やがて我が身は剣となる。   作:烏羽 黒

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  今回の一言
 漸く分かった、私が変態なんだ。

では、どうぞ


別れ、それは終わり

 僅かな光がほんわかと暗く包み込む通路、陰鬱な雰囲気の中漂うのは、紛れもない血臭と死体から発せられる異臭。

 人々に知られないひっそりとした『奇人の作品』は、再修復が不可能といえようか、それほどまでの破壊されよう。

 それも、殆どが唯一人の青年の手によって行われた。

 歯止めが利かなくなり、自分の胸中に秘めていた狂気を開け(さら)した狂人によって。

 いっそ清々しいまでに高笑いを浮かべ、転がるモノに(わら)いを向ける異常者によって。

 

 『奇人の作品』は圧倒的な強度を誇り、尚且つ複雑であった。

 なのに、青年は的確にナニカの居る部屋へたどり着いた。しかも、そのナニカに共通点を作らせて。

 

 青年が去るころには、そのナニカは同じものであるはずなのに、全くの別物へ変わっているようにしか思えないソレの数々へと変化していた。

 何ともまぁ不思議なことに、青年が通った場所すべてが同じ()()に包まれて。

 

 その青年の歩みは、とある部屋、人口迷宮三階層分程の部屋で停滞を得ていた。

 漸く止まった『虐殺者の遊び(キリング)』、だがやはり残る惨状。

 

 その中で、場に余る程の輝きを見せつけ、否応なく目を引き付ける石。彼はそれを手中に収め、じっくりと眺めていた。

 

「……あぁ、助かったみたいですね。危うく怪物になるところでしたよ」

 

 彼は独白に呟く。もう既に誰かが消えた部屋で、静かに消えゆく声。

 掲げていたその岩の欠片を降ろし、彼は部屋を見渡す。

 

「……これが、私の本能、かぁ……哀れだなぁ」

 

 自分への嘲りが、勝手に浮かぶ狂笑(きょうしょう)の合間を縫って現れる。ぽつん漏れた最後の言葉は、自分へか、将又目先のナニカか。

 

「ティアの所に、戻った方が良いですね」

 

 見限りを付け、惨たらしい部屋から、恐ろしいまでに落ち着いて無情に立ち去る。

 

 

 

 

―――――死ぬところだった。それは正直否めない。

 

 相手に後れを取って殺されることはありえない。私が言う死ぬはそもそもそう言ったことではない。

 精神が、心が、蝕まれていくのだ。本能に、欲望に、理性にですら。

 壊れてしまったらもう戻れなくなる。私がもう壊れているのは認めるしかない。

 だからよかった。途中で止まってくれたのは。止めてくれる切っ掛けがあったのは。

 精霊因子、それもティア()()の。六つあるうちの一つを私は手に執っていた。

 自然と、引き寄せられたそれを。

 そして正気と言っていいかは分からないが、元には戻れた。

 全身を苛んだ魔力の奔流と、荒れる吐き気や眩暈の相乗効果によって。

 

 助かったと言えよう、たとえ彼女に自覚が無かったとしても。

 因みに、残り五つの精霊因子は措いてきた。持って来ても意味が無いから、それにまた反応して気分が悪くなるのは嫌である。

 

 適当に道を進んで行く。点々と、ぽつぽつ見受けられる血痕を辿って。

 そして思い知らされる、自分の異常さ。

 ()ったまま残されたナニカ。あり得ない程粉々になっている通路。

 嫌々臭う死臭や、まっくろのナニカから発せられる焦げ臭い香り。

 経由する部屋部屋で一際強くなる最高の香り。素晴らしき匂い。

 鼻孔を微かにくすぐられただけで、興奮で脚が震え、碌に力が籠らなくなってしまう。

 

 可笑しい、完全にオカシイ。

 吸血鬼の時に感じた特異症状と酷似している。血を摂取しすぎて限界突破した興奮が、我慢できなくなった時のそれと。

 その時、新たに血を見つけると、脚から力が抜けることで腰が抜け、全身が興奮で火照って、苦しいくらいに愛おしく、血を求めそれでいて拒絶するのだ。

 でも、今は吸血鬼じゃない。そのはずなのに―――どうしてか、そうなる。

 

「はやハァハァく。かえぇりょう……はぁはぁみが、もた、にゃぃ……」

   

