青々とした、とまではいかない草原と、比較的背の低い樹木。赤みの強い空、僅かに紫がかった灰色の雲。ついでにぶっ刺さったカーゴベイ。私たちが落ちたのはそんな場所だった。
「いったあああ……ユキぃ、だいじょーぶぅ?」
「だいじょばないぃ……」
設計図を見たときから思ってたことだけど、この脱出艇、どう考えても耐G加工が弱い。可能な限り小さくするのがコンセプトだった以上仕方ないとは言え、大気圏突入なんて大層なことをやってのける船なんだから、もうちょっとどうにかしろって話。
まあ今は愚痴っている場合じゃない。愚痴を聞かせたい相手は空の果ても果て。届くはずのない文句は後回しだ。
「計器チェック。気圧890hpa。気温24℃。湿度40%。重力0.8G。大気分析。酸素濃度22.77%、窒素濃度76.98%。詳細計測。二酸化炭素濃度、規定値未満。視認可能範囲内に水源確認。居住可能」
「着陸時の衝撃による損傷、軽微。全体オールグリーン。反応炉起動」
「エネルギーブラスター、エネルギー充填率100%。携行装備に指定。付近の動体探査開始。コンプリート。敵性生物反応なし。小型動物反応多数。ラーニングポッドによる自動観測開始」
「反応炉出力70%。以降これを規定値として継続運転。プラントポッド動作開始。炭素その他の不足を確認。ラーニングポッドとのデータリンク構築。付近から捕獲及び利用に適した対象を探索」
「探索開始。コンプリート……ってうわ!この星こわっ!」
「あー!ちょっとナツ姉!せっかく格好良くやってたのにー!」
バシュン、と音を立てて開いた扉から顔を出し、ぷくっと頬を膨らませてやった。
「いやいやいやいや!ちょっとこれ見てよ……怖くない?ねえこれ怖くない!?」
ナツ姉も同じようにして、こっちに画面を向けてくる。着陸と言うにはなかなかアグレッシブな体勢で交わす会話。けっこう楽しいかもしれない。
「むー……探査結果、食肉性植物から高濃度の炭素を確認……こわっ!ちっこいけどこわっ!」
「でしょ!?ところで息苦しいのはどーして?」
「そりゃあまあ、890hpaじゃ苦しいと思うよっ!と」
どうやら底面の一部が地面に抉り込んだらしいポッドから抜け出す。長い宇宙生活の上、コールドスリープから目覚めたばかりの体は、0.8Gという重力下に悲鳴を上げている。やはり人工重力だけじゃどうにもならないらしい。
ともかくも、一応動けないほどではないにしろ、しばらくは筋力を付けることに尽力するしかなさそうだ。ナツ姉みたいに元々筋力があれば別だったんだろうけど。
「だいじょぶ?」
「だいじょばない。とも言ってられない?」
「んー、まあ、寝床がないしね。カーゴもいくつ無事だか分かったもんじゃない」
「それもそっか……んしょっ」
「うーわ無茶苦茶年寄りっぽい」
「ほっとけー!」
丸みを帯びた円錐型で、着陸のことまで考えられている脱出艇。なかなか無理のある反転とサスペンションでも、何やかんや生きて降りられる。
ところがカーゴベイはもっと雑なコンテナ型で、そもそも緊急脱出で降ろす代物でもないから、そこら中でぶっ刺さるわ弾けるわひしゃげるわのオンパレード。本来は正常に着陸した移民船からカーキャリアで運び出すわけで、ある意味順当な結果だったりする。
私とナツ姉は手分けして大量のカーゴを確認し、その大半で肩を落とした。予想通り、使い物になりません。ってこと。
「無事なのは、と。6番でしょ?17番でしょ?あとあった?」
「中身のいくつかってレベルだけど、2、9、14、20番。他は全滅」
「ですよねー」
「武器コン生きてただけマシかあ」
「そりゃあ、あれだけ馬鹿みたいに堅いもん。ナツ姉の頭みたい」
「ですよねー。ってこら!」
「あはは!やーい石頭ー」
ちなみに、1番から10番までが食料。11番から15番が燃料の類で、16と17番は武器や道具。18番から25番は簡易住居になっていた。ある意味最高の残り方をしてくれたことになる。使えそうなものを持ってきただけでそれなりにはなったし。
「まあとりあえず、しばらくは20番で寝よっか」
「何部屋大丈夫だった?」
「一部屋だけ。ベッド一個」
「あちゃー」
お互い18にもなって同じ布団で、というのも少し考え物。別に抵抗があるわけじゃなくても、まあ、ねえ?って感じ。
