Sword Art Online Re:βoot 作:mimitab_
人はどうしても他者と自分を比べてしまう。時にはそれが良い方へ転がるが、大抵は悪い方へと傾く。そして自分が他者よりも劣っていると自覚した時、自分を守りたいが故に人は思いもよらぬ行動に出る。大勢の人間が集まればなお更のことだ。嫉妬が嫉妬を呼び、憎悪が憎悪を呼び寄せる。そういった感情は容易に水に溶けることはない。仮に、そういった感情を抱いた人間が人の上に立てば一体どうなることか。
SAOサービス開始から1年と少し。
アインクラッドには数多くのギルドが存在する。規模も大きいものから小さなものまで様々だ。そして誰もが他者多様な目的を掲げている。ひたすら攻略の為に最前線を駆け抜ける者。仲間と生き残るだけを夢見てもがく者。しかし、全てのギルドが前を向いているわけではない。事実、攻略に望むプレイヤーは総人口の中で2割にも満たない。
Sword Art Online RE:Generation
第9話「相対するもの」
2024年、2月。
アインクラッド 第50層 アルゲート
この層の主街区「アルゲート」は中華の下町っぽい造りで、背の低い建物が所狭しと建てられており、道幅は狭いにも関わらず人通りは多い。街の大きさが比較的広い上に道は迷路のように入り組んでおり、住み慣れたプレイヤーでさえも気を抜けば迷子になることが多く、街の全容を完全に把握できている者は少ない。それ故に追っ手を巻くには最適であった。
「振り切った・・・か」
薄暗い路地裏に入り後ろを確認したノースが言った。
「話してもいいんだけどね、僕は」
ハルがうんざりしたような表情を見せながら言う。
第50層、第51層、第53層、そして第56層の解放に参加し勝利に貢献してきた『β』は攻略組を中心にそれなりの信頼を得ていた。中ギルドにも満たない人数ながら培ってきた数多の経験から得た卓越した判断力、戦闘力を併せ持つ戦闘集団とまで言われている。そんなに凄くない、出来ることをしただけというリーダーのハルの発言が更に評価され、謙虚ながらここ一番という時は頼りになるギルドと知られ『β』のメンバーは、その言葉に背中がむず痒くなる。そして最近は、それに伴ったあることがメンバーを困らせていた。つまり、勧誘である。
第50層解放時に『血盟騎士団』の団長であるヒースクリフから勧誘されたことはまだ記憶に新しい。あの時団長はあっさりと引き下がってくれたものの、実は水面下では勧誘を臭わす発言をされ、その度にハルは同じ返事をして断っていた。
そういった話を持ちかけてくるのはギルドは何も1つだけではない。『β』の噂を聞きつけた中小ギルドから合併、吸収などの誘いがきていた。更に3人から5人のパーティーが訪ねて来たかと思えば「ギルドにいれてください」ときたもんだ。ハルは優しいので、追い返すことはせず、来た人来た人を歓迎し応接間に案内し、お茶をだして対応するが誰1人もギルドには入れていない。一応フレンド登録をして「必要だと思ったら呼びます」なんて言い帰しているが、恐らくそれは一生訪れないだろう。
そもそも『β』の人間は入る経緯が特殊なのだ。それぞれ違う理由、過去があるにしろ根っこは同じである。
――ーハルに助けられたから。
故にハルの為に生きることが出来ればいいというのがメンバー全員の共通意識である。だからこそ、最前線の攻略自体に興味がない人間が大半であった。それでも解放に協力しているのは、それがハルの意志だからである。
そして今、一番頭を悩ませる勧誘をしてくるギルドが『アインクラッド解放軍』。通称『軍』である。
