ニーベルンゲンの星   作:つぎはぎ

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最初の逸話

  これは、ありえなかった一つの叙事詩。

 

  存在せず、だがありえたかもしれない一つの可能性。

 

  存在せず、いない筈の英雄が生まれ紡がれた物語。

 

  存在せず、辿り着けなかった星と月と太陽の愛憎劇。

 

  その物語はとある小さな寺院の地下から発掘された外史とも外典とも言われる神話の一片。

  大英雄も生まれ、悲劇の乙女も生まれ、悲劇も生まれ、変わらない運命を辿る。

 

  しかし、その物語には

 

  何処にもいない筈の英雄が存在した、唯一無二の叙事詩。

 

  名を『ニーベルンゲンの星』

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ライン川、名を付けれた巨大な川の近くに国が建てられていた。王が民を統治し、法を敷き、生活を約束された民衆が集う土地。他国と変わらぬ方法で大した繁栄も、約束された勝利を身に宿す英雄もいない普遍の国。

  人々がその日の糧を得る為に田を耕し、商人が馬の尻を叩き、王の兵が町を闊歩する変わらぬ日常。そんな日常の片隅に、なんでもないような悲劇はいつものように起こっていた。

 

「でていきな! この役立たず!!」

 

  王が住む王宮が中央にあるとしたら、最も王宮から離れた位置にある貧困層の民が住む寂れた家の扉から女の怒号と一緒に小さな少年が放り出された。

  勢いよく投げ出されたにも関わらず少年は一度地面に叩きつけられたが、すぐになんでもないように立ち上がり扉からこちらを見下ろす女を見上げた。

 

「・・・・・」

 

「…ちっ! さっさと何処にでも行きな穀潰し!」

 

  扉を閉められ、少年は晴れた空の下に一人。遠くから聞こえる人々の喧騒がやけに響く。少年は閉められた扉の前からすぐに歩き出す。躊躇いもなく、目的地が決まっていると言わんばかりにその場を去っていった。

 

 

 

「ん? よう、坊主。今日はやけに早いな」

 

「今日もすてられたから」

 

「…捨てられたを、も、という奴はお前ぐらいだよな」

 

  町の大通り、この大通りは人が集まり様々な職種が通り過ぎる人々に声を掛け、自慢の品物を売る商いの通りだった。農民、町民、貴族や仕事終わりの兵士、多くの人々が道に並べられる異国の品や食料を珍しそうに眺めたり、機嫌良さそうに手に取る光景が広がる。

  その大通りの一角、止められた馬車の前で布を広げ、その布の上に剣や盾、鎧を置いている商いの装いをした中年の商人の前に、少年は立っていた。

 

「それで? お仕事はどうなんだ」

 

「すでに終わっている。家の掃除も済んだ。瓶の水も交換したし、やる事はない。あとは」

 

「あとは俺からの報酬まちな。ほれ、駄賃だ」

 

  商人は路銀を少年に渡し、少年は不機嫌そうな表情を緩めた。少年の表情を見て、商人は笑い、そして路銀の他に皮袋の中からパンを取り出し、少年に投げ渡した。

 

「これは?」

 

「追加だ。これからもよろしくってわけで」

 

「…ありがと」

 

  顔を背けながらパンを食べる少年に商人は「素直じゃねえなぁ」と苦笑し、商人は腰かけていた木箱から立ち上がり、腰が痛むのかトントンと叩いた。

 

「坊主と会って一年弱、か。か〜、歳をとると時間が早く過ぎて困るな」

 

「じぶんは、アンタと出会ってそんなに経ってないけど?」

 

「おっさんのように男臭さが女を惹きつけれるようになると、美女との夜もあっという間なのさ」

 

「…“そうろう”ということか?」

 

「ぶっ!?」

 

  商人は噴き出し、その様子を見た少年は首を傾げる。そのやりとりを見ていた町娘達が商人をくすくすと笑いながら、通り過ぎていった。

 

