あと少し、あと少し……
では、どうぞ
「決まったんだ……攻城戦」
ぼそっと、フードでも隠れない口で呟く。がやがやと騒がしい周りにその音はただ消えて、僕という存在を否定しているように思えてならなかった。
自分で自分の身を隠しておきながら、気づかれないようにしながら、一体何を思っているのだろうか、白々しい。
周りには僕と同じく、情報を求めて掲示板に顔を出す人がちらほらと。ここの周辺で立ち話に興じるの方が断然多く、その話は嫌悪をどうしても感じるようになった
だけど誰も、ここにいる僕には気づかないんだね。それもそうだよね、僕なんてただの恥さらしなんだから。
第二回戦は相手には悪いけど、予想通りの流れだった。シオンが最後倒れちゃったのは意外だったけど、結局は圧勝と言える完全勝利。羨ましい、栄光だ。僕なんかと全然違う。
そうやって三回戦も勝ってしまうかもしれない。僕の出る幕などないだろうけど、ルールくらいは知っておいても可笑しくないだろう。一応、名目上は、ファミリアなのだから。
「―――なに、これ」
思わず、絶句してしまう。あまりにも理不尽だと、そう思わせられる内容に。
だが、記載されている
―――シオン・クラネルの【
勝てる希望が、完全に薄れてしまったかのようだった。
【ヘスティア・ファミリア】の最大最強戦力、その戦力は希望であり、命綱だ。シオンの力の集合ともいえる【ステイタス】が今どのようになっているかは知らないが、想像に及ばない程恐ろしいもののはず。でなければ、あんな大規模破壊も、滞空なんて芸当も、できるはずが無いのだから。だからそれの封印は即ち、命綱が斬れたことを意味するに他ならない。
だがギルド側の意見は正当だ。あんな大規模破壊またされてしまったら、もう堪ったものじゃないだろう。あんな感じに、森を大切にしていた人たちからは相当言われているから。ギルドの人たちも大変だ。
「あーあ、やっぱり、ひっでぇことになっちゃったなぁ……」
「―――!?」
「まぁまぁそんなに驚くなって……とりあえず、外出ような、な?」
唐突に、全くの不意打ちで、だがあまりも自然すぎたことに、遅れての反応しかできなかった。あやすように
「ここらでいっか」
「っとと、投げ飛ばさないでよ……」
裏路地に連れ込まれて――って、なんかそれだけ言うと悪漢に『
僕たちは今有名人、衆目を集めてしまう存在なのだ。それが堂々公で会話などしてみたら――考えるだけで吐き気がする。
ずっと恐怖で地面に固定されていた視線を、搦められていた首を撫でながら上げると、そこにはやはり彼がいた。僕の希望であり、絶対的な存在である僕の兄。
だけど、その姿は――
「――どうしたの、それ……?」
「これですか?
「そんなっ……シオンは【ステイタス】を封印するんだよ!? せめて万全じゃなかったら、もう本当に負けて―――」
「おいおい、そんな弱気って……本当に勝つ意欲がないっていうか、愚の骨頂って言うか」
な、何も言えない……僕なんて実際その程度、もうアイズさんに鍛えてもらおうっていう意欲すら湧かない。勝つために始めたそれが無いということは、まさしくシオンの言ったことに繋がる。どうしようもないな、これは。
「おっと、そうそう忘れてた。今、ベルが思っている疑問を解消してやろう」
「何も思ってないけど?」
「……ごほん。お主は今、どうして私が現れたのか疑問に思っている筈だ!」
「いや、どうせ
「…………」
あー、二度も腰折っちゃったら黙っちゃったよ……シオン、自分のペースにならないと考え込んじゃう癖あるからなぁ。そのくせ基本直感で動く気質があるという。もうホントどうしよう……
「―――今の会話は忘れよう。というかそれがわかっているならさっきの流れはいらんし。んじゃ、唐突だけど……また無様を晒すのと、栄光をつかみ取れる可能性に縋るのと――どっちを選びたい?」
「―――ッ!」
びくっと心臓が跳ね上がった。耳を刺すコトバが痛くて、何よりも恐れている。
その選択の意味は何となく理解できた。今のまま出場するか、必死の覚悟で鍛えるか――どちらにも僕は嫌悪を感じてしまう。結局は衆目に晒されることになるから。恥さらしが出場したところで何になる、戦力外といっても過言ではない僕がいて何になるのだ。シオンは何を目的としているのか。
「私は恐らく、出場できたとしても精々引付と足止め程度しか役に立たないでしょう。そりゃ、圧倒的に降格する感覚に、この怪我、無理もない事。言い訳になりますけどね。大将――恐らく、
【
ありえない――いくら頑張ってもシオンに勝つことなんてできっこないのだ。どんなハンデがあっても、シオンは勝ち抜け、生き残ってしまう。「あ、生き返りました」なんて然もあたりまえのように軽くいっちゃう異常者だ。常識外の存在だ。予想なんて意味をなさない程の隔絶した人物なのだ。
なのに、何でこの人こそが、弱気になんてるんだ……!
