やがて我が身は剣となる。   作:烏羽 黒

77 / 162
  今回の一言
 といったな、アレは嘘だ。

では、どうぞ


決意、それはアソビ

「……………」

 

 長く続いた例の声は突然止み、そこから数十分が経つと、布団が(かす)れる音がして彼女が目をこすった。

 その手が口元へ運ばれ、手前で止まると小さく間抜けな欠伸(あくび)の息が吐かれる。

 すらっと手が腕ごとベットへと寝転がると、首を動かしあどけなく部屋に目線を走らせていた。

 

「……君、怖いことしないっていったのに、わたしを犯したでしょ」

 

「自意識過剰は相手を選んで表明した方が良いですよ。そもそも、私は貴女のような幼女に興奮するような性癖は持ち合わせていません。手を出してなんていませんよ」

 

「……そっか。君なら別にいいんだけどなぁ」

 

「こらこら、自分を大切にしなさい。今までは無理だったでしょうけど、これからは、ね」

 

 彼女は散々な目に遭って、恐らく自分を大切にすると言う意識が薄れている。仕方がないと措いておけることではないし、そう彼女が思い続けているのを、何故か私が嫌だと思ってしまう。

 布団を掴みよせて、まるで傷を隠すかのように体の多くをその下へ滑りこませた彼女は、私に澄んでいる目を向けて、こういった。

 

「ねぇ、これからどうするの? 君は」

 

 確認の様であり、それは懇願の様ですらあった。

 瞳はとても澄んでいて、やはり美しい碧眼だった。だが、その奥に潜む感情の揺れ。それは一体なんと表現するべきだろうか。

 淀んでも汚れてもなく、光を失ってなどいない。なのに、澄んだはずの瞳は何処か濁っているように思えた。 

 

「言ったでしょう、私は惨状(景色)作りに(見に)行くだけですよ」 

 

 その目を同じく片目で見返し、はっきりとそう告げる。

 助けるなんて言えない。それは一向に変わることなどない。

 

「……じゃぁさ、わたしはどうすればいいと思う?」

 

 そんな私から目を体を捻って反対側を見ることで逸らし、果てには頭まで布団を被って、籠る声で確かな恐怖を(にじ)ませながらそう聞いて来た。

 わかりやすい、『独り』ということを考えて生まれた、恐怖を。

 

「……人に道を委ねてはいけませんよ。自分の道は自分で決めて下さい、なぁに、助力はしてあげますよ。それで――――――貴女はどうしたいですか?」

 

 このまま私が『こうしろ』と言ったら簡単だろう。実際考えついていることはあるし、彼女が安寧の生活を危険なく遅れるようにする方法はある。

 だが、それは私の押しつけであり、強要だ。そんなものに彼女が生きる意味なんて見いだせないだろうし、私もそんなことさせたなくない。 

 だから彼女に問うのだ、彼女の意思を。

 たとえそれがどんな無茶苦茶なことであっても、聞いてあげよう。それが私に利のある事であり、更に言えば彼女が救われるのならば、私はその考えを、意志を、全力で肯定しよう。

 極論、可笑しなことに、彼女が助かることを望んでいるのだ。相手の意思よりも自分の意思が分からなくなってくる。一体本当はどちらなのだろうか。

 

「――――それ、本当に言っていいの?」

 

 布団から目だけをひっそりと出し、心配げに瞬きをしながら確認する。 

 それに首肯し、更にじっと見つめて催促していると、場都合(ばつ)が悪くなったのかさっと布団へと潜りこんでしまった。

 せせこましいだろうにそうするのは、彼女なりの理由があるのだろう。

 長々とした一秒が、幾度も幾度も積み重なり、それでも動かぬ二人は尚もそのまま居続ける。

 だがやがて、

 

「君と一緒に居たい……」

 

 ぼそっと、口籠りながら布団によって更に籠るというとてつもなく聞き取りにくい状況で彼女はそう呟いた。勿論聞こえたが、冗談に思えたし、籠って聞き間違えた可能性も考えてこういった。 

  

「私の目を見てはっきりとお願いします。正確に聞き取れませんでした」

 

「にゃぁっ⁉ 勇気を振り絞って言ったのに⁉ 初めての告白だったのに!」

 

 (なり)振り構わなくなったのか、突然飛び起き抗議の声を叫ぶ彼女。

 布団が飛ばされ、それが一瞬で灰へ変わり、近くから熱を感じた。

 