 段々と呂律すら回らなくなってきている。本格的に不味い。

 今は発散できる対象が無いのだ。あったとしても意地でも断固拒否だが。

 

 重く拙い、覚束なくて危なっかしい足取りで進まざるを得ない。これでも、進めていること自体が奇跡のようなものなのだ。

 体に力のこもらない拳で喝を入れ、頬を平手で思いっきり叩く。でも全く痛くない。

 

「はぁっ、はぁぁあっ。にゃばぃぃ……ほんとにぃ……」

 

 腰が抜けて、歩くことが出来なくなった。幸い、ティアが居ると思われる四階層まで何とか昇れた。それもちょっと強引な方法だったが、気にしていられる状態ではないのだ。

 匍匐(ほふく)前進で進むしかない。今力が最も入るのは腕なのだ。それでも快調時とは雲泥の差なのだが。

 必死に耐えるせいで出てしまう喘ぎ声、『誰得だよ』とそれを誤魔化そうと心中叫ぶも意味をなさず、ある種の苦しみは依然続く。

 だが、救いはあるはずだ。今も尚近づいて来る気配が正しければ。

 

「――――――シオン?」

 

「てぃあぁ……たす、たしゅけてぇ」

 

 もう形振りなど構っていられない。早くここから出ないと本気でヤバイ。

 より厳密にいえば、早く血の匂いが届かない場所に行かないと壊れる。

  

「え、え、え? な、なに? どうい……それ、わたしのっ、見つけたの⁉」

 

「しょんにゃことぉよりぃ、いしょいでぇ……」

 

 必死の懇願。情けないことこの上ないが、今は縋るしかない。

 

「え、あ、うん。で、でも、どうすれば……」

 

「外に出ればいい。分からないなら敵の住処(アジト)に居るのは愚策」

 

「そ、そうだね。じゃあい急ごうっ。多分これは本格的に不味い状況だからっ!」

 

「わかった」   

 

 彼女たちが何とか頑張って持ち上げてくれて、せっせと運んでくれた。

 以外に揃った足並みで、来た道を辿る形で帰還した。

 その時にはやはり、あの場所も通る訳で……

 

「ひゃぃぃいぃぃぃぃっっ!!」

 

 悲しきかな、絶頂へと至った後のことは、よく覚えていなかった。

 

 

 

   * * *

 

 むず痒さを覚え、体を()りながら瞼を開く。

 感じなかった感覚も自然と蘇り、何かが()し掛かっていることが判る、その数二。

 それは視界に入ることで確実となる、美しき銀髪と荒れる濁った赤髪。その持ち主たちには、うっすら寝息を立てて、心地よさそうに身を預けられていた。

 その二人を無情に引き剥がす事には何故か抵抗が起き、そのままで辺りを見回す。

 自然と諸手がその髪の毛を()き始めるが、身を貸してやっているのだからこれくらいのことは許して欲しい。意外と心地よいのだ、荒れていたとしても。

 

 目線を辺りへと巡らせる。

 照明による灯りが無く、二(そう)から茜色が射し込む部屋はおっとりとしている雰囲気を醸し出す。 

 一台中央に在るシングルの寝台。隅に備わるクローゼット、天井から垂れる照明器具。丸テーブルに丈をそれに合わせた椅子。

 配置に――――いや、配置にも見覚えがある。

 『アイギス』の一室、簡単にいうと寝室だ。 

 絶頂して気絶でもしたであろう私をここまで運んでくれたのだろう。良い判断だが、左手で弄る赤髪の持ち主が全裸なのだが、移動時はどうしたのだろうか。

 明らかに、そのままだろう。精霊は恥じらいと言う概念が薄れやすいのだろうか。

 

 それはさておき。

 

 痒い。とにかく痒い。

 頭皮や素肌、首の後ろや耳の周りが特に。

 髪も感覚から考えて、血で固まりカピカピだ。これ以上痛まないうちに早く洗いたいのだが、彼女たちがこのままでは無理がある。

 服も汚れて良いにお―――とても臭い。残らぬように洗い流したいとはやる気持ちもある。でもやっぱり障害となる彼女たち。

 

 

――――退()けようかな?