とは言いつつ、一つしかないならそれを使うしかない。抵抗はないんだから問題もない。あ、いや、ナツ姉の寝相は大問題だけど。蹴っ飛ばされたらどうしようか。
……それはそれで、少し嬉しい気もする。少なくともその瞬間はお互い生きていると分かるから。
「食料は……」
「二人じゃ二ヶ月くらいかな。緊急用って考える方がいいと思う」
一人が四十年食いつなぐことが出来る程度。それが、移民船「天橋立」に積み込まれていた食料の総量だ。ナツ姉が今回で二度目の管理者だったことを考えれば、残りなんてほとんどないに決まっている。
一年交代で回ってくる孤独の仕事。それが管理者だ。確か私は、最後の四十年目も任されていたと思う。くじ引きで地獄を引く、なんて、ずいぶん間抜けな話だった。
せっかくだから最期の日は起こしてよ。打ち上げの日、ナツ姉に言われていた。
だから、もう一度しか会えないのかもしれない。ただ一度会うために私は、一緒に死んで、と言わなければいけないのかもしれない。そう思っていたナツ姉とこうして過ごしている。今はそれが無性に嬉しい。
「やっぱりプラント頼みかあ。要求量はっと……一食につき一……匹?本?どっち?」
「さ、さあ?一応植物系なら本?」
「よっし!分からん!採ろう!」
「おー!」
ラーニングポッドは、データベースと各種探査装置の塊になっている。降り立った付近の地形や気候、生態系などなど。そういうものを探ると同時に、その場で必要となる知識を自動算出し、三通りの方法で教えてくれる。
一つは授業形式。合成音声とモニターからの画像で、ごく単純な勉学の一環として提示する形。
次に記憶野書き込み方式。ダイレクトライティングとも呼ばれるそれは、要するに脳味噌の空き領域に直接突っ込むもの。確実に覚えられるけど、そもそも知識としての定着でないことからまともに応用が利かないなど問題が山積み。一応、脳味噌への影響はないらしい。
最後はスーツにコピーする、って方法。私達が着ているスーツには音声ガイドの機能があって、時間が取れないときはこれを使うのが一番いい。他の二つと違って覚えるわけじゃないから、使い勝手は悪いんだけど。
ちなみにこのスーツ、他に体温維持とか即乾とか液体濾過とか耐熱耐寒とか防水防塵とかの機能がある。ただし宇宙空間での活動には使えない。
「む。案外堅い」
「ちょっと待って。えーっと、ね。茎の大部分が炭化して、軽量化と耐荷重の強化をしてるって。プラントは茎をご所望」
「ほほー……よっこいせ!」
もう一つの脱出艇、プラントポッドが指定した植物は、地球でハエトリソウと呼ばれていた食虫植物と酷似しているらしい。もちろん私もナツ姉もハエトリソウなんて見たことないし、知識で知っていたわけでもない。たった今ラーニングポッドから教わったことだ。
採り方、と言うか抜き方は、単純に茎を掴んで引っ張る。根っこと葉っぱを可能な限り死細胞で繋ぎ支えるために炭化している茎は、そう簡単に折れないどころか縦に割れつつすっぽり抜ける。外圧には強くとも内側からにはすこぶる弱いから、頂点部にある捕食部位に引き裂かれるみたい。
「二本確保っと」
「えっちょっ!早っ1」
「ふっふっふ。ユキと違ってパワフルなのだ」
「ついでに体重も2キロ増し」
「なあっ!?う、ウェストはそっちのが太いくせに!」
「うるさーい!2キロでお姫様抱っこは消えるんだぞ!」
なんて言い合いしていたら、下の方からぐううううう、とか妙な音が聞こえてきた。この未開の地でステレオ音源とは恐れ入る。
「ご飯、食べよっか」
「うん」
プラントポッドは、大気もしくは投入された材料から人間の生存に必要な栄養素を生成し、それを押し固めてバータイプの行動食を作る、結構ぶっ飛んだ機械。要するに栄養剤の発展形のようなもので、味に期待してはいけない。
パサパサした触感、無味無臭、量だけ一丁前。
そんなものを年頃の女の子が食べているのだから、贅沢は言えないにしたってこんな感想が飛び出るのは致し方ないことだと思う。
「まっず!」
「何これご飯じゃないでしょ!飼料でしょ!エサでしょ!家畜か!」
「ナツ姉それ以上言わないで!惨めになる!」
こんな機械が今……いいや、今となっては云十年前になるけど、地球の食事情を支えていた。きっと云十年経った今でも支えている。