「……なるほど、火の精霊の力ですか」

 

「あ…………ごめん、なさい。燃やしちゃった……」

 

 感情が昂ると、彼女は自身の力がどうのこうのと言っていたから、それがこういったことなのだろう。今は何についてかは知らないが感情が昂り、偶々火の精霊の力が出てしまったわけだ。

 

「あと、どうでもいいことだけど、今のは精霊の力じなくて『微精霊(びせいれい)』の力だからね」

 

 ちゃっかり指摘されたが、どうでも良くはない。

 『微精霊』とはそのまま微かな力を持った精霊のことだ。それ自体は現在無数に存在していると言われ、だが人の目には見ることが出来ないものである。

 彼女がその力を使えると言うことは、人間に微精霊を埋め込まれたと言うこと。つまり組織には『微精霊』を発見できる輩が居ることになる。

 糞の癖に、生意気な。

 

「で、結局貴女はどうしたいのですか?」

 

「――――もういいっ、君に勝手についていくもん」

 

「は? いきなり何を」

 

 突然の可笑しな発言、すねたように投げやりに言ったが、かなりの問題発言である。

 

「君、今何にも知らないでしょ? わたしが教えてあげるから、その代わり私も連れてって」

 

 最初こそふざけ切った気配は消えなかったが、最後の語を告げた時には、しっかりと意志を持ち、真剣味を全身に纏って、何かを決めた目をしていた。

 

「……何のために?」

 

 同じように、私も聞き返してみた。

 

「わたしの為――――決着、つけないといけないら」 

  

 だからだろうか、彼女も同じように返してきた。 

 そこには真似をしたなんて感じさせない、彼女だけの意思があり―――

 

「やっと逃げられたんだから、絶対に復讐してやる」

 

―――彼女だけの、憎悪が、(うら)みが、悲しみが、そこにはあった。

 

 そして、にやりと上がった口角を見る。

 それに釣られて、私も同じような、だが負けることの無い狂笑(きょうしょう)を浮かべる。

 

 あぁそっか、彼女も歪んでしまっているのだ。狂っているんだ。

 彼女もまた、異常者(サイコパス)なのだ。

 

 同族を見つけたことに嫌悪を抱くことなく、喜びを浮かべてしまう程、私もまた、狂っているのだった。

 

 

   * * *

 

「で、いろいろ聞きたいのですが……まずはお風呂にでも入りましょうか」

 

 おぞましい雰囲気が、次第に止んだ笑みの後に消え、全裸の少女がベットの上に正座し、それを直視して眉一つ動かさない男の娘が居ると言う中々に異常な光景がみられるようになった中、彼はそう提案した。

 

「え、君ってそういう性癖(タイプ)なの? なら早く言ってよ。まだマシな方だからいつだって――――」 

 

「いいから、そういうの。単に貴女の体を綺麗にしておいた方が良いと思いましたね。幸いここにはお風呂が備わっていますから」

 

 ただ気になるから言ったことを、斜め上の解釈をして色々と不味い発言をしようとする彼女の言葉を遮って彼がその解釈を正す。

 そもそも彼は、自身のそれを捧げるのはただ一人と決めているのだ。どう言おうがどのような対価を示そうがその事実は変わらない。

 

「じゃあわたしの体洗ってね、念入りに体の隅々まで丁寧に堪能しながら……」

 

 冗談にならないことを口走っているが、その顔は如何にも本気と言った感じだ。流石にこの調子を続けられると厄介極まりないので、そろそろ納めておこう。

 

「じゃあそうしてあげましょうか? 気持ちよすぎて気絶しないで下さいね」

 

 あえて賛同することで、遠慮がちにさせてしまう人間の(さが)を利用したちょっと悪辣な手口。試す価値はあるだろう。

 

「え、ちょ、まっ、へ? 本当に? 本当にいいの?」

 

 ま、まぁ予想通りだし、この精霊が、この程度の手口が通用する程簡単に御しれる相手だとは端から思っていなかったからな。

 というわけで次の作戦だ。

 

「そこは恥ずかしがりながら『じょ、冗談だし!』とか言うと良いですよ」

 

 強引な思考回路の誘導。

 私はどうやらこの精霊に好かれたようだ。なら、それを利用しやすい手を取るまで。

 

「じょ、冗談だしっ! ……これがいいの?」

 