「おい! そんな言葉どこで覚えた!?」

 

「ババアがこの間連れてきた男と呑んでいた時、女と早く夜がおわる男はそうろうっていっていた」

 

「違う。早いのは女の方だ。おっさんは決して自分だけ先に満足して寝るような男じゃない!」

 

「どうでもいい。とりあえずおっさんみたいおっさんになると時間が早くなるんだろ」

 

「どうでもいいって…、まあそうだな」

 

  興奮を静め、商人は頭をかきながらパンを美味しそうに頬張る少年の顔を眺めた。

 

「商いとして働きはじめたが家を空けることが多くなって、部屋が片付かないと悩んでいた時に自分から働かせろと言い出した時には心底驚いたぞ?」

 

  それは商人が商人となって日がまだ浅い時のこと。他国と自国とを行き来することが多く、家にいることが少ない。商人として生きるならば、家など無いようなものだがこの男は元来住み着いた家を手放すのを惜しみ、この国を中心として商いを続けた。だが家を開ける日は多く、長ければ長いほど家の埃は募り、帰ってくるたび掃除で休みを潰されていた。

  掃除で疲れ、どうしたものかと通り過ぎる犬に愚痴を呟く商人の前に。

 

『じぶんをやとえば掃除してやる』

 

  と、少年が現れたのだった。

 

「あの時は頭がイカれたおっさんが犬に話しかけていると思った」

 

「そのおっさんに雇えという坊主も大概だよな?」

 

  そのあと、商人はほんの好奇心で少年を雇った。正直家の物を盗まれるのではないかと疑心暗鬼だった。身なりは貧しく汚い。良い家の出身ではなさそうな少年は盗み目的で近づいてきたのではないかと。盗まれていいものだけ家に残し、商いから数日後家に帰ると其処には何も盗まれておらず清潔に整えられた我が家があった。その出来事から約一年、この商人は少年を雇い続け、小間使いとして活用しているのである。

 

「それにしても坊主は頭がいい」

 

「…なんだよ?」

 

「坊主の家の事情は後々知ったが、それでもその歳で働こうと動きだすことはおっさん驚きだったよ」

 

  少年の歳は十を過ぎたか、それよりも下ぐらいだ。この年頃の子は親に育てられ、同世代の子供たちと遊ぶだろう。だがこの少年は。

 

「親がじぶんを育てる気がないからな。しかたない」

 

  この少年は、親から愛されていない。

 

  商人は少年を雇って数ヶ月経って知った。この少年の母親は、行きずりの男と夜を過ごし、この少年を身籠った事を。最初は少年を愛し、育てようとしていたらしい。

  だが少年が育つにつれて、少年の父親となる男の顔立ちに似てきたことから母親は少年を憎みだした。周りからふしだらな女と罵られ、子供一人を育てる為に精一杯に汗水垂らして働くことに辟易する。結果として母親は少年を愛さなくなった。

 

  身勝手な女、商人は少年の母親を心底侮蔑し、そんな母親を侮蔑した己にも侮蔑する。

  今はこうやって少年を雇って、少年がその日を糧を得る為に協力しているがそれだけだ。養子として迎えるほどの余裕もないし、ただこうやって協力してやっているだけマシと己自身を納得させているだけ。

  己の心境が複雑なものになりかけ、商人は頭を振って思考を振り切った。

 

「まあ、そうやって自分で働こうとするのはいいことだ。何もしない奴は死ぬだけだからな」

 

  そう、その通り。この時代、何もせず生きていけれるほど甘くない。親がいない子供は餓死するだけ、糧を得れないものは何も食べれないが常識のこの時代、親に愛されていない子供に仕事を与えているだけでも慈善的だ。

  だからこそ商人はこの少年の行動力に驚く。なんせ幼いその身で自分を雇えと売り込みにいく心の強さは周りの子供にはないものだ。そうやって少年は母親の助力がなくても生きていけている。