移民と聞けば聞こえの良い私達は、つまるところが食糧不足からの間引き対象だった。プラントをいくら造成したところでリソースに限りがあるのは当然のことで、分子構造をいじることが出来ても原子構造は無理なんだから、体内に入っても危険のない食料、を作るには相応の量的制限がくっついていた。
そう考えてしまうと、何だかこう、飼料とかエサという言い方はどこかでぴったり合い、どうしようもなく惨めになる。
「惨めに、なるからさ」
我ながら情けない声だった。こんな環境に、姉妹二人。どちらが音を上げても簡単に崩れてしまう。
ナツ姉は……まあ、肉体派だからあまり考えていないかもしれないけど、私はずっとインドア派で、勉強が好きな質だったから、そういう心理学紛いのことだって少しは分かる。ちょっと苦しいと思っても口に出さない。お互いがお互いを気遣い多少のことは堪え忍ぶ。相手も同じ状況なんだと割り切る。自分だけが辛いんじゃないと理解する。必要なのはそういうこと。
分かっている。分かっているんだ。分かっているから苦しいってことも、やっぱり分かってる。
普段より軽口が多かったのも結局はそういうことなんだ。ナツ姉だって、表に出さないだけで苦しいに決まっている。どちらかだけが耐える状況は避けなければいけない。私も耐えなければいけないのに、どうしようもなく惨めだと思ってしまったのだ。
体が宙に浮く感触を味わいながら、私は出来るだけ小さくなっていた。
「まったく。この頭でっかちめ」
「……うるさい。この筋肉め」
「力持ちと言いなさーい」
「じゃあ私も頭脳派」
「了解です。参謀殿」
こういう時、彼女は無駄に格好良いから困る。どうしてこう頼りがいってものを持ち合わせているのか。
「でもほんと、頭脳派がいて助かるよ」
「どしたの急に」
「ユキのこと助けられてよかったって話。どうよ。さっすがお姉ちゃん!くらい言っても良いんだよ?」
「わーさすがお姉ちゃんだなー憧れちゃうなー」
「むっ。馬鹿にしてるな?このこの」
「待っ!この体勢でそれ反則っきゃはは!」
お姫様抱っこしたままくすぐるとかいう器用な芸当を成し遂げつつ、ナツ姉の足は道具の仮置き場に向かっていた。ちょうど水タンクの方向。肉体はのくせに、あるいはだからこそか、直近で必要なものは分かっているらしい。
すなわち水の確保。ホースはあってもポンプが壊れていたため、サイホン式か水圧で突っ込むか、もっと原始的にバケツで汲むしかない。どれも水源の近く限定で、かつ力仕事。私じゃとてもじゃないけど上手く出来ない。
「私も、ナツ姉がいてくれて、嬉しい」
落ちないようにとしがみついた体はスーツに覆われており、温かいとかナツ姉の匂いがするとかってことは事象として存在しない。首から上が出ているとは言え、顔の前にあるのは僅かに光沢のある生地のみだ。保温性に長けたそれは彼女の体温を余さず封じ込めていたし、私の方から伝わっていることもないだろう。感じているのは、あくまで裏地に溜まった自分自身の体温だけ。
それ越しにナツ姉を感じていた。それらを越えて感じられていた。少なくとも今、私達は生きているのだと、端的な事実のみを理解した。
「元気出た?」
「うん。出た」
「偉い偉い。それじゃ、とりあえずバケツ持ってって。タンクは私が持つから」
「うん」
18L入りの水タンク二個。10L入りのバケツ一個。持っている物が余りにも違っているのは、同時に私達の違いでも表しているのかもしれない。二卵生で実のところそんなに似ていない私達。人生に五時間だけ差がある私達。他にもいろんなところで違っている私達。十八年一緒に生きてきても、中身はずいぶん異なっている。
それが少し寂しくもある。ナツ姉は十八年も一緒に過ごしてきた姉妹で、遊んで、勉強して、時には喧嘩もして、仲直りもした。贅沢なんて全くできない家庭ではあったけど、私にとってはナツ姉が傍にいることが贅沢だった。
だから、これはきっと独占欲だ。ナツ姉の全てを知っていたい。知らないことなんてなくなってほしい。体重もウェストも全部知っていてもまだ足りないと、小さく小さくへそを曲げている。
二人だけの状況に不安を抱いているから、少なくともその間では全部分かっていたい、と。そんなところだろう。ちょっと我が儘すぎる。でもきっとナツ姉は、そんな私の我が儘を慈しむように笑って受け止める。私はその確信にも似た予測に甘えているのだ。
