意識が戻った時には、既に共和国首都は奪還されていた。
窓には格子が入り、ここが軍の収容施設内の医療施設であることが判断できる。黄ばんだ天井の染みと、僅かに亀裂の入った梁を見つめ、しみじみと生き残ってしまったことを考えた。生に比べれば死は怖くも悲しくもなく、静かで、簡単で、呆気ない、単調なものだ。
消毒臭が鼻を衝くが、血の匂いよりは遥かにましだ。爪先が無性に痒く、半身を起して足先を探ったがいくら探しても指が足先に達することはなかった。ブラックライモスと共に両足先大腿部を失っていたのだから。
入り口を格子で仕切られた通路の奥に、看守を兼任する看護師の部屋がある。設置されたモニターには共和国軍の戦意高揚の為の映像が、観る者も無いまま流れていた。記録映像だろう。敵の最高指導者、ヘリックⅡ世の演説が聞こえて来る。
〝諸君、遂に首都に帰る日がやって来た。チェスター教授が開発したこのゾイドを先頭にして〟
共和国領アーサー市郊外地下研究所での演説とある。この時、あの謎の巨大ゾイドがマッドサンダーと呼ばれていることを知った。ヘリックⅡ世が宣言をして間もなく「塔の上の悪魔」は斃れ、『風の城』は陥落した。敵はその余勢を駆って占領下の首都に雪崩れ込み、奪還を成し遂げた。
共和国民にとってヘリックシティーは紛れもなく懐かしい故郷である。望郷の念を以てマッドサンダーを開発し、帝国軍を駆逐したのだ。
時代は、両足を失った一人の敗残兵の人生を劇的に変化させた。
一月ほどは消毒臭の漂うベッドの上で過ごした後、唐突にチェスター財団という施設に召喚された。
車椅子に乗ったまま通された部屋には、医師らしき白衣を着た初老の男性と、技術者らしい薄い灰色の作業服を着た男性が待っていた。そこで切り出された提案は意外なものであった。
「両脚に義足を装着してみませんか」
最初は状況が理解できず、返答を躊躇う姿を見て、医師らしき白衣の男性は説明を補った。
「私たちは新たに義手と義足の開発を行い、モニターとしての装着者を募っています。希望するのであれば、義足を無償で提供します。条件は、定期的に作動状況を報告する事です」
聞くところによれば、共和国首都決戦でマッドサンダーに敗北し、戦争捕虜となっていたマイケル・ホバート少佐が共和国科学者と共同開発したものだという。
「試作品のため、常に円滑に作動するか保証はできません。それでも様々な行動パターンを学習することが必要なのです。あなたのように、足や腕を失ってしまった人々の協力が必要なのです」
無聊に託け、それまでベッドの上での唯一の愉しみにしてきた事は、敵が公開した戦史情報を紐解くことであった。病床で蓄積した知識を確実なものにするためにも、是非とも「足」を使った調査がしたいと考えていたところだった。無論、義足提供の返答は「是」であった。
両足を回復しても、自ずと行動の自由は制限された。当然だ。自分が敗残兵であり、その上実験的に開発された発信器付きの義足を装着しているのだ。階段などで義足の歩行機能に不具合が生じたときは、直ぐに手持ちのメモに残し、状況を記録し報告する。
時折義足に組み込まれた超小型のゾイドコアの出力不足が祟り、道の真ん中で文字通りの〝立ち往生〟する場合もあった。そんな時は普段から携帯している折り畳み式の松葉杖を展開し、上半身だけの力で移動するのだが、なかなか思う様には進まない。しかし、道行く見知らぬ共和国の人々が無言で手や肩を貸してくれた。
不思議だった。人はなぜ、こんなに優しくも、あれほど醜くもなれるのかと。戦時、「青い鴬」が呼び掛けていた如く、抵抗する術を失った敵を共和国軍は無条件に赦しはしなかった。それは陥落後の要塞内部の惨状を顧みれば明白だ。
確かに、私が旧ゼネバス帝国傷痍軍人ということを知って罵声を浴びせかけてくる者もいた。眉間に皺を寄せ、歯を剥き出しにして罵倒する姿は醜悪極まりない。しかし、戦場を遠く離れた場所であれば、帝国軍人と知ってもなお手を差し伸べてくれる人々の方が多かった。それは勝者の奢りかもしれないが、それでも他人への優しさは、荒んだ心を癒してくれた。それが共和制の本質なのかもしれない。人々が一つの方向に向いたとき、必ずその逆方向に目を向ける者がいることで、均衡を保つ能力を有している。戦争を望む者がいれば、平和を願う者もいる。あのとき「青い鴬」が『ふるさと』を歌い、何を願ったのか、僅かに理解できた気がした。
猶、後に暗黒軍との大陸間戦争が開戦されると、更にゼネバス帝国人とヘリック共和国人との垣根は低くなり、殆どの者が帝国出身者を気に留めることもなくなっていったことも付け加えておきたい。
装着して2か月も経過すると義足の機能も安定し、歩行に支障を生じることも殆どなくなっていた。歩行活動範囲も拡大し、資料の探索も熱を帯びてくる。
あれ以来、滓の様にこびり付いていた疑問があった。
