さてさて。そんなこんなで始業式から1週間が経った。
これから俺が一年間通う一年C組の教室内はあれから席替えや班決めなどのイベントを達成し終え、初日のころと少しだけ違う光景で本格的に授業に臨むこととなる。まっ、廊下側の前の席から窓辺側の後ろに変わったってだけなんだけどね。
なにせ『
そう考えると、先生に気付かれにくいだけでなくいざとなったら惰眠を貪るのに適した窓側の一番後ろの席なんてのは俺にとって最高のポジションだ。最高のポジションのはず……なのに。
「えー、では、ここのところを次の人にやってもらおうかな~。えーと……」
切り揃えられたショートボブを揺らし、合法ロりと名高い一年C組の担任にして国語教諭の
「おい。おい起きろ見吉、次当てられるぞー。起きろー見吉ー」
「……ふにゃ?」
俺の前の席で堂々と居眠りを決め込む少女、見吉の背中を突き起こした。
「はい、では
「十二ページだ。五行目から」
「……えーっと」
そうして、たどたどしくも無事最後まで読み終わり、見吉は事なきを得た。
◇
キンコンカンコーンで昼休み。
苦痛な授業を終えた俺は一度伸びをし、カバンから母さんお手製弁当とコンビニで買ったイチゴミルクを取り出す。それらを広げていると隣から誰かが勢いよく机をぶつけてくるので咄嗟に弁当を守り、眉を
癖毛のショートにサイドテール。自由奔放さを兼ね備えた愛らしい目。そして俺に対し図々しくも無遠慮なことをしでかしたにも拘らず小生意気な態度を取る饒舌多弁の幼馴染、
「お前学食じゃねぇの? いつも塩ラーメン一択だったろうに」
「今日はパンだよ~。いや~、たまには良いかな~って思いまして~」
「あぁ。ダイエッ」
「しーちゃん」
「また太っ」
「しーちゃん」
「わかったよ。わかったから脇腹殴るのやめてもらえませんか凄く痛いので」
「べーっだ」
俺の返しが不服だったのか舌を出し小馬鹿にしてくる。
コイツ他の奴にはひょうきんな態度を取るくせに、俺には容赦ないんだから……。
「しかーし! ダイエット戦士であるミチル=サンは、こんなことでは負けないのである! 日々努力あるのみ!」
「相変わらずポジティブだなぁお前は。ドーモ。ミチル=サン。シオンです」
「ドーモ。シオン=サン。ミチルです」
「オデブ! インガオホー!」
「オタッシャデー!」
「ちょっといいかな?」
「「アイエエエ!?」」
「わっ! ビックリした」
いつものように美知留とふざけていると、明るいロングの茶髪をなびかせた見吉から声が掛かる。あまりにも唐突なことだったので、二人して忍者語で対応してしまった。
「おっとー、驚かせちゃったかな? ごめんね~奈央~」
「ううん、大丈夫だよ~」
ふむ。
どうやら見吉は、美知留が下の名前で呼ぶくらいには気に入っている相手、ということか。
「すまんな見吉。んでなんか用か?」
「あっ、うん。私も一緒して良いかな……?」
そう言いながら見吉は照れくさそうにお弁当を持ち上げ、小首を傾げる。世が世だったら今の微笑みで世界が破滅するだろう可愛さの爆弾に、俺なんかが言えることはただ一つ。
「喜んで!」
「わーい、ありがとう~」
「奈央もお弁当なんだね~。いや~こりゃ~両手に花ですなぁ志恩殿?」
「あっ、お前は離れて、どうぞ」
「ちょっと!」
「あはは」
そんな感じでいつもの食卓に見吉を迎え入れ、教室の一画を陣取り俺たちは他愛のない雑談を繰り広げた。
俺も美知留も見吉とは高校に上がってからの付き合いだ。いや、付き合い自体は長い。というのも、見吉も俺たちと一緒で内部進学のエスカレーターだったのだが、小学や中学のときに存在自体は知っていたものの関りを一切持っていなかった。そのため自己紹介をし合ったときはほとんど初対面に近いという面白おかしいことになっている。俺がそう思っているのと同じように向こうもそう思っているに違いない。
しかしこれもなんともおかしなことで、かくして高校に進学し、同じクラスになり、席替えをし、前の席に陣取った見吉に俺が取ったファーストコンタクトは自己紹介ではなく『起こす』ことだった。なにせこの女、今のところすべての教科で居眠りをかましている。後ろの席にいる俺としては先生に睨まれるんじゃないかとヒヤヒヤものだ。ほっといたらほっといたで俺が問題解きに差されてしまうし、しまいには先生たちに『起こしてあげてね』なんてなぜか俺に申し上げてくる。
しかも本当に謎なのだが、見吉は俺が起こさないと起きないらしい。というよりも見吉が起きるであろうタイミングが掴めるのが俺だけらしく、この前の移動教室の際クラスの誰がやってもこの眠り姫が目覚めることはなかったようで。
そうしてクラスのみんなから不名誉にも与えられた俺の役職は『見吉係』。コイツの所為で移動教室の際にもわざわざ起こしに行かなきゃならなくなった俺を、みんなもっと褒めてもいいと思うんだが。
まっ、時々ブラのラインが見えたりして良いこともあるんだけどね。役得役得。
「そうそう。有坂くん、さっきはありがとう~。助かったよ~」
「あー。まぁ、いつもは困るけどたまにだったら起こしてやるよ」
「ホントに? だとすると安心して寝られるよ~」
「あの、寝ない努力をしてもらえません?」
「まぁまぁ。頑張ってね、『見吉係』くん」
「お前が言うなや」
独創的な前髪を持つ少女が全幅の信頼を置くかのように微笑んでくる。
これ、本人のためになるんだろうか……?
