランカの意思など消えてしまう。

あの男に捕まってしまえば、間違いなくそうなる未来が見えた。

 

「なんでっ!」

 

ずっと一人で歌っていた。

歌う事だけが、ランカの生きる意味だった。

このまま同じ部屋から出られず、一生を過ごしていくのかと思った時もある。

検査して、薬を投与され、また検査。

そういう未来しか見えなくて、死にたいと思ったことさえある。

そんなランカを支えていたのは歌であり、シェリルという歌姫の存在だった。

 

「……どうして」

 

変わらないと思っていた生活に変化が起きた。

死ぬまで出られないと思っていた部屋から出ることができた。

シェリルのライブに行けた。

シェリルと同じ事務所に入ることができた。

歌うことを続けられた。

 

――やっと手に入れた人生を、こんなことで、こんな男で終えるわけにはいかない。

 

悲鳴を上げる心臓と、感覚がなくなり始めている足にひらすら言い聞かせる。

捕まらない。

捕まりたくない。

あんな発情しきったαとやりたくない。

自分の番になるのは――。

 

理性を越えた本能が、何かの答えを出そうとしていたとき、ランカの足は限界を迎えた。

なんてことはない障害物に足をとられ、転ぶ。

痛みはなかった。

それよりも早く起き上がって逃げなければならない。

だが、一度止まった足はランカの言うことを聞いてくれなかった。

 

「っ」

 

荒い息遣いだけが聞こえた。

振り返ったランカともう数メートルの距離まで詰められていた。

逃げられない。どうしようもない。

これだけ走ったのに、人気は皆無だ。

むしろ、今の状態のランカが人の多い場所に行くのは難しいかもしれない。

絶体絶命の危機に、伸びてくる手に、ランカは抵抗しようと首筋を守った。

 

「ナニ、してくれてるのかしら?」

 

気持ち悪い手が自分に触れそうになった瞬間。

ランカは神様の声を聴いた。

 

プシューと一気に視界が白くなる。

嗅ぎなれた匂いに、ランカはそのスプレーが発情抑制剤だと知った。

悲しいことに、研究所でもよくお世話になっていた代物なので対処法はわかっている。

ランカが吸い込んでも問題はないが、目と口を押え、煙幕が晴れるのを待つのだ。

発情したαがこの煙を吸い込むと、発情が消される代わりにひどく体力を消耗して動けなくなる。

どうにか、助かったという安堵がランカの胸を〆た時、煙から白い手が伸びてきてランカを引っ張った。

 

「え」

 

まさか、と思った。

逃げなければと体が反応した。

すぐにこれはあの手ではないことに気づく。

 

「逃げるわよ」

 

耳を打ったのはランカが一番聞いてきた声。

この声を自分が間違えるはずがない。

シェリルの白くて華奢な手が、ランカの手首をつかんでいた。

その手のひらは熱く、力強い。

 

「はい!」

 

αに触れられたのは初めてだった。

研究所でも、今の生活になってからも、ランカに触る人はいない。

またランカ自身もαに触られることに苦手意識があった。

それは自分の幼いころの経験が原因である。

ただ不思議なことに、シェリルに触られるのは少しも嫌じゃなかった。

自分に触る手がひどく優しかったからかもしれない。

その手に導かれて、ランカはシェリルが乗ってきた車に避難した。

 

「早く出して」

「はいはい」

 

シェリルはランカを押し込めるようにして後部座席へと座らせた。

そのまま苛立ちを隠しもしないとげのある声が運転席へと飛ぶ。

ランカはさっきの男と隔離された安心感に大きく息を吸い込んだ。

さっきまでの発情した空気とは違う。

大好きなシェリルの香りがした。

 

「ランカちゃん、大丈夫?」

「あ、はい。まだ、ちょっと苦しいですけど……大丈夫です」

 

心臓はまだバクバクしている。

何度か大きく深呼吸をしても、効果はあまりない。

助かった安堵と同時に、恐怖が蘇ってくる。

かたかたと手が震えるのを止められない。

 

「無事でよかったわ。触られてない?」

「はい」

 

暗い車内でシェリルのピンクブロンドの髪は光っているかのようだった。

かすかに差し込む光にキラキラと色を変える。

こんな時でさえ、ランカはその横顔を眺めることを止められなかった。

真っすぐ前を向くシェリルの花の顔。

抜けるような白い肌に金糸が彩を加える。

美しかった。ため息をつくほどに。

 

「ありがとうございました、シェリルさん」

 

自分の体の震えを隠すように、肘と肘を抱える。

バレないように祈った。

自分の体のことも、事情のことも、何もかも。

ただ、それはあまりに希望的観測すぎるとランカにも分かっていた。

 

「あなたが無事なら、それでいいわ」

 

頑なに前を向いたままのシェリル。

それでもその唇から零れる言葉は優しい。

震える体を隠すように、シェリルのコートがランカの肩にかけられた。

シェリルの匂いがして、あったかくて、優しくて、涙がこぼれた。

 

「ありがとう、ございます」

 

何も聞かない優しさが。

ただ傍にいてくれることが。

どんなにランカにとって特別だったか、きっとシェリルは知らない。

そして、ランカも今のシェリルが何を考えているかわかりはしなかった。

 

 

 

#5 end

 

 


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