「どっせい!」
「おー!」
水が溜まる。
「そおい!」
「がんばれー!」
タンクが満ちる。
「もういっちょー!」
「いけー!」
心の空隙は、埋まらない。
「終了!」
「さっすがあ!」
正しく埋めるならナツ姉が必要で、有り合わせで済ますなら私の諦めが要るけれど、臆病な誰かさんはどちらを採ることも出来ないでいる。失うことも新しく得てしまうことも恐れている。
「うっ……ぐぐぐ……」
「いや、ユキ。無理だと思う」
「軽く担ぎながら言わないで!」
「鍛え方が違う。ぴーす」
「ぴーす。じゃなーい!」
川で汲んだ水は、思いの外綺麗だった。プラントで組成を調べてみればそのまま飲んでも害はないレベルで、殺菌その他の必要もない。地球では考えられなかったことだ。
流れる水は軒並み強塩基へ性質を変え、地下深くで採取したとしても浄化処理を施さなければ素手で触れることも出来ない、そんな劇薬。水とはそういうものだったのに、これはどうだ。云十年の宇宙の旅を経たここには飲み水がある。
一緒に落ちていったであろう他の船の大人達はどうしているだろうか。同じように着陸し、プラントの合成食に不満を垂れ、水を集めているだろうか。あるいは私達よりずっと楽な生活をしていて、はたまたずっと苦しい状態に置かれていたりするだろうか。子供ばかりが押し込められていた天橋立で二人生き延びた私達に、それを知る術はない。最年長のくせして残り二十八名を見殺しにしたんだから、ずいぶんと非情なものなのに、今はそのことに何も感じてはいなかった。
「当座はこれで良いとして。ねえユキ。このスーツっていつまで保つんだっけ?」
「通常使用で七日かな。この星の自転周期によるけど」
自転が遅ければ遅いほど、一日の寒暖差は激しくなる。それから中身、つまり私を保護するためにスーツは全力稼働しなくちゃならないわけで、まともに補給出来ないこの状況下で長く保たせることは不可能に近い。
反面自転が早い場合、一日の寒暖差はそこまで大きくならない。今の外気を鑑みるにさほど稼働率は高くならないだろうから、そこそこ長持ちする。つまり、どちらに転んだかで大きく違ってくる。
とはいえ早すぎるのも考え物だ。三十何年と眠っていたとは言え、ホモ・サピエンスの体内時計は地球単位で24時間弱を基準としている。僅かなズレは朝日によってリセットされるものの、大きくズレた場合その限りでなく、かつどの程度まで許容できるかもはっきり分かっているわけじゃない。
さらに公転周期と公転平面に対する自転軸角も大問題。早いか遅いかが問題と言うよりは角度との兼ね合い。垂直なら周期はあまり問題にならないものの、水平に近付くに従って早い周期は短期間での季節変動に直結し、ドギツい環境になってくる。じゃあ垂直で問題がないかと聞かれればまた違って、最悪雲の位置が年がら年中変わらないとかいう面倒臭いことが起こる。そうなると気温湿度降水量その他諸々様々なところに影響が表れ、ぶっちゃけ住めるかこんな場所ぉ!って感じ。上手いとこ見つければいい話だけど。
結局、夜になるまで地球時間で十五時間を要した。正確な計算が終了するにはもう一日必要だけど、地球時間でおおよそ四十時間がこの星の自転周期、すなわち一日らしい。二十時間で昼夜が入れ替わると仮定した場合、現段階で温度変化は20℃から30℃にも及ぶ。なかなか住みよい環境とは言い難い。
20番カーゴ……ひとまずの住居の中、私達は互いに身を寄せ合い、布団にくるまって過ごしていた。
「ソーラー生きてたカーゴって、あった?」
中身が無事でも外部に被害がないわけじゃない。むしろ着陸というか墜落時の衝撃で、上っぺりは全損だ。天板に設置されていたソーラーパネルも例に漏れず、私の記憶ではどれもこれも壊れていた。
「さすがにこの気温で暖房なしはキツいよ」
「うん」
「プラントからこっちに引っ張れないかな。反応炉、無事でしょ?」
「うん」
「武器コンに電子部品とかあるよね。動力ケーブルとか作れない?」
「うん」
何を聞いてもうん、と短く言うばかりのナツ姉。もしかしたら、私が話しかけているのにちょっと反応しているだけの、呻きに近いものかもしれない。暗がりの中でその顔は見えず、起きているのかすら判然としないんだから、確かめようはないわけだけど。
