「まぁ……頑張った方ね」
ナミが呟く。
視線の先にはルフィに背負われたリィンだ。もちろん気絶している。
「ドクトル・ホグバック……」
この場に居る医者が同盟相手の敵だ、という事にようやく気付いたチョッパーは絶望感と共に小さく名を零した。
気付く者は気付いていた。
しかしなぜここに居るのか、などとは分からない。だからこそ無理矢理七武海に従っているという可能性を捨てきれなかったのだが、ブルックの態度からその可能性は無に等しいと悟る。
「とりあえず屋敷の中に入ろうぜ、俺こんな外で話したくない」
ウソップがぼんやりと霧がかった屋外の景色を見て一つ提案した。敵の根城に入り込む事に若干の抵抗はあるが、彼の言う通り外は何となく嫌だ。
もとよりリィン以外は屋敷のどこかにいるであろう七武海に用があるのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。……悪夢に悩まされるリィンを無視して足を進められる。
シンドリーちゃんと名前を呼んで皿をぶつけられるホグバックが居たが最近の麦わらの一味はスルースキルの経験値が増倍中で、ごく普通に無視をしていた。
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昼でも暗いスリラーバーク。
太陽の光を拝めない状況は誰かにとって幸運だが、リィンにとっては運の悪い、むしろ最悪の環境だ。
恐怖が増進される空間で、1人のビビりは目を覚ます。誰かの背に乗っているようだ。
「う……だ、れ」
「うわぁぁあ良かったリィン起きたか!」
歓喜の声にぎょっと覚醒する。聞き覚えのある涙声は一味の狙撃手ウソップだ。
リィンは首を傾げる。
──何故ウソップさんは走って…? 他の一味の姿が無いのは?
寝起きだとしてもわかる意味は一味が分断され何者からか逃げている最中だということ。
「とりあえず降りてお前の足で走れ!」
「分かる、した、ですが!」
背から飛び降りたリィンはどこに向かうのか分からずもウソップに着いていく。そして気になっている事を問いかけた。
「皆さんは!?」
反射的に聞いたが隣を走るウソップはなんとも言えない表情で前を見ていた。リィンはたったそれだけでやられる胃を持っていない。ただちょっと、連鎖的に起こる胃痛を予知しただけだ。
言いづらそうにしたウソップは聞き取れるギリギリの声で小さく経緯を話すことにした。
「……屋敷に入ってしばらくしたら、突然眠り出した。戦える奴らが軒並み眠って、どうしたんだって叩いても起きなくて。それで、少し目を離した隙に、っ消えた。他の奴らも、振り返ると1人ずつ」
寝起きにこの絶望感はあかん。
リィンは涙目で訴えた。首を横に振るだけで言葉は出ない。
「し、死体ぞ無い分まだましですね!」
ひょうきんな事を言っている自覚はあるが『=死』と決まった訳ではない。こういった言い方をすればウソップだと楽観的に考えてくれると知っている。頼りにしてるぜ、相棒!
厄介事を押し付ける気満々でリィンがウソップの肩を叩いた。忘れがちだが紛うことなき屑だ。
「俺が、屋敷に入ろうって……言ったから…ッ!」
頼りにしようと思っていた現在唯一の相方はSANチェック失敗どころか不定の狂気に突入していた。
明るい未来が見えない。絶望去ってまた絶望である。
屋敷内を行く宛もなく駆ける2人。
暗闇の中で頼るのは廊下に細々と灯るロウソクの火のみ。ゆらゆらと揺れる火が、怪しげな影を生む。
どくりどくりと心臓が嫌な音を立て始める。
かつかつと廊下の石を踏む音が、耳に入り染みるように頭に響く。
あぁうるさい。うるさい。
雑音なんて要らない。
ウソップと繋いだリィンの手は震えていた。
体温は冷え切っている。
視界の端に何かが遮ったような…──
「……」
「ねぇウソップさん」
「……なんだよ」
「聞くですよ?」
うるさいうるさいうるさいうるさい。
思わず、手を離した。距離を取った。
だってリィンは気絶していたんだ。
分からない。
この人が本当にウソップなのかどうか。
「姿が消えたのですたならば、なにゆえ私たちは走るしている?」
おかしいのだ。頭の中で指摘する矛盾に耳を塞いでいた。
アイツだ。あぁアイツだ。
消えただけなら、狙われないように隠れたりすればいい話。何故目立ちやすいにも関わらず走って堂々と廊下を逃げているのか。
目立ちやすくするため?
