今、私は父親の手を握りながら熊本城近くの大きなデパートで買い物を楽しんでいる。
父親はチラチラと私の顔を見る。
私は楽しいのだが、上手く笑顔が作れないため、父親はつまらないのではないだろうかと勘違いをしていそうだ。
そんな私は無言で本を握っていた。
世界リーグで使える戦車一覧が書かれた辞書だ。
「ほむ、これが欲しいのか?」
「うん。」
小さな声だったが、迷いのない返事だった。
日本ではマイナーな戦車道だが、世界的に見ればメジャーである。
歴史的には冷戦初期のトルーマン・スターリン協定と呼ばれる両軍の戦車で模擬戦をドイツのベルリン郊外で数ヵ月に1度行われていたことが始まりであり、その模擬戦にイギリス、フランスが入り、朝鮮戦争によりソ連は軍事技術秘蔵のため、協定を一方的に破棄するが、ソ連の場所にドイツ、イタリア、北欧諸国が参加し、戦車道の基礎が出来上がる。
朝鮮戦争終結後、西側と呼ばれる資本主義陣営で戦車道がメジャーとなり、日本もアメリカの進めにより参加、この時学園艦が欧州にて戦車道の基礎を学び、ドイツと再度友好関係を築き、ドイツ戦車を大量に貰ってきたのが黒森峰、欧州の流れについていけず、独自路線に走ったのが知波単、普通に学んで帰ってきたのが島田流のいた学園艦だった。
その時の黒森峰初代隊長が戦時中に戦車の神様と呼ばれた西住小次郎の娘であり、私の祖母になる。
(だから歴史ある西住だとか何とか言ってもたかだか40年くらいしかない。野球とかと比べると歴史が浅い・・・か。)
ペラ
(戦車道には年齢によって扱える戦車が替わる。中学生までは1940年までに製造された戦車のみ、高校生は第二次大戦終戦までに製造、実戦された戦車のみ、U-22までは朝鮮戦争開始まで、以降は国際戦車道連盟の決定した戦車〔ワールド 〇ブ タ〇クスの実際に生産されていない架空戦車を除いた全て 一部カール等の例外あり〕が使用可能・・・か。)
ほむは前世の記憶で戦車については2010年までだったら全ての戦車の性能、装備、その戦車の弱点を覚えている。
(ただ、記憶に有るだけで、実際に操った経験は無いため、何とも言えない・・・な。)
レストランで久しぶりのお米を堪能しつつ、無言で黙々とステーキを頬張る。
「・・・なぁ、ほむ。戦車道は好きか?」
「?好きか嫌いかで言えば好き。ただ・・・」
「ただ?」
「私は姉達・・・お姉様達みたいに化け・・・才能に溢れてない。凡庸・・・それすらも劣ると自覚してる。」
「そうか・・・。」
「私は色々な国の戦車に乗りたい。ただそれだけ。」
「そうか・・・。」
(やはり、ほむには西住は重いな・・・。しほに話してみるか。)