ナツ姉と一つの布団に入るのは久しぶりだ。前回は、最後に地球で寝たときだったか。翌日には40年間宇宙の旅に出るからと、大人達が許してくれた最後の帰宅。新天地を目指すとは名ばかりで、結局のところ間引きの対象にされたに過ぎない。もっとも、あのまま地球に残っていたのとこうして曲がりなりにも居住可能惑星にたどり着いたの、どっちが幸せだったかは分からない。
「……ナツ姉?」
この状況で沈黙、というのも怖くって、とうとう私はナツ姉を呼ぶ。
「ちょっと、考えごとしてた」
「えっ。珍しい」
「ふーんだ。私だって脳細胞くらい詰まってますよーだ」
脳味噌まで筋肉のくせにって言おうとしたら、見事に先手を取られた気がする。本当に筋肉馬鹿のくせに、地味に聡いから侮れない。
「ユキと一緒に寝るのって、打ち上げ前日以来、だよね」
「うん」
「家に帰ったらさ、お父さんもお母さんも真っ赤な目しながらお帰りって言ってくれてさ。だからって何するわけでもなくって、豪勢な食事があったわけでもなくって、なんかもういつも通り過ぎたなって」
「そう?私は嬉しかったけど」
「私も。いい意味でいつも通りでさ。明日起きたら、やっぱりそういういつも通りが続くんだろうって思っちゃったくらい」
「それ分かる。どーせナツ姉起こさなきゃいけないんだろうなあって思ってた」
「あはは……でも、夜中に目が覚めちゃって」
「夜中に?」
「そ。夜中に。寝付けないからリビング行ってみたら、二人とも泣いてたんだ。頑張って声殺してた。たぶん、私達に聞かれないようにって考えてたんだと思う」
何も見えない中で、声だけが淡々と響く。
「それで、どうしたの?」
「少し話したよ。二人とも泣いてたから、たいした話は出来なかったけど」
正直なところ、意外だ。ナツ姉は二人と話したがらないと思っていた。
理由はいくつかある。私は両親と仲が良かったけど、ナツ姉はそうじゃなかった。社交的な分内輪ってものを多くは持たなくて、家族もそんな感じだったのだ。元々自分のことを話さない方、っていうのもあると思う。
それに、私達二人が空に上がるって決断を下したの、ナツ姉だったし。言い換えれば死ねと言った相手と親しく話すわけもないなって考えていた。
「どうしてるかな。二人とも。まだ泣いてなきゃ良いけど」
「ずいぶん経ったし、大丈夫だよ。たぶん」
本当に、ずいぶん経った。下手したら二人とも生きていないかもしれないくらいの時間が。時が全てを癒すなんて言うつもりはないけど、時間が解決してくれるものは多いから、二人もそうだと信じたい。
あるいは私が薄情なのだろうか。正直なところ、あまり二人を気にかけようとか考えちゃいないのだ。私達のような境遇の子はいくらでもいて、両親のような立ち位置だって同じだけいた。当時の予定では私達が最終便だったが、その後方針が変わって、さらに増えたっておかしくない。第五次移民船団、すなわち私達で三十人いた子供たちが、第六次では大人より多いかもしれない。ここから心配したところで意味などない。
ここで考えるべきは光年単位で遠くにいる人間のことではなく、自分達とおそらくはこの星に落ちているであろう大人達の何人かだ。
「他の人たち、どこにいるかな」
「え?」
「天橋立以外に乗ってた人達。私達以外に脱出艇が落ちてったの見たから、どこかにいるかなって」
んー、と、しばらく唸ってからナツ姉は言う。
「いるかもだけど……まずは諸々安定してからでしょ」
その、どこか陰のある声に、私は自分の予感が少なくとも誤りでないことを知る。小惑星帯に突っ込んだような船団損傷具合に、残骸しかなかった軌道上。
何かが起こらない限りはあり得ない状況は、すなわち何かが起こったことを意味する。脱出艇から見たあの光景がただ自然発生的に生じたものでなく、どこかで人為的な事象があったのだと。
「そうだね」
私はそれについて問いただすでもなく、ある種の諦観にまみれながら眠りについた。
Thps
○移民船「天橋立」
旧東京、地下都市高天原にて執行された第五次宇宙移民計画。これに際し打ち上げられた宇宙船の一つ。
この船には30人が乗ったが、それは全て十代の少年少女に限られた。