 

「ん、そうか」

 

「興味ないのかよ…」

 

  そんなふうに少年を評価するが少年はそんなことどうでもいいようだ。それよりもパン、食料。少年はパンを食べることに必死だった。

 

「…けぷっ。ごちそうさま、次は何時ぐらいに家に向かえばいい?」

 

「まー、そうだな。あと四日ぐらい家でゆっくりするから、八日後ぐらいに掃除してくれや」

 

「分かった。…んじゃ、これくれ」

 

「あ?」

 

  先ほど渡された路銀を商人に渡し、疑問顔の商人を前に並べられていた商品の一つ、新品の小剣を少年は手に取った。

 

「この剣をくれ」

 

「え? 坊主買うの? それを?」

 

「ああ。ほしい」

 

「お、おう。そうか」

 

  少年は剣を取り、マジマジと見つめ、そして掲げた。丁度太陽が真上に差し掛かり、陽光が磨かれた剣に反射され、まるで剣が少年を勇者だと認めるように輝いていると錯覚してしまう。

 

「それにしても、急にどうした剣なんか買いたいなんかよ」

 

「小間使いだけで食っていけるとは思っていない。ちょっとは剣でも振って、兵士になれるようにきたえようと思った」

 

「ああ、そうかい…」

 

  子供の考えそうな事だと商人はため息をついた。まあ結局は自分も商人だと、素直に路銀を受け取り少年に剣を譲った。嬉しそうに剣を掲げるあたり、少年もまだまだ子供なんだと改めて思う。

 

「んじゃ、じぶんはいくから」

 

「はいはい。また頼むよ〜」

 

  剣だけを握りしめ、少年は走り去っていった。その後ろ姿を商人は見つめ、思わず呟いた。

 

「…あ、鞘渡すの忘れてた」

 

 

 

 

 

「ふんっ、はぁ!」

 

  上から下、右から左、下から上へと剣を振るう。町から少し離れた平野に少年は剣を振るう。精一杯振るう姿はとても逞しくは見えず、愛嬌がある。それでも少年は剣を振るう。闇雲に、ただ剣を振るう。

 

「…ふう、なんか、違う」

 

  少し振って、少年は何となく分かった。

  ただ剣を振るだけじゃ強くなれない。

 

「強く、なれんのか?」

 

  思わずそう思って、少年は忘れようと剣をいきなり振るった。ただ連続でがむしゃらに、狙いも定めず、己の頭に浮かんだ淀む不安を切り刻まんとするばかりに剣を振るった。

 

  生まれて、母から愛されず、一人で生きていけるようにと強くなろうと決めた。

  母から愛されようと思ったことがあるがすぐに諦めた。母は自分を愛してくれない。何度も“いいこ”にしてみたが、何も変わらないから母に頼ることはないようにした。

 

  強くならなきゃ、じゃなきゃ母の元にいた頃と変わらない。強迫観念に似た思いが自分を押しつぶそうとする。それを払拭しようと大振りに振ったが。

 

「あっ!」

 

  剣に腕が振り回されてしまい、転んでしまった。派手に転んでしまった為、背中から受け身も取れずに転んでしまった為、痛みが身体中に広がり思わず目尻に涙が溜まってしまう。

 

「いっつ…」

 

  仰いだ空はとても青い。どこまでも澄み渡り、吸い込まれそうな程だった。このまま暫く見上げていてもいいのかもしれないと、思っていた。

 

「くっ、くくく…」

 

  そう思っていたのに、笑い声が聞こえた。少年は咄嗟に立ち上がり、笑い声をした方向を見ると複数人がこちらを見て笑っていた。

 

「ぶ、無様だ! 平民の奴はこんなにも剣を振るうのが下手なのか!? はははっ!!」

 

  少年を大声で笑うのは、少年と同い年ぐらいの身なり良い少年だった。身につけている服や装飾品はどう見ても平民ではなく、貴族や王族のものだ。少年を指差して笑う少年───仮に、王族の少年と呼ぶとしよう。その王族の少年に笑われた事に少年の顔を真っ赤になった。