それとも──
「──逃げてる」
冷たい風が入り込んだ。リィンを包む風は体温を一気に奪う。
背に突き刺さるあの視線が、心臓を抉り。
「は、はは」
何から、とは聞かなかった。ウソップも言わない。
ここは七武海の本拠地で人間が敵。
それでいいんだ。それで。
見ィ……ッケタァア゛
「「──ッ!!」」
2人は声にならない悲鳴を上げた。
見つけられたのなら隠れる必要は無く逃げればいい。
その理由付けすら出来ないほどに走り出した。頭が真っ白になって、とにかくこの場から離れたい。その一心で走り出した。
走る。走る。走る走る走る走る走る。
突き刺さる痛みがリィンの体を支配する。
胃が声の代わりに悲鳴を上げた。
背に突き刺さる視線は変わらない。
「振り返るな…ッ!」
分かっている。
そう返事したくとも喉が詰まり声が上手く出ない。体が震える。体が上手く動かない。
──後ろから聞こえる足音の正体は何?
ウソップは知っていた。だから逃げていた。
それを見たら、凍りつくと。リィンならばもう一度気を失うと分かっていた!
ただ、リィンはウソップのことを信じていなかった。
見た。見てしまった。
あの醜い化け物を。
「リィン!?」
突然自分と反対側の別れ道に行こうとしたリィンにウソップが仰天して振り返る。視界に入ってしまった、徐々に近付くゾンビに、小さく悲鳴を上げる。
「わたっ、私貴方信じる、不可の、で」
ボタボタと大粒の涙がリィンの目から零れる。
……常時ならともかく、今の精神が擦り切れ視野の狭い彼女に状況を把握する能力は無い。
「別行動、しま、しょ、ね?」
痛々しい。
本当なら一緒がいい。
なぜなら一味は分断され、おそらく敵の手中。そして自分が本物だと分かっている。リィンも本物だと分かっている。
「ホグバックは、医者で、偽物ぞっ、作る出来……! だから、から、私信じは、無理で」
リィンは違う認識だと分かっている。
T字路の左右どちらを進むか。
「分かった、別にしよう」
「ッ!」
「1人とかめちゃくちゃ怖ぇけど……。リィンはもっと怖いもんな、俺が、俺じゃないかもって。疑うのしんどいよな」
壊れた人形のように首を縦に振るだけでリィンは肯定の意を伝える。
追いかけてくる『ゾンビ達』はすぐそこだ。
「ご、ぶうんを」
「おう」
罪悪感を拭うために口に出した言葉にウソップは微笑む。
お互いが背を向けて走り出した。
ゾンビは二手に別れて追ってくる。
「(無理無理無理無理無理無理)」
過去最高速度で走っている自覚はあった。普段から箒にかまけて長時間走ることの無いリィンにとって体力勝負とは負け確定の勝負だ。
「(どこか、どこかに!)」
大きな扉が目の前に見えた。小さな部屋で身を隠すよりすぐ逃げることが出来る、部屋に飛び込んだ方がいいだろうと考え、部屋に入り込んだ。もしも中に人が居た場合危険なので気配を最大限消して。
震える手で扉に触れた。
この不気味な空間に留まるくらいなら危険でも逃げだせるという心の平穏を取ってしまったのが彼女の運の尽き。
息を潜め、視野の狭まった目で物陰に隠れる。
部屋の中なんて見たくないという望みが無意識にそうさせた。己の首を締めると本能が訴えるというのに。
「…────……──」
「ッひ」
案の定何者かの声が聞こえた。
リィンはか細く悲鳴を漏らしたが、どうやら聞こえてない様だ。
必死に口を手で押さえバレないよう息を殺す。
ゾワゾワと背筋を犯す寒気と、視界を覆う毒のような霧は不気味さを引き立たせる。
人間ではない敵と、人間卒業してる七武海が近くに居るという間違いようのない事実が遠慮なく胃を殺しにかかる。
「(あぁ、これダメだわ)」
気絶したら死ぬと分かっていて易々と意識を飛ばす訳にはいかない。
それだけを頼りに踏ん張っていたリィンだったが限界が来たのか目から大粒の涙をボタボタ流しだした。
人は恐怖の前に居座ると思考を放棄する。
「…──麦わらの一味が……──」
「キシシシシ……!」
耳の奥を触るような高いキシキシとした笑い声は恐怖を駆り立てる事は無かった。もはやそこまで理解出来ない。
リィンにとって、誰だろうが、笑ってようが、何を話そうが、何を狙おうが最早関係ない。
流れ落ちる涙だけが限界を伝える手段。