「だ・か・ら。そこでベルとティアです。お二人さんにちょいちょいっと頑張ってもらって、私が楽をしたいわけですよ。あ、因みに出場は確定ですからね」
「理不尽な!? いや、でもまぁ、やっぱりそうだよね……」
結局は出ることになってしまう。いや、出されてしまうのだ。仕方ない。ただでさえ人数の少ないファミリア、最強戦力が欠如してしまったのなら、他で補おうとするのはあたりまえ。シオンの実力を補えるほど、僕は強くないんだけどね……ま、出されちゃうなら、強くなっていた方がいいのかな……
「選択肢って、やっぱり二つに一つなんじゃないの?」
「でしょうね。なのでさっさと行ってください。ワン吉なんて今頃もぞもぞしながら市壁の上で待っていると思いますよ」
ワン吉? なんのこ――あ、もしかしてベートさん? ベートさんなんだよね? ベートさんなんでしょ。うん、絶対そうだ。というかもぞもぞって何、無性に気になるけどそこはかとなく気持ち悪い……
二人、僕のこと失望してそうだな。それでも教授してくれるなんて、やっぱり優しい人たちだ。着いた瞬間罵詈雑言なんて浴びせられたら、僕はすぐに右へ跳んでしまうかもしれないけど……うん、行くことにしよう。
決心だけはして、シオンに一応お礼でも言っておこうとしたとき、ふと思い至った。
「あのさ――シオンって、どうして僕の居る場所がわかったの?」
「ん? ティアに探してもらいました。チョー有能ですからね、これくらいちょちょいのちょいってやつですよ」
ナンダソリャ。あの子凄すぎるでしょ……上位精霊って言ってたけど、やっぱり至上の存在だけあって僕なんかとは比べる事すら烏滸がましいかな。比べるまでもなく僕が下なんだけど。
「そっか。じゃあ、行ってくるね」
「えぇ、死んでもいいので頑張ってください。猶予は三日ですよ」
「あれ、三回戦って三日じゃなった?」
「はい、そうですよ? あ、移動時間のことならお気になさらず。ティアに転送してもらえばいいので実質
な、なんだそりゃ……もうあのお方だけでよろしいのではないでしょうか……?