 

「なんだおまえ!」

 

「く、くくっ。ああ、すまんすまん。あまりに酷い姿に思わず笑いが抑えられなかった。なあ、お前たち?」

 

  王族の少年の後ろに控えていた大人達、鎧や剣を持っている辺り護衛なのだろう。護衛達はそれぞれ苦笑いや少年への同情の視線を向けるが、護衛のうち中年の兵士が王族の少年の言葉に肯定した。

 

「ええ坊っちゃま。あの様な平民の腕ではあれが精一杯。坊っちゃまのように賢く、逞しき者とは程遠いというものでございます」

 

「ふん、そうだろう。あんな汚い奴の剣など剣術など言えない。子供のお遊びというやつだ」

 

  ニタニタと笑う姿に少年の怒りが沸騰する。今すぐ殴りにかかりたいが───相手は身分が高い。

  少年でも分かることであるが、平民が王族に手をあげることは不敬と見なされ殺されることもある。

  商人が言ったように少年は賢い。ここで衝動に任せて殴りにかかったら周りの兵士に取り押さえられ、殺されてしまうかもしれない。

  だからこそ少年は耐えるしかなかった。明らかな侮辱に拳を握りしめ、耐え抜くしかない。

 

「ふん、何も言い返せぬとは勇気もないのか。これだから卑しい身分の奴は嫌いなんだ」

 

  何も言い返してこないことに興味を無くしたのか、馬鹿にしてそのまま王族の少年は護衛を連れて去ろうとした。だが、厄介なことに王族の少年は、少年の剣に目が止まってしまった。

 

「おや…それは」

 

  少年の剣、つい先ほど商人から買った剣は美しかった。兵士が持つ剣とはかけ離れた輝きと美しさを放ち、刃は鋭く岩さえも二つに分かちそうなほど。

  王族の少年は剣に近づき、手に取ろうとしたが。

 

「…ふん」

 

  持ち主の少年が剣を取り、そのまま去っていった。

 

「おい、待て!」

 

「…なんだ、何か用なのか」

 

「それを何処で盗んだ!」

 

「…はあ?」

 

  美しい剣を持つには似つかわしくない程、少年の身なりは汚い。母から与えられた服は少なく、滅多に交換しないから汚くなるのは当然のことだ。だから滅多に見ることのない美しい剣をその少年が持つとしたら盗んだと考えても可笑しくない。もっとも、王族の少年が本当にそう考えているかは別だが。

 

「お前のような卑しい者がそんな剣を持つなんて怪しい!何処で盗んだ!」

 

「これはじぶんが買ったものだ。盗んでなんかいない」

 

「嘘つけ! 金のないお前にそんな剣買えるはずがないだろう! お前ら捕まえろ! この盗人を捕らえろ!」

 

「…何言ってんだおまえ!」

 

  王族の少年の命令に皮肉なほどに兵士達は動いた。少年は抵抗しようと剣を向けるが相手は大人。あっという間に抑えられ、組み伏せられた。

 

「くそっ、離せ!」

 

「まったく盗人が…、こんな剣を持つなど身不相応な事を」

 

  そう呟き、少年の剣を奪った王族の少年は剣の美しさにため息を漏らす。刃が持ち主の顔を映し出す鏡のようになるまで磨き上げられたそれは、少なからず審美眼がある王族の少年を満足させた。

 

「坊っちゃま、この盗人はどういたしましょうか?」

 

「ん? …ああ、適当に牢に入れておいてよ」

 

  ───冗談じゃない。

  いきなり笑われたのはいい。だが、折角買った剣を盗まれた挙句ぬすっとまでにされるのはいくらなんでも酷すぎる。

  理不尽さに少年は唇を噛み締め、口の端から血が流れる。願うことなら剣を取り戻し、あの傲慢な奴を切ってやりたいこととさえ思った。

  そのまま少年は連れて行かれそうになる。その時だった。

 