『血盟騎士団』が最強ギルドなら『軍』は最大ギルド。リーダーのシンカーという男は尊敬できる素晴らしい人間だと噂に聞いたが『軍』のメンバーは1000人を超える。幾ら人が好いと言ってもプレイヤーの数が大規模なら当然統制を執るのは難しい。聞くところによれば、ギルド内で幾つかの派閥に別れており、いざこざが絶えないらしい。元々は2つのギルドが合併して生まれた形である。一時期は攻略組として最前線での戦闘を貫いていたが第25層のフロアボス戦で大敗を期し、現在は第1層はじまりの街を根城に下層の治安維持と組織の強化に励んでいるという。
最低限のルールはあっても、SAOには政府というものが存在しないため法律もない。牢獄はあるが警察はいない。『軍』は、その役割を果たそうとしている。しかし、誰の認可を受けたわけでもなく『軍』の一方的な考え方によるものなので、このギルドとの関わりを極力避けるプレイヤーは殆どである。
「ハル、軍の追っ手はいないみたい」
ノースが再度後ろを確認して言った。
「ホームの場所知られてるんだから、どうせ来ちゃうでしょ。あぁ、めんどくさ・・・」
ハルが溜め息を吐いた。
「帰る時間、ずらそうか」
「そうする?うん。賛成」
ノースの提案に頷き2人は転移門の方へ歩き出した。
アインクラッド 第48層 リンダース
SAOの街はフロアによって世界観が多種多様である。『β』のホームがある第50層主街区アルゲートは迷路のように道が入り乱れ人も入り乱れる騒がしい中華系の下町風。『血盟騎士団』が本部を構える第55層主街区グランザムは通称「鉄の都」と呼ばれ、無数の鋼鉄で出来た塔が建ち並ぶ要塞のような街並み。そして、ここ第48層リンダースは、至る所に水車が設置されている良きヨーロッパの村みたいな、のどかな街並みが広がっている。
特に用事は無かったが時間潰しにと、ハルとノースはこの街にある鍛冶屋に遊びに来ていた。剣を振るうことがこの世界の日常ということで、武具屋を見て周るのは現実世界で洋服屋を見て周るのと同じことである。2人は鍛冶屋の扉を開けて中に入る。扉の横には『リズベット武具店』と書かれた手製の看板がぶら下がっていた。
「いらっしゃい。あれ、久しぶりだね」
ウィンドウを操作していた女性プレイヤーが2人にカウンター越しに声をかけた。この店のオーナー。リズベットその人である。赤いワンピースに白いドレスエプロン。淡いピンク色の髪がよく似合う女の子だ。歳はノースと然程変わらないと思われるが、鍛冶スキル完全習得者のマスタースミスであり、ハルとノースの武具を作ってくれた人である。
「今日はどうしたの?武器の不具合でもあった?いや、私の造った武器にそんなことあるわけないか~」
出会った頃からこんな調子で喋る人懐こい性格をしていた。
「いえ、特に用はなかったんですけど」
「ありゃ、ハル君。身長縮んだ?」
「変わってないです」
「どれ」
リズベットはカウンターから出てきてハルの横に並び、少年の頭に手を置き自身と背比べをした。月日が経っても体型に変化が起こらないSAOに於いて、ハルの身長が伸び縮むことはあり得ない。
「まだ、お姉さんの方が高いね。わっはっは」
豪快に勝ち誇られ、露骨に落ち込むハル。
「のーちゃんも久しぶりだねぇ。どう?私の槍。大事にしてね」
「勿論ですよ。肌身離さず持ってます」
「よろしい。私が作った物は全部私の子供みたいなもんだからさ。もし壊されたりしたら、ただじゃおかないね。うん」
「大切にします。リズベットさん」
「もう。リズでいいのに」
誰に対しても気さくな人だった。
「2人の武器、研磨しようか?今暇だし」
「いいんですか?」
「オーケーオーケー。素材あったら格安で強化してあげるよ。聞いたんだからね。2人がクリスタルマウンテン行ったの。あそこ珍しい鉱石があるらしくて、1回行ってみたいんだよね」
そして商売上手でもあった。商売人はこれくらい図々しいほうが却って清々しいものだ。
「ハル、どうする?」
「せっかくだから頼もうかな。ストレージに入れっぱなしで使い道が分からない鉱石あるし」
