魔女の子たち   作:暗黒わらび

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#2

 曇りひとつない鏡面が地下室を映している。どこから覗いても辛気臭い地面と石壁が映るばかり。覗き込んでいる自分や連れの姿はどこにもない。鏡の向こう側は別の世界だというのは、本当かもしれないとイデンサは思う。

「俺達は映らないんだな、これは」

「普通は違うンだ?」

「ああ、そうだな」

 銅板を磨いたものはせいぜい褪せた像が映るくらいだが、それでも高値が付く。この姿見は間違いなく一級品だ。施された魔法の効果だろうか、鏡像は本物と寸分変わりない。とても、触れることのできる物質とは思われないほどだ………。

「やめなヨ!」

 甲高い制止の声にぎょっとして指をひっこめた。前のめりになっていた鏡から身を引いて、言い訳がましく抗議する。

「そう神経質になるなよ。どうせ壊そうとしても傷一つ付きやしないって。………もしかして、何かあるのか?」

 急に心細くなって足元に訊ねる。黒っぽい毛玉はもじもじとしたあと、「わからナい」と答えた。

「なんだ、怖がりかよ」

 イデンサが笑うと、アグリーは怒って膨らんだ。ただ、もともと猫より小さいマモノである。いつも焚き木の火付けに使っている魔法も、このお調子者の盗人に脅威と思わせることはできそうにない。

「さあて。お次はどうやってこいつを運用するか、だな。騎士連中と仲のよくないところがいい………」

「ウンヨウ?」

 姿見を手で示して、イデンサはあっさりと言った。

「金持ちの所に持ち込んで、たかーく買ってもらうのさ。なんたって、魔王の封印だぜ? お目にかかれないどころじゃねえよ」

 アグリーは萎んでしまった。大胆な行いと言うべきなのだろうか、それとも無謀と?

 分からないが、お金の力は知っている。この男に教えられたから。魔王という言葉も、イデンサに教えてもらって初めて知ったのだ。アグリーが〝生まれた〟のは魔王と呼ばれる精霊が封印された後だった。

「分かってんのかあ? 一攫千金のゆめだぜ。うまくやればな!」

 はしゃぐ盗っ人も、悩むマモノも、鏡はやはり映さないままだった。

 

 

 

 踏みしめられて禿げた土のうえで、春の風が踊っている。掘っ立て小屋の陰に犬は寝そべっていた。だれかが来たら、ろくに見えない目とまだ健康な鼻で確認する。彼に挨拶してくれる人か、しない人か。はじめての人間は滅多に来なかった。門前に座り続けて十年、いつごろに誰の来訪があるか予感がするものだ。老いた犬は痩せた体を持ち上げて、日向へ赴いた。

 果たして、少年が歩み寄り、出迎えに応えた。毛深いあたまを撫で回して笑いかけるのが挨拶だ。幼馴染といってもいいかもしれない。なにしろこの犬が貰われた頃に、彼と彼の姉も拾われたのだから。自らがどこから来たのかは、スオルは知らないし、青い山とふかい森で閉ざされたこの土地の、外に思い出はなかった。

 犬にしばしの別れを告げ、先へ進んで頑丈そうな小屋に近付く。すると、鳥獣の臭いが漂ってきた。小柄な、肉付きの良い女性が、表で三匹の山羊に囲まれている。ちいさな牧場の女主人に、スオルは手を振った。

 返される顔いっぱいの大きな笑顔は、母親を思わせる。といっても、スオルは母のことを覚えていないのだが。姉に話したらそう感じるのは分かると言ってくれたので、この感触はどこかほんとうなのだ。

「おはよう、エリーネさん」

「ひさしぶりだねえ、ぼうや。冬の間、大事はなかったかい?」

 スオルは頷き返すと、無造作に、ひょいと家畜用の柵に腰掛けた。肩に引っかけた袋から、ジャムの瓶を渡す。

「はい、今年一番」

「ああ、ありがとう! これこれ、春の味覚さね」

 エリーネが瓶の蓋を開けたことで、ジャムの濃厚な香りが広がった。山羊たちが食べ物の存在に気付いて首をのばす。物欲しげな鼻先を要領よく追い払って、ちょっと待ってておくれよ、と牧場の女房は奥へ引っ込んだ。

 入れ替わりに、エリーネの息子がやって来た。髪はぼさぼさ、顎もまだらで、母親の活発な印象とは遠い。スオルはただ可笑しそうに、足を揺らしながら挨拶した。

「おはよー。元気?」

「むっ、あー、ぼうずか。うむ。元気だ………くぁ」

 しょぼしょぼと目をこするのを止めて、盛大に伸びをする。普段からのんびり屋ではあるが、今日は一段とひどい。

「あーあ。そんなんだからお嫁が来ないんだよ」

「ふん。大きなお世話だ。おまえは知らないだろうが、おれは決めるときには決める男なんだ」

「えー?」

 背中を丸め、くすくすと笑う。牧場の息子は憮然と無精髭を掻いていたが、反論を試みた。

「そういうおまえは、どうなんだ? いつまでも森の中にいちゃあ、一生独り身になっちまうぞ」

 ぶらぶらしていた足がはたと動きを止めた。呆けたような、考え込んだ顔がゆっくり(かし)いでいく。

 元来純朴な牧場の息子はひどく慌てて弁解した。

「いやいや、あんたの爺さんを悪く言ったわけではないんだ。それに、村に入りづらいのは、分かってるよ」

 スオルのお爺さんとはクレイサルのことだが、彼は独身であり、血は繋がっていない。親類で寄り集まっている村人にはまったく奇異な『家族』だった。ただいちばんの隣人、この牧場一家は、ありのままに接してくれる。

 だが、家庭にまつわる不安や孤独感といったものが、スオルの気を引き止めたのではない。先程の言葉のどこかに、予想もしなかった違和感があった。そして掴み損ねた川の魚のように、二度と戻ってこなかった。

 大の男が年下の少年に謝る必死さに、つい吹き出しそうになる。

「そんなことは気にしてないよ。たぶん、それは姉さんに言うべきだね。そろそろ危ないもの」

「むむ。それこそ、よけいなお世話じゃないかなあ」

 と、何とも気弱なようすだ。それを、情けないとはスオルは思わなかった。自分より小さいから、弱そうだからといばりちらすのは沢山いるけど、全然かっこよくない。素朴で気のいい青年のことは、スオルも姉のイーシアも気に入っていた。

 しかし親にとってはまったく心配の種であった。母親は戻ってくるなり息子を叱咤した。

「ラスラル、あんた、なんだいその顔は。とっととさっぱりしておいで! お天道様が笑ってるよ、このどら息子が」

 スオルは柵から降りて、エリーネと向かい合った。それまで話していた相手は潔く退散してしまったので。

「またおいでよ。姉さんやクレイサルにもよろしく言っといておくれ」

 息子に対するのとはまた違った優しい声音とともに、スオルはまだ温かい卵をもらった。屈託のない笑顔でありがとう、と言い、帰路に着く。

 エリーネも微笑みをうかべて、手を振る少年を見送った。

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