「おい! どうした!?」

 

  こちらへ走ってくる人影があった。その人影の正体は、少年に剣を売った商人だった。

 

「おっさん!」

 

「なんだお前は…?」

 

  機嫌がいいところに乱入してきた商人に王族の少年は顔を顰めるがそんなこと知らんとばかり商人は少年を取り押さえる兵士達へと近づく。

 

「おい、そいつが何をしたんだ!」

 

「この小童がさぞ名のある剣を盗んだ。その容疑で連行中だ。邪魔をするではない」

 

「はあ!? 剣っていうのはそこの小僧の手のあるやつか? それは俺が売って坊主に売った奴だ!」

 

「なに!?」

 

  兵士達が商人の言葉に驚いているうちに、商人は少年へと近づき取り押さえる手を払いのける。自由になった少年はすぐに王族の少年へと近づき、剣を取り返した。

 

「おい、貴様! それは」

 

「じぶんの、剣だ!!」

 

  取り返した剣を持って商人の元へと帰ると、商人は少年を守るように前へ立った。

 

「嘘をつくではない! そんな小僧が持つほどの剣ではあるまい!」

 

「嘘じゃない! それは俺が造り、そして売っていた剣だ! こいつが金を出して買った剣だから、持ち主はこいつの物だ!」

 

「ならばなぜ剣が剥き出しであった! 持ち主であるならば鞘を持っていなくてはおかしいではないか!」

 

「俺が鞘を渡すのを忘れていたからだ! ほれ、証拠の鞘だ!」

 

  商人の手には鞘があった。その鞘を少年へ渡すと少年はすぐに剣を鞘へとしまった。ストンと隙間なく収まった剣を見て、商人へと問い詰めていた中年の兵士は口を閉ざしてしまった。

 

「おっさん、ごめん」

 

「…俺も鞘を渡し忘れていたのも悪かったよ」

 

  誰も今更、少年が盗人とは思わなかった。剣を売った本人もいるし、鞘もある。これが少年の剣だという何よりの証拠である。落ち着いた周りを見て、少年も商人もさっさと立ち去るべきだと考え、二人はこの場を去ろうとした。

 

「お前たち、あの剣を奪え」

 

  ボソリと呟かれた言葉がやけに大きく響いた。

 

「坊っちゃま、あの小僧は盗人ではなく…」

 

「うるさい。あれは僕のものだ」

 

  王族の少年は怒っていた。顔を真っ赤にし、瞳に涙を溜めて怒っていた。

 

「なんであんな奴が僕よりも立派な剣を持っている!? おかしいだろう! 僕はこの国の次の王だぞ!? あんなやつに劣っているなんてありえない! 殺してもいい! 奪え!!!」

 

  それは、間違いなく癇癪だった。温室で大事に育てられ、自分が周りよりも大事な存在だと教えられ、傲慢にもそうである筈なのだと刷り込まれていた。

  自分の思い通りにならないなんて認めない、自分より優れているものなんていない。だからこそ、自分に逆らう奴らが許せない。

  そんな子供の発言に兵士達は逡巡するが───やがて従うことに決めて、剣を抜いた。

 

「嘘だろ!? ガキの癇癪に従うのかよ!?」

 

「…これが命令だ。大人しく従え」

 

  ゆっくりと近づいてくる兵士達に商人は露骨に舌打ちする。

  少年を守りながら、逃げるわけにもいかない。聞けばあの癇癪持ちの少年は王族ときた。商人と少年は詰んでいる。このままでは殺されてしまうかもしれない。

 

「くそが!」

 

  どうすべきなのかわかっている。だが、正直腹立たしい。こんなにも一方的なのは納得いかない。子供の癇癪に振り回される自分とその周り。見事に無力である。どうしようもない展開に、商人は諦めて───

 

「ほらよ」

 