 

 

 身勝手ながら自分がやはり最優先。行動に移し寄り掛かっていた壁から背を離すと、掴まれる服。それも二組の諸手で。

 起きていると疑いたくなるが、呼吸法から筋肉や心臓の動き、確実に寝ている人のそれだ。

 私は一体彼女たちに何をしたと言うのだろうか。ティアは実質救いの手を差し伸べた相手のようなものだからまぁ何となくわかるが、アストラルに関して言えば、それほどでもないはずだ。深く肩入れしてはいないはずなのに。

   

「……ふぁぅあぁ~……どうかした?」

 

 と、そこで丁度よくアストラルが目を覚ます。片手を放して、欠伸で開く口を塞いだ後に、首を傾げて疑問を投げかけて来た。

 

「どうもこうも、起きたのなら早々に離れてください。私はお風呂に入りたいので」

 

「え、じゃあ私も入る。体洗いたいから」

 

「は? まぁ、別に良いですけど……」

 

 真顔で何も気にしていないかのように言ったが、よく異性と風呂に入ると言うことをまともに言えるものだ。普通は無理だと思うが、やはり彼女も普通では無いようだ。

 

「ティアは……一緒に入れますか、何時までも女の子が血に塗れているのも良くないですし」    

 

「わかった、運ぶ?」

 

「私が運びますよ。全然軽いですし」

 

 先程悔しがってたので、今度はティアを『お姫様抱っこ』で運ぶ。それで、何で貴女がそんな目を向けて来るのかな? アストラルさん?

 

「ふんっ、別に羨ましくなんて思ってない」

 

「あ、そうですか」

 

 といったものの、表情と言葉が一致していない。頬を膨らませ、服の裾をぎゅうっと掴まれている。あぁこれは、難儀なことに好かれたらしい。どうしたものやら。

 とりあえずそのままで脱衣所で向かう。彼女のことは後回しだ、いずれあちらの方から離れてくれるだろう。

 

 誰に見られることなく脱衣所へ着き、せっせと装備を外し、衣服を脱ぎ脱がせそこでティアが起きる。

 

「……シオンって、やっぱり男の子だね……」

 

「何処見て行ってんだおい。その目潰して再生させるぞ」

 

「あ、ごめん」

 

 割と本気に言ってしまった。凝視しながら舌なめずりされて、いい気分になる程変態では無いのだ。

 

「ティアが謝る事じゃない。見た目にそぐわず案外おっ――――」

 

「―――黙ろうか、ね?」

 

「「は、はい」」   

 

 少しおふざけが過ぎる二人に、ちょうど手に執っていた漆黒の刃を寸で止め、身長上の問題で斜めになるが首へとあてた。

 不味さを悟ったのか、正直に反省する二人。この刀は別に斬っても斬れない仕掛けがあるのだが、それを知らなければ殺意混じりの刃は死の気配でしかない。

 しかも二人は私が躊躇なく人を殺せることを知っている。というか、進んで殺しに行ってしまうレベルになっていることを今日気づいたのだが。

 それは置いといて。

 

 漸く落ち着いた二人を見て、納刀して浴室の戸を開ける。それに伴い彼女等も浴室へ入る。

 浴室は地味に広い浴槽と、仕切りで区切られたシャワーが五台ある。男女で分けられてはいないが、恐らく鍛錬場(ここ)を利用した人が使う目的で作られたのだろう。

 早々に、全身に湯を被る。凝固した血は剥すのが面倒と理解しているから、手間を掛けることは我慢するしかないが、髪を洗うのには心底苦労しそうだ。

 

「あ、そうですよティア。精霊因子はどうしたのですか?」

 

 と、することの無い口で、隣で同じく湯を被る彼女に問いかける。私が精霊因子を持ってきた記憶はあるが、その後どうなったかは知らない。

 

「元に、とはいかなかったけど、とりあえず戻せる限り元通りにした。これで私の弱点が一つ減って、めでたしめでたしとわたしは言いたいかな」

  

「それはよかった」

 

 と無感情に告げる。存外な自分の言葉に少しばかり驚くが、興味のあることはその後であって彼女の心情では無かったから、仕方のないことか。

 

「……あの、さ。聞いていい?」

 

「お、何です? アストラル」

 

 そこに沈黙を守っていた彼女、アストラルが入ってきた。大体今後どうするかなどの質問だろうが、早とちりのことも考えられるから、聞くに限る。

 

「私って、今どういう扱いを受けてることになってるのかってこと」

 

「ただ居るだけでしょう? 偶々、偶然。それだけです」

 

 真実である。私はティアはともかくアストラルまで養護する気などないのだ。本当はティアにも立ち去ってもらいたいのだが、無理そうだし。そこは諦めに近い状態だ。

 だが彼女は違う。

 