 正座のまま腕を組んで、ふいっと別方向を向いたのは、まさに子供の仕草。いじける幼子のようで、普通に彼女が行って違和感はなかった。

 その体が見るに堪えない疵物(ありさま)でさえなければ。

 

「まぁ及第点ですね。あと、冗談でそう言うことを言わないでください。私は自分を大切にしない人が、き・ら・い、なのですから」

 

「うぐっ……て、え? 冗談? ―――あ」

 

 普通に言う通りにして、あっけなく終わったことに安堵しながらそれを利用する。

 先程の発現を自ら帳消しにさせ、更にそう言ったことは嫌いだと表明する。

 『きらい』と実質言われたことに、盛大に仰け反った後器用にそのまま首を傾げながら、ぼそっと疑問を呟く。やがて気付いたのか、間抜けな声を出した。

 

「ううぅ、嵌められた……流石は()()()()()……」

 

「ふふ、そうでしょ? で、最上位精霊って何です?」

 

 聞きなれない単語だ。悔しがる彼女にそのまま放置はできないので気になって聞いた。

 

「君が言うには、力を君に貸し与えている精霊のこと。『アリア』様でしょ? 君に力を与えているのは。『アリア』様は最上位精霊の一角。多分一番有名だね」

 

 説明してくれた内容は理解できたが―――――何故彼女が()()について知っている。

 有名だと言っているし、同じ精霊同士で知りえたのかもしれないが、問題はそこではない。

 

「……何故、私が『アリア』の力を扱っていると」

 

「わかるもん、何となく。といっても、気づいたのはつい数分前だけどね」

 

「……そのあたりは後で話すとして、一角と言いましたね? ということは、それ以外に居るのですか?」

 

 少しこのことは気になった。

 アリアが最上位精霊なら、他の最上位精霊と関りがある可能性がある。

 

――――――現在も。

 

 少しでも可能性があるのなら、知っておきたい。

 アリアに直接聞いたとしても恐らく答えてくれないだろうし。彼女は何故か、自分のことを最低限しか語らないのだ。聞いたとしても、素知らぬ顔で『知らないわっ』と切られるだけ。

 

「いるわよ。そもそもだけど、最上位精霊は風・熱・水・光・闇の『世界構成因子』の力を扱える精霊の中で、属性ごとに最も力の強い、つまり神に近い存在のことを最上位精霊と言うの。わかっていると思うけど、『アリア』様は風よ」

 

「……ちょっと待ってください」

 

 風・水・光は何となくわかる。だが熱と闇ってなんだ。

 私が聞いたことのある世界構成因子は熱ではなく火と氷。それと闇は無かった。 

 

「あ、やっぱり疑問に思う? 火と氷って、熱量による変化でしかないでしょ? 火は熱量を上げて燃やし、氷は熱量を奪い、大気を冷やして氷を作る。ほらね、熱で十分でしょ。それと、闇はかなり稀少(レア)。『代行者』とも言われてるね。どの力でも使うことが出来るの。代わりに力を大きく消費するし、他と違って際限があるからどうしようもなく使いにくい精霊。でも、一番強い」

 

 あぁなるほど、と納得はできた。だが、何か引っかかる。

 なんだ、この(わだかま)りは。何故今それを感じた。

 ………『代行者』?

 

――――もしかして。

 

「『代行者』と、酷似した存在を作り出す……こと」

 

 突然出てきたその結論。だがそれは言葉にした瞬間に現実味を感じる。

 彼女は数々の精霊因子を埋め込まれたと言っていた、それが闇の精霊、つまり『代行者』のようにすべての力を使えるようにすることが目的だとしたら。

 彼女は大きく力を消費せず力を使っているように見えた。その代わり不安定ではあるが、闇の精霊より有能な存在になりえる可能性はある。

 

「……突然ね、確かにそうよ。私がこうされた目的は、疑似的な代行者を量産すること。私はその第二段階まで到達した貴重な存在。その頃から受ける待遇は多少マシになったわね」

 

 一瞬で暗く悲しい顔となる彼女。その顔は酷く儚げで、心傷(しんしょう)を振り返るその様は、まるでしとしと降り散る雪の一粒のよう。誰に知られる間もなく、消えるそれ。

 彼女の存在は、それと酷似しているように思えて仕方なかった。

 

「――――さっさとお風呂にでも入りましょうか」

 

「――――うん」

 

 それは見ていられなくて、場を変えるしか私にできることは無かった。

 彼女も、今はふざけることなく、あっけなく従ったのであった。

 