「あれ? 奈央お昼ご飯それだけ?」
前期のキャラの衣装について熱弁していた美知留が声を掛けてきた。ちなみに、熱弁内容は誰も聞いちゃいない。
「うん。食べ過ぎちゃうと太っちゃうから。それに眠くなっちゃうし」
「わかるよ~わかる。太っちゃうよね~」
「ダイエ」
「しーちゃん」
「痛いですよ、脇腹が、痛いですよ、痛いからやめて!」
「いやでもね~。色々と気を遣うんだよ~」
「奈央はお腹回り細いから大丈夫だよ~。それにね、脂肪って案外おっぱいの方に行くから!」
ごっふぅ、とイチゴミルクをぶちまけた奴がいるな?
鼻にも通って痛い思いをしてる奴がいるな?
僕なんですけどもね。
「だ、大丈夫?」の声が正面から聞こえてくるが正直大丈夫じゃない。でも心配してくれてありがとうな見吉。返事はできないが気持ちは確かに受け取った。
ひとしきり咳き込み落ち着いてから一言。
「おい馬鹿美知留」
「あ、今馬鹿って言った!? 馬鹿って言ったでしょう!」
「うるさいこの馬鹿お前なんて馬鹿で十分だ」
「むっかー!」
「あのな、いきなり
「おっぱいは
「そうきたか……。わかった、エロい話はやめろ。ここは公共の場だぞ」
「別にエロい話じゃないですけど~。そういう風に思ってるからエロく聞こえるんだって。ねー奈央ぉ」
「う~~~ん?」
考える見吉の煮え切らない態度。このままじゃ美知留が便乗してきてうるさくなるので釘を刺すことにする。
「いいか? おっぱいってのは俺たち童貞オタク男子にとっては夢なんだよ。希望なんだよ。そう気安く口にして良いものじゃないんだよ! そうその想いはまさに無限大。その無限大な夢のあとのなにもない世の中に、一体なにが残ってると思ってるんだ」
「愛しい想いも負けそうになるの?」
「おうよ」
「しーちゃん……」
「おいやめろ引くんじゃない。もとはといえばお前からフってきた話だろうが!」
「いや~おっぱいトークがしたいのかなと思ってね」
「なんでだよ、なんでそうなるんだよ! なんで男の俺が育ってもいない自身のおっぱいの話なんてしなきゃならないんだよ! あれか? 乳輪が綺麗なピンクですとでも言えばいいのか?」
「しーちゃん……」
「おいやめろドン引くんじゃない。もとはといえばお前が無茶ブリしてきたんだろうが!」
あーだこーだの文句の応酬。もちろんこれは本当に怒っているわけじゃなく、俺たちのいつもの悪ふざけだ。内輪ノリなので大体の奴らは戸惑うのだが、ついて来れる奴だけついて来い、がスタンスの俺たちは第三者が困っているのも気にせずオタクトークを発揮してしまうのである。
ごめんねオタクってそういうものなのホント許して。
「うふふ」
楽しそうな笑い声。
声の方を見ると見吉が口を隠して肩を震わせていた。その顔はいつもボーっと過ごしている見吉には珍しく、俺たちもつい顔を見合わせ笑う。しばらくすると笑いが収まり、今度はなんとなく困ったように眉を八の字にして笑う見吉に「どうした見吉」と代表して俺が尋ねる。
「楽しそうだな~って思って。二人は幼馴染なんだよね? そういうお友達がいるのって良いな~って思って」
明快に伝えてくる声とは裏腹に、見吉の顔には少しだけ寂しそうな影がチラついていた。
そういえばと思い返す。見吉は休み時間には寝てるかトイレに行ってるかのどっちかだ。コイツの過去だのプライベートだのは知らないし、どういう経緯でそうなったかも知らないので理解しようがないが、おそらく話す相手が少ないのだろう、事実そういうふうに話している相手を今のところ見たことがない。
なんと声を掛ければいいのやら……。
頭をかいて悩んでいると、チャームポイントのサイドテールを揺らしながら見吉の手を掴んで美知留が言う。
「奈央もとっくにあたしと友達だもんね~! いや~、こんな美少女とお近づきになれるだなんて、美知留ちゃん女冥利に尽きるわ~」
「……えっ?」
「それに~。このクラスで誰よりも早く奈央と友達になれたんだから、あたしってば超ラッキーだよね!」
「……うん、そうだよね。戸村さんとも友達になれたし、良いことだっていっぱいあるもんね」
「そうそう! 目指せトモダチマスター! トモダチ王に俺はなる!」
「なにそれ? あはは」
重くなりそうな空気をあたかも最初からなかったかのように美知留が吹き飛ばし、少女たちは旧来のともの如く楽しげに笑い合っていた。俺の口から「ハハッ」っと乾いた笑い声が漏れる。
まったく。この超絶ポジティブ幼馴染は。
こういうときコイツがいると本当に助かる。女の子の慰め方なんてオタクで童貞の俺にはデリケート過ぎて取り扱えないからな。
片肘を立て頭を乗せ眺めていると、ふと見吉と視線が重なる。怯えとも取れる小さな声で、
「有坂くんも友達なのかな……?」
そう訊いてきた。
さてなんて答えるべきか。これなら俺でも悩まずに返答できる。つまりこうだろ?
「おう、俺で良ければ」
「うん! 嬉しいな~」
綺麗な花が咲く。
その美知留もこの状況に満足したのだろう。見吉の肩に手を置き、笑いながらこう締めくくるのである。
「やったね奈央ちゃん! 友達が増えるよ!」
「おい馬鹿やめろ! 台無しだろうが!」
奈央チャン、カワイイヤッター!