「いいねぇ、決まり!じゃ、私は裏に引っ込むから、ちょい待ってて」
そう言って2人の武器を預かったリズベットは奥の鍛冶部屋に入った。
最前線で何度か戦ってきたからこそ分かることがある。当たり前だが、装備する武具は強い方がいい。出来るときに強くしておく。全財産を武器に注ぎ込むプレイヤーも少なくない。生粋の戦闘職であるムニもそういった考え方で、彼の部屋にはベッド以外の家具らしい家具が1つも存在しない。
「ハル、あのさ」
「なに?」
商品として飾られている片手直剣を眺めるハルにノースが声をかけた。
「1回さ、はじまりの街に行ってみない?」
「軍の本部?」
「・・・そう」
「あぁ、ノースさんはそう言えば昔そうだったね」
「うん。だから上位の人に話せば、シンカーさんに話せば勧誘も無くなるんじゃないかなって」
「まぁね。シンカーさんが噂通りの人なら、こんなしつこく付回すような勧誘はしないと思うけど」
「・・・やっぱり上手くいってないのかな」
「軍のこと、心配?」
「え、いや・・・」
「心配なんだ」
「・・・うん」
ハルは別に咎めているわけでも怒っているわけでもない。ノースの気持ちは痛いほど分かった。なにせ、今とは違う形だとしてもノースの古巣に変わりはないからだ。
2022年、12月。
アインクラッド 第1層 はじまりの街
連絡はすぐにノースの耳に届いた。
『第1層のボス撃破。死亡者1名。ディアベル』
βテスターの頃からの仲だった。サービスが開始されたら一緒にギルドを設立して互いに競い合おうと約束した仲だった。今まで彼と交わした会話が頭の中で渦巻くと同時に涙が止まらなかった。
βテスト時代、ノースは男のアバターでインしていた。男性用の装備の方が強い気がしたし、黒を好むノースから見て男性用の方がビジュアル的の彼女の嗜好であった。更に言えば、彼女は「闘う男」に憧れを持っており自分が女であることにコンプレックスを抱いていた。だから、せめてゲームの中だけは男になると決めていた。気分は完全に典型的なRPGで有りがちな勇者であった。そんな折にディアベルと知り合う。ジョブシステムが存在しないSAOで「俺は騎士(ナイト)だぜ」とか言っちゃうところが逆に好感が持てた。そして共に攻略を進め、仲を深め、互いに認め合い2人の間には絶対的な信頼感が生まれていった。それは、ゲームの中でしか通用しない絆であったが、間違いなく友情を超えた何かであったとノースは今でも思う。
2022年の11月にサービスが開始されてすぐ、ノースとディアベルは合流。これからのことに期待を膨らませながら話していたその時、鐘が辺りに響き渡り突然の強制転送。告げられる恐ろしいデスゲームの内容。そして茅場晶彦から配られたアイテム「手鏡」。これによって、ノースは現実世界と同じ性別へと変わり果てた。背中まで伸びた黒髪、膨らみが生まれた胸、華奢で細身な身体。隣にいたディアベルは呆然としノースを凝視した。そして、あろうことすぐに彼は笑った。嘲りではない。心から笑ったのだ。混乱と喧騒が渦巻く広場で彼は声を出して腹を押さえながら笑った。
「ノース、なんだよそれ」
「え、な、なんで僕・・・」
「はははっ、お前女の子だったのかよ。ははっ、笑える。しかも僕っ子かよ」
「あれ・・・え!?」
「だははっ、待てよ性別変換装置じゃないよな、俺は男のままだよな?男が女に化けるってのはよくある手法だけどよ。おまっ、だっはっははは」
「ちょっと!笑いすぎだよ」
「いやー、ごめんごめん」
「しっかし、とんでもないことになったな。よし、ノース!」
笑った顔そのままでディアベルはノースに話しかけた。
「やってやろうぜ。茅場がここまで糞だったてのはショックだが、あいつからの挑戦受けてたってやる」
どこまでも前向きな男だった。ノースが憧れてなりたかった勇者がすぐ傍にいた。