 

   * * * 

 

「―――――予想通り、結構可愛いですね、ティア」

 

「そうでしょ? シオン」

 

 長ったらしい髪を、肩より少し下、丁度肩甲骨(けんこうこつ)辺りまで斬り、ぼさぼさに荒れていたのを整え、全体のバランスを保つために横・前髪も斬った。

 勿論彼女に許可はもらっている。

 痛んでいた銀髪はその輝きを取り戻すことで、眩しい程見せつけ、いつしか見たものを思い出す。いや、それより美しいかもしれない。  

 全身に取り戻した処女雪のような肌、一つすら傷が無い。生き生きとする光を宿した碧眼、ぱっちりと開く()()()体型と関係なく大人びた凛とする鋭さを持っている。 

 

 今はしっかりと服も着ていて、それは漆黒と純白の対となる二色が使われた子供用ドレス。スカートは長いのが邪魔らしくショートになるよう斬り落として、即席で少しばかり補強してある。ついでとばかりに純白の長手袋(ロンググローブ)をはき、ヴェールまで欲しいと言い出した時は頭に指で一発キツイ喝を入れてやった。

 だが、完璧に彼女はそれを着こなしているため、文句をつけようとは思わない。

 ヴェールは結局買っていないが。

 

 因みに、これは数分で購入してきた8万ちょっとのドレスである。意外とお高い。

 

 何故彼女がこうなったか、それは主に浴室での出来事である。

  

 私は彼女を洗いながらふと思っていたのだ、この傷をどうにかできないかと。

 実際、彼女もそれを望んでいた。

 そのため、アリアにも許可をもらって試してみることにしたのだ。

 代々、御伽噺の吸血鬼には、超常的な治癒能力がある。それは、主に血の作用だそうだ。

 つまり、私が吸血鬼化したら私の血には治癒能力が宿る可能性がある、ということ。試す場面も無かったし、試せる状況なんて早々現れないだろうから。

 

 彼女に見られ無いように浴室から出てそっと吸血鬼化して、すぐさま用意した試験管に血を流し込んだ。そして安全な場所に一時試験管を避難させて、吸血鬼化を解く。

 その時、気絶することはなく。代わりに感覚の殆どが消え、なのに痛覚だけが異常に感じると言う気持ち悪い体験をしたが、それはどうでも良いことだ。

 

 そして彼女に血を飲ませると、それは即効だった。

 たちまち傷は癒え、痣は消え、失ったはずのものすらも取り戻した。 

 因みに、彼女は何を飲んだか知らない。

 そのときの反応は、『ひゃっ』と小さく悲鳴を上げ、小さく蹲り『見ないでっ!』と強く恥じらいを籠めて叫んだ。何故見ないでといったかは、後に音が聞こえた、ということで判断していただこう。

 勿論私は彼女にそのことを言及したりはしない。

 

 長ったらしく言ったが要するに、『血を飲ませて回復させた』わけだ。

 

 その後に情報交換は滞りなく進み、中々殺意を弾ませる内容だった。

 彼女の境遇、実験の更なる詳しい内容。今までの恥辱。生きるに堪えない生活。

 家畜の方がまだましだとすら思える始めの扱い。醜悪な獣共の目。

 

 一言一句逃さず聞き、全く頭から離れない。

 こういうところで発揮する無駄な記憶力の良さ。忘れたほうがまだ楽に楽しむだけで済んだだろう。

 だが、そう言う訳にはいかなくなった。

 目的を変えたのだ、遊びに行くではなく殺しに行くと。

 誰一人楽には殺さない。既に死んでいるものは、快く埋葬してあげるが。

 

 そして、互いにまだだった自己紹介もした。

 

『私の名前はティア。『世界の終焉(ラグナレク)』計画の実験体第『1145-31』番貴重体。唯一の第二段階(プロジェクト・セカンド)達成者。元は光系統雷属性を扱えたの。今は大体の扱えちゃうけどね』

 

 と、彼女は言った。 

 『世界の終焉(ラグナレク)』計画とは標的、つまりは組織が企てている計画(プロジェクト)の呼び名だ。標的自体の名は【カオス・ファミリア】。恐らく闇派閥(イヴィルス)の残りと考えられる。

 そもそも、神カオスは混沌大好きの変態神だ。かなり前から下界に君臨しているそうだから、アリアが潰したのもこの派閥なのだろう。

 私は確実に神まで消そうと思っているが。

 