  少年が、剣を地面へ放り投げた。

  商人が自分の横へ見ると心底悔しそうな顔で剣を投げた少年がいた。

  一瞬驚いたが、兵士はすぐに剣を拾い、王族の少年の元へと剣を持っていった。

 

「ふ、ふん! それでいいんだ! お前なんかの手にあるよりも、この剣は僕の手に───」

 

  そこで王族の少年の言葉は途切れた。

  それは音もなく突然降りかかった。王族の少年に飛び、鈍い音と共に王族の少年から鮮血が舞った。ぼとり、と飛来してきたものは地面に落ち、全員の目が集まる。それは何処にでもあるような、石だった。石にはぴったりと血が付着しており、それが何なのか気づいた瞬間。

 

「あ、ぐうあああああああああああああっっ!!?」

 

  激痛、額に走る痛みに王族の少年は蹲って、地面に転げ回る。

 

「逃げろ!」

 

  いきなりの展開に兵士達と商人が固まるが、一人だけ動きだした者がいた。それは、剣の持ち主の少年だった。少年は商人にだけ聞こえるように呟いた。

  少年は駆け出し、兵士達の間を走り抜けて王族の少年が落とした剣を拾い上げて、そのまま走り去る。

  やがて、意識を取り戻した商人が少年とは逆の方向の町へと走り去り、兵士達が王族の少年へと駆け寄った。

 

「坊っちゃま!? 大丈夫ですか!?」

 

「う、ぐあ! 痛い、痛いよおおおおおおおお!!!」

 

  痛みで転げ回る王族の少年は兵士の言葉など聞こえない。だが、中年の兵士は周りの兵士達に命令した。

 

「追えええええ!! あの小僧を捕まえて、坊っちゃまの元へ引きずってこい!!!」

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  あれから、何日経ったのだろうか。

  少年はひたすら走った。ただ、走った。

  あの時、あの傲慢な王族の少年に石を投げつけたことを後悔していない。どうあれ、あいつは自分の剣を盗もうとした。当然の報いだと今でも思っている。

  だが、こうなるとは思ってもいなかった。

 

『探せ、探せえええええええええ!!』

 

『情報だとこの周辺に潜んでいる筈だ! 探しだし、王子の元まで引きずるのだ!』

 

  草木の陰に隠れ、息をひそめる。これも逃げているうちにいつの間にか習得した。ただ、隠れるだけでも簡単ではない。自分を追う兵士達の気配が薄くなったら、移動する。そして近づいてきたら隠れる。子供の小さな体躯でよかった。見つかりにくく、未だ誰一人にも見つかっいない。

 

「…けほ」

 

  だが、体の中はボロボロだ。動きすぎたせいで筋肉も骨も悲鳴をあげ、空っぽの胃や腸が栄養を求めている。何日も食べていないし、眠っていないから少年の体力も限界だった。

 

『こちらで声が聞こえたぞ!』

 

  でも、逃げる。

  体も心も限界だが、それでも捕まりたくない。あの傲慢な少年に頭を下げたくないし、悪いとさえ思っていない。死にたくもないし、生きたい。

  後ろから聞こえる怒声を無視し、少年は傾斜が段々とキツくなりつつある森の奥へと進んでいく。

 

 

 

『おい、こっちだ! 何をしている、さっさと来い!』

 

『お、おい止めようぜ…、これ以上進むのはよ』

 

『何を言っている! 逃すと俺たちが罰を受けるんだぞ!』

 

『お前、この先が何かわかって言ってんのかよ!? この山が、ここが何処だかよ!?』

 

『何だというのだ!? さっさと言え!』

 

『こ、ここは…人外魔境の山───ヒンダルフィアルだぞ!?』

 

 

 

 

 

  少年は進む、進む、進む。

 

  ただ進むことだけ考えた。もはや、歩くことしかできていないのかもしれない。

 