「……私は、邪魔?」

 

「人は、都合の悪いもの全てが邪魔であると感じ、都合の良いもの全てを肯定的になる。簡単なことです、貴女は私に利益を(もたら)しませんから、端的に言って邪魔ですね」

 

 残酷なまでに事実を告げる。彼女は今後もお荷物にしかならないだろうから。

 彼女はティアと違い、何とかすれば働けなくもないし、【ファミリア】の所属もできなくはないだろう。外見が外見だ、全てはそうなってしまうのだ。

 

「ちょ、ちょっとシオン⁉ それは言い過ぎじゃ……」

 

「ティア、貴女がアストラルに同情心か何かしらの思いで気を寄せるのは仕方のないことです。ですが、私は違う。全ては自分の為、原点回帰して必ずそうなる。私の行動は私の為であって、一他人の為ではない。彼女が今後どうするか、それは彼女が決めること。そして、私は聞かれたことを答えただけ、言いすぎも何もありません」

 

 無情と言われようがどうでも良い、他人からの評価など気にするに値しない。

 風評被害だって、もうどうでも良くなった。気にすることでもないと気づいたのだ。

 

「……じゃあ、私とは今日でお別れ」

 

「それが貴女の選択、それでいいですね?」

 

「…………ぃ――――――うん」

 

 何処か、後悔と言うか、悲しさと言うか、現し難い苦し気な感情がそこに見え隠れした。水音にかき消されて、聞こえなかった言葉もあったが、大事な意志は確認できた。

 

「でも、一つだけお願い」

 

「なんです?」

 

 話しながら洗っていた髪に付いた泡を流し、そのお願いとやらは聞くだけ聞こうと思い問い返した。

 水音は不思議なことに止み、逃すことを許されないかのように静まり返る。音を、響かせるためのように。

 

「―――――――」

 

「―――――少しだけ、なにもしないで……」

 

 やけに静かに彼女は私に身を倒した。隔たりのない場所へ態々移動して。

 反射的に抱き寄せるかのように彼女を支えると、彼女はその状態で腕を背へ回し、言ったのだ。

 とてもやわらかな胸部が潰すかのように押し付けられ、先端の硬い感触が諸で伝わり、微妙に動いてくすぐったい。

 顔を私の胸へ押し付け、見下ろす形となる所為で、髪に隠れる彼女の顔は見受けられない。 

 脚を脚に絡めさせ、壁まで押しやられた。抵抗するのも面倒で、されるがままに。

 

「……全然、興奮しないね」

 

「面白いことに、私は性欲が欠落しているのでね」

 

「じゃあ、こうしても問題ないはず」

 

「ちょ」

 

 彼女は股を開いて、私の脚へ絡んできた。少し背伸びして、どうしてか当てようと奮闘している。

 果てには手が伸ばされた。だが、それは流石に払う。

 

「……触るくらい、いいでしょ」

 

「ダメです」

 

 上目使いでそう言うが、可愛らしくとも心動かされるわけでは無い。

 既に決まっているから、勝手な押しつけかもしれないけど。

 

「アストラルゥ? 今まで黙ってみてたけど、それは羨ま――――いろいろ問題があるからやめて。それと、シオンは自分を大切にしない人間が嫌いみたいだよ」

 

 そこにティアが隣から顔を出して介入してきた。

 途中に問題すれすれの発言をしているが、目を逸らすことが最適だ。嫌なことには目を背けろ、これ大事。

 心底残念そうにするアストラルは、また髪で表情を隠し、考え込むように黙りこくった。

 

「……そっか、じゃあ、これだけ」

 

 そして、突然彼女は私の手を掴み、自分の下へ誘導し始めた。

 ぐちょ、と音が鳴る。ぬるっとした感触が指先から伝わり、更に手を動かされソレを掻きまわすかのように指が動いた。

 

「ひゃぁっ、はぁっ、ひゃぃ、凄い……嫌じゃなきゃ、こんなに、気持ちいんだ……」

 

「―――――」

 

 それに、押し黙ってしまう。

 まさかの行為だった。抵抗は簡単だろうが、逆に下手を打つと酷くなりそう。

 それにギリギリだ。私が何か損害を被る訳でも無ければ、利益も無い。つまり無意味。肯定も否定も、その行動に対する是非は言い難いものだった。    

 そして指先の生温かな感触はぬちょっ、という音で緩んだが、まだ熱は仄かに指へと留まっている。

 その私の指、彼女はそれを私の口元へ運ぶと、 

 