それから1ヵ月後。第1層フロアボスの攻略会議での彼の姿も立派なものだった。一癖も二癖もありそうな腕のたつプレイヤーを纏め上げ、全員の士気を高めた。その男の隣で戦えることが何よりも幸せだった。しかし、ボス戦前日に彼に言われた言葉は衝撃的なものだった。
「残る?嫌だよ。僕も行く」
「ノース、駄目だ」
ディアベルがノースにボス戦には参加するなと釘を刺したのだ。ノースが反論しても拒否しようとしても彼は頑なに首を横に振った。
「何で急に!?僕が女だから?もしかしてそういうこと?」
「そうだ」
「そ、そんなのってないよ。僕が男だったら一緒に行くんだろ?」
「あぁ。お前が女の子だから連れて行けない」
「それは酷いよ!」
自分の存在が否定されたのと同じだった。
「ノース、聞いてくれ」
ディアベルはノースの肩を掴み真面目な顔をして言った。
「俺は、俺はな。ノースが女の子で良かったと心から思ってる」
「!・・・な、なんで」
「βテストの時から思ってた。こいつが、俺の隣で戦うこいつが女だったら俺は惚れるだろうなってさ」
告白に近い発言だった。そんなの卑怯だ。
「俺が強くなって、お前のことを守れるようになったら一緒に戦おう。約束する、それまで待っててくれ。頼む」
ノースが頷くまで、ディアベルは話し続けた。
そして、その約束が果たされることはなかった。彼が約束を破るのは初めてのことだった。
「ディアベルはんの勇姿はワイが引き継ぐ!ディアベルはんのことは二度と忘れないわ!」
連絡を届けてくれたキバオウが周りのプレイヤーを鼓舞した。
「アインクラッド解放隊の旗揚げや!ワイはディアベルはんの願いの為に!精一杯尽くすで!」
『アインクラッド解放隊』
後にシンカー率いる『MTD』を吸収し『アインクラッド解放軍』へ名を変える巨大ギルド。その産声が轟いた。
先陣を仕切るキバオウにリーダーの素質が無かったかと言えば嘘になる、彼の攻撃的な性格は荒っぽくもあったが勇猛果敢で、どんな敵にも挑むその姿勢は間違いなくメンバーの士気を高める効果があった。強者が弱者を導かなくてはならないというキバオウが掲げた信念の基、彼は常にギルド内での強者で在り続けた。しかし彼の中で強者=βテスターであることにノースは薄々気付いていた。攻略に対してβテスターが自分たちを導かないことに関しては毎日愚痴を漏らし暴言を吐いていた。聞くところによれば、第1層のフロアボス攻略時もβテスターのチーター、所謂ビーターの血も涙もない冷徹なソロプレイヤーが1人紛れ込んでおり、結果的にその男がディアベルを見殺しにしたらしい。
話だけ聞けば、ノースはその男を一方的に恨むことが出来た。でも出来なかった。何故なら自分自身もβテスターなのだから。それを知るのはディアベルだけ。そして彼がβだと知るのもノースだけだ。
同じβテスターとは言え、ディアベルと自分に決定的な違いがあるとするなら、ノースは人を導かなかった。ずっと彼の背中を追いかけ、自分は先頭に立たなかった。何が勇者だ。笑わせてくれる。これ程までに自分が嫌いになったことはない。ディアベルは誰も導く人間がいなかったから自らリーダーの位置におさまったのだ。あの時、自分が導いていたら、ディアベルは自分を女だからという理由で置いていくことはなかっただろう。そもそも自分が女でなければ。こんなにも辛い想いはしなかったし、もしかしたらディアベルも死ななかったかもしれない。
ノースは、その日、ギルドを抜けた。誰に何も告げず、ホームを離れた。
2023年、6月。
アインクラッド 第27層 主街区