  後ろから迫る兵士達の声も届かない、森の奥深くに足を踏み込んでいた。

 

  時折聞こえる獣の唸り声も無視し、首筋を這うよう視線も振り切り、ただ歩いた。

 

  怖い、というよりも助かりたい。その事だけを考えながら歩き続けた。

 

  やがて、森を抜けて山頂近くまで足を踏み入れた。履いていた靴も壊れかけで、汗のせいで服が張り付く。やけに先ほどから汗が流れる。体も熱く、まるで炎の中にいるようだ。

 

 

 

  いや、違う。炎の中ではない。

 

 

 

  蒼い、炎。

 

  かつて見上げたあの青い空よりも深い蒼色をした焔が目の前に燃え盛っていた。

 

  山頂付近へと燃え盛る、蒼い炎の壁。その炎は山頂全体を囲むように轟々と熱気を解き放っている。

 

  少年は立ち竦んだ。まるで神と対峙したような緊張と緊迫を覚える。これ以上進んではならない。決して、触れてはならない領域であると魂が語っている。

  引き返すべきか、そう思って一歩引き返すと、鼓膜に声が届く。

  兵士達の声、自分を探す大人達の怒声に───引き返した足をさらに後ろへと下げた。

 

  歩数として二十、その距離だけ元の道へと引き返した。

 

  徐々に聞こえる声達がもうすぐ終わり自分に手が届く。

 

 

 

  だからこそ、少年は駆け出した。

 

 

 

  目の前の炎の壁は灼熱である。人の肉を、骨を全て等しく塵へと返し、魂すらも焼き尽くす。

  無謀で、蛮勇で、無意味なのもしれない。それでも少年は駆け出した。

 

  ただ、負けたくないと思った。

 

  生まれた環境、力、運命。そんな無力な自分に負けたくないと心の底から思った。

  戦い、諦めずに抗い、そして生きてみたい。惨めになりたくない、誰よりも強くなってみたい。そんな我儘を、叶えてみたい。

 

  だからこそ、目の前に炎の壁があろうと突き進むしかない。

 

  少年は飛んだ。まだ何も成さない、小さな生命は原初の熱へと挑んだ。

 

 

 

  その後ろ姿を見てしまった大人達は絶句し───炎の先へと消えてしまった子供へ、何もできず立ち竦んでいた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「……う」

 

  目覚めたのは、冷えた地面の温度の所為だった。

  頬から感じる冷たさと砂利の触感は深い眠りを妨げ、やがて痛覚を刺激してくる。

  少年は体を起こし、周りを見渡す。目の前には大きな館があった。館の周りには無数の盾で構成された垣根ができており、要塞のようにも見えた。後ろを振り返ると、少年は驚く。

 

「炎…」

 

  自分の前を立ちはだかっていた、蒼い炎の壁が燃えている。つまり、自分が飛び越えた炎の先には盾に守られた館があったということだ。

  己の状況がどういうことなのかを悟り、とりあえず安堵する。これならばあの兵士たちは追ってこないだろう。そして、悩む。

 

「これから、どうしよう…」

 

  兵士たちは振り払った。だがこれからどうする。炎の中にある自分は再び炎の外へと戻れるのか。考えたら考えるだけ鬱屈しそうになる。

  とりあえず、少年は館へと目指すことにした。盾に囲まれた館、あの館にたどり着くのは盾の垣根を越える必要がある。見れば盾は綿密に組み立てられており、隙間など一切ない。ならば。

 

「けずれるのか…?」

 

  剣を鞘から引き抜く。城塞を思わせる盾の垣根、それを切れるとは思えないが削れるぐらいはできるだろうと思い、盾の表面へと切っ先を突き立てる。そして勢いよく、剣に体重を乗せて───

 

  パキン

 

  あっさりと、一枚の盾を斬った。

 

「なんだこれ?」

 

  やけにあっさり斬れたことに拍子抜けしてしまう。斬れた盾は、どう見ても鋼鉄でできている。それをなんの抵抗もなく斬れてしまったことに、少年は異常を感じてしまう。その異常は盾ではなく、己が持つ剣。この剣はあの商人が造ったと言っていた。鋼鉄を子供の自分でも簡単に切ってしまえるほどの切れ味を誇る剣、それを造った商人とは、どういうことだ?