「舐めて、もらえる?」

 

「は?」

 

 あほなことを言いだした彼女に、思わず声を出してあっけにとられた。

 それが、小さな隙となる。口元まで既に移動していた指は、数C動かすだけでいいのだから、一瞬も要さない。よって、入ってしまった口の中。

 必然的に指は舌にも触れ、生温かな熱と、ねっとりした舌触り、数々の情報が伝わってくる、あと、不味い。

 

「……この味、憶えておいて。これが私、私と言う存在が君と関りのある証拠。他が無くてもこれだけはある。いい?」

 

「よくないですよ……」

 

 最悪だ、正直言えば。

 いらぬことを憶えてしまったし、どうせ私は何も忘れられない。

 自己主張が大胆過ぎやしないだろうか、こうでもしないと記憶に残らないと思っているのなら、大間違いである。

 決定的な決別が欲しいものだが……

 

「あ、そうです。け・つ・べ・つ・の、証としてある物を上げましょう」

 

「決別の証なら受け取りたくない」

 

「うるさい、受け取れ。そして少し待ってろ」

 

 浴室を出て、脱衣場に置いてある刀を執る。

 抜き放ってから、()()()()呪いを回し、それを手首に集中させる。

 普通なら絶対にしないであろう行為、近くに試験管を用意して手首の血管を斬った。

 血があふれ、僅かに痛みを感じる。だがそれは捨て置き、溢れた血は試験管へと流し込み、半分より少し多く溜まると傷が塞がり血が止まった。

 どうなるかは知らないが、試してみる程度で渡しておこう。

 

――――決して、傷ついた彼女の為を思ったわけでは無い。

 

 試験管を彼女に手渡し、飲むように催促する。

 それは明らかに血で、流石に渋る様子を一瞬見せるかと思ったが、何の躊躇(ちゅうちょ)すらなく一気飲みした。 

 

「―――ゲホッ、ガハァ……美味しくない……」

 

 普通なら当たり前のことを口にして、(むせ)ながらも。

 

「ひゃぅっ⁉――――な、なにが、どうにゃぁっ⁉」

 

 そして突然異変が見受けられる様になり、彼女が大きく揺れ動く。

 興奮でか、真っ赤に顔を染めて、口から唾液と血を滴らせ、諸手で二の腕を掴み荒く呼吸を繰り返す。

 ついには足から落ち崩れ、壁に凭れる形となった。

 

「や、やばぃっ、お、お願いっ、見な―――――」

 

 彼女は言い切る前に、変化を生んだ。

 音が乏しい浴室に、ちょろちょろと音が鳴る。

 

「やめてぇえぇっ!! みないででぇぇっ!!」

 

 嘆く彼女が憐れで仕方ない。その姿は恥ずかしめとしては彼女が体験したことの無い類のものだろう。

 だが、それは副次的なことであり、何故かなる事だ。

 

 彼女の体には変化が生まれていた。傷ついていた身体がたちまち癒えていく。肌は艶が戻り、痣などの外傷内傷共に消え、髪の毛の一本一本すら輝くようになった。

 

「これでよし」

 

「何がっ⁉ 私を辱めること⁉」

 

「違う、恥ずかしめるだ。どっちにしろ違いますが。それと、自分の傷が消えたことに気づけ」

 

「え、そん―――――え?」

 

 彼女は自分の身体を見て、心底驚いている様子だった。仕方のないことであるが。

 

「さて、後はご自由に、私はなんにも知りませーん」

 

 小刻みに体を震わせる彼女を措いて、背を向けると、さっさと浴槽に浸かる。

 人五人入っても問題ない広さの湯船は、ぷかぷかと私の身体を浮かした。

 髪が水に浸かるのはよろしくないのだが、何となくそうしてしまう気分。

 疲労回復が主だった効果の入浴剤を十分に入れてあるため、抽出されるかのように抜けていく疲れ。だが、妙にわだかまる心の靄を引き連れてはくれなかった。

  

「……じゃあね、シオン。私を助けてくれて、ありがと」

 

 ふと、お礼の言葉が密やかに投げかけられ、脱衣所へ繋がるドアが音を立てて閉まる。

 だが数瞬後、そのドアがまた開けられ、あっけらかんと告げる一言が響いた。

 