でも、これで気にすることも何もなくなった。自由に、必死に、ただ鍛えよう。せめて、無様を晒さないようになるまでに。
ちょっと、気持ち入れ替えようかな。いつまでもくよくよしてたって、英雄になんかなれない。
憧れにだって、いつまでも手が届かないのだから。
また一つ心に決めて、裏路地を兄に背を向け走り出す。
無感情な視線が、道が折れるまでずっと、背に突き刺さっていた。
* * *
時が流れるのは早い。濃密な時間ほど速く進み、薄っぺらい時間ほど緩慢になるのだけれど、決して止まることなく時は過ぎて行くのだ。たとえ私がどんなことをしようとその摂理は変わらず。料理をしようと、己を鍛えていようと、ぐうたらに床を転がりながら魔術書を読んでいようと――
だが、そんな時の摂理でも、稀に
例えば『デジャヴ』と呼ばれている現象だ。様々な言い分はあるようだが、その中にこんな説がある。
『デジャヴとは瞬間的な時間遡行だ。過去に見たものだと既視感を感じるのは、未来で己が時間を遡行し、デジャヴを感じた時へ戻ったことによるもの。だがしかし、世界がパラドクスを解消しようとその未来からの存在を消滅させ、未来からの自分は無くなってしまう。その過程で記憶の一時的な接続が起き、それこそが
夢物語チックな論だが、面白いとは思う。
私が言いたいのは、このような考えに沿って時間について考えると、時間とは戻れるものでもあるし、未来という不確定の中で確定したものとの連続性を持っているということもいえよう。
前は面白いなと笑って終わったこの論理。少しだけ、信憑性が私の中で増した。
だって―――
「でなければ、ありえない」
「他に考え様はあったと思うわよ? でもそうね、君が混乱するなんて珍しいから、そんな風に非現実的なことを思ってくれていても構わないわ」
型が触れるほどのすぐ隣、にこやかに微笑んでいる少女がそんなことを屈託なく言う。相反し私の顔は歪むばかりだ。
これは『デジャヴ』なんかではない。あれは瞬間的なものだ、こんな長く見られるモノではないから。ならば何かと考えると、一番に浮かぶのが時間遡行であった。それならば今自分の置かれている状況も、何故彼女が生きていて、私に声を掛けて、そして動いているのかも――今ここにある全てが説明できる。
「時間遡行でも何でもいい――何が目的だ」
「突然どうしたの、シオン? いきなり怖い顔して」
「とぼけるな。私の考えを読み、一度返答した時点で割れてる。演技はいらん」
「つまんないの」
はぁ、と溜め息。その熱、音。明瞭に感じられていることが不思議でならない。
時間遡行と簡単に言ったが、方法なんて全くの不明だ。原因は――ま、アレしかないな。
直前の記憶、いつが直前かは明確じゃないけど、この光景へ変わる最後の記憶は、私がとある箱を開けた時だ。今奥の池ではしゃいでいる幼女と言っても差し支えの無い彼女――正確には違うけど、彼女から貰った不思議な箱をだ。
「シオンもおいでよ~!」
「遠慮しておきます。どうぞ皆さんで楽しんで下さい」
「相変わらず空気読めねーよな、あいつ」
「だよなー」
聞こえてんだよクソガキども―――こそこそ耳打ちしても、口の動きで何言ってるか判るんだぞ? あ、聞こえたって可笑しいじゃん。いやそんなことどうでもいいんだよ。
まず問題はこの光景。子供だけで行くなと言われている透き通った泉、でも今は子供だけ。私が刀を執る以前と酷似しているその光景は、正しく過去だと断定できる。大体六歳だったか、私が。
着衣のまま遊ぶ幼児、男児より女児が多いか。その中で特に目立って見える二人――ベルとリナリアだ。透けているが、まだ皆純粋、気にすらしてない。というか遊ぶ方に集中してる。遊びに集中ってもはや遊びじゃない気がするけど、まぁそれも今は別にいいのだ。
「ようこそ私の世界へ、シオン。何もない私の世界に、景色を創ってくれてありがと」
「意味わからん。ゼロから全部説明しろ」
「やーだよ、面倒だし」
「ぶっ殺してやろうか? 肉体は随分と変わっているが、人ひとり殺す程度造作もないぞ?」
「ふふっ、面白いこと言うね。私が人じゃないって、気づいてるんでしょ?」
「ハッ、常人じゃないだけで人じゃないだと? まだ甘いな。人外語りたかったらせめて人間辞めとけ」
ずっと遠くを見たまま木に腰を掛け、隣の少女に冷たく接する。嫌な顔をするどころか、逆に面白がっているのが心底面倒臭い。