風の噂で、第25層の攻略時、『アインクラッド解放隊』が壊滅的なダメージを被ったと聞いた。それに対して何も感じなかった。どこをどう歩いてこの街に辿り着いたのか全く記憶にない。ポップしたモンスターは何も思わず、ただただ斬り殺した。自身も傷を負ったが治す気も生まれなかった。眠気が襲えばフィールドだろうが関係なくその場に倒れこんで寝た。命など必要なかった。街に入り、行く当てもなく彷徨う。そして外周まで来てしまった。そこから景色を眺めた。太陽が地平線に沈もうとし、雲がオレンジ色に輝いている。だが、何も感じない。
ふと、数10メートル離れた先で2人のプレイヤーが何か言い合っていることに気が付いた。
「ケイタ、ごめん」
「み、みんなは、死んだ・・・?」
悲壮感を漂わせる黒いコートを羽織った男の言葉に驚愕の表情を浮かべる男。
「あ、あぁ。俺の。俺の責任だ・・・」
「・・・」
「ケイタ?」
「お前のようなビーターが、俺たちに関わる資格なんてなかったんだ」
「!?」
黒いコートを羽織った男に目を合わせることもなく言い放った男は、外周の塀に登り、立つ。この街は雲よりも高い位置に存在している。落ちれば、その命は簡単に砕け散るだろう。
「お、おい!やめろ!」
そして、何の迷いもなく身体を宙に傾け、そして堕ちていった。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
残された黒いコートを羽織った男が絶叫した。その声が辺りにこだます。男は暫く蹲り、そしてゆっくりと立ち上がる。ノースには気付かず、顔を下に向け俯いたまま姿を消した。
「なんだ、簡単なことじゃないか」
ノースは誰に言うまでもなく呟いた。飛び降りた男に倣って、外周の塀を登り、立つ。顔に当たる風が気持ちいい。作り物の風だというのに、こんなにも心地いい向かい風は現実世界でも感じたことがない。太陽が地平線の彼方に沈もうとしている。その美しさに目を奪われた。久しぶりにSAOの風景が綺麗だと思った。
ディアベル、ごめん。待たせてごめん。でも君が悪いんだよ。君が約束を守らないから。
いや、僕も悪かったよね。僕が女だったから。一緒に行けなくてごめん。でも、もう大丈夫だから。
君が帰って来ないから、僕がそっちに行くね。
「何か見えるのかー?」
突然、後ろから間の抜けた声がした。
「よいしょっと」
両手剣を背負った声の主が塀を登りノースの左隣に立った。
「うわー!スゲぇ夕陽!!」
男が額に手を当て眩しそうに言いながら景色に感動する。
「ムニ。危ねぇぞ」
後ろから別の男の声がする。
「僕も、っと」
ノースの右隣の塀に少年が登ってきた。
「うわぁ!ホントだね!凄く綺麗だ!」
「ハル、お前も危ないって」
「タク、凄くいい眺めだよ」
「俺は登らなくても見えるんだよ」
「登って見た方が気持ちいいぜ。風もいい感じでーっと!?」
両手剣の男が急にバランスを崩し咄嗟にノースに捕まる。それを支えようとした少年がノースの腕を掴むが重みに耐え切れず、3人は後ろの地面に転んだ。
「だから危ねぇって・・・」
「むーちゃんマヌケすぎー。私は登らなくて良かったー」
転がる3人を見て2人の男女が呆れながら笑っていた。
「うわわ、ごめんなさい。怪我してない?」
ノースに覆い被さる少年が慌てた様子で言った。
「俺、ケツ痛い」
ノースと少年の身体に潰された両手剣の男が呻き声を上げる。
「かんぱ~い」
第27層の主街区にある宿屋。その下の部屋で、ノースはお詫びと称され、先程の集団にご馳走になっていた。久々に食べるご飯だったが全く食欲が沸かない。そんな中、1人1人が簡単な自己紹介をし杯をぶつけ合った。
「いや~、さっきはごめんね」
メンバーの中では誰よりも子供に近い少年のハルがあどけなさの残る微笑みを浮かべながら、ノースの杯にグラスをぶつけて言った。
「俺もすまん」
悪戯っぽい笑みを携えるムニが笑いながらペコリと頭を下げる。
「まぁ食べてよ。僕らの驕り」
「い、いや・・・」
「のーちゃんはソロなの?」