「――――シオンの服もらってくから」 

 

「は?」

 

 浮いたまま思わず声を出してしまっが、その時既に遅し。

 気配はもう脱衣所を出ていた。元々彼女は持ち物などなかったのだから、私の衣服を盗るだけで十分だったのだろう。

 私自身の帰りが心配になるが、もう夜の(とばり)は下ろされている頃だ。最悪全裸でホームまで駆け込めばよい。

 

「……シオンの服を着るなんて、羨ましい……しかも洗われてない汗と血に(まみ)れた……ずるい」

 

「何を言ってるんだか」

 

 もう気にしないことにしよう。それに、彼女と会うことなどもうないはずだ。そう願いたい。

 彼女からの命令も地上への帰還の時点で完遂している。余計に構うのは本来筋違いだ。

 

「ねぇシオン、じゃあ私は?」

 

 興味ありげに、意味深な笑みを浮かべてそう聞いてきた。

 浮いている私を見下ろす形で立っている所為で、ぽつん、ぽつんと銀髪から滴る水が顔に落ちる。そんな彼女に存外に告げる。

 

「自由にしろ。正直どうでもいいですから」

 

「ひどいっ⁉ でもならずっとシオンに付いてくからね」

 

 案外めげることの無かった彼女。ニコニコと相変わらず笑みを浮かべている姿は、どことなく愛らしい。だが、小動物の様に拒絶に対する怯えが潜まる瞳がそんな愛らしさよりも私の隠れた本能を刺激する。

 努めて耐え凌ぐが。

 

 ティアはそう言うと私の隣に浮かび上がり、同じく流れに身を任せる。

 といっても、流れの無い浴槽では、その場で浮かび暮れることしかない。

 

「……ねぇ、前から気になってたこと聞いていい?」

 

「なんですかぁ?」

 

 気怠気(けだるげ)に、突如落ち着いた空間に割り込んだ声へ答えた。

 

「シオンって、なんで左眼隠してるの?」

 

「といいますと?」

 

「さっきまで眼帯つけてたから怪我でもしたのかなって思ってたけど、全然違う。実際シオンの左目に怪我なんて見えない。だけどさ、ずっと瞑って隠してるよね。わざわざ」

 

 確かに、その通りだ。

 今私は眼帯を着けていない。だが、隻眼の状態だ。

 単に左目を閉ざしているだけなのだが、何故かと聞かれても、癖、としか言いようがない。

 そこに理由を見出すとすれば、気づいたら閉じてるといえようか。

 

「なんで隠すの?」

 

「……癖なんですよねぇ。いつも眼帯つけてますから、いきなり外して視界を確保すると遠近感が狂いますし、自然と閉じてしまっているのです。殆ど無意識ですから」

 

「ふぅ~ん。じゃあさ、何で眼帯つけてるの?」

 

「そこにはいろいろ事情があるのですよ。簡単には教えませんけど」

 

 嘘は一つたりとも吐いていない。本当のことから避けさせてるだけ。

 左の金眼はそう簡単に見せようとは思わない。これは(キズナ)だから。

 といっても、無形で不可視の、勝手に決めつける(キズナ)でしかないが。  

  

「さて、私たちもさっさと上がりましょうか」

 

「はぁ~い」

 

 どうでもいい余談が過ぎ、すぐに立ち去る浴室。

 さっと体を流してから、脱衣所へ戻り二人とも髪を風で乾かしながら、私は自分の服を確認した。

 

 漆黒の長衣外套(フーデット・ロングコート)は消え、その下に着ていたシャツが消えている。

 これだけ持ち去られたのか。この程度ならなんら問題ない。

 ただ心配は、あれは血だらけだから彼女の身元が危ぶま―――――

 

 

―――なんでそんなこと考えてんだ。

 

 忘れろ、見限るんだ。  

 どうせもう消えた関りだ、気にするだけ無駄なのだ。

 

 

 そう心に言い聞かせる、だけどやっぱり無くならないわだかまり。  

 

 直ぐに消えてくれることを願いながら、ひっそり私に手を伸ばすティアに、一発拳の喝を入れた。

 

 ごつんっ、という音のあと続く理不尽な怒りは、意図せずともその感傷を薄れされる。

 

 

 

 

 

 




 分からなら態々調べなくていいんだよ?
 それはそれで、純粋な心を持っていていいと思うから。
 ちょっと頭のネジが緩んだ私と違って。
 

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