 さて、時を戻すとしよう。

 現在は朝時の九時十分過ぎ、先程開店早々の店に突入して多大な迷惑をかけてきたところだ。

 それもこれもティアの所為なのだが。それは措いておこう。

 

 彼女は、とにかく地下から逃げ延びたらしい。

 アリアとも考えたが、その場所は本当に人口迷宮(クノッソス)で間違いなさそうだ。

 そして敵には【廃精霊(アラヴィティオ)】も存在している。彼女も戦闘実験で何度か戦わされたようで、その強さは身に染みているらしい。毎度のこと満身創痍だったと。

 敵勢は最低でも四十五人+一柱+八体。中には無駄な手練れも存在するそうだ。

 そして、敵は彼女の弱点を持っている。

 彼女はそれの所為で反撃もできず、されるがままだったそうだ。

 やっとのことで逃げられたのは、丁度昨日の実験で埋め込まれた精霊因子は、能力が偶々相性が良く、精霊の力の合わせ技で、何とか脱出できたかららしい。

 そしてその弱点というのが、純粋な彼女の精霊因子を封じ込めた、『神授破岩(しんじゅはがん)』という北西地域に稀に存在する岩の欠片だ。

 近づくだけで抗う力が無くなるらしい。反応の影響らしく、自分の力とは流石に反応できてしまうそうだ。

 一応彼女からは、それの奪取、最悪破壊を頼まれている。見た目はどういったものか知らないが、大体反応で気づくことが出来るだろう。

 

 他にも情報は山ほどある。普通ではあり得ない程長い時間浴室に籠っていたのは、それを全て余すことなく聞いていた所為だ。

 そろそろここを出ないと不味い。何が不味いかというと学区の子供がやって来る可能性があるのだ。

 ここは進入禁止を掛けている筈だから誰もここまで来ないだろうが、念には念をというやつだ。正直私は子供が苦手なのだから。

 だが、今はそれが憚られた。

 何故かって?

 

「――――で、唐突ですが、お腹空いてません?」

 

「そうでもないかな。さっきも言ったけど、わたしご飯そんなに食べないし」

 

 彼女は扱い上、始めは一日一食少量。少し扱いが良くなってからも、一日二食少量と言うさして変わらない量で生きていたそうだ。何故かと言えば単に食事の時間が与えられなかったから。

 彼女の強いられていた習慣は、気絶と言う名の睡眠と、目覚めてすぐの実験。その後の少量の朝食に、更に実験、そして生きた心地のしない戦闘と、その後の獣共からされる蹂躙の嵐。

 そしてまた気絶し、始めに戻る。 

 

 どうしようもなく最悪の毎日、死のうと思ったらしいが、やはり敵が甘くなくただひたすらに強制され、されるがままにするしかなかったそうだ。

 生物としてすら扱われず、ただ感情を持つ奴隷のように。  

   

「――――でも、少し食べたい、かも」

 

「――――そうですか。ならよし」

 

「え?」

 

 腰に手を当て、何故か許しを下す彼。その意味が理解できない彼女はただ首を傾げて思わず漏れる声を出しただけ。

 

「私が作りますから、一緒に朝食でもどうですか?」

 

「……いいの?」

 

「えぇ、私の料理は不味くはないはずですし、いくらでも作りますからじゃんじゃん言ってくださいね」

 

 それに驚いて目を見開き、僅かに光らす目。そこから縮こまったと思うと、突然跳び上がってばんざいを空中で行い、盛大に声も合わせて喜びを体現した。

 跳びはね回り、脱衣所を駆け回る彼女は、無邪気な幼子にしか見えない。

 しかし今は、それを軽視することなどできなかった。

 

――――たった一度の食事で、ここまで喜ぶのはそれだけのことがあった、何よりの証拠だから。

 

 部屋となっている脱衣所で、見えないはずの天と仰ぐ。

 そこはなんだか、暗い太陽が俯瞰しているように思えて、どことなく陰鬱になる。

 見えもしないし、そんなことはないだろうが、そう思った。

 

  

 嫌な痛みが、雷鳴のように身体(からだ)を揺らし続ける。

 

 じりじり、ごろごろ、びりびり。

 

 止めどなく響く不快感は、何が要因なのか、知りようもない。

 

 ただただ、嫌な予感のように、それが感じられるだけであった。 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。