集団の中では紅一点のヒートが短めに切った赤毛を揺らしながら訊いた。
「あ、うん」
「そっか。俺も最近までそうだったけど、結構楽しいよな。キャンプしてるみたいでよ」
ムニが言う。
「気楽な奴だな、お前は」
一番の最年長だと思われるタクがケラケラと笑う。
「せっかく楽しむ為にこの世界に来たんだぜ?楽しんだもん勝ちだよ。デスゲームって人は言うけれどよ、一種のクエストだよ、こんなん」
強がっているようには聞こえない。ムニは第一印象から変わっていない。どこまでも明るくて前向きな男だった。その姿にノースはディアベルの影を重ねる。ムニを中心に笑顔が広がっていく。この集団は、この残酷な世界で屈託のない笑顔を見せている。思えば、ディアベルが死んで以来、ノースは心から笑ったことがなかった。毎日が戦闘の繰り返しで、それだけに明け暮れていた。
「あれ、ノースさん。もしかしてお腹空いてなかった?」
ハルが全く食が進んでいない彼女を見やり心配そうに言った。
「宿屋の飯って味気ないよな」
タクが呟く。
「そりゃ私たち毎日オヤジさんの手料理食べてるし」
「舌が肥えちゃったんだろな。前は焦げた肉でも我慢して食べてたのに」
「俺が、明日こそは魚釣るからよ!」
「いや無理だろ。そもそもあそこ釣れんの?」
「βの時は釣れた」
「え?」
ムニの言葉に今まで口を開こうとしなかったノースが反応した。
「い、今なんて?」
「へ?」
身を乗り出すノースにムニが戸惑った。
「あ、あぁ。お前ホントお気楽さんだな」
タクが微笑みながらも呆れて言う。
「え?」
他の3人は理解しているのにムニだけは本当に解っていないようだ。
「周りに俺ら以外の人間はいないにしても、お前はまた。いや、慣れたからいいけどよ」
「だから、何?」
「鈍い奴だな。お前、今自分がβ上がりだって明かしたんだぜ?」
「は?あ、あぁ!それ?」
ムニは合点がいったような表情を浮かべるが、全く気にしていない様子で馬鹿にしたように言う。
「もう言うの諦めてたけど、今結構シビアなご時世なんだぜ?」
「タク、心配しすぎだって」
「俺はいいけど、ハルのことも考えてやれよ」
タクが諭すように言って顎をクイッとハルに向けた。ハルの表情は先程とは一変して怯えた顔つきになっており、それを見たムニが慌てる。
「あ、ハ、ハル。ごめん。ついうっかり」
「・・・気をつけてね」
ハルが静かに呟いた。
「で、でも!ノースさん悪い人に見えなかったから、つい。ごめん」
「・・・大丈夫だよ」
ムニが再度謝ると、少年は疲れたように微笑んで見せた。
「まぁ、そういうことだ」
タクがノースに向き直る。
「え・・・」
「この気楽なアホタレはβテスター。それが何か君の気にさわったかい?さっき身を乗り出してたからさ」
「タ、タク・・・?」
優しく穏やかな口調のタクだったが表情は裏腹に厳しいのを見てハルが不安気に名前を呼ぶ。
「怒ってないさ。今はな」
タクが微笑みながらハルの言葉に顔を向けず返事をする。タクの視線がノースを突き刺した。彼女はすぐにでも逃げ出したい衝動にかられる。誰が何を言っていいのか分からず、先程まで賑やかだった空気は一変して暫くの間、沈黙が続いた。
「タク。もういいよ。こういうのはよくない」
ハルが怒ったような口調で静かに呟いた。
「わかったよ。すまなかった」
そんな様子の少年に目を向けたタクは、そう言ってノースのことを見るのをやめた。
「ノースさん、ごめんね」
「い、いえ・・・」
「この宿屋、部屋空いてたから、実はノースさんの分もまとめて取っちゃったんだ。今日はここで休むといいよ」
「え、そんな」
「お金のことは気にしないで。迷惑料だと思って、ね?」
口ごもるノースに対し、ハルは純粋であどけない笑顔を浮かべながら矢継ぎ早に言葉を並べる。間違いなく自分よりも年下だろう。だからなのだろうか。その表情に何故か絶対的な安心感を抱いてしまう。