なぜあの夜、マッドサンダーの攻撃とは別に「青い鴬」は『ふるさと』を歌いゴルヘックスを介して放送を流したかということだ。マッドサンダーの進撃の前では、最早プロパガンダ放送など意味を成さないことは理解できたはずだ。以下は探索した資料を基にした推測ではあるが、マッドサンダーを率いる部隊と、要塞攻略部隊との間で、何らかの齟齬があったのではないかと考えてみた。
共和国軍『風の城』攻略部隊は、それまで何度も「首都への道」突破を試みても成功に至らなかったにも関わらず、マッドサンダーの投入により忽ちの内に膠着した戦況を打破されることを惧れた。マッドサンダー到着直前の激烈な砲撃も、その前々日の40時間連続の攻撃も、後方から迫るマッドサンダーに要塞突破の殊勲を奪われるのを容認し兼ねたからではないか。「青い鴬」を召喚し、頻りに精神的な揺さ振りをかけてきたのも同じ理由である。
マッドサンダーを率いる共和国後続部隊は、既に役割を終えた「青の時間」の中止を命じたに違いない。「青い鴬」の家族が、荷電粒子砲によって消滅したということが事実か虚偽かは判らない。彼女は明らかにプロフェッショナルだ。鬼気迫る声で要塞開城を願ったのも演出であった可能性も捨てきれない。一時の中断の後、非常回線を使って放送をしたと言ったが、それ程簡単に軍の回線を使用できるとは到底思えない。加えて、彼女が正規軍のゴルヘックスを稼働させて放送を行った以上、軍の関係者がいなかったとは考えられない。だが一方、彼女自身が無伴奏で『ふるさと』を歌った理由は、楽曲のソフトを全て封印されてしまったからだろう。そして、噎び泣く演出は、未だに演出とは思えない。彼女が語った如く、本当に家族を失っていたのかもしれない。
戦闘の終了と共に、彼女が露出する事は無くなった。長期間釘付けにされてきた攻略部隊が「青い鴬」個人の暴走でゴルヘックスを無断使用し、放送した責任を負わせ、部隊の体面を保とうとしたのかもしれない。それに、暗黒大陸ガイロス帝国との開戦以降「青の時間」を放送する必然性もなかった。ヘリック共和国軍はガイロス帝国の『ふるさと』に攻め入ったのだから。
彼女の消息を辿る方法を、それ以上は得られなかった。
綺麗に手入れをされた中庭の、蔦の絡まったアーチに数匹の小鳥が留まり囀っている。
思わず車椅子のストッパーを掛け、口遊んでいた。
「ウークピツ……ウウウクヒ……ウ・クイツ」
「何の呪文を唱えているのですか」
気付けば、背後に柔らかな微笑みを浮かべた女性看護師が佇んでいた。
最初の契約に従い、定期的に指定された医療施設への通院が義務付けられていた。義足に埋め込まれた記録装置の動作記録を施設のサーバにコピーし、同時に義足の各駆動系の負荷を計測、調査するために、ここでは暫くの間車椅子に乗らなければならない。その間の気晴らしに、中庭で時間を過ごすのが習慣となり、豊かな緑に覆われたアーチを見上げていた。彼女が今日の義足装着者担当らしい。
「もう少しでメンテナンスが終了しますので、お待ちくださいね」
「御心遣い感謝します。お恥ずかしい。先程の呪文ですが、〝ウグイス〟という小鳥を御存知ですか」
看護師は目を細めた。
「聞いたことがあります。確か敵の……共和国地域で啼く鳥の名前ではありませんでしたか」
敵の、と口を滑らしたことで、彼女が帝国領出身の女性であることを知る。だが追及はしない。
「実は地球の小鳥の名前なのですよ。とても綺麗な声で啼くらしい」
私は蔦のアーチを見上げた。
「文献には、ウグイスはホーホケキョと啼く、とあったのですが、それは時代による偏見でした。それ以前は、いま口遊んだような響きで受け取られていたのです。
何でも“ホケキョウ”という聖典を広めたい集団が、「ホーホケキョウ」と称する聞做(ききなし)を殊更に喧伝した結果、当時の庶民に急激に定着してしまったそうなのです。一種のプロパガンダだったんですね」
「そうでしたか。戦争に征った地元の幼馴染が、共和国の戦場で『青い鴬』の美しい声を聞いたと手紙に記してあって知っていました。きっと彼の聞き違いだったのですね。
その彼とは、結婚の約束をしています。
実はまだ消息を捜しているのですが、先程のお話は何かの手掛かりになるかも知れません。
ああ、嬉しい。
偶然ですが、御伺い出来て希望が湧いてきました。もっと頑張って彼を捜してみます。本当にありがとうございました」
看護師は花のように微笑んだ。
自分は無言で中庭の小鳥の声に耳を傾けていた。
「青い鴬は見つかりましたか」
最初に義足の装着を提案した薄い灰色の作業服を着た技術者らしき男性が、自分の義足の装着作業を手伝いながら語りかけてきた。義足の記録装置には、歩行した移動場所の記録が残されている。何の為に移動したのか問われ、彼には「青い鴬」の探索について何度か話した事があったからだ。
「いいえ。しかし必ず探し出します」
そして短く溜息をついた。
「探してどうします」
「素敵な歌をありがとう、と礼を言います」
ありがとう、の後に連なる無数の言葉を呑み込み、窓の外に広がる青空を見上げた。
鴬は、本当はどんな声で啼くのだろうか。
季節は巡り、連なる山々に霞みが棚引いている。中央大陸に春が訪れていた。
鴬の啼かない春に、ゼネバス帝国は滅亡した。