「生かしておかないとなぁ、あんなに強い影だ」
「フォスフォスフォスフォス!」
「くれぐれも堕天使の──気…──ろ、他の七武海と争──なきゃな。情報を──なよ」
ボタリボタリ。
枯れるほど水を流す。
ボタ、ボタ、ボタ。……ボタリ。
「あと1人…────」
何を言っているんだろう。
何を話しているんだろう。
なんで動かないんだろう。
逃げなきゃ。
金縛りの様に固まった足。
力が入らない足。
「ミィつけた」
下から入る光は妖しすぎる影を作って──
「(あ……)」
ぶつりと体が斬られる感覚を最後にリィンの意識は暗闇の中に溶けていった。
==========
「じゃねぇだろぉッ!」
ガバリと起き上がった。
周りの景色は見慣れた女部屋だ。いや、船酔いでダウンしてるからベッド周辺見慣れてるんだけでサニー号に変わってすぐだったわ。
じわりと汗ばんだ服を手早く脱いで着替える。
随分と嫌な夢見た。
額を拭うと汗だらけだ。苦手なホラーを夢見たらそりゃ汗かくよね。
汗にはファンデも混ざっている。あー、これ化粧も落ちてる。絶対落ちてる。
髪で隠れるけど、一応傷跡中心に化粧し直しとくか。
「はァ……」
私の荷物置きから必要な物を取って化粧台に近付く。
七武海の夢見たからミホさんに殺意湧いてきた、私が毎回面倒な化粧しないといけないの額を割ったバーサーカーのせいだったから。
顔を上げた。
一瞬で下げた。
……ちょっと待って、今、鏡に何写ってた?むしろ、何か写ってた?
冷や汗が流れるの、すっごい分かる。
そして下を向いた私には分かってしまった。
その足元に影が無いことを。
SANチェック失敗です。
「──うぎゃああぁぁあああぁあ!?」
慌てて部屋の外に出ると甲板の芝生の上には一味と骸骨が居た。う、嘘やん。
「おはようリィン」
「よう、お前は随分時間かかったから諦めた所だったぜ」
「ヨホホッ、苦労しました」
「……夢じゃ、ない?」
「現実逃避失敗おめでとう」
拝啓、今世の母
せめて予知夢オチにして欲しかったです。
こちらを見る麦わらの一味に、影のある人物は1人も居なかった。私含め。
「うぇ、ぅあ、ひぇん」
「だよな」
嘆いているとウソップさんが肩を叩いて同情してくれた。
夢であればよかったのに! 現実かよ!
「で、俺たちみーんな影を取り返すどころか奪われたんだけども」
「停止不可ウソップさん! 私今から海に飛び降りる!」
「少しは落ち着け能力者!」
大丈夫! 私に海ぽちゃで即死は無い!
その常識を突いて逃げる!
「もう、もう! もうもうもう!」
「ハイハイ牛さん。無い乳絞っても出てこブフッ!?」
「セクハラ発言」
私の頭突きとサンジ様の蹴りがウソップさんの体に勢い良く入った。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙、冷静になった。なりますた」
大きく息を吐いて頭を冷やす。
多分、状況は理解した。
殺意が溢れた。
「ちょっと、反撃させてもらうしても、いい?」
「えぇー、リーに任せるのか?」
「何故そこまで不服そうに?」
リィンよくわかんない!日頃の行いはとっても優等生なのに!私特に悪行してないんだぞ!?
「作戦とかあるの?」
ナミさんに言われて、少し考えてみる。
悪魔の実の特性とかそこら辺を諸々考えて、屋敷の状況、視界の悪さ、悪天候故の特徴。
「大丈夫ですね、うん、多分いけるです」
今過去最大レベルで働いたかもしれない。
うんうんと我ながら恐怖を覚える作戦に頷いていると、唸って悩んでいたルフィがポツリと呟いた。
「俺、妹がインペルダウンで引き篭るとか嫌だから手を出さないことにするよ」
「ルフィ、ゾンビと遭遇して頭の回転おかしくなりますた?」
どういう思考回路もったらそうなるの?
話を聞いてみると証拠隠滅まで考えてるだろうに無駄に手を出して作戦壊したくない、だとか。
なるほど、完全犯罪の邪魔をしたくないって事か。
どういう思考回路もったらそうなるの?
ホラー描写をしようと思って三人称視点にしたのにギャグ性質の書き手の性でコレジャナイ感がすごいので海賊の海兵(シリアス)を書いていた頃の私は間違いなく過去最強。
さて、ここからリィンの逆襲。
モリアはん、特に何もしてない所悪いけど死ねどす。