また捕らわれる。
眩しさも暗さも知らなかった空間。
全てが輝いていたころ、その中で一番輝いていたのは何か。
思い出せない。
#7
「ここですか?」
「ええ、アタシの幼馴染の家……あんまり使いたくはなかったけど」
車に揺られて着いたのは、とても大きなお屋敷だった。
フロンティアでよく目にする建物たちとは趣ががらりと違う。
二階建てだが家を囲む塀はどこまでも続いている。
ランカの視力をもってしてもその果ては見えなかった。
シェリルが先に車を降り、ランカはその後をついていく。
辺りは先ほどまでの喧騒とは打って変わった静謐さを保っていた。
(この地区って……)
周囲を確認するように見回すも、どこなのか見当もつかない。
一軒一軒の建物の規模が違うことだけわかり、自分には縁がない高級住宅街であった。
掲げられた表札には「早乙女」と達筆な字が書いてあった。
「アルト―!」
「ちょ、シェリルさん、今の時間にそんな声を出しちゃ……!」
見るからに立派な門を遠慮なくどんどんと叩き、幼馴染の名前を呼ぶシェリル。
ランカはこの地区の静謐さに似合わない大声にびくりと肩を震わせた。
トップスターとしていつも優雅な行動を見せている姿からは想像もつかない姿だ。
その分、相手の幼馴染との親密さを感じランカは胸の奥がチクリとした。
「大丈夫よ」
いつものことだもの、と言外に語る瞳。
深い青空を思わせる色は夜に見ればさらに神秘的な色を含む。
元々の身長差もあって見上げる形になるランカにはシェリルの瞳が淡く輝いているように見えた。
「なぁに、ランカちゃん。そんなに見つめられると流石のシェリルも照れるわよ?」
ふわりと微笑めば、大輪の花が咲いたかのように雰囲気が和らぐ。
これが銀河の妖精。ランカがずっと憧れた人。
初めてシェリルの声を聴いたのはいつの頃だったろうか。定かではない。
シェリルがデビューしたと同時にランカはその声に魅せられた。
歌が好きで、歌うことが好きで、特にシェリルの歌う歌は全てに惹かれた。
そんな人が自分と同じ場所に立って、会話している。
それだけでランカにとっては夢の中にいるような気持だった。
「 」
「シェリル、お前今が何時だか――」
ランカの口から何かが零れ落ちそうになった時、ちょうどよく大きな門が開かれた。
その中から出てきたのは天才女形の名をほしいままにしているアルトだった。
シェリルはランカの言葉を聞き逃したことに、むっとした表情でアルトを睨む。
「遅いわよ、アタシが訪ねきたんだからもっと早く開けなさい」
「もしくは、もっと遅く」と付け足しそうになった言葉をシェリルは飲み込む。
アルトを見つめるランカの瞳に気づいてしまったからだ。
初対面の相手を見る顔ではない。だが、特別な感情が湧いているものでもない。
それだけでほっとしてしまった自分をシェリルはひたすら隠した。
こんなにかっこ悪いところを見せれるわけがない。
「あれ、お前……」
「あの時は、ありがとうございました」
早乙女アルト――天才女形。
しかしランカにとっては「初めて行ったシェリルのライブで出会ったとても綺麗な男の人」という印象が強かった。
目を丸くするアルトに、にこりと微笑むランカ。
シェリルはその二人を面白くなさそうに見つめていた。
*
「ランカをこの家で預かる、だぁ?」
「そうよ。アタシだって気は進まないわよ」
ため息をこぼす。
元からアルトの側にランカを置くことにシェリルは反対していた。
まだ短い付き合いだが、ランカの性格は非常に女の子らしい。
アルトのような綺麗な男の側に置きたくない。
同じΩ同士だとわかっていても、シェリルはそう思う自分がいるのを止められなかった。
「この家なら、番になっているαしかいないし、万一があってもアルトが対処できるでしょ?」
「そりゃ、そうだけどよ……」
目の前で交わされる幼馴染二人の会話をランカは黙って聞いていた。
すらりとした身長に誰もが認める華の顔を持つΩの男性。
そのスペックだけでお似合いの二人だなとランカは思う。
シェリルは言うまでもなく、綺麗でスタイルも抜群だ。
アルトはそのシェリルを越える身長と、隣になって映える容姿をしていた。
ランカは知らず知らずの内、じっと観察するように二人を眺めてしまっていた。
自分のことを相談されているはずなのに、その内容より二人の関係が気になってしまう。
どうしようもなく黒い何かがランカの胸の内で燃えていた。
「あの、」
「なに、ランカちゃん?」
「私、ご迷惑なら施設に戻ります」
シェリルの目が大きく見開かれる。
ランカが施設を出てきた経緯は事務所に説明してある。
ランカ自身があの鳥かごのような環境を好いていないこともシェリルはわかっているに違いない。
だからこそ一番最初に出るはずの「施設に戻す」という考えが出てこないのだと、ランカは思ったのだ。
「ダメよ、あなたはアタシの……ライバルになるかもしれない存在なんだから」
シェリルはランカの発言に唇を固く結んだ。
「運命なんだから」などと言うことはできない。
シェリルにしても、ランカを施設に戻してしまう選択肢を考えたことはある。