結局、ハルの言葉に押され、部屋に泊まることになってしまった。数十分間、布団に潜り込み天井を見上げる。久しぶりの感触だった。偽物の世界の偽物な温もりに包まれる。眠る気には全くなれなかった。眼を閉じれば暗闇の中にディアベルの姿、先程の食事の楽しい風景が浮かび上がるだろう。眼を開けている時でさえ、頭の中を渦巻いているのだから。
人生最期の布団の感触を味わい、ノースはベッドから起き上がって装備を確認する。別にこれから戦闘に赴くわけではない。ただ、自分が今まで慣れ親しんだ格好で彼に会いに行くのが妥当だと思った。扉の開閉音をたてないように足音を殺す。静かに廊下を歩き階段を降りて宿屋の外に出た。
最期に人と話せてよかった。最終的には変な空気にして嫌われてしまっただろうが、それでも人の笑顔を見ることができてよかった。心からそう思った。
時刻は夜中。後数時間で太陽が昇り新しい1日が始まるが、自分がその日を堪能することはない。街中は人影が全くない。きっと、みんな屋根の下で寝ていることだろう。建物の間を抜け外周に行き着く。月が明るかった。雲に隠れることなく輝く三日月は夕方見た太陽とはまた違う眩しさを放っていた。どうしてこうも、この世界の風景は美しいのか。しばらく、外周の塀にもたれかかりながら、その景色を眺める。
「死んじゃうの?」
ふいに後ろから声が聞こえた。暗がりで全く気付かなかったが、綺麗な花々が植わる花壇の石垣にハルが腰掛けていた。
「あ・・・」
「死んじゃうのか」
ハルはノースの顔をじっと見つめながら言った。月の光が僅かにハルの表情を照らした。その顔に夕食時に見せた笑顔は一切ない。
「それは、ズルいよ」
無表情のまま、瞳から一雫の涙を流しながらハルは言葉を搾り出した。
「僕は知らないよ。君がどんな人生を送ってきたのか。この世界で今までどうやって生きてきたのか。それでも、自分から死んじゃうのは・・・ズルすぎるよ」
「そう。ズルいんだよ」
ノースは自分に言い聞かせるように言った。
「僕の友達は生きたくても生きることが出来なかった」
「そう・・・それは残念だったね」
「君はそれでも死んじゃうの?」
「うん」
「そっか」
少年の悲痛な心の叫びがノースの身体中に突き刺さる。でも決意を曲げるわけにはいかなかった。この少年には一刻も早く自分のことなど忘れて仲間のところに戻り、あの目を背けたくなるぐらい眩しい笑顔を振りまいてほしいと願う。
「死ぬ前に一言いいかな?」
「どうぞ」
ノースの言葉にハルが促した。
「弱者は生きていけない世界だよ、ここは」
「じゃあ、誰が生きていけるの?」
ハルは一度もノースの姿から顔を背けない。
「強者だよ」
「そう。僕はどっちかな?」
ハルが尋ねた。
「君は・・・難しいね。弱者に見えて強者にも見える。はじめてかな。見た目で判断できない人は」
「そうなんだ。褒められたのかな、今」
ハルはここにきてニッコリと笑った。月明かりに照らされて、その笑顔がよく見える。あまりにも無邪気な笑顔だった。この世界には似付かわしくない程に場違いであるともとれる。
「君の笑顔は素敵だね。見てるこっちが嬉しくなるよ」
ノースはそう言って外周の外を見やる。彼の笑顔をこれ以上見ていると決意が鈍りそうだった。
「じゃ、ハル君バイバイ。最期に君に逢えてよかった」
ノースは顔を向けずハッキリと口に出し、外周の塀を登るために手をかけた時だった。石垣に座っていたハルが急に立ち上がったかと思うとノースの隣まで走ってきた。呆然とするノースには目もくれず、塀の上に登り1回だけ深呼吸をする。そして優しく微笑みながら、まるで子供用のプールに飛び込むかのような軽い跳躍で飛び降りた。
「ちょっと!」