耳にわざとらしく生温かな息を吹きかけながら、
「原理原則全く分からんけど、お前は
「流石に私でも傷つく、な……心は、一緒なんだよ?」
「心が一緒、だからどうした? お前は別物だと私は捉える。まぁそんなこと一切関係なく、早くここから出て色々したいだけですけど、元の世界でね。ちょっと齟齬があるかもしれませんが」
「用件があるならさっさと終わらせてください」
「……もう、しょうがないなぁ。私がこんなことをした理由が聞きたいんでしょ。ずっと一緒でも別にいいのに――」
「――前にも、この時にも、言ったはずだ。お前と一緒にはいない」
あぁ、だからもしかして、この光景が眼前に広がっているのだろうか。皮肉なものだ、ふざけている。
ぱっと思い出せたのは嫌な記憶として残留していたからこそだろう。
『ねぇシオン、誰とも一緒にならないのならさ。私と一緒になってもいいんだよ?』
『断る。ずっとこうして、ただ居られることこそ私の望みなんです。それは、壊したくない』
こんな会話があったか。そして似たような会話をその数年後にもした。
もう私が『一緒になりたい人』を見つけていた時に。
最後の言葉を交わす機会は、最悪のモノだった、思い出したくもないくらいに。
「早く話進めろ」
「……はぁ、酷いよ本当に。泣いちゃうぞ」
「泣きたいなら好きなだけ泣け。私、人が泣くことは賛成だと思うんですよ――って、話逸らしている場合じゃないんです、ほら早く」
と、あまり急かし過ぎるのは良くないが……ま、遠慮なんていらんか。
実際泣かれちゃったら対応に困るんだけどね。今見た目完全に少女ないし幼女だし。
「――私がこうして君の前に現れているのは、伝えたいことがあったから。大切なこと」
いつになく、その声は真剣だった。自然と意識が持って行かれる。
その意識が、ふわぁと優しく包まれた。嫌ではない、だっていつもされていた優しい抱擁なのだから。
「私がいなくても強くなったからね。独りで、いられるもんね。でも、周りを置いてきぼりにしちゃだめだよ」
ずっと遥か昔。私に居なかったお姉さんのように、優しくあやしてくれる。
その声音は、全然まだ子供なのに、大人のように聞こえる。
知らないはずの、成長した彼女の声が、重なり
「みんなを大切にしてね。特に私の妹、誰かが支えてなかったら簡単に崩れちゃうから。できれば支えてあげて、大切な人がいても、少しくらい気を配ってあげて。優しい君なら、できるよね」
この程度のことが、こんな簡単にいえてしまえそうなことが、彼女の伝えたかったことなのか。
そんなの、可笑しい。こうまでして伝える事じゃない。
「でも、自分も大切にしてね。いっつも無理しちゃう、自分を犠牲にしちゃう。そんな君はいっつもカッコよかったけど、いっつも可哀相で、苦しそうだった。自己犠牲なんて、もう止めてね」
何のことを言っている……私は何時だって私の為に生きてきた。誰かの為、貴方の為――そんな上辺を持てたとしても、全て自分の為だった。いつ己を犠牲にしたというのだ。いつも私がしてきたことは犠牲ではない。そんなことできるのは、していいのは、勇者か英雄くらいだ。私なんかではない。
『―――ン、シオ――――シ――』
「……もう、お別れかな」
天蓋から落ちて来たかのような声、同じように彼女にもそれは届いたか、残念そうに、名残惜しそうに、抱擁を解きながらつぶやいたその声は、妙に残留した。
正面、私の方に手を置いて、俯いたまま言葉を並べる。
「最後に、さ――私のこと、ずっと忘れないで欲しいな」
「――それくらいなら」
「――ごめん、やっぱりもう一つ」
欲張りでごめんね、そう続けて言い、少し私の肩が重くなる。
聞き逃すまいと、この時初めて、彼女だけを見た。今まで背後で煩かった水音も、吹き抜ける風の音すらも、全てが私から遠のいて、彼女が近くなっていく。
「私はずっと、大好きだったよ、しーちゃん……!」
「――ばーか」
最後にはっと顔を上げて、涙で晴れた綺麗な笑顔を私に満面と見せてくれた。
それを切っ掛けにか、急速に遠のく中、その言葉だけを彼女に渡した。
彼女はこれだけ、たったこれだけを伝えるために――ははっ。本当に、人騒がせなヤツだ。いつまでも、どこでだって、自由過ぎる。
無駄だ無駄だ、早く帰りたい。そんなことを思っていた自分が馬鹿みたいだ。
だってこんなにも、名残惜しく思っているのを、自覚させられているのだから。
デジャビュでなくデジャヴなのはわざとです。