 

「…いや、今はそれよりも」

 

  先に進むこと。館の奥には何かあるかもしれない。もしかしたらこの状況をなんとかしてくれる、何かがあるかもしれない。少年は希望を持ちながら盾を幾つか切って、自分が通れるほどの穴を開けて、館へと向かった。

 

 

 

 

 

  館の奥は不思議と冷えていた。

  炎に囲まれているのにも関わらず熱が届かず、むしろ過ごしやすいほどの温度であった。少年は恐る恐る警戒しながら館の奥へと目指す。今まで入った部屋はすべて無人で何もなかった。井戸はあったが、食料はない。これらが一番少年の心をかき乱したが、少年は心を落ち着かせながらも最後となるであろう館の一番奥にある部屋の前へ立った。

  何も物音もしない、部屋の前でそれを察した少年はため息をつく。

 

「何もないのかな…」

 

  落胆が隠せず、扉の前で膝を崩しそうになる。このままだと死ぬかもしれない。次に炎を超えられるとは限らない。もしかしたら焼き死ぬかもしれない、何もしなかっら餓死するかもしれない。だからこそ少年は、部屋の奥に何でもいいからあってほしいと願った。

 

  少年は部屋の扉を開いた。

 

  そして、見つけてしまったのだ。

 

 

 

  部屋の中にあったのは───眠る女だった。

 

  その女は鎧を身体中に纏い寝台の上で、死んだように眠っていた。

  最初は屍か、と疑問に思い近づいてみると、少年は息を飲んだ。

 

  ───綺麗だ。

 

  幼く、まだ心も体も未熟な少年でも分かってしまうほどの、美しさ。蒼銀の髪は夜空の星の輝きのようで、顔立ちは今まで見てきた女性たちとは比べ物にならないほどの秀麗な、幻想的な魅力を兼ねていた。

  女は近づいてきた少年にも気づかず、死んだように眠っている。ちょっとだけ手を伸ばし、頬を突くも目覚めない。もう一度恐る恐る手を伸ばし首元に触れて、暖かいと感じる。

 

「生きて、いる?」

 

  でも、死んだかのように肌が白い。元々白いのか、死んでいるから白いのか。分からずに少年は女が眠る寝台の前を彷徨った。

  どうするべきか、何をすべきなのか。少年の頭を混乱を極めていた。限界に近く、戸惑いは最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

『……貴方は、誰ですか?』

 

 

 

  だからこそ、咄嗟に剣を抜いたのは間違いではないと思った。

 

「だ、誰だ!?」

 

  後ろからか前からか、部屋全体から響く声に恐怖を覚えながらも少年は震える剣を構えて吼えた。

 

『落ち着いてください、…小さな勇者様。私は、貴方の後ろに』

 

「う、後ろ?」

 

  ゆっくりと振り返ると、そこには眠ったままの女がいた。先ほどから変わらぬ、氷のような女神。何も変わっていないのに、響く品のある高潔な声が何故か彼女の声だと理解させてしまった。

 

「お、おまえ誰だ?」

 

『私の名は』

 

 

 

 

 

『───ブリュンヒルデ。大神の娘にして、ワルキューレが長姉たる私の名は、ブリュンヒルデと、申します』

 

 

 

 

 

  これが序章。長い旅路の一歩目にしか過ぎない開幕の福音。

 

  小さく、誇りもなく、血筋もなき一人の少年の物語。

  やがて悲劇の末路を辿る戦乙女と戦士の王たる竜殺しとの邂逅を待つ英雄の叙事詩の始まりでしかない。

 

 

 

  英雄の名は、フェーデ

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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