ここでノースの反応が少しでも遅れていれば、ハルの姿は雲が広がるグラッフィクの中でポリゴンへと変貌していただろう。そう。咄嗟にノースが身を乗り出し手を伸ばして落ちるハルの手を掴んでいなければ。それでも少年の身体が特段軽いわけではない。それでも掴んだ手を離すまいと、ノースはハルの右手首を必死に両手で引っ張った。そんな彼女の焦る表情を見上げたハルは対照的にキョトンとした顔でぶら下がりながら不思議そうにノースへと視線を送る。
「何で、僕を助けちゃうのさ?」
「そ、そんなの!だって!」
「いいよ。一緒に死のうよ」
「な・・・に・・・言ってるの!?」
「だって僕が何言ってもノースさんには無駄なんだなって分かったから。やっぱり僕は弱者だね。弱者は生きていけない。そう言ったでしょ?」
ハルの口ぶりからは死ぬことへの恐怖なんて微塵も感じられなかった。それよりも、ノースを説得できなかった悲しみの方が勝っているように見えた。
「ち、違う!ハル君は・・・ハル君は・・・ズルいよ!」
「え?」
「こ、こんなことして、死んじゃうのは・・・ズルいよ!」
「それ、僕のセリフだよ」
「うるさい!あんた、ちゃんと捕まってなさい!」
ノースは力を振り絞ってハルを引き上げる。この世界に来てから今まで、ここまで必死になったことはなかった。引き上げられたハルの身体はそのままノースの身体によって受け止められ、2人は地面に転がった。
「いてて・・・あれ、夕方と同じだ」
ノースの腹の上に圧し掛かったハルが暢気に言う。そんな能天気な少年の態度が無性にイラついて、ノースは上半身を起こしハルの頬に思い切り平手打ちをしてすぐにギュッと抱きしめた。
「バカバカ!なんであんなこと!本当にバカじゃないの!?」
「ノースさんなら助けてくれると思った」
「バカ!あんたバカだよ!本当に!!」
「ねぇ、聞いて」
「バカ・・・バカ・・・」
ノースの涙はとうに枯れ果てていた。
「強者とか弱者とか。僕は関係ないと思う」
「バカ・・・バカ!」
「人間、誰だって弱いときもあれば強いときもあると思うんだ」
「バカ・・・バカ・・・バカバカバカバカ」
「そういう考えじゃ、ダメかな?」
ハルがノースの拘束を優しく解きながら言った。
「後さ、あまりバカバカ言わないでよ」
少年はまた笑った。このコ、笑ってばかりだ。
2024年、2月。
アインクラッド 第48層 リンダース
リズベット武具店
「ハル。私、軍の人に会いに行きたい」
「いいよ。明日行こうか」
ハルは即答でノースの申し出を受け入れた。
「随分すんなりだね」
「ノースさんが抜けた後から1回も顔出してないんでしょ?いつか言われると思ってたし」
「そう」
「はい、できたよー」
リズベットが工房から元気よく出てきた。
「研磨と強化。どっちも成功しているからねー」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
「何か不具合があったら、いつでも遊びにおいでよー」
明るい声に送り出される。
外に出た2人はオレンジ色に染まる空を見上げた。太陽が沈み始めている。
「綺麗だね」
ハルが空を見上げて微笑んだ。
「お腹空いちゃったな」
「私も」
「何か買っていこうか」
少年はニッコリ笑って提案する。出逢った頃から変わらない、沈む夕陽の眩しさに負けない輝きをもった笑顔。ノースの毎日は、この彼の表情に助けられている。いつからかは気付かなかったのだが、いつのまにかノースは自分のことを「私」と言うようになっていた。何がきっかけだったのかは定かではない。それでも何となく、それはハルが教えてくれた言葉の中に答えがあるのではと思っていた。
弱者だろうが強者だろうが関係ない。男だろうが女だろうが関係ない。
『β』の人間は、それを当たり前のように受け入れてくれた。
ノースは地平線に沈んでいくオレンジ色の太陽を見つめる。
いつものように、その風景が美しいと感じた。