それでもそれを提案しなかった――できなかったのは、ただ単にシェリルの我儘だった。
ランカを施設に戻してしまった場合、事務所を辞めることになる。
歌うことを何よりも楽しんでいるランカが歌えなくなるだろう。
シェリルはランカの歌への情熱に誰よりも共感できる。
だからこそ、安全だと分かっていても「死んでいる」状態へと彼女を閉じ込めたくなかったのだ。
そして、自由に会うこともできなくなる。αであるシェリルであれば尚更だった。
「でも、この状況じゃ歌も歌えませんし」
「――っ」
真っすぐな目線、色、輝き。
そこに込められたものにシェリルは見覚えがあった。
シェリル自身の中に大切に仕舞われている歌への執着。
歌が生命であり、祈りであり、魔法である。
そういう人生を選んでいる姿だ。
シェリルには痛いほどわかる。
歌われることを止められる辛さ。
歌わずに生きろというのは不可能なのだ。
少なくともシェリル達にとっては。
「歌は、死なない……止まない、なくならない」
どうにか言葉を紡いだ。
歌を歌えないことはシェリル達にとって死ぬことと近い。
誰よりもその感覚を分かち合えているからこそ、そう言うのが辛かった。
歌は死なない――歌はずっと体の中を流れている。
歌は止まない――歌はずっと作り出され続ける。
歌はなくならない――なくならないものは、いつか溢れる。
川と同じだ。
吐き出さず貯めておけば、いつか必ず溢れる。
シェリルにとって歌をつくる、歌うことは生きることそのものだった。
「必ず、歌えるようになる。あたしはあなたの歌が好きよ」
諦めないで、とシェリルはそっとランカの頬に触れた。
涙も零さない赤い瞳。
その下で確かにランカが泣いている気がシェリルにはしたのだ。
「シェリルさん」
感激に潤んだ瞳がシェリルを見上げる。
言葉にならない感情をどうやって伝えればいいのだろう。
感謝とも尊敬とも言えない、熱い気持ちがランカの胸を駆け巡る。
この想いを伝えるためには歌うしかない。
歌でしか伝えられない、歌うことで繋がることができる。
そういう側面がシェリルとランカの二人にはあった。
「……お前ら、ここがどこかわかってるか?」
二人だけの世界に声を落としたのはこの部屋の持ち主であるアルトだった。
アルトとしても、二人の雰囲気を壊すのは大変申し訳なく思っている。
しかし夜も近い時間に急な訪問を受け、そのまま蚊帳の外に出されたのでは割に合わない。
アルト自身もずっと幼馴染の色恋に巻き込まれていられるほど暇ではなかった。
つまり、アルトはこの時結構イライラしていた。
「ご、ごめんなさいっ。アルトくんの家なのに!」
シェリル以外の存在を思い出したのだろう。
ランカは感情のまま緑の髪の毛を逆立たてると、慌ててシェリルから視線をそらし、真っ赤な顔でアルトへと頭を下げた。
純粋に忘れていただけの少女を本気で怒るほどアルトは人でなしでない。
ランカの事情も幼馴染を通して知っていたのだから尚更だ。
「アルト……!」
ランカとは逆に、シェリルは謝りもせず邪魔された怒りそのままにアルトを睨みつけた。
ここが何処だろうと関係ない。
折角、ランカが自分を意識してくれそうだったのに、と唇を噛む。
とはいえ、冷静な理性の部分はアルトの言い分を認めており、何よりランカの前では格好つけたいシェリルがそれ以上アルトを睨むのは無理な話だった。
「ランカを預かるのは……まぁ、仕方ない。引き受ける」
がしがしと頭を掻きながら、言葉を続ける。
シェリルは一度言い出したら聞かない性格だし、同じΩであるアルトにはランカの状態が非常に危険なのがわかっていた。
ファーストヒート前なのに人を引きつけ襲われるほどのフェロモンを放ってしまうのは不幸としか言いようがない。
「でもっ」
「いいんだよ、ランカ。さっきのでわかったろ?」
納得がいかない表情で詰め寄るランカにアルトは小さく頭を振る。
自分たちにはどうにもならないのだ。
ランカはアルトの事情を気にして施設に帰ると言っている。
シェリルはランカを返したくなくてアルトの家にいろと言っている。
そのアルトはシェリルが言い出したら、もう止められないことを十分理解していた。
「”銀河の妖精さん”がランカを返したくないって言ってるんだから諦めるしかないんだぜ、俺らは」
未だ拗ねた表情を浮かべる「銀河の妖精」の幼馴染をアルトは親指で指差した。
ランカも釣られたように視線をシェリルへ向け、表情を崩す。
二人の視線を集めたシェリルは一人だけ”不満げ”に頷いていた。
「アルトもこう言っているし、いいじゃない。ランカちゃん」
「無駄に広い家だし、ここが一番安全なのも間違いないしな」
シェリルに詰め寄られ、アルトにも承諾される。
二人に押されるような形で、ランカはついに折れた。
「すみません。よろしくお願いします!」
ランカの頭を下げる姿を見て、シェリルはやっと嬉しそうに微笑んだのだった。
見えないと思って緩んだ頬はまさに恋する乙女そのもので。
幼馴染の普段とは違う様子に、アルトは一人苦笑するしかなかった。
#7 end
感想ありがとうございます。
相変わらず鈍い歩みですが、少しずつ進んでいきますのでよろしくお願いします。